恩讐の途上 銀狼の牙
ドルドム領を飛び立った四隻の飛空艇。そのうち三隻はLM商会の拠点であるABC首長国連邦へと旅立ち。残る一隻、フィア・ラスト所有の船だけが帝都フォルノークを目指す。
帝都を目指す空の旅。空の上で出されたとは思えないほど素晴らしい朝食を摂り終えたガーランドは船室にこもったまま出てこない婚約者の身を案じて、その部屋をおとなう。
「ご気分がすぐれないと聞いたがその後回復の兆しは?」
「今はそっとしておいてくださいまし」
声に混じった不調を感じ取り、顔を見せてくれと言ってもラストは聞き入れてくれない。何度尋ねたところで今は会いたくないの一点張りだ。
ここでガーランドには三つの選択肢が与えられ―――
ズドッ! ガチャン! この男、迷うことなく鍵穴に指をぶち込んで無理やり解錠しやがった!
「放っておける様子ではなかろう。どうしたというのだ?」
「強引な方ですこと……」
騎士団長が微笑を浮かべる。日頃しごかれている本部の騎士が見れば目を剥いて驚愕したに違いないというほどに優しげな顔であった。
「知らなかったのか? では覚えておいてくれ、貴女を娶る男はこういう男だ。お嫌か?」
「たまになら強引なのも嫌ではございません」
「それはよかった。火急の場合には限りこうした非礼を許してもら……泣いていたのか」
ラストはベッドにすがりつくみたいに床に座り込んでいた。真っ赤に晴れた目がどうにも痛々しくて、だから隣に腰を下ろした。
「貴女が礼を失するのは初めて見た。だから気になってな」
飛空艇のオーナーはラストだ。すなわち彼女がホストであり、彼女には乗客を気にかける義務がある。無論王女という地位にある女性が手ずから世話役に出るのではなく彼女の命を受けた使用人が代理で行うのだが、食事の席には短時間であっても顔を出す必要があった。
しかしラストは気分が悪いという伝言だけを残して来なかった。
言ってしまえばそれだけの事だ。それだけの事がどうにも気にかかってこうして室を訪れ、今は正解だったと確信している。
「原因はクリストファーか?」
「……」
ラストが首を振る。否定ではなく、今はそんな名前聞きたくもないという仕草に思えた。
「すまない、俺の気遣いが足りなかった」
「ちがうわ、ちがうの」
「違わぬ」
「ちがうの。本当にちがうの。……でもダメなの、自制できそうもないの」
すすり泣く彼女を抱き寄せる。だがそれだけだ。今の彼女には何も求めてはならないと経験則で理解していた。
「自制しようとしてきた。でもどうしてもダメなの、彼を見るとこの幸せも彼自身も壊してしまいそうになるの」
「そうか」
「どうしてリリウス君は許せてしまうの……? おかしいわ、絶対におかしい、救世主なんて名乗っちゃって本当に変よ! だって! だってカトリ様を連れ去ったのはシェーファなのに……!」
相槌だけに留めておこう。
彼女に必要なのは吐き出す時間と肯定されることで、恨みを反芻させることではない。だが賢明な回答が悪手であることも理解している。彼女は自立した賢い自分であろうとする。侮られるのも気を遣われるのも好ましくない。
フィア・ラストとは思い描いた自分だけの理想の自分を追いかけ続け、自分をその枠に嵌めようと必死になっている女性。自分が足りないことでは彼女は怒らない。だが理想ではない自分を見られるのだけは許せない。……とはリリウスの評価だったか。
「偽証精霊事件ならリリウスから聞いている。貴女はカトリーエイル・ルーデットにご自身を重ねていたのだと」
「そんなのでは……! ……いいえ、そうなのかもしれないけども」
「他ならぬ貴女の憧れた女性だ。聞かせてくれ、カトリーエイル・ルーデットとはどういう人だったんだ?」
「お強い方でした。国を追われた身でありながら悲壮感もなく、むしろ面白がるところがありました。カトリ様は追われた公女などではなくカトリ様という個人的な国の王様のような方でした。状況は彼女に何の痛みも与えないのです、喜怒哀楽はすべてカトリ様のお決めになること、気に食わなければ好きなようにひっくり返す。それはもう破天荒な方で……わたくしの憧れた人でした」
(それは本当に女性なのか? まるで恋焦がれた男の話のようじゃないか)
この後ガーランドはラストの気分が晴れるまで惚気話を聞かされることになるのだが、元より特大の爆弾という忠告付きで抱え込んだ不安要素だ。多少の嫉妬を得るなど安いものだ。
名しか知らぬ公女を語る熱っぽい眼差しに多少気分を害されたところで、やや腹立たしいというだけで自制は可能だ。
(あぁ貴女は未だその女性に恋をしているのだな。その眼差しを俺に向けてくれと言えばあなたは困るのだろうな?)
ガーランドは知っている。ラストは自分を愛していない。ただ条件のよい男だからと演壇に飛びついてくれたにすぎない。……今は。
そしてラストは己の想いに未だ気づいておらず、初めての体験に夢中になっているだけだ。乙女なのだ。
(貴女を手放したくない。だがこの出会いは不幸なのだろう)
すべてを投げ売ってでも叶えたい願いがありそのために生きてきた。
語らう恋も一時の酔い冷ましにすぎず、すべては結果のために存在する余剰利益でしかないはずだった。
だが計画の途中で出会ってしまった本当に欲しい者の存在がひどく苦しかった。
(俺のために……俺と共に死んでくれとは言えぬ)
豊穣の大地プランの終幕は侵略王グラスカールと腹心ガーランドの死を以て完遂する。その妻子とて無罪とはならぬ。そのように計画を建ててきた。
だから彼は苦しむ。きっと、ずっと、誰にも明かせずにずっと……
◇◇◇◇◇◇
飛空艇での帰還路の間、マリアはずっと地面を見つめている。財布でも落としたのだろうかと小銭皇子が声をかけると意外な答えが返ってきたのでひどく慌ててしまった。なんとマリアはジョンを探してたのだ。
「じょ…ジョンならまた会えるさ」
「でもドルドムと帝都ってすごい遠くだし……」
「犬には帰巣本能があるからな。大丈夫、問題ない、絶対に大丈夫」
小銭皇子が変身できそうな場所を探してキョロキョロする。この男にも悪いことをしたという程度の気持ちはあるらしい。
しかし飛空艇の甲板は見晴らしがよい。いわば皿の上のような形状なので隠れられそうなスペースはなかった。
「そうだ、人をやってジョンの行方を探させる。それで見つかったらマリアの下に届けさせる。それでいいか?」
「どうしてあんたが慌ててる?」
「慌ててなんかいない!」
完全に慌てている。マリアにもわかるレベルでだ。
なんか調子が狂うなあって思いながらマリアの頭に這い上がろうとしている自分に気づいて、慌ててのけぞってこけてしまった。
「何やってんの?」
「わからん」
「変なやつぅ~」
何だかとっても納得のいかない小銭皇子が不貞腐れたふうにごろんと横になる。完全にジョンスタイルだ。最近寝転がるのが癖になっている。
これを見てマリアも寝転がってきた。どうやら楽な体勢だと考えたようだ。
「空きもちぃねえ」
「まったくだ。この爽快さは地上では味わえないし、何より楽だ」
「リリウスは馬車でのんびりが楽しいって言ってたねえ」
「あいつは情緒の分からない男なんだ。空の青さも綺麗だと思う心もないさもしいせっかち君なのだ」
「なんで仲悪いの?」
「……」
正直に話したものやら迷っているとマリアがわけのわからないことを言い出した。
「決闘までやらかすなんてやりすぎだよ」
「? 待て、誰と誰が決闘やらかしたって?」
「あんたとリリウスに決まってんじゃん」
「何の話……いや、いつのことだ?」
「とぼけるようなことじゃないよね。いつってほんの十日やそこいら前の……」
「それはリゾートにいる間の出来事か?」
「う…うん」
あまりの剣幕で尋ねられたので自分の方が間違っているのかな?と思い始めたマリアがそこらを通りかかったエリンに尋ねたがやはりそのくらい前の出来事だと言い、なぜかごろんと近くに寝転がる。
何か面白い遊びしてるーって勘違いをしたリジーもごろんと横になる。
よくわからないけど女子が集まっているので寄ってきたベル君もごろんと横になる。ウェルキン? 奴はナシェカが戻ってこないのでさっきから「下ろせー」って叫んで船員を困らせている。
こいつらに聞いてもやはり答えは同じ。どうやら小銭皇子はリリウスを決闘をしたらしい。さっぱり記憶に無い。
(いつの間にか負っていた霊障の正体はそれか? このどこに繋がっているのか不明なまま放置してあるマーキングはリリウスにつながっている?)
小銭皇子は敵の多い身上柄呪術攻撃を受けた際にカウンターを仕込んでいる。攻撃の打ち込まれた経路を遡ってリューエルの茨を飛ばす即死カウンターだ。
茨の本数は攻撃の強度に比例する。そしてこの茨には千里眼のマーキング付きだ。
眼を閉じ、霊的な視覚を開いて千里眼を飛ばす。どう考えても通常空間とは異なる経路を通っていく千里眼の行き着く先に術者が存在するはずだが、妙な胸騒ぎを感じた小銭皇子は途中で千里眼を切断した。
「どしたの?」
「わからん。開いてはいけない蓋を開きそうになった、そんな予感がしたのだ」
「何の話?」
「君にはわからん話だ。いや、私だって触れてはいけないのだろうな」
神々の使用するコード。世界座標を知らずとも空間系術者は感覚でおおまかな位置を把握する。千里眼の使い手も同様だ。
だからこのコードは異常だ。世界座標のすべてがマイナスの値を示す場所など人界にあってはならないのだ。
心臓がばくばくと異音を奏でている。まるで以前受けた攻撃をもう一度浴びる事を恐れているかのようだ。……いや、覚えはある。この感覚はもっと以前にも覚えがある。
(この感覚は偽証精霊の時の傷か。ふんっ、何者か知らぬがようやく尻尾を出したというわけだ)
そこはすべてのエネルギーがイーブンとなるところ。宇宙で起きたエネルギーがマイナス値のエネルギーとして起きる不可思議の世界。
銀狼の目は事象の地平線を視た。彼は未だ真なる敵の名を知らず、だがそこへと至る経路だけを知り得たのだ。




