おやすみの日①
「イイねえ……。最高にイイ女だ、惚れたぜ」
「へ……?」
ロザリアは本日はおやすみと宣言された後に重い疲労を癒すようにベッドに横になり、ほんの数時間足らずの睡眠で目覚め、起き上がった体勢のままベッドの上で時間を無為に費やしている。
彼女はあのセリフと表情の意味をずっと考えている。惚れたぜっていうでかいワードもあるが、一番気になったのはあの表情だ。
犬歯を剝き出しにして獰猛に笑うリリウスの横顔はまるで食欲に目覚めた肉食獣のようだった。全力でもって仕留めねばならない強い敵を見つめるケモノの目つきだった。……あんな顔は見たことがない。
リリウスには色々な顔がある。一人の人間とはここまで複雑なのかと自らの無知や無理解をあざわらうかのように様々に変化する彼の顔の中でも、あんなに凶暴で陶酔しきったものは初めて見る。
「あれって何だったのかしら……」
考えても考えてもわからない。頭がしゃっきりしない。思った以上に疲労を抱え込んでいるらしい。
洗顔でもすれば目が覚めるだろうか、と考えてサウナ付きの浴室に向かった。
レギンビーク迷宮騎士団の寄宿舎の設備利用は厳格に定められたルールの下で運用される。サウナ一つとっても時間外の利用は許されない。
ただ洗顔や飲水が目的での浄水の使用は許可されている。まぁ時間が時間なので利用者はほとんどいなかった。いなかったが数名くらいは先客がいて、その一人がアルフォンス先輩だ。
桶から水を被っている先輩が気づいた。
「午睡後の洗顔ですか?」
「よくおわかりになるわね」
「ええ、私もつい先ほどまで夢の中におりましたので」
先輩が美貌を微笑みに変えてキラリ。
(アルフォンス先輩の口から出ると何気ない睡眠が別の意味に聞こえるわね……)
ただの二度寝なのか女性と寝所を共にしていたのかは不明だ。追及するつもりもない。
洗顔を終えて向かったのは練兵場だ。ここには少なからず生徒の姿がある。連日での迷宮探索は危険だと同行する騎士から助言を受けておやすみにした班も幾つかはあるのだろう。
トレーラーのところではリリウスとナシェカが何やらやっている。膝を突き合わせて座り込み、存在しないピアノを弾くような手つきで何かをしながら、たまに悲鳴をあげている。
「どわー! うまくいかねー!」
「何をしているの?」
「お嬢様、おはようございます」
「はい、ごきげんよう」
なんでみんな寝起きってわかるのかしら?って不思議に思っているロザリアには寝癖がついているのだ。
「それで何をしているの?」
「解析した迷宮言語を組み合わせて迷宮内魔法を作ろうとしているんですよ」
「ナニソレ?」
「グラッツェン大迷宮のみで行使可能な特殊魔法です。迷宮から供給される魔法力を流用して……」
ナシェカが途中で口を挟む。
「リリウス、それだとワカンナイよ」
「だよなあ。何かに例えた方がいいか、何がいいと思う?」
「魔導師の工房でいいよ。簡単に言うとですね、迷宮内はダンジョンコアという大魔導師の工房なんですよ。内部にはダンジョンコアの魔法力で満ちていて通常私達はこの魔法力を使うことはできません」
「そうね。……もしかしてダンジョンコアの魔法力を使えるって話?」
「……ねえ、ロザリア様の察するちから何なん?」
「お嬢様は本質を言い当ててしまうんだよ」
「もしかして私余計なこと言ったかなあ」
「そんなことはないさ。お嬢様は本質を言い当てるのはうまくても無から解にたどり着けるほど頭がよくない。ただ人の言葉と意図から答えを先読みできるだけだ」
「なるほど」
何だか仲が良さそうだ。つい昨夜に殺し合った仲だとは思えない息の合い方だ。
何だかムカっとしてしまう。……この感情の意味はわからない。
「なるほどじゃないわよ。何よ頭がよくないって」
「そこまではよくないという意味です」
「他に表現はなかったの?」
「こわー、荒ぶっておられる。ロザリア様、この痴れ者を捕まえておきますので早く天誅を!」
「おーおー、秒で裏切りやがったな!」
「ごめんねー、ナシェカちゃんは権力には弱いの」
「くそっ、なんて女だ!」
本当に仲がいいなこいつら。
しばらく作業を観察していたが本当に何をやっているのかわからなかったので、ロザリアはこの場を立ち去った。
何をやってるかもわからない。何をしゃべってるかもわからない。あれほど激しく殺し合った直後に「惚れたぜ」とか「イイ女だ」とか理解できない。
わからない。ロザリアにはわからないのだ。
◇◇◇◇◇◇
トレーラーを離れてすぐに直通の坂からマリアとライザが探索から戻ってきた。この二人は迷宮の疲れナニソレ? 空いた時間でモンスターを狩って遊ぼう!っていう狂戦士系女子だ。
谷底を舞台にライバルに背中を預けてのエンドレスバトルを四時間やってきた女子二人から立ち上るオーラは勇壮なものだ。何なら主人公感がある。顔つきもどことなく凛々しいぞ。
「あっ、ロザリア様~!」
「うっ、マリアさん……」
ロザリアに気づくとマリアが駆け寄ってきた。対してロザリアは怯み気味だ。
どこがどうという理由はないがロザリアはマリアが苦手だ。物怖じせずにグイグイ距離を詰めてくる相手が苦手だ。少しずつ仲良くなっていきたい派の人間にとってマリアは間合いが計りにくい相手なのだ。……普段なら袖にしてやる、お付き合いするべきではない相手だけどリリウスが重要視しているのでできないという事情もある。
ラタトナリゾートではリリウスから妙に真剣な顔つきで厳命された。
『マリアとは仲良くしておいてください。何が何でも親愛を得ておいてください。変に刺激的なマネはしないでください。友好と親愛をもって接してください。本気でお願いします』
『な…なんでそこまで?』
『何が何でもです』
何の根拠もないのに態度だけは真剣で、これは無視すると不味いんだなとは思った。
彼には未来予知の異能がある。兄からはそう聞いていたし、接していてそう感じることも多い。彼は現在を重要視していない。その眼差しは遥かな未来と結果を見ている。
きっとその未来では自分の心はリリウスから離れ、彼もまた何の未練もなく潔く去っていくのだ。……変なことを考えてしまいそうになった心を停止する。こんなところで泣き出してしまうわけにはいかないから。
ロザリアはとりあえず彼の言いつけを守るためにマリアに向けて歩き出し、次の瞬間にはハグされてしまった!
(どうなってるの!? ナンデいきなり!?)
陰キャに陽キャの気持ちは理解できない。抱き締めたくなったら抱き締めるし、愛を語りたくなったら愛を口説くのがアイアンハートの流儀なのだ。……マリアは可愛い子が大好きなのでロザリアも大好きだ。心のすれちがいがひどすぎる。
「ロザリア様っていいにおいがしますねぇ」
「え、そ…そう?」
においを褒められたので嬉しくなってる!
人の心を掴むのがうまい子に絆されそうになっていると、マリアの背後から延びてきた腕が襟首を掴んで引きはがしてしまった。
「無作法を為さらないで、ロザリア様も戸惑っておられますわよ」
喧嘩屋のライザだ。背中に喧嘩道を背負った宿命の道を往く女だ。
「好敵手の貴女がそんなでは私まで恥ずかしいわ。しゃんとなさい」
「あー、やっちゃったかー。ごめんなさい……」
叱られた犬みたいにしょんぼりしているマリアに、グッとくるロザリアであった。本性がドSだ。
「いいのよ」
「いいって!?」
「よくないの。リリウスさんみたいにロザリア様の寛大さを試そうとしないで」
「えー」
こうして見ているとライザは至極まともな人物だ。背中に己が喧嘩道を語る刺繍さえなければ完全無欠の淑女だ。
花は桜木、女は花道。いざや歩めよ喧嘩の花道というやばそうな刺繍だ。
気を取り直して尋ねてみる。
「お二人は何をなさっていたの?」
「谷底一周モンスターバトルですね」
「討伐数で競っておりましたの」
「あたしの圧勝でした!」
「その変なブレード反則よ。何よその広範囲斬撃、オーラでもマナでもないしどんな動力で動いているのよ……」
「メタニコル流体金属だって」
「流体金属って何よ」
「あたしも借りてるだけだし。詳しくはナシェカに聞いてよ」
視線を向けるとトレーラーの荷台に腰かける二人がギャーギャー言い合ってる。意見が合わずに喧嘩っていうかじゃれ合ってるように見える。
ここで言ってしまった。
「ねえ、昨日こんなことがあったんだけど……」
自分では解決も解釈もできない悩みを打ち明けるように昨日起きた迷宮深層でのバトルを話す。
超速戦闘に巻き込まれてほとんど目を回して何度か気絶していただけのロザリアだったけど、なるべく順序立ててしゃべった。するとライザの反応がよい。
「なるほど、男としての格を計る勝負と。男子に色目を使うだけが得意のチャラい女だと勝手に見損なっておりましたが中々よいハートを持っていたのね」
「ナシェカはけっこう熱いやつだからね。あたしの親友舐めんなよ」
「これに関してはマリアの見る目が正しかったわね」
反応はよいが求めている方向とはちがった。
ロザリアが知りたいのはあの時のリリウスの表情とつぶやきの意味なので、そこを掘り下げるようにお願いしてみる。もはや恥も外聞もない。
そんなロザリアの様子を見ている二人は察して視線で目配せ。
(恋話ですわね?)
(恋話だねえ)
面白い香りを嗅ぎつけたマリアが提案する。
「では調べてみませんか?」
「調べるってどうやって?」
「経験豊かな先輩諸氏に聞いて回るのはどうです?」
面白い。これが面白いぞ。恋愛に悩む赤薔薇姫の右往左往を間近で眺めるのは絶対に面白いぞ。
なんて考えてニコニコのマリアの隣で、喧嘩屋ちゃんが頭を抱えている。
マリアは武を競うライバルだけど頭の中身が恋愛でできているので、そこだけは困っているのだ。




