帝国を追放された騎士団長が辺境の町で奥さんとスローライフする
嗅ぎ慣れた血の香りと戦の残響。深い森の奥にある廃村に積み重なったゴブリンどもの死体を背に、その男は火を焚く。
持ち込んだ簡易コンロキットを使ってケトルでお湯を沸かしているだけだ。
お湯が湧けばコップに注ぎ、瓶詰めから粉末を落として混ぜるとコーンスープの完成だ。
「うむ、これはうまいな……」
コーンスープの素は冒険者ギルドで購入したものだ。瓶一本で金貨十枚もするが実際に飲んでみれば十枚の価値はあると納得できる。
専用のコップの内側に掘られた線までお湯を注ぎ、これまた専用のスプーン一杯を入れるだけで美味いスープが飲める。手軽だ。驚くほど簡単に完成する。
(冒険者用のインスタント食品だというが軍にこそ必要な品だ。美味かつ温かいものを火を熾すだけで作れる、それも荷物にならないのは大きい)
とはいえ自分が軍の兵站部将校だったとしてこれを採用することはない。
コストが高すぎる。六十食で金貨十枚は幾ら何でも無理だ。仮に採用を嘆願したところで主計部からアウトを貰うのは目に見えている。
(どうでもいい仮定だな)
自分は軍の兵站将校ではない。気楽な冒険者だから自分の稼ぎが許す範囲内において高額な粉末スープを楽しめる。
コーンスープの温かさを楽しんでいると血の香りに誘われて魔物が集まってきた。ここを根城にしていたゴブリンどもの死体を漁りにやってきた魔物を処理すればギルドの依頼も完了だ。
依頼は二つ。森の外にある街道を行き交う旅人を襲うゴブリンの退治。森林内からの魔物の間引き。ザッと見たところ常設依頼に該当する種類のモンスターはおらず、グールのような斬るだけくたびれ損な手合いしかいない。
(銀貨56枚か、半日仕事にしては悪くない)
廃村に踏み入った魔物が仕掛けておいた設置罠タイプの魔法『アイシクル・シード』から飛び出してきた氷の枝に貫かれて死んでいく。この魔法は込めた魔法力の多さで日持ちする。死体が魔物を引き寄せて四日も放置しておけば森の魔物も程々に間引けるはずだ。
楽な仕事だ。ガドさんはそう思いながら二杯目のコーンスープを作り始めた。
◇◇◇冒険者のガドさんside◇◇◇
モランの町は何の変哲もない田舎町だ。来る人よりも出ていく人の方が多い田舎町で、来る人と言えば近くの農村から野菜を売りに来る農家の息子や行商人や冒険者になりにきた若者だけで、そんな人達も用事が済めば出ていくだけ。育った冒険者だって名声を求めてもっと大きな町に出ていく。
歩いてほんの数日の距離に大陸交易路にある大きな町があるので、商人にとってこの町は食品を仕入れにくる田舎町でしかない。
そんな町だから役人もやる気がない。町の正門を守る兵士だって四人しかおらず、しかも三人はサボって詰め所でカードで遊んでる有り様で、貧乏くじを引かされた兵士があくびを噛み殺しながら突っ立ってるのだ。
とはいえ兵士である。街道から近づいてくる奴にはすぐに気づく。
「ガドさん、今日も早いねえ」
「楽な依頼だったからな」
「それマジで言ってるからすげえよ」
ガドさんが曳いてきた荷車に積み重なったでかい魔物の死体を見上げる兵士は、ぜってえ楽じゃねえだろって思いつつもガドさんにとっては雑魚だったんだろうなって思った。
「そっちは貧乏くじか?」
「そうなんだよ。新入りの辛いところさ」
先輩兵士は詰め所で遊び、後輩兵士は仕事をやらされる。じつに田舎らしい価値観だ。
ガドさんは冷笑をし、兵士に銅貨を二枚くれてやる。
「これで仕事終わりに一杯飲めよ」
「ありがてえ。真面目にやってるとイイコトがあるもんだ」
「あの態度を真面目だというのなら俺は聖人君子だな」
「俺に飲み代をくれる人はみんなセイント様だぜ。ガドさん、今夜は飲みに行こう」
「わるいな、今夜も奥さんが手料理作って待っているんだ」
田舎の兵士は冒険者と仲がいい。社会的な構造ゆえだ。
田舎では慢性的に戦力が足りないため、ネームド級モンスターが出たら互いに協力し合うので違う組織に属する同僚という認識がある。
そんな関係だから冗談も驚くほど気軽にできる。
「独り身相手にマウントかよー!」
「いいもんだぞ。羨むくらいなら嫁さんを探せよ」
快活に笑いながら市街地へと入る。
最初に目指すのは冒険者ギルドだ。依頼の報告と魔物の死体の換金をしなければならない。
ただ彼は名誉ある冒険者なので町を歩いていれば声を掛けられる。
「ガドさん! あんたから貰ったレシピ好評だぜ!」
「寄っていってくれよ、あんたの言っていた香辛料が手に入ったんだ」
「あとで顔を出すよ」
ガドさんがこのモランの町に来てまだ半年くらいだ。しかしすっかり馴染んだもので、もう昔からの住民のような存在になりつつある。
モランの冒険者ギルドは田舎町なりに賑わっている。先に裏手の解体場で魔物の死体を引き渡し、表に回るとすでに依頼を終えた冒険者たちが酒を酌み交わしている。
ちなみにまだ日暮れ前どころか午後の三時手前だ。
「ガドさん、今日はまた随分とゆっくりだな」
「お前達は早すぎだな。どうせ小銭を稼いできたんだろう」
「いけね、バレてら!」
次々と声をかけてくる冒険者たちをいなしながら受付へ向かう。ガドさんは人気者だ。
報告を行う。今回の仕事はとても大きな仕事で、元を言い出せばガドさんから市長さんに話をして冒険者ギルドに依頼をするという形にしたので、受付嬢も心配していたらしい。そして平素な顔で戻ってきたガドさんの様子を見てホッと胸を撫でおろしている。
「どうなりました?」
「適切な措置ができたよ。まず森林内の高台の裏手にゴブリンの集落があり、これを撃滅した」
撃滅って冒険者さんからはあんまり聞かない表現だなあって思いながら受付嬢がクエストシートに筆を走らせる。
「後にゴブリンの集落に魔法植物を放っておいた。これで血のにおいに寄ってくる程度の魔物はある程度間引けるはずだ」
「その魔法植物というのは以前のお話にあった?」
「ああ、ほんの数日で消えるので新しい危険にはなりえない。これで今回の依頼は終了で、五日ほど後に様子を見に行く分は別の依頼という話になっていたな」
「はい、これで二つの依頼は達成です。後の調査依頼ですが今すぐお受けになられますか?」
「時間がかかるんだろ。後日暇を見つけて受けにくるよ」
この場で依頼料を受け取る。銀貨が56枚。よほどの贅沢をしなければ一年は生活に困らない金額だが、ガドさんは欲しい物は我慢せずに買うタイプなので多めのお小遣いという表現になる。
ガドさんは仕事を終え、愛する奥さんの待つマイホームへと帰る。
市街地と農村の間にある小高い丘の上にある一軒家だ。外で摘んだ季節外れのアザレアの花束が本日の土産で、夕飯の買出しはまぁ奥さんがやっているはずだ。でなければ今夜は外で食べてもいい。
「帰ったぞ」
「だーりん!」
奥さんが胸に飛び込んできた。美しい可愛らしいガドさん自慢の奥さんだ。……短気なのが玉に瑕だが。
まぁ庶民が暮らすような一軒家なので家の中に仕切りはない。素早く視線を走らせたキッチンには朝には無かった食材が積まれているので今夜は奥さんの手料理を楽しめそうだ。
飛びついてきた奥さんとの甘い一時を過ごし、すぐにティータイムの準備をし始める。ガドさんも料理は得意なので焼き菓子のあまりを砕いて氷菓子と混ぜていく。
「そういえばだーりん、ドルジアが動いたみたいよ」
「ほお、それはまた随分と早いな」
午前中は町に買出しにいった奥さんが北から来た商人から話を仕入れていた。
明度の低い商人の話でも何人か分を合わせて思考能力で補えば真実は見えてくる。奥さんは軍事に明るいのでガドさんは何も疑わずに聞いている。
そんな様子がおかしく思えたらしい。奥さんが首をひねっている。
「いいの?」
「いいよ、豊穣の大地プランを成し遂げる者が誰であれ俺は容認する。結果的にプランの恩恵を受ける者は変わらないからな」
ガドさんはかつて遊戯盤の中心にいた。帝国という小さな世界を指揮するプレイヤーであり王を守護する駒として存在し、だが今は盤の外から駒ならぬ一個の人として物事の趨勢を見物している。
己は指し手でなくてよい。己は駒でなくてよい。この立場を面白いと思うのは盤を離れた気楽さゆえか?
「クリストファーが望みを果たすか、最後に笑うのはあの悪魔か。それとも俺の意思を継いだ者どもがあれらの野望を打ち砕くか。楽しみだな」
「お気楽ねえ」
ガドさんが楽しそうに笑っていて、奥さんはそんな旦那さんの悪い顔に呆れた調子。ちょっぴり大きくなったお腹は新たな生命が正常に育まれている証だ。
「これでよいのだ」
奥さんを抱き寄せてそのちょっぴり膨らんだお腹に頬をあてるガドさんの眼差しは遠くの地にある同胞を見ず、ただ目の前にある幸せを優しく見つめる。
「俺の役割はきっとここまでだったのだ。生き残りの準備を整えてあとは若い連中に任せて退場する、そういうことだったんだよ」
「まるで老兵ね」
「まさしく!」
ガドさんは闘争の盤から降りて人としての幸せを享受する。それは奥さんの願いでもあったし、いまはガドさんも同じ想いを抱いている。