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最終章 『春のマリア』  作者: 松島 雄二郎
帝都決戦編 静かな死が灰被りの都を満たして
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プロジェクトX ~仕掛け人達~③ 僕の想いは

 豊国に来るのは二度目だが王の都アノンテンは初めてだ。

 まだ少年だった頃に感じた豊国は呼称通りの豊かな土地であり、港町の安酒場で出されたシチューの味わいがしばらく忘れられなかったほどに美味であった。


 あの時はただの寄港トランジットであった。長い船旅の間に存在する三日の寄港。ろくに土も踏まぬままにイルスローゼへと旅立った記憶がよぎり、ふと思ったのはあの時豊国の大地に足を踏み出していれば何かが変わっていたのかというものだ。


「何をお考えに?」

「いやな、つまらない物思いだよ奥さん」

「秘密の多い人ね」

「本当にくだらない物思いだよ。以前豊国に来た時はただの経由港でな、ほんの数日のことであったがあの時旅券を放り捨ててこの地を旅していれば奥さんとも出会えたのかとな」


「それはロマンチックね!」

「だがあの頃だと奥さんはまだ赤子だ」

「リリウス君じゃないんだから必ず落とさなくてもいいのよ?」

「嘘をつけば看破の才で露見するではないか。夫が正直者なのは喜ぶべきだよ?」

「とんだ正直者ね」


 イチャイチャしながら王宮へと徒歩で向かう。噂に聞く王の都とはどんなものかと興味があったからだ。

 だがここは古い都邑であり、目を見張るような壮麗な建物こそあれどローゼンパームのように優れた技術はない。むしろ技術的にはフォルノークよりも劣っている。


 真綿のように降り積もった積雪はフォルノークよりも深い。積雪の重みに耐えかねて崩れている建物もちらほらと見られる。


「ここ数年で益々雪害が増えたわ」

「気候ばかりはどうにもならん。剣で打ち倒そうにも空を斬るばかりだ」

「あら、雲くらい斬れるでしょ?」

「斬ってもすぐに戻るのではな……」


 二人は超戦士なので夫婦の会話もかなりキチっている。


 やがてユストコール大聖堂が見えてきた。この奥はもう王宮だ。先に馬車でこちらまで来ていたカーム子爵と大勢の聖職者が迎えに出ていて、王女の凱旋と名付けるべき見事な光景である。……そいつらが書類の束を抱えていなければだ。


 さすがのラストも腰が引けている。


「姫様、これが貴女のやらかしの結果です」

「さあ判子を。来年度予算が決まらなくて関係各所からは連日悲鳴と罵倒が聞こえてくる有り様なのです」

「嫁入りはけっこう! 婚約は我らも慶事と喜んでおりますが後任人事を済ませてからになさいませ!」

「これは要求です! 本日中に予算だけでも決めていただかねばなりません。やらぬ場合は我ら一同ストライキも辞さぬ覚悟です!」


「ってなるのを想像していたのよねえ」


 実際はそうではなかった。会う人会う人みんなニコニコで誰も怒らなかった。

 正直嘘泣きからの謝罪くらいはやるつもりだったから拍子抜けのようだ。


 王宮では客室を宛がわれ、謁見の準備が終わるまで待つようにと言われた。予告もせずに来訪した身としては妥当な扱いだ。

 待ち時間の間に数名の貴族がやってきて軽く世間話をした。顔見せが目的で、見せ札は商取引だ。またガーランドの人物像を探りに来た感じもある。

 友好的に済ませていたら謁見の準備が整ったと侍従がやってきた。


 案内されたのは仰々しい場ではなく王族が住むエリアにある場で、ここは王の個人的な生活の場であるようだ。


 グラーエイス王は頭髪にいくらか白髪が混じっているもののまだ若さがある。年齢こそ五十を越えているものの、そうは感じさせない精気を感じた。


(威圧はある、王と呼ぶにふさわしいほどの。風格もある、俺などよりよほどの修羅場を潜ってきたのであろう。だがこんなものか?)


 西方五大国の王を二人知っている。太陽王シュテルはまさしく王威を備えた傑物に見えた。一目見れば誰もがあれを王だと認識する風格があった。

 砂の君主もまた同様に世界最古の大国を治める君主に相応しい威風を放っていた。


 だが眼前のベイグラント王はそこまでの人物には見えない。はっきり言えば見劣りする。


(こんなものであろうか。国主の器を言い出せば我が国などけして表には出せぬ)


 内心のかなり失礼な人物評などおくびにも出さずに礼をする。

 今回は他国の公子として来ているので豊国の流儀に合わせた。これは貴国の立場を尊重するという意思表示だ。


「大ドルジア帝国にて伯爵位また皇帝陛下より帝国騎士団長を拝命するガーランド・バートランドと申す」

「ベイグラント王グラーエイスである。さあ座っておくれ、貴君とはずっと話をしたかったのだ」

「ではお言葉に甘えて」


 ラストを先に座らせてから着席する。王の背後には五人の英雄級騎士。入り口と控室にもかなりの人数が控えている。他にも室内で潜伏魔法を行使する者が六名。職業柄そういった部分に目がいくのはもう病気だなと苦笑してしまった。

 王もガーランドの視線の動きで理解したようだ。笑っている。


「正解、とでも言って差し上げればよろしいか」

「いえ、これはもはや自分の病気でありましょう。無粋なまねを致した」

「武人ならば当然の働きだな。娘もむかしからその類の癖が抜けなかった」


 王がとっておきの昔話を披露する口調で明かしたのは幼いラストが何もないところばかりを見つめていたというエピソードだ。それが王宮の警備をすり抜けてきた諜報員で、魔力腕でぷちっと潰してから誰の目にも見えるような死体になって出てきたという恐ろしい話なのだがここでは笑い話らしい。


「そんなことあったかしら?」

「あったよ。お前が覚えていないだけだ」

「幾つの頃の武勇伝ですかな?」

「さあて四つか五つか、どうであったか……」


 ラストさんには可愛い頃が存在しなかったようだ。幼い頃のあだ名は怪物王女だ。


 思い出話に花を咲かせ、酒も適度に進んでいく。

 やがて王が眼をすぼめた。懐かしそうに、だが眩しそうに細まる眼の先にいる若者たちへの慈愛に満ちている。


「この子に貴君のような立派な男が現れるとは考えもしなかった。性根はこれであるし、ひょっとしたらまだ本性を晒していないのかもしれないがワガママな娘だ。加えてディアンマもある。まともな感性の男ならまず妻に迎えようなどとは考えない」


 王が問う。これまでのすべてが前座だったのだ。


「ディアンマの加護については承知していると思うが貴君の見解を聞かせてもらえないか?」

「愛に狂うのだと申しますな」


 愛と嫉妬の女神ディアンマは愛する者をこそ殺す。

 愛を疑いて殺す。愛を欲して殺す。愛を囁きながら殺す。発作的に殺す。経験則は頼りにならず、ディアンマホルダーは男性がこうむる突発的な死因でしかない。


 過去いったいどれだけの男性が自分だけは大丈夫だとせせら笑い死んできたか。

 ディアンマには触れてはならない。そんな警句は誰もが聞き飽きたほどに染みわたっている。


「博識な弟分がおりましてな、そやつはアシェラ神殿とも懇意にしておりその最終回答を言うのです。本人にもどうにもならぬ殺害の本能と」

「左様。私もコパ先生よりそう伺っておる」

「またこのような助言もあった。ディアンマホルダーの保有する魔法力よりも強い魔法抵抗力があれば恐れるに足らずと」


 リリウスが聞いたら「俺そんなこと言ってない!」って慌てて弁明しそうな脳みそ筋肉理論である。

 これがどれほど無茶な脳筋かというとグラーエイス王が目を見開いて眼前の男の正気を疑うレベルだ。


「……貴君ならば可能だと?」

「この場で証明してもよろしい」


 男二人が見つめ合う。片や真摯な眼差しをし、片や正気を疑う眼差しをしている。それをハラハラ見守るラストの構図。

 やがてグラーエイスの眼に畏怖が宿った。この男マジじゃんっていう畏敬の念だ。


「……本気なのだな?」

「無論」


「見栄や希望的観測は?」

「そのようなものがあらば遠からず私の死亡が伝わるでしょうな。どうかご安心を、ご息女より先に死ぬつもりはありませぬ」


「アシェラよ! まさかこれほどの男が現れるとは!」


 王が立ち上がって叫んだ。そして脱帽する。これはトンデモナイ男が来やがったぜって態度だ。


「貴君とは何度も文を交わしてきたがやはりこうして会わねばわからぬ事もあるのだな。もはや一分の反論もなし。どうか娘をお頼みする」

「はい!」


 男二人が立ち上がって熱い握手を交わす。


「婚約の条件なのだが我が国に仕官してくれるね!?」

「仕官は難しいですな!」


 勢いで交渉をし始める男二人である。


「それは不可能ではないという意味だね。どのような障害があるか聞かせてもらえるかな? 交渉先を教えてくれたまえ!」

「交渉先は私本人でありますな」

「じゃあ率直にいこうじゃないか。我が国に来たまえ!」

「私にも祖国でやることがありましてな!」

「それはいかほどの期間で終わるのだろうね。早く終わらせるためなら我が国からの援助を受けてほしいね!」


 胡散臭い笑顔に満ちた交渉が延々と続いていく。

 娘との婚約を盾にスカウトを迫る王と婚約状態を守りながら断らなければいけない男の交渉は、あまり無理をして仲違いを起こすのは不味いという共通認識の下で行われるタフなネゴシエーションだ。


「お義父さんと呼んでくれていいのだよ」

「光栄ですな」

「お義父さんを助けてはくれんかね。我が国はガーランド君が如き大戦士を必要としているんだ」


 そんな二人をウフフと微笑みながら見守るラストさんであった。



◆◆◆◆◆◆



 ベイグラント王グラーエイスとの手強い交渉を切り抜けた二人は王の書斎に移動した。お互いに話し合いが平行線のまま終わらないと思い、返答を保留するように夕食の約束をして一旦おひらきにしたのだ。


「こちらの立場が弱いと踏んでか遠慮なく押してくるものだ。どう切り抜けたものやら……」

「適当な返事をしておいて国を離れてから手紙でやっぱり気が変わった、でいいと思うのよね」


「娘さんを貰う男としてそれはあまりにな。王とは良好な関係を保っておきたい」

「無理よ。あの目は見たでしょ、この男を逃がすなって目だったじゃない。交渉できるのは譲歩する気のある人間だけよ」


 呆れた様子だ。


「帰る場所を残しておこうなんて考えなくていいのよ?」

「備えは必要だ」

「侵略戦争をよいとは思いません。しかし座して死に絶えるを選べとも言えるわけがない。うちも年々増していく冷気に苦しんでいる土地だから気持ちはわかるの」


「豊国が行っている貨幣純度の切り下げはやはり対外戦争の準備だったか、と聞いてもいいのだろうか?」

「どこを狙うかはイルスローゼと交渉中だけどね。候補としてはフェニキア以西のダージェイル大陸北岸が最重要ターゲットなんだけど狙うと間違いなく砂とこじれるの。穏当なところの第二はハルトマン半島なんだけど……先のフェスタ戦役でだいぶ消耗しちゃってね、うちは国外に植民地をほとんど持っていない関係から海軍が貧弱だししばらくは動けないわ」


「となるとイルスローゼもハルトマン半島を?」

「狙っている、というよりも緩衝地帯としてあのまま置いておきたいらしいの。そこをうちが管理する形にしたいので交渉中なの」


 二つの王国と三つの自治都市が治める土地を太陽と豊国が勝手気ままな理屈で好きにしているのだ。まったく不健康な政治だなと笑ってしまうには、ガーランドもラストも政治の沼に浸かりすぎている。

 大国の権力者にとって小さな半島の支配者が何者かなどどうでもよくて、そこをどのように使うかだけが関心事である。


「イルスローゼの立場からすれば豊国と国境を接するのは将来的な脅威になりかねない。大した情報もない俺の考えでは交渉は不成立に終わると見るがどうなのだ?」

「同盟国であるうちが管理して東側諸国の脅威を抑える利点を説いてはいるけど、もう十五年近く交渉していて進展がないのはたしかね」

「のらりくらりとかわして豊国との関係を維持しつつ、将来的な脅威を生む可能性を考慮しても呑みたくなる提案待ちか」


「旦那さんならどんな提案なら呑みたくなる?」

「イルスローゼとは表向きは関係のない独立都市の形で港町を一つ貰うね。都市長には魔導官を配備し、傭兵契約の形で駐留軍を置かせてもらう。ついでに全体からの税収の二割をいただきたい」


「それはもう属国よ」

「しかし奥さん、足元を見られている立場ならこのくらいは必要だよ。豊国にこの問題をイルスローゼと争わない形で解決するつもりがあるのならやるべきだ」


「先代のルーデット公爵さまにも同じ質問をしたけど強気で交渉を継続するように言われたのよね」

「彼の大人物がそう忠告したのならその本心は問題解決ではなく泥沼の交渉継続なのではないかな。フェスタが弱っているところで豊国に勢いづかれては困るからね」


「本心からお仕えになられているとは考えていなかったけどねえ」

「ルーデット卿の職務はベイグラント大陸の海上防衛線の守護なのだろう? そちらさえやれば他は酒の席の戯言程度に考えておられるのだろう」

「ありそうね」

「あると思うね。俺や奥さんなどでは手も足も出ないような大英雄だ、飼いならせるわけがない」

「お会いになられたことが?」


「ガキの頃に仕掛けてみたことがある。一蹴されたよ。アルトリウス・ルーデット、いざ尋常に勝負!と剣を手に挑んだ小僧の結末はさてどうであったか。まるで敵う感触もないので海に飛び込んで逃げたのだったか」

「無茶をするわねえ」

「英雄願望のあるガキからの挑戦などよくあるのさ。終始笑っておられたよ」


 思い出の中の大英雄は終始機嫌が良さそうに微笑んでいた。英雄を夢見る若者の挑戦を面白いと感じ、ガーランドもまた胸を借りるつもりで挑んだ。

 大勢の水兵どもに囲まれ、囃し立てられる中での決闘は思い返せば最初から気持ちで負けていた。あの頃の無謀なガキは世界一の大英雄とはいったいどんな男なのか知りたかっただけだったのだ。


 書庫に移動してから地道にやっていた手紙の確認がそろそろ終わる。

 この数か月ガーランドと豊国王グラーエイスが交わした手紙の確認だ。ついでに言えばだ、この手紙はガーランド自身にはまったく身に覚えがない。


「騙りにしてはよくできている。筆跡は俺のものだ」


 よくできた偽の手紙。そう判断するような男では国家の諜報員の長など務まるわけがなかった。


「面白いことにこの手紙を書いたやつは帝国と豊国の関係を穏当にしたかったようだな。真心のこもった丁寧な内容だ」

「何が目的かしら?」

「案外本当に諍いを避けたいがために出したのかもしれんな」


 ガーランドの名を騙った偽物はどうやら帝国と豊国の関係悪化を望んでいないらしい。名義でたくさんの贈り物をし、殊勝にも聖アルテナ教会の布教を請い願い出て、私費で境界を用意するとまで申し出ている。


「この手紙を読む限りではガーランド・バートランドとは大した好青年であるようだな。俺もこんな部下なら欲しいぞ」

「それは大した偽物さんね。わたくしもそんな旦那さんが欲しいと言えば面白い?」

「勘弁してくれ」


 軽く笑い合い、今回の豊国訪問のきっかけとなった手紙を見つめ直す。

 さてこの手紙の真贋はいかに?


 答えは王と共にする夕食の時にもたらされた。王からの手紙を確認してもらうだけでよいのだ。


「……たしかに私の筆跡に似ている。これは何者が持ち込んだ?」

「エサク卿ですわ」


 ラストが答えた名は王の近衛騎士の一人で、ラストも古くから知っている中年の騎士だ。ラストは彼から手渡された。

 今も王の背後に控える渋めの騎士はラストの応答に戸惑いを見せている。


「ありえぬ。エサクならこの数か月私の傍を離れておらぬ。ドルジアに寄こしたことなどない」

「はい、わたくしも姫殿下のお目にかかるのは随分と久しぶりにございます」

「では何者がわたくしたちと一緒にアノンテンまで帰ってきたというのかしら?」


 手紙を届けてくれたエサク卿はラストたちの乗る飛空艇に同乗してアノンテンまで帰ってきた。

 先ぶれとして飛空艇を降り、王宮に到着を告げにいったのだ。


 偽物なんてレベルの話ではない。何日も一緒にいて気づけない僅かな違和感さえもなかったから、いまラストはこんな顔をしているのだ。

 こんなまねができそうな連中には心当たりがあるが……


「ねえ旦那さん、何が目的かしら?」

「さて、何が目的であろうな。案外俺と姫を帝都から引き離したかった程度の目論見かもしれないね」

「目星はついているのだな?」


 王が問い、ガーランドを知る者からすれば目を見開いて驚くほどの誠実さで答える。


「一昨年ほど前に貴国に仕掛けてきたフェスタの裏にいた連中であると」

「ガレリアか。太陽からも警句を受けていたがハイルバニアにまで手を伸ばしているとはな」


 王の戸惑いは一瞬だけで、やはりこの方は王なのだと感じるほどの怒気を放ち始めた。


「どうするね?」


 その問いは助力を求めろという雰囲気ではあった。


「仕掛けてきたのなら潰すまで」

「可愛げのない男だな」

「戦う前から泣きついてくるのでは姫をお任せくださらぬかと」


 見つめ合いの後に王が唇を歪める。


「ガーランド殿を気に入ったのは本心だ。逃げ時は見誤るなよ」

「胸にしかと留めておきましょう」


 王のフロアから飛び出して飛空艇に向かう。出発の準備は進めてある。もしもの時は緊急離陸で逃げ出すつもりだったからだ。

 歩きながら空港の職員に尋ねる。


「フォルノークまで飛べる?」

「最悪その日のうちにとんぼ帰りをするとのご命令でしたので準備は完了しております」


 命令が行き届いている出来た職員どもだ。


「では緊急離陸で。フォルノークまで向かってちょうだい」


 地に縛り付けるロープが断ち切られていき、飛空艇が浮上していく。回転するプロペラが生み出した推進力が飛空艇を東へと進める。


 夜を駆ける飛空艇。そして夜明け頃、ガーランドはどうにも休む気になれず船室から起き上がり、ブリッジに向かうと船員はまだ働いていた。


 操舵クルーは二つの班の交代制なのでどこかのタイミングで交代したのだろう。


「お休みになれませんでしたか?」

「まあな」

「姫様も同じご様子で、先ほどからあちらに」


 艦橋の一番前には毛布をかぶったラストが空を睨んでいる。夜中に起きてからずっとこのままだ。

 気が昂って眠れない。そんな様子だ。


 じぃっと空を睨んでいたラストが口を開く。


「ねえ、どうしてストラが後ろから昇ってくるの?」


 飛空艇は真っすぐに東に向かっていた。多少の差を鑑みても太陽の位置は北東方向のはずだ。


「大圏航路での飛行ですので地図で見たとおりではありませんよ。……なんて程度の誤差ではありませんが」


 職員どもの姿が変化していく。人種も性別も衣類さえも変化して見目麗しい少女たちへと変わっていく。

 彼女たちのリーダーらしき、ボーイッシュな執事ふうの少女が優雅に礼をする。


「改めてご挨拶を。貴方がたの排除を命じられました9055特殊作戦班のラライヤと申します」

「雑兵ふぜいに任せられたか。悪い気はしないな」


 敵は弱いほうが楽とか考えてそうな男である。


「まさか。教主イザールは貴方がたを警戒しておりますよ、だから僕らに自爆攻撃をお命じになられたのです」

「……」


 舌打ちが出てきた。ここはいずことも知れぬ洋上で、飛空艇はガーランドとラストの肉体よりも遥かに脆いのだ。


「衛星兵器バスターフォールなどと言ったところで何のことだかおわかりにならないと思いますがね、我らガレリアの保有する兵器がこの直上四万メートルに待機しているのですよ。照射範囲はそう広いわけではありませんが連射可能です。エルダードラゴンでさえ為す術もなく蹂躙できますよ。この飛空艇からの逃亡を推奨します」


 ラライヤは薄笑みを浮かべながら逃げろという。

 だが包囲は完璧に機能し、ユノ・ザリッガーを装備した子供のアサシンどもが無機質な殺意を放つ。


 飛空艇の周囲を大型の機械巨人が囲んで飛んでいる。放たれるエフェクト付きの光の波動は強度干渉結界に他ならない。大型ビームライフルの銃口が不吉なうなりごえをあげている。


「逃げられるものならお逃げなさい。貴方がたにはもうそれしかない」

「自爆攻撃とはひどい飼い主だな。寝返るなら相応の待遇と金品で応じるぞ?」

「ご心配には及びませんよ。僕らは不死なのです、この身を失ったところでホームで元通り。貴方がたとは違うのですよ」


 涼しげに微笑むラライヤへとラストの憤激の魔力腕が迫る。だが殺人ナイフは干渉結界による減衰を受けた脆弱な魔力腕を容易く切り裂き、軽やかにかわされた。


「ブリッジクルーをどこにやったの?」

「デスの身許へと送ってやりましたよ。彼らが寂しがらないように貴方がたもすぐに送って差し上げましょう」

「悪魔め!」


「此度の奉仕を命じられた殺人教団ガレリアが猟兵ラライヤにございます。我らが奉ずる殺害の王アルザインへの奉仕を開始させていただきます」

「悪魔め、あなたたちだけは絶対に許さない!」


 ラストの咆哮が開戦の火蓋を切って落とした。


 剣戟が交差し、肉が切り開かれる音が響き、最後に天空から光の柱が降ってきた。炎上する飛空艇がウェルゲートを目指して墜落していく。まるで堕ちる太陽のように。



◆◆◆◆◆◆



 炎上する飛空艇の残骸が凍りついた海から煙を放っている。

 上空を旋回する騎竜の背に立つラライヤは半分壊れた肉体のまま、戦場だった飛空艇の残骸と無数の機械巨人の残骸を見おろしている。


「損害は?」

「生存はわたしたち二名だけ。言わなくてもわかるでしょ……」

「事前の調査が不十分だったわけだ。真の姿を隠していたか、忌々しい……」


 凍りついた海の中心にそれが鎮座している。無数の氷柱が牙のようにそそり立つ氷海の中心で沈黙する氷柱竜の姿は報告にあったバルバネスのものに酷似している。

 軌道衛星軍の支援砲撃があったとはいえよくも勝てたものだと今更ながらに寒気がする。機械巨人を20機。歩兵が32名。完勝の設定で持ち込んだ戦力を使い切ってようやく殺せた怪物だ。


「やはりドルジア皇室だけはイレギュラーですね。他にどんな怪物が潜んでいるやら」


 真竜は兵科の一つでしかないが聖地の真竜はもはやパカ正規軍の真竜とは異なる怪物へと変貌を遂げている。

 太陽竜ストラというイレギュラーが聖地の真竜をおかしくて歪で、だが恐ろしい怪物へと変化させた。ドルジア皇室はそれらの血を継ぐ一族だ。


「死体の回収を要請してください」

「もうやってる。シェナ姉が後始末は任せて帰還しろって」

「ありがたい。そろそろ活動限界でしたので」


 ラライヤの腕がボロリと落ち、傷口から肉体の破片が落ちていき風にさらわれる。

 後数分でこの肉体を失う。そんな状態だ。だがそんな状態なのにラライヤは笑っている。加虐心に満ちた微笑みだ。


「ようやく直轄諜報部隊ルーリーズに工作員を送り込む準備が整った。ナシェカ、あの裏切り者はどんな顔をするだろうね?」


 コード・ベティと名付けられたアップデートパッチを施され、愛を知ったガレリアの娘たちに芽生えた感情は愛だけではない。


 愛は一つの感情が起こした奇跡ではない。複数の異なる感情が交じり合い生まれる奇跡であり、優しさと思慕を得ると同時に怒りも憎しみも知った。

 ラライヤはこの想いの意味を知らなかった。だが愛が奇跡を起こしてこの想いに相応しい名前を知った。


「恥知らずの脱走兵め、お前だけはこの手で殺してやる」


 ラライヤはこの愛を憎悪と名付けた。

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