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最終章 『春のマリア』  作者: 松島 雄二郎
帝都決戦編 レミングの進軍
308/362

風のマクローエン⑤ 護剣の風の子弟たち

 ふと空を見上げたら鷹が旋回していた。いわゆるサーマル飛行というやつだな。いや鷹なんてこの状況ではどうでもいいだろと思って視線を戻す前に気づいた。鷹が人間っぽいものを掴んでる。


 事件かな? そう思っていたら鷹から美少女が降りてきた。いや落ちてきた。

 けっこうな高さから落ちたにも関わらずシュタっと綺麗に着地したのはプリス卿の副官のユキノちゃんだ。


「間に合った?」

「おー、さすがニンジャ」

「この世界にもニンジャとかいるんだ……」


 ニンジャなら鷹の爪に指を引っかけて移動していても何の不思議もないな。たぶん体重を消す軽気功を使っているんだろ。それなら俺もできるぜ←もはや自他の異常性に疑問を抱かなくなった男。


 ユキノちゃんがじと目でナシェカを睨んでる。


「ニンジャちがう、乱破」

「どっちでもいいじゃん」


 ユキノちゃんがため息。クールロリなのに苦労してそう。

 プリス卿や他の人達には当たりの強い言葉を遣う彼女だけどナンデかナシェカには強く言えない。たぶんシメラレタことがあるんだろ。


「プリスから伝言。ELS制裁軍の本隊は陸路を進軍中。同盟国内を通過しながら着々と戦力を追加してこちらに迫っていると思われる」

「へえ、うちの親父殿やバートランド公でさえ気づいてなかったのにプリスの兄ちゃんもやるねえ」

「気づいていたの?」

「シェナちゃん、機器接続の許可をやるからこいつに大陸図を投影してくれ」

『投影、開始します』


 五日前、大陸中部ドラガンド渓谷を出発した正体不明の騎兵旅団が各地で兵力を吸収しながらピスト公国を目指して進軍している。地図上にはその経路と概算兵力が表示されている。

 一応まだ正体不明のってことにしておいたがもうELS制裁軍と表記してもいいだろう。こいつの位置が現在ピスト公国のちょうど真下。モーグ鉄国の南側国境付近だ。


 バイザーを装着していない奴にも見えるように投影した地図をまじまじと見つめるユキノちゃんがじゃっかん引いてる。ユキノちゃんの動揺する姿はレアだぞ。


「な…なにこれ……?」

「友達にすごい子がいてねえ。世界中を常に監視していてどこの軍がどこで軍事演習してるとかを把握してるんだ。お金を払うと教えてくれるんだよねえ」


「そんなのズルい。そんなことされたら諜報活動に意味がなくなる……」

「ズルいと思うのならユキノちゃんもやってみなよ」

「できるわけがない」


 なら文句を言うな。勝手に蹂躙されていろ。弱い奴には平等を訴える資格はねえんだよ。

 平等を口にできるのは強者だけだ。


「お、ちょうど援軍も到着したらしい」


 巨大質量が海面をぶち破る。魚が海面を跳ねるみたいに飛び出してきた鋼鉄のシャチ(全長300メートル級)が空中を泳いでサイラス港を旋回する。


 突然の大怪獣襲来だ。港町の住人がパニックを起こしてるぜ。

 大怪獣が空へと向けて咆哮する。大気が激震し、青空に浮かぶ雲が一斉に吹き飛ぶほどの咆哮に民家が崩れたり赤子が泣いたり大変だ!


『救世主殿が盟友、深海の王ハザクここに推参する! 滅せよ、彼の者の偉業を阻む者悉くを打ち滅ぼしてくれる!』


 ひゅうっ、報酬を弾んだからめっちゃやる気出してるじゃん。

 やる気がありすぎて港町を滅ぼしそうだな。


『ハザクくん、港町の人はどうでもいいよ。ちょっと脅してくれればいいから』

『承知』


 ハザクくんの全身の砲塔が一斉に下を向く。……本当に承知してる?


『ハザクくんハザクくん、港町の人は脅すだけでいいんだからね?』

『委細承知』


 本当かなあ……? 神様ってなんというか本当に人間とは価値観がちがうから言葉が通じるようで通じないんだよな。死んでもその内蘇る怪物の死生観が俺達と同じだと思う? 無理だよ。


 ハザクくんの全身の砲塔から一斉に滅びのバーストストリーム!

 港町の各所が一斉に吹き飛んで、ガレキ混じりの粉塵が宙を舞うぜ。ひゅうっ……ひゅうっ! 何も言えねえ……!


 城壁に空いた大穴からサイラス市民がわらわらと逃げてくる。


「たっ、助けてくれぇー!」

「怪物だ、でかいイルカの怪物がぁー!」

「そいつシャチだよ」

「そんなことはどうでもいいだろうがぁー!?」


 市民が生きてる。脅しだって本当に理解してくれていたのか。偲びねえ。

 まぁパンピーなんざハザクくんの思念を浴びただけで死にかねないのだから怒ってるふりをしてくれたんだろうね。


『僕も普段は殿のお店を手伝ってますからね。ザルヴァートル殿の懸念するような虐殺はしませんよ』


 しかも俺の不安が筒抜け。その気遣いも偲びねえな!


 あ、サイラス港から飛び出した魔導官の部隊がハザクくんに仕掛けた。そして軽く狙撃されてる。……干渉結界とか魔導防壁でどうにかなると思ったのかよ。思ったんだろうな。なんか自信過剰そうなエリートっぽかったし。


 ハザクくんがビーム砲をどっかんどっかん連射して市民がわらわらと逃げてくる。何も知らないドルジア兵のみなさんも「こっちだ、早く逃げろ!」なんて誘導している。


 あの大怪獣が港にやってきたな光景を見物していたら親父殿たち旧世代三馬鹿がやってきた。


「あいつはラタトナの時の……」

「親父殿、適当な理由をつけて市民を逃がせ。今の内にサイラスを占領するぞ」

「だがハザク神はどうする。とてもではないが手に負えんぞ」

「ハザクくんの心配はするな。今回は味方だ」

「は?」


 何言ってんだかワカンネエっていう親父殿に微笑みかけてやる。てめえの息子は頼りになるナイスガイなんだぜっていう余裕たっぷりな顔でな。


「言ったろ、俺とあいつはマブダチなんだぜ?」


 逃げてくる避難民を保護したバートランド公は騎兵三個中隊を出して近隣の町へと誘導する。同時に残る兵をサイラス港へと進めて占領する。なんだかんだで逃げてない人も多かったがそこはまぁみなさんを守るために進駐するって言い包めてたわ。


 ハザクくんとは少しばかり交戦するふりをしてから沖まで退いてもらった。大怪獣と睨み合う形を取りながらじつは守りについてもらってるわけだ。


 ELS制裁軍は海と陸双方から来る。そして司令官は不敗の知将らしいがまぁ相手が悪かったな。戦略と戦術を打ち破るの個人技ってやつを見せてやる。



◇◇◇◇◇◇



 サイラス港の占領が完了し、今は公軍の主要人物を集めた港での青空軍議だ。これは俺が招集を掛けた。


「じゃあみなさんは寝てていいんで」

「そいつはありがたい」


 バートランド公がごろんと横になった。港で本当に横になった。俺も言った手前あれだがお茶目な人だな。人を不愉快にさせて冷静さを失わせる手管が本当にうまい。公は俺の広い心に感謝するべきだ。


「で、僕らが寝ている間に君は何をどうしてくれるんだい?」

「それは俺の雇い主のザクセン公爵家ガンズバック殿から説明する」


 ガンズバックがのそりと立ち上がる。全身から自信が溢れ出すその様はすでに将軍の風格がある。これで十四歳なのはすげえわ。どう見てもおっさん……げふんげふん。


「我がザクセン軍が盟友ハザク殿が―――」


 張りのある声で作戦説明の時間である。何やら色々言ってくれているが要約すると彼の部下の俺とハザクくんが二人で倒すのである。

 ガンズバックが頑張って説明している最中に旧三馬鹿のみなさんがこっそり寄ってきた。俺の雇い主の話を聞いてくれねえかなあ?


「それで本当にどうするんだい?」

「ダスポリージャの軍神アレスは俺が仕留める。みなさんは邪魔だから大人しく寝ててくださいねー」


 口調こそいつもの調子だが凄みを利かせたからな、旧世代三馬鹿が黙り込んでしまった。最高神格の威圧は初めてかい? 本能が警告を鳴らすなんてレベルじゃない。全身の毛穴という毛穴が一斉に開いて汗が噴き出しただろ。こいつは逃れられぬ死の気配なんだよ。


 さすがのバートランド公のおしゃべりも止まったな。俺からの本気の警告は二度目だから他の二人に比べればまだマシか。


「やれやれ、普段からその調子でやればよかったのにねえ。そうすれば僕なんかに悪戯をされる隙もなかったろうに」

「あんたは蠅を潰す時に策を用いるのか?」


 目障りな羽虫なんざ指で挟んでぷちっと潰せばいい。そうしない理由はあんたのような羽虫でも愛してくれる娘がいるからだ。


 絶句するバートランド公が苦し紛れのような虚勢顔でニヤリと笑う。辛い時に辛そうな顔をして何が面白いんだってのはこいつの言葉だったな。その通りだと思うぜ。


「いい答えだ。じゃあELS制裁軍は君が戦うに足りる敵というわけだ」

「軍神アレスに関しちゃそうだな。人と人の争いなんざ興味はねえよ」


「そうかい。では君が本気で戦うのは誰なんだい?」

「あんたには関係のない話だ」


 じきに世界の終末が訪れる。何度も終わりを迎えてきたこの世界の時を巻き戻し続ける時神が終末の予言を打ち砕く戦士たちを集めている。

 あんたのような人を陥れる能力しか持たない怪物に興味はない。


「つれないなあ。僕はリリウス君のちからになりたいだけなのに」

「不要なんですっこんでてくださいねー」


「仕方ないね。静観の形を取るモーグ鉄国の様子を探っている部隊がある。使い潰しても構わないから好きにしてくれ」


 へえ、当然といえば当然だが陸路も警戒していたってわけだ。

 当然だがワーブルを避けてピスト公国に入ろうとすればモーグを通る他にない。


「さすがの公もタダ飯食らいは嫌ってわけだ。そんな感性が残っているのならまだ救いはあると思いますよ」

「そうだね、君もきっと喜んでくれる」


 何だろうねあの微笑みの中にある徹底的に人を小馬鹿にしくさりやがった目つきは。


 下弦の月みたいなあの気持ち悪い目つきを見ると思い出すのは去年の二月だか三月だかだ。本気でぶちギレて公を殺そうとした時以来だ。



◆◆◆◆◆◆



 ウェンドール806年3月19日。

 学院入学を間近に控えた俺はバートランド公のお屋敷で貴族教育を受けるという何とも陰鬱な日々にある。疎かにしてきたツケもあって詰め込みがひどいんだ。いやホント教師の方々もやる気マックスだし辛い、とても辛い。

 面白い冗談ふうに言っちまうとだ。嘘ぉ俺の礼儀作法ゴミすぎ!ってやつだ。


 今はお嬢様とティータイムしてる。……ティータイムにも作法はあるんだよ。まいったねこりゃ。


「あんた勉学は問題ないのねえ」

「読み書き算数、語学は十二ヵ国語はいけますね。実地で鍛えた使えるレベルの語学です、すごいでしょ」


「はいはいすごいすごい。わたくしも一度でいいから海外に行ってみたいわー」

「行くとしたらどこに行きたいですか? 不肖このリリウスめが連れていって差し上げましょう」

「砂のジベールに行きたいわ!」


 お嬢様が目をキラキラさせながらそう言った。

 だが、だが幾らお嬢様の頼みでも俺には叶えられそうもない国だった。


「ジベールはやめましょう……」

「えー……」


 だってね、指名手配されてるからね、足を踏み入れようものなら即刻タイーホよ。

 あのクソつよつよなジベール軍相手にお嬢様を守り切れる自信がねえ。パス。


「他の国はどうです?」

「東方諸島に行ってみたいわ!」

「そこもやめましょう……」

「えー……」


 だってね、そこスクルドの支配地域だからね。うーん、ハイエルフが率いる超武闘派エルフどもに追いかけ回される未来しか見えねえ。無理of the無理。


「他にはどうです?」

「ねえ、わたくしの期待を煽るだけ煽って落とす遊びは楽しい?」


 深刻な誤解が生じているぜ!


「ちがいます! 本当に無理な国だけ断ってるんです!」

 などと弁明をしていると使用人さんが呼びに来たぜ。


「公がリリウス様にお話があると。格好などはそのままでよいとのことにございます」

「おとーさまがお話?」

「はい、ロザリア様にはご遠慮いただきたいとのことにございます」


 俺らの頭上にクエスチョンマークが浮かぶぜ。ドキドキ☆抜き打ち礼儀作法テストかな?


「はい、抜き打ち礼儀作法テスト貴族家のご当主と面会編に一票」

「じゃあわたくしは礼儀作法テストに見せかけてガチガチに緊張したあんたを笑う会に一票ね」


 そっちもありそうだな! 俺のダメージの大きさは間違いなくそっちが上!


 おいおいやべーよ。あの毒気つよつよオヤジならやりかねないよ。お嬢様のサドな部分は確実に公の遺伝子だもんよ。

 特に正装の必要はなし。わざわざ言い添えるってことは気分だけでも正式な対談のつもりで来いって話だろうな。


「がんばってねー」


 お嬢様が手をひらひら振って快く送り出してくれる。だが気分は捨てられた子犬の気分だ。


 公の執務室は屋敷の中心部にある。書類仕事くらい窓辺の景色を見ながらやらないと気分が落ち込みそうだがそもそも公が書類仕事をやるわけがない。じゃああの部屋なんであるんだろうね。俺にもワカンネエ。


 公の執務室の扉をノックする。テストはここから始まっている。


「公、お呼びだと聞いて参りました」


 中々返事が来ない。もしや俺が返事もないままドアを開けるとか思ってるんだろうか?

 そんなことやりませんよ。お嬢様が入浴中に風呂に入るのはわざとなんで。


「公、おられないようなので帰りますね」

「入りなさい」

「ふざけているようなので帰りますねー」

「僕が悪かった! だから入ってきてくれ!」


 帰られるのが嫌なら最初からそんなマネすんじゃねえよ、とはさすがに言えんわ。公爵様やぞ。

 入る。そして胸に手を当て、背を伸ばしたまま軽く頭を下げる。


「お目に掛かれて光栄です。いったいどんな御用でしょう?」

「それは初対面の人に言おうね」


 おっと、俺としたことが。


「さて、用件は君も薄々察していることと思うが……」

「まさか」


 礼儀作法テストのお時間か。


「礼儀作法のお勉強会、貴族のご当主と対談編だ」

「ちくしょうっ、嫌な予感が当たりやがった!」


「学院生ともなると知人を介して屋敷に招かれることもある。親御さんとおしゃべりをすることもあるだろう。だから本日の君は娘を通して会う父親の僕とおしゃべりだ」


「娘が連れてきた男とかめっちゃ色眼鏡で見るやつー」

「うん、見るよ。ろくでもない男なら付き合いを控えるように言うよ。一般的な父親の態度から逸脱しても意味がないからね、僕も心を鬼にしていじめるけど恨まないでくれ」


 あまりの言いざまに公をぶん殴って逃げようかと思ったわ。これから殴るけど君のためだから恨まないでね発言だよ。よく恥ずかしげもなく言えたもんだ。人の皮をかぶった悪魔かよ。

 まぁいい。ちょうどいい機会だ。娘さんの前じゃ聞きにくい話があったんだ。


「その前に一ついいですかね?」

「よいよ、言ってみたまえ」

「俺の兄弟を何人か確保しましたね?」


 大雑把に鎌を掛けてみたがどうやらハズレらしい。公はニコニコしている。この面でまさか人さらい紛いのマネをしたなんてことはねえだろ。


「ラステリアとエルネストのことだね。会いたいのかい?」


「表情と感情を一致させる努力くらいはしてもらえませんかねえ。まぁいい、二人はどこに?」

「普段はうちの領地にいるんだがちょうど帝都に呼んだところでね。小一時間待ってもらう必要はあるけどいいかな?」


「構いませんよ。じゃあ俺はこれで」

「テストは受けていかないのかい?」

「この気分では無理なので辞退しますねー」


 公の執務室から辞してステルスコート起動。また執務室に入り直す。公が思念話で誰かとしゃべってる。義理の弟と妹の仲間を出していることから約束を守るつもりはあるらしい。


『あぁそうだ、何か適当な理由をつけて帝都から遠ざけろ。そうだね、領内ではなく東方での任務を与えろ。もちろん彼のことは名前も出してはいけない、いいね?』


 いや約束を守るつもりはないようだ。この小一時間は俺に約束を守らせるために提示した小さな時間稼ぎか。……二日や三日と言ったら俺が自分から会いに行くかもしれないと考えたわけだ。

 公の思い違いはあれだな、俺との間の深刻な心の温度差だ。悪いが欠片も信じてやるつもりはねえんだよ。


 思念話は魔法力による指向性通信だ。術者の慣れによっては百メートルを超える長距離でもこそこそ会話ができるってだけの術で、言ってしまえば糸電話のようなショボい術だ。

 だが公は執務室内の機能を用いてかなり長い距離と思念を飛ばし合っている。この室内自体が複数の場所と魔法的に繋がるマジックアイテムになっている。鑑定眼の拡張機能を使えれば交信先を特定できたのにな……


「ミニ・アシェラちゃん助けて」

「はいはい」


 俺にできねえのならアシェラにやってもらう。持つべきものは鑑定の女神だな。一家に一台愛玩用女神!


 そして秒で精査するアシェラ。仕事が早いぜ。


「ふぅん、近いね」

「近いんだ」

「同じ貴族街の中だね。案内するよ、行こう」


 ステルスコートの機能をより強く発動する。次元転移システムぎりぎりのところまで薄まってしまえば俺を妨げる障害物は皆無になる。床を透過して壁も透過して地面だけは踏めるように次元転移の位階を精妙に調整して貴族街を駆け抜ける。


 アシェラが示した先は貴族街でも有名な仕立て屋だ。お嬢様のドレスなんかをオーダーする店なので俺も昔から何度も足を運んでいる。


「また意外な場所だな……」

「リリウス君が意外な場所だと感じたのなら上手い隠し場所と褒めてやるべきだ。人さらいのアジトが公爵家御用達の仕立て屋だなんてね」

「最低だな。後でぶっ潰しちまおうぜ」

「そうだね」


 入店する。アシェラの指さす方へと店内を進む。カウンターの向こうの布置き場や職人がデザインを引いてる場所を通って階段を下りていく。地下室。やはり地下室はだいたい悪い場所なんだ。ちくしょう、世界中の貯蔵庫にまで風評被害が及んでやがる。


 地下一階は普通の地下室だ。ここにある床の隠し蓋を外すとさらに階段があらわれた。


「念入りだな」

「悪いことをしている証拠さ」


 俺の兄弟をこんなところに閉じ込めやがって。公、スプーンを磨いて待っていてください。


 地下二階は兵隊の詰め所って感じだ。何人かが黙々と書類仕事をしていた。真面目な人さらいだな。


 地下三階からは地下牢だ。通路の左右交互にずらーっと個室が並んでいる。鉄格子を嵌めた分かり易い牢ではなくて分厚い扉に小さな小窓が開いてるタイプだ。このタイプの牢は救出に来る人に優しくないんだよな……


「救出に優しくねえな」

「小さな嫌がらせ大成功だね」


 マジで俺への嫌がらせでこんな牢を作ったんなら公は本当にお茶目な人だよ。

 無駄な努力でお疲れ様だぜ。


「ルアとアーチーは?」

「もっと深くさ」


 アシェラ神にこの程度の嫌がらせが効くかよボケって感じですいすいと移動する。地下六階でアシェラが地下牢の一つを指し示す。


「ここだね」

「ルア、アーチー!」


 地下牢の扉を透過して中へと入る。

 こじきのような悪臭のする牢獄で男か女かも判別できない髪の長いのが血溜まりに伏している。ペンチやハサミのような道具が乱雑に散らばる小汚い床に倒れる者は小刻みに痙攣している。


 この光景を見た瞬間に心にカチンと撃鉄の音色が響いた。これは怒れ、殺せと本能が発する絶叫だ。


「……なんてことを」


 牢内には年若い兵隊がいる。一人は少年。もう一人は少女。ぴったりと嵌った軍帽が奇妙に似合っている二人があぜんと俺を見つめ返している。血塗れの手で、血を浴びた頬で、殺しに慣れた冷たい瞳で……


「うそっ、リリ兄…本当に?」

「兄さん、兄さんなんですよね!」


 懐かしい弟と妹とハグを交わす感動の再会じみた光景なのに俺はまるで悪夢に迷い込んだ気分だ。

 すまない髪は触らないでくれ。セットに一時間かけてるんだ。


「うわーうわー、なんか格好よくなってる! 昔から格好良かったけど!」

「背ぇ高っ! 俺も随分と大きくなったつもりでいたけどやっぱり兄さんはすげえや!」

「手が大きい。ほら見てアーチー、私とこんなに違う」

「本当だ。すげえや、俺と比べたって全然ちがうぜ!」


 二人は性格は変わってない。あの頃のままのように見える。だが鑑定眼を通して視たこいつらはあの頃とは別物だ。

 パラメータの異常成長。発芽した数々のパッシブスキルに苦痛及び毒への耐性。ショッカーにでも改造されたのかよ。どういう人生を送ればここまで不気味な成長を遂げるんだ……


 ルアが、ラステリア・マクローエンが不安そうな眼差しで俺を見上げてくる。


「どうして何も言ってくれないんですか? もしかしてこのゴミが原因ですか?」


 ルアは何の躊躇いも見せずに血溜まりに沈んだ人間をゴミだという。……そんな子じゃなかったのに。普通の、天井から吊るした冒険者をサンドバックにするくらいの普通の子だったのに……


「この人は悪い人なんです。不当な関税をかけていた悪い貴族なんですよ?」

「そうだぜ。へへっ、じつは俺達悪い奴を成敗する任務をやってるんだ」


 アーチーが、エルネスト・マクローエンが誇り高く胸を張ってそう言った。昔からレグルス・イースのような正義の味方に憧れていたもんな。……それが悪人の手先とはな。


「誰だ……?」


 自分でも驚くほど低い声が出た。


「お前達に殺しをやらせている奴は誰だ? アルヴィン・バートランド、あのゲロ以下のクソ野郎か?」


 怯えないでくれ、青ざめないでくれ、そんな目つきで俺を見ないでくれ。

 俺はただお前達を救いたいだけなんだ。


「いくらリリ兄でも…公に向かってそんな不遜は言い方は……」

「ああ、ルアの言うとおりだよ。公は良い人なのに……」

「良い人が殺しなんてやらせるもんか!」


 やかましかった二人が落雷を浴びたみたいに大人しくなる。それだ、それでいい、この間違ってしまった子供達は俺が救わなければならない。


「純粋で馬鹿な子供を言い包めて兵隊に仕上げるなんざアサシンギルドや裏稼業がよく使う手だ。お前達は騙されているんだ!」

「そんな言い方! 俺達だって自分なりに考えて!」


 何も理解していない無知で愚かなアーチーの胸倉をねじり上げる。ジタバタと暴れる様はまるで尻尾をつかまれた哀れな小ネズミだ。


「あのクソ野郎は昔からそうだ、マクローエンの貧しさにつけ込んで親切そうな顔で恩を売りッ! 親父殿だってそうだ、あいつの手先として殺しの任務を請け負っている! 悪魔め!」


 空間転移座標セット。


「お前達も来い、あのクソ野郎の正体を暴いてやる!」


 二人を連れて空間跳躍する。

 公の執務室に戻ると同時に公の首を掴んで壁に叩きつける。そこには歳を取った哀れなネズミがもう一匹。ただし猛毒を持つネズミだ。


「ひどいな…いきなり何をするんだね?」

「こいつらに何を仕込んだ? 俺の弟達にッ、何をやらせてきやがったこの大悪党が!」


 なんだその目つきは?


「あぁ再会できたのだね。よかった、僕も手配をした甲斐があった」

「二人を帝都から遠ざける手配か。あぁありがとうよ、あんたがマヌケなおかげで再会できた!」

「誤解があるようだね」

「誤解! 素晴らしいな、何が誤解なのか聞かせてくれよ!」


 だからなんだその目つきは。命乞いならば取るべき態度があるだろ。


「雇ってほしいと言い出したのは彼らだよ。彼らのお母さんが病気の時に支援をしてあげてね、そのお礼をしたいというので……」


「公はどうやら俺の忍耐力を試しておられたようだが残念ながら判定失敗ファンブルです。死んでください」

「やめてえ!」


 公の首を折ろうとした瞬間、ルアに突き飛ばされてしまった。正確には俺の胸を突き飛ばそうとしたが俺が堪えたせいでルアだけ転がってしまった。

 愚かな子供が恩人を庇う感動的な光景だ。愚かすぎて騙されているとも知らずに律儀に恩義を感じている。


「やめて! 兄さん、本当なの、公の仰っていることは本当なの!」

「ああそうだよ、そうやって無垢な子供を洗脳したんだ」


 今度はアーチーが俺に掴み掛かってきた。どうにかして公の首を掴む手を引き剥がそうとしている。


「やめてくれ、兄さん、公を離してくれ!」

「正義マンごっこがしたいんだろ。じゃあ俺の行いを見ていろ、これが本物の正義執行だ」

「兄さんどうして、そんな人じゃなかったのに! やめてくれ、公は俺達の恩人なんだ!」

「ちからが無い。だから何もできない。恩人だと信じている悪党も救えやしない。お前達が弱いからだ。我を通したいなら俺を殺せ、できないなら黙ってみていろ」


 驚いたぜ。俺の方がはるかに悪党っぽいセリフだ。

 対して本物の悪党はされるがままで黙り込み、下弦の月みたいな気持ち悪い目つきで俺を見つめている。その眼差しにはこの期に及んで俺への殺意が無い。


「恨まれるよ。いいのかい?」

「大丈夫、時間はかかるだろうがこいつらもいつかわかってくれる」

「そうじゃない。ロザリアに恨まれてもいいのかい?」


 公は本当に面白い人だな……

 そのつもりか。そのつもりで俺とお嬢様を近づけたのか! 俺を手駒にするためだけにあんな昔から! 自分の娘を使ってまで!


 動揺は深く、怒りのあまり眩暈がしてきた。その一瞬を突いてルアに突き飛ばされてしまった。今度はしっかりと床に転んでしまった。

 公を守るために立ちはだかる二人を見上げ、ようやく二人が泣いているのに気づけた。


「公は殺らせません!」

「そこをどけ」


「嫌です!」

「どうして! どうしてわからない、そいつが善人に見えるのか! そいつの命令で殺してきた人の中にはきっと―――どうしてわからないんだ!」


「でもこの人が助けてくれたんです! 咳が止まらなくて苦しそうなお母さんを助けてくれたんです!」

「そいつの狙いがマクローエンの血統スキルだからだ!」


「マクローエンが何だっていうんですか。あんな家、母さんを助けてくれなかった家が何だっていうんですか!?」


 ちょ……親父殿?

 ボロボロに泣きだしたルアが目元を手でごしごしやってる。ちょ……親父殿?


「お薬にお金が必要だからお屋敷に行ったんです。でも奥様に摘まみ出されました……」


 ちょ! 義母!


「お屋敷には行ってはいけないって言われていた理由がようやくわかりました。あんな人達だったなんて! 知りたくなかった!」


 そこは全面同意するけども。

 え、いつの話だ? 俺が家を出た後だとするとルドは帝都か。バトは俺と冒険者やってたわ。リザ姉貴は留学中か? 家に残ってるのは魔王と義母だけか……


 くっ、むしろ魔王化していたほうがワンチャンあった気がする!


「リリ兄もリザ姉もいなくて他に助けてくれる人なんて誰もいなかったのに! 助けてくれたのは公だけなのに! 私達に他にどうしたらよかったっていうんですか!」


「ば…バーンズは?」

「バーンズおじさんも帝都に行ってしまったんです! リリ兄がいなくなってすぐです!」


 わぁい、孤立無援だ。親父殿はどこ? 帝都?


 ルアとアーチーがものすごい目つきで睨んでくる。もはや親の仇のレベルだ。


「公は殺させない。リリ兄が相手だって!」


 この間に体勢を立て直した公が余裕の態度で襟元を直している。あぁそうかよ。

 これがあんたのやり方か。恩と情の鎖で縛り付けて忠誠の兵隊に変えるのがあんたの……


 あんたの息子そっくりだな。俺も完全に術中に嵌ってるって今気づいたぜ。こいつに関しちゃ俺も擁護できねえぞ閣下。


 あの気持ち悪い目つきの理由がこれか。自分だけは絶対に安全だと理解していて、仕込んだオモチャの反応を見て喜んでいる。


「公、まずはこいつらの母親に薬をくださってありがとうございます。きっとアルテナ神殿にも連れていってくださったのですよね。マクローエンには無いからマクローエンから出し、そして何かと理由をつけて公爵領へと移住させたのですね」


 理由は二人を雇用するため。そして人質にするためか。……指摘して何になる。


 指摘したところで状況は変わらない。完全に洗脳が嵌ってる二人が信じるわけがない。魔法的な洗脳なら解除の芽もあるんだが、丁寧に時間をかけて恩と情で縛り付けてやがる。

 だからこんな顔ができる。勝利を確信し、揺るがぬ敗北を受け入れられない猿を見て喜んでいる。


「うん、理解してくれて嬉しいよ」

「公はご自身の命が風前の灯であることさえ理解しておられる」

「そうだね、僕はリリウスくんの気が変わった瞬間にかき消える儚い命さ」

「何もかもご承知でその顔ができる。己の命を天秤に載せることに慣れておられる」


 陰鬱なため息が出てきた。

 認めてやるよ大悪党、俺にはあんたを殺せない。


「あなたは狂っている」

「褒めてくれてありがとう。さあお帰りはあちらだ」


 これは敗北の記憶。最強の救世主が何のちからもない悪意の怪人に屈したのだ。


 心を操る怪物、アルヴィン・バートランドとはそういうタイプの変態おじさんなんだよ。

 


◇◇◇◇◇◇



 モーグ鉄国は山間部にある国だ。なだらかな稜線が無数に綾なし、水源も多い。地図もなく往けば旅慣れた隊商でさえ右往左往してしまうような難所ばかりだ。

 月のない夜にモーグ鉄国に入った俺はシェナちゃんのナビゲートで山々を越えていく。この程度の地形なんざ俺にとっては平野とそう変わりはない。


 公からもたされた比翼連理のアミュレットが熱を帯び始めた。どうやら公の部隊に近づいているようだ。


「付近の部隊っつってもかなりの少数だと思うが調べられるか?」

『検索実行、発見しました』


 検索開始から淀みなく発見の報告。ダメだろ、シェナちゃんのオペレートは本当に反則だろ。敵がこんなん使ってきたら勝てるわけがねえ。


『四組を発見。制裁軍を監視する冒険者である可能性も高くあります。最も練度の高い部隊を最優先にナビゲート開始します』

「何も言わなくても欲しい動きをしてくれるってか。シェナちゃん愛してる!」

『まあ嬉しい』


 わぉ、超お世辞はいってるぅー。


 バイザーに表示された方角に向かう。距離が遠い時は矢印で出してくれるから素晴らしいね。近づいたら個別認識で淡く人影を映し出してくれるし最高だ。


 尾根に伏せて遠くにいる制裁軍を監視している三人組を視認する。同時に三人とも身を起こした。気づかれたか。


 一人が打ち掛かってくる。冒険者にしてはこなれた対人戦の動きだ。これは軍の教練を受けた動きだ。


「待って!」


 この声、動かなかった方のどちらかは女の子か?

 なぜに待ったをかけたのか。やはり友軍ってことか。


「アミュレットが光ってる。その人は友軍かも!」

「かもって何だよ! それにもう止まらねえよ!」


 同感だがもう少し思慮深くあれよ。とはいえ『かも』程度なら俺もまずは無力化するわ。


 打ち掛かってきた少年を華麗に一本背負い! からの関節技で地面に押し付けるわ。しかし少年兵は活きがいい。元気だ、元気くんだ。


「くそっ、離せ!」

「その元気はこんな状況に追い込まれる前に発揮しろよ。詰んでから騒いだって状況は好転しねえぞ」


 アドバイスを一つしておく。俺は優しいからな。ハイルバニアいち優しい男だからな。


「こちらに交戦の意思はない。バートランド公の軍使だ!」


 連中の動きが止まり、指揮官らしきハゲ頭の若い男がシャツの中から仄かに光るアミュレットを取り出して見せてきた。

 比翼連理のアミュレットを投げ寄こしてやり、それがカチリとピッタリ合わさる。これはいわゆる互いに引き寄せ合う性質を持つ割符なんだ。


 状況を理解した若ハゲが頭を下げる。仕草からして貴族なのかもしれない。


「……ご無礼を致した。グランツ大尉です、モーグ国内における軍事行動を監視する任務にあります」

「ELS制裁軍を撃破しにきたリリウス・マクローエンだ、よろしくな」

「あっ!」


 少女が大きな声をあげる。ようやく気づいたか。

 月の無い夜で視界が悪いとはいえ、気づかれないのは中々に堪えるもんだ。以前のこともあったしわざと無視されるのかと思ったよ。


 俺の膝に組み敷かれている少年も気づいたようで、おそるおそるこっちを見てきた。


「兄さん、本当に……?」

「ああ、お前達のリリ兄だよ」


 久しぶりの再会は嬉しいけどよ、公め、こいつらを使い潰しても構わないとか抜かしやがったのは根に持っておくからな。

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