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最終章 『春のマリア』  作者: 松島 雄二郎
騎士学一学期 短話編
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サラン・ディーネと匹夫

 入学前及び一学期に起きた出来事の詰め合わせオムニバス

 どこに突っ込んだらいいか分からなかったので適当に投稿していきます。

 ディーネとは古代語で女神を意味する。また女神のように美しい女性の意味もある。D’neと書くが崩し文字の関係か現代ではD’seと間違えられディースと伝わっている。本作の時間軸また知識量からすればディースの表記が正しいが翻訳の結果正しいディーネを採用している。

 サランとは古代語で『噂にのぼった〇〇』という修飾語だ。伝承に伝わるや謳われるという意味にも用いられる。この目で見たことはないが聞いた事があるという解釈が正しい。


 サラン・ディーネとはアシェラ神の呼名である。また単一の単語として幸運をもたらす乙女という意味もある。大砂海を彷徨うサラン・ディーネと会った者は幸運に恵まれるという古い伝説からの出典である。



◇◇◇◇◇◇



 ウェンドール806年三月七日。この日コパ・ベランはクリスタルパレスへの登城を許された。


 騎士団長ガーランドの招聘で学院に招かれた国外の有名な教師という名目での登城であり、まったくの異例なことに皇帝レギン・アルタークが直々に着任の挨拶を受けると言い出したがゆえだ。

 皇室立学院とはいえ一介の教師の雇用や着任に際して皇帝が口を挟むことは異例中の異例。この国の皇帝は自分が皇帝であると理解しているのだろうか?と嘲笑されるほど何もしないから、新任の教師からの挨拶を受けると言い出した時は「……?」と侍女が首を傾いだらしい。


 この面倒くさい知らせを受けたのが四日前の事であり、LM商会の応接室で王の使いを名乗る宮廷貴族が書状を読み上げ始めた時はコパも頭を抱えた。いや人前であるので面には出さなかったが気分はまさに頭痛がしそうというものだ。


「貴殿がごとき高名な学究を迎えられたことこの上なき喜びである。ついては貴殿と―――」

(また面倒な……)


 王の使いの説明によれば謁見は四日後の正午すぎに開始。遅くとも朝八時には馬車を差し向ける。当日もわたくしアルカ子爵が応接を致すとのことだ。


 王の使いには多少の質問をし、当日の流れをよく聞いてからお帰りいただいた。当然ではあるが土産物も持たせた。……持たせないと当日の対応が不親切になりそうな小人であったからだ。


 厄介な客人を追い返したコパがソファにどっかりと腰を下ろすと、ロリータメイドみたいな格好をした少女がお茶を持ってきた。


「ほらよ」

「光栄の至り。しかしまあそのような装いもお似合いになるのですなあ」

「お前誰に物を言っているつもりだよ」


 少女が悪い顔でそう言った。口調と言葉だけを見れば怒らせたかと勘違いしそうなものだが、短い黒スカートを広げてクルクル回っているので機嫌は良さそうだ。


「生憎どんな装束も着こなしてしまうのでねえ。望むなら踊り子のような格好でベリーダンスをしてやってもいいんだぜ?」

「老骨をからかいなさるな」


 若き日に仕える女神に恋をした。あの頃の己は度量の狭い愚かな男でしかなく、我がことを顧みぬ女神に苛立ち神殿を飛び出した。

 あれから数十年の年月が流れ、信仰の主との再会を果たし許しを戴いた時は危惧もした。あの日の想いがまた蘇ってしまうのではないかという恐怖だ。


 しかし二十代の若者だった己はすでに存在せず、己は妻子を持ちすでに子育ても終えた気楽なジジイでしかなかった。

 この胸にはもうかつてのような燃え上がるような情欲も苦しくて辛い恋情もない。

 今は何の我欲もなくこの方と向き合える。気ままに言葉を交わし、その英知を頼り、また意見を求められる。特に用もないときは傍で本でも読んでればいい。


 LM商会でのそうした日々が数日経った頃にこんなことを言われた。


『今の方がだいぶ付き合い易いぜ。ギラついた視線を向けられるのは負担だったんだ』

『ご迷惑を掛けておりましたな。今では私もだいぶ枯れましたので』

『ジジイになってババアの気持ちがわかったというところか』


 なるほどと思った。見かけこそ若々しい女神もそのじつ老婆の気持ちであったのなら、若者の恋情はさぞ面倒に感じていただろうと思い至った。……かつてはこの程度の思慮もなかったのだと知り恥ずかしい気持ちにもなった。


 気負いもなく接してみればかつての主の傍は居心地がよい。

 妙な野心など捨ててしまえば人生は豊かに感じるのだな。そう実感した矢先の皇宮への召喚状だ。まったく穏やかな気持ちに水を差された気分になる。


「あの見事な髭以外見るべきところのない似非紳士の用件はなんだったよ」

「この国の王が着任にあたり抱負を述べに来いと宣っておるとの事。無能な王の思い付きというのはいつの世も面倒なものです」

「無能ねえ……」

「この国の有り様を見れば疑う余地はありますまい…と済ますのは怠慢なのでしょうな。アシェラ様のお考えを聞かせていただきたい」


「たしかな根拠あってのことではないさ。国の有り様だってこいつ一人でどうにかなることじゃない。繁栄も衰退も結局のところ運命ダーナの気まぐれだ。無能な王、悪党の傀儡とはよく聞くけれどボクらは実際にこいつを見てもいないじゃないか。よく知りもしないやつをこうだって決めつけるのは英知の殿堂として正しいスタンスじゃない。そうだろ?」


「しかり。ならばわたくしめがしかと見定めて参りましょう」

「うん、頼むよ」


 皇帝からの召喚状が届いた四日後の朝コパは使用人一名を連れて登城した。謁見は正午すぎ、つまり12時以降ならいつでもとなっていたが色々とある。謁見に関してのマナーを教わるなどの面倒事だ。


 応接役のアルカ子爵は物腰こそ丁重だが下心を隠しもしない。コパ・ベランという有名な学者の知己を得たいと考える人々の窓口になりたいらしい。じつに貴族的な下心だ。


 貴族は大人物からはかねを引っ張らない。大人物に群がる人々からかねを得る。

 アルステルム伯爵家という大きな盾の通じない異国において面倒なのがこういう人物だ。アルカ子爵も面倒だが彼に紹介を頼もうとする連中も面倒だ。何が面倒かって距離を置こうとすると勝手に恨み始めるから面倒だ。


(私を雑事に煩わせることなく面倒な連中を寄せ付けない盾になるような人物の庇護下に入れれば楽なのだが)


 神殿に復帰して神官を名乗ればこの手の連中はいなくなる。代わりに教職は辞する必要が出る。

 一番よいのはリリウス・マクローエンがその全能を発揮して帝国で台頭することだ。どう考えてもこれが一番収まりがよい。未来の情報を活用したいという彼の考えもわからないでもないがコパからすればどうにも保守的な姿勢に思えてならない。


 彼の持ち味は奇想天外な制圧力だ。思考視界の外からやってくる不可視の一撃こそが彼の必勝パターンのはず。逆にこれ以外の手では弱い。

 攻撃力は強いが守りに入ると弱い。じつに若者らしい性質であり今回のはかりごとは無理に背伸びして失敗するパターンに入っている気がしてならない。

 リリウス・マクローエンの武力に疑いはない。しかし頭の方は年齢相応だ。


 コパは危惧している。クラン神狩りには三つの勢力があり、こいつらが本気で信用できない。太陽の悪竜が率いる太陽の魔導官で構成されたナルシス派閥。アシェラ神を頂点にいただくアシェラ神殿。冒険者ギルド職員と彼女らがスカウトした高位階冒険者を抱え込むABC首長国連邦。……どう考えてもリリウスに制御できる連中ではない。


 リリウスは神輿だ。収穫祭を終えた後の神輿の末路は火葬だ。

 今はいい。三つの派閥は共通の目的のために勢力拡大に勤しんでいる。彼の武力と彼の名を用いてLM商会を大きくしている。問題は第二予言を退けた後だ。


 思い返すだけで寒気がする。ディアンマ戦の後は本当に不味かった。夜の魔王の復活でゴタゴタして結局うやむやになったがあの時イザールとナルシスは手を組んでいた。殺人人形ベティの身柄と引き換えにディアンマの屍を譲り渡す密約が為されており、おそらくはアシェラ神も捕獲される予定だった。大魔討伐で疲弊した後にイザールが出てきたのはそういう理由だ。

 アシェラ神が先んじてテレサ・ガランスウィードを確保し鍵付き結界内に隠していなかったらナルシスはもう少し恐ろしい手段に出ていたかもしれない。例えば大魔戦の最中に後々邪魔になる者を殺しておくような……


 大魔戦でナルシスは明らかに手を抜いていた。彼の手足であるサンズ・オブ・ザ・サンまで温存されていた。アシェラ神も薄々勘づいていたからテレサという手札を大魔戦後まで隠し通した。

 その後にガレリアの手によるナルシス暗殺が起きた。……もはや偶然とは呼べまい。


 なぜガレリアの教祖がナルシスを殺す必要がある。依頼主がいたからだ。コパははっきりと覚えている。東方移民街の一角を貸しきっての祝勝会の最中にアシェラ神とラケスの会話をしかと聞いていた。


『悪竜は殺しておいた方がいいかな?』


 そしてナルシス暗殺が起きた。時期的に考えれば理由は明白、報復措置だ。ナルシス暗殺の依頼主はアシェラ神だったのだ。

 このような理由があり互いに同じ神輿を担げども歩み寄る気配のない悪竜派閥とアシェラ神殿。……こんな連中の制御など誰にも不可能だ。


 アシェラ神を敬愛している。この気持ちに嘘偽りはない。だが信用してよい存在ではない。神など信じるべきではない。神は人の気持ちなどけして重んじてくれぬのだから……


 控室で長い時間を過ごしここにいるのが苦痛になってきた頃、侍女が入室してきた。


「謁見の用意が整いました」

「コパ殿、では参りましょうぞ」

「うむ」


 田舎の帝国とはいえ謁見の間は見事な造りだ。大理石の床には真っ赤な絨毯が敷かれ、その数十メートルという先に皇帝をいただく玉座がある。

 絨毯の左右に起立する大勢の宮廷貴族の存在は威圧的で権威という名の置物に思えた。


 コパと使用人はアルカ子爵の進んだ歩数分だけ絨毯を歩き、玉座まではまだ遠い場所で立ち止まる子爵の様子に合わせて膝を折る。皇帝の姿はまだ見えない。面を上げてよいのは許しを得てからだ。


 皇帝の傍に立つ厳めしい顔つきの武人が声を張り上げる。


「ラサイラ魔導学院元教授コパ・ベラン殿に相違ないか!」

「はい。小国はフェニキア、太陽はアルステルム伯爵家の客人としてラサイラで教鞭を取っておりましたコパ・ベランにござる」

「よろしい!」


 近衛の長による慣例的な誰何が終わり、次に口を開いたのは皇帝の傍にいる文官らしき男だ。彼は皇帝の言葉を伝える係だ。


「皇帝陛下は貴殿の士官を喜んでおられる。この喜びを御自らの口で伝えたいと仰せだ。コパ・ベランとその小間使い、前に進まれるがよい!」


 アルカ子爵の歩幅に合わせて七歩進む。特に何か言われることもなくまた七歩進み、ここで「止まれ!」と制止される。まったく大仰で儀礼的で何の意味があるのかとうんざりしてくる。


 謁見ともなればこのように半日は潰れる。好色王ごときにどうしてこんな無駄な時間を、という想いもある。

 玉座までの距離はおおよそ15m。ここに膝を着いたコパへとようやく許しがある。


「面をあげよ。皇帝陛下より御言葉がある!」

(これは思ったよりも……)


 好色王と聞いて最初に思い浮かべた姿は飽食でぶくぶく肥え太ったオークのようなデブだ。ついでにハゲだ。日頃の行いがそれはもう肉体に出たどうしようもない醜い中年だと想像していた。


 しかし予想は現実とは乖離していた。

 玉座には病を患ったかのように瘦せこけた男がいた。コパもよく知る銀狼とよく似たプラチナブロンドの、若き日はさぞ様子のよい男ぶりだったと想起させられる男だ。

 だが一国の王には見えない。眼に覇気がない。知性も見えない。欲望も見えない。スラム街に座り込むこじきのような目をしている。……幸福から最も遠い、そんな印象を受ける。


(これが好色王レギン・アルターク。噂とはだいぶ違うな、不摂生が祟って内臓でも患ったか?)


 緋色のマントを纏い、金糸をふんだんに使った豪華な衣服に身を包めどもこの男には王威が無い。王威なき王が口を開く。


「コパ・ベラン、貴様は太陽王シュテルの相談役をも務めておったと聞くがまことか?」

「はい。非才の身ではありますが愚痴を聞くような間柄ではございました」

「斯様な大人物が若者を指導してくれるか。善き事だ。貴様の活躍を期待している」

「わたくしごときにもったいなき御言葉。皇帝陛下のお言葉を励みに粉骨砕身の想いで全う致す」


 これでおしまいならありがたい。

 だが呼びつけるからにはこれだけということはなかった。


「時に太陽王であるがどのような人物か?」

「堂々たる大人物でありますな。武人としても政治屋としても何一つ欠点のない強い御方であらせられる」

「さすがは太陽の王というところか。貴様よ、彼の太陽王と比べてワシは見劣りするであろうか?」


 コパが答えに詰まる。

 最上級に答えにくい問いだ。ここは帝国でクリスタルパレスなのだ。この手の質問は脅迫に近い。心ならずもおべっかを使って切り抜けたくなる問いかけだ。


「これほどの大国家の頂点であらせられる皇帝陛下ならば太陽王に勝るとも劣らぬ人物であると……」

「そう言ってくれるか。つまらぬおべっかなど聞き飽きたが貴様の言ならば嬉しいぞ。なあ貴様よ、太陽とは縁を切りワシに仕えぬか?」


「御言葉でありますが先に教師として腕を振るえと、期待していると御申しになられたはずでは」

「貴様ほどの男を学院に置いておくのは手が悪いと考えた。王の相談役ならば王の傍にいるべきだ。ワシの傍でワシを導いてはくれぬか?」

「……」


 面倒事。厄介の種。最初に感じた嫌な予感はこうして的中した。

 まったくどう切り抜けたものかと思案しているとコパの隣から快活な笑い声が聞こえてきた。


 使用人として帯同した少女が膝を着くの飽きて立ち上がり、何とも不愉快そうに大声で笑っている。


「匹夫だな。あぁこれは見事な匹夫だ。己の器量さえ弁えぬとはまったくの匹夫だ、お前にコパは御せぬよ」

「小間使い風情が許しもなく皇帝陛下に直答をするか!」


 置物のように黙り込んでいた宮廷貴族どもが怒鳴り出す。

 手荒なマネをする者こそいないが彼らは口々に怒鳴り出し、そこの端女にはどんな教育をしたんだとコパを叱りつける者までいる。


 コパは戸惑っている。まさか主がこのような短慮をなさるとは想像もしなかったからだ。


 今はまだ手荒なマネをしてこない。だが近衛騎士かそれに命令できる者が命じたなら話は変わる。


「まぁ助けが欲しい気持ちはわからないでもない。使用人の面をした盗人が堂々とのさばり足元には火をつけて回るネズミが徘徊し、家人は喧嘩に明け暮れて死者の絶えぬ有り様。これを止められぬ家長のなんと苦しいことか」

「……」

「なあ匹夫よ、お前に英知を授けてやろう」

「英知ときたか。娘よ聞かせてくれるがよい。だがつまらぬ助言紛いなら首と胴が離れると―――」

「お前は頑張った方だ」


 手を掲げて騎士を差し向けようとした皇帝の手が止まる。


「色々頑張ったけどどうしようもなかったんだよな。このままじゃいけないと思って若い頃からずっと努力はしていたんだよな。皇室の威を取り戻すために勉学に励み己を鍛えたのに才と人に恵まれなかっただけなんだよな」

「……」


 ふと皇帝の脳裏に若き日の思い出が蘇る。

 家臣のはずの貴族どもにいいように喰い荒らされる皇室の在り方をよしとせず皇太子足らんと励んできた苦渋の思い出だ。

 軍を率いれば敗戦し、治水工事を行えば小役人にかねを抜かれて遅々と完成せず、勤勉に国政に取り組めども何も為せなかった最低な思い出だ。……自分という男に愛想が尽きた若き日の光景が蘇ったのだ。


「お前は偉いよ。自分には無い物をたくさん持って生まれた子に妬心を抱かず認めてあげた。動きやすいようにしてやった。任せたっていうのは簡単だけど誰にでもできることじゃない」


「お前は何者だ。なぜそんな言を吐ける? 英知とは何だ?」

「匹夫よお前にはすでに授けたはずだ。己を見限って優れた子らに任せた。それでいいんだ。お前が認めてやった二人の子がきっとこの国を救うよ」


「……左様か。ワシは間違ってはいなかったのか」


 玉座に座り直した皇帝は己の過ちを謝罪し、コパには学院で腕を振るうようにと先の言葉を撤回した。

 そして客人を下がらせる間際に一つ問いを投げた。


「娘よ、否やおそらくはサラン・ディーネよ、またお目に掛かれるだろうか」

「お前に幸運があればね」


 謁見の間がどよめく。

 皇帝が床に這いつくばり頭倒礼をしてサラン・ディーネを見送ったからだ。出会う者に幸運をもたらす聖少女の伝説によれば二度も出会うことはないとされているが……


 皇帝は再会を願った。

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