クエスト『噂の悪夢を調査せよ』③
ごわごわな紙面に踊る文字列とおどろおどろしい挿絵。サキュバスの正体を昆虫と解釈したこの本では蚊のような高度な麻酔針で人の血をすする姿が描かれている。
一口にサキュバスと言っても本によって解釈はバラバラだ。名前だけが有名になった非実在生物の扱いなんてツチノコと変わらない。変なオプションを足し放題だ。
最も有力というか数を見るのが吸血鬼の変異種説だ。血ではなく精液のほうが魔力が豊富という謎の仮説が前提になっているが不思議なことによく見る。おそらくは有名なオカルトなんだろうな。
次に見るのがアトラクタエレメントのような絶滅寸前の古代種説。他にもあるがイチイチ紹介していられないくらいたくさんある。
古い生き物だから数が少ない。高い知能を持つから隠れるのがうまい。未だ捕獲例がない理由をこう説明している本は多い。
読み終えた本が頭頂部の高さを越えた頃、エリンちゃんが「あ”ー!!」ってなった。乙女にあるまじきデスボイスだ。髪をくしゃくしゃやってる。
「書いてることにまとまりがねえ! サキュバスって何なんだよ!」
「それを調べに来てるんだっつーの」
「調べれば調べただけ謎が増えてくじゃん!」
「うんざりするのはわかるけどね。古い生き物を調べるのはこういう地道な作業なんだ仕方ないよ」
合流してから90分が経過してようやくベル君が会話に参加してきた!
「あれ、リリウス?」
「気づくの遅え。だいぶ前からいるんだけど」
「本当に? 嘘でしょ?」
無言で指をさす。クロード会長の座ってるベル君の右の方だ。
無言になったベル君がガタッと慌てて席を立つまでのオモシロリアクションについては本人の名誉のために描写しないでおく。
集中力が途切れたベル君とクロード会長とのやり取りは割愛。知る必要がなさすぎる。
「ちょうどいいしカフェで一息入れよう。エリンドール君とベル君の調べた内容も知りたいね」
「はい」
「クロード会長とティータイム……わたし明日死ぬかも」
「怖いこと言うなよ」
閉館時間まで残り一時間弱。本日はこのまま解散の流れだろうな。
第一校舎の方に上級貴族御用達のローズガーデンカフェがある。なんでローズガーデンかっていうと薔薇園の中にあるからだ。
閉店間近のカフェに入店しても嫌な顔一つされなかったのはクロード会長のイケメンぢからによるものだろう。ウエイトレスの子達が一斉にメスの顔になってるもんよ。っち、むかつくぜ。
「クロード、ここはお前のおごりでいいんだろ?」
「もちろん」
「おう、高いもの上から順にじゃんじゃん持ってきてくれ。四人分な!」
「リリウス君分際を弁えよ? クロード会長にため口とか死刑確定だよ?」
「リリウスの態度がどんどんわるくなる……」
「俺イケメンが嫌いなんだよ」
俺は小さな男なんでな、俺よりモテそうなやつと俺よりイケメンなやつが大嫌いなんだ。
ミルクティーのあとはまずホットサンドが出てきた。BLTサンドふうみなお食事サンドイッチだ。悪くないな。
続いてマヨネーズで食べる根菜スティックが出てきた。ほぉ根菜は漬物になっているのか。サワークラフトのような保存に主眼を置いた漬物ではない、より上質なコクを出すための漬物だ。こいつとマヨネーズの組み合わせは神懸かっている。
キッシュが出てきた。イチゴとベリーとクルミがぎっしり詰まった酸味の強いデザートだ。知能労働のあとの甘味は心に染みわたるな。
あ、ミルクティーと合う。温まるなあ……
「さすがクロード先輩、いい店を知っている」
「態度が戻ったね」
「なんて単純なやつだ。マリア並みだろ」
「それはマリア様に失礼だろ」
「たまに思うけどリリウス君の中のマリアはどういう存在なんだよ……。付き合いたいのならセッティングしてあげようか?」
「恐れ多いにも程がある。俺ごときがマリア様と付き合うなどありえん。もっとすげえ男を捕まえるべきだ!」
「どういう感情を抱いてるんだよ。客観的に見てリリウス君わるくないと思うけどな。気前がいいし面白いし、けっこうなお金持ちなんだろ?」
さっき呆然自失になりながらリリウスで妥協しとくか的なセリフを言った女がそう言ってくれた。ここまで露骨なお世辞は悪い気しかしない。
「いいやもっとイイ男を選ぶべきだ。マリア様に相応しいのは……」
小銭皇子は論外だ。あいつには恋愛の機能は未搭載だ。心の機能スロットが空いてないので絶対にナイ。
青イエティはどうなんだろう。青イエティだしやめとくか。
クロード先輩はどうなんだろうか。婚約者の存在が不明すぎるので保留。
やはり人気投票第一位のレグルス君か。でも彼一年後輩だから入学すんの来年なんだよな……
答えに詰まったままでいるとクロード会長が机に肘をついて面白そうに微笑んでいる。バラエティ番組見てる時の顔だ。
「青春だね」
「そういうのじゃねえんだよ」
「照れるのなら青春だと思うけどな。アシストをしてもいいぞ」
「面白がるな。本当にちがうんだ」
「そうかい? まあこういう時の男が素直になれないのも理解できるさ。アシストが欲しくなったら言ってくれよ。……そろそろ本題に入りたいんだがいいかな?」
本題?
あ、サキュバスか。
「こっちで調べてみた感じ一番古い文献で600年前のものだ。この頃にはすでにサキュバスは存在したらしい。ただまあどういう怪物なのか知る手掛かりになりそうな信憑性のある記述はなかったよ」
「アレクシス会長、僕の調べでも最古の文献で同じ時代のものでした」
「そりゃそうだろ」
あんだけ調べた結果が微妙すぎる。蔵書数が多くてもやはり質はカスだったな。
「リリウス、その反応はどういう意味だい?」
「サキュバスは先史文明の時代にはすでに伝説の怪物だったんだよ。600年前には当然のようにいるよ」
なんでそんなことを知ってるかっていうとサキュバスはエロ動画でも大人気だからだ。実際俺もいくつかのコンテンツを買い切りダウンロードしてある。あれが本物のサキュバスでないことは誰にでも想像がつくだろ。
希少な絶滅保護生物をAVに出演させるわけがねえだろ! パカならやりかねないと思うけど!
どうせお世話人形か何かを変化させてたんだろ。
「先史文明かあ。そういえば古代魔法王国ってどれくらい前なの?」
「どの時点で滅びたかという話をすると面倒になるが大雑把に一万年前だな」
「そんなに前なんだ……」
「だいたいな、だいたい。俺が言ってたって言いふらすのはやめてくれよ。学者の間じゃ未だに年代特定で揉めてるんだ」
「約一万年前の時点ですでに伝説の怪物だったのか。やはり滅びているのかな?」
「それを知ってそうなのがアシェラ神殿なんだってば。アシェラ神殿建立は約六千年前だが前身である聖少女教区が八千年前だ。砂のジベール建国の時期から活動していた連中ならそこいらの文献より詳しいだろ」
史学者なら魂売り渡してでも会話したがる英知のアシェラ本人から聞いた話だ。当時のアシェラはまだアシェラの名を得ずにダージェイル大陸を旅する彷徨う神であったらしい。なんで彷徨ってたかは忘れたそうだ。
砂漠を彷徨う聖少女との邂逅は砂漠の民にとってこの上ない幸運であったらしい。聖少女はその手からオアシスを生み出すからだ。邪悪な怪物の近寄れない聖域の泉の産み手としていつの間にか崇められていたらしい。
砂のジベールの摂政をやっていたイザールと手を組んでいた時期もあったんだ。
パカ再誕計画。パカ人に最も近い容姿のトールマンの中から選ばれた民を選出して彼女らを母体に、コールドスリープで生き延びたはいいが人口の激減したパカ人を増やそうというロクデモナイ計画だ。これは失敗したらしい。
どれだけ遺伝子をいじくろうと世代を重ねれば形質が変化する。パカ人の遺伝子はトールマンの遺伝子進化に呑み込まれてしまったらしい。イザールざまあと言う他にない。
「コパ先生に尋ねるしかないからまっさきに訪ねたんだよ。不発だったけど」
「得心がいったよ。だがそうならそうと言ってくれてもいいじゃないか」
「文献のちからに期待もしていたんだよ。不発だったが」
その時突然鳴り響くアバーラインのテーマソング。着信だ。折り返しかな?
「なっなんだこの音!?」
「サキュバスなの!?」
「皆、俺の傍から離れるな」
突然の特撮ソングに驚いてキョロキョロしてる三人の姿が超面白いな。特に二人を庇って剣を抜いてるクロード会長の真剣な顔には笑いを禁じ得ない。
バイザー型ネット端末を装着する。おっとコッパゲ先生からの折り返しだ。通話ボタンをぽちっとな。
『やあリリウス君』
「コパ先生の声が……まさか先生はすでに魔の手に!」
盛り上がってる三人を尻目に通話する。なお俺も武器を抜いて警戒する構えを取っている。面白いからだ。
『至急連絡をということだが間に合ったかね?』
『ええ間に合ってます』
『知りたいのはサキュバスだったね。発見したのかい?』
『いえ、ちょうどこんな事件が起きてまして……』
事件の内容を適当に説明する。
『という理由でして別にサキュバスに限った話じゃないんですが先生の意見を聞きたいんです』
『そういう理由か。サキュバスは非実在生物またはすでに絶滅しているというのが神殿公式の見解なんだよ』
『先生また役立たずなんですか?』
『途中で口を挟んで文句をつけるのはよしたまえ。サキュバスの能力を有する存在なら現代にも存在しているよ』
『それを早く言ってくださいよ!』
『私は悪くないと思うんだけどね。でも実際のところ夢を操る魔法具の線だと思うんだよ』
『そう考えた理由をお尋ねしても?』
『そのサキュバスの能力を持つ存在だがね、ガレリアだ』
思わず背筋がぶるっとしたわ。
『連中の性ならリリウス君もよく知っているね。奴らに遭遇するイコール確殺だ。被害者たちがまだ生きているのなら犯人はガレリアのアサシンではないんだよ』
『納得です。しかし夢を操る魔法具なんてあるんですか?』
『けっこうたくさんあるよ』
あるんだ! 生徒会のみなさんの無能が確定した。俺も知らんかったけど!
『悪用されやすいから禁呪指定を受けていてね、学生では知らないのも当然だろう』
『どういう連中が使っているんですかね?』
『さてそこまでは。元はいずこかの神殿から流出した術式なのだが現代ではどの一族が隠し持っているかは不明なのだよ』
肝心な部分が不明とはな。さすが役立たずぶりには定評のあるコッパゲ先生だ。
『コッパゲ先生また役立たず……』
『待ちたまえ、そう言われると思って助言を考えていたんだ。悪夢の魔法具だが総じて射程距離が短い。最大でも射程は10メートル程度だ。短いものだと対象に触れていないと効果を発揮しないものもあると聞くよ。参考になったかね?』
『なるほど、悪戯っこを現行犯逮捕しちゃえよってやつですか』
『普通の学生になら後は大人に任せてしまえと助言するところだがね』
『いえ助かりました』
通話を切る。三人がすごい目をしてこっち見てるな。
「これ遠くの人とおしゃべりできる魔法具なんだ、てへ!」
「脅かさないでよ~~~!」
「いやほんとリリウス君タイミング最悪だったから。笑ってないで! なんで笑えるの! 本当に怖かったんだからね!」
二人にはいつかVRムービーを見せてやりたい。特に成層圏落下シリーズ。
◇◇◇◇◇◇
不夜城のように輝くクリスタルタウンも深夜の二時ともなれば静かなものだ。冷たい風の吹く男子寮の屋根に潜む俺とクロードはステルスコートを被って透明化している。
男二人同じコートの中、何も起こらないはずがある……
何かが起きるわけがねえだろ……
やがて男子寮の屋根に女生徒が降り立った。コウモリみたいな二対四翼を羽ばたかせてふわりと降り立った女子は当校の制服を着ている。ネクタイの色は赤。一年だな。顔立ちは丸目。ふわっとした髪形の可愛い系。知らん子だ。
マジでサキュバスだったか。見直した次の瞬間には下落しているコッパゲ株はどうなっているんだ。
あのハゲー! サキュバスのわけがない→悪夢の魔法の効果を教わる→サキュバスだった! いつものコッパゲサイクルがクソなのは情報持ってるのに教えてくれない部分なんだよ。事前情報皆無でサキュバスとバトルとかあのハゲー!
「ここは全校女子の顔と名前をチェックしてる色男に頼もう」
「三年のサンデー・マルスエール君だね」
名前が出てきた。さすがパパ活に興味のある男!
ステルスコートを取り払い、クロード会長が前に出る。事前の取り決めによる行動だ。
仮に犯人が当校の生徒または職員であったならクロードに任せる。俺は保険だ。クロードだけで対処できなかった場合のな。
「サンデー先輩、男子寮に何用ですか?」
「!!」
サキュバスがたじろぐ。
もしかしたら戦闘能力は低いのかもしれない。咄嗟にとった行動にそいつの性根が現れる。まず後退り、次に視線で他に誰かいないかを探し、同時に逃げ道も探していた。
見つかったら逃げる。この行動が染みついてるやつは総じて弱い。よし、縄を用意しよう。
「あたしはマルティンに呼ばれただけ。クロード君こそどうして、あなた二年寮でしょ?」
「詳しい事情は会室でお伺いしますよ。御同行願えますね?」
「嫌だと言ったら?」
「紳士にあるまじき行いをする必要が出てきますね。先輩どうか御同行を。生徒会は生徒の盾です。どのような事情があるのかお聞かせください」
クロード会長は鞘に手を掛けない。あくまでも説得するつもりだ。
サキュバス先輩が投げ刀子数本を一息で投げ放つ。よけるクロード。
その一瞬を突いてサキュバス先輩が背を返して逃げる。屋根からひらりと飛び降りた。
「残念です」
クロードが身を屈めたと思った次の瞬間には彼の足元が吹き飛んだ。屋根材が彼の脚力に耐えられなかったのだ。空中でサキュバス先輩を追い抜いたクロードが先輩の襟首をつかんで地面に叩きつける!
あれは痛い。うんこ漏らしてもおかしくないくらい悶絶するやつだ。
高学年は制圧体術も習ってるからな。殺さない逮捕術だ。
「ご容赦を。逃がしてさしあげてもよかったのですが」
クロードが気絶したっぽいサキュバス先輩を抱き抱えようとして苦戦している。翼が四枚もあるからだ。翼が邪魔すぎる。
しかし拍子抜けだな。サキュバスが強いなんて伝承聞いたことねえけど普通に大したことない。普段は人に紛れて生活している系の怪物ならこんなものでもおかしかねえけど……
こんな奴がこれまで捕獲されていないとかあり得るか?
眼下では嘆息をついたクロードが紳士的な運び方を諦めて足を掴んで引きずる暴挙に出た。そのまま背を向けた瞬間だ。
サキュバス先輩が人体の関節を無視した動きで跳ね起きてクロードの背中にしがみつく。速っ―――
爪の鋭い人差し指をクロードの首に刺し、すぐに距離を取った。
振り返ったクロードがよろめき、学生寮の外壁に肩から寄りかかる。毒爪か。フィジカルの弱い怪物なら毒持ち。常識だ。
「眠いでしょ? 眠っちゃいなよ、だいじょうぶ夜明けと共に目を覚ますから」
「先輩……」
麻酔毒か。種類によっては解毒の法術が効かない厄介な毒だ。
おともクロードの活躍によってサキュバスの能力が暴かれていくな。この調子でもう少し頑張ってもらいたい。
「驚きました。見事な身のこなしです、てっきり運動は苦手だとばかり……」
「呑気におしゃべりしている場合かな? 時間が経つと眠気に抗えなくなるよ~」
「俺を侮ってくれるんですね」
クロード会長からマナとオーラが同時に放たれる。混合闘気術か。
麻酔毒を気力でねじ伏せるつもりだ。
「嬉しいな、侮ってくれる女性は久しぶりだ。―――甘えさせてくれますね?」
両者が徒手空拳で激突する。回避主体のサキュバス先輩と攻め気の強いクロード会長の戦いは互角っぽい空気だ。おっ今の浴びせ蹴りは芸術だな。サキュバス先輩やるじゃん。
普通に強いな。さっきまでのは死んだふり大作戦に真実味を持たせるための欺瞞行動か。
回避勘が良すぎるせいでクロードが攻めきれない。麻酔毒もあるせいで焦りが出てきたから反撃を喰らう回数も増えてきている。
と思ったらクロードが強烈な掌打を腹にぶちこんだ。やったか?
サキュバス先輩が不可解な動きでするっと接近して膝を会長の顔面にぶち込んでいる。いいぞもっとやれ。
クロードが一瞬怯んだ隙に毒爪の五指がやつの手首を引っ搔いてる。剛体術で強化されたクロードの肉体にダメージを与えるには非力だが引き裂く程度でも毒は入る。まずい流れだ。援護射撃するぜ!
屋根から直下への銃撃でサキュバス先輩の膝を破壊する。
一瞬だけ足がちぎれたふうに見えたが再生能力でも働いたのか傷跡が瞬時に元に戻る。さすが伝説の怪物。色々持ってんな。
「伏兵。面倒な!」
サキュバス先輩が脱兎のごとく逃げ出す。速い。助走ダッシュから翼を羽ばたかせて飛びやがった。
あっという間に校舎の方まで―――
タンタンターン! とりあえず肩と足と羽を撃ち抜いておいたが止まらない。っちぃ、逃がしたか。……面は拝んであるし逃げられても学院から排除できればそれでいい。
ピンポンダッシュで遊んでる悪戯小僧なら怒鳴り散らして追い払うだけでいい。これはその程度の事件だ。
「クロード、無事か!」
「任せてもらっておきながら不甲斐ない。君にも怪我をさせてしまったな」
怪我? 怪我なんてしてねえけど。
「血の涙が出ているぞ。どうやら複数の毒を操るタイプのようだ……」
「そうか、恐ろしい敵だったな……」
すまん、それはきっとサキュバスと一晩やらかしたいという未練が流させた血涙だ。真実は俺だけが握っておく。不名誉だからだ。
サキュバスの逃げていった方を見つめる。イイワケのしようもないくらい見事に逃げられているぜ。
「とりあえずだが悪夢の調査依頼は解決ってことでいいよな?」
「そうだね、後はこちらに任せてもらおう」
「サキュバス先輩はどうなる?」
「本人が話し合いを拒んだ以上学院側の処罰に委ねることになる。だがおそらくは処分さえ必要ないだろう」
姿を見破られた怪物が人里に戻ってくることはない。
サキュバス先輩はこのまま学院に戻ってこないはずだ。
◇◇◇◇◇◇
翌日、二時間の昼休みを告げる鐘の音が鳴り響く教室にクロード先輩がやってきた。サキュバス先輩の続報かなと思ったが表情が険しい。嫌な予感のする顔だぜ。
「昨夜の件で想定外の出来事が起きた。会室まで来てくれるか?」
「学食に行ってからでも?」
「その前で頼む。昼食くらいごちそうするよ、後でうちの連中と食べよう」
急ぎってわけだ。嫌な展開確定だな。
立ち上がるとロザリアお嬢様から背中を突かれる。ダメですそこは性感帯です。
「ねえ、もしかして生徒会に入会したの?」
「短期的なお手伝いですよ」
「ふぅん、試験運用中ってわけだ。まああんたなら当然よね」
何だか聞き捨てならない言葉を聞いた気がするが詳しくは知りたくないな。
クロードと連れだって教室を後にする。詳しい事情は歩いてる間に聞いておく。
「何が起きた?」
「サンデー先輩ではなかった」
「どういう意味だ?」
「昨夜交戦まで到ったサキュバスはサンデー・マルスエール子爵家令嬢ではない別物だったんだ。どうやらサキュバスは姿形を自在に変えられるらしい」
「たしかに伝承にはそういう能力もあったが夢の中限定ではなかったのか」
面を見られたくらい屁でもないってわけだ。サキュバスは捕獲例の無い怪物だ。飛行能力。複数の毒。再生能力。この程度のアビリティでそんな稀な伝説が生まれるわけがない。だが姿形を変えられるのなら納得だ。
奴らは人の姿を借りて今も人界に巣食っているんだ。
「らしいな。よく考えてみれば俺を眠らせるだけで対処しようとした点など考察できる材料はあった。俺の失態だ」
「相手が悪かったってことにしとけよ。それでサンデー先輩なんだが無事なのか?」
「無事さ。昨夜は社交界で遊んだ後に実家に泊ってきたらしい。裏付けだがバドが昨夜フォーマル伯爵家のダンスホールで目撃していた」
「午前二時頃は?」
「浮気相手とよろしくやっていたようだ」
「調べが早いな……」
「フォーマル伯爵家のタウンハウスはそういう用途の遊び場なんだよ。ハッシシを吸っていい気分でパートナーを変えながら触れ合いを楽しむ会員制倶楽部なんだ」
貴族社会は乱れている。
キメセク乱交場くらい当然のように存在するってわけだ。
「興味があるならバドに言えよ。この手の遊び場に関しては顔が広い」
「身持ちが固いんでな、やめとくよ。……殺して姿形を奪うタイプの怪物ではないのか」
「より上位の能力だ。だが必要ならそういうマネもできるはず。野放しにはできない危険な能力だ」
昨夜は無理にでも捕まえておけばよかったか。完全に俺の失態だ。
生徒会室に入る。クロードを除く七人がすでに揃っていて、空気はややピリピリしている。伝承の怪物と遭遇したんだ。危機感を持ったってところだろう。
爽やかボブカットことバド先輩が立ち上がる。シャツの合間から覗く首元にキスマークが三つはある。やけに調べが早いと思ったがお前もキメセク乱交に参加してたんかい。
「サンデーについてだが追加の情報収集を行っている。これで何か出てくれば楽なんだけど別口とみて動いた方がいいだろう」
「うん、俺も昨夜の怪物はサンデー先輩とは思えなかった。言動がやや無理解であったし何より身体能力が異常に高すぎた。やはり変化の怪物だと見て動くべきだろうな」
生徒会で議論が交わされ、怪物を追う手立てが模索される。
会議の様子を聞き入りながら俺もまじめに動く必要があると感じている。彼らはそれなりに優秀で高い知性と行動力を有している。だが相手が悪すぎる。
伝承の夜に潜んだ怪物を引きずり出すには優秀な貴族程度の能力では足りないんだ。




