冬の日② 拳を振り上げろ!
バートランド公は多忙の日々にあり、かつては帝国一の貴公子と呼ばれた美貌を苦労色に染めている。ちなみに友人のマクローエン卿は帝国一のすけこましであった。
本日の面会者は息子だ。と言っても血のつながりのない息子であり、そいつが年明けの発表を待って新皇帝に即位するときたもんだ。正式な即位式は春節以降になるとか今日はそういう話をしに来ている。
いや、本題はちがう。帝国総南下作戦『豊穣の大地』プランにおける派兵を要請してきたのだ。
「公には三千の兵を供出願いたい」
「お前は相変わらず性急だね。一杯やってからじゃダメだったのかい?」
「多忙な公のお時間を無駄にするわけにはいかないと思ってな」
その多忙さの原因が言ったのだ。ここは笑ってやるべきだ。間違っても怒鳴るシーンではない。
帝国一の大貴族ならば優雅に微笑みを浮かべて己の意見を押し通すべきだ。
「なあに、一杯やる時間くらい幾らでもあるさ」
琥珀色のブランデーをグラスに注いで机上を滑らせる。
先に飲んでみせるのは貴人を招いたホストのマナーだ。
「ほら、お前の好きな銘柄だ」
「ありがたく頂戴しよう。……俺の好みを覚えていてくださったとはな」
「ぶふっ!」
バートランド公が噴き出す。対するガーランドはナンデ噴き出したのか理解できていない。
くつくつと笑う公が手を軽く掲げて使用人に別の酒を持ってこさせる。
「すまない、お前の好きな銘柄はこっちだった」
「……そうであるな」
ガーランドがグラスを飲み干すのを公がじっくりと凝視している。
「なにか?」
「調子が悪いのかい?」
「いや、調子はよい方だが……」
「そうかい。お前はいつもグラスを鼻に近づけて香りを楽しんでから半分を含み、充分に味わってから残りを嚥下するのに品のない一気飲みをしたから調子が悪いのだと思ったよ」
「公の前で緊張しているのかもしれんな」
「私の前で緊張などするなよ。私達は親子じゃないか」
あれやこれやと話をする。借金の申し入れだとか糧秣の買い付けだとか軍事的な話だ。ほんの二杯の間に行われた交渉事を、公は考える時間が欲しいと言って保留とした。
その夜に友人のマクローエン卿ファウルがやってきた。彼には仕事を任せている。最近は皇女スクリエルラを通しての宮廷の動きの調査を任せている。
ソファにどっかりと座り込んだファウルがきつい酒をグラスで一気飲み。心労でお疲れって顔してる。
「まいったな。悪女の手のひらで転がされている気分だ」
「そんなに悪いのかい?」
「表向きには悪くないのだがね、誰も彼もがホイホイ情報を流してくれるが全部欠損した情報ばかりだ。表向きは協力的なのに懐が見えない」
「へえ、意見統制かな?」
「だろうな。ダミーの情報帯を作っておいてそこにある情報なら好きに話してもいいという面倒くさいやり方だ。あの俗物どもにあんな知恵が残っていたとはな……」
「誰かの入れ知恵かもね」
「ガレリアのイザールか」
ファウルの殺意に呼応するように風のラタトゥーザが震え始める。
鞘に収まったままの最強剣は殺せと叫んでいるのかもしれない。
「俺が斬って済むのなら命を懸けてもいい」
「よせ、リリウス君の助言を無駄にする気か」
リリウスはイザールの正体を本体が別の場所に存在するゴーストだと説明した。仮初の肉体に宿ってあちこちに火種をばら撒いて遊ぶ死霊の王だと。
その説明の正しさはともかくとして、ファウルに暗殺の無意味さを説くには充分だ。
「死霊の分け身一つとお前では赤字だ。自重してくれ」
「歯がゆいな」
「お前はマシだ。戦うちからのない私よりはな」
ファウルがきょとんと目を見開き、悪戯めいた笑みをする。
「学生時代のように鍛えてやろうか?」
「よしてくれ、私には武の才がないんだ」
かつて二人は腕自慢の貧乏男爵家の子弟と自信のない金満公爵家の子弟で、本来友諠など結べる家格差ではなかったが学外実習で班を組んだのをきっかけに仲良くなった。
煌めくような剣才を持つ者達に埋もれていた、ドス黒い策謀の王が初めて目覚めたのがこの学外実習である。
「得意分野ってあるだろ? お互い得意な部分でガレリアと戦おうじゃないか」
「おっ、久しぶりに言い逃れ大王が出てきたな」
気分を切り替えたファウルが酒棚を漁り始める。酒棚の一番上に隠すように置いてあったブランデーの封が切られているのに気づいた。
これはバートランド公が常備している銘柄だ。全然顔を見せない息子が来た時にだけ開ける酒だ。
「ガーランドが来ていたのか?」
「色々と無理難題を言ってきたよ。面倒なので保留してやったがね」
「父を頼ってきた息子にか、外道め」
「いやいや余裕があるよ。余裕があるから奥の手を使わなかった」
「奥の手?」
「本当に困っている時は私をダディと呼んで助力を願うんだ。息子に甘えられては私も無下には断れないので甘やかしているといつの間にか奥の手になってしまったのだよ」
「ほほぅ、鉄血の男にも可愛いところがあるんだな」
「ファウルよ忘れたのかい、あれも私達から見ればまだまだ若造だ」
「悪名高き鉄の男も父の前では息子の顔をするか。長い付き合いだが初めて知ったよ」
「あれも恥を知っている。私と二人きりの時でなければそんな顔は見せんよ」
日を一日置いて、ガーランドが再び顔を見せた。
まぁ返答の期日を今日にしていただけだ。
「熟慮したがうちの財政状況も火の車でね。本当に心苦しいのだが涙を呑んで援助できないよ」
夏にはビジネス大成功でウハウハの男がそう言った。表情だけ見ると本当に心苦しそうに見えるから性質が悪い。
もちろん帝国騎士団は公爵家の財政事情くらいは調べている。だが表の帳簿に記載されていない部分を突いたところで言い逃れされるのがオチだし、指摘したところで尻尾を出すようなアホなタヌキではない。帝国の巨悪の異名は伊達ではないのだ。
だがガーランドも今回は決める覚悟で来ているのだ。頭を下げて願う。
「ダディ、お願いだ」
「ぼほぉ!」
ガーランドが頭を下げた瞬間に公が噴き出す。
頭を上げたガーランドが見たものは腹を抱えてげらげら笑う父の姿であった。本当にやりやがったこいつ!って顔で指さして笑ってやがる。
「……参考までに聞いておく。どこがおかしかった?」
「全部だよ全部。あの可愛げのない息子がこの私に! 親愛の情を込めてダディなんて呼ぶわけがないじゃないか! あぁなるほど、リリウス君の指摘したとおり我が家は監視下にあるわけだ。証明してくれてありがとう我が息子よ」
おかしくておかしくて堪らないという笑いが止まらない。
まさか本当にやらかすとは思わなかったのだ。
「いや、我が息子の姿を借りた何者かというべきかな?」
「露見していたか。いつから?」
「癖だよ。入室する時の視線の配り方、ソファに座った後お前は左のひじ掛けに体重を乗せるように座り直したね。それが妙に慣れている。常態的な癖というわけだ。しゃべる前に独特の間もある。しゃべる時に顎を引く癖もあるね。私はね、この癖を持つ人物の名に心当たりがある」
「……」
ガーランドが沈黙する。余計なことを言ってさらなる情報を与えたくはないと考えたか、それとも教師の正解を大人しく聞く生徒の心持ちか……
「で、どの面さげてうちまで顔を出せたんだい、レギン=アルターク上皇」
「公には敵わぬな」
ガーランドの姿をした男が深く吐息をつく。
諦めの気持ちが表情に出ているのは敵わぬと本心から認めたからだ。
「公には返す言葉もなく、また謝罪のしようもない。どの面をさげてとくれば恥じ入るばかりのこの面だ。……というのはガーランドへの侮辱になるか」
眼差しは変わらない。深い理性と諦めと、だが燃えるような野心に満ちた眼差しで公を見つめる。
「お怒りであろうな?」
「息子をどうした?」
「イザールめの言葉によればこの体に造り替える際の素材にしたと」
「そうか。つくづく不憫な子だ」
公が葉巻に火を点ける。焼けるような吐息を吐き出し、だが保つ威風は王者のごとくある。
皇帝は臣下にすぎぬこの男を王であるように見上げる。
「やはり公には敵わぬ。余は公のような大人物になりたかった」
「そいつは皮肉が効いている。上皇陛下、あなたと交わした少なくない言葉の中で今のが最も心に刺さった」
「すまぬ……」
沈黙が降りた。もはや言葉もないと項垂れる男と、内心の怒りを押し殺して脳みそを計算に走らせる男が二人、静かな部屋の時が流れゆく。
「先の援助だが一部訂正を入れて承諾する。返答書は近く渡すが……騎士団本部と王宮のどちらに届けさせればよい?」
「王宮の方がよいが。……公はどうして余にちからを貸してくれる気になった?」
「ふんっ、私にも戦う理由ができたというだけだ」
男が去った後、公が隠し部屋のハンドルを回す。
少しずつ横にずれていく書架の向こうは隠し通路になっていて地下室へと続いているが、いま気にするべきは書架の向こうに隠れていた少女だ。
赤毛の少女は気丈にも声一つ漏らすことなく、しゃがみ込んで泣いていた。その背を撫でる赤毛の少年。ぽっちゃりボーイもいる。
「聞いたとおりだ」
「……」
声もなく泣き続ける少女を抱き締める公の眼には確かな怒りが滾っている。
「ガーランドの仇を討つ。私達二人で、いいね?」
「ええ、やるわ」
伝播する怒りが少女の眼に宿る。その異名のごとく華炎に。
公の眼差しが二人の少年を射抜く。バイアットは怯えた。公のここまで恐ろしい眼差しは見たことがなかったから。
リリウスは微笑みを返した。怒りを共にする者どうしであるから。
「息子の仇を討ちたい。君達もちからを貸してくれるね?」
「想いは同じです。やりましょう」
叩かれたのなら叩き返さねばならない。殺されたのなら殺し返さねばならない。でなければ何も守れない。
例え後世の何も知らない歴史家がこの時バートランド公は私情に駆られて愚かな決断をしたと書くのだとしても、拳を振り上げたなら叩きつけねばならない。
◇◇◇◇◇◇
帝都には幾つか秘密の場所がある。ここは千里眼を操る皇帝の治める国。ゆえに秘密の場所とはあらゆる術が無効化される場所である。
例えば帝都地下下水道の死の町。例えば騎士団本部の地下にある騎士団長のペントハウス。
例えばここ帝国立騎士学院の時計塔にある秘密の部屋。
ここを訪れた一年D組の喧嘩屋ライザは、ソファに寝そべってマニキュアを塗り直している先客に向けて呆れた声を投げかける。
「呆れた。こんな事態であっても美容が大切?」
「だってナシェカちゃんの武器はこの美貌だし~」
ナシェカはこの通りふざけた女だ。普段からこの調子の美容に命を懸ける白ギャルなので、そうというふうにしか見えないので、印象操作の手管だけは褒めてやってもいいのかもしれない。
帝国騎士団特務諜報部隊ルーリーズの部隊長、コードネーム・リコリス。騎士団長ガーランドが抱える最強の暗殺者。
それが彼女であり、ライザはナシェカの手駒として学院に入学した部下の一人であった。
だが今回招集を掛けたのは別の人物であり、そいつの姿はない。
「それで彼女は?」
「遅刻ぅ~。上司を待たせるとか失礼じゃない? これ失礼案件でしょ?」
「もう来てる」
天井のスライドドアを開いて白髪の少女が降ってきた。
音もなく降りてきた身のこなしは見事なもので、ナシェカはふざけて口笛を吹く。
「おう、さすが忍者」
「忍者ちがう。乱破」
「何がちがうわけー?」
「忍者はオモシロおかしく作られた講談話に出てくる変な連中。うちはもっと硬派。全然ちがう」
ナシェカとライザが顔を見合わせる。
「どっちでもよくない?」
「いいわね。どっちでもいいわ」
「よくない。こっちも迷惑してる」
結論から言えばナシェカとライザにとって忍者だろうが乱破だろうがクノイチだろうがどうでもいい。ユキノが気にしてるだけだ。
しかしこれで今回招集された四人のうち三人がそろった。一人遅刻してる。
「ルリアは?」
「来ないかも。最近男ができたって言ってたし」
「ひでー」
来ない理由がひどかった。
「鉄血の子供達も今やナシェカちゃんたち四人だけか。厳しい状況ね」
「本当はまだ残っている。でも本物と断定しきれないから呼ばなかっただけ」
ユキノの反論はあまり意味のあるものではなかった。
信じられない味方は敵なのだ。生き馬の目を抜く諜報員の世界において上長でさえ無条件に信じてはならない。……それは訓示、心構えのようなものだと思っていた。今までは。
「で、どうなの?」
「プリス卿の懸念通り。今はガーランド閣下でさえ信じられない。高い確率で偽物だと考えた方がいい」
ユキノの報告は考えられる限りにおいて最悪の状況を示している。
帝国の防諜を司る男がいつの間にか偽物にすり替わっている。国家が諜報能力を喪失するなど存在しながらにして滅びているようなものだ。
「信じられないわね。あの竜王さまがそう簡単に始末されてしまうなんて。ねえナシェカ、あなたの古巣ってそこまで危険な組織なの?」
「そこまで危険な組織だよ。言ってなかったっけ?」
「聞いた気がするけど本気にしてなかったわ……」
「今回集めたのはガレリアに対する情報のすり合わせをしたいのも一つ。ガレリアとはいったい何なの?」
「古い組織だよ。すべての暗殺ギルドのひな型にして最古の殺人ギルド。その正体は古代魔法王国パカの大統領直轄特務部隊なの」
「古代魔法王国の残党なのね……」
「ちがうよライザ、残党じゃない。ガレリアを率いるのは古代魔法王国のイザール大統領ご本人だよ」
「ごめん、その訂正の意味がわからない」
「……たぶんナシェカが言っているのは何千年も昔に滅びたはずの古代魔法王国の王様が現代でも生きていて、帝国に攻め込んできているってこと。あってる?」
「あってるよ」
「あってるの? 何だかすごい組織ね」
「世界の影の支配者とまで呼ばれている組織だもの」
「あなたってばナンデ誇らしげなのよ……」
「ワタシ元部隊長です。いま来てるのは元部下です」
「大ギルティ。ライザ、この女を処刑台に送って」
「できるわけないでしょ……」
ルーリーズの隊長はナシェカだ。納得できない奴を全員殴り倒してこの地位を守ってきた女なのだ。ライザもすでに百敗はしている。ユキノも四回くらいは負けている。もちろん全敗で四回負けたという意味だ。
「で、元部下から情報をリークさせてみようとしたんだけど」
「その口ぶりでは失敗したのね」
「成功しました、ぶい」
二人は戦慄した。最古の暗殺ギルドがガバいのかこの女の手管がすげえのかは不明だが仕事ができることだけは認めるしかない。
鉄血の子供達の中でも最優秀と呼ばれた女は伊達ではない。
「まぁ随分とレートの高いカードを持っていかれたけどね。後でリリウスに請求しなきゃだよ……」
「まさかドラブレのカードで買収したの?」
「レジェンダリー三枚だよ、神様だって買収できるに決まってるじゃん」
どうやらドラゴン&ブレイブスはガレリアの娘達の間でも流行り始めているらしい。
今回要求されたカードは美術品としても高く評価されている『聖処女の祈り』と『英知の一手』と『キャプテン・ルーデット』だ。特にキャプテン・ルーデットはアグロデッキを組むなら絶対に入れろと言われている人権カードなので持ってない子は泣いていい。
「さすがに担当外の情報まではくれなかったけどね。ケチだよねえ」
「当たり前じゃない。そこまでしてくれたら欺瞞情報の疑いが出てくるわよ」
「どんな情報を手に入れたの?」
「やばい情報だね」
「具体的には?」
「私達はもうとっくの昔に詰んでいるって情報だね」
ナシェカが本当にもうどうしようもないって笑う。
もうこれは逃げるしか手はないって笑っている。ライザもユキノもどうしてこいつが笑えるのか理解できなかった。
「ねえ、プランはあるのよね? 本当に逃げるしかないなんてあなたにそんな可愛げがあるわけがないし、あるのよね?」
「ないよ」
ナシェカはあっけらかんと「ないよ」と言って笑っている。
じゃあどうしてそんな顔ができるのか、二人には本当に理解できない。
「ナシェカちゃんの頭脳をもってしても打開策はないよ。だから最強の救世主さまにすがろうと思うんだ」
「……彼ならできると?」
「できるよ。だって彼はオデ=トゥーラ様が待ち続けた約束の救世主さまなんだもの」
想いがくべられ、また救世の灯が一人分だけ大きくなる。
大勢の想いを束ねて灯るかがり火は未だ小さくとも、想いは救世主のちからへと変わり往く。
◇◇◇◇◇◇
マリアはやっぱり引きこもっている。授業なんかには出ているけど遊びの約束はパスし続け、談話室からは楽しそうな声が聞こえてくるけど耳を塞いで塞ぎ込む。
最近は真面目に勉強しているせいか成績が随分と上がった。帝国法のハディン先生からも「ようやく形になってきた。その調子で学びなさい」と褒めてもらえた。ニヒルで熱いマイルズ教官からも「視野が広がってきた」と褒められた。情熱を失くしてから褒められたので不思議な気持ちだ。
『心に火を灯し、リズムで戦う戦士も多いが高みを目指すなら心に氷を宿し冷静に戦わねばならない。マリア君は騎士になるのだろう? 騎士ならば目の前の敵を斬り倒す兵隊ではなく、大勢の兵隊を気持ちよく戦わせる指揮官の視座を持たねばならない』
返答は『はい』だった気がする。本当はお嫁さんになりたかったし、騎士学には婿養子を探しに来たのだが反論する元気もなかった。
『君は熱意を失ったのではない。新しいステージに足を踏み出したのだ』
『そうでしょうか?』
『そうだよ。指揮官はね、腕の立つ奴よりも腕に自信のない奴のほうが優秀な人がずっと多いんだから』
皮肉や揶揄かと思ったがマイルズ教官は生徒にそういうことを言う男ではない。
だからそうなのかもしれないと思いつつも、心には納得できないもやもやが残った。
心に巣食った暗闇から抜け出す方法がわからない。ナシェカが居ればと思うけど同室の奴は随分と戻ってこない。休学中だし、結婚したとも聞いた。戦いに行くとか言ってた癖に結婚式を挙げたのはどういう理由なのかさっぱり理解できなかった。
ナシェカのいなくなった部屋は火が消えたように静かだ。マリアは長い夜を何も考えずに怠惰に過ごしている。
「へえ、随分としょぼ暮れているんだな!」
だから太陽のように明るく大きな声が響き渡って驚いた。
その男はまるで太陽のような男だ。逆立たせた波打つ亜麻色のウェーブヘアー。鍛え抜かれた強靭な肉体。高そうな革ジャン。かなりの美男子だ。
だが太陽に例えたのは彼から漲る超絶のオーラの波動のせいだ。
「心が折れたってわけだ。悪魔の強大さを体験して逆らう気も起きなくなるくらいしょぼ暮れているってわけだ」
この人は誰だろうと思いながらも「はい」と答えたのは、この男の圧力が圧すぎるからだろう。
「悪いがお前さんの使命がそれを許してはくれないんだぜ。ドルジアの聖女よ、悪魔の強大さに心が折れたというのなら悪魔の強さを凌駕して乗り越えるんだな!」
(何言ってるんだろうこの人?)
イマイチ心に響かなかったマリアであった。
太陽の男もそれはわかったらしい。正義の言葉が心に響かないのなら、それは心に正義の炎がないのだと考えている。
「今のお前さんの心に足りないものは正義の炎だ」
「正義ですか?」
何故か腹が立ってきた。
正しいことをやろうとして失敗した。あの地下深くの恐ろしい祭壇で大勢の学友を犠牲にして、それでも勝てなかった。倒したのはリリウスで、お前らの犠牲なんて必要なかったって突きつけられた。
正しさに、正義になんか何のちからもないのにこの男は……
「正義があれば悪魔にも勝てるっていうんですか?」
「勝てる」
断言された。圧が圧い。太陽のごとき圧力だ。
「じゃあ正義なのに負けたら正義じゃなかったっていうんですか?」
「正義ならば絶対に負けない」
圧い!
あまりの圧力にマリアも怯んでいる。
「じゃっ、じゃあ! ……あたしは正しくなかったから負けたんですか?」
「そうだ!」
清々しいまでにハッキリと断言された。
(そっか、そうだったんだ……)
断言されたことで今まで悩み続けてきた答えのない暗闇が吹き飛んでいった。正しくなかったから負けた。それだけのことだった。
反論ならできるはずだ。これは理屈なんかじゃない。でもマリアはこの答えで納得していた。ずっと求めていた答えをようやくもらえたと心に響いたからだ。
仮称太陽の男がマリアの隣に座り込み、何か変な機械のボタンをポチポチ押している。
「あの…何を?」
「マリアくんの心に正義を宿すために必要なことだ。まずはアバーライン・ファーストシーズンマラソンから始めよう」
「あばーらいん?」
どばん!とドアが蹴破られる。今度は何かと思ったらシスター服のルナココアがお菓子とジュースを抱えて入ってきた。
「ハイ、ポップコーンをご用意したわよ」
「気が利くじゃないかアバーライン・レディー!」
アバーライン・レディー!?
そして流れ出す特撮映像と熱い主題歌。マリアは何だか変なことに巻き込まれたなあって思いながらポップコーンをもしゃった。
罠に気づきながら誰にも忠告をせず一人だけ罠を回避したルキアーノ←