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最終章 『春のマリア』  作者: 松島 雄二郎
いかさまカジノ激闘編
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愛の階 

 その男は一人で調理室で黙々と食事を摂っている。十人前くらいの食事をちびちびと食べている。時折キッチンルームの出入り口のほうに目線をやりながら食っている。ちらちらしながら食っている。


「忙しいのかもな……」


 この男は最近まで野良猫に餌付けをしていた。実際は野良猫のような女生徒なのだが彼はそう認識していた。


 しかし来ない。最近は餌を貰いに来ない。

 なぜだろうか?


「飽きられたか? まあ元々失敗作だしな、好みに合わなかったんだろ……」


 とは思いつつも朝晩は必ず野良猫の分も作ってしまう。

 あいつは沢山食うからな、なんて思いながら作っている。だが来ない。野良猫は死んだのだろうか?


「死んだら大事件だ。死ぬわけがあるか!」

 っていうつっこみをしながら食っている。っていうか待ってる。


 そんな男クリストファーはある日見てしまったのだ。最近全然来なかった野良猫がなんと余所様のおうちの子になっていたのだ。


「旦那ぁ、作戦会議の時間だぞー!」

「ついでにメシー! デザートも作れー!」

「わぁったよ! バイキャン行くぞ。アーサーとクロードも呼んできてくれ」


 赤モッチョが野良猫を連れて行った。

 この光景を愕然としながら見つめ、誰もいなくなった後でようやく怒りに目覚めた。


「あ~~の~~おんなぁ、餌を貰えるなら誰にでも懐くのか。もう勝手にしろ! 私はもう知らん!」


 男は噴火した。ものすごい怒りだ。


 しかし時間を置くと考え直したようだ。なぜかシチュー鍋を抱えて夜の女子寮を訪ねていた。偶々玄関の近くにいたというだけの理由で応接している女生徒の戸惑いが果てしない。


「これをマリア・アイアンハートに渡してくれ」


「ええ…はい? え、クリストファー皇子殿下がどうして鍋を? マリアさんから借りていたのですか?」

「これは調理室の鍋だ。食い終わったら返却するように言っておいてくれ」


 キュッと唇を引き結んだ女生徒が飛び出しそうな質問を口内で抑え込む。

 貴方ほんとうに何をしに来られたんですの!?って言いたくて仕方ないが、相手は皇族だ。もしかしたら将来皇帝になるかもしれない人だ。……変な人っぽいけど。


(近くで見ると本当に美しいお顔をしているのね。ミステリアスというか何というか……少し…かなり……いいえ随分と浮世離れしていますけど)


 女生徒の戸惑いは果てしない。奴がエプロンを付けているからだ。可愛い猫の刺繍付きだからだ。なんなら髪の毛の括ってお団子にしているぞ!


「ではここに置いていく。頼んだぞ」


 シチュー鍋を押し付けてこの国の皇子が去っていった。銀貨も二枚握らされた。完全にチップだ。正直なんだあいつは感が凄まじい。


(まだ熱々ね。もしかして作りたて? お裾分けのお返しなのかしら? 律儀な方なのね)


 皇子と文通ならぬ料理交友。普段はうるさい子ですねえなんて思っていたけど実はけっこうやり手なのかもしれないと女生徒の中でマリアの評価がグンとアップしたのである。


 そして鍋をマリアの部屋に鍋を持っていくと風呂上がりのマリアはこんな反応だった。


「え、小銭男が?」

(小銭…? お二人の間にいったいなにが……?)


 詐欺師と被害者の関係だ。


「わざわざありがとうございます。……作りすぎたのかな?」


 不思議そうに首をひねっている どうして鍋を持って来られたのか本気でわかっていない表情だ。


「お料理をいただく心当たりもないのでして?」

「たまにごちそうになってたんですけどお返しをしたことはないですねえ……」


 ここで女生徒の目がキランと光る。

 嗅ぎつけたのだ。初々しいラブの空気を嗅ぎつけたのだ。


「マリアさん、これは是非お返しをするべきよ。さっそく明日から動くのよ。お料理の心得はございます? なければわたくし指導してもよろしくてよ?」

「そっそうですね、お返ししないと不味いですもんね」

「礼儀の話じゃないの! いえ礼儀も大事なのですけれどね、そういう事じゃなくて脈があるって話なんですの! マリアさんは殿下のことお嫌いなの!?」

「嫌いということは別に……」

「じゃあ好いておられるのね!」

「いやいや! 好きなんて全然別に!」

「照れなくたっていいのよ。料理の手解きはこのルリア・ハストラにお任せあれ、きっとお二人を良い仲にして差し上げますわ!」

「ちょ―――ちがうんだってば~~~!」


 部屋の出入り口ではこんなやり取りが繰り広げられている。

 二段ベッドの上でとある冒険者の自伝を読んでるナシェカはやれやれって態度だ。


(どうしてみんなしてマリアのお節介を焼くかねえ。マリアもマリアだよ、はっきりしないから変な勘繰りされるんだってのに……)


 嫌な気持ちになりそうなので本を投げ捨ててごろんと横になった時だ。


「ナシェカー、差し入れだよ、一緒に食べよう!」

「太るぞー」

「うぐぅ、だから三人で分けるんだってば!」

「三人?」


 相部屋のテーブルにはちゃっかりルリアも着席していた。皇族の料理が気になるというか明日料理を持っていく相手の力量が気になるらしい。

 そして実食。


「うまー! やっぱあいつ天才だよ天才!」

「これはシチューじゃない、物質化して幸福だ……」

「まさかこれほどの腕前とは。ふふふ、腕が鳴りますね」


 幸福感たっぷりのビーフシチューを食べながらこの後三人で普通に恋バナをした。ルリアはすっかり面白がっていてマリアと皇子をくっつける気満々で、計画表まで立て始めた。


 騒がしい夜が深まっていく。



◇◇◇◇◇◇



 翌朝、日の出と共に起きたマリアはルリアと一緒に料理を作って授業の始まる一時間くらい前にやつの住処である調理室をおとなった。ルリアお手製のクリームシチューだ。


 凶暴で荒々しくだが圧倒的な旨さで誰もを唸らせるビーフシチューへの対抗策としてルリアが打ち出したのがこれだ。ドルジアの母の味で知られるクリームシチューだ。

 角のないまろやかさと濃厚な旨味、柔らかく煮込みまれた野菜とお肉。戦いを終えて家に帰ってきた戦士を出迎える女の味である。


 これを見たクリストファーはなぜか眉をひそめた。


「そうか、それが君の答えか」

「???????」

「よかろう、受けて立つ」


 寒々しい風が吹き抜ける。両者のすれちがいが凄い。

 やがてマリアが首を横に倒して問う。


「なんて?」

「私に挑戦しようというのだろう。私の料理などとっくに超えたというのだな。その勝負受けて立つ!」

「そんなわけがあるかあ! 料理バトルのわけがあるかあ!」

「なんだと……?」


 この男は本気で分かってない顔をしている。実際わかってない。


「女子がそんな理由で手料理なんて作るか! お返しに決まってんだろお返し!」


「……お返し?」

「普段料理貰ってるからお返し。意味わかる!?」

「ああ、なんだそういう……。ところでこれは食用に耐える……」

「あーあーそういうこと言うんだ! 持って帰る。もう来ない、さよなら!」

「待て!」


 クリストファーがマリアの腕を掴んで引き留める。自分でも何をしているのか分かってない顔をしている。

 反射で動いたそいつは……


「せっかく作ってきてくれたのに変なことばかり言ってすまなかった」

「ほんとだよ」

「すまない。食べてもいいのか?」

「そのために早起きして作ったのよ。ほら、食べなよ」


 シチューをよそわれた皿にスプーンを伸ばし、一口食べてみたそいつにも空気を読む機能は一応ついていたらしい。

 普通だなって思いながら食べている。


「普通でしょ?」

「心を読めるのか?」

「ううん、あたしも普通だなって思ったもん。これどうすれば旨くなるかな?」

「これはこれでいいんじゃないか。役割ってあるだろ? クリームシチューってのは激烈に旨い料理じゃなくていいんだ。普通だけど私にはこれでいい、優しい味付けだ」


「今更言いにくいんだけどそれ作ったのほぼルリアなんだよね」

「フォローして損したよ! 君は何をしたんだ!」

「野菜切ったり肉を切ったりだね。マリアさんは料理なんてお母ちゃんの手伝いしかしたことなくてね」


「道理でガサツな君にしては繊細な味付けだと思った……」

「ねえ」

「なんだ。まさかじつは野菜すら切ってないなんて自白じゃないだろうな?」

「そうじゃなくてさ、あたしに料理を教えてよ」

「ん? 構わないがどうして?」


「ちょっと胃袋を掴んでみたい男がいてさ。あ、先に言っとくけどあんたじゃないから」

「素早いけん制をありがとう。勘違いするヒマもなくて助かるよ」

「あはは、一応拗ねたフリくらいはしてくれるんだ。でも恋愛とか面倒なの困るんでしょ?」

「よくわかるな、そんなにわかりやすいか?」

「ううん、でもあいつとよく似てるからさ」

「ふぅん。どんな奴だ?」

「気安いくせに壁のある面倒なやつ。ここまではいいって決めておいてそれ以上には絶対に近づかせてこない面倒臭夫。そいつの固い壁をぶち壊してやりたくなったんだ」


「料理で?」

「そうそう」

「なるほど。……今更だが君が怒り出した理由がわかった。君にとって料理はそういうものなのか」

「ってゆーか世の中の女子全般でしょ」

「なるほどね、一つ学んだよ」

「いやその年になるまで学んでおきなよ。ほんと図体ばっかりでかいんだからさ。……普通にタメでしゃべっちゃった。悪いね、あんた皇子様なのにさ」

「いいよ、君とはこれくらいの方が気楽でいい」


 共に在る何気ない時間を愛せる事。傍に居てそれを当たり前だと思える事を友愛だというのなら二人の間に友愛が芽生えたのはこの瞬間なのだ。


 マリアの餌場が花嫁修業場に変化した。

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