俺を見るな
ビップルームへと降りるエレベーターはコック式レバーをマニュアル車のギアチェンみたいに動かして移動階を決める。地下四階からはオーナー一族とカジノの支配人クラスのみに所有を許された鍵を用いて移動可能になる。
だがマリア様が持つ鍵はワイスマンカジノという名の魔導工房の主ガイゼリックの領域へと往ける特別な鍵だ。
降り立った階は嵐の空に浮かぶ古い神殿みたいなエリアだ。
吹き抜ける砂色の風はどこかダージェイルの香りがする。懐かしい。ただただそう感じる。……なぜだ?
「嗅覚は記憶野と密接な関係のある器官だ。おまえのそれは砂漠と言えば大砂海という安直なイメージが想起させた意味のない感情だ」
「エロ賢者か」
学生新聞部の盗撮魔がマントをばさっと広げる。
もう一度広げる。三度広げる。マントを買ってもらったばかりの子供かよ!
「よく来たな救世主、幾多の神々と友諠を結び人界を在りし日の形へと戻すために戦う使命感に酔う愚か者よ」
「へえ、やっぱり俺のことは知っていたってわけだ」
「この会話の七手先で俺を実力で屈服させようとするお前を先に牽制させてもらう、速攻魔法発動!」
ガイゼリックが封筒を掲げる。こいつ東方発祥の術符を用いて魔法領域の負荷を軽減する符術師だったのか、まずい―――!
……
………いや何も起きねえわ。魔法符かと思ったがちがうんかな?
「……(すっ)」
封筒を渡してきたわ。何なんだよこの封筒マジで。
封筒を開く。便箋を読む。
『妻帯者であるにも関わらずセフレが五人もいる事実を公にする手筈は整っている。女子寮に謎の怪文書が出回るリスクを呑めるのならやってみろ』
「これは卑怯だろうが!」
「おまえみたいなトンデモ野郎と戦えるわけがあるか! 俺は本気だぞ、学生新聞部のありとあらゆる伝手を使って貴族社会にバラ撒くからな!」
こいつ目がマジだ。本気でやるつもりだ。俺の好感度を抹殺するつもりだ。
「さらにはお前が所有する資産から物件情報並びに拠点の位置。協力者の住所氏名をまとめて書いた書類をデス教団に投函する用意もある!」
「やめろぉおおお! 本気で怖い手を打つな!」
あいつら容赦ないんだよ。非戦闘員とか関係なく呪殺テロ仕掛けてくるんだよ。拠点を幾つ破壊してもわらわら湧いてくるし!
「いいな、俺は本気だぞ、お前の苦労を一瞬で水の泡にできるんだからな。わかったら大人しくそこで見てろ、いいな!」
くっ、この男本気すぎる。なぜ俺のことをここまで綿密に調べ上げていたのかわからんがやべー男なのは間違いない。何しろ目がガンギマリしてる。
怒鳴り散らしたせいで肩で息してるエロ賢者が口元をハンカチで拭き拭きしてる。
「これが王者のデュエルだ。王とは戦う前から勝利しているのだよ」
「卑劣すぎる……」
「暴力で殴るか情報で殴るかのちがいであろうが。先に行っておくがこのガイゼリック・ワイスマン勝利のためなら手段は選ばん!」
意気揚々とカジノ荒らしに来たのに初手で完封されてしまった。
イザールの銃は欲しいけど明日からのみんなの視線を考えると怖くていけない。特にロザリアお嬢様に関しては本気で軽蔑されると思う。
おい女子二名、俺から封筒をもぎ取ろうとするのはよすのだ。
「何が書いてあるのか純粋に気になる!」
「明日から旦那をタダでこきつかえる夢の切符!」
「邪悪な夢を見るのはよすんだ」
封筒を魔法で燃やす。これで秘密は灰と化した。
同時にエロ賢者の危険度が俺の脳内で更新された。こいつはただの盗撮魔ではない。情報通の盗撮魔だ。
「一つ教えろ、おまえはいったい何者なんだ?」
「盗さ……写真が趣味なトレジャーハンターだ。七月に個展をやるから興味があれば来場するといい」
「それはどちらの写真だ」
「愚かな質問だ。俺がどこぞの美しい風景を収めたとしておまえを誘う意味があると本気で考えているのか?」
「じゃあ……」
学生新聞クラブは期末考査明けに夏の大写真即売会を開催している。半年かけて撮り溜めしたおたから写真の一斉解放なので期末試験を終えた男子たちがうっぷん晴らしのドカ買いをしていくのである。
新聞部特派員は各々がブースを構えている。売り上げによって部内の序列も決まるので部員も本気だ。
「リクエストがあればこの場で言え、何者の写真であろうと俺に不可能はない」
「負けたよ、俺の負けだ」
俺は屈した。敵対には重いリスク。交友には甘いリターン。なんていうか仲良くする以外の選択肢が怖い男だ。
「ロザリア・バートランドの盗撮写真を頼む」
「うむ、我が軍門に降る者へは相応の見返りを用意してやる。楽しみに待つがいい」
別に手下になったわけじゃないがエロ賢者とがっちり握手。
俺は負けた。だが未来に希望の火をともしたのだ。
「さあ掛かってこいマリア様、ガイゼリックが相手をするまでもない、ここは一の親友であるリリウス・マクローエンが相手になる!」
「おいおい敵に回りやがったよ」
「ここまで立ち位置の不安定なやつ初めてだなー……」
「さすがの俺もお前のコウモリぶりには恐怖を禁じ得ない」
うるさい俺はおたから写真のためなら何でもやるぞ。
「ふっ、あの女を倒した暁には友情の証として展示してた権能銃をくれよ」
「しれっと自分だけ神器を貰うつもりかよ」
「あいつが一番の敵だよね」
「信頼してはいけない人間であることは間違いないな。邪魔だからどいてろ」
悲報、裏切ったにも関わらずそっこーでワイスマン陣営から追い出される。やつの手札を背後からこっそり見て伝える作戦はダメだったか。
少しずつ積み上げつつあった信頼さえも失い俺はすごすごと観戦席に回る。
卓を囲む二人に声援を送る。
「がんばれマリア様ー!」
「味方に戻ってきちゃったよ……」
「旦那ぁ、さすがのナシェカちゃんも無報酬ではフォローできませんぜ」
「金をやればフォローしてくれそうだな」
「へへっ、お駄賃次第ですがそりゃあもう全力でフォローさせてもらいますよ」
マリア様たぶんこいつも敵だよ。俺が言えたこっちゃないけど!
そして勝負が始まる。
マリア様の手札は……
A⑥⑥JJJQだ。普通にいい手札だ、最速で一回ドロー&相手の捨て札で上がれる。セブンフォール・ナインブリッジはマージャンに似てるけど上がり役に拘らなければ比較的すぐに上がれるからな。その分強い役で簡単にひっくり返されるから強い役を作るゲームメイクが必須なんだが。
ガイゼリックがカードを引いて捨てる。マリア様が山札から一枚引く。
A⑥⑥⑥JJJQ。ここで六を引くか、やはり持ってるな。運命のダーナに愛されているとしか思えない強運だ。
セオリーならクイーンを捨てる。Aのペアはガード効果があるため相手が抱えていてもまず捨て札では出てこないが、ガイゼリックはAを捨てた。やつも良手札でありセット寸前のため不要なAを処理したと見るべきだ。
つまりQを捨ててA待ちが正しい。
「どうかな?」
「「これ」」
我らセコンド陣の意見も割れずQを指さす。Qを捨てろ指示だ。
しかしマリア様はAを捨てた。
「ちょっマリア!」
「え、こっち持っとけって意味じゃなかったん?」
ミス発生。こいつらバトル時以外のコンビネーション悪いな。
まぁクイーン待ちでも失敗ってほどじゃない。むしろ早めにスリー・オブ・ア・カインドを二組揃えているので全然ありだ。
ガイゼリックがカードを引いて捨てる。
マリア様がカードを引く。クイーンだ。ツモった! ほぼ最速ドロー!
「アングリフだよね。ブリッジ申請」
ぺナを恐れず迷いなくブリッジを申請する男気。山札からのドローは……
「やった! スリータックってんだよね。何点?」
怒涛のクイーン連続引きで高得点役を成立させたあ。マリア様マジで怖いんだけどダーナの愛し子か何かなの?
自称レフェリーな気分の俺が卓上にある点数表で確認する。
「スリータックが80点。六×三で18点。絵札×六枚で30点。計128点だね」
「やった。これすごくない?」
「すごいすごい、油断すんなよマリアー」
「だいじょぶだいじょぶ、今日は勝てる気してるもん!」
本当に勝ちそうな気がするからすごいぜ。
ナシェカに耳打ちする。
「おい、これでどうやったら負けるんだよ。闇に降り立った天才くらいギャンブルの神に愛されてるじゃねーか」
「いやいや奴も強いんっすよ。マジでマリア並みの強運持ちだから。ガイゼリック、手札見せてよ」
「なぜそんなことをする必要がある?」
「それくらいいいじゃん。こっちは素人三人であんたはプロでしょ、ハンデと思って見せてよ」
「ふんっ」
ガイゼリックが手札をテーブルへと放る。
AAAJJJJだ。……は? フォーカインドカインド・セットだと? いつの時点でだ、まさか手札の時点でか?
「私達の指示通りマリアがAを捨ててたらそっちが勝ってたってわけね」
「持っている者とは正しい判断をできる者を指す。ルールの習熟など勝敗には何の影響もないのだよ」
トランプ勝負なのに能力者バトルものみたいなセリフが飛び交ってる。え、そういう勝負なの? 相手の手札が透けて見える能力とか引きたいカードをディスティニードローできる能力で戦う超能力バトルトランプなの?
世界って広いんだなあ……
第二ゲームが始まる。また良さそうな手札だ。マリア様の人生がイージーモードすぎてどん引きしてんだけど。
プロ麻雀リーグを観戦しているような気分になってきた。こうなってくるとガイゼリックの手札も見たくなるな。
超速でガイゼリックの背後に回ろうとしたらカードをテーブルに伏せやがった。どういう先読みだよ。
「さあゲームを再開しよう」
ガイゼリックが手札を伏せたままゲームを進める。たった七枚のカードの暗記なんて素人にもできる。驚くには値しないが次のゲームでは最初から手札を伏せたまま一度も見ずにゲームしている。カードが透けて見える異能でも持ってんのか?
四度のゲームが行われ、ガイゼリックが劣勢を覆したと思ったら五回目のゲームでセブンフォールを決めて特殊勝利しやがった。これ俺の知ってるセブナイじゃねえ。本物の異能バトルだ。
◇◇◇◇◇◇
マリア様が負けた。
「ほえー……」
真っ白に燃え尽きたぜと言わんばかりに放心している。ギルドのクエストで稼いだばっかの50テンペルを丸々もってかれた人間のする顔だ。リアリティしかない。
仕方ない、ここは俺が全裸になろう。なお比喩。
「マリア様、これを使ってくれ」
「……?」
「俺は挑戦を封じられた身、マリア様に勝利を託すよ」
「発言と行動は格好いいのにさっきの裏切りがちらつく……」
「もう欠片も信じようって思えないよねえ」
「頼むから忘れてくれ」
金貨50枚を俺が出し、第二戦が始まる。
しかしなぜだろうか、まったく勝てる気がしない。
「アングリフ。フラッシュ成立90点」
「アングリフ。エース・フォーカインド成立124点」
「アングリフ。40点。」
「アングリフ。52点。ゲームセット」
あっさり負けていくマリア様の姿を見ながら思った。
これは正攻法で挑むこと自体間違ってる。異能バトルなら先に相手の異能を見抜かないと勝てるわけがねえ。
出直しだ。まずはガイゼリック・ワイスマン、こいつを調べないことには話にならねえ。
◇◇◇◇◇◇
エレベーターで地下から地上フロアにあがるとカジノがざわついている。何かと思って神器コーナーを見に行くとイザールの剣銃に売約の札が掛けられているシーンだった。
「一番乗りが現れたか!」
「ぐぉおおお! 一番欲しかった神器が!」
「誰だ、誰が手に入れた! 幾らでも出すぞ、私に売ってくれ!」
おじさんたちが発狂している。正直オモシロ……じゃなかった。もう俺には関係ないとはいえイザールの銃はマジで惜しいな。あいつの権能銃なんて絶対強武器じゃん。
発狂するおじさんたちから離れたところに親父殿たち三人組を見つけた。
「おや、見ないと思ったら地下で遊んでいたのか」
「まあな。親父殿は野次馬か?」
「そんなところだ」
「じゃああの銃を誰が手に入れたか知らないか?」
「それが公表はしないのだとよ。神器ともなれば当然だろうな」
だろうな。神器を手に入れたなんて噂が広まればそいつは近日中に死体になってる。個人での所有なんてメリット以上にデメリットが大きく、大抵が国家や神殿、大貴族にのみ所有が許される……
いや神器を狙い者どもから宝物を守れるちからを持つ者だけに許された財だ。神器ってのはそういう品なんだよ。まぁ俺はクランメンバー全員に配布してもなお余る二桁以上所有してるが。
「リリウス、間違っても奪おうなんて考えるなよ」
「わかっている。上手くやるよ」
「お前のそういうところが不安で仕方ないんだ」
「きちんと交渉で手に入れるよ。神器くらい俺も二桁は持ってるんでね」
「うん、それなら安心だ。話は変わるが……」
なぜか疑いの眼差しを向けてくる親父殿である。更年期か?
「俺の財布を知らんか、なぜか毎回おまえと会った後になくなるんだが?」
「さっきそこで拾ったぜ。気をつけろよ」
空になった財布を渡す。だからなぜ息子を信じないんだ親父殿よ。
「なぜかお前と会ったあとに必ずなくなるんだが?」
「気をつけろよ、味方の中に敵がいる」
「……そうか」
何かを言いたそうな親父殿がぐっと堪えた。長兄は人斬り大好き。次男は魔王化。五男はスリ師。マクローエン家はいったいどうなっているんだ。
三人組と別れる。カジノを出ようって頃にマリア様が言う。
「味方の中に敵がいる……どの口で?」
「父親と会う度に財布スる息子ってどうなの?」
「俺あいつが嫌いなんだよね」
カジノを出るともうすっかり夜で寒い風が吹いている。今年の五月は随分と寒い風が吹くもんだ。
久しぶりに過ごす帝国の冷たさにまだ慣れていないだけかもしれない。……女子二人はけろっとしてるしこっちか。
背中の空いたナイトドレス姿だというのに寒がる素振りもないマリア様にジャケットを掛ける。
「へ? 別に寒くないけど?」
「そうじゃない。レディーが無暗に肌を見せるものじゃない」
「そっか、そういうものなんだ……」
何かに気づいたマリア様がやや目を細めた。
「このドレスを用意したのリリウスじゃん」
「でしたでした。全部俺が悪いんですぅ」
「そこまでは言ってないじゃん。ばーか!」
緩んだ微笑みと柔らかい態度で察した。
今まで被っていたネコみたいな外側が剥がれて素の彼女がようやく見られた。……俺が勝手に作り上げていた救国の聖女なんて理想像も失せた。
普通の子だ。この子は本当に普通の女の子だ。やや高めの道徳心と高い戦闘能力を持つというだけの女の子だったんだ。
気づいた瞬間に胸がじくりと痛む。
俺は彼女に背負わせるのか。ただ乙ゲーの主人公だったという理由だけでこんなにも重たい使命を背負わせていいのか?
彼女を操り人形にして使命を背負わせるのみならず誰を愛するかまでコントロールしてゲームをなぞってエンディングまで突き進めるなんて……
一度はリリウス・マクローエンという配役から逃げ出そうとした俺が?
「あー負けた負けたぁ! 負けたけどさ、今日は楽しかったよね」
「……楽しかったか?」
「リリウスは楽しくなかった? 外泊してー、おいしいランチ食べてー、トランプで遊んでー、ギルドで大金手に入れてー、最後に負けちゃったけど総合的に見て楽しかったからよし! 明日も楽しい日になればいいな」
楽しかったことを指折り数える彼女を見ているだけで心が痛む。
どうして笑いかけられるんだ? 俺は貴女を操り人形にしようとしているのに…どうして……?
夜闇に雪片が舞う。はらりはらりと降り落ちる降雪の中で彼女は白い息を漏らしながら笑ってる。
「ねえ、明日はなにしよっか?」
「貴女がもっと嫌な女ならよかったのに……」
完璧な計画を建てたと思っていたよ。完全な準備を終えたと思っていたよ。
でも気づいてしまったんだ。これから死んでいく何十万っていう人々も学院にいるみんなも記号なんかじゃない。キャラクターなんかじゃない。
主軸となるはずの貴女でさえ救国の聖女なんて都合の良いだけの存在じゃなかった。
そんな当たり前のことにどうして俺は……




