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最終章 『春のマリア』  作者: 松島 雄二郎
聖と魔のフロントライン
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暗夜の追跡

「探したぞ!」


 グリードリーは僧兵局にはいなかった。同僚に聞けば領邦内の見回りに出たらしい。一応決まったルートがあるのでアーサーはルートを辿った。……それが苦労の始まりだった。


 さながらおつかいクエストのごとく様々なところをたらい回しにされた挙句の果てにハープエリンディア山脈の中腹にある農村でお酒を飲んでいるグリードリーを見つけた。もはや日が傾きかけている。いったい何時間探したのやら。


「随分と探したぞ!」


 農村に一個だけある酒場のカウンターでこっちに向かってひらひらと手を振っているオカマの悪徳信徒グリードリーはほろ酔い気分で機嫌がよさそうだ。とはいえこの男が不機嫌なところなど見たこともないが。


「はぁいアーサー、その様子だと用件はあれかしら?」

「魔神から話はついていると聞いた」

「ええ、話ならついているわ。それでどっちにする?」

「労力と対費用効果から―――」


 言いかけて、やめる。

 グリードリーが答えを待っている。その逡巡さえも愛おしいと言わんばかりの様子だ。仕事終わりにいい酒が飲めて上機嫌なのだろう。


「生徒会のみんなの安否が心配だ。彼らの救出に協力してほしい」

「はいはい、そっちね」


 グリードリーの右目が怪しく稲妻を放つ。

 あいにくアシェラの秘儀の詳細を知らないアーサーには彼が何をやっているのかわからない。


 鑑定はアシェラ信徒の持つ能力の一端でしかない。万物の状態を見極め、現在と過去を照らし合わせ、英知によって真実を見極める調停者の在り方のいわば一要素でしかないのだ。


「何をしているんだ?」

「しっ、あなたを対象に発動した過去視の時間を巻き戻しているところだから集中させて」

「そうか。邪魔をしてすまない」


 しばらく待つ。

 手持無沙汰なまま待つのも何なので酒場で水を貰う。腹に溜まるものも欲しいので追加でパンとスープも頼んだ。一度手をつければ手がとまらないほどの空腹を抱えていたのだと食べ始めてから気づいた。

 なによりこの国のメシはうまい。美食で知られる豊国のものとは味付けが異なるが、食文化のちがいをささいなことと流せるほどにクオリティが高い。こんな農村の酒場までもがだ。驚嘆すべき出来事だ。


 おかわりに手をつけている最中にグリードリーが口を再び開く。


「ねえ、この19日間のどこでも性を発散していないんだけどあなた本当に思春期の男子なの?」

「うるさい、そんなことはどうでもいいだろ」

「そんなことなのね。うーん、そんなことなのねえ……」


 またグリードリーが黙り込む。

 再び口を開いたのはわりとすぐだ。


「へえ、ふぅん、そうかそうか、ここにいたのねえ」

「誰の話だ?」


 グリードリーが神妙な顔つきで首を振る。興味を持たないでほしいと言いたげな仕草だ。


「こっちの話よ。うん、簡単にだけど状況は把握できたわ。あなたたち義勇兵を襲ったのは神聖シャピロの偵察部隊よ」

「偵察部隊とは思えぬ精強さであったがな」

「そりゃ軍師ジュリアス直属の精鋭部隊だもの、当然よ」


「聞いたことがない名だ。こちらでは有名なのか?」

「有名になる途中の新参者よ。シャピロの少年皇帝『残虐帝』シャリオのお気に入りで、シャピロという古い国の中で飛ぶ鳥を落とす勢いで躍進を続ける若き軍師ジュリアス。とびきりの厄ネタね」


「それでみんなの安否は?」

「まだ無事よ。と言っても十九日も前の時点だから急がないとね」


 グリードリーが立ち上がる。


「あまり遠くだと像がブレるの。追いましょう。……旅立ちの準備はできてる?」


 宿に荷物を預けてあるが歯ブラシのようなどうでもいい物ばかりだ。先に払ってある宿泊費の分が切れたら宿が勝手に処分するはずだ。

 多少ながら話をする相手もいた。だが今生の別れというわけでもない。


「問題ない」

「そう、じゃあ行きましょう」


 外はすでに暗くなっていた。薄く空にかかった雲が月明かりを隠す夜に、アシェラの導きの灯を頼りに山を下りていく。



◇◇◇◇◇◇



 戦場と化した草原地帯は暗夜にありてひどく不気味な場所だ。風に混じる腐臭と邪霊の不気味な笑い声。起き上がり蠢くモノどもの影。普通に追いはぎに来ている遊牧民のみなさん……


「逞しいわねえ」

「本当にな」


 遊牧民のみなさんにとって戦争は古くなった武具の調達エリアやそれらを売っての希少な外貨獲得チャンスだ。もちろん手負いの兵隊にトドメを刺したり、金を持ってそうな敗残兵を襲うこともある。

 彼らは味方ではない。虎視眈々と両軍を狙う猛禽類のような存在だ。


 暗夜の戦場を走るアーサーが忌々しそうにぼやく。


「彼らはアーバックスの国民なのか?」

「領邦内に住んでいる隣人って感じね。恭順するつもりはないけど取引には応じるって感じで、感覚的にはたまに森から出てきて商売をするエルフのようなものよ」


「ならば始末しない方がいいか」

「ドルジア義勇兵としてのスタンスよりもこちらを尊重してくれて嬉しいわ。血の恩讐に巻き込まれると面倒だもの」


 遥かな昔ここには偉大な王国があった。王国には法があり、罪人は被害者及び家族の手で犯した罪と同等までの刑を執行された。20オンスの金を盗めば20オンスの金を賠償し、目を抉れば目を抉り取られる。終わりなき復讐に歯止めを利かせるための法であった。

 年月が流れて古代王国が滅びた後もこの地には風習として法が残っている。それが血の恩讐。罪を犯せば一族が一丸となって罪人を追い詰める復讐の掟だ。形骸さえもなくなったかつての法は中身だけが溢れ出し、今では歯止めなど欠ける者もいない過剰な復讐の口実となっている。


「衝突はしなかったのか?」

「したわよ。でもうちの救世主さまは敗者を貶めない男だもの」


 刹那脳裏に響き渡ったのはあいつのガハハ笑いであった。

 倒した相手の手をとってグッドゲームとか言ってる姿だ。


「今日の敵とは明日には友になれるかもしれない、明後日にはまた敵になるかもしれないけれど最後に友になっていればそれでいい。そういう人だからあの面子を従えていられるのよ」

「あの面子、あぁ……器の大きさは認めるが」

「トップはそれでいいのよ。彼の見ていない細かいところはアタシたちが埋めればいいのよ」


 並走するグリードリーの足がとまる。

 何もない場所だ。血と大勢の足跡に踏み慣らされただけのただの草地だ。どうして止まる?とアーサーが視線を巡らせて情報を集めて……


 ようやく気づいた。ここはシャピロの偵察部隊に奇襲を受けた場所だ。


「ここなら視えるか?」

「山の中よりはマシって程度よ」


 詳細は語るまい。アシェラ信徒は秘儀の詳細を語らない。彼らは情報の重要性を理解していて、何千年もかけてその御業を理解しようと情報を集めてきた西方五大国でさえその御業のほとんどを知らないのだから。

 グリードリーが再度鑑定眼を発動する。


「そうよね、アスコットもいるわよね、そりゃいるんでしょうけど厄介ねえ……」


 グリードリーが鑑定眼を発動している間にアーサーも調査を行う。地面に残る不自然に十数名が膝を着いた痕跡。多少は風雨や馬に踏み荒らされているがまだわかるほうだ。

 これが移動させられ、随分と離れた場所にあった四台の馬車に詰め込まれた。四両分の轍と軍用騎獣の足跡が南西へと向かっていく。


 ここまで調べたところでグリードリーが合流してきた。


「その痕跡はクロードも見つけたようね。追っていったわ」

「どうなった?」

「足跡を追うだけでは追いつけないと判断したようね。追跡を途中でやめてカラビット渓谷での待ち伏せに切り替えたみたい。彼は最初からシャピロの線を疑っていたみたい」

「だろうね」


 あの軍がラフレシア帝国のものなら本国のある北に向かったはずだ。

 この足跡の向かうままに南西に逃げるのであれば国籍は不明だが、おそらくクロードはこの足跡が途中で転進して南東に向かい始めた時点で断定したのであろう。

 戦場から完全に離脱するために南西に逃げ、追っ手はなしと判断して本国への帰還路へと転進した。そういうことだろう。


「クロードの待ち伏せは成功したのか? ここからでは視えないのか?」

「行きましょう……」


 一段と疾走の速度を早めたグリードリーを追う。

 暗夜の旅は未だその決着の地を隠したままだ。



◆◆◆◆◆◆ 



 アーサーたちの追跡から19日前、夜明け。


 追跡を続けるクロードは逃走する部隊の転進を知った。それまでウィンゲルト方面へと向けて直進していた足跡が突然南東へと折れた。

 ここまで一直線にこちらへと向かっておきながらの突然の急転進。その理由は明白だ。


「そうか、あの軍はやはりシャピロか。……となれば先回りできるかもしれない」


 このレンテホーエル大平原からシャピロ領内に入ろうと思えばルートは三つ。西回りにウィンゲルトから海路。東回りに交易路。さらに東という線も無理筋ではあるが最優先で抑えるべきは東回り交易路だ。

 クロードが地図を広げる。ユークリッド大森林に南側を塞がれたレンテホーエル大平原からシャピロへと抜けるには大森林の東の端にある山脈を越えるより他にない。ここは大陸交易路になっており、快速での帰還が可能だ。この帰還路の途上、待ち伏せに適した場所は……


 クロードの指が地図上を滑っていく。


「カラビット渓谷なら捕捉できるか」


 本国にたどり着く前に仲間を取り返さねばならない。

 情報を取るのが目的なら本国までは生かしておくはず。だが尋問が始まったら何人かは見せしめに殺されるかもしれない。クロードは本職の尋問官の技を知らない。ゆえに恐怖ばかりが募る。時に現実よりも人間の持つ想像力の方が残酷な恐怖絵巻を描くのだ。


 コンパスを手にクロードが加速する。その脚は全速で走る軍用騎獣を凌駕する。彼は奪還の地を定めた、ここより南南東227キロの距離にある大陸交易路カラビット渓谷。細く入り組んだ隘路こそが襲撃地である。

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