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最終章 『春のマリア』  作者: 松島 雄二郎
聖と魔のフロントライン
350/362

転章 中央大陸の覇権

 夕暮れの荒野に矢音が響く。

 大地を叩いた騎兵の足音は火急のもので、彼らは敗走のただなかにあった。


「散らばるな、固まって逃げろ! はぐれたら狩り殺されるぞ!」


 クロードの檄が飛び、それを聞いたか逃げるのに必死なだけが馬上の兵隊が愛馬に鞭をくれて駆け抜ける。

 血に染まった大地に倒れ伏す友を置き捨ててゆく者どもは表情を失った顔にただ涙を伝わせていた。


 九月十九日、大陸中部パルタナにてELS制裁軍第二陣と帝国軍本隊が衝突した。広大な荒野に布陣した両軍は共に二万の軍容であった。その中には学生義勇軍の二個大隊もあり、右翼を担当する彼らは開戦から四日目に壊滅、潰走の途にあった。

 敗れたから逃げる。本陣まで逃げ込めば手は出せない。この時に出現した新手の軍による残党狩りの最中である。


 もはや隊列の機能していない撤退戦において指揮官に仕事はない。この期に及んでできることは可能な限り多くが逃げ落ちることを祈りながら自身も生き延びる手を尽くすしかなかった。


 クロードの隣を走るアーサーは負傷した左腕を癒すちからもないまま手綱を握っていた。


「強すぎる。いったいどこの軍だ?」

「やはりELSではないと考えるか?」

「ELSなら軍旗を掲げない理由がない。最悪のタイミングで狩りにきたからには目当ては捕虜だ」


「情報収集をしたい他国の横やりか、嫌なタイミングできたもんだ」

「このタイミングだから動いたんだよ。忌々しいが指揮官はやり手だ」


 潰走の最中に奇襲を仕掛けてきたのは少数の部隊だった。蹴散らして進路を切り開くつもりが一当てしただけで余力を完全に吹き飛ばされた。近衛の主力は当然として義勇兵の主力である生徒会メンバーもほとんどが囚われ、取り返しに向かったクロードなどは切り札の神器を両断されるという目も当てられない有り様だ。

 それでもまだ威勢を保っていられるのは使命感ゆえだ。可能な限り多くの兵を逃がして次につなげる。


 夕暮れの大地に霧が出てきた。自然現象だと思えば不可解だが天の助けとも思えた。


「霧に乗じて逃げろ! 進路は後からでいい、今は戦場から離れるんだ!」


 張り上げた号令は届いているやらいないやら。それでもクロードには信じるしかなかった。

 そして最後の時がやってきた。残党狩りが彼らに追いついたのだ。


 筋肉だるまという表現が似合う恐ろしく筋肉の発達したグラップラーの男と明らかに使役されたアンデッドとおぼしき金髪の剣士の二人組が往く手を阻んだ。


「お前が指揮官だな?」

「続く言葉は大人しく投降しろか? わるいがそれはできない」


 筋肉だるまが快活に笑い出す。どうやら面白かったようだ。

 異様な迫力がある。クロードをして怖気づいてしまうほどの強者の迫力だ。筋肉だるまのグラップラーが手甲に覆われた右手で己の顎を揉む仕草をしている。


「若いねえ。おぼっちゃんの初陣って感じかい?」

「クロード、あいつは危険だ」

「わかっている」


 強者なればこそ強者の気配がわかる。手強いといった表現ではなくこの土壇場で出た危険という言葉の意味を履き違えるクロードではなかった。危険だ。二人がかりで挑んだところで敗色が濃いほどに。


「わるいが初陣は苦い記憶になるぜ。まぁ洗いざらいしゃべれば命までは取らねえよ、うちの大将はあんたらの戦争を歓迎しているんだ」


「歓迎だと?」

「手柄が欲しいのさ。あんたらが暴れてくれたらくれただけ好機が生まれる」


 霧が深くなっていく。さながら陸の津波のように噴出した濃霧が戦場を呑み込んでいく。

 さすがにこれは異常だ。


「この霧はそちらの仕業か?」

「いいや。……俺はそっちの仕業だと踏んだんだがやはり不味そうだ」


 雷光が走る。一条の雷光が筋肉だるまの顔面に衝突する。

 耐え抜いた筋肉だるまが衝撃に少しだけ上を向いた顎を戻し、視線を近場の岩の上にやる。


 そこには仮面をつけた道化師が立っていた。青い稲妻を帯びた短剣をジャグリングする姿は道化師そのものだが、戦場ではあまりにも違和感が先立つ。


「へえ、いい女の香りがするねえ。あんたは何者だい?」

「そっちもいい男だと思うけどごめんね、これでも夫がいるの」


 声は若く、余裕が見えた。


「去りなさい。これより先に軍を進めるつもりなら全滅を覚悟してもらうわ」


「……おっかねえ姉ちゃんだ。ところで一つ聞いてもいいか? 霧の向こうから感じる大きな圧はあんたのお味方かい?」

「ええ」


 問答でできた隙を狙ってグラップラーが跳躍する。瞬時に距離を詰めた彼の拳は空振りをし、全身が沸騰したみたいに湯気を出していた。この一瞬の攻防はクロードの目をもってしても見えなかった。


 道化師の女は別の岩場の上に立っていた。必ず一定以上の距離を保つ姿に油断はない。


「マジの雷速かよ、マジでおっかねえ姉ちゃんだな……」

「返答はいかに?」

「……やりてえところだが後ろのでけえのもおっかねえ。やめとくわ」


 グラップラーが濃霧を利用するふうに下がっていった。


 まったく何がなんだかわからないがクロードは状況を把握しなければならず、何よりも敵対の意思なしと示さねばならない。


「俺達も去ったほうがいいなら去る用意はある」

「いいえ、貴方たちはお客様だから去らなくてもいいのよ」


 仮面を外した道化師が微笑み、濃霧の向こうにいるであろう恐ろしく巨大な魚影がコォンと金属質に鳴いた。



◇◇◇◇◇◇



 濃霧の中を騎兵が進む。やがて景色は豊かな森林に変わり、すぐに山林のような坂道が続いた。

 時折現れては道を示す道化師に誘われるままに道と呼べるだけは整備された道を往き、山林を進んでいく。


 やがて標高200メートル程度の小さな山の山頂に出て、そこで先に逃がした義勇兵との再会が待っていた。


「会長!」

「会長殿、無事であったか!」


 その中には近衛に守られたアデルアードの姿もあった。随分と奮戦したのか矢傷が痛々しいが気勢は衰えてはいない。


「殿下もご無事でしたか。戦力把握は?」

「思ったよりは逃げ延びている。数は聞くな、まだ合流の途中だ」


 察するものはあった。おそらくは希望や安堵できる数ではないのだろうと。

 濃霧の中に見える仲間達の姿はざっと数えても百は越える。だがおそらくはそれ以上ではないのだ。


 クロードが合流してからも兵の合流が続いた。どこかキツネに化かされたみたいな呆然とした顔つきをしながら合流してくる義勇兵や近衛は徒歩であったり馬上であったりと様々だが皆疲れ果てた様子で、山頂までのぼってくるなり尻をおろして座り込んだ。

 やがて誘いの道化師が戻ってきた。


「まぁこんなところでしょう。他に関しては諦めてもらうほかにないわ」

「合流を手伝ってくれたのは感謝するが……」


 アデルアードが指揮官として会話を持ち掛けたが彼も情報を持っていないのだろう。不信感に満ちている。義勇兵は未だこの女の目的を知らず、敵か味方かですら定かではない。


「貴殿は何者であろうか?」

「その質問に答える前にあちらをご覧なさい」


 いつの間にか霧が晴れていた。

 すっかり暗くなった夜空に浮かぶのは彼方に浮かぶ町明かり。あれほどに高い山の上に町があるのかと驚くほど煌びやかな宝石箱のような夜景だ。


 何より驚くのは夜景に照らし出された町の上に浮かぶ天空都市の異様だ。


「あれなるは魔神都市アーバックスにございます。首長国連邦が盟主リヒトシュテイルに代わり、このラクス・リ・ラクスがご案内いたしますわ」


 この場にいたってクロードがようやく気づいた。

 ここはあのLM商会の本拠地だ!



◆◆◆◆◆◆ 



 濃霧に包まれた戦場を睥睨する丘上の軍師は兵へと帰還の命を出した。ここはABC首長国連邦の近隣であり、ここで不可思議な事態に見舞われたなら退避が正しい。

 何より彼の紫の眼は濃霧の向こうを泳ぐ巨大な神の気配を感じ取っている。


「よろしいのですか?」

「無理をする場面ではない。威力偵察のつもりでLM商会と事を構えるのは荷が勝ちすぎている」


 虜囚はすでに揃っている。彼の足元に並んだ者どもで情報収集は充分に足りる。


 紫の軍師が捕虜を見下ろす。それは王者の睥睨であり、彼の視線を浴びた義勇兵は生きた心地がしなかった。


「そう身構えないでほしい。素直にしゃべってくれるのなら命までは取らぬよ。……そう、素直にな?」

「貴殿らはどこの軍だ?」


 捕虜の中でバド・クランプトンが吠える。


「ELSではないな。ELSならば軍旗を隠す理由がない。この情勢で軍旗を隠してまで捕虜を欲するのなら貴殿らの正体はラフレシアか?」

「バド・クランプトン、駆け引きがしたいのなら勝者の立場になるのだな」


 誰の目にも見えぬ斬撃が風のように吹いてバドの縛られた両腕から小指が一本斬れて飛ぶ。

 それでも彼の眼に怯えは浮かばない。


「ラフレシアではないと。ならばシャピロか?」

「幾つもの名を有力候補の中から順々に挙げていくのはご両親の薫陶のたまものであろう。だが駆け引き遊びはここまでだ。エレノア、この者どもの処遇は任せる」


 軍師の傍に控えていた老魔女が馬を進ませる。


「おや、よろしいので?」

「気骨のある若者は嫌いではない。だがそれは俺に愛想を振る気のある者だけだ」

「ではこの者どもは貰いましょうか。あんたたちは運がいいね、この究命者エレノアの玩具になれるんだからさ」


 彼女に操られたアンデッド兵どもが捕虜の縄を引いていく。錯乱してアンデッドに体当たりをするなどの抵抗した捕虜はその場で切り殺されてアンデッドとして起き上がった。


 死んだ仲間の姿をしたアンデッドに縄を引かれる義勇兵にはもはや抵抗する気はなかった。……彼らは思い知ったのだ。

 運がいいなんて悪い冗談だ。デス教団大司祭エレノア・アスコットに捕まるということがどういうことか、彼らはもう思い知ったのだ。

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