火を喰らう竜③ 王の目覚め
迷宮に干渉する術者を感知したオーギュスト=ライは遠見の魔眼を放ち、術者を視認した。子犬の姿をした怪物の姿を視認した瞬間に彼は我さえも気づかぬうちに悲鳴を挙げていた。
突如眼球から発した呪いの痛みは熱くて例えようもないほどに冷たい。攻撃を受けたと理解したのは自らの眼球から茨が生えてきた後で、次の瞬間には増殖する茨がオーギュストの全身を這い回っていった。
脳を蹂躙し頭蓋骨を食い破って現れた無数の茨がより集まってサーペントの形を成す。
「リューエ…」
冷気が膨れ上がる。溶岩湖の祭壇に満ちる焦熱と冷気が相克を起こして水蒸気が広がっていく。
オーギュストは肉体を破壊された。だが生に踏みとどまった。迷宮からもたらされる無限の魔法力は彼の魂魄を精霊と呼べるほどの領域まで高めていたのだ。
だが彼のアストラルボディは未だ凍結の茨の虜。リューエルに絡みつかれて命を吸い上げられるだけの哀れな虜囚。
彼の霊的な視覚の中で大瀑布のごとき魔法力を放ち続ける子犬のなんと美しいことか。
彼の霊的な視覚の中で子犬に重なって視える銀氷の輝きを纏う装甲竜のなんと美しきことか。
美醜など闘争において何の意味もなさない。だがオーギュストは何の意味もない知りながら思い知った。こんなものに勝てるわけがないと。
(これは勝てぬ。生命としての完成度が…次元がちがう……)
子犬に見惚れたその刹那こそが致命となった。
子犬の傍にいた女剣士の接近に気づけず、その一撃を許してしまった。これが致命であった。
「お前か、お前がみんなを!」
超電磁加速で振り下ろされた斬撃がオーギュストを真っ二つに割る。
彼は霊体であり本来ならば物理攻撃は意味為さない。だがマリアの使用兵装はアロンダイク合金製のディノ・ファンデールEXE。対霊的存在を打倒するために造られた兵器だ。
魔法文明パカは遥かな古代からデス神のもたらす負の恩寵と戦ってきた。
パカの戦争の歴史はデス神との歴史であり、まったくの皮肉なことに異界の神々の侵略に抗えた理由もこれだ。
いにしえの斬撃がオーギュストを縦に割る。一度で足りぬと見れば連撃が繰り出される。刃の嵐とばかりに襲いかかるブレードラッシュに対応はできない。呪いの茨に絡みつかれた彼に打てる手などなかった。
『これが私の最後か……? 大魔導たる私の最後がこのような小娘の手に……』
「あんたが何者だろうが斬られれば死ぬの。当たり前じゃない!」
『当たり前か……そうだな、当たり前のことだ。私はまた当たり前に敗れたのだな……』
長き時を貪ってきた迷宮の主が燃え落ちるように崩れ落ちていく。火の竜神に仕える者の末路としては冗談味がすぎる。
弱者など要らないと切り捨てられたように見えたから、事実そうでないにせよマリアの中に嫌な後味として残った。
「よし、後はでっかいサラマンダーだけ!」
って言って振り返った瞬間だ。それまでかなりの遠方で大暴れしていたでかいトカゲでピョーンと飛び上がり、大口を開いて何かをパクンと食べちゃった。
たぶん今あの光景を目撃したみんなはこう思っている。
(今なにを食べた?)
あれほど熱心にトカゲを殴っていたリリウスの姿が見当たらない。打撃音も聞こえてこない。完全な静寂が訪れている。
「あの馬鹿」
すべての人を代弁するようにレリアが頭痛のする額を押さえながら罵倒する。
「食われやがった……」
「あ、やっぱり……」
リリウスが食われた。
◇◇◇◇◇◇
それは必然であった。起こるべくして起きた事態であり、事実として一眼泥平との闘争は有利不利で言えば有利であったが、それはリリウス・マクローエンが崩れないという前提でしかなかった。
巨大サラマンダーの眼前をうるさく跳び回り、その怒りを一身に集めていたリリウスバリヤーを失った瞬間に戦線が崩壊した。
一眼泥平の灼眼が瞬き、大地を炎が覆っていく。
灼眼から逃れることはできない。一度でも目視された者はその視界から外れようと内側から発生する炎に焼かれていく。
最初はどれだけの人がいたのだったか。今はもう二十を数える程度しか残っていない。みんな炎の中に消えていった。
まだ生きている者は子犬の張った凍結のフィールドにいる者だけだ。咳がひどく、こちらにいるだけでも死にそうだ。
「これ死んだらジョンのせいだね」
「まったくだ。焼け死ぬのと凍え死ぬのを選ばされているようにしか思えん」
「くぅ~ん」
ジョンが困ったふうに鳴いた。ニンゲンさんはひ弱すぎて困っちゃうよって感じだ。
マリアとレリアもこいつがもっと邪悪な姿だったら怒れたのにって思っているのである。
「加減ができないわけでもないでしょうに。まったくこれだから真竜は……」
どこかで行っていたルナココアが戻ってきた。肩に担いだアーサーは装備のほとんどが焼失している。死んでいる。そんなふうに見える。
「アーサー君が死んでる」
「生きてるよ。君にとっては残念なことかもしれないけどね」
マリアが安堵に表情を緩める。
「こんな時まで憎まれ口を叩けるんだね」
「素直さとは縁遠くてね」
「本当に昔っから可愛くない子なのよねぇ」
「そうなんだ。でも本当によかった……」
生きているのを確かめるように彼のほっぺに手を添えたマリアだが、自分が何をしでかしているか途中で気づいてパッと離れる。
紅潮しているのが自分でもわかるくらいほっぺたが熱くなっている。
「あら、やってもよかったのよ。姉の権限で許します、公認です」
「いやいや、そんなんじゃなくて……」
「いま僕は勝手に売られて勝手にフラレたのか……?」
「いや! 別に振ってなんていないし!」
照れたり慌てたりと忙しいマリアが話題を替えるために叫ぶ。
「そっ、そういえばクロード会長は!?」
「……どこかに隠しているふうに見えるか? クロードならあのどこかにいるよ」
「どこかって……」
アーサーで顎で示したのは炎の湖だ。比喩でも何でもなく溶岩の湖そのもので、クロードの姿を探そうとするマリアへと、アーサーが目を伏せた。
「割れた地面ごと落ちていった。僕が見たのはそこまでだ」
「生きてる…よね」
「さあね。ただあれもこれもハッキリした世の中なんてごめんだね。今はわからない、それでいいじゃないか」
答えを求めるようにルナココアへと振り返る。彼女は言った。今回のタイムスケジュールはクロードのちからを目覚めさせることだと。
「条件は満たしているわ。神気に満ちた溶岩湖への滑落なら望みはある」
「望みなんてそんな確度の話なんですか?」
「わたくしの仕える神は全知全能ではあるけれど酔狂なの。時の大神はすべてを思う通りにできるはずなのに揺らぎを欲しているわ。彼にさえも見えない未来こそが彼の望みなの」
ルナココアが白き剣を手に凍結のフィールドを出ていこうとする。
いま前線を支えているのはジョンの使役する凍結の茨リューエルとセリードの影の軍勢だ。生身の人間では近づくことさえできない。神とはそのような敵だ。それは間近で戦ってきたアーサーも肌身に感じている。
火を喰らう竜は火のアルチザン家の保有する耐性さえも貫く。それでこの様だ。
「ココア姉さん、やめた方がいい」
「誰かが時間を稼がなきゃいけないの。リリウス・マクローエンの代わりはわたくしにしかできないから」
だがルナココアを止める者がいる。レリアだ。
「少し待て、そろそろ浸透が終わる」
「期待してもいいのかしら?」
「無論だ」
レリアの手のひらに開いた口が高速詠唱言語で何か唱えている。だが馴染みのない高速言語だ。異界の言葉のように聞き馴染みがなく、呪文にしても奇怪な響きをする奇妙な言語だ。
「これは?」
「古代アーランドラインの神話語りよ。遥かな古代、魔法文明全盛の時代、欲深きヒトは大地に満ちるのみで良しとせず、空を往く船を駆り、地海空を支配した。だが天空の覇者たる雷竜アドロンはヒトの思い上がりを許さぬと戦いを挑んだ。空を埋め尽くすほどの大艦隊にはさしものアドロンも敵わぬ様子、幾数百の飛行艇を落したところでアドロンは雲海に沈んだ。戦いの後、アドロンの死骸が探されたが見つからなかった。そしてしばらくの後、雲海と往く飛行艇が次々と沈む事故が起きるようになった。人々は死せるアドロンの妄執が仕業と噂さる。さすがはアドロン、死してなお死なぬ恐るべき好敵手。……くだらぬ神話ではあるが法術とはかくあるものだ。分かるか?」
「神話級魔法という意味なら」
「ならば分かっておらぬよ。古き言い伝えには力が宿るのだ。愚昧なる信徒が唱える赦し在れが魔を払うように、広く知られた言葉には強大な力が宿るのだ。そしてこれは召喚魔法、神話の獣を降臨させる神話の再現であるのだ」
ここにアルフォンスとボランがやってきた。
いつの間にかいなかった連中が何だかでっかい宝石のような物とツルハシを掲げているぞ。
「レリア様! お待たせしました!」
「うむ、成果は?」
「これこの通り。締めたての新鮮な迷宮コアです!」
いつの間にかいなくなっていたと思ったら迷宮のコアを採掘しに行っていたらしい。
聖銀のツルハシで砕いたコアの欠片は欠片と言っても人間ほどに大きいが、これにレリアが手をやる。エナジードレインのようだ。
「うむ、そそるほどに活きの魔法力だ。今回は二割ほど使い完全召喚を行う」
「ケチケチしないで全部使いなさいな」
「それは我らの収穫を補填する用意があると取るがよいか?」
ココアがため息。
「お好きになさい。年経た魔女に口論で勝てるだなんて思ってもいないわよ」
「よろしい。恐怖から生み出されし災厄の魔をさあ呼び出すぞ、恐れよ! 泣き喚け、畏怖を糧として雷竜が蘇る!」
―――遥かな古代、アーランドラインの時代
欲深き雷竜アドロンは空にヒトが満つるを許さなかった
我こそは空の王なり、空が我だけの宝
しかして空を焼きつくす大戦に敗れたアドロンは雷雲に願う
憎い、ヒトが憎いと
我が身、我が魂を喰らいて、渇望を聞き届けよ
雷竜の妄執はハウランの導きを得て異形の果実をつける
我が名はいかづち
永遠の時を駆け抜けあの者どもを喰らい続けるいかづちなり―――
「≪アドロン・フォール≫」
暗雲が生まれる。この暗雲こそが竜の住処。この暗雲こそが雷竜の正体。悪意持つサンダークラウドこそが憎悪から生まれし神話の獣。雷竜は暗雲と共に現れる!
サラマンダーと蛇の喧嘩に雷雲が混ざる。肉体を食い破り魔法力をすする凍結の茨と、茨を焼く炎のトカゲのバトルバランスが壊れていく。
「つよっ!」
「ふふん、自然科学の観点からもカミナリと氷は相性がよいのだよ」
「これは頼もしきご助力。魔女皇様のご手腕に曇りなしとお見受けする」
「アルチザン家の者は一々気に食わない言いざまをせねば気が済まないのか?」
「まさか。偽りなき感嘆でしてよ―――神器解放、オーヴァドライヴ」
言い捨て置き、ルナココアが加速する。いやその動きは速さと呼べるものではなかった。消えて現れる、そういう動きで一眼泥平の眼球を切り裂く。
またこれも斬撃と呼べるものではなかった。切り裂いた部分が消しゴムで消したように消えてしまった。
絶叫をあげる一眼泥平の全身から炎が溢れ出す。瞬時に炙られたルナココアが炎に包まれる。藪を突いてトカゲを怒らせたような光景だ。
しかしジョンはこれを弱ったと捉えたらしく凍結のフィールドを広げる。灼熱の大地は凍結に抗うこともできずに瞬時に冷える。溶岩は冷え固まり、痛みを感じるほどの熱気は失せ、ここはもはや溶岩湖の祭壇ではない。
すでに迷宮のコアの管理から離れたフリーの領域。なれば領域管理に長けた術者の手に落ちるは必定。
ジョンが狼のごとく一声の遠吠えを放ち、音を媒介に冷気を広げ切った。完全に場を掌握した。
よってここは終末竜の領域。何者の生存も許さぬ凍土へと成り果てた。生き残ってるみんなはこれはこれで死ぬなあ!って思ってる!
レリアが叫ぶ!
「好機到来! 火勢の弱った今をおいて討伐の隙はない。突撃せよ!」
しぶとく生き延びているプリス卿も叫ぶ。
「仕留めろ! 散っていった戦友のためにも奴を討てぇええ!」
「ちっくしょおお! 全部隊長のせいだぁあ!」
「隊長、軍法会議で会いましょう!」
「クビになればいいのに」
「全力で絞首刑を推してやるぅうう!」
「その意気だ、その元気で仕留めろ!」
騎士団は元気だ。必ず生還してプリス卿を軍法会議に掛ける気概に溢れている。
元気と言えばマリアもだ。不思議なくらいちからが高まっているので、自分でも戸惑っている。
「胸が冷たい。でもちからが溢れてくる」
戸惑い。だが自分を見つめる眼を知った。
ジョンがこっちを見ている。輝く青の瞳を切なそうに潜ませてものっそい見てくる。
「ジョン、あたしにちからを貸してくれるの?」
「きゅーん」
相変わらず何言ってんだかわからない。つか犬が何か言うわけがねえ。
しかしどうやら、きちんと懐かれているらしいってのはわかった。
「へへっ、雨の日に部屋にあげてあげた甲斐はあったね!」
「きゃんきゃん!」
抗議のように鳴き始めたジョンはさておき、一眼泥平をストーングレイブで大地に縫い留めているレリアが術の保持に苦戦しながら言ってくる。
「長くは保たん。殺れるか?」
「やります。クロード会長の仇を取らないと」
「クソがあああああ!」
冷えて固まった溶岩湖からクロードが飛び出してきた。ガチギレしている。
普段の涼やかな笑顔からは想像もできないほどヤンキーな顔で「クソが」って叫んでいる。格好も特攻服だ。
「会長!?」
「クロードか!」
「許さん、許さん! よくもファリスをぉぉおおお!」
「先輩、ファリス先輩なら生きてますって!」
ファリスはジョンの尻尾まくらで眠っている。みんなの治療で疲れたのだ。
しかし何も聞いてねえクロードが黄金の闘気を纏い、でかいサラマンダーに斬りかかる。
「トカゲがあああ! 俺を誰だと思ってやがる、ざけんじゃねえぞオラァ! 死ね、死ね、死ね、死ねやボケコラァ! ドタマかち割ったらあ!」
首をこてりと倒すマリアは言葉もない。
「あれ本当にクロード会長?」
「ああ、お前の大好きなクロードだよ。あれが本性だ」
「ええぇぇぇ……」
あれが魔神の血に目覚めるってことなんだろうか? だったら元の会長を返してほしいと切に願うマリアであった。ああいう気合い入りすぎてる系の男は学院に求めない。地元にたくさんいる。リリウスよりもワイルドな奴は守備範囲外だ。なんなら奴も守備範囲の外だ。
呆然としていたマリアが我に返る。
「あたしも行きます!」
「よし、いってこい!」
神の恐ろしさは十分に分かった。でも負けるつもりだけはない。
勝てないかもしれないけど負けるつもりだけはない。……という意地でしかなかったはずなのに、今なら不思議と勝てる気がする。
(ジョンから貰ったちからがみんなに流れていく。みんなのちからが返ってきてより強く巡っていく。すごい! これなら負けっこない!)
これは偶然でしかなかったはずだ。
神という名の絶望に触れて、聖銀竜という大きなちからに触れて、みんなを守りたいと願った。大きな絶望を覆すためにちからを願い、だから……
偶然のはずなのに、予め分かっているはずなんてないはずなのに……
まるで予定調和のごとく、彼女の意思など関係ないと言わんがごとく、マリアの中で王のちからが覚醒を始めた。
物語を織り紡ぐつもりでいる傲慢な邪悪の高笑いと共に、王が王の道を歩み往く。