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最終章 『春のマリア』  作者: 松島 雄二郎
帝都決戦編 静かな死が灰被りの都を満たして
254/362

春のマリア アナザーコンクエスト①

 目覚めとは何を指して目覚めと呼ぶべきか?

 窓の隙間から絶えずやってくる隙間風の音と冷気に朝日の香りが交じり、夢うつつに目を開いた瞬間をいうのだろうか。

 また眼を閉じて眠れそうで眠れない二度寝の贅沢を噛み締めているとやがて聞こえてくる修道女たちの囁きを耳にした瞬間をいうのだろうか。


 清貧な彼女たちは「寒いね」とか「もう朝~?」とか口々に囁き合い、その細い肉体のどこにそんなパワーがあるものか二度寝の魔力にも屈さずに起き上がる。


「ココアちゃんまだ寝てるのかな?」

「起きてますわ」


 二つ年下の可愛い子。ミュルシアに声を掛けられた瞬間をこそわたくしの目覚めと呼ぶことにしている。


 フィッツヘラルドの岬に立つ修道院の朝は早く、岬の高台にある修道院を太陽ストラが照らす前に始まる。

 敬虔な修道女の朝は高台から降りたところ、歩きで片道20分もかかる場所にある小川から水を汲むことから始まる。洗礼式のように小川に身を浸し、アルテナの聖句を唱えて身を清めるといいたいところだが彼女たちも神の御子というわけではない。秋口のこんな季節にそんなことをすれば死んでしまう。

 だからサウナに入り、桶に張ったお湯と手ぬぐいで身を清め、長く伸ばした髪を紐でくくって修道服に身を通す。


 修道院でお世話をしている子供達と地下に住む盲目の木工職人のアイネアスおじさんと一緒に朝食を摂る。朝食はロールパンが一個と薄い塩味のスープ。清貧なる暮らしを体現する我らにアレルヤ!


 修道院の朝は早く、でも食後のおしゃべりをする暇もない。同僚である五人の修道女は小隊長。部下である孤児たちを率い、桶と手ぬぐいを武器にして修道院のあちこちに潜む汚れを退治するのが早朝の任務だ。


「じゃあココアちゃんは洗濯でぇ~」

「ええ、任せて」


 任務は日替わりで変えていく。修道院は特化兵や専業職ではなくすべてをバランスよくこなせる一人前の兵士シスターを求めている。

 最初のうちは料理一つおぼつかなかったわたくしも今や立派な兵士シスターだ。いずれはわたくしを指導したミュルシアのようにわたくしも頭に卵の殻がついてるぴよぴよヒヨコの新兵を指導することになるのだろう。


 孤児たちを率いて部屋を回ってシーツを集めていく。古くなってきたベッド下の干藁が悪臭を放つようならこれも替える。倉庫の備蓄がだいぶ少なくなってきた。そろそろ町へと徴発に往かねばならない。


 石鹸は貴重品だ。この貴重な物資を丁寧に無駄なく使ってシーツを洗い上げて洗濯竿に干す。常態的に風が強いのでクリップも忘れない。修道院に来る時に土産として持ち込んだ(これはラスト姉様が用意した)イルスローゼ製の金属バネを仕込んだ最新式のクリップは孤児たちが遊んで壊したので古い木製のクリップだ。


 任務が終わる頃には早朝が終わって朝となり、我ら聖アルテナ教会ジグムント会派の兵隊たちは朝の礼拝を行う。

 主よ、聖処女アルテナよ、わたくしどもは今日も慎ましく生きております。我らの安息の日々にアレルヤ!


 幾人かの修道女は町へと奉仕に出かける。アルテナの癒し手を求める人は多く、我らは聖処女の御業を持ちて人々に奉仕せねばならない。戴いた礼金は我らの血となり肉となる。

 礼拝を終えればわたくしには待機が言い渡される。待機とはすなわち作戦行動外であり、立派な兵士シスターたるもの次の任務に備えて修練を積まねばならない。癒しの法術を修練してもよいし破魔の術法でもよい。


 ただ一番の新入りのわたくしの待機はイコール孤児の世話であり、修道院長バネッサ閣下の補佐として孤児に勉学を教えている。……まぁわたくしも生徒の一人である事実だけは認めておきますわ。


 昼がやってくれば楽しい食事の時間。清く貧しく美しく、清貧なる生活が健全な精神を作り上げるというのがジグムント会派の教えなのだがたまには肉を食べたいと思うのは悪でしょうか?

 昼食を終える頃には干したシーツも乾いている。孤児たちを率いてシーツを取り込み、見上げた空は青くて美しい。


 ここの暮らしは穏やかだ。のんびりとしていて闘争心の使い道などどこにもない。

 腕が錆びつきそうになるのを嫌ってこっそり剣術の訓練をしていた頃もあったが今じゃあだいぶ握ってない。見つかって没収された愛剣『黒狼刃』は倉庫の宝箱に隠されてしまった。


「ココア姉ちゃんって昔騎士だったんだろー?」

「すげえよな。なあ、俺にも剣を教えてくれよ!」

「孤児一号と二号にはまだ早いわ。あなたたちはまず新兵におなりなさい」

「えー!?」

「いい加減名前くらい覚えてくれよぉ」

「わたくしに名前を覚えてもらいたいのであれば英雄におなりなさいな」


 正直孤児たちとの距離感を計りかねている。彼らはいかにも未熟で愚鈍で馴れ馴れしい。

 突き放すように接しているのにどうしてそんなふうに嬉しそうな顔で近寄ってくるのか理解に困る。


 シーツを編み籠に折りたたんでしまいこみ、修道院へと帰っていく。

 わたくしと孤児数名の影が折り重なるみたいに芝生の上を動いている。


「なーなー、教えてくれよー」

「ココア姉ちゃーん、頼むよー」


 どうしてだろう。こんな退屈な日々を愛し始めているのはどうしてだろう?

 剣風と闘争の世界で生きてきたわたくしとは無縁のはずの市井の日々が研ぎに研いできた牙を抜いてしまったのだろうか?


 聖処女よ、わたくしは騎士の誉れを忘れてしまったのだろうか?と空に問いを投げども神託はもたらされない。迷える子羊に救いの手を差し伸べるべきわたくしもまた救いの神託を求めているなどお笑いだ。


 未練はある。剣の頂点を目指す途中で出遭った喧嘩殺法の少年の姿が今もありありと思い出せる。……己とは違って英雄の座へと駆け上がっていった彼の事だ。


 ふざけた闘法を用いながらも後で冷静に分析してみればこの上なく論理的な動きをしていた。闘気の使い方こそ荒かったが技能そのものは尋常の水準ではなかった。分析をし、仮想した彼との戦いをシミュレートして確実に勝てるというところまで至ってもそれはやはり未練でしかなかった。

 飛び抜けた敏捷性と力押しをするには足りない筋力。だが迸る殺意と共に放たれた一撃の威力は絶好調のルナココアでさえ押し負けた。


 わからない。彼が理解しきれない。せめてもう一度戦えたなら納得もいくのに。

 そう願えども現実にココアはこんな辺境に押し込められている。遥か遠く太陽の地で英雄となった少年との再戦など適うはずもない。


(未練ですね。あの時、あの時彼についていったなら……わたくしも英雄の座にたどり着けたのでしょうか?)


 編み籠を抱えて修道院へと戻る途中で嫌な来客の姿を見つけた。

 岬の高台へと徒歩でやってくる強烈な妖気には誰も気づいた様子もない。ここにいるのは術法を修めたアルテナ癒し手ばかりだというのに、誰もあれが放つ禍々しい気配を感じ取れない。


 男がやってきた。傍らに美しい女を侍らせた、究極の戦士とも呼ぶべき肉体をスーツに押し込んだ邪悪なる者が。

 ルナココアの戦士の本能が叫んでいる。あれには勝てないと。


「やあ貧民ども! 親切な足長お兄さんがやってきてやったぞ!」


 邪悪な怪物はたまにこうしてやってくる。紙袋一杯に異国のお菓子や酒を持ってくるので修道院としては助かっている。子供達のリクエストも聞いているようで外面だけを見れば善意の支援者だ。


「お前はチョコバーだ」

「そっちのお前はチョコバーだ」

「お前にはエッチな本をやろう。覗きはほどほどにするがよい」


 無垢な孤児の中に犯罪者が!


「敬虔な修道女どもにはこれをやろう。至高の美酒にて日頃の鬱憤を晴らすがよい」

「酒に耽るのは教義に触れるのですが……」


 と言いつつも修道女が受け取る理由は後でこっそり呑むためではなく、困った時に金に換えるためだ。この破戒的な男が持ち込む酒は随分とよい物らしく、以前この地を治める領主に渡したところ血眼になって「あれはどこで手に入れたんだ!」って怒鳴り込んできた覚えがある。

 至高の美酒との話だが酒をたしなむ者にとっては正しくそういった価値のある酒のようだ。


「ココアよ、お前には新しいバッテリーをやろう」

「はぁ……」


 ココアは変な機械を貰った。この男がいうにはそれを動かす電池であるようだ。

 よくわからないし、理解する気もないが特殊な機構の魔石のようなものらしい。貰ったまま倉庫に放り込んであるのでどうでもいいが。


「攻略は進んでいるかな? 苦戦しているのであれば次回は攻略本を持ってくるが」

「まあ、支援物資は助かるのですがね」

「そう迷惑そうな顔をしてくれるな」


 苛立ちはない。恐怖もない。あるのは戸惑いと、自分のせいで修道院に迷惑が掛からないかという不安だけだ。

 こんな辺境の修道院に怪しげな男が何度も出入りする理由なんてアルチザン家の姫である自分くらいのものだろう。


「あれに触れていないことくらい把握しておる。どうして手をつけぬ、余の企みに触れられるのかもしれんぞ?」

「何がわかったとて貴方に敵う気はしませんの」


「小さき者の思慮は余には理解できぬが貴様の場合は投げやりであるな。未だ若き身でありながら何故挑戦を躊躇う?」


 狂人や怪物との会話は疲れるから適当に流してやるつもりだ。

 適当にはいとかまぁとか言ってりゃすぐに諦めてくれるだろ。それがルナココアの処世術だ。諦めてもらう。役立たずだと見限ってもらう。そのようにして生きてきた。

 煩わしい公務から逃れるすべは他にはなかったからそうしてきた。それでも剣だけには真摯に関わってきたつもりだが、それがこの結末だ。


「大神たる余には小さき者の小さき悩みなど知れぬ。それらは総じてくだらぬものであるからだ」

「そうかもしれませんわね」


「気のない返答を続けて他者から呆れられようとする。お前の性根はまこと安穏としたお姫様のものだよな」

「それでよいではありませんか。わたくしはこのように生きてきた、これからもこうして生きていく。答えはそれだけです」


「まったく愚かな娘だ。貴様の剣才にだけは注目している余にさえ諦観を吐くか」

「わたくしの剣を買ってくださると?」

「貴様に他に何の価値がある?」


 無い。それは諦めではない。誇りを以て高らかに謳うべき事実だ。


「余の見立てでは貴様の剣才は神域に至る。腐らせるには惜しい才だと思わんか?」

「こんな腕を随分と買ってくださるのですね」


 試しに手刀をぶち込んでみる。眼前に立つ男にだ。外すわけがない。だが男の体を透過した手刀は空虚に空を切っただけだ。


「この程度の腕でしてよ。見立て違いではありませんの?」

「研がぬ剣のままで余の目を疑うか。何事も決意一つよ、まことの決意にて剣の道を往くと決めれば未来が定まりちからの未来が寄ってくる。我がちからは時を逆さまにする。遥かな未来、遥かな努力に果てにたどり着く剣神に等しく貴様の技を今お前に降ろしてやることもできるが、それは今のお前が決意せねば無理なこと」


「戯言がお好きならパブでどうぞ」

「つれない奴め。まあよい、また顔を出すゆえ考えておけ」


 神を自称する邪悪の男が去っていく。

 これまで何度も見送ってきた背中へと、ふと問いが走った。


「あなたはクレルモン家ゆかりの者でして?」

「人の世の権勢など興味もない。余はただ世界の行く末を憂う者にすぎぬ」


「どうしてわたくしに目をかける。それだけのちからを持つあなたがやればいい」

「救われることに慣れた者どもの蔓延る世などただただ醜いばかりであるぞ? 人を救う者は人でなくてはならぬ。神罰ではならぬのだ。救済も報復も人の手でやらねばならぬ」


 邪悪な男が去っていき、彼のもたらした土産物に浮き立つ修道院で一人ココアだけが悩み込む。

 みんな寝静まった後に床を出て、倉庫にしまいこんでいた機械を手に取った理由はよくわからない。……未練かもしれない。


 気に入り始めた平穏な生活を投げ捨ててでも闘争の世界に戻りたかったのかもしれない。


 青と黒と赤の色合いの小さな機械が入った化粧箱。それともう一つの美麗なイラストが描かれた文庫本のようで本ではないもの。


「春のマリア、アナザーコンクエスト?」


 これが何だというのだろうか。

 何もわからぬままココアはニンテンドースイッチを起動した。



◇◇◇◇◇◇



 二つの手のひらに収まるサイズの絵物語が語るのはマリアという一人の少女の物語。元気と正義感と、人よりは少しだけ自信のある剣才だけが取り柄の平凡な少女のお話。


 舞台はウェンドール806年のハイルバニア。ここより東の、海を越えた遥か先に実在するグラン・ドルジア・エンパイアーでマリアは様々な人々と出会う。


 黒衣の予言者ガイゼリック。

 赤毛の主従ロザリアとリリウス。

 ドケチの終末竜クリストファー。


 豊国からの留学生アーサー・ベイグラント。……まぁどうかと思うところはあった。グラーエイス王直系の吾子ならベイグラントを名乗っても問題はない。アルチザン家を蔑ろにして権威のみをひけらかすような名乗りをあの生意気な弟がするかと言えば甚だ疑問だが演劇ならそういう演出なのだろう。


 腹違いの弟と同じ名前と容姿を持つというだけの少年に物語の中でも構ってしまうのは愛情なのか憐憫なのか。……きっと涼しい仮面の下に人間への憎悪を隠し持つ弟への憐れみであろう。


 さながら運命の大渦に弄ばれるこの葉のように流転するマリアの運命。容赦はないのかと言いたくなるような有り様でも彼女はけっして膝を折らない。

 流れるままに家の命じるままに生きてきたココアにはその姿が眩しかった。


(強さとはこういうものをいうのでしょうね)


 腕力と魔法力が強さなのではない。どれだけのちからを持とうと敬愛するラスト姉様には自由がなく、己を曲げぬ意志力もなかった。愛されることを願って戦うアルチザン家の戦奴隷でしかない。

 剣の才が何だというのか。師と友から剣才を褒められどもココアとてこの様だ。

 アーサーなどあれほどの才に恵まれながらアルチザン家に牙を剥く素振りさえ見せない。


(倒れても立ち上がることが強さ。打たれても傷ついても立ち上がり続ける意思こそを強さというのなら、わたくしに足りないものは強さだった……)


 ようやくわかった気がする。未だに目蓋を閉じれば燦然と輝くあの少年の輝きは立ち上がり続ける強さで、そうとは知らずにココアはずっとつよさを求めていた。


 修道院での穏やかな日々は忙しくてこの機械に触れる暇は一日に僅かしかない。神への奉仕を終えた日暮れに夕飯を摂り、蝋燭の火を消して皆が寝入った頃から夜明けまでの間だけだ。

 いつしか離れていた剣を振る習慣が戻った。倉庫の宝箱には鍵など掛かっておらず、言ってしまえばココアに取り戻すつもりさえあれば愛剣はいつなりとこの手に取り戻せたのだ。


(意思だ。自ら求め動くことが意思なのね。動くこと、備えること、でなければ何を為せるはずもない)


 あれからも神を名乗る男は何度もやってきた。幾つかの贈り物とバッテリーを携えて、何もかもわかっているという顔つきで「調子はどうだ」と尋ねてくる。


「以前よりはマシよ」

「それは素晴らしい」


 男は嬉しそうに笑顔を作った。苛立ちはない。だが不安はあった。以前と同じく。


「思い通りに事が運んで嬉しい?」

「ばかな、立ち上がると決めたのはお前であろう。スイッチを与えて手にするように唆したのは確かに余であるが立ち上がったのはお前ではないか。立ち上がり、歩き、己が生にて偉業を為すことさえ何者かの意思と謀にするつもりか」


 禍々しい妖気を放つ恐ろしい男なのに吐く御言葉はまるで善なる者だ。


「猿ならば群れの主のせいにしてよい。家や共同体の意思で生きて勝手に朽ちるがよい。だが人ならば己が意思にて歩いていけ。それが人たる者、万人が負うべき責務と権利である」


 見るからに邪悪な男なのに其の御言葉は確かにこの心を震わせる。

 まるで正しき教えを説く聖者のようだ。


「酷い話。まるであなたの方が聖職者に見えるわ」

「ふふん、調子が出てきたではないか」


 やがて厳しい冬がやってきた。一日は一日中暗く、長い降雪の止んだ頃に屋根の雪下ろしをし、閉じこもることが多くなった。

 町からは毎日のようにすすり泣きのような鎮魂の鐘が聞こえてくる。

 それでも修道院の生活に変化はない。これまでのように、これからと同じく清く貧しく美しく生きていく。……きっとココアがいなくなっても。


 最近はお友達のミュルシアからこんなふうに言われる。


「最近活き活きしてるね?」

「為すべきことを見つけたの」

「それはなに?」

「そうですね、さしあたっては自らの意思で歩くことかしら」


 この答えは年下の友達にはとても面白い冗談に聞こえたらしい。愛らしく笑い飛ばされてしまった。


「変なの。そんなのみんなやってることだよ」

「ええ、わたくしもみんなと同じく人にならねばなりませんね」


 長い冬が明けて春の兆しが見え始めた。降雪に白く染まった森が黒さを取り戻し、枯草の大地に色が戻り始めた頃に再びあの男がやってきた。


「往くか?」

「ええ」


 修道院長には話をしてある。次にあの男が来た時に共に往くと。


 ここに放り込まれた時と同じ荷を携えて修道院を出る。いや同じなわけがない。卸し立てだった修道服は随分とくたびれ、靴も随分とへたっている。何よりココアには意思がある。

 ここにいるのは家の命令に従って修道院に放り込まれた放蕩娘ではない。自らの意思で歩み始めると決めた女剣士だ。


「後悔はしないわ。誰かのせいになんかしない。これはわたくしが決めた第一歩ですもの」

「よろしい。その決意に偽りなくば汝ルナココアは必ずや我がエインヘリヤルとなるであろう」


 クロノスと名乗る男が同行者に目を向ける。初めて見る女だ。

 陽気そうな微笑みを絶やさず、褐色の肌色と相まって強かな印象の強い美女だ。まぁ恐ろしく強いのだろう。魔法力の桁が違う。

 何より春先の北海沿岸で砂漠の民のような薄絹の民族衣装を纏い平然としているなど、常に自身の身を強固な魔導防壁で守っている証に他ならない。


「これなるも我が勇士エインヘリヤルよ」

「ルールズ・アス・エイジアよ。よろしくね新入りさん」


 ばかにしてんのか!ってくらい陽気な女だ。頭のネジが何本も抜けてそうな笑顔なのが逆に不安だ。


「我が勇士の中に序列はない。部下も持たせぬがお前もこやつに従う道理はないゆえ気楽に励むがよい」

「それはよいことを聞いた!」


 大声が一声。後に空から流星が降ってきた。

 着弾する砲弾のように地面を砕いて現れたのはどこかで見たような誰かの面影を持つ戦士である。……クロノスが眉をひそめている。この男の登場は神を僭称する男にとってさえイレギュラーなのだ。


「アポもなくやってきたことは謝罪する。だがお前さんと接触する方法が他に見えなくてね」


 両者は睨み合い、ガンをくれ合うように睨み合う。


「自力で余の下までたどり着いたか。賞賛してやるぞルキアーノ・ルーデット」

「時の大神たる御身の賞賛ならば誇ろう。で、俺も仲間に入れてくれるのかい?」


「無論だ。お前はちからを示した、尋常ならざる意思と忍耐によって我が御前へと至った。褒美をやらねば余の器量に関わる」

「嬉しいね」


 握手を交わす。


 これがフィア・ルナココアの始まりの物語。あの少年の影を追うように我が意思にて歩み始めた女の始まりであった。


「よし、ではお前は今日からアバーライン・クロスだ」

「むっ」


「大きなルー、君はアバーライン・レディーだ」

「ルキアさんは相変わらずね。いいわよ」


「じゃあ君はアバーライン・レディー二号だ。頼むぞ」

「え?」


 早まったかしら?とは思った。



◇◇◇◇◇◇



 二月のとある晴れの日。バイアット・セルジリアは帝都の街角から青空を見上げている。今日は朝からの猛吹雪だったけどリリウスにお願いしたら晴れた。最近吹雪いてたし三日くらい晴れにしとくかって言ってたから三日は晴れの日が続くのだと思う。


「……もう隠す意味がなくなったのか、本当に隠さなくなってきたなあ」


 天候の操作は魔法の領域ではなく神の御業だ。ほんの一時、ほんの数時間だけ雨を散らすだけでも超位階の魔導師の中でも一握りの達人だけに許された技なのに三日だ。神だ。


 リリウスの話によれば惑星の天候メカニズムを理解していればそう難しい技ではなく、アシェラ信徒ならもっとうまくやるらしい。奴らがやらないのはやる理由が無いからだそうな。

 そんな説明を受けてもバイアットにはやはりこれが神の御業にしか思えない。太陽の聖典によれば太陽神ストラの御子アル・ディーンは嵐を鎮め、凪の海を歩いていったとあるがそういうレベルの技だ。


 詳しそうなナシェカにちょこっと尋ねたら「触れ得ざる者」とか「絶対者」とか狂気的な信者の使いそうな単語が出てきた。

 辛抱強く聞いていった末に出てきたのが、あらゆる神々が頭を垂れて救済を願い、極点に立つ大いなる災いの蛇と対を為す者だそうだ。


 バイアットはありえないと思いながらも希望のある質問をしたが……


『それはリリウス君が善の側の極点ってことでいいの?』

『魔と魔の極点だよ。魔の対極は異なる大系の魔だし』

『魔なんだ……』


 どうやら魔の頂点を争っているらしい。嘘でもいいから善だと言って欲しかったけどやっぱり善ではなかった。


(リリウスくんって小さな頃からやべー空気あったけどやっぱりやべー奴だったねえ)


 まぁ今は頼もしい味方だと思い直す。じゃないとストレス過食が進んじゃう。


 せっかく頼んで晴れにしてもらったこの日、バイアットは通称アシェラレポートというらしい資料を手に帝都を散策している。この資料が正しいのかの裏付けに来ているという認識でいい。

 資料によれば帝都地下水道の深くに禁じられた祭壇があり、大魔導師の怨霊がそこで傷を癒しているらしい。


(そこだけ読めば間違っても行く気にはならないんだけどねえ)


 大魔導師の怨霊は弱っていてバトルにはならないらしい。それどころか復活するための協力者を欲していて、復活に必要なアイテムを持っていけば大いなるちからを授けてくれるのだとか。

 まぁなんだ。本来マリアが手にするべきちからを掠め取ろうという考えもある。実力不足の自覚があるので大いなるちからには興味がある。


 カンテラの明かりを頼りに帝都地下水道を歩いていると、奥の方から声が聞こえてくる。

 近づいてみると禁じられた呪術の祭壇っぽいところに誰かいるっぽい。


「我はかつて大魔導と呼ばれた者の成れの果て。恐るべき墓所に踏み込み神の怒りに触れこのような姿に落ちぶれたが……」

(先客がいるんですけど!?)


 初手から躓いた感がある。やっぱりリリウスくんの情報は使えないんだなあって納得もある。とりあえず成り行きを見守ってみる。


「娘達よ、もし我の復活に手を貸してくれるなら復活の暁には大いなるちからを授けよう」

「ココアさん、なんかやばそうな人だけど本当に手を貸してもいいの?」

「いいのいいの。この方一見不審者だけど根っこは娘想いのいい人だから!」

「復活したい理由ってもしかして娘さんのため? いい人じゃん!」

「いい人なのよ」


 怨霊が超戸惑ってる。


「むぅ、そこな娘よ、もしやどこかで会ったことが……?」

「あなたベイカー街三丁目で魔法道具店をやってたルーシェさんでしょう? わたくしはアルチザン家の者なの」

「しゃっ、借金の取り立てか!?」


 ついでに借金があるらしい。もうこの大魔導師の怨霊が怪物には見えなくなってきた。だって魔道具店の店長さんらしいし。


「じゃあこれね。六属性のハードエレメントの核石、これを渡せば復活するから」

「……用意がよすぎて我怖いぞ。だが助かるのたしかだ」


 大魔導師の怨霊が闇の衣に包まり、ギュルギュルと回転する闇の衣の中から出てきた。バサアっと格好よくマントをひるがえして出てきた。

 思ったよりもだいぶ若い、おじさんというよりも青年ふうみなおじさんだ。


「我が名は暗闇の大魔導レビ=ルーシェ・ユルゲン・クライシェ! 借金の取り立てはもう少し待っていただきたい!」


「ちなみにどういう借金が?」

「希少な魔導素材を買い込んだ際に色々とな。アルチザン家に肩代わりしてもらっていたのだが約束の傭兵契約をすっぽかしたのでもうアノンテンには戻れない!」

「あんた本当に大魔導なの!?」

「懐事情のよい大魔導など聞いたこともない。魔法が使えるだけで王となれたのは大昔の話だ。昨今は誰ぞに雇われる給金魔導師が主流なのだ」


 悲しい事情である。


「そんな事情より早く。早く早く大いなるちからを早く」

「うむ、我が用いる防護の術式を肌に刻んでやろう。暗闇の魔導は防御に優れている。きっと娘らのちからになるであろう」


 マリアが背中に魔法術式を刻んでもらっている。バイアットは紳士なので覗きをやめた。

 どうも時間がかかりそうなので余所に行くことにしたのだ。


「え~~っと、次はこれかな?」


 コミュニティ『恋』の物語。これは旧市街の酒場でお運びさんをやってるミリーなる女の恋を助けて成就させると、不思議なことに異能に目覚めるってコンテンツだ。これも中々に眉唾な話だ。だがさっきの大魔導師の怨霊は本当にいたし、これも本当ならすごい話だ。異能が手に入るなら欲しいのである。

 両想いの二人を結びつけるだけで簡単に異能が手に入る。やらない手はない。


 給仕娘が住んでいる家に向かうとそこでは……


「ミリー、どうして!?」

「ごめんなさい。あなたの気持ちは嬉しいけど私には……」

「どうして!? まさかまだリリウスぼっちゃんのことを―――」

(うわー、自然とリリウス君の名前が出てきたー。てゆーか知り合いだよ。マクローエンで温泉宿をやってるアルムさんだよ)


 修羅場だ。どう見ても修羅場ってる。しかも資料によればミリーのお相手はあのひょろひょろの温泉宿のオーナーじゃなくてもっとガチムチなおじさんのはずだ。


「ちがうの。ぼっちゃんは関係なくて……」

「間男、成敗!」


 いつの間にか現れたルナココアが正義のキックをお見舞いし、間男アルムが沈んだ。

 ミリーさんが目を白黒させている。


「愛することを諦めないで! あなたには他に好いた男がいるんでしょう! ほら、マリアも!」

「初対面の人に上から目線でお説教かますのって正義なのかなー?」

「はいはい疑問を持たない。結果的に好いた男と結ばれてハッピーになるのならそれでいいじゃない」

「でもなー、何か違う気がする」


 マリアが不信感をあらわにしている。そこへココアが耳元で囁く。


「♪異なる正義がぶつかり合う~♪」

「んんぅっ!」


「♪どちらも正しいはずなのにどうして戦ってしまうの~♪」

「あ、あ、あぁぁぁぁ……そ…そうだよね。正しさがぶつかり合ったなら勝つ方が正義なんだからあたしたちの行動は正義だよね」

(え、歌声で洗脳した!?)


 バイアットも驚愕の光景である。


「ミリーさん!」

「は…はい」


 マリアの目が血走っているのでミリーの腰が引けている。


「愛を躊躇っちゃダメ。想いを伝えて愛し合うことがジャスティスなの。自分の気持ちを押し殺すのはノー・ジャスティスなの! わかる!?」

「あははは…ちょっとわからないかなーっていうか貴女達は誰なのかなーって思ったりしてー……」

「そんなのどうでもいいの!」


「ど…どうでもよくはないよ!?」

「いいから! バーンズさんに告白しよっ、今から!」

「今から!?」


 ミリーを誘拐した二人がこれまた知ってる熊っぽいおっさんのところで……


「こ・く・れ!」

「こ・く・れ! はい、こ・く・れ!」

「ううぅぅぅ、あの二人ものすごく私の恋の邪魔をしてくるぅ~」


「ミリー? いったいこいつはどんな騒ぎなんだよ」

「バーンズさんのお友達じゃないの? どうも私達をくっつけたいらしいの……」

「やれやれ、小娘どもに急かされるとは俺っちもダサくなったもんだ。……じゃあよ、あの子らの顔を立てて結婚するか?」

「え……」


「ぼっちゃんも結婚したしよぉ。俺もそろそろと思っちゃいたんだが引き延ばし続けた結果がこの様だ。なあミリー、俺と所帯を持ってくれ」

「告った!」

「キャー、カップル誕生だわ!」

「うるせえ、返事が聞こえねえだろ!」


 まさかの逆告白成功である。抱き締め合う二人。そして外野の二人が変な顔してる。


「異能が手に入らなかった気がしますわね。もしかして手順を省略したのがいけなかったのかしら?」

「あたしもそこは省略したらいけないって最初から思ってました」

「じゃあ言いなさいよ」

「言ったよ!?」

「そうでしたっけ?」

「そうだよ!」

「ワタクシ記憶ニ御座イマセンワ」

「嘘だー、嘘をついているー! その顔はうそつきの顔だー!」

「黙りなさい。正義パンチ!」

「嘘つきに正義なんてあるもんかー、正義クロスカウンター!」


 異なる正義がぶつかり合っている。いや片方は悪だ。だって嘘つきだし。

 マリアたちはその後もあちこちに出没し、変な騒動ばかり引き起こしている。


「悪しきものめ、ジャッジメントの時が来たのだ!」

 時には悪党をこらしめて孤児の兄弟を助けたり。


「本当にこれですかー?」

「合ってる合ってる。高額換金アイテムよ、軍資金にしましょう」

 バザールではどう見ても何の価値もない首飾りを買ったり。


「これを買い取りなさい」

「え、いや、その、こんな物を買い取れと言われたって……」

「いいから買い取りなさい! これの価値がわからないの、見る目がないわね!」

「ひぃ、く…詳しいものを連れて来ますー!」

 イース海運で恐喝まがいのことをしでかしたり。なお本当に希少な鉱石が使われていたらしくバイアットもジュースを噴き出すほどの大金で売れた。


 そんな二人は帝都の墓地に行って墓荒らし。


「これ絶対正義じゃないぃぃ」

「正義よ、正義ったら正義なのよ!」

「悪は正義を騙るってルキアさんが……」


「♪諦めないで 貫く心が正義なのだから 群衆の言葉に惑わされないで 嗚呼例え誰に理解されなくても己の想いを貫き通せぇ~ 正義は貴女の胸の中で燃えているぅ~♪」

「あ…あ…ああああああ……そ…そうですよね!」


 マリアが正気に戻りそうになる度に炸裂する洗脳ボイスが一番の悪だと思ったバイアットである。


(ココアさんからリリウスくんと同じ空気を感じる。一見まともそうに見えてやべー奴だったんだなあ)


 納得は簡単だった。だって一番やべー奴を知ってるし。

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[良い点] 洗脳ボイスは草
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