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最終章 『春のマリア』  作者: 松島 雄二郎
聖と魔のフロントライン
357/362

斜陽の帝国にて

 賭けと言えば賭けだった。彼らが撤退したのは追跡を始める何時間も前であるし幾ら迂回路を使ったとはいえこちらも途中までは同じ経路を辿っていた。先回りを始めたのだってこのままでは追いつけないと判断したからだ。途中で野営でもしてくれればよかったのだが強行軍で帰還されたのでは追跡側は追いつけない。まったく手強い敵だと認めた上での判断だ。


 情報収集のために敗残兵を狙って捕虜にし、捕虜を取るやすぐさま本国に帰る。油断もなければ欲も欠かない潔さは言い換えれば指揮官の心を表している。結果のみを至上とする、そんな在り方をだ。


 クロードは賭けに勝った。先んじて乗り込んだカラビット渓谷の入り口を山の上から監視して三時間で黒塗りの装備で身を固めた怪しげな部隊が渓谷へと入ってきた。大型の戦虎に四台の馬車を曳かせる50騎が渓谷を駆け抜けていく。

 この光景を遥か頭上から見下ろすクロードは三時間の間に休めた体にオーラを漲らせる。静かに己の肉体にのみオーラを留めたつもりだったが……


 黒い部隊が一斉にこちらに反応した。


(この距離で気づかれるか。まったく敵ながら大したものだな……)


 こちらを見上げる指揮官と目が合う。先の奇襲ではあの男に押し込まれた苦い記憶がクロードの怒りに炎をくべる。一刀で神器の剣ごと左手の指を三本を斬り落とされ、挽回の機会もないままに押し込まれた。だが……


(今回ばかりは負けてやるつもりはない!)


 ふと背後に気配を感じ、反射的に転がり逃げると背後の地面が砕けた。こちらに気づいてからあがってきたのではない、最初から別行動をしている斥候がいたのだ。

 なんとも太々しい面構えの筋肉だるまのグラップラーが拳の骨を鳴らしている。


「奇襲には絶好のポイントだ、仕掛けてくるならここだとは思ったがあの時の兄ちゃんかよ」

「俺は意外な客人か?」

「ここで来るならオレらを嫌ってる国内の連中だと思ってたよ。だが意外は意外だが兄ちゃんみたいな男は嫌いじゃねえ、仲間を大切にする奴に悪い奴はいねえからな」


「自画自賛ならやめておけ」


 さらに背後から声。岩肌を垂直に駆け上ってきた指揮官が現れ、クロードは挟み撃ちの体勢に陥った。


「その手のアピールは小物がするものだ。お前には相応しくない」

「ポイント稼ぎくらいさせろよ、うちの大将は厳しいねえ」

「武人なら口ではなく功績をもって名を挙げるのだな」


(改めて相対してわかる。この二人は強い……)


 豪壮なオーラを身にまといながらも恐ろしく俊敏で精密な動きをするグラップラー。神器さえも切り裂く異常な剣の冴えの指揮官。そして指揮官を守る形で前に出るアンデッドの剣士。こちらも随分と強そうだ。

 指揮官が声を張る。大将軍の威風を持つ堂々たる声掛けだ。


「クロード・アレクシスだな?」

「いかにも」

「俺の下に降れ、さすればお前の友人を三名を除いて返してやろう」


 クロードの眉が動く。いやな数字であると同時に悩ましい提案だ。


「無論だがお前が本心から仕えるというのなら全員返してやってもよい」

「お前の目的はなんだ?」


「別に深い意味はねえぞ。うちの大将は優秀な奴を見かけるとすぐに欲しくなっちまうんだ」

「ま、そんなところだ。して返答は?」


 クロードが加護のちからを解放する。爆発的に高まっていくオーラが境界を越えて黄金の輝き出す。炎と黄金を混ぜたような炎のオーラは魔神のちからだ。

 神器の鎧とマント。神器の剣と神器の円盾。かつて不死鳥の乙女が無双の英傑たる軍神アレスに与えた黄金の装備をまとい、剣の切っ先を指揮官へと向ける。


「それは賢い選択ではないぞ?」

「敗者の身で選んだ道など不要。勝者となり皆を取り戻す、それが俺の選ぶ道だ!」

「ならば今一度その身に敗北を刻み、問いかけるとしよう」


 指揮官の剣に暗黒の炎が迸る。極限まで黒い邪悪なちからは死のちから、何者をも絶命させうる殺害の王のちからだ。


 切り札を切ってなお勝敗が読めない。勝機が見えない。

 指揮官は剣士としても超越者の領域にある。おそらくは魔法を操っても同等の領域にあるのだろう。


「では尋常に」

「勝負といこうか」


 互いに地を蹴る。銃弾どうしが正面衝突するように接近し、刹那の攻防がクロードの盾を二つに割り、だがクロードの斬撃は届かなかった。


「くっ、読みか―――?」

「憤るな、単純な技量差だ」


 指揮官の乱撃に翻弄され、大剣の腹で側頭部を打たれ、意識が飛びかけた瞬間に足払いで転がされる。胸板を踏みつけられ、ゆっくりと降りてきた切っ先は頭上で停止する。


「悪くはないが対モンスター用の技なのが惜しいな。対人戦の経験はないか、それとも技量に見合った好敵手に巡り合えなかったか?」

「……ここまでの差があるか」


 勝つつもりで挑んだ。三対一だろうが死の物狂いで活路を切り開く、そのつもりであった。

 だが力及ばずタイマンでの戦いでかすり傷一つ与えられずに、挙句最後の攻防など覚えてもいない負け様だった。


 クロードの未だに敗北を受け入れられない呆然とした表情は、まさしく彼の心境を如実に表したものだ。これは何かの悪夢ではないかと疑いたい気持ちだ。


「技量と経験の差であろう。我が軍門に降れ、我が配下に加わればお前はまだまだ伸びる」


 死を覚悟したクロードに再び問いが投げられる。

 絶望が希望に変わった。信じられないという表情のままに問い返す。


「先ほどの提案はまだ有効なのか?」

「再び問いかけると言ったはずだ。俺は虚言も二言も持たぬ、王者とはそうしたものよ。王者が姑息な虚言を用いようものなら民は惑い、国はその根から腐る」

「ならば―――」


 クロードが剣から手を離す。神器の剣が光となって消えていく。


「降る」

「よかろう、貴君はこの時より俺の剣だ」


 眼帯の軍師が高笑いを解き放つ。儲け儲けとか思っていそうだ。

 彼にとってはこの程度の弱卒十数名の解放でクロードが手に入るなら丸儲けなのだ。



◇◇◇アーサーSIDE◇◇◇



 カラビット渓谷の出口、交易都市カデルニア。

 神聖シャピロの入り口にあるこの都市は大陸交易路を行き交う隊商のつかの間の安息の地であり、遠い異国の品物がバザールに並ぶ賑やかな大都市だ。


 朝の内にカラビット渓谷を抜けてきたアーサーとグリードリーは偽名で登録してある冒険者の証で都市に入った。アーサーの物は以前リリウスから借りたC級冒険者バランという名義の物で、彼がよく使う偽の身分の一つだ。

 正午近くの夏の日差しは強く、濃い影の中で猫が居眠りをしている。


 グリードリーが町の広場で立ち止まる。


「ここで解放されたようね。ニコライ・ガーラ、オーランド・ベンバー、グラーフ・モルト、レベッカ・ジュノー……」


 グリードリーが並べていく名前には聞き知ったものも多い。B組の男子もいる。レベッカにはダンパに誘われたこともあった気がする。興味がなくて記憶に薄いが。痴のグラーフまで捕まっていたというのは驚いた。

 なぜ義勇兵なんて勇ましいイベントにエロの三賢者が参加しているのか不思議でならない。と同時に戦場なら女子の痴態も見れそうなので参加したのも納得できそうな気もした。


「ジョネス・ハイベッカーね。彼が解放された義勇兵をまとめるみたい」

「ジョネスなら理解できる」


 ジョネスも模範生徒の会の一員だ。正式な会員ではない予備の云わばお手伝いで、バドとクロードの個人的な友人枠として参加している三年生だ。


「まさかクロードが敗れるとはな……」

「仕方ないわよ」

「仕方ないね?」


 話題を向けたつもりだがグリードリーには明かすつもりはないらしい。答えもしなければ会話にも応じなくなった。

 そんな彼は大通りで露店を広げている鑑定師と接触している。


「はぁい、景気はいかが」

「やあ、これはこれは同胞さん、この町はいい町だよ」

「そうなのねえ」


 世間話を始めてしまった。しばし様子を見たが本当にただの世間話だ。

 そんな場合ではないだろうと焦るアーサーが肩をつかんで凄む。


「解放されたジョネスたちはどうなった?」

「装備は没収。お金もない。身一つで放り出された彼らは正規軍との合流よりも生きる道を模索しているわ。じゃあクイズよ、彼らはいまどうしているでしょう?」

「クイズなどしている場合か!」

「じゃあ答えは……」


 グリードリーが混雑する町を歩いていく。表通りから外れて地元民しか通らないような裏通りに入り、水路にかかった小さな石橋をわたってすぐの宿屋に入る。


「邪魔するわよ」

「あん? なんだあんたら―――ってオイ! 勝手に入っていくんじゃねえ!」


 宿の老店主に見咎められてもグリードリーは止まらない。

 ずんどかと二階にあがっていって廊下の先にある部屋のドアノブを回して開く。


「正解はこちらよ」


 室内には六人の男女がいた。二段ベッドの一段目に腰を下ろし、膝を突き合わせて相談事をしているところに見かけないオカマが現れたもんだから警戒している。


「グラーフ、レベッカも!」

「アーサー様!」

「うそっ、アーサー氏!?」


 警戒も一瞬のこと、アーサーに気づくなりレベッカが超反応で抱きついていった。美女からキスをされても動じない。それがアーサーだ。痴のグラーフも握手を求めている。


「え、なんで、どうしてここがわかったんだ!?」

「鑑定師のちからを借りた。正直ここまでできるとは思わなかったけどな……」


 今回グリードリーはアシェラ信徒が隠してきた領域までのちからを披露した。これが世界的な人さらい集団アシェラ神殿の能力の一端であり、魔神ティトとの取引がなければ明かさなかったちからだ。


「ジョネスや他のみんなはどうした?」

「当番制で金を稼ぐ役割と街中での情報収集を分担しているんだ。ジョネス先輩の班は冒険者業で外に出ている」


 ジョネスは帝都でも冒険者登録をしていて長期休暇中にちまちまと小遣い稼ぎをしてきた男だ。実家がショボくてよーが口癖の彼は逆に金銭への執着があり、大貴族のクロードにはない視点を持っている。


「……みんなが無事でよかった」

「氏……」


 みんな感涙してる。普段はぶっきらぼうなアーサーが泣いてくれたので貰い泣きだ。そこまで俺のことをってみんな思っているのである。


「でも氏、クロード会長が……」

「クロードも取り返してみせる。教えてくれ、どんなことでもいい、クロードにつながる手がかりを」

「そうね、彼らがどんな様子で、あなたたちをどう扱ったかも知りたいわ」

「え、オネエの鑑定師……?」


 痴のグラーフの困惑は深い。ウェルゲート海の性事情は帝国と比べてガバい。



◇◇◇クロードSIDE◇◇◇



 カデルニアの砦で事情聴取が行われた。ドルジア軍の陣容から戦況、占領地の扱い、どこの戦場で出た戦果の詳細、都市の様相や軍備の詳細。事細かに情報を求められたために何が本題なのか軍務経験の浅い義勇兵にはわからなかった。

 クロードからも素直にしゃべっていいと指示を受けていたので義勇兵は協力的にしゃべり、多少は手荒に殴られたり罵倒されたが事情聴取そのものは四日で終わった。レベッカなどは品のない言葉を投げかけられたらしく終始怒っていたがそれだけだ。


 カデルニア滞在五日目の朝、ファリス、バド、メルトの三人を除いた義勇兵が解放された。装備や身の回りの物を没収されて身一つで異国の地に投げ出される。……町の外に放り出しての解放ではないのだけ有情ともいえる。


 軍師はクロードとの約束を守った。安全な市内での解放とその後の直接的な手出しは無用、ただし市内で犯罪に類する行いをした場合はその限りではないと。


 市内の広場での解放にはクロードも立ち会っている。


「クロード、すまねえ俺らがヘマやったばっかりに……」

「いいんだ。みんなを頼む、正規軍への合流なんて考えなくていい、どうにかしてアーバックスに向かってくれ。女王から保護を約束してもらっている」


「お前はどうするんだよ?」

「俺も帰るさ。いつになるかわからんがバドとファリスを取り戻して帰るから、パーティーの準備だけはしといてくれ」

「……料理が冷める前には帰ってこいよ」

「善処する」


 義勇兵と別れる。身一つで解放されるジョネスの手にこっそりと金貨を一枚渡しておいた。

 この解放に立ち会ったグラップラーの筋肉だるまは見て見ぬふりをしてくれたのか、はたまたクロード個人の財布から出した金は条件の範囲外と考えたのかは不明だ。追及する気もない。黙認なら藪蛇になりかねない。


「涙の別れは終わりか?」

「楽しんでもらえたのなら幸いだ」


 グラップラーが笑う。気落ちもなく威勢を張る様子を好ましく思ったようだ。


「その意気その意気、その調子でいろよ。敗残兵の気分でいられるとこっちも溜まらねえからよ」

「あの三人も解放してもらえるならすぐにでも元気になるさ」


 バドらは先行する軍師ジュリアスによってシャピロの首都まで連れていかれた。それは今から五日前の話であり、カデルニアに到着してバタバタしている時にさらりとやられた。

情報を与え、誤認させ、策を完遂する。あの軍師は日常的になんの気負いもストレスもなく策を使うのだ。


「そいつは甘えすぎだ。だがそう遠い話じゃねえよ」

「具体的には?」

「お前さんがうちの大将に心酔する頃さ」


 クロードが逃げる気も失せた頃に解放する。それまではどこぞに抑留されるかしてクロードとは離して運用されるのだろう。


「頼むから殺したりはしないでくれよ」

「しねえって。褒美ってのは大切だろ?」

「役に立てば定期的に会わせてくれるってわけだ。優しいんだな?」

「感謝はしなくていいぜ。どうせ一人ずつと面会になんだろ」


 舌打ちこそしないが気分はまさにそれだ。バドとファリスと再会できて警備が薄い状況なら逃げ出せる。だがどちらかの所在がわからない状況なら機会を待たざるを得ない。

 これはグラップラーの意見だろうが軍師もまた同じ考えのはずだ。


「暗澹たる未来で嫌になるな」

「そういうな。お前さんも大将を知れば心から仕えたくなる、あれは傑物だぜ、なにせこのダーパ・ラウの友だ」


「そういえば貴殿の名を初めて聞いたな」

「だったな。じゃあ改めてダーパ・ラウだ、祖国は東の果ての琉。実家は符術師の大家だ」

「クロード・アレクシスだ。アレクシス侯爵家の跡継ぎだったよ」

「じゃあよかったな。いずれはド田舎の侯爵よりもイイ目が見れるぜ」

(わからないな……)


 この男は見たところ脳みそが筋肉でできている類とは違い、知識階層の出身らしい考え方をする。そんな男が心酔する軍師の立場が理解できない。彼の言い分ではシャピロという歴史ある大国で高い地位にはなく、だがいずれは高い地位につくと信じ切っている。


(今はまだ動く時ではない、今はまだ……)


 気運未だ来たらず。一度のみならず二度も破れて配下となった身、三度動く時は見極めねばならない。あの軍師は三度目の失態は許さない、どういった事情であれ例え自らが相手なのだとしても三度失態を犯す無能なら身内に抱える意味はないと文字通りに切り捨てるはずだ。むしろ三人を連れての逃走に成功したなら拍手さえくれるかもしれない。

 共にいた期間は短いがあの男はまさしく王者の在り方を体現していた。


「それで、俺にはどういう仕事をくれるんだ?」

「オレと一緒に聖王国方面の内偵だな。大将は予知姫リーナをご所望なんでな、さらう準備だ」


 さすがのクロードも開いた口が塞がらなかった。

 いったいどんな頭をしていれば聖王国アルスの権威そのものである予知姫の誘拐なんて大それたマネをしでかそうと思うのか。どう考えても狂人の行動だ。成功などするわけがない。しかもそんな任務に試用期間中のクロードを投入するのだ。


「どうしたよ?」

「いや、なんというか自分の欲望に正直な男なのだと思ってな……」

「自制するのはやめたんだとよ」

「自制するのをやめたからといって予知姫の誘拐なんて企むものか……」

「まぁ見てろよ、大将は世界に覇を唱えるつもりだぜ」


 再びクロードの口が大きく開いたまま閉じなくなった。閉じることを忘れているのだ。

 夢はでっかく世界征服。どうやらあの軍師は己が思う以上に大きい男のようだ。



◇◇◇???SIDE◇◇◇



 千年を超える歴史ある大国シャピロは斜陽の帝国であるがその権威や富は未だ健在である。


 小水路の流れる涼やかで見通しのよい玉座の間は王城の最も高い場所にある。枯れた世界樹をくりぬいて建てられた王城の頂点で、さながら傲慢な神のごとき面持ちで、玉座ならぬ寝台に身を横たえる神獣アルカドラの背中に肘をつきながら寝転がり報告を聞くシャピロの少年皇帝バルトロメウ=シャリオがいた。

 玉座の間にあって臣下は思い思いに絨毯を敷いて胡坐を掻き、王と向かい合う。お国柄だ。臣下の中には腰巻一枚の奴もいる。暑いからだ。なにしろシャピロの気候は温暖を通り越して赤道直下の国くらい蒸し暑い。


 威力偵察から帰った軍師が報告を行い、臣下どもががやがや騒ぎ出す。皇帝の前であっても相談も自由だ。シャピロは古くからそういう国だ。


 騒がしい中で大柄な老武人が大声を張り上げる。


「今こそが好機であるな! 今こそ失われた国土を取り戻す絶好の機会、在りし日の偉大なる大帝国復活のための先兵はこのガラディーンにお任せあれ!」


「ふむ、やる気があるのは良きことだが……」

「王シャリオよ、ダーナの垂らした好機の糸はすぐに掴まねばならぬぞ。古来戦の勝敗を決めるのは三つの気運ありといい今が三つが揃ったと見る。あとは決断されるだけだ」


 古くからシャピロ王家に仕える大将軍ガラディーンが威圧感ありありに怒鳴る。こいつはいつもこうだ。怒ってもいないのに大声だ。

 ちょこっとやる気に欠ける様子の少年皇帝がどうしたもんかと悩む素振りを見せると……


「老いた犬が吠えるな」


 新参の軍師が口を挟んだ。これにはガラディーンも一瞬で沸騰する。


「誰に向かって口を利いているつもりだ!」

「お前だお前、うるさいだけの老犬お前だ」


 軍師は引かない。これには臣下のみなさんも相談事をぴたりと止め、事態の推移を見守るムードだ。

 王の後見人でありひ孫を正室として嫁がせている王宮でも最大の権力を持つ大将軍と皇帝のお気に入りというだけの新参者が喧嘩を始めたのだ。巻き込まれたいわけがない。


 ガラディーンが気色ばんで詰め寄り、だが軍師は視線も向けず座ったままだ。

 これをどう見るかは人と立場に寄るが、ガラディーンからすれば口先だけは威勢のよい若造がビビッてこっちも見れぬのかとなり、軍師にしてみれば老犬と戯れてやる気もないと無視の構え。


「老犬はすぐに吠える。もはや手足は衰え自ら狩りもできぬくせに過去の栄光にすがってみっともなく吠える。なんと見苦しい姿か」

「ワシがもう狩りもできぬと抜かすか。よかろう、お前で証明してやろう」

「やってみろ」


 ガラディーンがゲンコツを握り固めた時だ、王が制止する。それはシャピロ王家にしばしば発現する脅威の魔眼の発動という形で行われた。

 王の威圧が広がっていく。玉座の間の欄干で羽を休めていた鳥が一斉にはばたき、人は呼吸を忘れた。


「余の前でくだらぬケンカはやめよ」

「しかし侮辱されたままで済ませるわけにはいかぬ」

「身に降りかかる火の粉は払わねばならぬ」


「ふんっ。まったくどちらも被害者面をしおってからに」


 少年皇帝シャリオが鼻を鳴らす。


「まずはガラディーン、やりたいのであればやってみせよ。余は功績を挙げる者には寛容である」

「ハッ、必ずや勝利を持ち帰りますぞ」


「次にジュリアス、お前の意見も理解できるが余はこれこれこういう理由で無理だなど聞きたいわけではない。何をどのようにすれば可能かを聞かせろ。王の耳に入れるのだ、つまらんイイワケなど要らぬぞ?」

「無論、大戦略の用意がある。少しばかり王の伝手を借りることになるがな」

「伝手か……、長くなるのであれば書面にまとめるがよい。今晩にも夕餉を共にしよう」

「では今は出直すとしよう」


「皆も下がれ、酷暑期の正午にまじめったらしく働くなど動物の在り方ぞ。冷やした酒でも飲んでゆったりしているがよい」


 真夏のシャピロでは朝に働き昼に木陰で休み夕方に働くのがセオリーだ。町に出ればこの時間は商店もしまっていて、酒場は満員というのが常。これもまたお国柄といえよう。


 玉座の間を出た軍師は廊下のド真ん中を肩で風を切って歩いていく。臣下を率いての堂々たる態度である。


「あれはダメだな。王の傍にいる老犬はもはや使えぬ」

「そうかいね、まだまだ壮健だと思うけどねえ」


 応じるのは軍師の側近にしてデス教団大司祭のエレノアである。人間を見てもアンデッドの素体にしか見えないという筋金入りのネクロマンサーだ。


「ああは言ったが動けはしよう。だが考えが古くなっている、戦術はともかく戦略への理解も浅い、あれでは新時代のシャピロについてはこれまい」


「辛辣だねえ」

「甘くする理由がない。王は飛翔を願っている、だが情とこれまでの功績があるゆえ老犬を始末できぬのだ」


 ここでエレノアが勘づいた。

 先に行った報告に用いた文言とガラディーンへの挑発の意味に気づいて、老ネクロマンサーがくつくつと笑い出す。


「そうかいそうかい、やはり殿下は恐ろしいお人だねえ」

「あれなる老犬なんぞのためにこちらが傷を負うことはない。戦死が望ましい」


 邪魔なガラディーンには戦場で死んでもらう。老犬には上出来な末路だ。


 かつてシャピロの少年皇帝は気まぐれに触れを出した。退屈で死にそうな余を見事笑わすことができたなら望むものをくれてやるという何とも酔狂な立札を国中に立てさせ、王宮には長蛇の列ができた。

 つまらぬ芸をしようものならその日のうちに闘技場で魔物に喰わせた。残虐皇帝の名に相応しいエピソードだ。


 そしてその時期にちょうどシャピロに滞在していた軍師が立札に目を留め、長蛇の列を蹴散らして王宮に乗り込み、王を叱った。


『王命をくだらぬことに使うな! 貴様が本物の王者だと自負するならば王者の在り方を示せッ、王者の生涯に退屈など存在せぬ!』

『王者の在り方とな? 市井の身にしては大言を吐くではないか、では余に王者の在り方を教えてくれるがよい』


 軍師は王者の在り方を説き、それを面白いと感じ入った少年皇帝は軍師を師と仰いで王宮に招き入れた。


 これは歴史的に見れば悲劇の類なのかもしれない。出会ってはいけない二人が出会った歴史的な瞬間なのかもしれない。


「強大なELS諸王国同盟を崩す好機だ、ドルジアの動きを最大限利用するぞ」


 遠く南の地にて中央大陸四強の一角、シャピロが大戦略を打つ。

 第一のターゲットは聖王国アルス。ELS諸王国同盟の盟主にして数のちからで中央大陸の動きを制してきた予言者の国だ。

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