青の薔薇を捕まえろ⑦ 青の薔薇の庭園の主人
青い薔薇の咲き誇る庭園はいまだ夜明けを迎えていない。
予感のように燃え尽きた命の蝋燭を見つめ、庭園の主は悲しそうに「ごめんなさいね」と呟く。
「コゼットが逝ったわ。いい子だったのに可哀想に」
「あなたのために逝けたのであればそれは喜びでありましょう」
庭園の中で膝をつく中年の剣士がそのように慰めた。
彼こそが本物のレイザーエッジ。銀虎卿と呼ばれる男だ。他には庭師とも呼ばれている。この庭園を乱す害虫を駆除する役割にあるゆえだ。
「あなたの秘密を守るためなら我らも死を厭わない。だからお願いを申し上げる」
「なに?」
「泣かないでいただきたい」
目元にたまった涙を拭きとる主がゆっくりと首を振る。
否定というよりも、そんなことを言わないでといった仕草だ。
「それは無理よ。だってコゼットもあなたもわたくしの可愛い子なのですもの」
「そう仰ってくださいますことは至上の喜びなれど悲しませるのは許しがたい悪行なのです。俺もあの者もあなたに拾っていただいた身。どうか駒としてお使いください」
「頑固な。卑下が身につくのはよくないわ」
「もはや性根の一つとお笑いください」
銀虎卿は恭しく頭を下げ、心から主を崇拝していても己を曲げようとは思わない。
心優しき主人にはできぬ厳しさを体現する者という役割を己に課しているからだ。青の薔薇の創設の理念を守る一振りの剣。それが彼だ。
この頑固者は死んでも治らないわね、と冗談を言った主が頑固者の後ろに並んだ娘達に視線を移す。
二人とも美しい娘だ。どちらも騎士のような凛々しさを有しながら今はドレスに身を包んでいる。主は娘の名を呼ぶ気軽さで彼女らに声をかける。
「リリア、ルシア、面をあげてちょうだい」
「はい主様」
「主様のお望みの通りに」
イース海運警備部所属、総帥付き護衛ルシア・ファイザー。並びに帝国騎士団所属のリリア・エレンガルドが顔をあげる。
その面は敬愛する主人の御前にあがれた誇りで満たされている。だがそれは一時のことであった。
「クリストファーが裏切りました」
「それは……」
「いいの。彼は別にわたくし達の理念に共感していたわけではないもの。使い捨ての道具なら切り時と考えたのでしょう」
「なんと傲慢な。始末をお考えなら私に、必ずや仕留めてごらんにいれます」
「始末なんて物騒ね。いいのよ、彼には幾つもの未来があって善き皇になる道もあるわ。幸せを掴み取る未来もあるしわたくし達と共に往く未来もあった。彼は選んだだけよ」
「許しがたい選択です」
「リリア、控えろ。それ以上を重ねるつもりなら主様に代わり俺が叩き出すぞ」
「いいのよ。もっと自由に意見を交わしたいくらいだもの」
「……若いのはすぐにつけあがります。必要な躾です」
頑固者ね、なんて主の嘆息にも銀虎卿は揺るがない。
彼の最大の関心事は主の意見を捻じ曲げるすべての駆除だからだ。
「揺らぐ未来はどうとでも変わるの。ささいな言葉一つ、匹夫の意思一つ、小石を投げた程度でも変化するわ。彼はまだ使えるわ。だってわたくしの盤面から逃れられる子なんていないもの」
「ご意思のままに」
「でもわたくしの下にたどり着けるのはクリストファーだけでしょうね」
「その時は俺が御身の剣となりて」
「ねえガイウス、わたくしまだ世界最大の魔導師の座を誰かに明け渡したつもりなんてないのだけど?」
「何と言われようとこれだけは曲げられませぬ」
「ほんとう頑固者ね」
薔薇の主が告げる。
帝国革命義勇軍の真の主として命じる。
「アシェラ神殿が動いているわ。幾つかの支部が乗っ取られていて、この拡大を止める方法はないわ」
「なんと。……奴らは暇なのですかな?」
「困った事にそうなのかもしれないわね。いったいどのような心変わりか不思議だけれど暗躍に関しては悪徳信徒が何倍も上手よ。正直いまの組織形態では守り切れないわ」
「どのように対処なさいます?」
「可哀想だけど組織の再編成を行います。薄く柔らかく水のように帝国全土に浸透させていた組織を新たに針のように細く強固にするの。あなた達にはその中核として動いてもらうわ」
青の薔薇の園の主が動く。未来があるべき姿を忘れて破綻していく。誰もが最後の勝者を目指して突き進む。
だが忘れてはならない。勝者となる者は必ず庭園を訪れなければならないことを、必ずこの者を討ち滅ぼさねばならないと、それだけは忘れてはならない。




