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最終章 『春のマリア』  作者: 松島 雄二郎
いかさまカジノ激闘編
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閉じた時の円環の中で③ 慟哭から生まれる憎悪

 ちからに目覚めた夜に最初に行うのはいつもクズの始末だ。

 己の妻を殺してしまったにも関わらずそんなつもりはなかったと喚き散らすクズを火刑に処すのはこれで二度目になる。


「は? はははっ、何だよお前ファイヤマジックが使えんのかよ。さすが俺の血―――」

「クズが」


 爆熱の火弾でクズの頭部を消し飛ばす。その汚らわしい口を二度と開かせてなるものかと丹念に焼き清めておく。


 生ある者が誰一人いなくなったスラムの家で俺は俺の身に起きた事態について考えた。幻術や時間遡行とくだらない思い付きをあれこれと巡らせて、幼き身に戻った不思議への問いと答えを一つ一つ……


 混乱していたのだよ。己が死んだことさえ理解しておらぬのだ。時間が巻き戻ったなど信じられるわけがない。


 混乱していた。だから封印していた呪われた右目を用いて未来を視た。

 流れ出した遺恨の未来ウルドが加速していきこの帝都で起きた出来事を投影し続ける。だが額の痛みによって異能の制御が狂い右目に映る光景は現在まで戻された。


 単純な話だ。幼い我が身では異能の長時間行使には耐えきれない。終末の日を告げるがごとき暗黒の巨人がいかなる怪物であるか、これを知るには成長を待たねばならない。


 一つの結論を下した俺は懐かしいエドキア婆さんに会いに彼女の住処を訪ねた。

 悪徳信徒エドキアは旧市街の粗末な宿で寝起きしている。宿の亭主は夜間に店をおとなったガキを訝しんだが……


「昼間エドキア婆さんには鑑定料をツケにしてもらったのだ。金を渡すだけだ」

「はぁー、大人みたいにしゃべるガキだな。そういう事情なら呼んでやるよ、ここで待ってろ」


 程なく二階から降りてきたエドキアへとアシェラ信徒のみが互いの身分を示す時に用いる古い作法を用い、最後に悪徳信徒の符丁を唱えた。


 エドキア婆さんは大層不思議がり何度も首をひねっていた。

 鑑定眼も持たぬ異国人のガキが同僚面をしているのだ。大層気味の悪いガキだと思ったに違いない。


「これから語るはさぞ信じ難い話となるであろう。だが何としても信じてもらう他にない」

「面倒事のにおいがするねえ。聞かせてみなよ」


 語るはこれまでの出来事。悪徳信徒ガイゼリックとなる前の彼女との旅路と本殿への復帰を願うた俺の旅路は簡潔に。だが予言の日のみは克明に。

 帝都に長く居を構えていたエドキアなら知ることもあるだろうと期待しての説明だ。


「それはいつの話だい?」

「ウェンドール810年三月ギュストの……すまぬ、日付までは把握できておらなんだ」

「けっこう先の話だね。何とも不思議な話だ、ババアの手には余るねえ……」


「我が身に起きたこの異常、なんと考えになるや?」

「ちょいと考えさせてほしいねえ。……一晩時間をおくれよ、一晩で足りるとは思えないけど物事を整理してみようじゃないか」


 エドキアとは一晩語り合い、明け方に眠りにつき、昼頃に起きれば……

 老婆は覚悟を決めたという顔をして起床を待っていた。


「承諾を得ずにすまないね、あんたが眠っている間に色々と視させてもらったよ。睡眠中はレジストが弱くなるからねぇ」


「何か有益なものは出てきたか?」

「出てきたよ、ババアの手には余るって再確認できたのとあんたが悪しき神の兵隊じゃないって確認ができた。……ちっとは驚いたらどうだい?」

「疑われるのは当然だ。俺だとてこんな怪しいガキを信じたりはしない」

「自分で言うかね。可愛げのない坊やだよ」

「見かけで判断されるのは当然だが中身は齢十八になる悪徳信徒だ。可愛げは諦めてくれるんだな」


 エドキアは「可愛くないねえ」と言い、世のおかしみを面白がるみたいにカラカラ笑った。何とも不思議な事態に巻き込まれた身であるがこの時俺はたしかに喜んだのだよ。


 ん? 危機感がないのかだって? どうだろうな、それもまた世のおかしみってやつなんじゃないか。

 人に生まれたからには喜怒哀楽は当然の想いであり良くも悪くも転がるダーナの賽の目だってどう捉えるかはそいつ次第。……苛立ち怒鳴り拳を振り上げるよりも面白がった方がいい。この頃はまだそう思えていたよ。


「このババアの手に余る。あんたも信徒なら案を出しなよ、どうするね?」

「アシェラ様を御頼りしたい。あの御方ならばすぐさまに解き明かしてしまわれる」


 俺とエドキアは再び旅の供となり懐かしい大砂海を目指した。

 ただ今度の旅は一度目のものよりも随分と急いだ。帝都からオージュバルト辺境伯領までの間にある裕福な迷宮都市を選んで巡り路銀を稼ぎ、帝国南西の港町から豊国を経由してダージェイルへ。


 二年三年を掛けた旅がほんの三か月で済んだ。

 あの懐かしい砂の大地で恋焦がれた女神との再会を果たした俺は感動に打ち震えると同時に背徳感にも似た感情を抱いた。


 さて俺は何を願って此処へ戻ってきたのだったか?

 世界の終末を告げるがごとき暗黒の巨人の正体を知るためか、はたまた突然巻き戻った時間の謎を知るためか?


 どちらでもない。俺の願いは最初から……


 膝を折り腕は畳んで胸の上に交差させ、女神の足に口づけをする。


「ガイゼリックと申す。我が心の内などとうに見通しのはずゆえ長口上は無用と存ずる。願わくば末永く御身の傍に置かれたく」

「よき。お前を飼ってやろう」


 許された手へと口づけをし、見上げた女神の美貌に我が胸の脈動を感じた。死の間際でさえこれほど高鳴ることはなかった。

 あぁ感謝するぞ時の巻き戻りよ。俺は同じ轍は二度と踏まぬ。全霊を以てしてこの願いを叶えてみせる。


 高き女神よ、今度は貴女をこそ我が物としてくれる。



◆◆◆◆◆◆



 未来視の異能が映し出した未来は一度目の記憶そのままに暗黒の巨人が帝都を蹂躙し奴の腕から溢れ出した暗黒の濁流が世界を覆っていくものだ。

 何もかもが暗黒に呑み込まれていく。丘も森も彼方の山々さえも呑み込んで暗黒の侵略が始まる。轡を並べ雄々しく立ち向かう騎士どもも呆気なく濁流に吞み込まれて消えていき、瞬く間に一国が滅びた。……暗黒の侵略は止まらない。


 世界はこのまま滅びる。そう予感される未来のヴィジョンが突如途切れる。


 閉じていた眼を開けば額を合わせていた俺の女神が額を離し、やや疲れた表情で頭を振った。


「正視に耐えぬとは正にこれだ。いったいどこからあんな怪物が出てきた……」


「アシェラ様にも分からぬと?」

「既知か未知かで言えば未知というほどではない。あれほどの神格を帯びた神が無から突然湧くはずがない。なにより原初の暗闇を根幹属性とする神となればボクら異界の神々ではない。となれば先史文明の神々と考えるべきだが……」


 地底湖からあがった俺の女神が素足のままぺたぺたと虚空を踏んで上へと上がっていく。

 大砂海にありながら聖なる水の溢れる大書庫を女神が適当に歩き回る。書架から一つ書を取り出しては目当てのものではなかったと放り出し、気づけばあちこちからぺたぺた足音が聞こえてくる。


「うー? どこやったかな?」

「何をお探しなのですか?」


「パカの神話関係の本さ。お前は知らない? 短い人生も二度も足せば随分長いこと此処に仕えているはずじゃないか」

「無茶を仰る……」


 この大書庫こそが英知のアシェラの心臓。古くから人界を巡る信徒どもが集め、時には自らの見聞をしたためた英知の殿堂。

 蔵書数はもはや数えることさえ叶わぬ有り様。当の英知の女神にさえ覚えきれぬ膨大な知を収めた英知の殿堂のすべてを知るには人の生涯はあまりに短い。


 女神がそこいらに寝転がって読書をしている巫女を小突く。


「ねえお前さ、パカの神話本知らない? てゆーか何読んでニヤニヤしてんだよ」

「アシェル様に催促していた新作が届いたのです」

「ライトノベル読んでんじゃねーよ。いいから探してくれよ、キーワードはオルタナティブ・フィアーね」


「……読み終えてからでは?」

「それでいいから頼むよ」

「はいな、ファティマはいつだって御心のままに♪」


 信じ難いことに女神の下知を断った挙句己が要求まで通した巫女が敬虔な信徒ぶっている。知識に貪欲なのは英知のアシェラに仕える者として当然ではあるが、恋愛小説を優先するのが正しいのかは疑問しかない。


「その背教者の始末をお命じくださればすぐにでも」


「まあ! ガイゼリックあなた何てことを! 誰がどう見たってアシェラ様を最も敬愛するわたくしになんて恐ろしい汚名を。背教者はあなたです! ちょっと聞いているの!?」


「最も敬愛するとは笑わせる。推理小説を最も愛するこのアホ巫女を摘まみだしましょう。沈黙は肯定と判断してさっそく実行いたします」

「仲良くしろとは言わないけど四六時中ケンカすんのは止めてくれないかなー」


 手分けして大書庫を探すという話になった。

 俺は上階の予備書庫の担当。ここは不要になった書の借り置き場ということになっているが実際は読み飽きた本を詰め込んだ倉庫だ。

 だが読み飽きたと言っても何千年も昔の話かもしれず、女神の忘却した知識となればここに眠っている可能性が高いと踏んだからだ。もっとも俺の女神はけして己の忘却を認めようとはしないのだが。

 この時は日が暮れるまでの時間ここを探したが目当ての書は見つからなかった。


 時の巻き戻りによって奇しくも本殿への復帰を果たした俺は七年の月日を過ごし、今では高位司祭の地位をいただく身となっていた。

 人生何が役に立つかはわからないと古い格言にあるが俺の出世は正しく悪徳信徒として過ごした日々が培った善人のフリがもたらしたものだ。

 親切な仮面を張り付けて笑顔を絶やさず、己が主張は最低限に留めだが槍兵のスパイクがごとく効果的に刺し、他人の悩みには寄り添いよく聞いてやった。

 これだけで他人の俺を見る目は変わる。偶々希少な異能を持っていたという理由だけで主から重用されるガキではなく、心根のよい男として見られるふうに全霊を賭した。


 もう二度と同じ轍は踏まぬため全霊をかけて神殿内の人間関係を調整し、若い僧兵を中心に俺の派閥を作り上げてきた。……心の痛みなど我が願いの前ではなんと心地よい事か。


 僧兵を中心に派閥を作り上げた俺はラケス司祭と手を組んだ。

 当時ラケスは四席の大司祭の座を僧兵の三氏長が一人ウェノムと争っていた。この醜い蹴落とし合いの勝者がラケスになるをすでに知っていた。だからラケスの下についた。

 当時僧兵の切り崩しに難航していたラケスは俺の合流を喜び盟友と呼んで俺を迎え入れた。俺がやったことと言えば放っておいても勝利する者の苦難の時に恩を着せただけだ。


 今ではラケスは大司祭。俺はラケス派の僧兵を率いる兵団の長。齢十五にして肩で風を切る若手の新鋭どころか一門の人物へと成り上った。

 だが何事も万事上手くゆくとはいかない。予想以上に俺に親愛を見出したラケスが事ある毎にしゃべりかけてくるのだ。……前回の生では敵対し続けてきた目上の男が本物の盟友であるかのように気安く接してくる不気味さは何と言葉にしたものか。

 若い娘ふうに言えばキモい。これかもしれない。


「ガイゼリック。姿を見ないと思えば地下にいたのか、調べものか?」

「世間話ならまた今度にしてくれるがいい。アシェラ様より所用を仰せつかったのだ」

「相変わらず水臭い奴だな貴様。手伝おう」


 手伝わずに失せろ、と口にするには善人の皮を被りすぎた。

 俺は生来性根が悪いらしい。善人のフリをするのは妙に気疲れする。善よりも悪のほうが気楽とはやはり俺もまたあのクズの子という事であろう。


「何を探している」

「先史文明の神話だ。お前とて金と政治力だけの大司祭というわけではなかろう、オルタナティブ・フィアーに属する神の名を知らんか?」

「口の悪い。貴様日増しに口が悪くなっとらんか?」


「なぁに猫の皮が剥がれたのであろう。親愛の証だ」

「嫌な証だな。まあいい、原初の暗闇に属するとなると冥府の王デス神や夜闇の王ハバト神、デスの三人の娘である恍惚のイルミ腐肉のラハーテ燃える泥のジジュニ。これら有名処を今更調べ直すとは思えんな。正確にしろ、何を知りたい?」


 ラケスには事のあらましからきちんと説明した。もっとも俺が予言者であることからイチイチ説明し直す必要はなかったが。

 聞き終えたラケスが含み笑いを零した。まるでお前はまだそんなところにいるのか?とでも言いたげな腹立たしい顔だった。


「アシェラ様はすでに目当てをつけておられる。だが否定したいがゆえに書をお求めなのであろう」

「それほどによくない悪神だと?」

「であろ。あの御方は我ら無垢なる砂海の子らが求めるほどお強い方ではあらせられない」


 俺はラケスが嫌いだ。前回の生では共に同じ女神に恋焦がれるもの同士が抱く嫌悪感だと考えていた。だが違うとはっきりわかったのは今世でだ。


「ガイゼリック。貴様の可愛い憧憬は無垢な子供の思い描いた幻想にすぎない。その御姿はアシェラ様の形をしていないのだ」


「ラケスッ、我らが主を愚弄するつもりか!」

「そうではないと本当はわかっているのであろ。なあ我が友よ、お前が恋焦がれているのは本当に我らが聖泉の乙女なのか? 己によく問いかけてみるがいい」


 俺はラケスが嫌いだ。俺の女神をまるで見かけ通りの少女であるように考えるこいつの存在は、俺が信じるものを根底から覆しかねないと本能が忌避していたのだ。


「アシェラ様は絶対者であらせられる。見ているがよい、我らが主はいかなる悪神も退けられるであろう。もし悪神のちからが俺の女神を凌駕するというのなら……」

「どうする?」

「俺が悪神を喰らうてみせよう」


 結局どっちの論が正しかったかだと?

 くだらんことを聞くではないか。それとも長語りに飽きたか? まあよい答えてやろう。英知神に仕える身で口にすることではないのだろうが、世に正しいことなど何一つとしてありはしないよ。


 ラケスとの口論とも呼べない些細な衝突の後も俺は女神の求める書を探し続けた。だが見つからなかった。

 もしかしたらそんな書は最初からなくて、女神はただ覚悟を決める時間が欲しかっただけなのかもしれない。


 数日後、俺を呼び出した女神はいつになく不機嫌な態度で御柱の名を告げる。


「殺害の王アルザイン。只人の身でありながら無限の恐怖を浴びて神格を得た男で間違いだろうよ。まったく最低だ、あんな古代の怪物がまだ出てくるのか……」


「いかがなさいます?」

「幸い復活の時期は判明している。復活の前に王の依り代を封印する」


 殺害の王封印の計画が動き出し、俺は先遣隊を率いてドルジアへの出向を命じられた。

 帯同する悪徳信徒は三名。それぞれが十二名の僧兵を率いて帝都フォルノーク内で情報収集をし、これを基に計画を詰める手筈だ。


 まったく滑稽な話だ。もう二度と足を踏み入れるつもりはないと旅立った祖国にこうして何度も戻るはめになったのだから人生とはおかしみに溢れている。これもダーナの悪戯かと思えば笑うしかない。


 まずは帝都フォルノーク内に拠点を設置することから始めた。大人数が出入りしても不自然はなく、大量の物資を運び込んでも怪しまれないとなれば商会を興すのが手っ取り早い。

 ダージェイル大陸産の珍しい品々を扱う輸入雑貨店、屋号は砂漠を泳ぐ怪魚から取りグイセとした。

 俺は異国の若い商人として貴族社会の社交界に出入りして殺害の王の依り代を探す役割。

 部下の数名には冒険者として帝都旧市街で活動するシティーワイズを真似事をさせて独自の情報網を作らせる。


 手始めはこんなところだ。まだ二年の準備期間がある。変に目立って帝国騎士団から目をつけられるよりは小規模な活動で拠点を維持する方が正しい。

 まずは貴族社会への取っ掛かりを求めて協力者のリストアップから……


 いやその前段階だな。閉じた貴族社会は平民の目線から見ても内情は分かり得ない。貴族社会の扉を開く鍵になる人物への接触を開始した。


 礼儀作法のレッスンを生業とする貴族がいる。商人や冒険者に礼儀作法を教える代わりに賃金を得て暮らすその種の輩は大抵が貧乏貴族だ。爵位こそ持てども貴族らしい利権など持たぬ木っ端貴族。社交界に出るにも貸衣装屋を頼りにしなくてはならないほどの困窮した家。これを探すのは探す必要もないほどに簡単だ。こいつらは大抵が裕福な商人の支援で暮らしているからだ。


 俺が目をつけたのはワイスマン子爵家の分家であるスルスーズ・ワイスマン家の五男フロレンツだ。やや見目の良いというだけの頭の足りない男だが条件が良かった。

 遊興の人である彼は遊ぶ金を求めていて、旧市街に飼っている愛妾への小遣いを用意するのにも困っている困窮ぶり。社交界に出るために借用書を書き貸衣装屋に駆けこむようなクズだ。


 俺がやったことは彼に礼儀作法のレッスンを求め、提示されていたよりも多めの報酬を毎度手渡し、彼が心を許した頃にこう誘導しただけだ。


「借金を重ねてまで行くとはね。社交界とはそんなに楽しいのかい?」

「そりゃあもう! 煌びやかなダンスホールと美しく着飾った淑女たち。ヴィオラの音色に身を任せて彼女たちと愛を語らうのは貴公子の嗜みなのさ!」


「でもおばさんばかりなんだろ?」

「あははは! そりゃ君んとこの品は高級品だしそういう誤解をするのも仕方ない。若くて美しいレディーもきちんといるさ。行く家を間違えなければね」


 フロレンツは頭は足りないが鼻の利く男で、とっくに俺の価値に気づいていた。

 異国からやってきたばかりの金満商人をどうやれば己のパトロンにできるか。そんな思惑を巡らせ始めた頃だから誘導を仕掛けたのだ。


「君さえよければ貴族社会というものを紹介してあげたいね。学んできたマナーを試すつもりで……どうかな?」

「その代わりに貸衣装の代金を出せだろ? いいよいいよそれくらい、馬車の代金まで俺が持とうじゃないか」

「バレていたか。まあレッスンの第二段階と考えてもらえると助かるね」


 フロレンツは頭は足りないが悪知恵は働く。彼はどうすれば俺から金を引き出せるかを探り続けていたから、俺がやるべきは彼が自立できない程度の小遣いを渡し続けるだけでいい。

 少々おしゃべりな鍵だと思って精々大事にしてやろう。


 フロレンツという同伴者を得て貴族社会の内情を探る日々。片っ端から鑑定眼を飛ばすようなマネはせずともいい。

 殺害の王の依り代ともなれば根幹属性がオルタナティブ・フィアーで染まっているはず。アンデッドやデス教徒を除けば生者では珍しい属性だ、これを持つ者のリストアップをし後々やってくる本隊に対処を任せればいい。俺の役割はあくまで調査だ。


 昼間は商人のフリをして夜になればフロレンツと共に貴族の社交場に繰り出す日々。あちこちに顔を出していれば顔が売れて商会も妙に繁盛してきた。これがやや困った問題となり急遽追加の商船を都合せねばならなかった。


 カバーである商売が忙しくなるのは煩わしかったがおかげでフロレンツの紹介では到底知り合えない貴族ともつながりを得られた。

 だがフロレンツを切ってそちらに鞍替えをしようという気にはなれなかった。クズに愛着が湧いたわけではない。単に上級貴族という生き物が許しがたいほど醜悪なクズであっただけだ。同じクズでも長く居るならマシなクズの方が気楽だ。


 帝都に潜伏を始めて一年が経ち、先遣隊の報告を基に本隊が帝都にやってきた。

 アシェラ神殿が誇る最大戦力悪徳信徒が三十名。これの監督役として派遣されたのがドゥイ大司祭。我ら先遣隊は彼の指揮下に編入される運びとなった。


 帝都に潜伏を始めて一年だ。この頃から帝都は妙にキナ臭くなってきた。

 この異変は何かが起きたから始まったというわけではない。ただ帝国という名の火薬庫が当たり前のように燃え始めただけだ。火薬に火を点ければ燃えるのは当たり前だ。長きに亘る悪政のツケを支払う時が来るのは自然現象のように当たり前の出来事だ。


 だが確かなきっかけが生まれる。戦争の英雄の帰還がきっかけとなった。

 遠征軍を率いる帝国第二皇子クリストファーと彼の右腕である女騎士マリアが、王都を練り歩く凱旋パレードを往く馬車の上で共に並び立ったのがきっかけとなった。


「あれは誰だ?」

「英雄サマさ。何でも相当な腕利きらしい」

「だからって皇子殿下の隣に立てるものなのか」

「平民出らしいが……」


 キナ臭い空気で淀んだ帝都に凱旋した平民出の英雄の存在を利用したがる者どもが蠢き始めたのもこの頃だ。

 ドルジア皇族による帝政の打倒を掲げる帝国革命義勇軍『青の薔薇』が表立って動き始めたのだ。


 各地の市町村で暴動が起きこの鎮圧に忙殺される帝国騎士団は青の薔薇の動きをコントロールできなくなった。青の薔薇に賛同する使用人がミスリルの短剣を手に主人を殺す事件も頻発した。

 あれほど盛んに開かれていた社交界の夜明かりも絶え、不夜城のように煌々と輝いていた貴族街もすっかり闇が深くなった。


 平民による貴族への暴行。我らもこれを利用しリストアップしていた殺害の王の依り代ではないかと思われる者どもを捕らえることができた。だがどれも殺害の王の依り代ではなかった。


 タイムリミットが迫っているのに依り代が見つからない。焦りが我らの動きに現れたのか、最近は会う暇もなかったフロレンツが突然商会を訪ねてきた。

 そしてこんなことを言い始めた。


「私には弟がいてね。随分前に流行り病で亡くなったんだが……」

「流行り病か。アルテナ神殿を頼らなかったのか?」


 油断していたと口に出してから気づいた。

 困窮するスルスーズ・ワイスマン男爵家で家督とは関係のない五男の末子の扱いなど少し考えればわかることだ。神殿に渡す金を惜しんだのだ。


 ちからなく首を振るフロレンツの様子を見ればこの推測が正しいのは明白であった。


「見殺しにされたよ。口減らしをしたかったところに流行り病だ、養子にやる手間も省けて父母は喜んでいたと思うよ。その弟だがガイゼリックという名前だったんだ」

「奇妙な縁だな」


 俺は当初かねに困ったこいつが金の無心にきたのだと考えていた。

 つまらない嘘をしゃべって俺から同情を惹きたいのだと考えていた。だがちがったのだ。


「君と過ごした日々は楽しかったよ。弟が生まれ変わって会いに来てくれたのではないかと考えたこともあった。……例え君が私に対して何の情も持ち合わせていないのだとしても私は嬉しかったんだ」


「何を……?」

「隠さなくってもいいんだ。君は上手くやっているつもりだったんだろ? 確かに君の愛想笑いは一流だ。私も最初のうちは気づけなかった。でも長くいるとわかってくるんだ。君はいつだって同じ表情で笑うからね、これは治した方がいい。私からの最後のレッスンだ」


 最後とはどういう意味かと尋ねると彼は帝都を去るのだそうな。

 最近の帝都は物騒だから地方の友人を頼って疎開するという方々と共に往くのだそうな。そう言って笑ったフロレンツは切なそうな顔をしていた。


「友よ、君と過ごした日々は本当に楽しかった。感謝を」

「そんなことを言うためにわざわざ……?」


 今の帝都で貴族街を出るのは危険だ。ましてや護衛を連れ歩く余裕もないフロレンツなら此処に来る前に青の薔薇の賛同者たちに袋叩きにされてもおかしくなかった。


「そんな事なんかじゃないさ。君に別れを告げぬまま出ていくなんてできないよ」


「命を懸けるほどの事ではない」

「君にとってはそうなのかもしれない。でも私にとっては命を懸けるほどの出来事なんだよ。こうして説明しないとわかってもらえないのは寂しいけどね」


 俺はフロレンツを見誤っていた。一年半も共にいたのに、彼がどんな想いで俺を見ていたかさえわかっていなかった。

 内心でクズだクズだと罵ってきた男の真意を知り、思い知ったのはクズは俺の方だったという虚しさだけだ。友情など今更だ。


「最後に一つだけ聞かせてくれ。君は青の薔薇なのか?」

「迂闊にその名を口にするな。いまの帝都でその名がどんなちからを持っているか分からないわけがないだろ」

「……わかっているよ。さらばだ友よ、君を愛していた」


 フロレンツはそれを言い残して去っていった。

 彼に本当を何も伝えなかったのが信徒として正しい。だが消えない傷のように俺の胸に長く後悔が残った。


 フロレンツの去った帝都で俺達の暗躍は続いた。だが殺害の王の依り代だけはどうしても見つからなかった。

 日に日に革命の色を濃くしていく帝都を歩き回り依り代を探すがやはり見つからない。同僚にも疲労の色が濃くなってきたがそれでもだ。


「ドルジア皇室の圧政を許してはならない! 我らは立ち上がらなければならない。賛同する者は武器を掲げよ、我らに続け!」


 薔薇の賛同者たちが白昼堂々街頭で演説を打ち、そこらの安酒場でさえ不穏な会話が聞こえてくる。

 一つの国が亡びる前夜とはこのような空気なのかと眉をしかめながらも依り代を探す日々。


 おそらくは決定的に見誤ったのだ。おそらくは依り代は特殊な環境に存在し、社交界や新旧市街には滅多には降りてこない人物。皇族かもしれない。クリスタルパレスに出入りできるほどの大人物とつながりを持てたなら……


 そしてウェンドール810年の年が明け、殺害の王の復活が翌月に迫った頃だ。

 アシェラ様がこの地にご降臨なされた。


「旅客には悪いが新年の大鑑定会は中止させてもらったよ。今頃みんなカンカンだろうけど世界を救ってあげるんだ、それくらいは許してもらおう」


「計画は破棄する。殺害の王復活のタイミングを狙って封印を仕掛けるよ。大仕事だ、見事成し遂げたならボクが伝説にしてやる。各々勇気を奮いて歴史に名を刻み込むがいい!」


 そしてウェンドール810年三月ギュストの27日。予言の日だ。

 我らは復活を遂げた殺害の王に挑み、敗れた。


 俺の女神が貪り喰われる様を俺は伏した地面から見上げることしかできなかった。人が魂から叫ぶ絶叫というものを初めて聞いたのはこの時だ。絶叫は我が口から出ていた。


「許さぬ! 貴様だけは許さぬ、何遍何億遍であろうがこの生を繰り返し貴様だけは必ず討つ! 覚えていろッ、このガイゼリックが貴様を殺す死神となるのだ……!」


 すべての感情を暴走させて俺は絶叫した。

 のど枯れ果てるまで憎悪を吐き出して絶命し、俺は三度眼を開いた。


 首のない女性の死体と己が妻を殺して狼狽えるクズの姿を三度この目に映すこととなった。


 ちからに目覚めた日に三度戻り、子供というには強大にすぎるちからを得たにも関わらず俺はまた母を救えない。愛した女神を庇うことさえもできなかった。

 そんな俺がすべての背高人を統べる種族王だと? 大賢者? ……笑わせる。


「は? はははっ、何だよお前ファイヤマジックが使えんのかよ。さすが俺の血だ、なあいつだったか教えてやったことがあるだろう。俺にはティト神の―――」

「クズがッ!」


 ちからに目覚めた夜に最初に行うのはいつだってクズの始末だ。

 この怒りのすべてをぶつけるようにクズを圧殺した俺は幼き腕で壁を叩く。非力な腕、漆喰塗りの壁にさえ痛む腕でだ。


「クズめ!」


 クズは俺だ。愛する女神さえも守れなかった。何度繰り返しても母をさえ救えない。友情にさえ応えられない。何度繰り返してもこの様だ。何が種族王か!


 俺は誓った。もう二度と俺の女神を巻き込むまい。

 殺害の王は俺の手で滅するのだ!

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