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最終章 『春のマリア』  作者: 松島 雄二郎
帝都決戦編 静かな死が灰被りの都を満たして
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春のマリア アナザーコンクエスト② 法の天秤

 ドルジアの聖女マリアにはすごいちからがある。カッティングされた宝石のような八つの頂点を有するオクタグラム・コミュニティの輝き。ドルジアの聖女は人々と触れ合い八つの感情を学ぶことで磨かれる宝石であるのだ。……本人からしたら「んー?」って感じだ。


 法のちからは学院のハディン先生。

 忠義のちからは学院のマイルズ教官。

 恋のちからはミリー。

 死のちからはデスきょの巫女アリステラ。

 勇気のちからは……


 というふうな具合に特定の人物と親しくなって悩みを打ち明けてもらって解決するとパワーアップするらしい。全部聞いてもよくわからない。


「わからないってどういうこと?」

「それあたしのセリフー」


 ちなみに恋のコミュを完了すると『全・状態異常耐性30』が手に入り、特殊状態異常魔法ペトロ・デストラクションを習得できるようだ。恋愛相談に乗っただけでナンデ魔法を習得できるのか何度聞いてもわからない。


 ココアからペトロ・デストラクション使ってみなさいよって言われたけど……


「できるかあ!」

「でしょうね。高等古代呪術ですもの」


 ココアはあっさりしていた。たぶん本気で信じてなかったんだと思う。そんな奴の指示に従ってきたマリアの気持ちも考えてほしいところだ。


「他の人もいっとく?」

「ハディン先生が気になるんだよねえ」


 ランシール・ハディン先生には大きな後悔がある。無実だと信じて無罪の判決を出したデナリ商会の会長が本当に犯罪者で、先生が信頼していた判事を買収して証拠を捏造した事件だ。

 帝国法院では判決を出した事件に対して再度判決を出すことができない。後から新事実が出てきたとしても終わった裁判の判決を覆してはならないという法があるせいだ。


「じゃあ行きましょうか」

「今度はきちんとやるからね」


 マリアとココアが学院まで走る。途中から完全に尾行者になってるデブも走ってついていく。普通に気づかれてる気がするデブであったが出ていくタイミングがなかった。別にやましいところはないので、向こうから声をかけてほしいくらいだ。

 ハディン先生の住処は歴史資料室だ。見事に枯れた白髪の法学者ときつめの容姿で性格もきついモルグ女史がここに住んでいる。いや住んではないけど授業がない時はだいたいここにいる。


 今はもう放課後だ。ハディン先生はモルグ女史と一緒にお茶を飲みながら知的な会話をしている。


「あらマリアさん。本日は体調不良だと聞いていたけどもういいのかしら?」


 モルグ女史が優しい。異常事態だ……


「なぁにその顔。私だって生徒の体調を気遣うわよ。さあ入りなさい、お茶を飲んで温まるといいわ」


 超異常事態だ。ここでハディン先生が立ち上がり、どちらがお茶を淹れるかで揉め出したのでいつものモルグ女史らしくてホッとした。


「敬愛するハディン先生にお茶を淹れさせるなんてできません。大人しく座っていてください」

「やれやれ、私はそれほどの者ではないと言っているだろう」

「そう思っているのは先生だけですわ」


 ソファで二人きりにされる。会話会話と何かを探すマリアは不器用なので、つい本題から入ってしまう。


「あのぅ、誤審の件を偶然聞いてしまいまして……」

「なるほど。あのようなミスを犯した男に学徒を導く資格はないとクレームにきたわけか」


 マリアが慌てる。


「いいえ! そんな!」

「いや、私も常々そう悩んできた……」


 遠くを見つめるハディン先生の心は本当に遠い過去を思っているにちがいない。

 彼は真面目な先生だから、生徒の失敗は許せても自分の失敗は許せないのだろう。だから誤審の後に帝国法院を去ったのだ。


「本当にそういうつもりじゃないんです」

「そうか? そうだろうな、優しいアイアンハート君がわざわざ老人をいじめに来るはずがないか」

「後悔しておられるのですね」

「きっと君は勘違いをしている。私はあの事件で名誉と命を失ったへスター夫妻のことをどうと思っているわけではない。……私はね、ただ自分の判断力を信じられなくなっただけなんだ」


 ハディン先生が俯き、後ろに撫でつけた髪の束が一房降りてきた。


「私が絶望したのはね、そんな独善的な自分に気づいてしまったからなのだ」


 モルグ先生が戻ってきた。お茶を渡しながらもこの空気に気づいてしまい、困惑からマリアの肩を引き寄せる。


「ちょっと、何の話をしたの? 先生が死にそうな顔してるじゃない」

「あー、いや、そのぅ」

「愚かな男が過去にしでかした法を司る者にあるまじき失態についてだよ」

「最大のタヴーじゃない! ……若いってすごいわね、私絶対そこまで踏み込めないわよ」


 感心された。馬鹿にされたのかもしれない。

 でも本気で驚かれているのは確かだ。モルグ女史が入れ直した紅茶をハディン先生にも渡している。


「先生、間違いは誰にでもあります。生真面目なところもステキだと思いますがそろそろ吹っ切ってはいかがですか?」

「これは私の性分だ、放っておいてくれ」

「もうっ、先生は素晴らしい学者だけどとびきり頑固なのよね」


 二人は仲が良さそうだ。娘と父くらいの年齢差を考えれば微笑ましいものに見えてくる。頑固親父と世話焼き娘って感じだ。


 このままだと本題を言えないかもしれない。そう思ったので無理に切り出してみる。


「ハディン先生、グランツ判事を覚えていますか?」


 マリアが口にした名はかつてハディン先生が帝国法院の主席判事であった頃に愛弟子のように可愛がっていた男だ。そしてハディンを裏切ってその信念を汚した男でもある。


「うむ、忘れるはずもないがどうしてグランツの名を?」

「彼が今帝国法院の主席判事になってることもご存じでしたか?」

「……」


 ハディン先生が黙考する。きっと様々な想いが脳内を駆け巡っているにちがいない。


「いや、知らなかった。そうか、彼が主席判事に……」

「評判は最低です」

「そんなはずは。彼は優秀な法学者だ、努力を惜しまず、己の研鑽に寝食を忘れるような真面目な男であったのに」

「賄賂を受け取って自分の都合のいいように判決を捻じ曲げているのです」

「……そうか、彼はまだそのような不埒なマネに手を染めているのか」


 ハディン先生が沈黙する。空気は最悪だ。モルグ女史まで何も言えないでいる。マリアもまた言い切った。続ける言葉など今はまだなかった。


「君が何を期待しているかはわからないが今ここにいるのは何の権力も持たない老人だ。帝国法院主席判事の罪を告発するちからなど今の私には無い。帰ってくれ」


 マリアはぎゅうぎゅうに痛む胸を押さえながら、謝罪を残して歴史資料室を出る。

 法のコミュを育てるためとはいえ無遠慮に人の心に踏み入るのは気分が悪くて仕方なかった。



◇◇◇◇◇◇



 歴史資料室を出て学内のローズガーデンカフェに行くとココアがいた。全部聞いていたって顔なので何らかの方法で盗聴したのだろう。


「成功ね」

「嫌な気分だけどね」


 法のコミュの内容はこうだ。フェイズ1、世間話の拍子にハディン先生が誤審についてぽろりと漏らす。フェイズ2、気になったマリアが同僚の先生、おそらくはモルグ女史に誤審について尋ねて事件の全容を知る。フェイズ3、帝国主席判事グランツの悪行についてハディンに問う。


「フェイズ1と2は不要だと思ったけど本当に短縮できたわ。あの反応ならハディンは間違いなくグランツ主席判事について調べ始めるわね」


 フェイズ4、自宅に帰ろうと夜の新市街を走るハディン先生の馬車が襲われ、それをマリアと一緒に撃退する。

 問題はフェイズ4で、どういう神引きをすればそんな偶然に居合わせられるのか。


「わたくしの協力者がグランツの動きを見張るわ。襲撃のタイミングに合わせて動きましょう」

「マッチポンプだね」

「やめようって言ってほしい?」


 マリアが首を振る。始めたからにはやり遂げなければいけない。

 ハディン先生のことは好きだ。過去の失敗で苦しんでいるのなら助けてあげたい。でも……


「やる。でも覚えておいて、こんなやり方あたしは嫌いだって」

「わかっている」


 ココアはそう答えた。わかっている。それでもやり遂げなければいけないこともわかっているから止まれない。



◇◇◇◇◇◇



 覚えておいて、こんなやり方あたしは嫌いだって。

 それはマリアの本心だ。だから苦しいほどココアの胸に刺さってしまった。正義を為すために悪になる必要があることを彼女はまだ知らないのだと嘲笑することもできないココアの弱さだ。


「わかっている。だからリリウス・マクローエンはこんなやり方をしなかった」


 過去に苦しむ老人に過去を突きつけて、刺客に襲われた彼を助けて心の内側に入るようなまねをあの男はしなかった。

 あの男はきっとわかっていたんだ。こんなやり方ではマリアの心に輝く光など生まれないと。


「それでも僅かでも可能性があるのなら……」


 ドルジアの聖女の覚醒はきっとあの男の助けになる。

 それだけが、嗚呼それだけが彼を死の運命から救い出すのだと……


「ごめんマリア、ごめんね。それでもわたくしはリリウスに死んでほしくないの」


 歩み出すと決めたのは自分で、始めたからには終わりまできちんと歩き続けなければならない。

 食いしばった歯茎から血が零れ出そうと最後まで歩くと決めたのだから。



◇◇◇◇◇◇



「グランツ、お前を野放しにするべきではなかった」


 数々の悪事を告発されたグランツ主席判事が騎士団に捕縛されている。帝国騎士団幹部会の一部と癒着のあったグランツ主席判事だがグリムニル・フラメイオン卿に相談したら一発だった。


『こそこそとショボい悪事を働くだけなら見逃せもしたが、ここまで大それたまねをしておったか! 帝国に巣食う毒蛇め!』


 マリアが持ってった証拠を見せたら超お怒りになったフラメイオン卿が部隊を率いて社交界の会場に突撃、その場で罪を告発して逮捕に至った。

 その際に逆上したグランツ主席判事が火炎魔法でハディン先生の殺害を目論んだがマリアが防いだ。来るとわかっていたので防ぐのは簡単だった。


 師の失脚によって栄光を掴んだ男は逮捕され、失脚した師はいまこうして元弟子を見下ろしている。

 両腕を取り押さえられ、膝を着かされてもなおグランツ主席判事は興奮している。怨敵を憎むような眼差しでかつての師を睨みあげている。


「ワシを裁いて何になる!? 師よ、あぁ誰もが師のような聖者であれるものか! 主席判事の利権に寄ってくる蛾の群れが差し出す富や色に惑わされず法の理念を説き続けられる者などいるわけがない! 後任は誰だ、アドマイヤーかワイスマンか!? 奴らだとてきっとワシと同じく道を踏み外す!」


 狂気の眼差しだが、マリアにはそれが偉大なる師を前にした告解に見えた。


「法の権化である師よ、あなたには人の心がわからないのだ!」

「お前の改心を願ったのが間違いだった……とは今でも思わない」


 ハディン先生が膝を着き、かつての弟子の頭を抱く。


「法院を去って教鞭を取り、若者を教え導く間に私もまた彼らから多くを学んだ。人の心の移ろいやすさ、誘惑に簡単に負けてしまう弱さ、そしてそれでも過ちを犯しているのだと理解して正道に戻りたいと願う彼らの悲鳴を聞いてきた。今ならわかる、罪を犯した者こそが真に正しき道を歩めるのだと」


「……貴方の去った法院で己の正義を見失った。貴方はワシを導く星だった」

「ならば二人でやり直そう。私とお前で法院を立て直すのだ。……罪を償い、復職する時を待っておるよ」


 やがて二人のすすり泣きが聞こえてきた。


 後日、ハディン先生が学院を去る日がやってきた。帝国法院の主席判事に復職するランシール・ハディンは本当の主席判事であるグランツが復帰する日まで法院の正義を支えると願い出たためだ。

 別れの日にマリアとハディンは握手を交わす。


「マリア君、ありがとう、キミのおかげで私は過去と向き合えた」

「あたしは何もしてません。先生の勇気がなければ、こんなふうには治まらなかったはずです」

「それはちがう。私に立ち上がる勇気をくれたのはキミだ。本当にありがとう」


 王の異能が輝く。

 心から敬意を抱いた配下の能力が王につながり、そのちからが渡っていく。マリアは漠然とだがハディンのちからの伝わりを感じた。その使い方も。


(これはハディン先生の秘匿魔法? 氷結魔法フリゲート・ピラース……?)


「さらば若き学徒よ! 諸君らの栄達と正しき道から踏み外れぬ健やかな精神を願っている!」


 ハディン先生が歩いて正門から去っていく。

 馬車を使わないのは名残惜しさからか、一歩一歩思い出を踏みしめるように去っていった。涙をハンカチで拭っているモルグ女史からもお礼を言われた。ありがとうって。尊敬する恩師を立ち直らせてくれてありがとうって何度も。

 だから物陰に潜むココアにもマリアは同様の気持ちを抱いている。


「今でもマッチポンプはお嫌?」

「ううん、どういう形であってもハディン先生が立ち直れたのは正しい行いだと思えるから、あたしもっとやりたいです」


 マリア・アイアンハートの心に揺るがぬ法の天秤が宿った。

 それは尊敬する法学者の形をした天秤。法を網羅し、情けを知り、弱さを認め、だが人を信じ続ける至高の天秤である。

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