主人公不在のターニングポイント③ 青の薔薇の庭園にて
ここは幻想の花が咲き誇る庭園。氷のように冷たく輝く青い薔薇の園。ショーケースに飾られた宝石のようにガラス製の温室に並ぶ青を従える女主人が四人の来客へと目線をやる。
彼らの先頭に立つ朴訥な、言うなれば大輪の花ではなく野百合のような少女に何を思ったか、悲しげに目を伏せる。
再び眼を開いた時、庭園の主人たる老婦人は女王のごとき威を纏っていた。
「面と向かって会うのは初めてね。この庭園の主アストライア・イースです」
「イース? アストライア・イースって……」
「そうね、貴女達のような若い子には冒険者の王レグルス・イースの妻と名乗った方が通りがよいのでしょうね」
老婦人はマリアからすればおとぎ話の人物だ。誰でも知ってる有名なお話に出てくる世界一有名なお姫様。もちろんマリアだって彼女のことを幼馴染のようによく知っている。
政略婚が嫌で王宮から逃げ出したエピソードも知っている。護衛の騎士をチョークスリーパーで締め落して甲冑を着込んで堂々と城を出たエピソードも知ってるし、故郷から離れた遠くの国で冒険者やってたのも知っている。ストーカーエルフのエルロンとコンビを組んでたのも知っている。
ギルドからネームド認定を受けたグリフォンの炎帝を退治するために組まれた大規模討伐隊で運命と出会ったエピソードなんて何回も読み直したくらいだ。
レグルス・イースと共に世界を駆け回った世界一有名でパワフルなお姫様。極光の二つ名を持つ世界一の大魔導アストライア・イース。
「えっと…その、貴女のことは知っています。何度も読みましたから」
「あら嬉しい。私もね、貴女のことはずっと前から知っていたわ。さあお掛けなさい」
マリアは招かれ、他の者は留まる。予め言い含められていたように。
「貴女達は遠慮してちょうだい。マリアとはなんの隠し事もなく語り合いたいの」
「温室の外に控えております」
ラムゼイ達が去っていき、ぽつんと残され言葉を待つ。
青の薔薇の庭園の主人から淹れていただいたお茶に手をつける余裕もない。
「そう緊張しないで…と言っても難しいでしょうね。貴女は今青の薔薇の創立者を名乗る怪しいおばあちゃまの前にいるのだし」
「そうですね」
「正直なのね。いいことよ、ハッキリ言わない子が一番困るもの」
それはそうだと思うマリアであった。このハッキリしない状況に困っている身であるのだし。
不思議と悪い人という感じはない。優しい人だ。心温かい人だ。そういう雰囲気は声や仕草からもわかる。
だから不思議だ。あの泣く子もさらに泣き出す悪の組織の創立者には見えない。
「ねえマリア、私の怪しさには今だけ目をつぶってちょうだい。私のことは実のおばあちゃまだと思ってくれていいのよ」
「おばあちゃまが居たことないんで」
「そう? いるわよ、貴女が知らないだけよ」
これが本題かもしれないと察するものがあった。
リリアはさっき本当のお父さんと言った。あの女はたしかにリリウスの言う通り可哀想なマウント女なのかもしれないけど、その口から出てくるものが全部嘘だとは思いたくない。
「もしかして私の本当のお父さんって生きているんですか?」
「ごめんなさい。期待させてしまったのね、本当にごめんなさい。でも貴女も覚えているはずでしょう?」
「微かにですが」
覚えているとは言い難い。事故のショックで記憶が飛んでるし、あれがどんな事故だったかも覚えていないけれど、マリアの父は横転した馬車に挟まれて死んでいたのだ。
ラムゼイが生者と亡者を見間違えるはずがないから、たしかに死んでいるのだ。
「貴女のお父さんの名前はラザイエフ。帝国南部と北部の通商路を行き来する行商を生業としていたイース商業組合の商人。母の名前はルーシア・マクローエン」
「げふっ!」
意外な名前すぎてむせてしまった。
「そういえば同学年にマクローエンの子がいたわね。貴女は七月生まれだからお従姉さんね」
「あいつと親戚だったとは。え、じゃあファウル様は……」
「貴女のお母さんはファウルさんの妹よ。熱烈に恋をして駆け落ちも同然に家を出ていった妹のことを彼がどう考えているのかは知らないけど、病没した妹の忘れ形見を引き取る程度の情はあったようね。ええ、貴女にはマクローエン家に引き取られたお姉さんがいるの」
「ちょ…心の準備が追いつかないんですけど」
「じゃあここまでにしておく?」
「お茶を飲む時間をください」
このおばあちゃまちょっと性格がずるいんじゃないかな?って思うマリアであった。
随分と置いていたのにお茶はまだ冷めていなかった。温室の過ごしやすい気温といい、ここでは快適に過ごすためだけに多くのマジックアイテムが使われているようだ。
お茶を飲んで落ち着く。茶菓子も食べる。どれもこれもおいしいけれど今は味わう余裕がない。
「どうぞ」
「お姉さんの名前はリザレア・マクローエンというの。そういえば彼ずいぶんなお姉ちゃんっ子だったみたいだし学院に戻ったら話をせがんでみなさいな」
「また意外な事実ですね」
あの筋肉が姉に甘える姿が全然想像できないマリアであった。
「リザレアさんはマクローエン領にいるんですか?」
「会いたいの?」
「そりゃあまあ」
「ごめんなさい、彼女がどこにいるのかはわからないの。きっと悪い奴らに捕まらないように大切に隠しているのね」
「監禁ですかねえ」
「大人しく監禁されるような子ではないわよ。聞いた話では彼に勝るとも劣らない暴力的な性格で、彼も頭があがらないそうよ」
「急に会いたい気持ちが失せました」
生き別れの姉という尊いお話が、急にまだ見ぬ強敵たちを紹介されただけに思えてきたマリアであった。
よくよく考えたらアレの姉がまともなわけがない。きっとナシェカも泣いて逃げ出すデーモンのようなマッスルにちがいない。
「冒険者に毒を盛って法外な治療費を毟り取っていたと聞いたわね」
「マクローエンの血ですねえ」
「いまはどこかで開業医でもしているのかしらねえ」
「うわー、絶対にいきたくねえ」
きっと大変な医療費を請求されて払えなかったら奴隷にされるのちがいない。奴隷商人を兼業している可能性がある。会いたい気持ちなんて消えてなくなり、できれば関わりたくない気持ちでいっぱいだ。
気づけば随分となごんでいたなと思った。青の薔薇の創立者を前に普通に茶飲み話を楽しんでいるのが不思議だし、じつの姉には本気で会いたくない。
脱線して変な話にもなった。なんでこのおばあちゃまはマリアの恋人なんか気にするんだろうか。恋バナが好きなんだろうか?
「あら、もうこんな時間。今夜はここまでにしましょう」
「あー、もう九時ですか。楽しい時間はすぎるのが早いって言いますね」
「お世辞じゃないから好きよ。部屋に案内するわ」
泊っていけときたもんだ。ここは本当に悪の結社のボスの家なんだろうか?
「いえ、寮に帰ります」
「どうやって?」
「え」
「ここは帝都ではなく遥か東方のイストリアよ。ねえマリア、どうやって帰るつもり?」
温室バラ園のガラスの向こうは平原だ。闇を見通すマリアの超視力に映る遥か遠い街並みも明らかに帝都の夜景ではない。
さっきまで帝都の酒場の地下室にいたマリアが「ここどこ!?」って慌ててる。
「何日かけても貴女には真実を聞いてもらうわ。私達イースの犯した罪と、貴女が何者であるかと、私達の未来について」
「拉致じゃん!」
「あら、じつの玄孫をおうちに招いて拉致? おばあちゃま悲しいわ」
「はあ!?」
「ラザイエフは私のひ孫よ、言ってなかったかしら?」
「聞いてない!」
「あらら、お話が楽しくて忘れていたのかしら……」
「白々しい!」
「いえほんと、本当に抜けていたわ。いやだわ、歳かしら……?」
ここに温室に戻ってきたココアの頼もしい姿が!
「安心しなさいマリア!」
「こっ、ココアさぁん!」
信じてた。ココアを信じていたと飛びつく。頼りになる女ココアが親指をびしっと掲げて女神みたいだ。
「学院には一週間ほど休むって届け出を出しておいたわ!」
「こっ、この裏切り者ぉ!」
マリアがイストリアに拉致られた。
◇◇◇◇◇◇
用意された部屋の広さは女子寮なんかとは比べ物にならない。調度品も高そうだしベッドもふかふかだ。
すごい部屋を貰ってしまった。さすがイース侯爵家と思えども納得はいってない。
ほっぺに青あざを作ってるココアが言う。
「前向きに考えてみない?」
「こっちは拉致されてんの!」
枕をぶん投げる。
「でも考えてみなさいよ!」
枕が投げ返された。ココアの豪速球でも難なく掴み返せるのがマリアの超反射である。反射神経ではない、投げられた物が例え視界の外にあっても反射的に掴める。受け止めてはいけない物なら反射的によけている。
「何?」
「イース侯爵家のお嬢様よ! いいじゃない!」
「他に余計なものが付いてなければね!」
ちょろっと聞いた感じではマリアは今後イース侯爵家の一員として扱われるらしい。勝手に決めんなって思ったが義父の判断だと言われればぐうの音も出ない。
マリアは所詮アイアンハート家の養子でしかないし、家長の決定には逆らえない。
それに詳しい話は明日って言われたら今夜のうちは退くしかなかった。もちろんダメ親父は殴ったが退いた。
「マリアってラムゼイさんを慕っているのよね。なのに殴るのに躊躇ないのね?」
「男が使えない時は賢い女が尻を蹴飛ばさないとダメだってお母ちゃんから言われてますもん!」
「あなたと結婚する男って大変そうね」
「あたし男だったらココアさんなんて絶対やだー」
「せい!」
ココアがケンカキック。予想通りの攻撃なので足を引っ張って引き倒し、逆エビ反り固めで返してやった。
「あ…あらら……?」
「ココアさんのパターン読めてきたよ。性感帯もね、ここでしょ」
「うにゃ!」
ケツをパーンと叩くとココアが鳴いた。面白いので何度もたたいてやる。見様見真似のリリウス神拳である。
「あたしね、怒ってるの」
「あははは! ちょお、やめっ、マリアそこはダメぇ!」
「不満はあるけどココアさんの言う通りにしてきたらこれじゃん。正直もう不信感しかありません」
「わかった、わかったから!」
「あたしアイアンハート好きだったのにさ。もうお父ちゃんの娘じゃなくなるってさ。何だよそれ、ふざけんじゃねーよ」
「え、そこなの?」
「そこだよ、大事なのはそこだよ。あんまりふざけてると狩りますよ?」
「ファザコンをこじらせすぎでしょ」
これは小声だったがマリアの耳にはしっかり聞こえていて、これまでのケツ叩きなど子供の遊びでしかなかったとわからせる最大の一撃がばちーん!と唸る。
「いま何か言いました?」
「……ごめんなさい」
これぞアイアンハート家家訓『馬鹿と会話など労力の無駄。屈服させてからが会話のスタートだ』である。
「じゃあ反省したところでこれから何をするか、教えてくれるよね?」
「……」
無言でばしーん!
「ね?」
「はい、話します……」
最初からこうしてりゃよかったじゃんと思いながらココアの話を聞いてみる。お嬢様に憧れて入学したマリアは最近いい子ちゃんに徹してきたが、なんかもうどうでもいいかなーって思い始めてきたのである。
意思と衝動が連動する時こそ王の異能が強さを増す。マリアは好き勝手やってる時が一番強い子なのだ。
久しぶりに養父に会えてホームシックを解消したマリアが元気いっぱいココアのケツを叩くのである。
プレイヤーという立場ではなく一人の隣人として種族王を操ろうなど、どだい人の身に無しえることではないのだ。
種族王の異能
同種族下位個体の意思を大雑把に感じ取る。熟達すれば虚飾を省いた思考を読み取るのみならず、その意思を王の望む形に捻じ曲げることも可能。
偉大なる王は種族の心を一つにし、大いなる困難に立ち向かうであろう(究極のジャイアニズム)
カストラートの魔声
時の大神より下賜されし秘宝。のど飴の形をした人器であり、食べると魔声が出るようになる。
魔声は音波の属性の魔法攻撃であり、対象の精神を大きく揺さぶる。事前に暗示をかけておくことで強烈な洗脳も可能だがココアには無理っぽいのでルキアーノがやってやった。