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最終章 『春のマリア』  作者: 松島 雄二郎
帝都決戦編 レミングの進軍
326/362

怪奇、メシのうまい宿

 目覚めたら知らない天井だった。もうすでに二桁くらい言ってきたあの伝説のセリフを言う気分でもなく、澄んだ心と眼で眼前にいる、俺の目覚めを待っていた(と思われる)女性と見つめ合う。


 知らんおばちゃんがいる。ビッグマムとしか言いようのない貫禄ボディのおばちゃんが俺の額に乗っていたおしぼりを外して、新しい冷たいおしぼりを乗せてくれる。


「ようやくお目覚めかい。あんた三日も眠っていたんだよ」

「マジすか……」


 おいおいおい、三日も昏倒していた俺を知らんおばちゃんに預けて放置している連中がいるらしいよ。

 激闘を終えた男の目覚めを待つのはヒロインの仕事だろ。くそっ、ヒロインぢからに欠ける奴らばかりで俺は悲しいぞ! 誰か一人くらい俺が目覚めるのを隣で待っていてくれる美少女はいなかったのか!?


 しかしそれはそれとしておばちゃんは優しいイイおばちゃんなのである。


「何か食べるかい?」

「じゃあ胃に優しいものを」


 リクエストするとおばちゃんが部屋から出ていった。

 マジでここどこだよ。超展開はやめろよ。せめて通常空間であってくれよ。そう念じながら窓を開くとじつに心に優しい港町の光景が広がっている。


 遠景にはバートランド公爵家の旗を掲げる艦隊の停泊が見える。おーけーおーけー、悪くないぞ、これは無駄に大量に色々なものを購入したナシェカが現れるパターンだな。


 おーけーおーけー、ジベールの時は鼻水を噴き出したが今のリリウス君は胆力と財力が違うぜ。例え無人島を買ったのだとしても笑って許してみせるさ。


 しかし待つこと十五分、やってきたのはトレイに煮込み料理を載せたおばちゃんだけである。あのド外道キリングドールにはヒロインとしての自覚を持ってほしいね。


「食べられそうならお食べよ」

「申し訳ないねえ。では遠慮なく」


 煮込んだ塊肉がスプーンでほろりと崩れる。これは随分と煮込んであるなと口に含めば肉そのものにも旨味がある。肉汁が抜けきってカスカスな肉ではなかったのだ。

 味はまろやかで優しい。口当たりも優しい。熱さも優しい。入っている物に一つとして無意味な食材がなく、噛めばきちんと味を主張してくる。

 さ…さぞ高名な料理人の仕事と見た。ここまでの丁寧な仕事は俺には作れねえ。完敗だ。


「どこか痛むのかい?」

「いえ、うますぎて涙が……」


 シチューで俺を泣かせるとはこれを作った奴は料理神だよ。大量に作れるのだけが利点の雑な料理でここまでの調和を……

 このレシピを手に入れたら我がLM商会は食の天下を取れると思う。マジで。


「そうかい、口に合ったようでよかったよ」

「これはおばちゃんが作ったの?」

「そうさ。あたしの腕も捨てたもんじゃないだろう」

「本当にうまいよ。お代わりください」


「はいよ、もうちょっと腹に溜まるものも食えそうかい?」

「おばちゃんの作った物なら何だっていけそうな気分さ」


 頼んでから二十分後。パスタの大皿がやってきた。ミンチ肉とナスの分厚いスライスが透明なスープに浮かぶスープパスタだ。これも当然のようにうまく、そして腹にどっしりと溜まる。

 澄み渡った夏空のような味付けだ。どんな味なのかと聞かれてもそうとしか答えられない。見渡す限りに広がる大草原から空を見上げているような気持ちになる。めっちゃあの草原に帰りてえ。どこか知らんけど。


「どうだい?」

「めっちゃうまいっす」


 こいつは幾らでも食えそうだぜ。

 でもメシを食って人心地がつくと現状に疑問が出てくるのが人間だ。メシ食って眠ってるだけってわけにはいかねえんだよ。


「おばちゃん、ここはどこだい?」

「サイラスだよ。あんたの親父さんに頼まれて預かっていたのさ」


 知らぬ間に公国まで戻ってきていたのか。

 それだけ分かれば充分だ。詳しいことは親父殿に聞こう。


「もう行くのかい?」

「あんまり迷惑をかけたくないからね。とはいえまたメシを食べたいからさ、諸々の用事が終わったら戻ってきていい?」

「構わないよ。腕によりをかけて仕込んでおくからさ、日が暮れるまでには戻ってくるんだよ」

「うん、頼むよ」


 何だろうねえ、これが母性なのかねえ。ビッグマムの微笑みに癒されるぜ。


 サイラスの港町は出発した時よりも明らかに人が多い。あの港町にいた兵隊どもが艦隊で上陸したのだろうが随分とドルジア色の濃い町に成り果てている。あのおばちゃんには申し訳ねえなあ。

 故郷を占領した軍の司令官の息子の看病をやらせるとか鬼かよあのクソ親父。俺は断固おばちゃんの味方をするぞ←過去最高の裏切り具合。


 町を歩いていると普通に学院で見た顔を見かける。学院からの義勇軍ってやつなんだろう。まったくどんな卑劣な謳い文句で無垢な学生を死地に誘引したのか考えたくもねえが、まぁクリストファーの仕業なんだ。


 無印春のマリアだと三年間プラスαの間に学内に大きな影響力を作っていたクリストファーだがEPブルーピリオドだと奴には無垢な学生を己の信者に変える時間はなかった。というよりもガレリアという協力者を手に入れたあいつには学生派閥なんて必要なかった。

 だから何の躊躇もなく死の行軍に誘引した。この遠征の間に可能な限り殺すためにだ。貴族階級から戦うちからをごっそりと奪い取るためにだ。


 司令所がわからないのでその辺の兵隊に場所を聞く。いや案内してもらう。

 以前サウナがてらにこっそり侵入したサイラス市を治める貴族の館がバートランド公の居城になっていて、そこが司令所になっているようだ。


 司令所に顔を出すと親父殿が書類束から顔をあげた。難しい顔をしているので数字ばかりが並んだ面倒な書類と見た。


「忙しそうだな」

「まったくな。糧秣やら軍馬の飼料やらの把握にてんやわんやだ」


 二万の公軍に加えて本国からやってきた増援も食わせなきゃならない。元々サイラス市の人口がおおよそ三千だか四千だかと見積もって、貯蓄されていた食料や供給可能な食料がどんなもんかを予想するに大幅に足りないはずだ。

 ガンズバックが掌握したはずの公都アルジャハルからも供給も……どうなんだろうな?


「足りるのか?」

「足りるのならこんな顔で書類を眺めはせん。どうやりくりしたもんかと頭が痛いぞ」

「そいつは大変だ」

「大変なんだよ。ったく、息子に愚痴るとは俺もジジ臭くなったもんだ」


 ジジくささはともなく貧困のマクローエンを何とか維持していた親父殿が頭を悩ませてるんだ。まぁ普通の方法では無理だろ。


 ちょっとお友達に電話してみよう。時差は二時間程度だし問題なさそうだ。


「アビー、ちょこっと頼みがあるんだけどいいかな?」

『……まずは聞いてみましょう』


 警戒と不信感が出てくるのおかしくない? 俺そんな無茶振りマンだと思われてるの?


「大量の食糧が欲しいんだよね。小麦でも野菜でも何でもいいや、金は払うから空輸してよ」

『思ったより優しい案件ね。大量ってどのくらい?』

「そりゃあもう大量さ。飛空艇に満載するくらいの気概で来てほしいね」

『ふぅん、そっちも大変そ。じゃあ足元を見てもいいわけだ?』

「玄室がいっぱいになるくらいの金を用意して待っているよ。位置情報を送るね」


 はい、話がついた。持つべきものは有能なお友達だ。


「食糧支援の当てならついたぞ」

「助かるがいいのか?」


 いいのかだと?


「いいって何だよ」

「支払いがお前の持ち出しなこと。戦争が嫌いなはずのお前が手を貸してくれること。色々だ」

「いいよ」


 戦争は嫌いだ。争いは嫌いだ。人を殺して誇らしそうにしているカスどもが嫌いだし、そいつに偉そうに勲章渡してさらに殺し合いをやらせるゴミクズどもが最高に嫌いだ。


 でも戦わなきゃ意思を貫けない。戦わない者の言葉は軽く、誰の心にも届かない。

 好きだの嫌いだので振り分けて嫌なことはやらないなんてのはガキの態度だ。意思を通したければ戦わねばならない。

 その辺りの折り合いは自分の中でとっくにつけている。


「いいんだ、色々とな」

「そうか……。助かる」


 このお願いは今後も継続されることになるのだろうが話し合いは親父殿にぶん投げよう。相手はギルドの受付嬢から国主にまで成り上った猛者だぞ、泣きたくなるような交渉に苦しみたまへ。

 冒険者ギルドの受付嬢ってのは癖の強い冒険者や厄介な依頼人をさばいてきた凄腕ネゴシエイターだからな。本職の商人でも泣きを見る手強さだぜ。


 一応バートランド公にも挨拶をしておこうと司令所を出る。同じ屋敷内だが四階より上が公爵家の住むエリアにしてあるらしい。親父殿は結界とかの都合だとか言ってたわ。


 見取り図がないと迷いそうな屋敷であっても俺にはなんとなくわかる。貴族の屋敷には昔からよくお世話になっていたからな。重要そうなエリアには鼻が利くんだよ。

 三階から四階へとつながる階段の前には兵隊さんが立っているので挨拶をしておく。


「うむ、わたしがマクローエン司令の息子のリリウスくんだ。通したまへよ」

「いや、知ってますけど……」

「でしょうねえ」


 普通に顔見知りの兵隊だったわ。帝都の屋敷の前によく立ってる勤勉な兵隊だ。やはり公爵家の守護神的な存在なのだろうか?


「公にお会いしたいんだけどご不在?」

「本当は会いたくないんですね……」


 よくわかってるじゃねーか。誰がすき好んであの毒気マシマシオヤジに会いたいよ。

 可能な限り会いたくないけどエライ人だから会わなきゃいけないだけだよ。


「リリウス様ならいつでもお通ししてよいと仰せつかっております。さあどうぞ」

「っち、会うしかねーのか」

「あなた本当に何しにきたんですか……?」

「会いたくないけど会わなきゃいけない切ない男心があるのよ。わかる?」


 守護神は賢明な男だ。こういう絶妙にひどいジョークには付き合ってくれないらしい。そっぽ向かれたわ。

 退屈なやり取りをしていたら後続がやってきた。こっちも顔見知りだ。


「皇室立騎士学院義勇兵の兵団長クロード・アレクシスです。バートランド公に御取次ぎを願いたい」


 クロードが生徒会の面子を率いてやってきた。


「もちろん彼の後でもよいので」

「承りました。べリウス、公にお伝えしてこい」


 兵隊の一人が階段をあがっていった。


 公は一応エライ人だから来客があったからって必ず会うわけじゃないんだよ。つか普通は面会の予定を何日も前から手紙でやりとりをするんだよ。平時ならね。

 戦地では何事も迅速に行われ、決定される。命が懸かってるからだ。


「ようクロード、来ていると思ったぜ」

「そっちも来ていると思ったよ。後で時間を貰ってもいいか?」

「決闘以外の用事なら喜んで。決闘なら急な腹痛でダウンするぞ」

「そこまで嫌がるか」


 苦笑されたが決闘だよ。誰が好んでやりたがるってんだよ。フェイに挑め、俺にさえ隠している本気モードを引き出してみろ。今のところ三つくらいルキアとナルシスが確認しているらしい竜王律とかいうやばそうなの。

 ここは華麗に話題を変えておこう。


「公に用事か、どんな用事なんだ?」

「クリストファー皇子殿下の軍に合流したいのでね、船を借りたいと打診していてその返答を賜りにきたのさ」


 なるほどね。そっちは呼び出されたお客さんで、こっちは呼ばれてもいないのにきた迷惑な客ってわけだ。


「そういう理由なら面会の順番は譲るぜ。先に大悪党おじさんの精神力を削っておいてくれ」

「大悪党ね、公に近いキミの表現だから怖いね」

「あれだけの大悪党は中々いねえぜ。ロザリアお嬢様の父親じゃなかったらとっくに殺しているよ」


 バートランドの兵隊が一斉に嫌そうな顔になったぜ。

 いざとなれば救世主と戦わなきゃいけない彼らが可哀想だ。


「公にはどんな罪があるんだ?」

「本当に知りたいのならここでは聞かないでくれ。こいつらが襲いかかってきかねない」


 それは本当にこいつらが可哀想だ。


「それよりもアーサーくんよ、昏倒した俺を放置するとかどういう所業だよ」

「放置とは人聞きの悪い。……まぁ元気なようで何よりだ」

「結果論」

「なんだ、僕に看病してほしかったのか?」

「ファリス先輩なら喜んで」


 野郎の看病なんて願い下げだね。すかさずクロードの隣に佇む美女先輩の手にキスをする。


「女性関係の清算はー?」

「してませーん」


 ちくしょう、一斉に笑い出しやがった。でも懐かしいな。

 去年の秋頃まではいつもこんなふうに笑って過ごしていた。学生生活はフェイに言わせれば怠惰な寄り道だったのかもしれないけど俺は気に入っていたよ。本当にさ。


 旧交を温めていると兵隊が戻ってきた。公がお会いになるそうだ。帰りたくなってきたぜ。


 四階にはけっこうな数の兵隊がいる。公くらいになると護衛の数も多いなって感じだ。

 通されたのは豪華な内装の執務室。前の主の趣味はそれなりに良かったらしい。俺は遠慮しようとしたが公は来客を一斉に片づけたいらしい。一緒にお会いになるそうな。


「まずはリリウスくんの回復を祝おう。君にはまだまだ働いてもらいたいからね」

「祝いは形ある物で示してほしいところですねえ」

「ささやかながら回復祝いの食事会を開こうと思う。明日の夜は空けておいてくれ」


 それは罰ゲームだよ、と思いながらもイイ返事をしておく。

 エライ人には媚びておくのも世渡りの鉄則だ。まぁ度を越したら殺すが。


「そしてクロード君と模範生徒の会の諸君、待たせてしまったね」

「いえ、何よりも我が友の回復を祝っていただけたことに感じ入っております」


 クロードがじつに好青年な返答をし、公がニコニコかつ腹黒な笑みを浮かべ直した。この返答だけでクロードのどこに目をつけた? 俺の考えすぎか?


「やあ、素晴らしい返答だ。リリウスくん、貴公子とはかくあるべきではないかと思うのだが君はどうかな?」

「公がお望みなら幾らでも貴公子らしく振る舞ってみせましょう。貴公子とは悪を討つものでしたか?」

「騎士物語に出てくる貴公子ならレイピア一本で強大な悪に立ち向かうだろうね。だが今一度思い直してほしいのは悪党にも家族がいて、父親の死を悲しむかもしれないということだ」


 事実確認みてーな会話だな。


「あんまり調子こいてると本当に殺しますよー?」

「あははは! うん、ここまでにしておこうか」


 しておけ。俺に会話を振るな。

 公が生徒会の面々に視線をやる。俺と公の危ない会話に冷や汗を掻いている可愛そうな方々にだ。


「イース侯爵家の軍に向けて物資を送る船がある。君達を乗船させる隙間くらいは作れるはずだ」


 なるほど、イース軍に支援物資を求められたから親父殿が苦労していたわけか。

 本国からの船が到着したにも関わらず悩んでたんだ、予定に無い出費でアイタタタってわけだ。


「乗船にあたっては西のマウアー湖まで向かってもらわなくてはならない。徒歩での行軍になるがよいかね?」

「公のご助力に感謝いたします」

「よろしい。では明日の夜明け頃に輜重隊を出発させる、これに同行するといい」


 よし、用事は済んだ。こんな空気の悪い部屋からはとっとと退室するに限る。

 しかし退室間際に声をかけられてしまった。一旦油断させてから本題、このおっさんの常套手段だ。


「しかし不思議なものだ」

「一応何がと聞いておいた方がいいやつですか?」


「その社交性は高く評価できるよ。いやね、今の今までリリウスくんの存在を忘れていたんだ。昏倒して何日も目を覚まさないとは確かに聞いていたし、医者を手配もしたのに頭から抜け落ちていたんだ。不思議だね?」


「ただの更年期障害でしょう」

「かもしれないね。娘にも会っていきたまえ、きっと心配している」


 扉を閉じる。いまの会話はなんだ? わからない、わからないのは怖い。あの悪意の巨人にだけわかっているってのは俺側のミスだ。マジで何の意味もない揺さぶりかもしれないけどな。

 閉じた扉の前で生徒会の皆さんが一斉にため息をついてる。


「リリウスくぅ~ん? 心臓に悪い会話はやめて。てゆーか公と仲悪いの?」

「仲悪いなんてもんじゃなかったと思うが。マジで勘弁してくれよ、護衛騎士が抜剣しかけていたのが見えなかったのか?」


「気にすることはありませんよ。公は俺を便利に使いたがっているのに対して、俺が一方的に公を憎んでいるだけなんで」

「いや、めっちゃ気になるだろ……」


 だと思う。機会があったら話すかも? 話すかな、話さないと思う。あまりにも汚れた話だし。

 国一番の権力者に弟と妹を洗脳兵隊にされててバチバチ状態なんだぜ。打ち明けられた方が困るだろ。変に正義感を発露されて勇気ある行動を取られたら俺も困る。バートランド公ごときには絶対に殺されない自信があるから敵対できるのであって、彼らにもそれを求めてはならない。


 ロザリアお嬢様の部屋に向かい、まず侍女に話を通して客室に案内され……


「リリウス!?」

 と思ったら部屋から飛び出してきた。


「そういえば昏倒したって聞いていたわよ、大丈夫なの!?」

「そういえばって……」


 まさかこの人一度も俺の看病に来なかったの? ヒロインぢからがゴミすぎてフォローのしようもないレベルだよ? 好感度激減っすわ。


「俺の扱いがぞんざいすぎませんかねえ……」

「それが変なのよね、今あなたの名前を聞くまですっかり忘れていたの」


 ぞんざいなんてレベルじゃねえ、俺の存在が軽いんだ。

 たぶんELSとの戦いの事後処理で忙しかったんだと思うけど忘れられているとまでは思わなかったわ。


「もう少し俺のことを大切に扱ってもらえませんかねえ」

「でも奥さんのいる人を大切に想うのはいけないわ」


 その奥さんでさえ顔を出さない事実である。


 ややショックだったので適当に会話を済ませて適当なタイミングで立ち去った。マジでここの記憶が無い。ややではなくかなりのショックだったのだろう。


 別に大したことはしなかったが移動は全部歩きだったし、思ったよりも時間が掛かったせいでそろそろ日が暮れそうだ。


 なんだか決闘でも挑んできそうな顔つきをしているアーサーくんが言う。


「色々と尋ねたいこともあるがどうやらキミも情報を持っていないようだ」

「まぁ、知ってのとおりあれからずっと寝てたし」

「そのようだ。ところで君はどこで目覚めた?」

「陸地寄りの宿だよ。メシのうまくてな、女将も優しいし居心地のいいところだ」


「そうか。もう一度尋ねるが調子は問題ないな? 嘔吐感や頭痛、眩暈などの症状は?」

「心配してくれるのは嬉しいが問題ないよ。じゃあ俺そろそろ宿に帰るから」


 おばちゃんに日暮れ前には帰るって言ったしな。

 しかしクロードに引き留められる。


「せっかくの再会だ。今夜は義勇兵の割り当て宿に来いよ、みんなもキミに会いたがっている」

「でも女将と日暮れ前に帰るって約束しちゃったんだ」


 ここでクロードとアーサーくんがアイコンタクト。

 やはりおかしいとかブツブツと小声で言い合っているが俺元気だよ。超元気。


「では俺達もその宿に泊まってもいいか?」

「もちろん、客が増えれば女将さんも喜ぶさ」


「仲間を連れていく、は禁則事項に入っていないのか?」

「こいつが僕らを仲間だと判断していないせいで奇跡的に逃れた可能性もあるな」

「それはなんというか心配して損した気分になるな。俺とアーサーはこのままリリウスに同行する。バドは俺の代行を頼む。レックスはファウル司令に状況説明。ファリスは念のため宿で待機していてくれ、俺達が術中に嵌った場合の対応はファウル司令と相談の上でやってくれ。おそらくはかなり不味い状況だ」


 なんの話してんだこいつら?


 宿屋に連れていく。おばちゃんは案の定歓迎してくれて、暖炉付きのダイニングの大きなテーブルいっぱいに載った手料理で出迎えてくれた。


 お袋の味って感じの優しい料理なのに鳥肌が立つほど美味いんだからすげえよ。世の中には隠れた名人ってのがいるもんだ。

 しかしなぜこの二人はおそるおそる食べているのか?


「な? うまいだろ?」

「たしかにうまい。本当にうまい」

「だが……」

「うまい物はうまそうに食べろよな」

「そうそう、若いのが遠慮すんじゃないよ。ほらしっかり食べて! しっかり食べないと大きくなれないよ!」


 おばちゃんがビッグなお腹をポンと叩く。快音だ。


 食べても食べても追加の料理が運ばれてくる。不思議なものでどれだけ食べても腹に入る。手が止まらない。……っつーのは嘘でさすがに苦しくなってきた。


 空き皿の数がやべえ。回転寿司くらいの重なりができてやがる。

 なんだかんだでクロードもアーサーくんも大量に食べたな。なぜかアーサーくんが愕然としている。


「食べてしまった、手が止まらなかった……」

「止める必要があんのか?」

「この期に及んでもまだ何の疑問も抱かないのか?」


「俺にはお前らが何を警戒しているのか理解できないよ。おばちゃんのあの眼差しを見ろよ、慈愛しかないだろ」

「それは……」

「そうだと思うが……」


 わからん。怪しい魔導師の出したメシならともかく普通のおばちゃんのメシだぞ。

 そして腹が膨れると体の汚れが気になってくる。


「おばちゃん、近所に公衆浴場かサウナ屋はない?」

「風呂ならうちの地下にあるよ。沸かしてあるから入ってきなさい」


 個人経営の宿に風呂か。期待できる代物とは思えないがメシが極上なんだ、期待してもいいかもな。


 これが大浴場だった。俺の寝ていたダブルの部屋よりも遥かに大きな大浴場だ。お湯も透き通っていて公衆浴場のような何日も使いまわしている感じがない。この宿は本当に最高の宿だな。

 だからなんだアーサーくんよその目つきは。


「おい、これを見てもまだ疑問も抱かないのか?」

「経営努力でどうにかなる範疇だし」

「ならない! なるかこんなものっ!」


 そりゃ大浴場の広さと水質が王宮レベルなのは不思議だが別に悪いことはないのにな。


「怒るなよ。風呂が大きくて何が不満だってんだよ」

「怪しいという話をしている!」

「あんな良いおばちゃんまで疑うようになったら人生は地獄だろ」


 アーサーくんを論破してから入るお風呂は極上であった。


 小一時間はゆっくりと入ってから脱衣場に出るとタオルと着替えが用意されていた。このタオルが手ぬぐいじゃなくて本物のタオルだったが気にしないことにした。吸水性が高いことはいいことだ。経営努力だ。客の側が文句をつける理由には一切なりえない。

 風呂上がりにドリンクを用意してくれる心遣いまであるのは本当にすごいと思う。


「ここ、怪しいぞ」

「うるせえ贅沢な体験を黙って享受しろ」


 アーサーくんの気勢が段々落ちてきてるのが本当に面白いな。

 さあ全ての疑惑を投げ捨てて女将さんのおもてなしに身を委ねろよ。その方が幸せだぞ。


 素晴らしい入浴体験の後は部屋に戻る。素晴らしい寝具に身を横たえて、夜の町から聞こえてくる喧騒を聞きながら……

 何も聞こえてこねえ……


「おい」

「特別静かな夜なだけさ」

「クロード! こいつ気づいてるぞ、気づいていてッ!」

「あー、疲れが抜けていくな……」

「クロード! 寝るな、寝たら死ぬぞ!」


 いやそんな雪山じゃないんだから。


「明日が早いんだろ。寝とけよ」

「呑気に眠れるわけがあるか!」


 やれやれ、アーサーくんも見違えるほど強くなったのに心までは鍛えられなかったか。

 豊かな人生を送るコツはありのままを受け入れることだと気づくまで、どのくらいの死線を潜り抜けないといけないのかねえ。



◆◆◆◆◆◆ 



 深夜に目覚めた。起きてる時は何かとうるさかったアーサーくんもクロードも爆睡しているのが面白い。

 すっかり忘れていたバイザーを被るもバッテリーが切れていた。呪力を注いでから起動する。まぁそんなことだろうとは思っていたが着信履歴はナシェカからでいっぱいになっていた。


『今どこ?』

「もしかして心配かけた?」


 同時にしゃべってしまい、次は相手に譲ろうとお互いに思ったせいか沈黙が続いた。


 気兼ねのしない間柄なんて言葉もあるが、本当にそうなってしまったらお互いにとって不幸なことだ。

 だから仲が良くても気遣いをし尊重する。そうでなくては待っているのは人間関係の破綻だ。


「近況報告でもしようか」

『うん』


 俺からはまぁフェルガンを殺したこと。本当は仲間にしたかったこと。クロードやアーサーくんが義勇兵としてこっちに来ていること。そんなところだ。ウェルキンは別にいいや。どうでもいい。


 ナシェカからはまぁ出会いと別れについて。

 命を懸けて守ってくれたこと。その戦いの苛烈さと命を燃やし尽くしたこと。ナシェカがとりとめもなく語ること全て。

 最初から最後まできちんと聞いてやる。たぶん、そうでないと、自分でも何を言いたいのか整理できなかったのだろうから……


『よくわからなくなってきた。愛ってなんなんだろうね……』


「だからたった一つの普遍的な定義をやめろっての。隣人愛、性愛、献身、フェデル・レブナントが選んだのは献身だ。だが他人が人の想いに勝手な名前を付けたって当人からしたら迷惑な話になるんだろうぜ」

『定義しないとわからないし』


 不貞腐れやがった。


「じゃあお得意の定義をしてみせろ。お前だけの愛を見つけろ」


 お前にとっての愛は何か。闘争の箱庭を終わらせる最強剣か何かのようにオデ=トゥーラの語った隣人愛か。

 生命の理屈が唱え続けてきた原始的かつ世界の理である性愛か。

 愛する者のために命さえも投げ出す献身か。


 それとも別の答えを見つけ出すか、そういう話をしてやる。


『……決めるのは難しいよ』

「お前は怖くなったんだよ。お前にとって愛はこの世で一番尊いもので、その光が放つ純粋な想いが思ったよりも強くて恐ろしくなったんだ。……それとも狂気じみた妄信ぶりに恐れをなしたかね?」


 答えはない。たぶん真剣に考えているんだと思う。

 以前は自分で考えても答えはわからなかったって言ってた。でも色んなことを知った今のこいつにはなら答えが出せるかもしれないと、自分でも思い始めているのかもしれない。


「極々当たり前のことすぎて今まで明言を避けてきたがお前はオデじゃない。あいつの使命を継ぐ必要なんてないし、それはオデだって望んでないはずだ」

『どうだろ、けっこう自分勝手な人だったよ?』


「死者の想いなんざこっちで好き勝手に解釈すればいいんだよ。あいつはお前がお前の道を往くことを願ってエイジアから逃がした。これは結論だ」

『……自分勝手な人がここにもいたね?』


「おう、俺は審判の救世主さんだぞ。世界を滅ぼす第一予言さまの御言葉に従って定義しろよ。オデも俺も誰も関係ない、お前だけの愛を定義しろ」


 なんだか恥ずかしい会話をしてるなって思うけどこいつも真剣だからな。すらすらと出てくる。


「己の唱える愛は誰のものと違っていてもいいんだ。己の心が唱える愛を信じろ、それを万人が指さし笑うのだとしても俺だけはそれでいいと肯定してやる」


 最後にとても大事なことを言い含めておく。


「……ただし同意のない監禁や押し付けはダメだ」


 ナシェカちゃんよ、それだけは本当にダメだぜ、俺にも人権があることを理解してくれよな。変なクスリを使うのは本当に勘弁してくれよ。

 なんでガレリアの毒は毒耐性を貫通してくるんだよ、おかしいだろ。

 生命力が高ければ高いほど効果的な毒って原理どうなってんだよ……



◆◆◆◆◆◆ 



 翌朝、昨夜のうちに夜明け前に出立するむねを告げていたのもあっておばちゃんがお弁当を作ってくれた。クロードとアーサーくんの二人分だ。俺? 俺はもうちょっとのんびりすっから。


 アビーに頼んだ食料品の支払いもあるしナシェカにもサイラス港で合流って言っておいたし。

 しかしおばちゃんは三人分のお弁当を出してきた。おかしい。


「おかしくない」

「さあ行くぞ」

「ナンデ?」


 男二人に引きずられる形でマイホームのような宿から旅立つことになった。おかしい!?


「やだやだ! 小生もう少しゆっくりするぅ!」

「何が小生だ! いいから行くぞ!」

「あの宿居心地が良すぎて怖いぞ! 絶対何らかの魔と関わりのある宿だろ! 一度入ったらもう二度と出たくなくなる系の!」

「そんな宿のおばちゃんが笑顔でいってらっしゃいなんて手を振るもんかー!」


 あぁ俺のようやく見つけたベストプレイスが遠ざかっていく。

 なんでこんなひどいことをするんだ。こいつらもしかして敵?


「黙れ! 君がまずやらなきゃいけないのは精神汚染の除去処置だ!」


 これがわりと青ざめる事実の一端を含んでいた。

 学院生の義勇兵部隊に合流し、バド先輩からの証言がこれだ。


「リリウスに聞いた宿だが俺には見つけられなかった」

「道に迷っただけ説」

「それとファウル・マクローエン司令にお伺いしたが君をどこかの宿に預けたという事実はなかった」


 そんな馬鹿な……


「占領軍の司令の息子を現地民の経営する宿に預けるわけがない。それどころか君が顔を出すまで司令は君の存在をすっかり忘れていたのだそうな。俺達も含めた他の生徒も君の顔を見るまでリリウス・マクローエンがこの町にいる事実を失念していたんだ」

「え、マジで?」


 アーサーくんを代表にしてみなさんが一斉に頷く。これはマジのやつだな。


「昏睡状態に陥った君の治療を担当していたのは僕とファリス先輩だが、どう記憶をほじくり返しても君とどこで別れたのかを覚えていないんだ。またキミが行方不明にも関わらずこの三日間誰も探そうとしなかった件に関するつじつま合わせもできない。記憶にないからだ」

「え、マジの怪異?」


 みなさんが一斉に頷き、俺は鳥肌が立つのを感じながらおばちゃんの笑顔を思い浮かべる。めっちゃいい人だったのに……


 サイラス港を出立した公軍輜重隊の馬車と学院義勇兵のみなさん。久しぶりに再会したみんなから手荒な歓迎を浴びながら歩く俺はどうにも釈然としない気分だ。


 まったく世の中ってのはおかしなことがまだまだあるもんだな。びっくりしたぜ。



◆◆◆◆◆◆ 



 旅は続くよどこまでも、ってほどでもないマウアー湖までの行軍はのんびり歩き旅だ。馬車と歩兵がのんびりと街道を歩いている。……まぁこういう説明をするとすでに二日くらい歩いてそうに聞こえると思うがまだ町を出て五分だ。


 後ろを見てみろ、サイラス港の外壁が見えるじゃないか。病み上がりの救世主を歩かせるとか狂気の沙汰だぜ。


「帰っていい?」

「ダメだ」


 アーサーくんは冷たいぜ。本当に人間なのか疑わしい冷たさだ。


「やれやれ、病み上がりで弱っている人を歩かせるなんて心ある人間の所業じゃないぜ」

「リリウス、ナシェカちゃんはどこだ!?」

 って飛びかかってきたウェルキンを裏拳で黙らせる。一発で沈むとは悲しいくらい弱いなこいつ。


「弱っている人間の動きではないな」


 正直に言えばもう完全に回復している。死のちからに呑み込まれた肉体がティトの加護だけでは説明がつかないレベルで復調している。


 軍神アレスと神兵の多くを一度に呑み込むほどのちからを引き出したのは不味かったと反省していたし、実際相当にやばいところまでいっていたと思うが今はこのとおりケロっとしている。俺のしぶとさも相当だな。


「おばちゃんのメシが恋しいぜ。お弁当を食っちまおうかねえ」

「何が入っているかわからないからダメだ」

「アーサーくんには容赦というものがないのか……」

「代わりにこれを食っていろ」


 お弁当の代わりに温かみのない固いパンと水筒を貰った。何も嬉しくない。


 とりあえずナシェカには合流地点変更のお知らせ。マウアイレスでいいだろ。もちろん合流の前にサイラス港でアビーへの支払い用の金品を親父殿に渡していくようにメールしておく。


 やれやれ、おばちゃんのメシが早くも恋しいぜ……

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