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最終章 『春のマリア』  作者: 松島 雄二郎
帝都決戦編 レミングの進軍
301/362

ガンズバックの騎行②魔弾弓兵

 重く天を閉ざした雨雲は未だその腹の中身を零そうとせず、夜明けの陽を浴びてもただただ黒い。

 なんとなく不吉な空模様だと思いながら朝食の支度をする俺とデブ。ああデブ? デブは調理には大活躍なんだよ。昔は食べる専門だったけど俺と再会してから自分で作るのにも目覚めてさ、今じゃあけっこうな腕前だよ。こいつはいわゆる神の舌を持つグルマンだからね。


 作った料理の食材から調味料にいたるまで全部あてられた時はマジで見直したよ。リリウスポイント五万点をやったね。まぁデブはそれでも好感度マイナスだけどね。まだね。デブには生まれる前から巨大な負債が山のようにあるからね(アンチ投票一位の事実)。


「お嬢様、価格設定の相談にのっていただきたいんですけど?」

「ガツガツ儲けにいくわねえ」


 ここで胸を張る俺である。


「商人ですから!」

「才能の無駄遣いねえ」


 俺の才能はすべて金儲けのためにあるんですよ。とはさすがに言わないが習得したすべての技能が金儲けのために存在するのは現代日本の常識だ。頑張った奴が豊かな暮らしをして何が悪いって感じだよね。


 ホロヴィジョンのテキストで料金表の下書きをしてみた。

 こいつに正規の料金を記載して印刷魔法をかければ完成だ。


「ねえ、あなたの目から見てこれはどういう事態?」

「よくあることですが」


 よくある。行軍中に部隊が一つ二つ減るなんてよくある事態だ。脱走だったり、途中で大荷物を抱えた金満商人を見つけて徴発にハッスルした挙句本隊の位置を見失ったり、気合いの入った山賊に襲われたり、グリフォンのような有翼モンスターにかっさらわれたり、じつによくあることだ。

 グリフォンは高温少湿を好むからダージェイル大陸に多くいるイメージだし、ここらへんには住んでないと思うけどね。


 エルフの住む森に兵を送り込んだら誰も帰ってこなかった的な話はよく聞くぜ。あいつらテリトリーにマジ厳しいからな。森で生きてる奴からしたら平野の民が森の恵みを持っていくのは泥棒なんだよ。


「そう、そんならいいわ。従軍商人の分を弁えましょう」

「そうですね。あくまでも要請があり次第協力する形の方がいいでしょう」


 じつはザクセン公からはすでにイエローカードを貰っている。直接的に言われたわけではないが「ハルビン伯爵の首はガンズバックに獲らせてやりたかった」と愚痴られたのだ。


 朝食を終えた頃に出立準備の号令が飛ぶ。

 兵隊たちは毛布を背嚢にしまい込んで整列し、将官たちは部下に天幕を片付けさせてからゆっくりと立ち上がり、軍長たるガンズバックが馬上から命じる。


「進発を前に二つ注意を。昨日の愚を繰り返さぬために警戒は怠らぬように、そして部隊間を縮めて行軍せよ。それではマト村に向けて進発する」

「ぜんたーい! 進め!」


 副官さんが大声を張り上げ、連隊が動き始める。朝焼けの空の下、朝日へと向かう形の進軍だ。


 ガンズバックの騎行が続く。都市を平和的に恭順させる旅はすべてが順調というわけではなく、時には話し合いを拒んで門を閉ざす都市もあった。

 ガンズバックはこのような都市に対して戦いを選んだ。連れてきた兵は飾りではない。何よりここで退いては約束を取り付けた諸都市さえ前言を翻す。これはこの地に王道を敷くための戦いであった。


 戦いは初日から激戦を極めた。こっそり内部に侵入した俺もまた激しい戦いの中にあった。


「金貨四枚? ばか言っちゃいけないよ、見てご覧よこの毛艶を。こんなに上等な駿馬がそんな値段で売っているのを見たことがあるかい? こいつは金貨十枚から競売が始まるような素晴らしい馬なんだよ」


 水煙草シーシャを吹かす商人は余裕のある態度を崩さない。


「こいつの親はワーブルでも有名な競走馬でね、私も拝み倒してようやく売ってもらったんだ。悪いが話にもならないよ」

「めっちゃ足元を見てきやがる……」


 たしかに馬体はイイ。だが鑑定眼で見た感じ、そこまでのパラメータじゃないんだけどな。

 何らかの理由で軍馬には採用できなかった民間払下げの馬。能力値も並み以下であることを考えれば訓練の途中で問題が発覚して育成を中断されたのだろう。となると心根の問題か?


「その馬は王立騎兵練兵場の民間払下げ品じゃないのか? 欠陥を抱えているから競売にも出されなかった」


 全部わかっているぞ、そういう悪い顔で指摘する。


「お前さんもそいつの欠陥を買うまで知らなかった。だから早めに手放したい、そうだろ?」

「人聞きの悪いことを言わないでもらいたいね」

「軍馬になれなかった理由は性格か、気質かもな。当たりか?」


 銀貨を指で弾く。耳のよい馬が鋭い金属の音色に気づいた。空中をクルクル回転しながらまた手元に戻ってくる銀貨を指で弾き直す。キィンと鋭い音に反応する馬の眼には怯えがあった。


「そいつは金属を恐れている。訓練課程で傷を負い、武器が怖くなったんだ」

「そいつが本当だったとしてあんたに何の得がある? 私の商売の邪魔をしないでくれ」

「たしかに何の得もないな」


 無い。金属の音を怖がる馬で騎行などできるわけがない。怯えた馬が乗り手を振り落としてどこかに走り去っていくのがオチだ。


「だが欠陥品を掴まされそうになった返礼には丁度いい。あんたが欠陥品を抱え込んだっていう特大の笑い話を街商人の間に広めてやるよ」

「くそっ、何が目的だ、カネか!?」


 そうだよ?

 いやカネも欲しいがもっと欲しい物がある。馬だ。


「この街で馬を売りたがっている奴、馬を欲しがっている奴、馬に関する名簿を寄こせ。ここで馬を売ろうとしたのなら競合相手を調べたはずだ」


「……わかった。口止め料ということだな?」

「ああ、これで俺もお前さんも笑顔で別れられる」


 うぎぎぎっていう顔をする商人さんとがっちり握手。大声では言えないけどLM商会の商談って普段はこんな感じなんだ! 本当に大声では言えないけど!


「もしゃ……悪い商売してるなあ」

「うるさいよデブ」


「ほんとね、さすがのわたくしもどん引きよ……」

「いや、世の商人のほとんどはこんな商売ですからね?」


 カルネの町では初戦からシビアな戦いになったぜ。だが有益な戦いだった。

 このあと俺ら三馬鹿は市内を駆けずり回って情報の裏付けを取り、外で戦う戦友たちを思い浮かべながらこの日は高級宿でぐっすり眠った。



◆◆◆◆◆◆ 



 二日二晩続いた通称『カルネの町の戦い』、夜明に代官フォークトエヴァンス男爵を討ち取り、ザクセン公軍の勝利で決着が着いた。

 朝日を背負って堂々と入市するザクセン公爵家子息ガンズバックの騎行を戦々恐々と見つめる群衆の中にいる三馬鹿がそう、ロザリアお嬢様と俺とデブです!


 疲れ果てた様子のガンズバックは疲労を隠す努力をしていたが、やはり目元に濃いめのクマになって出ている。それでも威勢を張っていたが……

 俺らに気づいた。ぐっすり眠ってお肌つやつや元気いっぱいの俺らに気づいて、愕然としている。


「ガンズバック殿、お見事な勇戦でした」

「貴様らは……」


 怒鳴り散らそうとしたのをグッと呑み込んだ気配があったわ。

 俺があんなに苦労したのに貴様らは!的な思いがあるんだろうがそこはほら、背負った責任の違いってあるじゃん。俺は商人でこいつは軍長じゃん。


「まぁいい。首尾はどうだ?」

「おおよそは把握できております。すぐに接収なさいますか?」

「無論だ。兵を貸し与える、案内せよ」


 接収は商人としては仁義にもとる。だが堂々と兵を率いて開城させた貴族なら当然の権利だ。


 作成した市内地図を用いて朝も早くから馬を接収して回る。人口三千人程度の町から約八十頭の若駒が手に入った。まぁ悪くはない戦果だ。ガンズバックは渋い顔をしていたが幕僚は大喜びだ。やっぱりザクセン軍にとって騎獣は心の支えなんだろうな。


 馬を連れてガンズバックのところに戻った時だ。煙るような悪意の視線を感じた。視線そのものに暗黒の靄がかかっているような強烈な視線を追っていっても誰も見つからなかった。


 気づいたことに気づかれたか。自らの殺気が漏れていると気づいてさっさといなくなったのか。

 咄嗟に放った広域探査魔法にもそれらしい当たりは無し。……追うか。放置は不味い気がする。


「お嬢様、こちらはお任せします」

「ええ、気をつけて」

「もしゃ、何の話?」


 デブ、お前は本当にそういうところだぞ。


「敵よ」

「敵だ、けっこう手強そうだぞ」


 逃がしたら後で尾を引く。そういう嫌な予感が心をざわめかせやがる。

 殺気の残滓を追うように走り出す。



◆◆◆◆◆◆ 



 空気に色が付いたような濃密な視線の痕跡を辿って城壁上までやってきた。ほんの数時間前まで戦争の中心地だったここは無数の死体が転がり、城壁を染め上げるおびただしい量の血痕はいまも濃密に死のにおいを香らせる。

 足跡は無い。痕跡もない。ただ空気にこびりついた黒い殺意の靄だけが俺の知覚上に残っているだけだ。


「ゴーストなら俺が辿れないはずがない。となれば生身の人間のはずだが……」


 一瞬ガレリアかと思ったがキリングドールがこんなヘマをやるわけがない。あいつらは呼吸するように自然に殺しに来るから殺意なんてねえんだよ。俺だって空気の動きとかで対応しているだけだ。裏技に関してはまだ秘密だ。対処法は無いと思うんだが対処されたらもう本当に打つ手が無くなる。


 意識を切り替えて知覚を拡大させる。俺という存在を希釈して世界へと広げる。大地が俺となり、風が俺となり、草花が俺となり、他人さえも俺と化す。


 広がり続ける俺が幾つものノイズを捉える。……兵隊の死体から追いはぎをやってるクソガキどもはどうでもいい。


 ……

 …………

 ………………見つからない……?


 マジか、精神を閉ざして殺意を閉じることのできる手合いか? わかんねえ。世の中にはマジで理解に苦しむ謎の技術を持ってる奴らがいるからマジでわからねえ。


 本当にたまにいるんだよな。アルザインみたいに謎の境地に至ってこの世に存在しない技を体得してしまう馬鹿が。可能性の獣かよ。


 やべえ、逃がしちまったか……



◆◆◆◆◆◆ 



 略奪に遭った領主館から姉の死体を回収してきた森人の弓兵は地下道を辿った先にある隠れ家に姉の遺体を安置した。

 ここは領主家が作った非難豪で、三代前の領主ナジックが幼い息子アルマンを彼ら二人の姉弟に託す際に遺言で教えてくれた場所だ。


 当時ハルビン伯爵家は公王家の後継問題に端を発する政争に巻き込まれ、幼いアルマンでは生きていけぬと悟り、古い友人である二人を頼ったのだ。……まさか八十年も経ってからこのような使い方をするなど夢にも思わなかったが。


「しばしここでお待ちください。恩讐を終えたなら必ずや戻ってまいります。その時は必ずや二人であの懐かしいハーランの森に帰りましょう」


 目を閉じると思い出が蘇る。あの日姉の手に引かれて森を出た。森を懐かしむことはあっても出たことを間違いだと思ったことはない。

 様々なものを見た。大勢の人と出会い、別れた。大切な人もできた。大切な友の子孫を守護する役目を負ったことさえ喜びだった。


 この大切な日々を奪った畜生どもがいる。……到底許せるものではなかった。


 地上に戻った弓兵がおとなったのはハルビン伯爵家兵団長マヌクースのところだ。彼はハルビン伯爵の姉の夫であり、公都での職を辞して伯爵家に仕えた経緯を持つ男だ。

 そしてハルビン伯爵の戦死を受けて真っ先に降伏を選んだ男でもある。弓兵の訪問はマヌクースにとって穏やかな出来事ではなかった。それは彼の額に浮き出た冷や汗でわかる。


「こう言っては何だが貴殿が死神に見えたぞ」

「それほどに怖い顔をしているか? すまぬ、私もまだ動転しているのだ……」

「無理もない。さあ入ってくれ、余人に見られればどんな勘繰りを受けるかわからん」


 この時弓兵は三階の窓の向こうからマヌクースとしゃべっている。元兵団長が怪しい人物と密会していたなどと噂が立てば、穏やかならぬ事態を招きかねない。


 市の要職にある者の部屋としては飾りっけのない室内に招かれた弓兵はまず誤解があることを懸念した。


「貴殿の判断を誤りではない。降伏は正しい判断だった」

「いいや、誤った。閣下はお先に逃がして差し上げるべきだった」

「それは私の責でもある」


「かもしれない。だから我ら二人の責であろう。……ガラドリエル殿も落ち延びておられるか?」

「姉上は逝った」


「それは……お辛かろう、心中お察しする、とは森人は言わぬのだったな」

「どうだったかな? 私も随分と町の暮らしに慣れたので、森の常識など忘れたよ」


 そして二人が同時に口を開く。


「これからはいかが為さる?」

「どう動くつもりか?」


 二人同時に問いを発し、だから理解したのはこの友人がまだ諦めたわけではないという事実であった。

 感動が二人を襲い、


「「友よ!」」


 それはハグをするには充分な理由であった。


「姉上とリリンティアラの仇を討つ。ドルジア兵は皆殺しだ」

「こちらでも反抗の芽は育てておく。ザクセン軍を追い払ったあとは公都にやった娘を呼び戻してハルビン伯爵家を再興する。それで元通りだ」


 森人は過去を肴に今を生き、背高人は未来を語る。

 その思いの根幹はこのようにすれ違うものであったが、二人は共に戦ってくれる友がいることが何よりも嬉しかった。


「友よ、死ぬなよ」

「そちらもな。死ぬな、頼むから死んではくれるな」


 だが願いだけは重なった。

 生きて御家の再興を願う元兵団長と死兵となって侵略者どもを駆逐せんとする弓兵もその願いは同じ。ザクセン軍の皆殺しだ。



◆◆◆◆◆◆ 



 狩猟の奥義は誰にも教わらなかった。

 森から離れて弓よりも剣を握ることが多くなり、いつの日か気づいた。我を捨て、無心の境地にて放つ技の冴えのなんと美しいことか。


 心を消す。意を消す。無を得てただ放つ。長き時を経て到った奥義はかつて里長が語った伝説の英雄『遠雷の弓兵』と同じ域のものであった。


 そも三里のフリオのあざなとは三里先の獲物を射殺したが由縁であるが、実際は三里先にいた獲物に近づいて気づかれぬまま射殺したにすぎない。フリオの一党の誰もがすぐ傍の木上にいたはずの彼が離れていったことも気づかず、戻ってきたことにも気づかなかったがゆえに付いたあざなだ。


 そして今獲物まで三里と無い。僅か300m、遮蔽物も無い。熟達した森人の弓兵ならば目を閉じていても命中する距離だ。


 第一の標的はザクセン公ガンザックが子弟ガンズバック。老いた父に代わり軍を率いる彼こそがハルビン伯爵家の仇である。


「滅せよ、邪悪」


 弦を引くと妖精弓がきしりと鳴る。耳当たりのよいこの音は森人の心であり、放つ瞬間に奏でる音は快感をもたらす。


 番えた矢の先にいる邪悪を滅ぼす必殺の奥義まだんが放たれた。

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