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最終章 『春のマリア』  作者: 松島 雄二郎
聖と魔のフロントライン
353/362

アーサー

 夕刻のティルカンタ空中要塞。渦巻く闇の中からぺっと吐き出されたアーサーがゴロゴロ転がっていって最後は大の字になって寝転がる。表情が無い。呆然としている。あまりの衝撃に理解がおいついていない顔をしている。


 魔神がせせら嗤う。あぁ神とは本当にヒトを理解できないのだと心底から思い知る愉悦の笑い声だ。


「どこまでいけた?」


「……溶岩の腐肉を纏う竜に殺された……そうだ、僕は殺されたはずだ、なのにどうして……?」

「それはボクの権能によるリザレクションだ」


 呆然としていたアーサーがものすごい勢いで跳ね起きる。

 眼前の魔神はリザレクションと言った。アルテナ教会が追い求め、だが夢想の領域にある癒しの奇跡の究極の名だ。


「愚かしい反応だね、ヒトにできないことをどうして魔神にできないと考えるの? ボクはこれでも高名な神様のつもりなんだけどな」

「……火を喰らう竜の祭壇でリリウスが使ったのはこれか」


「そうだね、彼も使えるはずだよ、彼にはボクの分身と言えるほどのちからを渡してある。限定的な状況に限られるのだろうが使えてもおかしくはないさ」

「限定的とは?」


 魔神が嗤う。人の愚かしさには限りが無いのだなとせせら嗤う。


「答えてしまえば権能への認識に制限を掛けることになると知りながら知りたがるのはヒトの愚かしさだ」


「ならば質問を変えよう。貴方のちからを得ればボクにも使えるようになるか?」

「可能性はあるよ。だがボクと彼にできることを誰もが同じようにできるとは思えないね」


「……その答えで充分だ」

「迷宮への入り口は開けておくよ。また挑戦しにくるといい、ボクは勇敢な戦士を愛しているのだから」


 間違いない。この魔神はアーサーの苦しむ様を見て楽しんでいる。進捗を聞かれはしたがおそらくは攻略の光景も視ていたにちがいない。


 愉悦する魔神が一枚の羽を差し出してきた。紅にも黄金にも見える美しい鳥の羽だ。


「眠る前にこれを枕の下にでも挟んでおきなよ」

「これにはどのような効果があるんだ?」

「安眠とか睡眠中の疲労回復促進とかそんなのだね。まぁ奇跡を信じなよ、明日のキミは今日よりも強くなっているのだと信じるんだ」


 信じろ信じろと馬鹿の一つ覚えみたいに繰り返す魔神がそろそろうさんくさく思えてきそうなものだがアーサーに疑いはなかった。

 リリウスと同じだ。どれだけうさんくさくてもちからだけは本物だ。そして二人ともたしかな奇跡の担い手なのだ。


 天空の城ティルカンタから降りたアーサーは、だが街角で露店を広げている砂色法衣の鑑定師に鑑定を頼んだ。奇跡は信じたいが神から下賜されたアイテムを唯々諾々と使えるほど純粋ではないし、何よりあいつはうさんくさい。

 羽を見せた鑑定師の老婆が言う。


「へえ、魔神に認められたんだね」

「認めてもらうために試練に挑んでいるところだ」

「そいつは方便さ。試練を与えている時点で気に入っている証さ」


 そんなものだろうか?

 なんとも納得のいかないアーサーであった。


「魔神の言うことを鵜呑みにせず鑑定師を頼ったのは正しい判断だよ。神とヒトはあまりにも違いすぎるからね、神の言葉の通りの効果ならあたしら調停者は必要ないんだ」


「それで効果は?」

「忙しないねえ。不死鳥の羽を身に帯びていれば活力が回復するね、ただ神々の王の一柱の一部だからね、長く触れていると障りも多いだろうから枕を挟むのはいい使い方だと思うよ。それでも多用は控えるんだね、何しろ神の一部だ、どんな影響があるかなんてあたしらにもハッキリとは言えやしないよ」


「障りがあるとすればどういった形になる?」


 鑑定師の老婆が嫌そうな顔になる。アーサーの考えがわかったからだ。


「怖いことは考えないことだね。ちからが欲しいったって滅びの道を突き進んで何になるっていうんだい。どんな影響があるかなんてハッキリとは言えないと言ったろ、もしかしたら永遠の夢に堕ちたまま現実のあんたは怪物に変貌しているかもしれないんだよ」


 そういった危険もあるのかと息を呑む。

 神器をただの便利なマジックアイテムだと考えていると痛い目を見る、そういう逸話は数聞けどそれが鑑定師の口から出てくるなら信じるに値する警告なのだろう。


「こんなことは言いたくはないがあの魔神さまを心底から信じるのは怖いことだよ。ラグナロクを引き起こしてこの世に終わりなき闘争をもたらした闘争の神なんだ。今でこそアシェラ様と救世主さまと手を組んでいるが本来は人類の敵対者なんだよ」


「それでも僕はちからが欲しい。奇跡を信じろと言われたんだ」

「常に身に付けろなんて言われてやしないんだろ? 精々が魔神さまの言った通りの使い方に留めるんだね、あの恐ろしい魔神さまだってお気に入りを早々に潰したりはしないと思うからねえ……」


 料金を支払って鑑定師と別れた。鑑定をしてもらった価値があったかは不明だ。結局のところどんなデメリットを伝えられても自分は無茶な使い方をするのだろう。

 兵舎に戻れば随分と騒がしい。兵舎の前には木箱が積まれていて、今も大勢の人足が木箱を運んでくるところだ。


「アーサー氏!」

「ほんとだ、アーサー様だ! 無事だったんだな!」


 アーサーに気づいて駆け寄ってくる級友もいる。どうやら領邦内の他の村落に逃げ落ちた者たちがこちらに合流したようだ。


「そういえばいなかったか、気づかなかったよ」

「……アーサー様にはこういうところがあるよな」

「……小生らの友情はきっと一方通行なのでしょうなあ」


「すまない、僕にも余裕がなかったんだ」

「きっとそれで済むと思っているんでしょうなあ……」


 エロ聖者ががっくりと肩を落とす。なんだかんだ言って友人だと思っていた奴が自分の不在に気づかなかったのだ。それも敗走の後にだ。これが人間関係に決定的なひびが入った瞬間であった。


「いや、本当にすまない。ところでバド先輩は知らないか?」

「姿は見ておりませんな。あまり考えたくないことですが敵軍に捕まったのかもしれませんな」

「そうだな……」


 クロードが昨夜の内に都市を出ていった理由が分かった気がする。事前にリストを貰っていたのだとしたら、そこに名前がなかったのだとしたら、だからクロードは単身で戦場に戻ったのだ。


「クロードのことは…聞いたか?」

「ええ、お一人で戦場に戻っていったと。会長殿はこんな時まで会長殿なんですな、小生にはとてもできぬ……立派なお人です」


 エロ聖者やB組の級友と別れて兵舎に入る。アデルアードは指揮官用の執務室にいて、積み上がった書類を捌いていた。

 だがアーサーに気づいて書類へと伸ばした手を止め、立ち上がって驚いている。


「アーサー! よかった、貴公までいなくなったのだとばかり……」


「用事を済ませてきただけだ。まぁまだ途中なんだが」

「こんな時に用事か? まったく豪胆というか頼もしいというか……」


 クロードを追いかけていったと考えていたらしく、随分と安堵した様子だ。おそらくは確定まで考えていたにちがいない。


「今後の動きを聞きたい」

「女王を頼って義勇兵は本国に送還する。これは決定事項だ」

「そうしてやってくれ。……そちらはまだ戦うつもりなのだな」

「逃げ出すわけにはいくまい。あぁもちろん義勇兵を非難しているのではない。我が軍には正規兵としての義務があるというだけだ」


 アデルアードが再編成した部隊の書類を見せ、傭兵部隊を雇い入れた経緯を説明してきた。

 これによれば近衛騎士団200傭兵500の七個中隊をまとめて一個大隊として再編成するようだ。傭兵の運用に際してはLM商会から専任の軍師が着任する。

 その名前を聞いたアーサーは戦慄した。


「どうした?」

「また恐ろしい男を雇い入れたな……」

「随分と気のよい男だと思ったのだが?」


 どうやらアデルアードは知らないようだ。彼は世間知らずなので仕方ない。仕方ないが……


「その男だがおそらくは太陽の悪竜ナルシスだ。史上第四位の高額懸賞金首で、聖王国アルスから人類の敵認定を受けている」

「えっっっ?」


 LM商会の幹部はだいたい人類の敵認定を受けている。というかかつては二十人程度だった人類の敵がLM商会発足後に十人以上増えたのは有名な話だ。魔神ティト復活を企む悪の秘密結社だから当然だ……



◇◇◇◇◇◇



 日が落ちてもアデルアードは書類に埋もれている。食事も簡素なものを執務室に運ばせて書類に目を通す片手間に齧る程度で済ませている。

 あれから保護した義勇兵の数が数名増えたと女王から連絡があったりもした。


 アーサーは常の彼からは考えられない気遣いであるが酒を手にアデルアードの執務室を訪れた。見かけこそ頼りない少年皇族だったアデルアードの姿はもはやなかった。


「一杯付き合えよ」

「……貴公とサシで飲むのは初めてだな。うん、飲もうか」


 アデルアードもどこか機するものがあったようだ。

 無言のまま手酌を交わし合い、肴には夜空があった。


「本音を言えば貴公には僕を支えてほしい、がアルチザン家の貴公をこれ以上連れ回す道理はない」

「僕には僕の願いがある」

「そうか。用事とはそれか?」

「ああ。魔神から試練を受けている」

「そうか、貴公がいてくれれば心強いのだが仕方ない」


 会話が途絶える。無言で酒を飲み干すとアデルアードが空杯に酒瓶を向けてきた。


「もっと引き留められると考えていたよ」

「引き留められるのなら泣き喚いてやってもよい。貴公は見かけに寄らず頑固だからな、無理なのはわかっている」

「すまない」

「謝らないでくれ。人其々道が違うのだ」


「道か?」

「道だ。僕がそうするように貴公は貴公の道を往け、クロードが行ったように己の願いへと続く道を」


 ちからを願った。強くなりたいと願った。だが強さを得た先に何を為すかだけが未だ見えないでいる。


 アーサーは己が間違っているのではないかと思いながら酒杯を飲み干す。友の願いを振り切り、友を取り戻すために戦場に戻っていった友を探しもせず、ちからを求めて何になるのだろうという自問自答を抱えながら……



◇◇◇◇◇◇



―――魔神都市、滞在5日目。


 死の泥から意識が浮かび上がってアーサーは朽ちた空中要塞で目覚めた。

 振り返れば煌びやかなアイドル装束の魔神が縁に腰かけて足をぷらぷらさせている。


「どこまでいけた?」

「泥の死竜といったか? どうにも悪い、倒せそうもない……」


 泣き言など吐くつもりはなかったが絶望的な能力差があり、どうしても攻略できそうもないのでポツリと漏らした。まさか魔神の慈悲などあるわけもなかろうに。


「そうかい」

「あれは本当に倒せるのか?」

「倒せるさ。三年前だったか、リリウスは一人で倒したよ」

「差があるわけだ……」


 最初からひどい差があるからどれほど鍛えても追いつけないわけだと納得もする。あのひどい敗戦も彼がいれば負けたりはしなかったはずだと後悔が今も囁き続けている。


 思考の最中に魔神が立ち上がる。


「さてと、ボクはもういくよ」

「どこへ?」

「ライブがあるのさ」


 ライブの予定が詰まっている魔神の存在がどうにも呑み込めない。そこいらの騙りならばともかくこれは本物の魔神だ。こうした口を聞くのも本来は恐れ多いどころではなく、ヒトなど問答無用で殺してもおかしくない存在だ。そんな神がフリフリのミニスカアイドル衣装で歌って踊ってるのだ。わけがわからない。


「……そもそもどうして魔神が歌って踊るんだ?」

「リリウスの提案でね、信仰のちからを集める一環、布教活動なのさ」


 まず思ったのはあいつは恐れを知らないのかという呆れで、第二に意味だ。まさか魔神のミニスカを見たかったわけではあるまい。


「意味はあるのか?」

「あるよ、ちからの高まりを感じる」

「本当にあるのか……」


 アーサーもこの返答には絶句する。

 神が歌って踊ると信仰が高まるらしい。謎だ。謎すぎる。リリウスの発案だというのも謎だ。あいつは謎の塊だ。


「彼はすごいよね、ボクが何千年も悩んできた問題を一発で解決しちゃうんだから」

「そうだな、すごいよ。本当にあいつは何者なんだ?」

「決まっているだろ、キミと同じでただのヒトさ」


 魔神が万人が恋しちゃいそうな微笑みを置いて玉座の間の大穴から飛び降りていった。あれの少年形態を見ていなかったらアーサーも危ういような微笑みだったので己の心臓を叩いて正気の鼓動に戻す作業が必要だ。


「神と勇者とヒトによって神話は紡がれる…か」


 かつて酒に酔ったリリウスが漏らした一言が今になって心に染みる。

 神話の舞台にあって彼はヒトとして役割をまっとうするというのなら……


 今はまだ答えを得られない。アーサーは未だ迷いの中にあるのだ。



◇◇◇◇◇◇



―――魔神都市、滞在6日目。



 義勇兵の送還の日がやってきた。朝早くに町の一角に集められ、光輝く不思議な扉を一人また一人と潜っていく。

 てっきりLM商会の保有する空中船で帰すのだと考えていたアーサーとアデルアードは愕然としている。


「本当にこんな方法で帰れるのか?」

「ええ、帝都フォルノークの旧市街につながるゲートなわけ」


 悪徳信徒のグリードリーが簡素に答えた。何ヵ月にも及ぶ行軍と戦争の果てにようやくたどり着いたここから帝都まで扉一枚で帰れるというのは何とも理不尽がすぎる。

 何よりもひどいボッタクリだ。こんなに簡単に帰せるのに200万枚もの金貨を要求されたのだ。


「お望みならアデルアード殿下と軍も帰して差し上げるわ。兵を率いてのこちら側への帰還までは認められないけどね」

「ならぬか?」

「ダメよ、女王さまが噴火しちゃうわ」


 アデルアードがブルリと震えあがる。そこまで女王が恐ろしいかとアーサーだけが不思議がっているが、あれは直答していないものにはわからない理不尽さだ。ある意味においてリリウスよりも恐ろしい女なのだ。


「……あの時に宝物庫から持ち出してこいと言ったのはこれがあるからか」

「ええ、始祖皇帝ドルジアのアイテムを引き出したかったのに残念ね。彼の話では相当すごいアイテムが埋もれていたらしいもの」

「……あいつはすでに侵入済みだったのか」


 ちなみにリリウスはアシェラ神と一緒に何度も宝物庫に盗みに入っている。目ぼしい物は随分と持ち出した後らしい。残した物はそれなりの品でしかないが、それでも売ればそれなりの値段になるらしい。


 義勇兵の帰還を見届け、最後にパインツ先生が扉を潜っていく。残るのはアーサーだけだ。


「いいの? あなたが望むならベイグラントまで帰してあげられるのよ?」

「構わない」

「そう、男の子なのね」


 なぜか毎回別れ際にケツを撫でようとする悪徳信徒の手を振り払ってアーサーが空中要塞を目指す。



◇◇◇◇◇◇



―――魔神都市、滞在9日目。


 広大な洞窟に死竜の雄たけびが轟く。付け焼刃の氷結系統魔法はまるで効いている様子もなく、死竜の雄たけびは悲鳴ではなく獲物を欲しての雄たけびであった。

 超速度での突進を繰り返す死竜の体当たりを回避しながら斬撃を放つがダメージになっている気もしない。


「本当にッ、どうすればこんな奴を倒せるっていうんだ!」


 斬撃が効かない。魔法も効かない。血統魔法を切るには―――

 決意する。使わねば倒せない強敵だと認める他にない。


 スキル・エクリプスを発動して加護のちからで全身を変質させる。竜殺しを願い続けてきた一族が得た竜へと転身するちから『竜戦士』へと変化する。


「くたばるがいい、ゼノ・ブレイグルアシャー!」


 竜のブレスを模した戦技ドラゴンブレス級戦技を解き放つ。

 爆炎が吹き荒れ、腐肉の随分と削れた泥の死竜が爆炎の中から飛び出してきて勢いそのままに突進してきた。


 頭の悪いアンデッドドラゴンだ。おおよそ知性のようなものは存在しない死の本能だけの存在だ。だが超速度と攻撃力だけは竜と呼ぶに相応しい恐ろしい怪物の戦意は必殺技が直撃しても何ら衰えることはなかった。


「ならばもう一度だ、くらえ!」


 壁に激突してアーサーの姿を見失った泥の死竜へと向けて、直上からドラゴンブレス級戦技を再度ぶちかます。

 再び爆炎の中から突進してきた泥の死竜は腐肉を完全にそぎ落とされたスケルトンドラゴンに成り下がっていた。―――予感からレイピアに最大のオーラを込める。


「死ね!」

 最大の斬撃がろっ骨にひびを入れる。


「死ね!」

 同じ個所への攻撃でひびが深くなる。だが突進が膝を掠めるやアーサーの左足が冗談みたいに取れてしまった。


「死ね!」

「死ね!」

「死ねええええええ!」


 どれだけの斬撃を振るったものか、どれだけの時間をかけたのかもわからない。

 原型をとどめないほどに破壊してようやく泥の死竜の骨が崩れ落ちて光に解けるように消えていく。


 両足を失い、額からも出血するアーサーが曲がった剣を支えにしてようやく起き上がれているような状態のまま深く息を吐く。


―――御美事。


 脳裏に巨大な思念が響いたと思えばアーサーはいつの間にか空中要塞の玉座の間に戻っていた。

 失った肉体も元に戻っていて、いつもの場所で魔神が微笑んでいる。


「勇敢な戦士よ、喜ぶがいい、褒めてあげるよ」

「証を立てたと考えていいのか?」

「まだ先があるよ」

(……こいつはひょっとしたら僕をからかって遊んでいるんじゃ?)


 魔神が微笑む。誰が呼んだか魔神だ、ぴったりだ。善なるものであるはずがない。


「心外だね、からかって遊ぶなんてひどい誤解だ」

「本当だろうな?」


「では確約してあげよう。後19体の竜を倒したならキミを信徒にしてあげよう」

「無理だ!」

「リリウスはやったよ」

「ぐっ!」


 それを言われると反論しにくい。


「まぁ最後はストラの手を借りたけどリリウスは最後までたどり着いた。守護者の第二形態を引き出しもした。まぁ彼は仲間の手も借りたからおまけしてあげてもいいか」


 この魔神の性根は間違いなく悪だし性格が腐ってる。だがおまけの放つ甘い響きにはアーサーの憤怒を抑える効果があった。


「最後のは倒さなくてもいいよ。それでどう?」

「本当におまけだな」

「そう言ったじゃないか。一度倒した試練を復活させないだけ随分とおまけしてあげているんだよ」


 魔神のせせら嗤う声を背に空中要塞を去る。また明日試練に挑むために休息を求めてだ。

 ポーチにしまった不死鳥の羽が熱を持つ。それは戦士の疲れを癒し、ちからを高めるために熱を発しているかのような温かさだ。



◇◇◇◇◇◇



―――魔神都市、滞在12日目。


 雇い入れた傭兵団を率いてアデルアード軍が山を下りていった。その行進を見送ったアーサーはなぜか隣に立っている女王の存在を無視し続ける。

 何か用がありそうだが何も言ってこないので無視し続ける。


「あなたは行かないのね?」

「彼と僕では道が違うらしい」

「そお? 道なんて自分で決めるものじゃない。行きたいのなら一緒に行けばいいのよ」


 女王が去っていった。どうやら何の用事もなかったらしい。

 もしかしたら女王は案外暇なのかもしれない。



◇◇◇◇◇◇



―――魔神都市、滞在14日目。



 最終試練からティルカンタ空中要塞に戻ってくると魔神がいつもの場所に座り込んでいる。魔神の生態になど興味はないがこいつはひょっとしたら毎日ここでぼけっとしているのかもしれない。

 魔神がこっちを向く。どうせいつもの質問がくる。


「どこまでいけた?」

「毒の蒸気を噴き出す奇妙な装甲竜のところまで」

「あぁあれか、キミとは相性が悪そうだ」

「おまけしてくれるのか?」

「まさか」


 それっきりそっぽ向いた魔神を置いて空中要塞から降りていく。


 アデルアード軍が出ていった同日にアーサーは宿泊先を市内の宿に移した。手持ちの金には多少の余裕はあったが何があるかわからないので宿のランクは落とした。行商人や冒険者が泊まるような安宿だ。

 二階建てで二階の十二部屋は全部客室。中庭には井戸があるが、向かい側に銅貨十枚で入れるサウナ屋があるので気に入っている。


 宿の前までいくと軒先で掃き掃除をしていた宿の看板娘が大きく手を振ってくれたので適当に手を振り返しておく。


「アーサーさん、今日はどうでした?」

「いつも通り苦戦している」


 魔神の試練を受けていることは別に秘密でも何でもないので話してある。気立てのよい彼女はしきりに冒険の話を聞きたがるので話してしまっただけだ。


「やっぱり魔神さまの試練は厳しいんですねえ」

「ああ、おまけはしてくれないそうだ」

「ふふっ、アーサーさんってお茶目なんですね」


 お茶目なんて初めての表現だ。宿の一階は経営者家族の住居スペースと食堂になっている。まだ日は高いが食堂には年配の行商人と年若い冒険者チームが昼食とも夕飯ともつかない食事をとっていた。


「おい、あいつだ、魔神の試練を受けているという男」

「たしかにやりそうだ。ありゃ相当強いな……」

「何が相当強いなだ、お前にわかるわけがあるか」


 ひそひそ話には反応しない。羨望とも畏怖ともつかない視線も気にしない。

 女将に話をつけて食事を用意してもらい、食堂でとる。食事は日替わり定食でパンとスープ。肉と野菜を煮込んだスープは疲れた体に染み入るようにうまく、アーサーはいつも八人分はおかわりをしてしまう。その分宿泊費も高くつくが日々の食費を惜しむほど困窮はしていない。


 アーサーが食事を始めるときまって看板娘が隣の席につく。少々やかましいが邪険にあしらうほどではない。リジーで慣れた。姉たちに比べたら可愛いものだ。なにしろ姉たちは普通に殴ってくる。手加減はしているのだろうがあいつらは馬鹿力なので痛いのだ。


「ねえ、アーサーさんは試練を乗り越えたらどうするの?」

「どうするって?」


「王様になるとか魔神さまの神兵になるとかさ、アーサーさんならすごいことをしそうだもん」

「どうだろうな」

「えー、もしかして秘密なのぉ?」

「いや」


 いまだ答えは見えない。試練の中に答えを求め、試練の先に答えを求め、もしかしたら試練を乗り越えても答えは手に入らないかもしれない。アーサーはそれをひどく恐れていた。



◇◇◇◇◇◇



―――魔神都市、滞在18日目。



 半日にも及ぶ激闘の末にようやく腐食毒の死竜を降した。全身から発する焼けるような痛みを堪えながらティルカンタ空中要塞へと転がり出る。

 恒常発動するリジェネーションヒーリングと腐食毒が相克して肉体が溶け堕ちない代わりに常に痛みを発し続ける中で魔神に問う。


「こんなことに何の意味がある!」

「意味は自分で考えなよ。答えなんてものはさ、結局のところ自分の中にしかないんだ」


 答えを求め続けた。だが答えなんて見つからなかった。

 どれだけ戦っても何も見つからなかった。


「道はさ、そいつが歩いてきた場所を言うんだ。誰かの歩いてきた道は誰かの道だ、キミのじゃない。歩き続けなよ、それが求道者というものだ」

「……」


 魔神の手が肩に触れるとアーサーを蝕んでいた毒が消し飛んだ。

 無言で立ち上がったアーサーはそのまま空中要塞を去った。疲れていた、偉業を成し遂げることは難しく、今はただただ疲れていた。



◇◇◇◇◇◇



―――魔神都市、滞在19日目。


 夜明けと共に変化する朝の空気で目覚め、身支度を済ませてから宿を出る。いつもの時刻にティルカンタ空中要塞に往くと少女姿の魔神が驚きに目を見開いた。

 可愛いアイドル衣装ではなく着古して裾のボロボロになったオンボロ外套をまとっている魔神は驚きの後で不愉快ように眉をひそめる。


「驚いたな、もう来ないのだと思っていた」

「見くびるな、あれしきで心が折れるものか」


 魔神が手を叩いて哄笑する。賞賛ではない、ヒトの愚かしさを笑う神の傲慢さだ。

 アーサーの正気度がゴリゴリに削がれていく。あぁまったく何を思いあがっていたものか、同じ言葉を使えども、可憐な姿をしていても、これはヒトではなく神なのだと今一つ理解できていなかったアーサーが、生まれて初めて目の当たりにした巨大な神威であった。


 地底に住む大きなトカゲなど神の端くれにすぎなかった。たかだか一つの地域の伝承に語られる火山の主でしかなかった。

 眼前の魔神は位階が異なる、神々の王の一つ柱であるのだ。


「見くびるな、見くびるな、見くびるなだって? 心が折れる? ちからを得れば何でもできるという幻想にすがりついているだけじゃないか!」


 威圧の言葉に心がすくむ。

 逃げ出したくて仕方ないのに足が動いてくれない。


「キミが試練から逃げないのは恐怖からさ! ボクが驚いたと言ったのはね、あれだけ死んでもまだ自分の願いから目を逸らすのかと呆れ果てたからだよ!」


 魔神の手の中へと黄金の光が収束する。光は刃となり、すぐに一振りの美しい細剣になった。

 壮麗な文様の彫り込まれた美しいレイピアには見覚えがある。かつてあの火を喰らう竜の祭壇でリリウスが持ってるだけで使ってなかった剣だ。


「愚かな戦士も愛らしいがお前は要らないな。迷う盲者くん、せめてボクの手でその苦悩を終わらせてあげよう」

「なにを……?」


 魔神の斬撃がゆっくりと迫る。動きそのものは早いのはレイピアを振るう速度だけは妙にゆっくりとしていて―――

 反射的に長剣を抜いてカウンターの姿勢を取るアーサーは直感から後ろへと跳び、のどを浅く裂かれた。


 充分に余裕をもって回避したはずなのに刃がのどを裂いた。わからない、何よりも突然戦いになるのも理解できない。


 魔神が剣先に付着した血を舐める。こんな状況でなければ蠱惑的な仕草だと表現もできよう。


「闘神の戦技を見るのは初めてだろうね?」

「待て、こちらに争うつもりはない!」

「キミのつもりなんてボクにはどうでもいいんだよ」


 魔神がまたまっすぐに突っ込んでくる。反応できないほどの速度ではない、だが奇妙に避けにくい、認識のしにくい攻撃だ。

 カウンターの名手であるアーサーがカウンターを狙いもせずに回避に専念して下がり続ける。恐怖によって直感が鈍っているのかもしれないし、直感は冴え渡り続けて魔神の攻撃を受けてはならないと叫び続けているのかもしれない。


 繰り返される攻防と先読みの応酬。やがて魔神の読みが上回り、手首を返しての突き込みがアーサーの膝を貫いた。レーザーを浴びた鉄が溶けるようにアーサーの膝が溶けて取れた。


「多少遊んだとはいえ七度よけたか。やはり素質はある、だから惜しいね」


 閃光が三度瞬く。寸前までの斬撃が児戯に思えるほどの超速度でだるまにされたアーサーが胴体を蹴飛ばされる。外套の下が素っ裸だった衝撃の事実など気にならない衝撃に意識が飛びかけた。


 青空が見えた。もはや腕も足もないのに、目の奥で火花が散るほどに痛くて苦しいのに空だけは美しかった。


「あっ、ぐぅぅぅううう!」


 はたと己の技を思い出して詠唱済みの癒しの術法を遅延起動するも術式が阻害されている。まったくおぞましいことに魔神の攻撃は肉体の再生を封じるらしい。


 足音が聞こえる。魔神のものとは思えないほど軽やかな、絶対の死を約束する足音が近づいてくる。


「こんな…これが僕の終わりだなんて……」


 青空に混じるように誰かの顔が浮かんでは消えていく。嫌いだと思っていたはずの家族の顔だって今この時だけは涙が出るほどに懐かしい。

 病室のように白い部屋でベッドで起き上がったまま、開いた絵本を手に窓の向こうを見つめ続けている妹の横顔はもう思い出せない。


 友と呼んだ奴らの顔も浮かんでは消えてほしくないのに消えていく。手を伸ばして思い出を掴もうとしても右腕は肘の手前からない。


「いや…嫌だ、そんな……」


 後悔が涙となって溢れ出す。

 後悔は尽きない。何故、何故、何故と繰り返し続けても涙となって流れ出して消えていく。


 トレーラーに乗って旅立つ友のアホ面が消えていく……

 本当は彼に着いていきたかった。クロードや義勇兵のみんなを放ってはいけないなんて理由をつけて旅立つ彼らについていかなかったことをずっと後悔していた。ナシェカのいるところならどこにでもついていくと言って平気で同行したウェルキンの素直で単純なところがひどく羨ましかった。


 あのコンサートの夜にみんなを頼むと言ってアデルアードたちと国主の下に向かったクロードの疲れ切った笑みさえも消えていく。

 あの夜にクロードが出ていった聞かされた時に反射的に自分も出ていこうとして、だが負傷に苦しむ級友たちを放ってはおけないといいわけをして想いを握りつぶした。本当は追いかけたかったのに……


「嫌だ…嫌だ……」


 攻略祭に浮かれる夜の町で真っ赤なルージュを唇に引いた女の子が涙を一筋流し、ゆっくりと動いた唇は言葉にならなかったごめんねの形。

 もうずっと昔の出来事みたいな色褪せた記憶の中で好いた女の子が傷ついたみたいにちからなく笑っていた。未熟な自分が言い放った心無い言葉で傷つけて、あれっきりほとんど言葉も交わせないままだ……


 青く澄んだ空から色が失せていく。地面に倒れたまま地に沈むみたいに無限の闇が自分を追い越していって世界が遠ざかっていく。闇に呑み込まれていく。声はもはや声にならない。


 闇は氷のように冷たくて寒くて寒くて仕方ない。……ポーチに入れた不死鳥の羽だけが温かった。

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