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最終章 『春のマリア』  作者: 松島 雄二郎
聖と魔のフロントライン
354/362

アーサー➁

―――何を考えているのかわからない陰気な子、それが周囲から僕に与えられた評価だった。


 父は豊国王グラーエイス。母は第七妃ルシエラ。僕と妹のアルマは二人の間に生まれた。王家の生まれなんて言えば聞こえはいいが僕らにとって王宮は息の詰まる牢獄のようなものだった。


 最も古い記憶は母の笑顔。僕らの作った花冠を頭に載せて父と一緒に微笑んでいる姿。


 次に古い記憶は天井から吊り下がる母の姿。幼い僕にもそれが何を意味するかくらいはわかったはずだ。自殺ではない、母は謀殺されたのだ。


 その次に古い記憶は去り行く馬車の窓から王宮を睨んでいた。どうして追い出されるのかも理解していない幼い妹を抱き締め続けたのは、妹のアルマだけは冥府に連れ去られないようにガキなりに考えてのことだった。


 物心がついた頃には豊国南の辺境、アカネイアの離宮で妹と二人で暮らしていた。よそよそしい使用人に囲まれて過ごす日々はいつも気を抜けず、彼らの悪意に対して無頓着を装った。

 ガキなりにわかっていたのだろう。こいつらは僕とアルマの敵だと。


 家族てきの息のかかった使用人に監視される日々は苦痛だったけど逃げ出そうなんて考えもしなかった。アルマには僕の他に頼れる人もおらず、病弱な彼女では離宮の外では生きられない。

 何を考えているのかわからない陰気な子とせせら笑う使用人どもにさえこの本心を隠した。僕の心は常に怒りと憎悪に満ちていた。


 ちからが欲しくて応接間に飾られていた大人用の長剣を振り始めた。

 ちからが欲しくて市井で露店を広げるアシェラの鑑定師に魔法の操り方を請うた。


 ちからが欲しかった。あいつらをみんな八つ裂きにできるだけのちからがあればといつも願っていた。


 転機が訪れたのはとある冬の日のこと。王宮を追い出された上級妃の娘が僕らの離宮へとやってきたのだ。恐ろしい邪神の加護を持って生まれた曰く付きの姫と使用人どもが噂する彼女とは会ったことがあるやらないのやら。僕自身王宮に住んでいたのはずっと昔のことなので彼女との思い出らしい思い出は残っていなかった。


 ひどく冷える降雪の昼頃。馬車から降りてきたのは澄んだ紫色の巻き毛の上に毛皮の帽子を載せた、絵本に出てくるお姫様みたいにお上品な年上の女の子だった。

 使用人どもに並んで彼女を出迎えた僕らに駆け寄ってきた彼女は、とてもではないが恐ろしい邪神の加護持ちの曰く付きには見えなかった。


「久しぶりねアーサー、アルマ、今日からご一緒ね」

「ラスト姉様、お久しぶりにございます」


 正直何も覚えていなかったがガキなりになけなしの社交性を発揮して話を合わせてみた。

 すると彼女は首をかしげて不思議そうにしていた。


「あら、わたくしのことを覚えているのね。あなたあの頃四つだったでしょうにえらいのねえ」

「ええ、もちろんです」


 もちろん覚えていなかった。


「嬉しいわ。これからもよろしくね」


 謀殺された下級妃の子弟と厄介払いされた王女。まったく何者の仕組んだ出会いやら。

 だが彼女がアカネイアの離宮にやってきたことが転機であり、僕らの生活は一変する。変化の兆しは彼女を歓迎する夕餉での事件だ。


 見たこともないような豪華な食事が彼女の前に並べられ、僕らの前にはいつも通りに貧相な食事が置かれた。半分にちぎられたコッペパンと具のないスープ、それが僕らのいつもの食事だ。


「料理人を呼んで頂戴」


 彼女はすぐに命令した。それは僕らのような木っ端王族とは違う本物の王族が言い放った命令であり、嫌な使用人どもが慌てて命令を実行する姿は小気味よかった。

 すぐにダイニングへとやってきた六人の料理人。彼らはすでに顔色が青ざめていた。


「確認するわ。これを作ったのはあなた方ね?」


 彼女が自分の目の前に並べられた豪華な料理を指さして言った。

 料理人たちは安堵し、我先にと料理へと施した工夫や厳選された産地をぺらぺらとしゃべりだした。


「そう。ではこれを作ったのもあなた方ね?」


 次に彼女は僕らの前に置かれた二枚の皿を指さした。スープの中に半分にちぎられたパンを入れた二枚の皿は今晩の僕と妹の食事だ。

 料理人たちは先ほどまでの饒舌が嘘のように口を閉ざし、だが料理長らしき男が短い言葉で認めた。


「ではあなた方は不要ね」


 彼女がそう言い放った瞬間、七人の料理人たちの体はバラバラに砕け散った。

 それはまるで空中を飛び回る見えない巨人の腕が人間の体をちぎって遊んだような死に方だった。


「離宮の管理者はどなただったかしら?」


「……わたくしめにございます。グラーエイス王に譜代より仕えるエルロ―――」

「あなたも要らない」


 ばちん! 初老の使用人が叩き潰した蚊のようにぺしゃんこになって死んだ。


「リューリス、彼の代わりに離宮を管理なさい」

「はい、お嬢様」


 彼女が王宮から連れてきた女騎士に命じた。これが王族が本来持っている権力なのだと僕は初めて学んだ。


「これより離宮の一切を取り仕切るリューリス・ファイナクランである。諸君らには今一度アルチザン王家への敬愛を思い出してもらうのが私の仕事であるが、くれぐれも再教育よりも新しく募集する方がよいと私に再考させないことだ。諸君らの後ろ盾が誰であれ遠くアノンテンから盾を繰り出すよりも早く私の剣が諸君らの首を斬り飛ばすぞ」


 この日から僕らの生活は一変した。

 彼女は離宮の内装にも文句があるらしく父王へと手紙をしたためると同時にアカネイア領主の下に向かい、当座の資金を借り入れるとイースの商人を離宮に引き入れ……


「良いように変えて頂戴」


 そう一言だけ命令して貧相な調度品を彼女も気に入るランクの品物に入れ替えた。


「料理人がいないの。どなたか良い人を紹介してくださらない?」


 この日のうちに殺した七人の料理人の代わりにきちんとした紹介状を持った十五人の料理人が離宮へとやってきた。


 彼女はまるで嵐のような人だった。だがとても優しい……僕らにとって都合の良い嵐だ。


「もうアーサーったら、あなたも不満があるならそう仰いな。言わないとこの人達はわからないんだから!」


 僕が言ったところで何も是正されることはなかったと指摘して何の意味があるだろう。

 だが心ではわかっていた。正しいのは彼女で間違っているのは僕だ。


「アルマはあなたが守ってあげなきゃダメなんだから。いいわね?」

「はい、ラスト姉様」


 だが僕らの気持ちなど彼女にはわかるまい。

 彼女は厄介払いされたとはいえ大領主の祖父という強い後ろ盾のある本物の王女様で、僕らは何のちからもない妃の子弟。彼女の言葉に宿るちからに比べて僕の言葉など市井の子供のように軽いのだと、彼女にはわからないのだ。


「……ねえアーサー、本当にわかってる?」

「は…はい」


 怪しげに光るアメジストのような紫色の瞳に見つめられた僕はこう答えた。この時の恐怖は今もハッキリと覚えている。そしてあの時の恐怖は紛れもなく本物であったと彼女と共に暮らす内に完全に理解した。


 ラスト姉様は嵐のような人だ。そして嵐は万人に等しく被害と恵みをもたらすのだと理解するまでそう長い時はかからなかった。……具体的に言えば翌々日には思い知らされた。



◇◇◇◇◇◇



 憎悪から手に取った剣だが密かな楽しみにもなっていた。

 剣は振り方や工夫で音を変える。よい音が鳴る時は手応えもよく、理想の斬撃を体にしみこませるように何度も繰り返した。

 見よう見まねで振り始めた剣術だがこの頃は形になってきたと密かな自負があった。


 いつものように庭園の隅、古い史跡で素振りをしているとなぜかラスト姉様がやってきた。散歩で偶然にたどり着くような場所ではないのだが……


 ラスト姉様は動きやすさを重視した騎乗服と見るからに英雄の持ち物というゴツい大剣を、まるで水筒でも振り回すかのように軽やかに持っていた。


「あら、もしかしてアーサーもトレーニング?」

「まさか姉様もですか?」

「ええ、淑女たるもの体型維持のためにたまには運動をしなくてはならないもの」


 この頃の僕はあいにく淑女がどんな生態をしているのか何も知らなかった。

 浅学ゆえの無知、ゆえに淑女なる戦闘職種はツヴァイハンダーを片手で振り回すのだと学んだ。


「そのドラゴンの首でも叩き斬れそうな大剣で運動ですか……?」

「いやだわ、ドラゴンなんてこんなものでは斬れないわよ」


 思えばこのセリフは完全にドラゴンを見た事のある人のセリフだった。

 だが当時八つか九つの僕ははく製か何かを見たのだろう程度に流した。


「せっかくだし一緒に運動する?」

「ええ、喜んで―――えぇ!?」


 喜んで、そう答えた瞬間に僕の左腕が粉砕され僕は空中を舞っていた。あまりにも現実味のない視界は空から大地を見下ろし、あぁ離宮を空から見るとこういう風景なんだなと現実逃避じみた感想を想ったのだ。


「アーサー! アーサー!?」


 泣き叫ぶ姉様の悲鳴が聞こえたと思えば次の瞬間には意識が飛んでいた。おそらくは落下によって首かどこかが折れたのだ。

 目を覚ますとベッドの上で四日後だった。


「うわーん、アーサー、無事だったのね!!」


 壁をぶち壊して病室に入ってきたラスト姉様のハグによって再度生死の境を彷徨いながら、姉様の言葉だけははっきり聞こえていた。


 その日の夕刻、姉様がなぜかこんなことを言い出した。


「アーサー、わたくし教会に入ろうと思うの」

「……?」

「アーサーがお怪我をしても自分で治せるようになりたいの!」

「姉様、僕に怪我をさせない努力をしてほしいです」

「じゃあ行ってくるわね!」


 大きなバッグを抱えて離宮を出ていったラスト姉様が大叔父にあたるマルクト助祭に摘まみ出されて戻ってきたのは翌朝のことだ。


 マルクト・カーム、後のカーム子爵。アルチザン家から市井におりた変わり者との噂だが彼自身は几帳面な男で、信仰に目覚めると同時に教会の腐敗した体制に嫌気が差してアカネイアの田舎で牧師をやっている聖者だ。……もっとも貴族的な観念に照らし合わせれば富にも権力にも興味を示さない変人になるのだが。


「こちらが今日からわたくしたちに術法を教えてくれるマルクト大叔父さまよ」

「……このお転婆を教会から引き離すために進んで生贄役を引き受けた酔狂な男じゃ」


「生贄……」

「おぬしの相手など生贄としか言えんわい。ったく、あどけない子羊の家に潜り込むにしてはおぬしは少々粗暴にすぎる。加減を教えるのがしばらくのワシの役目じゃな」


 信用のできる元王族の教師が離宮に住むようになった。マルクト老の手配で僕らに足りなかった語学の教師や数学の教師が離宮をおとなうようになった。



◇◇◇◇◇◇



 久しぶりにきた父王からの手紙はなんとも情けないものだった。


『ラストや、おまえが不満に思ったのならばアカネイアの様子は報告よりもひどいものであったのだろうな。しかしな、しかし伯爵に債権を売りつけるのはどうかと思うのだ。予算が欲しいのならワシが出してやる。お前から貰った手紙もそのような内容であったはずだ。しかしこちらに手紙が届く前に債権を売って金を作るやり方はあまりにも性急すぎる上に子供のやり口ではない。いったいこんなやり方を誰がお前に教えたのかパパに教えてほしい』


『あぁそれとアカネイアの離宮の年間予算を聖銀貨30000枚まで引き上げろというのは幾ら何でも度を越した要求だと思うのだがね。おかねのことはパパも色々と大変なのだよ。こんな予算を突然ぶちあげられても難しいのだよ。もう少し手心を加えてくれなきゃパパ泣いちゃうよ? いいの?』


『アーサーよ、ラストがむちゃくちゃをやらかさないかワシは不安でならぬ。あの子のことは事細かに報告をあげよ。報告は毎日必ず行うように』


 これが本当にあの厳格な父王からの手紙だろうかと首をひねる内容だ。

 これはなんというかすぐに暴れ出す竜に対して平伏しながら慈悲を請うような手紙だ。そして姉様はこの手紙を僕に読ませてすぐに窓から放り投げた。


「よろしいのですか?」

「よろしくはないわね。お父様はダメね、アバンス様の方に働きかけましょう」


 あぁこの人は何がなんでも予算をもぎ取るおつもりなのだなと戦慄したのを覚えている。これが王族のやり方、王族ならば己の願いをこのようにして叶えるものなのだと学んだよ。


 僕は姉様を通して王族というものを学んだ。

 あのクズどものやり方を学び、いつかこの憎悪をぶつけるためにだ。剣術では奴らを倒せない、僕は権力との戦い方を学ばねばならなかった。


 悪意をぶつけられても何も気づいていないフリをして薄笑みを浮かべるしかない今を変えるためにも、怒りと憎悪を隠して阿呆のように振る舞わなくてはならない今を変えるためにも、……母に託された妹のアルマを守るためにも。

 僕はちからを手に入れなくてはならなかった。



◇◇◇◇◇◇



 アカネイアの離宮に時が積もっていった。


 僕が十の歳を数えた頃にアカネイア伯主催の社交界が開かれることになり、ラスト姉様が招待を受け、僕はエスコート役に選ばれた。伯爵の次女のデビュタントとあって近隣の貴族宛てに招待状が広く出回っているらしかった。つまりラスト姉様は当て馬のようなもので、王宮から厄介払いされた王女よりも自分の娘が優れていると他家に見せつけたかったのだと考えるのは邪推のしすぎかもしれないし、実際そのような意図もあったのかもしれない。


「僕がエスコート役ですか。マルクト師、こういうのは慣例的に年上の女性の介添え人を連れていくものではないのでしょうか?」

「社交に慣れた貴婦人にフォローを願うのは云わば保険の意味合いが強いだけじゃ。慣例は慣例じゃ、伯爵への非礼に当たるようなことはないぞ」

「そうよアーサー、てゆーかわたくしのエスコートが嫌なの?」


 瞬時に察したよ。不味い、姉様がキレるとな。


「いえ、そういうわけでは」

「じゃあ決定ね」

「決定ですか……」


 この時の絶望的な気持ちはよく覚えている。姉様のやらかしのフォローにてんやわんやと奔走するはめになる未来がありありと見えていたからだ。


「そう嫌がるでない。姫様はの、自慢の弟を皆に自慢したいだけじゃ」

「自慢ですか?」

「姫様は苛烈ではあっても悪しき者ではないよ。あとはおぬしがそれを認めるだけじゃ」


 マルクト師の云わんとするところはわからなくもなかった。だが簡単に認めるには心に飼う怒りと憎悪は大きすぎた。


 初めて出る社交界は日暮れと共に幕を開けた。煌びやかな会場に着飾った子供たち、楽団の奏でる音楽からは遠い異国の香りがした。

 今回の社交界は大人達の政治ではなく子供たちの顔合わせのようなもので、普段通りにできれば特に気を張る必要はないと言われたが、まったく師は無茶を言うものだと不安でいっぱいだった。


 ラスト姉様も着飾っている。この日のためにアノンテンから仕立て屋を呼んで作らせた紫魔水晶を糸に使ったドレスは輝いていて、僕はなんだか不安でいっぱいだった。


「アーサー、わたくしだけを見ていなさい」

「言われなくても! 絶対に目を離しませんからね、覚悟してください!」

「あ…あら、思っていた反応と違いすぎるわね……」


 目を離せるわけがない。こんなところで暴発したら大惨事だ。


 何事もなくこの夜を無事に切り抜けた代償として僕は丸一日寝込んだ。知恵熱とかそんなのだ。


 この夜、とても献身的に姉様に尽くす姿を見られたせいか不思議と僕の噂が流れるようになった。曰くとても姉想いの優しくて可愛い王子だとかそんなので、茶会への招待状があちこちから届くようになった。


「うふふ、みんな可愛いアーサーに会いたいのね」

「良き傾向ですじゃ。古来人は人にとって宝物であるという箴言もある、おぬしは己の見識を広げねばならん」


 社交など煩わしい、なんて軽視をしていては味方は得られない。

 後ろ盾がいないのなら僕自身が影響力を持たなくてはならない。


「……でもわたくしには来ないのよね、どうしてぇ……?」

「最近の子はみな賢明じゃのう……」


 招待にはなるべく応じることを心掛けた。不思議と歳の近い女性や姉様よりも年上の女性ばかりから招待がやってくる。文通のように手紙を求められることも増えた。鍛錬に費やす時間は減ったが新たなちからを得るために必要なことだった。


 春が訪れて夏が来て、ハリホの湖畔の別荘に呼ばれてヴァカンスと呼べる時を過ごして秋がやってきた。

 冬の冷たさが風に混じり始めた頃にアルマから泣かれた。


「……アーサーの女誑し!」

「アルマ、ハレンチな言葉を使うな」

「破廉恥なのはアーサーの方よ! 色んな女性に粉を掛けて! アーサーなんて腹上死しちゃえばいいのよ!」


 僕の混乱は果てしなかった。無垢だと思っていた妹が娼婦のように破廉恥な言葉を投げかけてきたせいだ。未だその原因についてはハッキリしていないのだがおそらくは書棚いっぱいに詰め込んでいるラブロマンス小説の影響だろう。


「そんな言いぐさはないだろ!」


 僕は怒鳴り返した。全部僕らが生き延びるためにやっていることなのに何もしてないアルマにだけは言われたくなかった。破廉恥はさすがに心外だった。

 まぁ本当に事実無根かと言われれば恥ずかしくて明かせたものではない。淑女たちのグループにヴァカンスに誘われるとはそういった事柄と無縁ではなかった。


「後ろ盾もいない僕らには味方になってくれる家が必要なんだよ! そのためにも―――」

「だからって女の人とばかり遊ばなくってもいいじゃない!」

「嫉妬ややっかみで男には嫌われているんだから仕方ないだろ!」

「やっぱり女誑しじゃない!」

「アルマ!」


 全部アルマのためにやっていたはずなのに彼女に泣かれた。罵倒された。それがものすごく辛かったし悲しかった。

 それとラスト姉様に泣きつくのは本当にずるいと思った。


「アルマはね、アーサーが構ってくれないから拗ねちゃっただけなのよ」

「姉様、そんな子供っぽい理由じゃないの!」


「はいはい。わたくしお姉さまだからきちんとわかっていましてよ。大好きなお兄ちゃんを他の子に取られちゃうのが嫌なのよねえ」

「ちがうの!」


「ねえアーサー、社交も大切かもしれないけれどもう少しアルマを構ってあげて。……わたくしも寂しいわ」

「そんな…そんなの僕が悪いみたいじゃないか……」

「そんなに駆け足で大人になろうとしなくてもいいじゃない。わたくしとアルマと一緒にゆっくりと大人になっていけばいいのよ」


 間違いを認めたくなくて二人のいる部屋から逃げ出した。それと姉様とは常に絶妙に食い違いがある。普段は頭脳明晰な方なのになぜか自分と誰かの友好関係に関してはズレているから不思議だ。

 逃げ出した先にはマルクト師がいた。逃げ出した僕の行きそうな場所などこの史跡しかないといつの間にか把握されていたのだ。


「ワシも一度は王家から逃げ出した身ゆえ偉そうには言えぬ。言えぬがおぬしの願いは何じゃ?」

「……」


「のうアーサー、おぬしの一番大切なものは何じゃ? 復讐心を満たすなどつまらぬことよ。成し遂げたおぬしに何が残る? おぬしが処刑されればアルマはどうなる?」

「それは脅しですか?」


「どうして世界を敵と味方の二色に塗ろうとする。姫様は敵か? おぬしらを守るために今日まで懸命に庇ってきてくれたじゃろうが。ワシさえも敵に塗るか? ぬしらを不憫に思っておらねばワシなどとうに離宮を去っていることはわかるじゃろうて。のうアーサーや、失ってから後悔して何度も失っては後悔を繰り返してきたジジイの忠告を聞いておくれ。おぬしのちからは大切な妹御を守るためにあるはずじゃ」


 何も言い返せはしなかった。

 マルクト師は正しい。正しすぎる。愚かな子供の抱いた頑なな強情さを愚かに想い、そんなことは何もならないからやめろという。僕だってわかってはいたんだ……


「おぬしの心に平穏が訪れることを祈ろう」

「祈って何が変わる」

「おぬしが変わるのじゃ。いつか、いつか全てを許せる日が来る」


 結局のところは過ぎた大望だったのだろう。

 下級妃の子弟ごときには過ぎた夢だったのだ。



◇◇◇◇◇◇



 ウェンドール802年の年明け、僕ら兄妹に王都への帰還命令が出た。

 母の死を契機に離れた王都アノンテンの石畳を踏むのは約七年の歳月が経っていた。


 久しぶりに見上げる王宮は幼き日の記憶よりもずっと禍々しく見えた。……王宮の前にあいつがいたんだったか。

 一振りの剣を手にでん!と仁王立ちする少女が姉の一人だと聞かされて僕とアルマは不思議がったのだった。


「お久しぶりでありますラスト姉様! いざ尋常に勝負!」

 と言って飛びかかってきたココア姉がラスト姉様に顔面をわしづかみにされただけの出来事だ。


「うふふ、この面白い子がココアちゃんよ。二人のお姉さんになるわね」

「これが姉ですか……」

「あー! ああー! いま自分のことを馬鹿にしたでありますー!?」

「ちょこっとお馬鹿さんなのよねえ」


 王宮の闇は七年の間にさらに増したのか、はたまたガキの目には見えなかったものが見えるようになっただけなのかは不明だ。

 だがココア姉の顔面をわしづかみにしたまま引きずって王宮に入っていくラスト姉様の後ろ姿は神話の英雄のように心強かった。


 久しぶりの父王との謁見は思い出したくもない。いまさら投げかけられた謝罪の言葉に何の意味がある? そのような心根がおありなのならなぜ母を守ってはくださらなかった。

 だが僕にできるのは父王との再会を喜ぶアルマに同意を示し、怒りを殺して父へと膝を着くことだけだった。


 ラスト姉様は成人した王族として軍籍に入り、王宮を居としながら騎士団での任務を与えられた。僕らは無官位のままであり、かつて母と暮らした離宮を与えられて教育を与えられた。


 王宮てきちでの暮らしが始まった。

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