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最終章 『春のマリア』  作者: 松島 雄二郎
帝都決戦編 レミングの進軍
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港町の夜③ 苦さ

 交渉は決裂し、もはや戦うしかなくなった。

 つくづく思うのは俺にネゴシエーションは向いてないって事実だ。鍛えもしなかった能力がいつの間にか向上しているなんて都合のいいことは現実にはありえねえってだけだ。


「フェルガ…」


 咳が出る。健康が取り柄のリリウスくんにしては情けない限りだが今日は随分と調子が悪いらしい。

 調子が悪いだけだ。だからルア、そんな心配そうにしないでくれ。


「兄さん、無理はしないで」

「黙ってろ。今だけでいい、俺の好きにさせてくれ」

「でも……」


 ルアを押し退ける。


「フェルガン、考え直してはくれないか?」

「どうして? 私の秘術を調べたのならその必要がないことくらいわかるだろう?」


 こいつが敵地に単身で乗り込んできた理由は単純だ。写し身の一つを砕かれたところで何のリスクもないからだ。

 生命系統の禁呪ラージュ・アルテシラによって生産した自分を中継地点にして自分自身のクローンを操る術者。それがフェルガン・ナザーレだ。


「本体が安全圏にいるからこそ吐けるセリフの浅はかさが何とも言えねえな。あんただって俺の秘術を知らねえだろ」

「それが虚勢でないのなら私を打ち破ればいい」

「いったい何体のゴーレムを潜ませていればそんなセリフが吐けるんだろうな」


 こいつが親父殿を恨んでいて、複数の分身を操れるのなら必ず複数体を侵入させている。

 時間的な理由でこの一体のみかもしれないと考えもしたが、この余裕なら確実に何体かは潜んでいる。


「だがお前は俺を知らない。だからのこのこと俺の目の前に出てきた。千眼の知将のくせに恨みに目が眩んで情報を軽視した、それがお前の敗因だ」

「随分と滑らかな口だ、どれだけ刻めばその口が止まるのか確かめてやろう」


 フェルガンがレイピアを手に突進する瞬間に状況が動く。

 アーサーが剣を抜いて止めに動き、フェルガンに与する士官がアーサーを止めに、リジーだけ慌てている。この子は本当に何をしにきたんだ?


 この期に及んではやることは一つしかない。惜しいとは思うがな。


「分身ごときで俺の手から逃れられると考えたのが敗因だ。どうせ知らないと思うが死出の手向けに一つ決め台詞を送ろう。魔王から逃げられないってな」


 俺の影から起き上がった王の大ナタがフェルガンを圧し潰す。何者も反応できぬ速さで、何者にも防ぐことのできぬ理不尽さでフェルガン・ナザーレの分身を砕いた。

 死のちからが疾走する。フェルガンの分身から本体や他の分身を追跡する死のちからが……


「もしかしたら友になれたかもしれない人よ、あんたの死を悼もう」


 悲しいよフェルガン、あんたほどの男を失うのがな。



◆◆◆◆◆◆



 コップの割れる音が響き渡る。

 主の執務室から聞こえてきた異音に最初に気づいたのは隣室に控える女中であった。


 何事かと執務室の扉をノックしても主からの返事はない。ここで女中はドアノブを回した。まっとうな教育を受けた女中ならハウスキーパーに相談するところだが彼女はややそそっかしく、予定にない出来事に相対すると気が動転する性質の女性であった。


 ゆえに発見が早まった。


 接収した屋敷の主フェルガン・ナザーレは誰にも知られることなくひっそりと死んでいた。死因は刺殺。胸に小さな傷が一つあり、心臓は抉り取られたように体内から消え失せていた。

 その死はあまりにも不可解かつ奇妙なもので、犯人につながるような痕跡は何一つとして出てこなかった。



◇◇◇◇◇◇



 この一撃はたしかに命を砕いたという手応えに口の中に苦さだけが残る。フェルガン・ナザーレは歴史に名を遺すほどの英雄であったし、こんな形で死んでいい男ではなかった。

 かける言葉がちがえば、出会い方がちがえば、何かが違ったなら彼を友と呼べていたのかもしれないと思えば最低な気分しか残らない。


「……この人がELS制裁軍の司令官だったんですよね?」

「そうだよ」


 ルアが馬鹿みたいな質問をしてきた。ささくれだった気分を抑え込んで可能な限り優しく返答することだけが今の俺にできることだ。


「ならもっと喜んだらいいんじゃないですか?」

「俺の忍耐力を試そうとしないでくれ」


 ばらばらになった死体から頭部を拾い上げる。

 可哀想なことに自分が何をされて死んだかも理解できていない男の表情は勝利を確信したままで永遠に停止していて、光を失った眼を閉じてやることしかできない。


「泣いているんですか? どうして?」

「どうしてだって? 彼は尊敬するべき偉大な英雄だった、その死を悼むことの何がおかしい?」


「でも敵でした」

「敵味方なんてのはその時の状況でいくらでも変わる。でも英雄か否かはどんな状況でも変わらない。……殺したくなかった」


「そんな甘いことを言っていて……」

「らしくないな」


 アーサー君が口を挟んできた。ウェルキンがいたんだ、彼がいても不思議はないな。


「本当にらしくない。殺してから後悔するくらいなら殺すな、君なら幾らでもやりようがあったはずだ」

「買いかぶりだ。こいつは正真正銘の大英雄だ、手加減をする余裕なんてない。この機会を逃せば全部をひっくり返されていてもおかしくなかった」

「じゃあどうしようもなかったんじゃないか」


 あっさり言うなあ。

 アーサーくんって読書家のくせに理系脳だから可能と不可能であっさりと分類するんだよな。


「そのとおりだよ。どうしようもなかったんだよ」

「では頭を切り替えろ。過ぎたことをぐだぐだ言ってる姿は見るに堪えない」

「マジで厳しいな。もしかしてドルドムでの余計な一言をまだ根に持ってるのか?」

「そういえばそんなこともあったな」


 おっと藪蛇か。余計な一言で怒り再燃か?


「だが過ぎたことだ」

 

 せ…セーフ!


「そうそう、ぐだぐだ言っても仕方ないってね」

「調子が出てきたじゃないか」


 まさかアーサーくんに元気づけられるとはね。意外ってことはないか、彼は他人に興味がないように見えて案外よく見ている男だ。

 アーサーくんの手を借りて立ち上がる。まったく不思議なもので苦い気持ちなんて吹き飛んでしまったよ。


「兄さん、この人は……男性ですよね?」

「そこから自信がねえのかよ」


 視覚的には中性的でよくわからないアーサーくんだが声を聞けばハッキリと男性だとわかる。ってのは彼を男だと知っている奴の意見なのかもしれない。

 実際ルアが困惑している。冗談抜きでわからないのだろう。


 そしてルアの倍ほど戸惑っているアーサーくんである。何故だ?


「その子は妹なのか、妹がいるなんて聞いてないぞ」

「アーサーくんが俺の家族構成の何を知ってるんだよ。妹だよ、少々複雑でワケありな腹違いの妹だ」

「それが複雑なのか?」


 複雑だよ。一般家庭からするとじゅうぶんに複雑な関係性だよ。アルチザン王家怖いわ。


 この後で互いに自己紹介を済ませ、リジーの発言で俺の不倫を疑っていたことが発覚してウケる。


 ELS制裁軍との戦いが終わった。帝国本土に食い込んだ残党は緩やかな曲線を描きながらタジマール城塞の方へと向かう帰国進路を取り始め、ラキウス兄貴には追撃を控えるように厳命させてもらった。

 兄貴にはそのままタジマール城塞へのメッセンジャーを頼んだ。ELS敗残兵との交戦は無益を通り越して有害なのでそのまま通すようにという命令だ。


 夜の港町は勝利の報告に湧いたが、勝ったところで失った者が返ってくるわけでもない。

 歴史に学べと言う人は争いが終わらない理由を考えたことはないのだろうか? ふとそう思った。それこそ哲学者のような傲慢さでだ。

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