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最終章 『春のマリア』  作者: 松島 雄二郎
帝都決戦編 レミングの進軍
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港町の夜②

 わたしラステリアには兄がいる。母親違いの二つ上の兄だ。

 兄は頼りになる人で、あの頃のわたしにとっては大人に見えていた。


『豊かな将来のためには備えが必要だ』


 少しばかり口うるさいところもあったけど、あの頃教えてもらった読み書きは今もたしかに役立っている。


 物知りな兄はわたしの疑問のすべてに答えてくれた。地動説、メートル算定法、悪い行商人から騙されないためのチョイテクまで何だって教えてくれた。わからない時は「じゃあ次回までの俺の宿題だな」なんて言って次に会う日までには調べてきてくれる。

 わたしにとって兄は太陽ストラのように偉大な存在で、彼のしろ示す通りに歩いていけば何の不安もなかった。……まぁちょっと変な人だとは思っていたけどそれはナイショだ。


 兄は行動力の化身のような人だった。朝早くに町の広場でトランペットを吹いていたかと思えば夕方にはアパム山から帰ってきている。

 鍛冶屋のアルムさんと何かを作っていたかと思えば、数日後には大量の不良在庫を抱えて行商から戻ってきたこともあった。曰く「時代が俺に追いついてこねえ。時代がんばれ、早く到来しろ」である。

 冒険者のおじさんたちとつるんでいることも多かった。行動範囲が広いというか多才というか、何事も突拍子もない兄だった。


 しかし子供心に兄の行動力はすごいものに思えていたし、リザ姉も物知りだったので兄や姉というのはこういう存在なんだろうなって漠然と感じていた。今にして思えば憧れとかそういう気持ちだったんだと思う。


 そんな兄と数年ぶりに再会し、突拍子の無さにさらに磨きのかかった兄と接しているとこの気持ちがどんなものかさっぱりわからなくなった。

 試合をして、露店で適当に夕飯を済ませると兄は「疲れた」と言い出して埠頭の倉庫に入り込んで座り込んでしまった。


 座り込んだ兄はひどく疲れているふうに見えた。信じ難いことに兄は二万人近い軍隊をものの二時間で壊滅させ、軍神とまで呼ばれる名将を打倒してしまった。そのまま休むこともなくここまでやってきたのだ。

 美しい黒いコートを巻いて目を閉じる兄の姿は憔悴しているふうに見えた。


「疲れているのはわかりますがいいんですか、勝手にこんなところで眠ってしまったらファウルさんやマクローエンの人が困りますよ」

「構いやしないさ」


 兄が恐ろしいほど肌触りの滑らかな黒衣を毛布のように被って目を閉じたまま、本当に面倒くさそうにこう答えた。


「構わないって……あなたの命令でラキウスさんやルドガーさんはまだ追撃を仕掛けているっていうのに?」

「ELS制裁軍ならもう詰みだ。軍神アレスが片付いた時点で手を引いてもよかったくらいだが展開がうまく転んだな」


「どういうことですか?」

「フェルガンの命を握っている現状、陽動と潜伏を繰り返す制裁軍はもう問題にならない。奴に逆転の目があるとすれば俺に認められる力量を示せるかどうかだけだ」


 今にも眠りかけている兄の言葉が本当に理解できない。


「あなたを認めさせたらどうだっていうんですか?」

「じきに世界の終末が訪れる。何度も終わりを迎えてきたこの世界の時を巻き戻し続ける時神が終末の予言を打ち砕く戦士達を集めている。まだ予感だがな、フェルガンがそうだというのなら俺は……」


 兄が眠り込んでしまった。

 世界の終末とか予言の戦士とか相変わらずよくわからないことばかりを言う人だ。でも思い返せば兄の言葉の本当のところなんて一度だってわかった試しがなかった。


 ファイアピストンなんて不思議な道具を作った時もだ。圧力とかいうので火が点くと言われてもさっぱり理解できなかったし、兄がどこでそんな知識を得たかもわからなかった。


『リリ兄はどうして色々知っているの?』

『俺には一個だけでかい秘密がある。そいつが何かを教えてはやれないが、世界を変革するに足りる秘密だとだけ言っておこう』

『そのわりには全然売れないね……』

『時代がわるいんだよ……』


 なぜか兄は時代のせいにしたがる。少し変な兄だった。行動も言動も誰にも理解できない奇天烈な兄だった。

 でもあの頃ラステリアにとって兄は世界の中心だった。


「兄さんはいつも勝手なのよ。勝手に敵対して、勝手に見限って、勝手に憎まれようとする」


 兄の肩にこてりと頭を倒す。兄は昔から体温が低いので枕にはちょうどいい。


「そんな勝手ばかりしてるといつか私から愛想を尽かされますからね?」


 勝手な兄だ。変な兄だ。でも……

 どんな言葉で想いを汚しても愛しさまでは否定できなかった。



◇◇◇アーサーside◇◇◇



 彼がいなくなってから何度も考えてきた。はたして彼は『友』であったか?


 話は合う。見た目に反して流行りの小説はだいたい読んでいるし、彼の経営する商会は太陽のイルスローゼ直送の書籍も扱っている。本人が面白かったという本を持ってきてくれる良い友だ。


 武力面においてはまぁ足元にも及んでいない。アルチザンの男としては情けない限りだがそこは認める。知識面においては得意なジャンルが異なるためにどちらが優れているのかなんて評価がしにくい。

 なんてふうに考えてから自嘲してしまった。勝てそうな部分を探さなきゃいけないなんて、負けを認めるようなものじゃないか。


 認める。彼は友であり『壁』だった。とても越えられそうもない高い壁で、弱い心が目を逸らしてしまいそうになる強い壁だ。


 級友のほとんどが彼を無視しようとした。その想いは僕にもわかる。彼という強大な存在を見ていると自分の矮小さに否応なく気づかされる。そして誰もリリウス・マクローエンにはなれない。あんなふうに振る舞いたいと思っていてもできない。

 弱いからだ。度胸がないからだ。彼ではないからだ。国家さえも恐れる個人に成った自分なんて想像もつかないからだ。


 これは劣等感なんて生温い感情ではない。畏怖すべき竜を見上げる小動物の崇敬だ。……気づいてしまえばもうなりふりを構っていられなくなった。


 キングスナイトへのクラスチェンジなんて胡乱な手法を頼ろうとしたのも今にして思えば恥ずべきことだし、マリアにも何度も謝ろうと思ったのにできなかった。過ちさえも認められなかった。

 悩み苦しむ日々に読書の手が止まった。空想の翼を広げるよりも先にやらねばならないことがあると気づいたからだ。


 まったくこれ以上ないくらい単純な話だ。あの腹立たしいニヤケ面を一発ぶん殴ってやればスッキリするはず。それが結論だ。



◇◇◇アーサーside◇◇◇



 リジーに案内を頼んだがリリウスはいなくなっていた。彼女は何度も首をひねっては「おかしいなー」って言っていたけどリジーなのでそこまで期待はしていない。聞き込みをした結果リリウスらしき人物が賭け試合をしていたのは確かなようだ。


「そしてどこかへ行ったと。どこへ?」

「はっ、小官は存じ上げません!」


 どこかの将校と勘違いをされているようだがリリウスの行方を知っている者はいなかった。とりあえず埠頭の方に向かったのだけは判明した。

 魔力探査を打つ手もあるが兵隊で溢れかえる港町では大変な迷惑になる。最悪憲兵が飛んでくる。


 普段なら諦めるところだ。明日なりとに仕切り直す場面だ。しかし今日ばかりはそんな気分ではなく、埠頭に向けて歩き出す。


「リジー、君は戻っていろ」

「いいよいいよ、元を言えばあたしの失態だしなー」


 この発言にはさすがに驚いた。


「失態という認識があったんだな」

「あるけど。そんなに驚くかなあ……」


 この世を終わらせるスイッチを押したとしても「ごめん、やっちゃった」で済ませそうな子だと考えていたので本当に驚いた。


「それにナシェカと早く会いたいしなー」


 だがこの答えで納得した。そうだなと首肯し、妹にそうするように彼女の頭を撫でてしまった。

 ナシェカがいなくなって、次にマリアがいなくなった。四人娘が二人も欠けて彼女たちはいつもより騒がしくなったけど、寂しさの裏返しの騒がしさだったのかもしれない。


 夜の埠頭は静かなものだ。船や事務所には明かりが灯り歩哨も立っているが街中の喧騒からは遠い。倉庫街にも見張りが立っている。どうやら倉庫を寝床にしている部隊もいるようだ。

 学院生の部隊が市内の宿を確保できた理由など考えるまでもない。貴族階級だからだ。


 倉庫街を歩いていれば奇妙な術式を見つけた。倉庫の一軒に簡素な人払いの術がかけられている。人が足を向けないようにと必要最低限の効力だけを持たせただけの本当に簡素な術式なので魔導を齧っている者なら誰でも気づけるような人払いだ。


 どういう意図でこんなものを?と目についたおかげで違和感に気づけた。

 倉庫の入り口付近の見え方がおかしい。積まれた木箱の一部が不自然に視界から消えている。

 人間の脳はこういうところを自分で補ってしまいがちだが、気の抜けない王宮暮らしの長いアーサーだから気づけた。潜伏魔法、それもかなり強度の高い代物だ。


 街中でこんな魔法を使っている人間はロクデモナイと相場が決まっている。

 アーサーもまた剣を抜くのに躊躇わなかった。


「そこの者、正体を現し所属を明らかにせよ」

「……敵意は無い、剣を下ろしてくれないか」


 潜伏魔法が解かれ、夜闇を暴いたように二人の男が現れる。

 一人は公軍の士官と思われる男で、何かやましいところでもあるのか軍帽を目深にかぶっている。……というのが邪推とは思えない。こんな状況だ。


 もう一人も公軍の士官と思われる軍装の男だ。こちらは軍帽を脇に抱えているので顔が見える。ヒスイのような髪色のハンサムな細面の男で、先ほどの声はこちらが発したものらしい。


 二人とも敵意の無さを示すために両腕を掲げている。生憎この程度で警戒を解いてやるつもりにはなれなかった。


「バートランド公爵家が家臣フェス・サリンだ。こちらは私の弟のアドニウス・サリン。そちらは?」

「その前に、ここで何をしていた?」


 フェスと名乗ったハンサムが疑われるのは心外だと首を振る。

 やましいところのない態度ではある。


「大した事情ではないよ。中の男に用事があるんだがいい雰囲気なのでね、出ていきにくい」

「中の男?」


 警戒を続けながら倉庫の中を覗き見る。

 リリウスだ。リリウスが知らない少女と寄り添って眠っている。リジーなんかは見てはいけないものを見た家政婦みたいに口に手を当てて驚いている。


「あわわ……これはナシェカに密告しなきゃ」

「それはやめてやれ」


 学生結婚した同級生が再会と同時に不倫発覚だ。あまりにもスキャンダラスなので混乱しかけたが……

 まだ勘違いの可能性はある。犯罪者にも釈明の機会はあってもいいはずだ。いや、そういえば八人の妻がいるんだったか?


「君達も彼に?」


 返答は少し迷った。


「まぁそうだな」

「ならば手番を譲ろう。先に用件を済ませるといい」

「余計な……いや、感謝する」


 一瞬本音が飛び出かけたがどうにか堪えた。

 しかし心の準備もままならない状態であそこに突入するのは気が引ける……


 そんなアーサーの葛藤も余所に、中から赤いあいつの声が聞こえてくる。


「ようやくお出ましか……」


 弱々しい声だ。どうやら悪いことをしている自覚はあるらしい。


「腹を割って話し合おうぜ。フェルガン・ナザーレ、俺はあんたをよく知りたいんだ」

「誰だって?」

「隠さなくたっていいんだ。俺はナザーレの秘術についても知っている。分身ゴーレムの製造と使役法だろ?」


 アーサーが本格的に首を捻っている。

 どうやら誰かと勘違いをしているらしい。それも相当に面白い勘違いをしている。そのフェルガンなんたらのフリをしたくなるくらいにだ。


「へえ、よく調べたね」

「あんたに興味があるのさ」


 一瞬この友人の性癖が怖くなったアーサーである。


「まさか性的な興味が?」

「千眼の知将は冗談まで面白いんだな。もし本気だったら悪いがあんたの頭を買っている。ほんの一発とはいえ闘争の三女神『統制の女神シェナ』を欺いた知恵をな」


 ちょっと他人のフリをしただけで知らない名前や情報がボロボロ出てくる。本格的に面白くなってきたアーサーであった。


「腹を割って話をしたい。それはどういう結論を望んでのものだい?」

「あんたをスカウトしたい。時の大神クロノスが滅びの予言に抗う戦士を集めている。俺はその頭目のような立場にいてね、世界を救う戦士を見出してはこうして声をかけているんだ」


 初耳だこの野郎って感じだ。

 なにしろアーサーは声を掛けられていない。最悪だ。こうして他人のフリをしなければきっとずっと黙っていたにちがいない。


「……どうして僕に声をかけたのか、きちんと聞いてもいいか?」

「神と呼ばれるモノに一度なりと土をつけた。これは偉業だ、偉業を為す者でなくては誘う意味がない。ただ強いだけの奴には偉業は為せない、偉業を為すには運命力と呼ばれるものが備わってなくてはならない。至高神アル・クライシェに打ち勝つには神を殺せるほどに運命に愛された者が必要なんだ」


 本当にこの男は……

 苛立ちよりも理論の明確さが鼻につく。これこそまさにアーサーが声をかけられなかった理由そのもので、おそらくはあの火を喰らう竜の祭壇で見限られたのだ。


「時間と金はかかったがあんたのことは調べさせてもらったぜ。親父殿が憎いんだろ? マクローエンの名にホイホイ釣られてしまうほどにはよ。その怒り、どれほどの対価があれば呑み込んでくれる?」


 ……少し悪い気もしてきた。

 どうやらリリウスは父の助命のために我が身を囮にして交渉の場をしつらえたようだ。今更名乗り出にくいことこの上ないし、悪いことをしている気分がひどい。


 しかしリリウスの懐事情を知る好機なので掛け金を上乗せしない手はない。


「どれほどの対価を用意できるんだい?」

「不老不死になりたければ言ってくれ、簡単にやってやる。神器が欲しいなら好きな神を指名してくれ。あんたが信仰している神は誰だい? 拝謁の機会だって作ってやれる。金銭なら簡単だ、あんたが満足するだけの黄金をこの場で作り出してやる。殺してほしい奴がいるなら言ってくれ、俺は世界一の殺し屋だ、誰だって殺してやる」


 リリウスが咳き込む。

 傍らの少女が気遣いを見せるが押し退けて答えを迫る。


「もちろん他の願いでもいいんだ。大抵の願いは叶えられる。さああんたの願いを聞かせてくれ」


 潮時だ。もうフリは無理だ。この緊迫した空気の中で出ていくしかないのだ。

 アーサーが覚悟を決めた瞬間、横にいる、たしかフェスとか名乗った男が進み出る。


「私の願いはファウル・マクローエンの首だ、……叶えてくれるかい?」

「それを口にさせないための交渉のつもりだったんだが、俺の意図は伝わらなかったのか?」

「面白い話だとは思ったよ、それは本当さ」


 公軍の軍装に身を包んだフェルガン・ナザーレが剣を抜く。

 それは交渉の決裂を意味し……いや、何を言おうがどんなに上手く運んだのだとしても最初からこれしかなかったのだ。


「私の願いはファウル・マクローエンの絶望だ。君を殺せばあの男も理解できるかな、私の突き落とされた絶望を理解してくれるのかな」


 結局、結局だ、この二人には戦う以外の選択肢などなかったのだ。



「突然の展開に戸惑いしかありません」

「何だかよくわからないけど兄さんを寝かせてあげてください……」

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