主人公不在のターニングポイント② その手は、その出会いは……
マリアがココアの案内で連れて来られたのは下町の酒場だ。客の多くは無口で、だがピリピリした雰囲気で酒を飲んでいる。
(変なおっちゃんたち、何が楽しくて飲んでんだろ?)
異質な雰囲気の酒場だ。酒を飲むために来ているのではなく、他に別の目的があってここにいる連中のたまり場という感じだ。
ココアは一直線にカウンターへと向かい、店主に声をかける。
「庭師は?」
「……」
店主が無言で手振りで指示をする。奥に行けって感じだ。
カウンターを潜って扉の前に立ち、ドアノブにペンダントを近づけると鍵が開くような音がして、扉を潜る。
扉の向こうは廊下というよりも地下への階段だ。
「今のって?」
「魔法制御式の空間魔法よ」
へー、って感じだ。ガイゼリックとかリリウスのせいで空間系魔法には慣れている。
階段を降り切ってから最初の扉をノックする。三度、間を置いてまた三度。
「なんだかスパイみたいですね」
「青の薔薇のアジトですもの」
「本物のスパイのアジトじゃん」
「革命家って言ってあげなさい。一応志は高いのだから」
また鍵の開くような音がして、扉が開かれた。
扉の向こうの小部屋にいる人物には多少は驚いた。学外実習で知り合った帝国騎士の人だ。
「リリアさんがどうして? ここ青の薔薇のアジトなんですよね?」
「そうだね、だから私も青の薔薇の一員なんだよ」
軽く正体を明かされた。軽いなあって思いながら小部屋に一脚だけある円テーブルに招かれる。本当に小さなテーブルに椅子が三脚。ということはマリア達は予定された客人なのだろう。
「紅茶でいいかしら?」
「ええ、真面目な話をするのですもの、ノンアルコールでいきましょう。マリアもいいわね」
「はい」
紅茶が配られ、話が始まる。何だか変なことに巻き込まれたなあって気分だ。
「まず初めに。マリアって青の薔薇についてどこまで知ってる?」
「王制打倒でしたっけ? なんかそんな感じの目標を掲げて身内でリンチしたり関係ない人にゆすりたかりをするまとまりの悪い組織ですよね」
「おっけー、ほぼ何も知らないと」
軽いなあって感じだ。
「ドルジア皇室の支配体制はだいぶ前から限界にきているの」
「あ、そういうのはいいです。時間の無駄ですんで」
「……けっこうきついね」
「本気で興味ないんで」
マリアにとって青の薔薇はダニのような連中だ。どこにでもいて、思想に賛同しない人を貴族主義者だと罵ってリンチする。冒険者崩れのごろつきが青の薔薇を名乗り、商家に集金という名のタカリ行為をやらかしている。
正直そんな有り様では理想もクソもないだろって認識だ。
「興味なしか。私達の指導者であるラムゼイ・アイアンハートの娘がそんなんじゃ困るんだよなあ」
「リリアさんってあたしを怒らせたいだけなんですか?」
「とんでもない! ラムゼイさんがマリアに何も教えていないのは聞いてるし、できれば青の薔薇とは関係なく生きてほしいって考えてるのも聞いてる。でもマリアは真実を知りたいんだよね?」
真実ってなんだろうってずっと考えていた。
どうせロクデモナイ話なんだろうなって予感はあった。
「本当のお父さんのことを知りたいんだよね?」
重苦しいため息が出てきた。胸の内に溜まった不満をむしろ見せつけるように大きくため息を吐き、せいいっぱいの不快感を表情で示してやる。
「以前リリウスが言ってました」
「なんて?」
「あなたは本当は嫌な人で、それはきっと生まれや育ちに起因しているだけだから何か言われても寛大な心で受け流してやってくれって」
ここまで言ってもリリアの表情は変わらない。
被害者の反応を面白がるような顔でじっくりとこちらの目を覗き込んでくる。
「でもあたしは寛大にはなれそうもありません」
「じゃあどうするの?」
「半殺しまでなら許可すると言われています。命まで奪わなければリリアもきっと許してくれるって!」
同時に剣を抜く。帝国騎士リリア・エレンガルドは強い騎士だ。英雄級の位階に到達しているか、かなり近いところにいる。
だが英雄の凄みはない。リリウス・マクローエンの持つ理不尽なまでの圧倒的な強さもなければ竜皇子クリストファーのような究極的な魔法能力もない。
言ってしまえばタダの凄腕剣士。煌めくような才ではなく血の滲む努力で強者へと至った剣士でしかない。ゆえに足りない。マリア・アイアンハートの敵足り得ない。
「オーヴァ―――」
ココアは必ず邪魔をしに動く。時間停止の神器を使う寸前に精神の集中を要するのは何度も見てきたので把握しているから、キャンセルをぶち込む自信はあった。
時の神器の発動前にココアの腹に蹴りを加えて動きを止める。この一瞬の隙を突いてリリアへと襲いかかる。
一瞬があれば人を一人斬り倒すなど容易い。用いるは最速の神技ブッチギリ。未だ拙いこの技なれど神速には届かずとも―――
「貴女は幾つも線を越えたがッ、ラムゼイ・アイアンハートの名を侮辱した一事のみが絶対に許せない。侮辱には応報を! 腕と足を一本ずつ貰う!」
空間を断ち切るがごとき一閃がリリアの右の二の腕を断ち切る。腕と一緒に剣を取り落したリリアへと追撃の刃を走らせる。
小部屋に硬質な金属音が響き渡る。悲鳴を奏でる二つの刃が残酷に競り合い……追撃の刃を止めた男の姿にマリアの戦意が折れる。
「お父ちゃん……」
「強くなったなマリア。腕を折られるかと思ったぞ」
義父は以前と変わらない。豪快そうな外見も、お調子者めいた表情も、なんなら次の瞬間にも土下座しそうな破天荒さも変わらない。
あれほど慕っていた義父なのにどうしてか、本当にどうしてか再会を喜べない。
「娘よ、偉大な俺を慕う気持ちは痛いほど理解できるがいきなり斬りかかるのはどうかと思うぞ。野郎なら思いっきりやれと常々言っているところだが女はダメだ」
「お父ちゃん……」
「あー、ほら、将来的にお前の義母ちゃんになるかもしれないだろ? そんな時むかし斬った女だと気まずいだろ?」
「お父ちゃん……」
発言が重ねれば重ねるほど威厳が失せていくところが最高にアイアンハートだ。
義父ラムゼイもマリアの困惑を察しているから普段よりも滑り倒している。普段ならもう少し堂々とアイアンハートしている。たぶん。
「黙っててすまん」
「それは…青の薔薇のこと?」
「いまの青の薔薇はな、お世辞にも志の高い革命結社とは言えないから可愛い愛娘に俺は薔薇の幹部だぞなんて言えなかったんだ。……ほら、なんか嫌われそうじゃん」
気まずいのだろう。本気で気まずいのだろう。ラムゼイはキョドキョドしながらほとんど反応のないマリアに焦っている。こんな状況でも娘に嫌われたらどうしようとか考えているのがラムゼイという男だ。
「銀虎卿レイザーエッジ。それが俺のコードネームだ」
「そいつならドルドムで捕まえたよ」
「それは影武者だ。あー、何人かいるんだよ。各地の支部で指示を出したり風紀が乱れていないか監督するためにシェルルクの名が必要になるからな。帝国内で活動する銀虎卿というチームのリーダーが俺なんだ」
マリアが首を振る。そんなんじゃない。そんな話を聞きたいんじゃないと首を振り続ける。
「どうして? お父ちゃん青の薔薇が嫌いだったじゃん。どうして青の薔薇になんか参加してるの?」
「愚連隊のように堕落した青の薔薇が嫌いだってのは本心だ。だが本来その志は崇高なものなんだ。俺とあの御方が作った青の薔薇の理想はな……」
「お父ちゃんが青の薔薇を作ったの?」
「俺は手伝っただけだ。理想を唱えたのも、金を出してくれたのも、剣を振るしか能のねえ俺に道を示してくれたのはあの御方だ。俺がやったのは同じ志を持つ仲間を集めて理想を説いただけだ」
義父が手を差し出してきた。かつて神様の手のように感じていたその手を握ることを躊躇う理由なんてわかりたくもない。
「あの御方もお前に会いたがっている。さあ行こう、青の薔薇の庭園へ」
躊躇うのは、怖いのは、この手を握ればもう戻れないと感じるからだ。
言葉は、出会いは、呪いに似ている。言葉を吐いてしまえば関係が変わる。聞いてしまえば頭に残る。出会ってしまえば出会う前には戻れない。
ここは分岐点だ。そう予感しながらもマリアには義父の手を取らないという選択肢が思い浮かばない。
かつてこの手に救い出された。この思慕が呪いとなってマリアを縛る。
銀仮面の集い、シェルルク・カスケード
帝国革命義勇軍『青の薔薇』の六人の最高指導者。個人の顔ではなく動物を模した銀の仮面ばかりが噂にのぼる謎多きカリスマの正体はまさしく個人ではなく仮面こそが本体。
仮面の中身など誰でもよい。青の薔薇正統の志を持ち、理想を説く者であればそれでよいと作られたシェルルク・カスケードの制度こそが彼らの神出鬼没のタネである。
始まりの六人はすでに銀虎卿ラムゼイ・アイアンハートのみ。中核メンバーを失っても志を受け継いだ者が仮面を被り続ける限りシェルルク・カスケードは滅びない。……だが次第に腐りゆく組織の実態を思えば崩壊の日はそう遠くはないのだろう。