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最終章 『春のマリア』  作者: 松島 雄二郎
帝都決戦編 静かな死が灰被りの都を満たして
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コミュクエスト 忠義の剣②

 さっきの会話は何だったんだろう。どうして邪魔をしないでなんて言われたのだろう?

 何とももやもやした帰り道。天気が崩れ始めてちらほらと雪が降り始めた並木道を歩いて女子寮へと向かっている。


「教官のあの目、死ぬ気だったよね?」


 ココアは未来を知っている。だからこれから何が起きるかも知っている。

 ココアの話によると未来ではマリアは有名人らしい。レグルス・イースのような有名人で、伝記のようなものが販売されていて、時を操る神様の使徒であるココアはそれを下賜されたのだとか。

 望んだ未来を一つ確定させることを報酬に、ドルジアの聖女が為すべき偉業を確かに為すためにサポートする役目を負ったのだとか。


「教官は何をしようとしているの?」

「……」


 アルミのように柔らかい手捏ね銅で作られた安っぽいスキットルを煽るココアが目を輝かせる。どうやら随分と味のよい飲み物だったらしく、機嫌よくくぴくぴと飲んでいる。

 何飲んでんだろと思いつつ、苛立ちも募る。


「どうして教えてくれないの?」

「選ばなくてはならないから」

「何を?」

「命を。人を。どちらかを見捨て、どちらかを選ばなければいけないから。正しい道はすでに示しているけど、選ぶのはマリア」


 答えはすでに示されている。未来はマイルズを選べと、そちらが正しい道だと示した。


「誰を見捨てろっていうの!」

「決めるのはマリアよ。ねえマリア、まだ覆せる未来の奴隷なんてやらなくていいの。人なら自分で自分の歩む道を決めなきゃいけないの。それが人の権利で、権利には責任も発生するってだけの話なの」


「……それが人ならあたしは人じゃない人形だね。だってココアさんの言う通りに歩いてる!」


 ココアが笑い出す。

 何だか少し前の自分を見ているみたいな気がしたのだろう。マリアの子供っぽさがかつての自分みたいで笑ってしまったのだ。


「マリアが選ばなくても結末は必ず訪れるわ」

「っ!」


「選べるってステキなことよ。ねえマリア、その素晴らしさをもう知っているはずじゃない」


 拳を握り締めた。だが振り上げて叩きつけるまねはしなかった。

 あの溶岩の流れる地下の祭壇を思い出した。選ぶこともなくただ命じられるままに戦い、死んでいった人達のことを思い出した。


 マリアは己を憎んだ。教師を憎んだ。あんな酷い戦場に送り込んだ奴らみんなを憎んだ。そして運命はいま己に選べと指揮棒を託したのだと知る。

 いまマリアは自分があの愚かな教師たちと同じ立場にあると自覚する。


「ねえマリア、選ばないという権利もあるのよ?」

「選ぶよ。……今度こそ間違わない」


 あの日転んだことに意味はないかもしれない。だが教訓にすると決意したなら意味が生まれる。そうでなければ誰も報われない。

 今はまだ何も考えられない。何も見えない。でも……


 いつかは確かな答えを得られると信じて歩き続ける。



◇◇◇◇◇◇



 ヨアキム・マイルズが彼女をきちんと視野に入れたのは最近だ。受け持ちの学年が違ったし、担当は主に下級貴族の子弟であるし、何より色恋に興味がない。


 求めるのは父性か寛容か、己の感情さえ理解し切れていない生徒から向けられる通常ではない感情を楽しむほど動物的にはなれない。

 容姿の優れた異性に惹かれるのは思春期の間の気の迷いで、若い季節が過ぎると驚くほど興味がなくなる。齢を四十五十と重ねても未だに思春期の毒に囚われている同僚については失笑もする。彼らは無邪気できっと無垢なのだ。まだ主人から叩かれたこともない無垢な飼い犬のように痛みを知らないから本能的に生きていられる。だからこの感情は憐れみだ。


 同僚への些細な嫌悪感はともかく彼女の名前くらいは知っていた。彼女は有名人だ。学院でもとびきりの美女で有名だったし、魔導の腕前は学院の教師陣じゃ及びもつかないって程度には聞いていた。

 しかしここはド田舎の学院だし教師の腕前なんてタカが知れている。田舎の美女なんて精々が飯盛り女の愛嬌という程度で雅さが足りない。生国と比べればこのドルジアは何世紀も前のまま時代が止まっているくだらない土地で、そんな土地に住むくだらない人々の中で生きていくのは何かの罰だと、そう思っていた。


 初めて疑念を抱いたのは火を喰らう竜の祭壇。どれだけ叩いても空を掴むが如く威勢の衰えぬ竜との激闘の最中に見た恐るべき魔導の深みに、ふと抱いたのは彼女の出自についての疑問だ。


 連携訓練をしてもいない五百人の烏合の衆にパスをつないで集団詠唱魔法を仕組む技量は卓越したなんて表現でも足りない。不可能なはずだ。そんなことができるわけがないのだ。

 だが彼女はやってのけた。絨毯に寝そべり小説を読みながら淡々と軽やかに神話の獣を降臨させてなお余力に満ちている。


 九つもの神話級魔法に神話降臨の術式の並行発動に必要な演算処理を契約精霊に肩代わりさせる技量と、それに必要と思われる莫大な量の魔法力。どう考えても魔導王と呼ばれる高みに至っている。


「パインツ先生、彼女はいったい何者なんですか?」

「ラインフォード卿の古い友人の娘と聞いておりますな。ご父君に御不幸があり養子に迎え入れたと」

「そのご友人とは高名な魔導師なので?」

「さてそこまでは。まあ頼りになります、今はそれでいいではありませんか」


 先生のお言葉ごもっとも。今は何よりこの溶岩竜を外に出さぬが一大事。

 予想の反して生徒の中には煌めくような才能を持つ者が多かった。マリア・アイアンハートがあそこまで卓越した戦闘能力を有しているとは思わなかった。セリード・デュナメスも要注意生徒とは聞いていたが魔王のごとき恐るべき悪魔奏者であった。


 ナシェカ・ルーリーズとは何度か暗殺ミッションをこなしたが数年ぶりの共闘のこの時にはもはや次元の違う存在へと成長している。リリウスの友人だというフェイ・リンの戦いぶりには己がSランクに至れなかった理由を突きつけられたような気もした。喧嘩屋ライザがあの巨大な溶岩竜をぶん投げた時はこの場にいる全員が唖然とした。


 普段はトラブルばかり起こす生徒に限ってなぜかこの土壇場で煌めくような才能を発揮していて、彼ら彼女らの奮戦を支えている彼女の存在は異質であったが疑問に留まるものでしかなかった。


 だが気になった。のどに刺さった小骨のようにひどく気になって気になって仕方なくてマイルズは帝都に戻ってから彼女のことを調べ始めた。


 レリア・スカーレット・ジーニー。曰く考古工学部の女帝。

 学院に提出されている書類によればラインフォード伯爵家の養女。戸籍上はアルフォンスの義姉にあたるが継承権は持たない。それ以前の経歴も記載されている。


 入学初日に当時倶楽部棟一階の三部屋を使用していた食文化飽食倶楽部と裏・剣術研究会とモザビア・ワロンスターン演劇研究会の部室を占拠。壁をぶち抜いてガレージに改築した。

 通称三部室占領事件の解決のために当時の模範生徒の会が当たったが生徒レリアは単独で撃退。捕虜にしたワイワス会長に脅しをかけて部室の使用を認めさせた。

 事件の前に部室使用の許可を模範生徒の会に求めたが部室に空きが無いのを理由に断られており、このような強硬に及んだようだ。


 考古工学部を創部した生徒レリアの暴挙は嫌な形で学院に知れ渡った。つまりは既存の部を潰せば空きができる。部室の欲しい生徒たちによる部室奪い合いの戦国時代が始まったのだ。

 放課後になる度に繰り返される襲撃と報復の日々。高笑いしながら面白がるドロア学長。職員会議で決まった学院側の静観。学長は大喜びだった。


 暴力の嵐の吹き荒れる学院は日毎に治安悪化の一途をたどる。

 そして権威の失墜した前模範生徒の会が擁立したのが当時会員ではなかったクロード・アレクシスだ。

 かねを貰って部室奪還を代行する傭兵バド・クランプトンとの伝説的な一騎打ちにてバドを降したクロードは学院の健全な姿を取り戻すために戦った。

 その頃レリアはボランを配下にして帝国内にある古代遺跡を漁っていた。


 彼女は流れを気にしない。常に自分のやりたいことだけをやる。いつだって楽しそうに、それだけを行い、その一挙手一投足は自然と皆の注目を集めていた。カリスマとはこういうものをいうのだろう。

 そして付いた字が『考古工学部の女帝』。彼女はまさしく君臨する者であった。


 学院の資料と同僚への聞き取りでわかるのはここまで。普段の生活態度や性格なんかはわかっても彼女がどこからやってきた怪物なのかはわからない。


 だから古い伝手を使って騎士団の資料を閲覧させてもらった。学院に潜む諜報員からの情報を管理している者となればあのドケチの団長だけだ。


「あれに興味を持ったか」


 久しぶりに会ったドケチは別人のような雰囲気をまとっていた。


「さもあらん。あれだけの逸材だ、本人にその気はなくとも世に引っ張り出したいと考える者も多い。いや、あの美貌が原因かもしれんな」

「美貌ね。あんたが人を外見で判断するなんて知らなかったよ」

「俺は純粋に彼女の手腕が欲しい」


 人は変わる。何年もあっていない友人なんて初めて会う他人のようなものだ。

 しかしこうも変わると本当に他人としゃべっている気分になる。


「あんた変わったな。私に向かってそこの女を口説いて情報を取ってこいって命じていた男とは思えん。……温くなったな、そんなに王女さまの具合がよろしかったのか?」

「発言は立場を弁えた上で頼むよ」

「本当に変わったな」


 着飾った言葉が意思の疎通を妨げるのなら粗野であっても意思の発露した言葉のほうがよい。その方が効率的だと笑っていた男がこうも変わったのだ。愛のちからは偉大なりと笑う他にない。


 ドケチが棚から書類を抜き取る。渡された書類はさほどの厚みもない。三枚や四枚。それが帝国騎士団が掴んでいるレリアの真実の量だ。

 軽く目を通す。ガーランドもまた暗記しているようでしゃべりだす。


「ラインフォード伯爵家が提供した素性だがやはり偽の経歴だった。あの娘がどういったルートからやってきたのか辿れなかった」

「他国の工作員かもしれない?」

「にしてはあまりにも貴族的だ。どこぞの王族だと言われたほうが納得できる」


「ラインフォード卿には問い質さなかったのか?」

「そこまでする理由がない。強権的に振る舞うにしても相応の理由が要るものだ」

「常識的な考えだ」


 ラインフォード伯爵家は交易にも手を出す裕福な貴族家だ。不興を買うとわかっていてつつくのなら理由が必要になる。デメリットに勝るメリット。明確にできない以上なあなあにしておきたいのだろう。


「何らかの事情があって国外に逃がされた貴族娘と考えるのが自然だ。あれの気性を考えるにな」

「まあ、そうだな。学院で起こした数々の問題をみるに祖国でも相当にやらかしていそうだ」


 優秀な魔導師というだけでは伯爵家をつつく理由にもならないし、国外での調査を行う理由にもならない。一応周辺諸国でもののついで程度の聞き込みはやったが進展はなし。偽名である可能性もある。


 学院内でのレリアの調査はナシェカが担当している。


「調査初日に屈服させられたそうだぞ」

「彼女がか」

「しばらくは召使いのように働きながら内部の人間関係を調べたそうだ」

「転んでもタダでは起きないところが彼女らしいな。人間関係というとあの三人か」


「義理の弟にあたるアルフォンス・ラインフォードは女性として崇拝しているようだ。対して彼女は一応世話になっている家の家人程度の認識だ。報われないな」


 アルフォンスもまあ有名人だ。思春期の喜びの中にあると表現するに度のすぎた男ではあるが成績面においては優秀。二年でも十指に入る優秀な問題児だ。


「セリード・デュナメスは……一応イル・カサリアの方面も警戒したが白だな」

「白か」

「ああ。どうも初めてだったらしい」


 初めて。あぁ初めて?

 この男の口から出るにしてはなんとも俗物めいている言葉の意味が計りかねた。


「何が?」

「手も足も出ない女は初めてだったとか。おかげですっかりゾッコンなのだとさ」

「あのデュナメスの継嗣がそんな理由でくっついているのか」

「男なんぞ幾ら偉ぶっていても根本的にその程度の生き物でしかないのだよ」


「婚約したばかりの男のセリフはちがうな。しかしあれだな、あの三人は脈ナシか、他人事とはいえ可哀想なもんだ」

「そうとも言えまい。ナシェカの見立てだが最も脈がありそうなのはボラン・マッケンジーだ」


 調査書を確認する。ボラン・マッケンジーの画才を認め、多少ながらお小遣いを渡して画材に困らないようにしているとある。金欠で苦しむレリアからかねを引き出すとは中々の色男ぶりだ。


「意外だな。彼女にそういうところがあるとは知らなかった」

「それほどに評価しているのであろう。彼はレオナルド・マッケンジーの弟子だ」


 誰だっただろう?と記憶を探る。聞いたことがあるようなないような……


「たしか高名な画家だったか?」

「画聖ミュラの再来と呼ばれる高名な放浪画家だ。活躍のフィールドは中央文明圏で少なくない後援者もいるが奔放な男でな、仕事を受けては前金を貰い、納品する前に前金を使い果たしては次の仕事を受けるというロクデナシだ」

「自己管理のできない男というわけだ」

「芸術家になる男に自己管理能力を問うのは酷だろう?」


 それもそうだと納得するしかない。

 まったくカネにならない道へと好んで進んだ男の思考回路などマイルズはもちろんこの男にも理解できないに違いない。


 そろそろ答えを出そう。色々と親切そうに語ってくれたこの男が何の結論もなく無駄話に付き合ってくれてたわけがない。書類には書けない結論が頭にあるはずで、それを明かすつもりがあるのだろう。


 カネで済むのならありがたいが、時期的に間違いなく騎士団への復職を求められるだろう。そういう想いで金貨が五百枚入った革袋をテーブルに叩きつける。


「ガーランド、彼女の正体を教えてくれ」

「ふむ、だいぶ張り込んだな」


 ガーランドが金を受け取る。受け取る!?

 カネで済んだという驚きがマイルズを貫く。いや、カネで済むにしてもこちらの言い値で済むとは……


「ふっ、そうか、私のような退役兵はもう不要ということか……」

「ん? まあよい、貴官の働きには満足しているゆえ教えてやるのだ」


 嘘つけこの野郎と思いながら答えを待つ。

 たまに呼び出しては卒業生の個人戦闘能力が低いとかもっと死ぬ気で追い込めとか死ぬまで追い込めとか愚痴ってくる男が満足しているとかほざいたのだ。皮肉かと言いたいところだ。


「情報源はイザールという怪しげな男だ。聞いてもいないのにべらべらとしゃべってくれたよ」


 マイルズは悪魔の手のひらで転がされるような薄気味悪い感覚を味わいながら真実を得た。それが真実でなければどんなによかったか……



◇◇◇◇◇◇



「フェイズ4はボラン先輩にSの肖像が誰かを聞いてこい?」


 ココアからの次なる指令に出てきた意外な名前に首をひねる。

 なんでボラン先輩?って感じだ。


「Sの肖像ってあの有名な絵ですよね?」

「ええ、あれよ」


 学院には美術品があちこちに置いてある。OB会やら皇室から寄贈された品で、絵画『Sの肖像』は倶楽部棟のサーキュラー階段の上に飾られている。

 マリアも倶楽部棟にはよく出入りしている。綺麗な絵だなあって程度の認識はある。だがモデルが誰かまでは知らないし、なんでボラン先輩に聞くのかもわからない。


「聞くだけ?」

「ええ、今回はそれだけ」


 倶楽部棟に向かう。随分と降り積もった雪を職員が除雪している最中に通り過ぎるのは罪悪感もあるが、そんなことを考える生徒はあたしくらいだろうなあって苦笑する。

 職員や使用人が貴族の生活環境を整えることは当然だがマリアは未だに慣れない。村を管理する駐在武官の子なんて農民と変わらない存在で、マリアも昔は雪かきに引っ張り出されていた。


 倶楽部棟は静かだ。いつもは騒々しいって言葉から想像される音量の何倍もうるさい場所なのに耳鳴りがしそうなくらい静かだ。……なぜ血痕があるのか。


 ボラン先輩が掃除用具を抱えて出てきた。


「ああ、それ? アルフォンスが刺されたんだよ」

「またですか」


 最近アルフォンスがよく刺される。今年は寒いからねという謎の理屈で笑ってるボランの謎理論が理解できない。


「なんであいつがモテるのか理解に苦しむね。なあマリア、絶対俺のほうがいいと思うよな?」

「うーん、でもアルフォンス先輩は頼りになるし」

「マリア、君は騙されているんだ」


 ボランもかなりのハンサムなのにアルフォンスと並ぶと女子は十人が十人アルフォンスに寄っていく。

 ボランはそれを不思議に思っているが、女子はその辺りは正直者になるので人を見極めているのだろう。ボランには好きな女がいて他の女子に目を向けたりしない。それと単純に雰囲気が小物っぽい。


「ボラン先輩とアルフォンス先輩なら断然アルフォンス先輩ですねえ」

「なぜだ。いったいどこにそんな差が……」


 そういうところである。

 仮にアルフォンスがこの状況なら嬉々としてボランとの仲を取り持とうとしただろう。心が広くて楽しさに忠実で後輩に譲る心意気もあり、心遣いが細やかで毒を吐くにしても相手を選ぶ。他にも色々とあるがボランはすでにコールド負けをしているのだ。


「ところであいつが死んだかとか普通気にならない?」

「どうせ明日には完治してるでしょうし」


 あのリリウスから殺したって死にそうにないしぶとさと評価されるアルフォンスである。マリアからも心配するだけ無駄だと認識されている。……だって過去四度心配して損したし。


 ここでようやく用事を思い出した。階段の上に飾られている三×二メーターの大きな絵画を見上げる。

 玉座に在る偉大な女帝を描いた絵画だ。王錫を手に微笑を湛えながらこちらを覗き込んでくる美しい女帝がどこの誰なのかは誰も知らない。タイトルにはただ『Sの肖像』とだけある。


「あの絵のモデルってご存じですか?」

「モデルなんていないよ」

(ココアさんの嘘つき!)


 この豪雪の中せっかく倶楽部棟までやってきたのに不発だ。休日なのに!

 でもすぐに気づく。


(なんでモデルがいないって知ってんだろ?)


 知らないならわかる。でも居ないってなると疑問も出てくる。

 それについて質問すると不思議そうに首をひねられた。


「なんだよ、あの絵を描いたのが俺だって知ってたわけじゃないのか」

「え、ボラン先輩が描いた絵なんですか?」

「何も知らずによく俺に聞いたよな。てっきりアルフォンスあたりから聞いたとばかり……」


 そこは笑って誤魔化すマリアである。


「こんな絵が描けるなんてすごいです! 尊敬します!」

「そう?」

「はい、誰にでも取り得の一つくらいはあるものなんですね!」

「最近の君は口が悪いぞ。いったい誰の影響やら……」

「御四方の影響じゃないですかねえ」


 考古工学部のクソ外道どものせいである。


「この絵、モデルがいないってことは想像で描いたんですか?」

「そうだね。想像ともいうし記憶ともいうな。この人はね、俺の初恋の人なんだ」


 あんまり興味がなかったけど初恋と聞いた瞬間に興味が噴出するマリアであった。


「なぁんだ、モデルがいたんじゃないですか!」

「面白そうな雰囲気をかぎつけたか。……正確に言えば想像の産物なんだ。あの時描いた絵はその人に渡したし、これは随分と経ってから記憶を辿って描いたものだし、それに随分と美化している」

「ボラン先輩みたいな人でも初恋の思い出は美しいんですね!」

「みたいな人ってなんだよ」


 だって先輩ってクソ外道だし。という言葉は辛うじて呑み込んだマリアである。

 こんな外道にも人の心って残ってたんだなあっていう味わい深い事実だ。


「で、どこの誰なんですか?」

「自分の初恋を一時の笑いに変えられる精神性を期待しないでくれ。そんなのが笑いになるのはアルフォンスやリリウスくらいのもんだ」

「大丈夫です、ボラン先輩も十分に面白いです!」

「面白がるような子には話したくないって言ってるんだよ」


 そこにレリアとセリードがやってきた。いや事件現場に戻ってきたというべきか。


「おっ、聞いたか?」

「アルフォンス先輩がまた刺されたんですってね!」

「エンターテイメント感覚かね。ほんとあれも懲りない男だよ」

「それで懲りない男の容体はどうでした?」

「残念ながらこの世からあの悪が消えてなくなるのはまだ当分先になりそうだ」

「しぶといなあ」


 とてもではないが同じ部の仲間が刺された時の反応ではない。だって嬉しそうにしゃべってる。

 嬉しそうにしゃべるボランと応じるレリア。ちょうどのその上にある絵画と重なって……


「もしかしてモデルさんってレリア先輩のお母さんですか?」

「おっ、鋭いなマリア。35点やろう」

「えー、何点満点ですかあ?」

「ま、50点満点ってところではないか。いい子のマリアには飴をやろう」

「わあい」


 と喜んで見せたマリアだが飴を食べる様子はない。

 こちらは賢い子なので毒物を二度も口にするようなまねはしないようだ。


「? 遠慮せず食べなさい」

「はい、まずは半分に割ってリジーに食べさせて安全を確信してから―――」


「待て待て、それでは経過観察ができない。この場で食べなさい」

「いま経過観察ってゆった! これ何なの!?」

「ダンジョンコアから作ったグロウアップ・ポイズンキャンディーだ」

「ポイズン!?」

「いやいや、正確にはポイズンかもしれないキャンディーだ。だから安心して食べなさい」

「毒かもしれない物のどこに安心しろって!?」


 この後は部室で酒盛りが始まった。

 上機嫌なレリアが作った酒のつまみを誰も手をつけない地獄の飲み会だ。


「どうして食わない?」

「……少し腹の調子がわるいものでして」

「同じく」

「あたしもー。……先にレリア先輩が食べてくださいよー」

「よかろう」


 レリアがつまみを食べる。他の三人も遅れて手を伸ばす。


 まずボランがもだえ苦しみながら倒れ、慌てて立ち上がったセリードが意識を失い、マリアが解毒ポーションの瓶を一気飲みしながら横に倒れていったのはこの五分後である。


 レリアだけケロッとしていて、三人の苦しみ方を観察しながらスケッチしているのである。



グロウアップ・ポイズンキャンディー

 ダンジョンコアの粉末を混入させた強力な毒物。高密度魔素が含まれているために耐性のない人間は即死するような気がするが製作者は分量を抑えたから大丈夫だと言い張っている。

 効能だけ見ると高値で売れそうな気がすると思って作ったはいいが急性魔素中毒などの副作用が強すぎる危険物でしかない。なおマリアならギリ耐えられるが三時間程度の昏倒と吐き気と意識の酩酊は確実に発生する。


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