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最終章 『春のマリア』  作者: 松島 雄二郎
いかさまカジノ激闘編
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終幕は密やかに 会長は微笑みを

 ウェンドール804年初頭フェニキア。


 アシェラ黄金神殿の門前町は突如侵入してきた魔物によって阿鼻叫喚の地獄絵図。巨大な蜘蛛のような多節足を持つ怪物だが明らかにこの世の存在ではなかった。受肉した闇そのものともいうべき超絶の魔法力の塊だ。

 魔法をどれだけ打ち込もうと吸収される。雄々しくも武器を手に倒しに向かった者は悉くが串刺しにされ、闇の蜘蛛が通った後はミイラみたいに干からびた死体が残るだけ。


 この逃げ惑う群衆の中に14歳のクロード・アレクシスもいた。

 四月に学院入学を控えた従姉のためを名目にやってきたフェニキア旅行でこの災禍に遭遇したのだ。


 泉の中心に浮かぶ黄金神殿を目指す闇の蜘蛛とアシェラの兵隊の衝突は壮麗な白い大橋の上。クロードも従姉のヒルダも黄金神殿の傍に寄り、大勢の群衆と同じように恐怖に震えていた。


 剣の女神の末裔でありながらクロードは有象無象の一人でしかなく、怯えて泣きじゃくる従姉を支えることしかできなかった。……従姉を抱き留めることでようやく己を保てていたのだ。


「クロード、クロード、どうしようッ! どうしたらいいの!?」

「姉さん落ち着いて。必ず逃がして差し上げます、今は機を見計らう時です。幸か不幸かアシェラ僧兵は噂以上の精鋭です。あの怪物を倒してしまうかもしれません」


 大橋を戦場にアシェラの悪徳信徒どもが戦っている。いずれも国家英雄レベルの大戦士にして大魔導師。英雄と変わらぬ身体能力を持つ大魔導師どもだ。


 だが敵が強すぎる。一切の攻撃を受け付けない闇蜘蛛の注意を惹くことでどうにか戦場を固定できているにすぎない。

 斬撃が意味を為さぬほどの再生能力を持つ怪物が魔法吸収能力まで持ち合わせているのだ。人の敵う怪物ではないと誰だって見ればわかるのだ。


 大気が爆ぜるほどのハンマー打撃を浴びてもビクともしない。……その事実が最悪の予想を物語っている。


(僧兵が弱点を突けない? 鑑定眼を通せない敵なのか……)


 クロードにできることはすがりついてくる美しい従姉を励ますことだけだ。

 だが従姉とて馬鹿ではない。あれが人知を超えた怪物であると理解してしまったのだ。聡明な女性だから眼前に迫った死の絶対を理解しているのだ。


 クロードが我が手にある聖銀剣を見下ろす。


(俺の技は通じるか? 俺に英雄の門を開くちからはあるのか……?)


 理解している。悪徳信徒どもの技量を見れば理解せざるを得ない。

 あの戦場においてクロードは雑兵とさえ呼べない存在だ。簡単に蹴散らされるだけの民衆と変わらぬ存在だ。……怖かった。


 ただ怖かった。死ぬのが怖かっただけなんだ。だから己の頬を張る! 気合いを入れ直して剣を引き抜く。


「クロード……?」

「僧兵に助力して参ります。例え僅かでも勝率を上げられるかもしれませんので」


 クロードが立ち上がり、闇蜘蛛めがけて走り出そうとした瞬間だ。


 闇蜘蛛の肉体がゴリッと削れた。肉体を抉って異空間に転移させるような不可解な攻撃が闇蜘蛛の体表をごっそりと抉る。これが連打されている。


(何が起きている……?)


 驚愕の一瞬にクロードの頭上を幾つもの影が追い越していく。


「ひゃっはー!」


 仰ぎ見れば黄金神殿の頂点から変な機械に乗った連中が飛び降りてきた。どんどん飛び降りてくる。浮遊するリフターに乗った連中だ。先頭を往くもじゃもじゃ巻き毛の少年が超うるさい。


「さらばアシェラ神殿。巫女はいただいていくぜ!」

「財宝もいただいていく。では諸君また会おう!」


 連中の乗ったリフターは闇蜘蛛の頭上を堂々と飛び越えて大橋に着地。床材でバウンドしつつも浮遊状態を取り戻してすぅーっと滑らかな軌道で飛んでいく。

 クロードは思った。なんだあいつら?


 その疑問に答えるみたいに僧兵が騒いでる。


「捕まえろ! 誰でもいいッあいつらを捕まえろ! アシェラ様の欲していたSSホルダーの一党だ!」

「神殿長が包囲していたはずだろ!」

「知らねえよ、ババアが出し抜かれたんだろ!」


 この疑問に答えるみたいに群衆が騒ぎ出す。


「あの男は銀狼シェーファか! 今度はアシェラ神殿に盗みに入っていたのか!」

「ライカンの嫁っこもいやがる。間違いない銀狼だ! じゃああの怪物は銀狼の仕込みか!?」


(銀狼? あいつらが悪名高き銀狼団か!)


 ダージェイルへの渡航にあたり寄港した豊国の港で注意喚起を受けている。この海には多くの危険が存在するが中でも特級の危険度を誇るのは銀狼団という冒険者クランだという。

 逆らう者は奴隷として売り払い。だが身代金さえ払えば目的地まできちんと護衛をしてくれるという押し売り護衛業をやってる危ない連中だ。


 豊国の海軍士官の説明によればこうなる。


『金さえ払えば気のいい連中なんで惜しまず払ってください。チップも弾めば待遇も良くなります。あ、逆らうのだけは止めてください。連中の頭目は竜の谷の最深部から財宝を山ほど持ち帰ってきたやべー奴なんで』


 その時クロードはまずこう思った。


『そんな連中をどうして捕縛しないんだ?』

『うちも叙勲した手前公には逮捕できないんですよ。それと単純に強すぎるんです。軍部が試算した銀狼団捕縛に必要な戦力が三個艦隊の全耗なので上も嫌がっているんです。まあ怒らせなきゃ気のいい連中なんでアクドイ商売で済んでいる内は共生路線でいくみたいですよ』


 そんな連中の頭目はまだ十二、十三歳の少年だという。


 闘争の聖地ウェルゲート海で己が武力だけを頼りに暴れ回り英雄の階段を駆け上がっていく男とはどんな奴だろうとずっと考えていた。

 その答えがいま目の前にある。


(世界にはあんな奴らがいるのか!)


 リフターで門前町に入った連中を闇蜘蛛が追いかけていく。完全にあいつらを狙っている。


 クロードはこの時かつてないほど心が熱く燃えていた。

 我が身を縛る責務や伝統にがんじがらめにされて、年を経る毎に身に着いた賢さが封印した冒険への想いが解き放たれたのだ。


 気づけば彼らを追いかけようと足を進めていて、だが従姉のすがりつく手がベルトを掴んでいた。……忌まわしい鎖にしか思えなかった。


「どこへ行くの? お願い傍にいて、お願いだから……」

「後顧の憂いを断つがため追撃を掛けます。ここでお待ちください」


 従姉の腕を無理やりに振り払ってクロードが駆けだす。

 破壊の限りを尽くしながら門前町をカサカサ駆け抜ける黒蜘蛛の追う彼らを目指して―――


「待ってくれ!」


 クロードは叫んだ。


「待ってくれ! 俺もッ、俺も連れて行ってくれえええ!」


 クロードは叫んだ。生まれて初めて心から叫んだ。

 この望まぬ人生を変える転機はここしかない。彼らと共に往けばこの退屈な人生も変わるはずだって―――



◇◇◇◇◇◇



 伸ばした手は届かなかった。かつての己が発した願いだけが残響みたいに心に響いている。


「未練だな……」


 天井に向けて手を伸ばしたまま目覚めたクロードはあの時の少年のままではない。故国の軍学校に入学し二年にして模範生徒の会の会長を拝命している。

 あの時の彼はまだ侯爵家の長男というだけの何でもない少年で、今は何でもない青年ながらにそれなりに背負うものがある。……口が裂けたって仲間にしてくれなんて言えやしない。


 枕元には眠りにつく間際まで読んでいた本がある。手触りの滑らかな木製紙のページをめくればあの日の経緯がイラスト付きで書かれている。

 伝説の冒険者リリウス・マクローエンその生涯とかいう絵本だ。


『女神アシェラの卑劣な罠に掛けられた俺であったがさしもの英知のアシェラと言えど我が深慮遠謀を見通す術はなかったようだ。俺はすべてを殴った。女神を殴り倒し、副神殿長のハゲを殴り倒し、ようやく取り戻したアシェルと再会の抱擁を交わしたのである』

『そう、思えば俺の最強伝説はここから始まったのである』


『神殿を襲っていた怪物はなんと少し前になくした相棒のステルスコートちゃんだったのである。どうやら俺を探して砂漠を彷徨っていたらしい。その間に魔物と勘違いをされて多くの人に襲われ返り討ちにしたらしいが俺は無罪であるときっぱり弁明しておく。魔王の呪具に立ち向かった方々について自己責任だ』


 読んでるとクスりとくる自伝だ。ここまで弁明の多い自伝は読んだことがない。

 なんというか罪業が多すぎる。よくこんなことを正直に書いたなと言う他にない。同時にあの時の災禍はそういうものだったのかと数年越しに謎が解けた想いだ。


 あの時の彼がリリウス・マクローエンだと判明したのもこの本を読んでからだ。

 あの時英雄の階段を駆け上がっていった少年達と連れていって貰えなかった自分がいまはこうして同じ学院に通い、笑ってしまうことに自分のほうが先輩面をしているのだから世の中とはまったく何というものだろうと笑ってしまう。


 寝汗を落とすために男子寮の中庭に向かうとバドがいた。夜遊びで染みついた女の放香を消すために水を被っている。

 クロードも並んで水を被る。バドとは入学から半年の間いがみ合いを続けてしまったが、今ではその時間をもったいないと思うくらい気が合う親友だ。


 不真面目なようで根っこが真面目なバドが言う。


「サンデー先輩の家の系譜だが怪しい血は見られなかった。完全にとまで言い切れはしないが99%サキュバスとは関係ない。報告書は後で見せる」

「昨日の生徒会だがリリウスは来なかったな」


 バドが不思議そうに首をひねる。


「何の話だ?」

「ここ数日でサキュバスの被害は出たか?」

「いや聞いていないな」


 リリウス・マクローエンが調査に乗り出してからサキュバスの被害は一件も出ていない。それもそうだろう。彼が念入りに空を封鎖していたからだ。

 ただ別の事件は一つだけ起きていた。どういう目的かは不明だがデス教徒の集団が学院に侵入した形跡があり、それは彼らの首を落ちた死体という形で発見された。

 死体の見分にはクロードも同席した。空から落ちてきた断頭刃による同時攻撃が死因だ。地面にある痕跡からも間違いない。おそらくは彼の放った魔力刃だ。


 そして昨夜学院の夜空は禍々しい闇の光に覆われていなかった。これ以上の証拠があるだろうか。


「じゃあ昨夜被害が出ていなかったら調査を打ち切ろう」

「どうしてそうなる?」

「熱心に調査してくれていたS級冒険者が昨日からサボり始めたのなら答えは出ている。おそらくは俺達には報告できない形で解決したんだろ」

「なるほど、たしかにそう考えることもできるが……」


 バドが考え込む。明晰な頭脳を持つこいつなら考え込む必要すらないのに、真面目だから一応脳内で可能性を塞ごうとしてしまうのだ。


「随分と信用しているんだな?」

「それは少しだけ間違っているよ。彼らは俺の憧れなんだ」


 クロードがあの日の憧憬を思い出にしてしまうみたいに微笑む。


 なお真実はリリウス飽きたが発動しただけだ。夢の中でナシェカを抱いて満足し、サキュバスなんてすっかりどうでもよくなったらしい。

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― 新着の感想 ―
[一言] 3年越しの伏線回収! あれはクロード会長だったんですねぇ
2023/01/19 14:33 名無しの背高人
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