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最終章 『春のマリア』  作者: 松島 雄二郎
夏休みのやり残し編
174/362

伝説のニートバタフライを追う(後編)

 日が暮れるまえの時間を各自適当に過ごすことになった。

 マリアとリジーは近くの洞窟探検。エリンちゃんは疲れたとか言ってゴロゴロしてる。アーサー君は読書だ。ブレないやつだぜ。


 俺はまだほら吹きジャミルが気になったので村で聞き込みをしている。少し年のいったジャミルと同世代の漁師を狙って聞いてみた。


「あいつは船兄弟を殺したって言われてるんだよ」


 船兄弟ってのは一緒に船に乗る相棒を指す言葉らしい。


「ジャミルも相棒のエルガーも腕のいい漁師だった。だから事故ったなんて当時は信じられなかったからよぅ、誰かが言い出したんだよ。ジャミルがエルガーを事故に見せかけて殺したって」


「誰かがって誰が言い出したのかわからないってこと?」

「誰が最初に言ったんだか知らねえがいつの間にかみんなそう言ってた。俺は信じちゃいねえよ、大切な船兄弟を殺すなんてラタトナの男がするわけがねえ。だがよ、エルガーの嫁のヘルガを欲しかったから殺したなんて信じてるやつもいるのさ」


「ジャミルは殺ってないって考えているんだな」

「殺ってるわけがあるかよ。毎日毎日相棒の墓の前で飲んでるやつが殺しなんてやってるわけがあるかよ。……ほら吹きなわけがあるかよ、イイワケもできないくらい不器用な男がほら吹きなわけがねえよ」


 つまらない邪推だ。最初に誰かが言い出した悪口ってやつが十年も一人の男を貶めている。

 昔ジャミルは網元の娘に恋をして、それがたまたま親友の妻になったってだけだ。

 昔ジャミルは幻の蝶を見て、それを他のやつに言っただけだ。それだけのことでほら吹きなんて呼ばれている。


 漁師は誰かなんて濁したが俺には誰がジャミルが相棒を殺したと言い出したか分かる気がする。おそらくは相棒の妻のヘルガだ。夫を亡くしたショックで気が動転して言ってしまったのだろう。それを真に受けた馬鹿がいただけなんだろう。

 こう考えると漁師が濁した理由に納得できる。死者を貶めるなんてゲスのやることだからな。それだけの話だ。


 そんなヘルガも夫を亡くした半年後に死んだそうだ。風邪をこじらせたらしい。


 そういえば崖の上には墓石が二つ並んでいたな。そう思い出したらジャミルが立ち直れない理由もわかった気がする。

 昔好きだった女と親友の二人を亡くした男が自分を責め続けているだけだ。


 帰りに浜辺を散歩しているナシェカとウェルキンに出会った。何をしていたのか聞かれたので正直に答えておいた。


「なあ、もしかして知ってたのか?」

「さあね」


 困ったみたいに表情を緩めたナシェカが遠い断崖絶壁を見つめる。あの男はまだあそこにいるのだろうか?


「私達にできることなんて何もないよ。だってジャミルを許せる二人はとっくの昔に死んじゃってるんだから」

「お前はイイ女だな」

「今頃?」

「ナシェカちゃんはずっとイイ女だろ」


 ウェルキンよ、こいつはイイ性格をした女であってイイ女ではないぞ。強いて言えばいまこの瞬間だけはイイ女っぽかっただけだ。


「鬱々していて嫌な気分だ。ったくこんな調査結果誰が喜ぶんだよ……」

「人生ってのは苦いよねえ。叫ぶ?」

「おう」


 まったく世の中ってのは地獄か何かなのかと嫌な気分になり、俺らは海に向かって馬鹿野郎って叫んでおいた。海も心外だろうぜ。


 日が暮れる頃には空模様が怪しくなってきた。何とも言えない曇天ではあるが雨のにおいはしないという漁師の言葉を信じて出港する。

 幻の蝶ニートバタフライを追う一晩の船旅だ。



◇◇◇◇◇◇



 今宵はエリスの赤い月の夜。だが立ち込める暗雲が紅月を隠した様はまるで新月の晩のように暗い。

 夜の海を往く小舟の舳先にランタンを吊るし、ちゃぷちゃぷと押し寄せる波を僅かに覗かせる。船頭はウェルキン二号こと命知らずの若い漁師ミンス君十八歳彼女募集中だ。ヨットのような小型帆船を一人で器用に操るすげえやつなのさ。


「夜釣りは七つの年からやっているが赤い月の晩は海に出るなと言われている。まぼろしの蝶に誘われて帰って来れなくなるってのは古い言い伝えなんだ」

「へえ、実在するって信じてはいるんだな」

「信じてはいねえけど一応な。言い伝えを守らないとジジババがうるさいんだよ」


 言い伝えが真実である可能性はわりと低いが結果や経験則的にそうと思えるって出来事はあるからな。悪霊の森だと言い伝えられてきた場所がじつはマラリアを持つ蚊の群生地だったりしてな。

 結果的に死ぬ。苦しんで死ねば悪霊の仕業だ。中央文明圏ならともかくドルジアのような辺境ではそういう迷信の霧が蔓延っているのさ。


 後ろを見れば浜辺にはキャンプファイヤーが焚かれている。漁村民がファイヤーを囲んでリール・トゥール・リールを踊っているわけではなく、帰る時の道しるべ、簡易的な灯台ってわけだ。イカ釣り漁の盛んな漁村らしい小技だな。


「今晩はやや波が高い。横波くらって転覆なんてヘマをやらかすつもりはねえ、と言いたいんだがちょいと過積載なんでな」

「しかも動く荷物だもんねー。ごめんね」

「別にいいって。謝礼も貰ってるしよ。ま、察してくれた通り船の重心はあんたらの動き一つでコロコロ変わるんだ。なるべく動かないでほしいね」


 この瞬間、夜の海に乗り出して海面を覗き込もうとしているリジーが動きを止め、エリンちゃんが大根を引き抜く要領でリジーちゃんを船内に戻した。最近この二人の関係が幼女とママに見えてきたわ。

 しかし波が高いねえ。


「やっぱり満月の影響か?」

「波と満月がなんか関係してんの?」

「いや、赤い月は潮と関係がない」


 関係ないはずはないんだがな……


「お前さんの言ってるのはイリスの話だろう。銀の月が丸い日は海が荒れるからよ」

「ふーん、張力が小さいのかねえ」

「赤い月の天体としてのサイズの話?」


 さすがにナシェカはわかるか。さすがマシン子ちゃんだ。


「それと自転速度だな」

「なんの話してんの?」


 そして終始ついてこれないマリアである。

 この後マリアに重力発生のメカニズムと宇宙についての話をしたが全然わかってもらえなかった。つかマリアの頭の中の世界観が中世すぎる!


「へ? だってだって海の果てには大きな滝があって」

「ねえよ」

「じゃあヨルムンガンドは?」

「いねえ……とは言い切れないけど! 世界は丸いの!」

「じゃあ神様はどっからあたし達を見てるの?」

「そこいらで見てるよ」


 やべえ、ドルジア貴族の世界観やべえ。

 平面世界説かよ。世界の果てには滝があってそこでは世界よりも大きな神様が沢山いて俺らを見物してるって思い込んでやがる。


 ここでウェルキンが口を挟む。


「俺は箱庭だと聞いたな」

「箱庭仮説とかマジかよお前……」

「ちがうのか?」

「わかった、今度天文学の本貸してやるから読め」

「天文学の話か? 天文学はいいぞ!」


 アーサー君が乗り気になっちゃったよ。普段は寡黙なのに学問の話になるとマジでしゃべりっぱなしだからな。

 休日なんてアーサー君と一日中しゃべってる時があるくらいだ。面白いからいいけどね。


 アーサー君がまず天体球体説の興りからしゃべり始めた。


「世界が丸いことに最初に気づいたのはルーデット家始祖のルードだと言われているんだ」


 ルーデット! 歴史書を紐解けば数ページに一人は必ず出てくるな!


「ある日ルクレインの酒場で学者達がこう言い争っていたんだ。世界は平面か箱庭か、これを聞いたルードは学者連中を笑い飛ばして港に連れていったんだ。そして遠洋からルクレインへとやってくる船を指さして言ったのさ」

「最初に見えるのはマスト。それから船体が見えてくる。すなわち世界は丸なんだってやつか?」

「さすがにリリウスは博識だ。知っていたか?」

「知らん話だけど予想はつくよ」

「うん、それが知性だ。現象から真実を解き明かす能力こそを知性と呼ぶね」


「……リリウスってたまに頭良さそうな発言するよね」

「……普段全力で筋肉なのになー」

「言っておくけど俺いまんとこ学年首席だからな」


 おそらく。成績だけ見ればたぶん。

 次席はアーサー君だ。彼よく寝坊して登校しないから内申点はかなり低いと思う。何度か教師を半殺しにしたし!


「理不尽だあ」

「マリアって外国語何ヵ国しゃべれる? 俺十二ヵ国いけるけど」

「僕は八ヵ国だ。ただ古カルステンはチューターを通してだから実際に触れたことはないので自信はないね」

「が…外語? ケモ人族の人がたまにしゃべってるの?」


「それはただの訛りじゃね? そういえば学院って語学やらないよねー」

「軍の士官学校だからな。貴族なら幼少期に終わらせる普遍的な教育だとされているし今更教えるまでもないと考えているんだろ」


 ここから全部古カルステン語。


「外語は大事だよ。旅行の時に現地民から話を聞けるしね。そうだね、そういう意味では僕がしゃべっているのもイルスローゼ語だよ」

「アーサー君のは綺麗な発音のベルストラ・イルローゼスだから聞き取りやすいね。たまに混じる慣用句に関しては俺もややわからないんだが」

「すまない、それはおそらく僕が加えたアレンジだ。豊国の慣用句が混じっていたのかもしれない」

「仕方ないよ。そういうのって自分じゃ気づけないものだし」

「急に呪文みたいな早口やめてえ!」


「これは古カルステン語だ。主に古い血脈を継承する森人の部族が用い、現代でも近親語が神聖シャピロの方にある。つかアーサー君自信ないってわりに流暢じゃん」

「小さな頃に暮らしていた離宮では曜日毎に使用言語を変えていたんだ。使用人も八か国の話者に変えてね」

「贅沢な教育だな。さすがはアルチザン王家だ。逆に俺は現地で覚えた言葉だから簡易的な口語でしかないんでね、アクセントや文法は怪しいだろ?」

「通じるのなら構わないと思うけどね。古カルステン語の慣用句なんて僕だってお手上げだよ」

「古いエルフの伝承とか出てきそうだもんな。サンジールの園とか」

「我はユミルの泉に根差す者なりって? エルフは困るよな、本当に何を言ってるのかわからないしワカラナイ方が悪いって思っていそうだ」

「彼らそういうところあるよね」

「ねえ、ニートバタフライのこと忘れてないよね?」


 やべえ、ニートバタフライを探しに来たのにアーサー君としゃべってばっかだ。

 思い出したように海の向こうを探し始めると笑われてしまった。


「キミタチってば賢いのかおバカなのか本当にわからないねえ」

「マリアがお馬鹿さんなのは確定しているけどね」

「アーサー君ッ!?」


 むかっとしたのか。マリアにおバカ呼ばわりされて内心ムッとしたのか。可愛いやつだな。


 ナシェカが発言する。


「警戒、静かに」


 ナシェカの発言は女王の発言だ。彼女に逆らうことは許されるが、本当にとんでもないことになるって身に染みて理解しているみんなのおしゃべりがピタリと止む。


 俺も声を潜めて聞いてみる。


「どうした?」

「巨大魔法力質量体の接近を確認って感じ。たぶん竜種」

「まぼろしの蝶の代わりに竜かよ」

「ラタトナは古くから竜の住まう海だとされているからね。実際騎士団も何度も目撃しているし」


 だろうな。昔ラタトナ海底城に潜った時に地上部分ででっかいファイヤードラゴンを見つけた。あいつだろうか?

竜の気配を探るもわからない。俺の魔導知覚よりも外にいるらしい。


「距離は?」

「南方80キロ先。こっちに来てる」


 単位がおかしい。わかるかボケと言うべきかナイスというべきか。

 ナイスだな。二キロ三キロの地点から逃げ始めたって逃げ切れるわけがねえし。


「まぼろしの蝶探しは中止。いいね?」


 こういう時のナシェカの判断は正しい。だからみんな素直に聞く。だから悪戯にも素直に嵌ってしまうのは問題だが、誰も異存なく頷いている。


 地上戦ならともかく海上で竜と戦うなんて俺だって心底嫌だ。まあ地上戦に付き合ってくれる竜なんて舐めプ中のバルバネスさん以外見た事ねえが……



◇◇◇◇◇◇



 天を覆った曇天が陰鬱な気持ちを誘う夜。夕飯の片づけを終えたリナはふと思った。


(あの人たちは無事に帰ってくるんだろうか?)


 幻の蝶を探す彼ら。日が暮れる前に夕飯を食べて出ていった彼らは無事に戻ってくるんだろうか?

 無事に帰ってくるのならどうして父は帰ってこなかったんだろう……?


 ふと思い出したのは母の遺言で、死の間際に母はこう言った。ジャミルを恨まないであげてと、それだけを言い残して逝った。当時はリナも八つか九つになる年で母の遺言が何を意味しているかわからなかったけど、父の死をきっかけに色々なものが変化したのだけはなんとなく理解していた。


 それまで毎晩のように夕飯を食べに来ていたジャミルが来なくなった事とか、仇を見るような目つきでジャミルを睨む母の態度とか、幼心に感じてはいた。ただその正しい形がわからないだけで。


 もう十年だ。あまりにも長い年月が流れてしまった。記憶にあるジャミルは優しい人だったけど、今は過去の人でしかない。ほら吹きジャミルでしかないんだ。


(あの人は今日もお墓の前にいるんだろうか?)


 本当にただの気まぐれだ。何か予感があったのかもしれないが、神ならぬ人の身ではやはり気まぐれと呼ぶ他にない。

 だがそれでもリナはあの男のことが気になり、崖の上へと足を向けた。



◇◇◇◇◇◇



 ジャミルにとって現実と夢にさほどのちがいはない。強かに酔う彼にとって現実だろうが夢だろうがどっちも現実味に欠ける何かでしかなく、どちらも等しく興味がない。

 いや一つだけ区別する方法がある。クソなほうが現実で、無味乾燥なほうが夢だ。


「はひゃぁ~~~あ、現実はクソだあ!」

 とか叫びながら村の中を歩き回ってると冷たい視線を浴びせられるほうが現実で、放っておいてくれるほうが夢だ。


 だが、まあ、今日のは堪えた。随分と前に出ていったナシェカが戻ってきて、泣きそうな顔をしたからだ。


 説教なら「うるさい、お前に何がわかる!」って怒鳴り返してやれた。

 だがナシェカは何も言わなかった。せっかく残してくれた金を酒で溶かしたクズに怒るでもなく、ただ泣きそうな顔で面を伏せた。


 あれはきつかった。酔いも一瞬で冷めちまった。


「あぁまったく泣かれるとはな。俺に何を求めていた? まさか過去を振り切って立派に立ち直った姿でも見たかったのか……?」


 さすがにそんなはずはないだろう。そんなのは無理だってあいつもわかっていたはずだ。

 だがあの泣きそうな顔を思い返すとやはりそうとしか思えない。


 ナシェカが去った後も酒を飲み続けたがさっぱり酔えない。


「女の涙ってのはきついな。なあナシェカよ、俺に何を期待していた、俺がどうしようもないクズだってのはお前も知っていたはずじゃないか」

「本当にどうしようもないクズですね」


 まさか合いの手が差し挟まれるとは思っていなかったが、ジャミルは動じなかった。

 断罪を待つ罪人の時はあまりにも長すぎて、自分などすっかり忘れられているのではないかと考えていたくらいだ。


 恐れはない。すでに覚悟は決まっている。裁きの日を迎えた、それだけだ。


「ようやく殺す気になったか?」

「あなたが父を殺したんですか?」

「そうだ、エルガーは俺が殺した。幻の蝶を探しに行こうと嘘で釣りエルガーを罠にかけたのは俺だ。さあ殺してくれ、仇を討て、ヘルガもエルガーもそれを望んでいる」


「嘘? 幻の蝶はいないんですか?」

「どうしてそんなところが気になる。親父の仇を討て」


「答えてください。幻の蝶なんて本当はいないんですか?」

「いるわけがない。村の連中が言っているのが真実だ。俺はほら吹きジャミルだしエルガーを殺したのも俺だ」


「……やっぱりナシェカの言うとおりだ」

「そうだ、なに?」


 その名を聞いた途端にジャミルが決意が揺らいだ。

 頑なだった心が揺らぎ、どうしてか、本当にどうしてか嫌な予感がした。


「ナシェカが言ってました。あなたはあたしに裁かれたがっている」

「そんなのはデタラメだ! 殺せッ、親父の仇を討て!」

「会えば殺せと言ってくる。ジャミルは楽になりたがっているって言ってました。あなたが父の仇なら楽にしてあげようとは思いません」


「じゃあどうする? 親父の仇を見逃すのか?」

「ええ、あなたは生かした方が苦しそうですし」


「冴えてるな。あぁそうだ、俺には冥府よりもこっちの方が随分と堪えるが……それでいいのか?」

「ナシェカはこうも言ってました。あなたに嘘をつくほどの器用さはない。あなたは父を殺していない」

「そんなのナシェカのデタラメだ」

「あの夜あなたは幻の蝶を見た。そして父と二人で船を寄せていった後の記憶はない」

「幻の蝶なんて嘘なんだ! そんなのは最初からいないんだ!」


 今のジャミルは自暴自棄になっていて何だって言う。死にたいから何だって嘘を吐く。どれもこれもナシェカの言う通りになっていて怖いくらいだ。


 リナが息を吸い込み、呼吸を整える。最後の言葉を言うために、これでもダメなら見限ろうと覚悟を決めて。


「ナシェカの言った通りだ。ジャミルは嘘つきじゃないけどあたしにだけは嘘をつく」

「……」

「こうも言ってたよ。だからニートバタフライはいる。ジャミルが私に嘘を教えるわけがないって」

「は? ははは……冗談だろ? ナシェカよ、どうしてこんなクズをそこまで信じられる。俺はお前のくれたやり直す金を呑み切ったどうしようもないクズなんだぞ……」


「真実を教えて」

「俺はエルガーを殺してない、そう言ったのはお前じゃないか」

「あなたの口から聞きたいの」


 雲間から赤い月光が差し込む。

 暗い海が真っ赤に染まり、空から、天空から、赤い月からだ。エリスの涙一滴のごとく赤い光が降ってきた。


 ジャミルが立ち上がる。驚愕に震える指が彼方の光を指す。


「まぼろしの蝶だ」


 遥かな洋上に虹色に輝く二枚の羽。……恐ろしい大きさだ。


 あれほどの彼方にある物がここからは蝶のごとく見える。ジャミルにもリナにも学はない。だが経験則として知っている。どんな大きな船であろうが洋上にあれば手のひらに収まるサイズに変わる。

 距離だ。距離こそが問題なのだ。ではあのまぼろしの蝶は巨大船舶に勝るとも劣らない大きさということに……


「リナ、見なさい。あれが俺とエルガーが求めた輝きだ」

「嘘、本当にまぼろしの蝶がいるなんて……」


 天から降り注ぐ一滴の光が止まり、不吉なまでの静寂に世界が震えている。

 輝きを増していくまぼろしの二枚羽が明滅を繰り返し―――光が放たれた。



◇◇◇◇◇◇



「逃げろぉぉおおおお!」

「ちょっ―――追ってくる追ってくる! ナンデぇ!?」


 いまヨット級の小舟を背負って海上を猛ダッシュしているナイスガイを目撃されたあなた、そう彼はアルマンディーネの恋人ではなくリリウス君です。


 なぜか竜が俺達めがけて飛んでくるので逃げている最中なので余裕マジでない。マジもうむりぃ。


「なんでこいつら海を走れるんだよ……」

「この人外ペアときたら……」

「筋肉はともかくナシェカまで……」

「うるせえ、舌噛んでも知らねえぞ!」


 どぼーん!


「あああ! ウェルキンが落ちた!」

「くっ、尊い犠牲……!」

「いい奴だった!」

「うわぁ、秒で弔うほうに持ってったよこいつら……」


 全滅よりはマシだろ。くっ、犠牲が尊い!

 マジな話ウェルキンを救助してドラゴンとバトルなんてごめんだ。女子なら助けたけど!


 どぼーん!


「あああ! リジーが落ちた!」

「くっ、犠牲が尊い!」

「忘れないから! リジーのこと忘れないから!」

「こいつらマジか……」


 女子なら助けるとか言った気がするけどごめんあれは嘘だ。無理だってドラゴンは無理だって。海上でドラゴンとか無理だって!


 なんか後ろの方で「嘘だろー!?」って怒鳴ってるリジーちゃんがいるような気がしたけど幻聴だろ。彼女は勇敢に戦って海に散ったはずだ(記憶改竄)


「見てッ、空が!」

「今ちょっと余裕ないの!」


 あ、空が丸く割れていく。暗雲が丸く裂けていって星空が生まれ、遥かな天に佇む赤い月から光が降ってきた。……光がドラゴンの翼に当たっている。


 ナシェカが鼻水噴き出した。


「おい乙女」

「やばい、あれやばい! あの光やばい!」

「落ち着け、やべーことしかわからない。あの光がどうした?」

「あれ高密度魔力の塊なの! 計測器を振り切るレベルの!」


 あんだって?


「ど…どうして赤い月から高密度魔力が降ってくるんだよ」

「ワカンナイ!」

「レーザー式充電装置だとでもいうのかよ」

「ワカンナイ!」


 竜の翼が輝き始める。不穏な虹色の輝きを放ち始め、今にも破裂しそうな不穏な明滅を繰り返す。……大気が震えている。


 次の瞬間、海面から出てきたサーペントの群れが俺達を追い越していった。

 え、待って、何が起きている。もしかしてあの竜の狙いってあのサーペントどもだった?


「転進! 転進だ、狙いはサーペントだ!」


 次の瞬間、竜が口からサテライトキャノンをぶっ放し、海が弾け飛んだ。



◇◇◇◇◇◇



 伝説の魔物。それは見果てぬロマンの塊。

 伝説の魔物。それはツヨツヨ魔物にだけ与えられる称号。

 伝説の魔物。追っちゃダメ、絶対。


 あの夜俺達が見たものが本当にニートバタフライなのかはワカラナイ。だが一つだけ確かなのはあの夜以来誰もまぼろしの蝶を探そうなんて馬鹿を言い出さなくなった。……人間で学習するよね。


「お前らのことは絶対ぜぇ~~ったいに許さないからな!」


 リジーちゃん? あぁ生きてたよ、案外しぶといよね。

 一晩海を漂ってたらしいけど親切なシャチが浜辺まで届けてくれたそうだ。城みちるかよ。


 そんな奇跡的で感動の再会の第一声が「人間こわいぞ」だった。ほぅら、人の温かさに触れて恐怖を克服するんだ。


「リジーよかった!」

「信じてた、生きてるって信じてた!」

「……お前らに見捨てられたこと一生忘れないからな」


 ダメだ、人間を憎む目つきをしてんもんよ。


 まぁジャミルとか漁村の悪徳網元とか色々イベントがあった気がするけどマジで余裕ないんでそっこーでリゾートに帰ったよ。


 今はカフェでブルーハワイ的なドリンクを傾けながら日記を書いている。いつかこの冒険が俺の自伝の一ページを飾るのだと思うとまぁ無駄足ではなかったよね。犠牲は尊かったけど。


 それと完全に死んだと思われていたウェルキンが帰ってくるのはリゾートに帰って三日後の出来事だ。自力で帰ってきたウェルキンに向かってアーサー君がターンアンデッドを連発している光景は本当に面白かったよ。


 うん、明日も楽しい日になればいいな。できれば伝説の魔物探し以外で。

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