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最終章 『春のマリア』  作者: 松島 雄二郎
聖と魔のフロントライン
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竜皇女

 とある国に心優しい皇女さまがおりました。

 彼女は幼い弟や妹を可愛がり、心の汚れた大人たちには眉をひそめる、いわゆる普通の女の子でした。

 文学を愛する彼女は幼い頃から古典や現代文学を読み漁り、そんな趣味が高じて自分で書きたくなったのです。でも一人で書いて自分で読んだのではつまらないと考えて子供向けの紙芝居を書くことにしました。


 彼女は誰かの笑顔が好きでした。そして子供は素直なので面白ければ笑い、つまらなければそっぽを向く。彼女にとって紙芝居作りは中々にやりごたえのある趣味でした。


 とある日、同好の士でもある仲のよい兄グラスカールの侍女アイリーンに誘われて帝都貴婦人の会の炊き出しに参加しました。

 極北にあるこの国では冬場は食料が不足し、それはそれなりに裕福なはずの家庭でも栄養不足に陥るほど過酷な冬でした。新鮮な野菜なんて王宮にさえ存在しないのです。冬になると死人が増えるといいますが、それはなにも寒さだけが原因ではなかったのです。

 帝都貴婦人の会は寄付金を集めて他国からお野菜を買い付けて栄養のたっぷり染み出したスープを配るのです。


 初めて王宮の外に出た皇女さまは驚きました。外にはこんなにたくさんの子供たちがいるのだと知り、なぜだか嬉しくて嬉しくて仕方ありませんでした。


 皇女さまは子供たちに混じって初めて叩きヴァンプをやりました。ヴァンパイア役の子から体のどっかを叩かれたらヴァンパイアになる遊びで、全員ヴァンパイアになるか日暮れまで逃げ切るかっていう中々にハードな遊びです。

 でも問題もあります。足の遅い子はこの遊びがつまらないし嫌いだったのです。年上の子が有利なのも問題です。これでは全員が楽しめません。

 男女の差。年齢の差。体が大きい子もいれば小さな子もいました。全員が楽しい遊びを見つけるのは困難です。


「ではみんなで楽しめる遊びをしましょう」


 そこで皇女さまはこれまで弟たちだけに披露していた、たっぷりと作りまくってストックのたくさんある紙芝居を始めました。これがヒットしました。炊き出しなのにスープよりも紙芝居に人が集まるようになったのです。

 スープなんて必要のない貴族の子弟が紙芝居見たさに集まってきたと思えばなぜか本職の紙芝居屋のおじさんまでやってきて、そのうち普通に仕事をサボった大人まで集まり出しました。


 その中には初めて紙芝居を見たという子もいて、自分で紙芝居を作り始める子もいました。ファリス・メイアもその一人で、皇女さまは彼女たちとすぐに仲良くなって一緒に紙芝居を作るようになりました。


 皇女さまは子供が好きでした。けがれた大人は臭いし気持ち悪いけど子供は穢れなくとても○○しそうだったからです。……そう、彼女は自分という怪物が欲しているものをまだ知らなかったのです。


 皇女さまは仲良しになった子供たちを離宮に招いては紙芝居を読んであげたり、一緒にお話を考えたり、彼女たちとの触れ合いを楽しみました。それでも彼女の欲求が満たされることはありませんでした。

 お腹いっぱい食べているはずなのにいつもお腹が空いているような空腹感がありました。この飢えがどうすれば満たされるのかわからない皇女さまはそれでも子供たちとの触れ合いを続けました。だって子供たちからとても○○しそうな香りがしたのです。


 とある日、とある日です、本能と欲求がつながって飢えを満たす方法を知ったのです。

 無邪気な子供の背中へと駆けだして貫き手でその心臓を抉り取り、夢中になって齧りました。初めて食べる穢れのない魂はとても美味しかったのです。


 それからも皇女さまは穢れのない子供たちと遊び続けました。朗読会の後に一人持ち帰り、離宮の温室花壇で食べて要らない部分は土の下に埋めました。……疑問はありました。


 自分は何かとてつもなくおかしなことをしている。そういう自覚はあれど欲求には抗えませんし、竜の本能はより高次の存在への昇華を求めて狂ったように穢れなき魂を欲するのです。


 子供の浅知恵の内ではありますが最初の頃は警戒していました。この秘密を誰にも漏らすまいと工夫を凝らしました。ですがエスカレートしていく欲求とこれまで誰にもバレなかったという自信が少しずつ彼女の手口に粗や無思慮をもたらし、やがて秘密がバレてしまったのです。


 これは怪物のお話。自分がどうして子供たちに惹かれるのかも知らずに過度に本能を刺激し続けてとうとう我慢のできなくなった、哀れな皇女様のお話です。



◇◇◇◇◇◇



「太陽竜ストラ、星の乙女クライシェ、人の世の終わりを謳う願望器……」


 日の暮れた首都エテメンアンキの市井の酒場はそれなりに賑わっている。夕方の仕事を終えて一人また二人と入ってくる酒場の隅っこで蜂蜜を垂らした山羊のミルクティーを一気飲みしたファリスが正直な感想を言う。


「そんな大きな話をこんなところでします?」


 ファリスの睨みつけにもクラリスは動じない。かつては繊細だった怪物皇女もいまや二十歳を越えた立派なレディーなのでメンタルが強い。ハンマーで叩かれても動じないのである。

 だから小心なファリスをからかうみたいに微笑んでいる。


「こんなところだからよ。いかにもこれから密談をしますなんて個室にこもったら誰の好奇心を刺激するかわかったものじゃないもの。こういうところで堂々としゃべってたら誰も気にしないものよ」


「図太いなあ」

「ええ、だってもう可憐な皇女さまじゃなくて庶民の女なんですもの、図太いくらいでちょうどいいのよ」


 だからと言ってミルクティーやお菓子を給仕娘が運んできた時くらいは黙ったらいいのに、とは思えどもきっと言っても意味がないんだろうなと思うファリスから大きなため息が出てきた。


「ため息はしあわせが逃げていくというわね」

「今更しあわせの一つや二つ気になりませんよ。さっきまで捕虜だったんですよ?」

「そうね」

「それでクラリス様の目的は血統呪の根絶。極北の魔神領域にはいまも神竜レスカがいて、破滅をもたらす願望器を封じ続けていると……」


「うんうん」

「それ、神竜さまを殺したら血統呪は消えてなくなるんでしょうけど人類が破滅するんじゃ……?」


「手順を間違えているわ。先に願望器を破壊して最後に神竜さまに血統呪を解いてもらうの。解けないとなったら殺すしかないけどね」

「その場合は神竜さまよりも強い氷柱竜バルバネスとのバトルになると。無理すぎません?」


「それ以前の問題として現状願望器の破壊は無理なのよね」

「無理と無理の足し算は超無理です」

「現状よ現状、だからわたくしこうして旅をして探しているの」

「宛てがあるんですか?」

「ええ、これよ」


 クラリスがショルダーバッグからタブレット端末のようなものを取り出した。どう見てもそのバッグに収まるサイズではないが皇女さまならマジックバッグの一つや二つ持っていても当然だ。

 端末が起動してホログラムの文書が空中に出てくる。すべて古代文字だ。


「あたし古代文字はちょっと……」

「大丈夫、普通の古代文字じゃないから得意な子でも読めやしないわ。これは古代魔法王国の時代の大賢者セオドア・ラマの個人的な研究文書なの。これは星の乙女クライシェとは何者かと論じるものね」

「はあ……」


 突然の話の切り替わりにファリスはついていけなかった。


「こっちはトロンというエネルギーの由来についてね。じつはトロンって本来この世界に存在しないちからだったの。このエネルギーが観測されるようになったのがディアンマと呼ばれる高次元生命体が次元ゲートを通ってこの世界にやってきた頃とされていて、当時の観測結果を示しているわ。このグラフね」

「……」

「ね、トロンが大気に急速に広がっていってるでしょ?」

「ええ、まあ」


 グラフなので見ればわかる。わかるけどそれが何なのって感じだ。


「この時点でトロンの拡大が停止している。つまり惑星上の大気全体にトロン侵食が広がり、一定の状態で飽和現象が停止したということになるわね」

(そーいえばこの人、昔からめっちゃ頭よかったなあ……)


 思い出した。そういえばファリスは昔からクラリスが何を言ってるのか半分も理解できなかった。いつもたくさんの本に囲まれていて読めない文字なんて一つもなかった。本読みたさにあらゆる言語を習得していたというトンデモ皇女さまだ。


「トロンエネルギーは優秀なエネルギー源でこの頃から活用方法について論じられるようになったの。そしてトロンエネルギーが当たり前のように生活に用いられる時代に生まれた大賢者は疑問を投げかけたの。ずばり我らが使う呪術とはいったい何なのかって話ね」

「もしかして古代呪術はトロンやマナを使わないんですか?」


「ええ、そのとおり。古代呪術は本来オーラのちからを源に発動するものだったの。人を呪わば穴二つなんて言葉も古代魔法王国の時代からあったんだけど、発動触媒が自分の生命力なんだから当然よね」

(こういう話、リリウスくんやアーサーくんが好きそうだなあ)


 ファリスは全然ついていけない。ついていくつもりはあっても何が言いたいかわからない。神竜さまや破滅を謳う願望器はどこいった?


「あの、もう少しかみ砕いてはいただけません?」

「はあ、ファリスったらせっかちさんね。つまるところ大賢者は彼らにオーラのちからを与えた神ないしは悪魔と呼ぶべき存在Xの実在を疑っているの」

「神ですか。一応後輩に最高神格を名乗る子がいますけど」

「その子は頭がおかしいのよ」


 神の実在を説いたはずの女がそっこーで否定してきた。だがこれにはファリスも同感だ。自分は神だと名乗る一年生中退はただの不良だ。


「それでこっちでは惑星生物論の歴史的解釈をしているわね。そもそも惑星生物論がいつどこで誰が提唱したか、その最初の人物を特定して生まれた地域や信仰などを根拠にどこから発想に至ったかの研究結果。これを第一人物として第二人物第三人物の来歴も追っているわ。でもこのアプローチは失敗しているわ。いずれも惑星生物論の発案に至った論理的な根拠が出てこなかったの」

「おかしな妄想にとりつかれた研究者がたまたま何人か現れただけなんじゃ?」


「世間もそう思ったからオモシロ理論として扱われてきたのよ。たぶんこんなに真面目に研究したのは大賢者さんだけじゃないかしら?」

「あたしはそんなのを聞かされているの……?」


「他にも集合無意識への夢を通じての対話実験なんて面白いアプローチもしているわ」

「頭がおかしいのはその大賢者なんじゃ?」


「他にも大いなる河の実在を確認しているわね。人間が通れるサイズの鉄の筒を用意してね、これの先端に掘削機械を取り付けてどんどん地面を掘り進んだわけ」

「そのひと行動力の化身かなにかですか?」


「すごい人よね。大賢者って呼ばれるくらいだもの、本当に好奇心のためなら何でもする人だったんでしょう。エメラルドのように輝く温かくて不思議なエネルギーが飛び交う不思議な空間に到達した大賢者はここが大いなる河なのだと仮定したわ。そこで神を見たらしいの」

「ほんとですか!?」


 ファリスが身を乗り出す。話が面白くなってきたからだ。

 面白い話には飛びついてしまう習性は彼女もあのオモシロ生徒会の一員なのだと示している。


「ええ、大いなる河の内部空間を高速で移動する巨大な暗黒の球形を計測したところ超高濃度の原初の暗闇だと判明したわ。大賢者はこれこそが冥府の王デスの本体であると仮説を立てたわ」

「デス神ってそんな大昔からいたんだ……」

「そして大賢者はデスと使い魔を通じて接触したの。これはその会話ログね」

「大賢者マジで怖いもの知らずなんですね」


 文書を読んでみるが読めない。全然だ。古代ジベール語ですら読めないのにそれより古い古代魔法王国語なんて読めるわけがない。読めるクラリスがおかしいのだ。


「それでなんて書いてあるんですか?」

「嚙み砕いて、そういうリクエストだったはずでしょ。それでこっちの文書ではデス神との対話から類推する創世神の存在可能性について語っているわ」


「そんないじわるしないでくださいよ~、デスとの対話なんて面白そうな話をスルーするなんてひどい! って創世神?」

「この世界は何者がお創りになったか、そういう存在の実在についてね。デス神は時折夢を見るそうよ。見たこともない色鮮やかな青空を漂う大きな鯨の夢ね。これね、不思議なの。だってクライシェもたまにそんな夢を見たのだそうよ。大賢者はこの存在をこそ創世神だと仮定し、界鯨エンシアと名付けたの」


「鯨があたしたちの産みの親なんですか?」

「この世界を創った存在なのだとしてもわたくしどもの、とは残念ながら言い切れないわね。そして星の乙女クライシェの持つどんな願いでも叶えるという超越的な権能は創世神の持つアビリティの一つではないかと推測したの。冥府の王デスと星の乙女クライシェの正体は界鯨の見る夢なのではないかと。あっ、ラッシーのお代わりちょうだいな!」


 長い語りを終えてさすがのクラリス様もお疲れのようだ。追加の飲み物を頼み始めた。


 なお堂々としゃべってたら誰も気にしないと言っていたが、綺麗な娘っこ二人が真剣な顔して変な話をしているので酒場の男衆は興味津々だ。けっこう聞き入っていた奴もいる。

 ラッシーが届いた。このヨーグルトドリンクに果汁を混ぜて飲むのがシャピロでは一般的だが何も混ぜずに飲むのは通の証だという変な認識もある。だから男衆は「あの姉ちゃん分かってるな」なんて言い合っている。


「わたくしが探しているのは鯨よ。界鯨エンシアを起こすか、お願いをすれば第四魔王ラクスラーヴァの側近シェトロアの願った人類の滅亡が止まるかもしれない」


 ファリスがのどをごくりと鳴らす。別にラッシーを飲んでるわけではない、飲んだのは生唾だ。


「止まらなかったら?」

「何としても止めるの。わたくしがやるのだから必ずよ」


 クラリスが決めセリフを言い放つと同時に……


「「救世主に!」」


 酒場中で乾杯が打ち鳴らされる。


「あら、どうも~」


 なんて手をひらひらと振り返すクラリスと戸惑うファリスの下へと面白い話を聞かせてもらった代の酒と食べ物がやってきて、酒場はますます賑やかになっていった。



◇◇◇◇◇◇



 一方その頃バドは。


 押し込められた暗い部屋で団扇をあおいでいた。シャピロの夏はドルジア人には厳しい蒸し暑さなので欠片も眠れる気がしない。

 青ざめたイリスの月を見上げているとなんだかやるせないため息が出てきた。


「まるで囚われの姫君だな……そういうのはファリスの役割だろ……」


 バドはいじけていた。


 今はまだアーサーも魔神の試練を受けている頃なので、救出が来るにしても約三週間後になるのである。

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