まことの愛をあなたに③ シシスベ
ナシェカはふと気づいた。
「今の走馬燈っぽかったな……え、なんで?」
嫌な予感がしたのですぐさま記憶の精査を始める。こういう時は大概なにかを見落としている。優先順位を低く見積もってた何かの要因で痛い目を見る。そんなのが過去に何度もあった!
(なんだろう? わたしは何を見落としている?)
『緊急性の高い動体反応を検知。高度400m、南西からマッハ21で飛翔中、こちらに向かってきます!』
衛星画像とナシェカの素体が有する光学倍率がかかった映像が表示される。
人間っぽいのがソニックブームを撒き散らしながらカミナリのような速度でやってくる。速さで言えば本気を出したリリウスを凌駕している。信じ難い速度だ。
『敵性存在と仮定。会敵まで26秒、迎撃プランを提示します!』
「余裕ね!」
迎撃プラン其の一、高電圧プラズマ投射砲ヴァーティカル・エアレイダーによる狙撃。
即座にこれを実行し直撃させるが効果が無かった。確かに直撃したのに弾かれ、僅かな減速さえ起こせなかった。
『魔導防壁の特性が一部判明、伝導率が皆無のため迎撃プランの変更を提案いたします』
迎撃プラン其の二、ソニックグラディエイターMKⅡ-VMの実体弾による狙撃。不採用。魔導防壁の性能テストしてる場合じゃない。
迎撃プラン其の三、高出力ブラスターカノンによる狙撃。採用。威力でねじ伏せるスタイルは大好きだ。アキネイオンバスターを放出したがこれは避けられた。これがあまりにも人間的ではない回避方法だった。
大出力エネルギー砲の放出寸前に直撃コースから空間転移のように不気味な方法で位置を変更し、それに瞬時に対応して出現位置を狙い撃ったにも関わらずまた回避された。
驚愕のあまりシェナちゃんが声を失っている。
『矢除けの加護……』
「認定クラスEX、本物の奇跡の遣い手!?」
立証するような気分でソニックグラディエイターを連射する。錐揉み飛行で回避される。つまりは術者本人の反応速度は相対速度マッハ24にも対応可能という嫌な事実。間違いなく超越者級の最上位、それも神域に限りなく近い。
『会敵。ご武運を』
「今ちょっと諦めたような雰囲気してたんですけどぉ!?」
空の彼方から光の槍のような敵がやってくる。
体感時間を限りなく遅延させる奥の手オーヴァクロックを起動、同時に素体内から射出した殺人ナイフによる迎撃に移る。
ほぼ静止した時の中でさえ常人よりも速く動く騎士が空から飛来する。見覚えはある気がする。
(この人、どこかで……?)
思考に割く時間はない。疑問は置いて迎撃に移る。
殺人ナイフを構える。突進してくる勢いを活かして魔導防壁を打ち破る。それしか勝機はない。―――実行する。
閃光のような時が弾ける。限界まで濃縮された時の果てに結果があり、ナシェカは己が為すべきことを確かに為した。……予感よりも遥かにあっさりと為せてしまった。
閃光のような時の後、ナシェカは空にあった。
襲撃者に抱き締められたまま彼女は呆然としている。思い出した。彼が誰なのか思い出したのだ。
「フェデル…さん?」
わからなかった。
「どうして魔導防壁を解いたんですか?」
「君に触れるのにどうして防壁が要るんだい?」
彼の顔を見る勇気はなかった。でも最初に出会った時のように彼の声は優しかった。……重傷のはずなのに。
脾臓をナイフに貫かれたままなのに、騙し打ちまでしたのに、どうして彼が優しく抱きしめてくるのかが理解できない。
「君との出会いは夢かまぼろしだったんじゃないかってずっと考えていた。もう一度会えばわかると考え、いま君に会ってわかった」
「悪夢ですよ……」
「ちがうよ」
フェデル・レブナントが首を振る。
ようやく見てしまった彼の表情は今までに見たことのない、誰のデータからも酷似するパターンを割り出せない不思議な表情だった。
「ナシェカはここにいる。君は夢なんかじゃなかった、私にはそれで充分だ」
「充分ってなんですか。まさか本当にわたしに会うためだけにここに来たっていうんですか?」
「うん、そうだ」
「ばかですよ。お腹、痛みますよね。怒ったらいいじゃないですか」
「怒る理由が無い」
「そんなはずは……」
そんなはずはない。この手はたしかに彼の命脈を断った。アサシンとしては随分と訛ってしまった錆びついた腕だけど慣れ親しんだ殺した手応えまでは見誤らない。
だが彼は本当に何でもないことだと信じている顔つきで、ナシェカの手にキスをしてきた。
「今は再会を喜び合おう。ナシェカ、私のファム・ファタル、君が愛してくれるまで何度だって言うよ。私を貴女の信奉者にしてください」
彼女にはわからない。どれだけ理解に努めようとも理解できない。
なぜなら彼女は殺害する人形。美しい姿をする彼女に誰もが愛を求めてきたのに終ぞ理解できなかった、生まれながらのキリングドール。
彼女を欲する者すべてが絶望を抱いて彼女の下から去っていく。それはガレリアの娘達に関わった男達が何千年も前から繰り返してきた悲劇。
どれだけ問いかけても機械仕掛けの心は答えを出せない。
やがて彼女を討伐するための軍がやってきた。草原を渡る風エンヴィー神殿の旗。火を噴く山を流れる溶岩は竜の血ガンドゥム神殿の旗。通り雨と差し込む光の乙女サルナーン神殿の旗。豊穣を約束する大地母神ママボボ神殿の旗。
四神殿の御旗を掲げる軍勢から法力の火が立ち上る。あれは騎士どもを祝福する戦いの祈りの火だ。
「今一時、貴女を守るためにお傍を離れることをお許しください」
「あれはワーブルの軍ですよ」
「ですが私は貴方の信奉者です。愛の前では祖国など何の意味がありましょう」
フェデル・レブナントが祖国の軍へと向かって飛翔する。
どうして彼がこんなまねをするのか、どうしても理解できなかった。
◆◆◆フェデルside◆◆◆
両親は忙しい性質で屋敷に戻ってこない日などしょっちゅうであった。
父はエンヴィー神殿の高位司祭。母は第四騎士団の副団長。祖父はレブナント子爵。暮らしぶりは上等だったと言えるのだろうが、誰も帰って来ない屋敷の玄関で父母祖父の帰りを待つ幼少期は孤独だった。
忙しい両親に代わって私の面倒を看てくれたのは乳母のカトレアという女性で、おそらくは父の愛人だった。彼女は産後すぐに亡くなってしまった息子へと注ぐ予定だった愛情を私に注いでくれたが、その内の何割かは父へも注いでいた。……もっともそんな事情など幼い頃は知るよしもなかったが。
私はカトレアによく懐いていた。両親のいない寂しさを埋めてくれる女性の存在は母のようであった。
私はカトレアの読んでくれる絵本が好きだった。特に好きだったのは聖王国の騎士物語で、身分違いの恋をした見習い騎士の少年のお話だ。
『シシスベ……? ねえカトレア、シシスベってなんなの?』
『あぁこれは誤訳かもしれませんね。これはきっとシュヴァリエのことでしょう』
カトレアは平民なのに色々なことを知っている女性だった。アシェラ様のように何だって知っていて、幼い私が発するどんな疑問にも答えてくれた。……今にして思い返せばデタラメも多かったが。
『シュヴァリエはですね、愛する女性のためにその身を盾にし、その名誉を傷つける者には剣を掲げる立派な騎士様のことです。……憧れますね』
『カトレアにはシュヴァリエはいないの?』
『騎士様は高貴な身分の女性にしか目がいかないんです』
『じゃあ僕がカトレアのシュヴァリエになるよ』
幼い子供は庇護者の感情の機微に敏感だ。例え笑みを浮かべているのだとしてもその内心で怒っているのか悲しんでいるのかを察するものだ。
だから私の発言は彼女を悲しみから救おうとしたのだとも言えるし、もっと純粋に彼女を愛していたのかもしれない。どちらが本当かなんて私だってもう覚えてやしないさ。
カトレアは涙を浮かべながら首を振った。彼女がこの時何を考えていたを察するのはずっと後、母の葬儀の後になる。
『嬉しい。でも坊ちゃまは真の愛を見つけなきゃいけないの』
『心から愛することの女性を見つけないといけないの。その子のためなら命だって投げだせるくらい大切な、そのくらい真剣に愛せる子を探さないといけないの。だってね、そうじゃないのは辛いもの……』
『ねえ坊ちゃま、約束してね、女の子に優しい騎士様になってね。坊ちゃまは女の子を泣かせたらダメですからね?』
カトレアが首を吊ったのは母の葬儀を終えた三月後、父が新しい母だといって別の女性を屋敷に連れてきた日の三日後の朝だった。
◆◆◆フェデルside◆◆◆
会った瞬間に運命だと気づけた。
ひどい別れ方になったのにまた出会えた。信奉者にしてもらえるとはまだ言ってもらっていないけど、それでも充分に満ち足りている。
カトレアの出会えなかったまことの愛に出会えた。それはきっとどんな勲章を貰うよりも素晴らしい出来事だ。
「フェデル・レブナントッ、乱心したか!?」
「いいえマッシモ卿、私はすこぶる正気です!」
違う騎士団に属する友を斬る。やや心が痛まないではなかった。
戸惑いの中にある第一騎士団は動きが鈍い。これなら充分にいける。彼女が逃げる時間くらいは作れる。
「なぜだ! なぜそいつを庇う!? まさか魅了されているのか!」
「いいえ、まことの愛に出会ったのです」
収束する竜巻の槍で軍勢を薙ぎ払う。まぁそれほどの被害は出ていないようだ。
形成した嵐のフィールドが解かれた。僧兵は邪魔だな……
第一騎士団を一旦置いて法服の群れへと飛翔する。その中に見知った顔を見つけた。
「フェデル! お前ッ、お前は何をしでかしてるかあ!」
「やあ父上、お久しぶりですね、死んでいただきます」
父の首を刎ねる。魔導防壁のような硬さはあったが問題なく切り落とせた、というのは我ながらどうかしているな。一応実の父だぞ。
父の部下が錫杖を振り上げて掛かってきたが恨み言を聞いてやる暇はない。一蹴する!
「≪大いなる導きの風よ、今一時この手に宿れ! 渦巻け、逆巻け、嵐をこの手に ドライヤード・フィクス!≫」
最上位魔法をワイドレンジに広げて放つ。空に舞い上がった僧兵どもの内どの程度を戦闘不能にできるかは賭けだ。邪魔さえできない状態なら命までは……
いや、それは驕りか。確実に仕留める。
嵐の中を飛んでいき、レジストした僧兵だけを狙って首を斬って回る。途中で飛翔魔法の使い手が追いついてきたが迎撃する。
「レブナント卿ッ、どうして!?」
「君達はナシェカを殺すのだろう? させんよ」
突き殺して蹴落とす。これだけは目を閉じていても誤らない。
神話の獣のような泥の巨人が拳を叩きつけにきたが嵐の槍で頭を吹き飛ばす。召喚獣の相手は無駄。先に術者を仕留めれば制御を失った獣は友軍にさえ襲いかかる。
「ガンドゥム大司祭バーノン殿とお見受けする、ではお別れです」
「ま…まて」
大司祭の首を跳ね飛ばす。最大まで伸ばしたオーラブレードが随分と巻き添えを増やしてくれた。予想外に儲けたな。
制御の枷が外れた泥の巨人が暴れ出す。最初にやることはいつだって術者に近しい者の抹殺だ。召喚というあたかも技術的に聞こえる行いはこちらの呼び方にすぎず、呼び出され命じられる方からすれば殺したいほど屈辱的な行いなのだろう。
丁寧に神殿勢力から狩っていく。第一騎士団が追ってくるが私の速度に追いつけるはずがない。
「我が名はワーブル最速の騎士フェデル・レブナント!」
雨の乙女の神殿長を仕留める。寄付金集めが趣味の女性にここまでの戦闘能力があるとは思わなかったが、抵抗は許さず首から突き殺す。
「だがその名は返上する。私はシシスベ、まことの愛を捧ぐ者よ!」
「この売国奴めがぁあああ!」
打ち掛かってきたのは初老の騎士。突出してくれるとはありがたい。
第一騎士団長アルザル・ベックマン卿。手強い相手だ。
「我が君への忠誠も忘れた愚か者め、直々に手打ちにしてくれる!」
「ありがたい! 部下に囲まれているあなたを仕留める方法に思案していたところです!」
とはいえ手強い。さすがに手強い。これが齢五十過ぎの男のちからか?
だが倒さねばならない。この男が生き残るということは、騎士団に作戦続行の判断をさせてしまいかねない。
難しいな。あぁ難しい。目が霞んできた……
◆◆◆◆◆◆
夕焼けが草原を赤く染めている。
何の誇張もなく辺り一面は死体が散らばり、血を吸いすぎた草原からは死の香りがする。
もはや軍の姿はない。主だった将兵を失ったので撤退したか、それとも怯えて各自の判断で逃げたか、間違っても全滅させたなんてことはないだろう。
無我夢中だったとはいえさすがにそこまでは、一個師団だぞ。そんな思いのフェデル・レブナントが体内に溜まった戦の熱を散らすふうに深く呼吸する。
「時間稼ぎのつもりだったがやればできるものだな……」
神話の獣が大量の命を吸って完全顕現しかけたのもよかった。思えばあれで随分と神殿勢力の動きが鈍くなった。鎮めるのに専念してくれれば殺す必要もなかったがそれは仕方ない。
長大なライフル銃を両手で持つナシェカが空中で静止しながらフェデルを見つめている。その何とも悲しそうな表情に想いは伝わらずと知り、フェデルは何とも困った苦笑を浮かべる。
「どうだい、貴女の信奉者は強いだろう?」
「そうですね。すごく強かった、たぶん指輪を五つ外した救世主さまくらい……」
「満足していただけたのならよかった」
よかった。それは本当に本当だ。
想いは伝わらなかったけれど彼女は今も無事に存在している。
「どうか私を貴女のシシスベにしてほしい」
「うん、貴方はわたしのシシスベだよ。それだけは誰にも否定できないし、きっと貴方がさせない」
(どうして君はそんな顔をするんだろうね? 君はシシスベと出会えた世界一幸せな女の子なのに……)
ナシェカへと踏み出した一歩が空を切る。そのまま転んでしまったフェデルはひどい眠気に襲われている。ひどく眠くてもう目を開けていることもできない。……もう何も見えない。
「すこ…し……眠らせてく…れ」
「うん、たくさん眠っていいからね」
「ありがとう。起きたら…貴女にお仕えする……させてくれるだろうか?」
「うん、だって貴方はわたしのシシスベなんでしょ?」
「ありがとう……」
信奉者が目を開いたまま永遠の眠りにつき、たくさんの疑問を押し殺したままその最後を看取った淑女が悲鳴みたいに鳴く。
「どうして? どうしてあなたはそこまでできるの……?」
わからない。何が彼をここまで突き動かしたのかロジックが理解できない。
どうして自分が泣いているのかもわからない。
「どうして? わからない、わからないよ、わたしにはあなたが命を懸ける価値なんてなかったのに! どうして!?」
感情が振り切れる。昂ったまま感情パラメータが戻らない。壊れたみたいに叫び声が出てくる。
彼の死を悼んでいるのか、理解できないのが悔しいのか、壊れつつある自分への自己批判か?
赤く染まった大地で泣き続ける。その傍らには信奉者がいるのに、ただ一人で……




