アーサー③
「乙女だ……」
兄の一人が僕らの後見人として名乗り出てくれた。
ラウ・アドロン。すでに成人した王族であり王宮守護を任務とする円盾騎士団の団長職にあるアドロンは精悍な青年で、ラスト姉様からも信頼の置ける人物だと紹介された。
真面目でまともで真っすぐで、いつもちょっぴり汗臭くてお顔立ちがやや怖くてアレだけど誠実な方だから頼っても大丈夫だそうだ。……前から思っていたが姉様は褒めた分だけ貶してもプラマイゼロだからセーフとか考えてやしないだろうか? 三回褒めても三回貶したら普通に嫌な想いをすると思うのだが。
そんなアドロン兄上はアルマを見た瞬間に呆然と立ち尽くしている。僕としては怖い反応だ……
「うちの腐れ妹どもの中にこんなにもまともそうな乙女がいたとは……」
「ろくなのがいないんですね」
「いない。はっきり言ってラストやココアでマシな方だ」
「呪われているんですかこの一族は」
アドロン兄上が涙ぐみ始めた。理由は不明だが僕はやや引いている。
出会って数分でじゃっかん……そう、じゃっかんこの人気持ち悪いなと思い始めている。
「……ぐす、なぜだかお前からもまともそうな雰囲気がしている。アーサー、これからは俺のことをじつの兄のように思ってくれていい」
一応じつの兄であることは確かなはずだがなぜか、本当になぜか……
いやだな、そう思った。
◇◇◇◇◇◇
アルチザン家には朝議という風習がある。王宮に住む成人王族は王と共に朝食を摂り、食事の合間に政治や職務について話し合う風習だ。また不思議なもので朝議には観覧費を支払った平民や貴族も見物が可能だ。
ラスト姉様から一度は見ておきなさいと言われたので金を払って見物してみたが退屈なものだ。民がこれのどこに面白さを見いだしているのか不明だ。
そして見物を終えて離宮に戻るとアルマからどんな話をしているのかを聞かれたが僕の記憶に残っているのは献立くらいのものだった。
「アーサーったら何をしにいったの?」
「さあね、彼らが何を食べてるかを見に行ったんじゃなかったかな?」
ソファに寝転がって読みかけの数学書を再開する。淑女たちとの恋の語らいをやめてから時間を持て余すようになった。復讐のために手に取った剣は役目を見失ってあれから手にも取っていない。
以前は義務のように読んでいた学術書も暇つぶしに読むのなら随分と面白く感じる。心に平穏が訪れるとはこのような心持ちであろうかとマルクト師に言ったら「馬鹿者め」とどやされたんだったな。
怒りも憎悪も心の内に溜めたまま吐き出さないと決めた。
アルマの平穏を守るために復讐ではなく恭順を選んだ。これ以上を求められるのは贅沢というものだ。
「アルマ、他に本はないのかい?」
「ラブロマン―――」
「ファンタジーに興味はないね」
ラブロマンス小説は幻想小説だ。あんなに魅力的な女の子もいなければ、路傍の野花に目を留める貴公子だっていやしない。
人は誰かに自分の話を聞いてほしいだけで、誰かが何を考えているのかなんてどうでもいいのさ。
「……アーサーの汚れた心にこの高尚さは理解できないのね」
「ハッ、言うじゃないか」
本というものを自分の予算で買い求めるようになって感じたのは随分と高価な品物だという事実だ。
背負い式の書棚を背負って王宮を訪れる商人からあれこれと買い求めるや僕に割り当てられた年間予算はすぐに底をついてしまった。まったく不満なことにアカネイアの離宮の頃の方が随分と贅沢に暮らせていたので現状にミゼラブルを感じるばかりだ。
本というものは高価な資産だ。立派な装丁を施したインテリアの一種になっているせいで高値になる。
「……読めるのならペーパーパックのような安物で充分なんだが取り扱ってはいないのか?」
「アルチザン王家の方がお読みになるものには品格もございましょう」
「品格ね。読み物なら高尚な表現や一目読めば声に出したくなるフレーズで品格を表現するべきだ、そうは思わないか?」
「ははは! 殿下は面白いことをおっしゃる!」
何一つとして面白いことを言ったつもりはない。どうもこの商人はポンコツらしい。
というか王宮にやってくる御用商人とはどうも反りが合わない。彼らは王家から金を引き出すことしか関心がないのだ。
金がない。となればやることは一つだ……
「ラスト姉様」
「あら、どうしたのアーサー、お姉様が恋しくなっちゃった?」
「じつはアルマにドレスを買ってやりたいのですが少々手元が寂しくて……」
「あらそうなの? じゃあこれで買っておやりなさいな」
すてきなドレスができたらわたくしにも見せてねと言い残して去っていったラスト姉様にはとても見せられない顔を僕は今しているだろう。
金貨を三百枚調達できた。これで本を買おう。しかしどういうルートで購入するのがよいだろうか……
◇◇◇◇◇◇
「お前もずいぶんと腕が立つと聞いたのであります。いざ尋常に勝負!」
調達した小遣いの使いどころを思案しているとココア姉がダッシュからの急停止で現れた。こいつもまた嵐のような人物だが迷惑の度合いを計測するにまだ心に優しい嵐だ。本物はなんていうか心が不安で堪らなくなる。
「申し訳ないが今は用事が―――」
「逃げるのでありますか?」
「じゃあ逃げるよ。怖い怖い、怖いから逃げる」
「むぅ、可愛くない弟なのであります」
それとラスト姉様に比べて扱い易い。単純な気質も相まって脅威度は低いと見た。上に立ててやれば敵対する可能性は低いのだろう。
「そんなことよりアノンテンには詳しくなくてね、書物の仕入れ先を探しているんだがココア姉さんはいい場所を知らない? なんだその顔?」
「……自分から好きこのんで書物を買うなんてアーサーはひょっとして変な子なのでありますか?」
僕が言えた話ではないがこの姉はきっと勉強も嫌いなのだろうな。
「そんな変人がメルキオール兄様の他にもいるとはシンジラレナイのであります」
「メルキオールか。会ったことはないな」
しかし本を率先して購入する人物の書棚には興味がある。うまくすれば幾つかを借りられるかもしれない。
「メルキオールに紹介してくれないか?」
「留学中なのでしばらくは帰ってこないと思うのであります」
「留学ね、それはまた随分とお気楽なことだ。どこに?」
「祈りの都であります」
中々興味深い留学先だ。古くから学問の聖地で知られる祈りの都にはさぞ多くの出会いがあるのだろうが、暇つぶしの読書のために留学までするのは労力と見合わないな。
「じゃあメルキオールがどこで本を買っていたかは知らない?」
「それなら……」
ココアが何かに気づいた様子だ。
「では勝負に勝てたら教えてやるのであります」
「そうきたか。うん、それでいこう」
「よし、姉の偉大さを見せつけてやるのであります!」
なんとなく予想はできていたがココアはかなりの遣い手で、多少の手を抜く必要はあったがギリギリを演出して勝てた。
ココアは不満そうだ。弟に敗れるのは彼女からすれば予想の外だったのだろう。
「仕方ないので教えてあげるのであります。ハウスセールであります」
「ハウスセールか、そうか、なるほどね」
屋敷を引き払う時に家財を処分するパーティーがある。あいにく話に聞いたことがあるだけで参加したことはないがちょっとしたお祭り騒ぎであるようだ。
ただハウスセールが行われるのは多くがリゾート地であり、参加者はほぼ招待客で占められる。アルチザン王家の肩書きがあれば当日に向かっても歓迎されるかもしれないが……
いつにどこでハウスセールを開くなんて情報はそれこそ主催者の親しい人にしか出回らない。妙案だとは思ったが惜しくも役に立ちそうもない。
「役に立たないとか思ってそうでありますね?」
「そんなことはないよ」
「勝負で出した情報であります。自分もここは最後まで協力するのであります。顔馴染みに開催日を聞いてきてあげるのです」
と言ってココアが走っていった。なんとも忙しない姉だ。
そんなココアは小一時間後に戻ってきた。
「朗報であります! 明後日にネヴァン区のハノーファー侯爵のハウスセールがあるのであります!」
「早いな……」
誰に聞いたのかと尋ねてみると訓練に参加している赤薔薇騎士団の友人からのようだ。この姉は行動力もそうだが顔も存外広いようだ。
―――へえ、彼女のことが好きなんだ?
そんな話はしていなかったと思うがね。……? 誰だ?
―――心を押し殺して自制するのに慣れたキミにとって彼女は本心をさらけ出しても構わない気の置けない相手だ。そういう異性のことを好きだと表現するのは何も間違いではないだろ?
―――キミの在り方は見せてもらった。願いを口に出さないで我慢するのがキミが獲得した生存戦略なんだね。
―――ボクとしては思うところもあるが人の世の息苦しさを知らないボクの意見ではきっと的外れになるんだろうね。だから無理に変われなんて言えないな。
―――さあ目覚めなよ。
意識の外にあるもう一枚の目蓋が開いた。
黄金の羽が舞う。いったい何事かと状況を確認してギョっとした。魔神に添い寝されていた。
裸体の魔神に添い寝されていた。
「うわあああああああああああああ!」
しゃにむに四本の手足を使って全力で逃げた。
◇◇◇◇◇◇
魔神から逃げた。魔の大神がさも純真な乙女ぶって添い寝をしていれば当然だ、誰だって逃げる。
だが当の魔神は「ボクは傷ついたよ」と言わんばかりの態度でこっちを見ていた。……この心臓の高鳴りは恐怖にちがいない。他の要因では絶対にないはずだ。
「普通なら喜ばれるんだけどな。少しばかりいじめすぎたかな?」
「面白くもない冗談だ」
魔神が立ち上がる。服などというささいなことはどうでもいい。
どういうつもりなのかが問題だ。戦いを続けるつもりなのなら―――
「逃げる算段なんてつけなくてもいいよ、キミのことはだいたい理解できたつもりだ」
やはり先ほどの夢と介入する声は魔神の仕業か。
そのために一度殺したのだとすれば随分と手間のかかったマネをする。
「死の間際には心が緩む。キミにさえわからない願いを視てやろうと思ったが、どうやらその必要はないようだ」
「必要か……」
無いな。たしかに無い。
僕はリリウスについていきたかった。クロードの手助けをしたかった。置いていかれた意味がわからないわけじゃない、でも僕はクロードを見捨てたくない。生徒会のみんなを助けにいきたい。
「いい顔つきになったね。じゃあ自分のやるべきことはわかるね?」
「ああ、己の心に従う。それだけでよかったのに随分と回り道をした」
答えは最初から心の中にあったのだから探す必要などなかった。
ちからがなかろうが泥水をすすってでも成し遂げなければならない、それだけのことだったんだ。
「僧兵局にグリードリーという男がいる。話はつけてあるから言ってごらん、きっと仲間の居場所を教えてくれる」
「感謝する」
「どういたしまして」
魔神が可憐に微笑んで、不思議な高揚感が心に満ちていった。理由は不明だ。
不明ながら全身にちからがみなぎる。全能感とでも表現するしかない高揚感に満ちていて、この程度の高さならこのまま都市部へと飛び降りても問題ない気がした。
玉座の間に空いた大穴から飛び降りる。もはや僕にこの心に従わない理由は何一つとして存在しなかった。
◇◇◇ティト=プロメテアSIDE◇◇◇
眼にかかった迷いの霧を振り払い、一つ頼もしくなって蘇った青年が空中要塞から飛び降りていった。
その迷いのない動きを見るにやはりヒトの成長は早いのだなと感心もする。
神は変わらない生き物だ。だから自分は変わるのに随分と辛酸を舐めて長い年月がかかった。それに比べれば彼らはなんと自由なことか。
「ふっ、ふふ!」
魔神が嗤う。その邪悪な願いが達成されたとでも言いたげな微笑みだ。
「全部必要な行いだったよ、まさかボクが何の意味もなく試練を与え、立ち合いまで許したと思う?」
しかしこの魔神は底が浅い。
「キミは魔神の闘技を七度よけ、四度の斬撃を我が身で受けた。死をもって古き己と決別して我が神威の炎にて新たな肉体を得た」
そして案外ヒトが好きだ。
「喜ぶがよい我が信徒よ、見事洗礼を乗り越えたキミに新しい名を与えよう。ソラーイーリス、あの宇宙まで飛ぶ六枚の羽を持つ怪鳥だ」
最終試練にて彼が積み上げた神気による存在昇華。大いなるモノとの戦いによって獲得した偉業。そういったちからをけして無駄ではない。
この先も彼は何度も迷うかもしれない。苦しむかもしれない。だが意思さえ確かならどんな高い壁だって越えていけると願って、魔神は新たな信徒を送り出す。
ラストさんのやらかしランキング
一位 父王監禁事件
「お父様はお馬鹿だから叩かれないとわからないのねえ」なんて言いながら一撃で瀕死に追い込まれた父王グラーエイスは気絶も許されずに玉座の間で六時間のあいだ小突かれ続けた。その間に奪還を試みた騎士322人が全員名誉の戦死を遂げ、その中には国家英雄も六人いた。
その後ラストは夜になると普通に眠ったためにこっそりと実行した救出作戦があっさり成功。なお起床後のラストさんが普通に昨日の続きをしようと思って騎士の死体を引きずりながら「お父様どこー?」と王宮を練り歩き始めた。グラーエイス王の生き残りをかけた極限王宮サバイバルはしつこく半年に亘って続いた。
様々な対策というかラスト暗殺も決行されたが加害者が被害者になっただけで豊国の戦力が大幅に弱体化しただけに終わったと同時に現時点での豊国最強の座がラストさん(七歳)だと判明した。
なおこの事件以来グラーエイス王はラストさんには逆らえなくなり、凄まれただけで泡を噴いて倒れるようになった。
被害者談「あれ以来娘の顔を見ると心臓が痛むようになった。もしかしたら恋かと思ったが医者はトラウマだと言いおった、ワシも同感だ」
二位 エリアクレンジング
あまりにも忌まわしい事件なので王宮日誌から抹消された地域消失事件。ラストが訪問したとある地方の住人が突然消えてなくなった。死体どころか血痕一つ残っていない不可思議な事件解明のために太陽からS鑑定を呼び、真実を知った王は王宮日誌からの削除を命じた。被害者はおよそ二十万人だといわれている。
これがラストが王宮から追い出された直因である。
三位 王宮爆破事件
父王グラーエイスの長男グラールがラストさんを怒らせ、なぜか教えてもいないスキル・エクリプスがこれまたラストさんが使えるはずもないイフリートティアラによって増幅されたMATK14000超の超広範囲ドラゴンブレス級戦技が王宮内で炸裂した。
三位ではあるが被害額は堂々たる第一位である。ダントツだ。
四位 お見合い相手殺害事件
「わたくし殿方には逞しさを求めておりますの(うっかり殺してしまうといけないから)」
「麗しき王女をお守りする強き雄をお求めと。可愛い人、私があなたの求めた男になりましょう」
「ほんと? 嬉しいわ、じゃあ試してもいいかしら?」
「ええ、どうぞどうぞ、はっはっはっは!」
可愛いパンチでもくるのかなー?って思ってた屈強な騎士が暗黒の五指に引き裂かれるまであと五秒。
これまで徹底的な禁言令と情報封鎖を敷いてきたゆえに秘匿されてきたラストさんのやばさが豊国に知れ渡った事件。この事件以来……
「ぼ…僕にはラスト様の夫は務まりません!」
交際どころかお見合いの時点でお断りされるようになった。
癒しを求めてアルマの寝室に駆け込んでくる回数が増えたとか増えないとか増えてる……
最後に恐ろしい事実としてラストさんは看破スキルをお持ちだ。お前の嘘ぜんぶバレてんぞアーサー。
ラストさん的にはあの不憫な弟をどうにかしてあげたいという考えがあり、甘えさせてきたところがあるらしい。あれでもだ。




