タジマールの鷹③
俺は歓楽街が好きだ。今晩の恋人を求めて彷徨う童貞たちのキョドりっぷりを眺めたり、歴戦の戦士さながらに颯爽と馴染みの娼館の門を潜る紳士の背中に向けて「グッドラック」って親指を立ててやったり、同僚どうしで肩を組んで上司らしき名前を連呼して「ばかやろー」って言ってる姿も好きだ。
歓楽街には普段人間が隠している欲望が可視化されて溢れている。
普段は「私は上品な教師だ」なんて面をしている奴が歓楽街では青年に戻ったかのようにおっぱいを探して目をギラギラさせているんだ。
俺はさ、そういう着飾らない本性をこそ愛しているんだよ。
だから俺は歓楽街の端っこに座り込み、ボケ~っとしながら歓楽街を行き交う人々を見つめる。
女を取り合って喧嘩でもしたのか大声を張り上げながら娼館から摘まみ出される二人組の男たち。
さっきからずっと微動だにせず娼館の三階の窓を見上げている少年にはどんな事情があるのか。
そこそこに身なりはいいのに地べたに転がって眠り続けるおっさんは普段はいったいどんな仕事をしているんだろう?
こんなに面白い光景をただ見ているだけなんてモッタイナイ。今はただ他人の人生に想いを馳せよう……
それと面白そうだから娼館の窓を見上げている少年には銀貨三枚を渡してみたぜ。スキップしながら入店していったぜ! まぁなんだ、稼ぎが悪くて愛しのエイラちゃんに会いに行けなかっただけなんだってさ。
うーん、それもまた人生の悩み。カネを稼いで女に会いに行くのもまた人生。この悔しさをバネに高収入を目指して努力をするのもまた男って生き物なんだろうぜ。
人間観察をしてたら見覚えのある連中が酒場から出てきた。柄の悪い冒険者どもが周りを威圧するように歩いてきて……
俺に気づいて足を止めた。
「おっと、昨日の兄さんじゃねえか。カノジョさんにフラレて自棄酒か?」
「カノジョはイイ女だがたまには別の女の香りも嗅ぎたくてね」
「へっ、色男め。上等な悩みしてやがるな」
色男なんて初めて言われた! こいつイイ奴かも!
ここは俺も色男らしい返事をしないとな。
「色男、カネとちからはなかりけりってな」
「どっかの格言か? 色男は学があるねえ」
やばい、こいつ好きかも。
錆びた鉄みたいな色のざんばら頭の冒険者が楽しそうに笑ってる。まぁ若干舐められてる気はするが色男の心は広いのだ。逆に褒めてやってもいい。
「そういうお前さんはカネとちからも持ち合わせているな。男として羨ましいよ」
「まあな。いい気分だしこいつをくれてやる、別の女の肌のにおいでも嗅いでこい」
カネの入った巾着を貰ってしまった。
重さと受け取った時の音からして銀貨が七枚は入ってるな。
「兄貴、いいんですかい?」
「構いやしねえよ。イイ奴には優しくしてやれっていつも言ってんだろ?」
イイ奴は発言までイイ奴だな。
まぁつま先から頭のてっぺんまでどっからどう見たって悪党なんだが。酒場のおばちゃんもタチの悪い連中っつってたし。
イイ悪党冒険者がずいっと覗き込んでくる。ぽっけに両手を突っ込んだまま見下ろしてくるポーズをした奴がイイ奴だった記憶はない。
「俺を立てる奴には優しくしてやる。頭のイイお前さんなら俺が何を言ってるかわかるよな?」
「もちろんだよ旦那、俺も俺に優しくしてくれる人には敬いの気持ちを忘れないさ」
「賢い返答だ。俺もお前のような賢い奴が大好きだぜ」
銀貨をさらに一枚貰う。つか頭の上に置かれた。
「今度はお前の女も連れてこい。高く買ってやる」
イイ奴が立ち去ろうと背を向けた。まぁ別にどうでもいいっちゃいいんだが……
「そいつは嬉しい提案だ。だが俺はまだ旦那がどこの誰様かも知らないんだがね?」
「おっと、うっかりしていたぜ。バスタードのアンヘルだ。俺のネグラを知りたきゃそこいらで聞け、誰に聞いてもたどり着ける」
イイ奴が最高にイキった大股開きで立ち去っていった。うーん、親切でイイ奴だ。ああいうチンピラが二十年後には田舎の大親分になるんだろうな。
まあそれはそれとしてだ。せっかくお小遣いを貰ったんだし女を買いに行こう!
◇◇◇◇◇◇
たっぷり遊んで朝帰り。別れのキスをしながら娼館を出るとナシェカが微笑んでいたので俺は膝を着いた。
必要なのは覚悟。覚悟があれば頭だって下げられる!
「ごめんなさい」
「別にいいよ、束縛する気はないし」
ここで許されたと思って頭を上げる奴は馬鹿野郎だ。女の「別にいいよ」は罠だって親父殿も言ってた! 全然よくないから謝罪を続け、己の過ちを口頭弁論し、次回の改善案を提案してから得られる反応で次の対応を変えろって言ってた。……親父殿はどれだけの修羅場を経験してこの金言を培ったんだろう?
「黙って行ってしまったことは謝罪してもし足りないくらいだ。いいわけはしない、だから見ていてくれ、これからの俺の真心を!」
そして差し出すペンダント。昨日こんなこともあろうかとイース商会で買っておいたんだ!
「こんなタイミングで渡す愚かさを許してほしい。でもナシェカに似合うと思ったんだ」
「……本当にね、束縛するつもりはないんだ」
ナシェカに抱き締められた。この反応はハウトゥーにないぞ親父殿?
「あなたは自由な風。誰にも縛られないし、誰にも縛れない。そんなこと最初からわかってるのに……」
「泣いているのか?」
「わかってるの。なのに変なの、私だけを見ていてほしいっていう気持ちが抑えられないの……」
嗚咽するナシェカを抱きしめ返す。
おまえは…そこまで俺のことを……
「ごめん、私どうかしてる」
「変じゃない。愛が変な気持ちなんてそんなはずがない」
「……これが愛なの?」
「愛だよ。一般的に言われるものより少し特殊かもしれないけど」
「そっか…これが愛なんだ……」
ナシェカがそう呟いた瞬間に背筋をゾクゾクと怖気が走った。久しぶりの危険センサーさんが警報を鳴らしている。
危険センサー先生、お前まだ俺の中にいてくれたんだな。でもどうしてこの感動的なシーンに警報を?
ナシェカが大きく身震いする。吐息は熱っぽく、こもった色香はむせ返りそうなほど強い。
抱き締め合ってるから角度的に見えないんだがナシェカは今どんな顔をしている?
「そっか、そっかそっかそっかぁ……」
「ナシェカ?」
「これが愛。唯一人に執着し、外敵を排除しても守り抜くという気持ちが愛。……私は間違ってなかった」
「ストップぅ!」
このあと俺は懇々と説教するはめになる。
愛は双方の合意を得る必要があること。また同じ権利を有する別個の人格であることを理解して互いを尊重し合う必要があること。などなどと愛の初歩から丁寧に教え込んでやった。俺も必死だ。
だってこのままだと監禁ENDになりそうだったんだもん!
◇◇◇◇◇◇
「納得いかなぁ~い!」
「納得しろ」
「せっかく愛を理解できたと思ったのにぃ~~~!」
マンツーマン個別指導のリリウス塾の熱心な指導の結果、クソやべー性癖に目覚めかけたナシェカを正気に戻すことに成功した。
やや納得のいっていない素振りを見せるナシェカには補講を行い、バッドエンドの芽は徹底的に摘んでいこうと思う。
まあナシェカももう理解しているはずなんだ。俺が必死になって構うのが嬉しくて仕方ないだけっぽい。……まったく、その気持ちが愛なんだってどう説明したら気づいてくれるのかねえ。
ナシェカを宥めながら借家に戻るとお隣の屋敷に馬車が駆け込んでいった。
貴族の家紋入りの箱馬車だ。家紋がどこの家のかは知らない。だが窓の向こうに見えた面は既知のものだ。
「イイ奴じゃん」
昨夜のような冒険者っぽい服装ではなく、貴公子のするような上等な衣類に似合わないスカーフまで巻いてやがった。あちらも俺に気づいたらしい。苦笑してやがった。
馬車がお隣の屋敷の正門を潜っていった。高位冒険者が貴族にお呼ばれしたって感じではない。奴は箱馬車の進行方向の逆に座っていた。そこはホスト側、つまりは招待した側の座る場所だ。
「ナシェカ、この屋敷の持ち主はわかるか?」
「ご領主のワイトス子爵家だよ」
あー、ナシェカが最初「ミスった」とか「別の店にしよう」って言ってた意味がようやくわかった。
「なるほど、あいつは領主のドラ息子ってわけだ」
「ちょっち訂正。冒険者クラン『バスタード』の頭目、ダドリー=アンヘル・ワイトスはご領主の弟ね」
へえ、ご領主さまの弟が冒険者ねえ。やっぱり仲が悪いのかな?
「どんな男だ?」
「ドルドム三兄弟は覚えてるよね?」
あんなアクの強い連中忘れるもんかい。
「あんな感じの乱暴者の女好き。優秀なご領主さまを悩ませる頭痛の種的な存在ってのが騎士団の調査だね」
「うちの国の貴族ってそんなんしかいないのか?」
「あんなんマシだってば。本当に手強いのは悪評さえ聞こえてこない人だよ」
おっと、今のは凄腕スパイっぽい含蓄があったな。
悪評が広がるのを止められない無能よりも悪評を封じ込める知恵のある有能の方が手強いのはたしかだ。
「乗せてたのが誰かわかるか?」
「ううん。調べてくるね」
「単なる会話の材料だよ。可愛い嫁さんに働いてもらうほどじゃない」
というかだ。そこまでして知りたいのなら自分で動くさ。
しかしまたあのアンヘルとかいう男もわからねえ男だ。せっかく高位冒険者にまでなったのに実家に使われる身とはな。そこまでして貴族社会にしがみつきたいのかよ、理解できねー。
「つかあんだけ偉そうにしといて子供部屋おじさんかよ、笑うぜ」
なんだろうなあ。俺にもあったはずなんだ。貴族に……ファウスト兄貴に対する憧れがたしかにあったはずなんだ。
貴族なんてクソ喰らえ、俺は冒険者になると言いながら心のどこかで貴族ではない自分に劣等感を持っていたはずなんだ。
なのに今は何も感じない。貴族社会をただ煩わしいものとしか感じない。ロザリアお嬢様に対してさえ執着できない。……あぁ、今はっきりと自覚したよ。
自分が薄まっていって異なる怪物に変化しようとしているんだなってさ。
◇◇◇???Side◇◇◇
冒険者アンヘルはB級冒険者として尊敬される存在だ。冒険者たちは彼を認め、自分たちの上に立つ存在だと慕ってくれる。
だが貴族であるダドリー=アンヘル・ワイトスは兄に頭を垂れ、兄の命じるままに雑事をこなす言わば犬のような存在だ。
そう、アンヘルは犬だ。だから実家まで連れてきた兄の客人の名前さえも知らない。
美麗衆目にして頭もよい、よく出来た兄の背後に立って番犬のように客人に睨みを利かせる仕事に満足しているわけではないが、それでもアンヘルは平民にはなりたくなかった。貴族のままでいたかった。
犬とはいえ会話を聞く権利はある。無いのは口出しをする権利くらいのもので、客人はどうやら余所の貴族商人であるらしい。
商人がしゃべり、兄が静かに頷く。そんな退屈な会談の警備が犬の仕事だ。
「帝都に動きがありますな。仲間からの話ではどうやらあちらのサロンでは春の大攻勢なる言葉が囁かれているようです」
「仲間ね」
兄が含み笑いをする。
「いったいどんな仲間やら」
「そこはいかなエドワード子爵といえど明かせませぬな」
「そうしてくれ。はっきりと聞いてしまっては責任が生ずる」
「そのようなか細い神経の御方なわけが……。いえ、これは失言ですな」
商人は表情をコロコロ変える。そしていつも慇懃無礼ながらに兄を立てる。
おそらくは優秀な男なのだろう。悪知恵が働き、兄との付き合いに商機を見出し、こうして遠く離れた帝都の事情を明かしている。……アンヘルの嫌いな人種だ。
「帝都での動きに連動するふうにタジマールでも動きがありました。ご存じでしたかな?」
「帝国騎士団は私の支配下ではないよ。定期報告こそ義務付けてあるが独立した軍の動きを逐一報告されても困るのでね」
「ご存じないと」
商人が念押しをする。さっぱり興味もないが、どうも話の要点であるようだ。
「タジマールに帝都からの軍需物資を積んだ鉄の馬車が入ったようです」
兄が「あぁ」と頷く。
「あれか」
「なんだ、ご存じだったのではないですか」
「私兵からの報告を受けている。タジマールに向かう前にタラントに立ち寄ったのだ。門兵の報告によればあまりにも大きく車両の幅はともかく高さの問題で門を通行できなかったらしい」
領主は領内で起きたことのすべてを知っている。子飼いの兵隊二百人の目は領内のどこにでもあるからだ。
「では運び屋もご存じで?」
「リリウス・マクローエンとナシェカ・マクローエン。夫婦であると名乗ったようだ」
「そのナシェカですがガーランド団長の片腕と呼ばれる女だそうで」
「なるほど、貴兄らも中身は知らんわけだ」
兄が核心を突き、商人が困ったふうに眉根を寄せる。まぁこの商人ほどの男の表情なんて遠くの雨雲ほども信用ならないのだが。
「……痛いところを突かれますな。左様、わたくしどももあれが何かを知らず、上は危機感を抱いております」
「上ね?」
「はい、雲の上にございます」
兄と商人が含み笑いをし、アンヘルだけが何も知らない。
(上? この男は商会主ではないって意味か? 商会主でもない男がどうしてエドワード兄貴と接見できるってんだ)
アンヘルから見てもこの商人はやり手だ。たまにこうして接見の際の護衛や迎えに出されるのだし、よほどの人物なのだと考えていた。
何より冒険者に依頼を出す行商人やタラントの商人よりも不愉快で底が見えない。だから勝手にどこぞの豪商なのだと考えていたが……
「わたくしどもの懸念もご理解いただけたものと存じます。問題は春の大攻勢の侵攻ルートなのです。上の方々はタジマールから始まるのではないかと恐れているのです。……このタイミングでの大量の軍需物資、これがあまりにも恐ろしい」
「だろうね」
兄は簡単に言質を与えない。自らあれをこうするなんて言わない。相手に言わせることに意味があるらしい。
「エドワード子爵閣下、どうか中身を確認していただきたい」
「貴兄らが私を小間使いか何かと勘違いをしているのでなければ、先に用意するものがあるはずなんだがね?」
「もちろんでございますとも。先に三本、後に五本でございます」
屋敷の使用人に預けていた革袋がある。アンヘルは顎をしゃくって部下に命じ、中身を改めてから商人に差し戻す。
革袋から出てきたのはガラス製の金貨ケース。一本で百枚というとてつもない大金を入れたケースが机に三本並ぶ。先に三本、後に五本。つまりは金貨八百枚の仕事というわけだ。
「無論エドワード子爵閣下からすれば端金なのでしょうが、貧しい我らの精一杯の誠意のあらわれにございます」
「キリが悪いな。十本にせよ」
商人が息を呑む。
「聞こえなかったか? 貴兄らは足元を見られる立場であるのだぞ」
「……後に七本、計十本。なんとしても上に呑ませますゆえどうか」
商人が頭を下げる。屈辱に震えるような背中さえも演技に見えるのはさすがに疑心暗鬼にすぎるというものか。どちらであってもアンヘルの仕事は変わらない。この男が暴れ出したら斬り捨てるのが犬の仕事だ。
王者のごとく足を組んだままの兄がしばし商人を睥睨する。まったく恐ろしいことに兄の要求は後に十本であったようだ。いや、引き出せると読んで居丈高に振る舞っているのか。
「ふんっ、いいだろう。計十本でやってやる」
「感謝いたします! わたくしはしばしの間タラントに留まるゆえご確認され次第使いを! いえ、可能なら御視察の際にわたくしの同行をお許しください」
「それは過ぎた要求というものだ。調子に乗った挙句せっかくまとまった商談を潰すとは貴兄もよほどに焦っているのだろうが、それはならん」
「……ご無礼を申し上げた」
「さあ客人のお帰りだ」
商人が去っていった。迎えには出ても送ってやる理由はない。そこまでするのなら相応の事情があると見られるためだ。
商人も護衛の兵隊もメイドも誰も彼もが去っていき、最後に残ったアンヘルが苦々しい顔で実の兄へと問う。
「あいつは他国の間諜だったんだな?」
返答はない。兄は穏やかに微笑みを返して不出来な弟を見上げるだけだ。
「兄貴、どうしてそんな危険な橋を渡る。父上ならけっして付き合ったりはしなかった!」
「父は父、私には私の統治論がある」
「だからって他国と内通するなんて! 鉄の男をッ、タジマールの鷹を敵に回すつもりか!」
「珍しく饒舌だねアンヘル」
アンヘルの怒声など誰の心も動かせぬほど軽いのに対し、兄の声は静かだが鉄のように重い。
兄の言葉はいつだってアンヘルの心に重くのしかかる。今だってそうだ。いつも一発で黙らされてしまうのだが、今日だけはどうしても譲れなかった。
「どうして父上のやり方を変えようとする。変えなくたってワイトス子爵領はこんなに豊かじゃないか」
「私はね、先を見据えているのだよ。帝国に大きな変化が訪れ時代が次の舞台に移るとき、ワイトスの豊かさが今のまま継続されるとは思えないのだよ。父上の政治的踏襲では新しい時代を迎えられない。私は私のやり方でならワイトスを守れると自負している」
「俺にはエド兄貴に何が見えてるのかわからねえけど……」
アンヘルもまた応接室から出ようとする。
この言葉は兄に届かないのだとしても、想いは口にしないと伝わらないのだけは嫌というほど理解しているから。
「でも何があろうと兄貴と父母の愛したワイトスを護るだけだ」
「期待している」
光の中に在る兄と日陰に在る自分。
冒険者として名声を手に入れた自分。貴族とは名ばかりの犬でしかない自分。乖離する二つの自分とその認識の大きすぎるズレが生むストレスが告げている。
ここは自分のいるべき場所ではない。だがそれでもアンヘルは貴族身分にしがみつく。それが父の遺言だったからだ。