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最終章 『春のマリア』  作者: 松島 雄二郎
ヴァカンス&ダンジョンシーカーズ
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SIDE STORY 銀狼卿

 もうじき夜が来る。

 ストラの恩寵溢れる昼の世界から冥府のデスの支配する夜がこの汚い町を覆い尽くす。


(見えなくなったところでこの町が腐っていることに違いはないがな)


 迷宮のある町ドルドムントは閉塞した町だ。経済の話ではない。経済的な観点から言えばドルドムントは十分に裕福な町だ。次から次へと迷宮を求めてやってくる冒険者たちが落とす金に群がって商人も大荷物を抱えてやってくる。


 だがこの町には未来が無い。余所から来た冒険者が金を落とす相手は余所から来た商人だ。

 この町に生を受けこの町で育った人々は大きな金が繋いだ手と手の輪っかに入ることもできず、痩せこけた姿で路上に立っている。


 冒険者にすがりついた手を振り払われ、ゴミのように路上に転がった少女たちの悲しみが我が出来事のように彼の心に突き刺さる。……何故?


 彼の凍てついた心は今も怒りと問いを発し続けている。何故と。

 何故誰も彼女達に手を差し伸べない。何故彼女達が幸せから遠ざけられている。何故優しさはこうも高値が付く。……欺瞞だ。

 巨万の富を手に入れた彼とてこうして哀れな少女達を見捨てている。


 むかし、もう思い出せないくらいむかしに彼女達を救おうとした人がいた。自分だって小さな子供のくせにあちこちから仲間を集めてクランを作った。

 夢はでっかく一攫千金なんて叫んで屋台をやったり商売をしたりいつだって楽しそうに金儲けに腐心していた。


 彼女は彼にとっての太陽ストラだった。彼女の手を握り締めて貧民窟から抜け出した銀の犬は今や立派な孤狼となり、彼女のいない世界を今も彷徨っている。


 思い出も感傷も夢だって置き捨ててきた。

 未来なんて遠い昔に砕け散ってあの丘の墓標に埋めたままだ。

 それでも銀狼は歩き続けてきた。そして今宵、想いを同じくする者どもの集いがある。


(いや、私に利用され捨てられる予定の可哀想な羊どもか)


 数日前に接触したマッシュ・ドルドムとの待ち合わせ場所は町でも一等大きな娼館だ。辺りが暗くなっても蝋燭を灯し、客を待つ余裕があるのは冒険者を目当てにしているからだろう。


 裏口の戸を叩く。すぐに出てきた下男と思しき男が彼の変わった風体にギョっと顔をしかめた。そう彼は変わった格好をしている。その美貌を隠すために銀の仮面を着けているのだ。


「へへへ、話は聞いてますぜ。こちらへどうぞ、二階に上がります」


 下男の案内で二階へと上がる。

 客とも娼婦とも遭遇しないことを考えればこちらの廊下は裏口からしか入れない廊下なのかもしれない。

 となれば下男や他の従業員の正体も察しがつく。馴染みの娼館などではなく、男爵家の次男が作り上げた自分用の隠れ城なのだ。


(マッシュ・ドルドム。ロクデナシと聞いたがこの程度の用心はできるわけだ)


 案内された部屋は貴族の当主の寝室と言ってもよい拵えの部屋であった。情事の残り香を消すために焚かれたお香がひどく強い悪臭を放っていると感じるのは彼の嗅覚が人間離れしているせいだろう。

 一見では粗野な冒険者に見える、オールバックの中年男がソファから腰を浮かせる。


「お約束通りの時間にお越しとは驚きました。新しいシェルルクはどうやらマメな御方のようで」

「他の連中はそうでもないのか?」

「ええ、二日や三日程度の遅刻は屁とも思ってねえんでしょうね。っと、下品な例えでしたな。お詫び申し上げる」


 オールバックの男マッシュが頭を下げつつこちらの顔色を計るように睨みあげてくる。まさしくこちらの器量を計っているのだ。どの程度なら許されるか、この程度の非礼は問題ないか、この男はどういう男なのかを知りたがっている。


 ならば教えてやってもいい。彼はこれを態度で示すべく衣装ケースの中に潜んでいる刺客の心臓を魔腕で握りつぶしてやった。

 がたりと音を立てる衣装ケースから血が零れ出してきた。


「お前は私に屁を浴びせた。ゆえにこれを警告とする」

「寛大な措置に感謝いたします……ガッ!」


 恐縮したフリをするマッシュを嘲笑し、その頭を掴む。

 彼の剛力ならばこの程度の男の頭を割るのはみかんを潰すのと変わらぬ労力だ。


「この地における協力者、それも次期男爵家当主とあらば殺されることはないと高をくくっているな?」


「そ…そのような考えは毛頭御座いませんが……」

「ならば私を試そうとするな。ドルドム家の代わりを用意する程度造作もない」

「……! それは…いったいどういう意味でしょう?」

「私は皇室に顔が利く。不審死を遂げた男爵家の後釜を私の配下にする程度は一枚の手紙で済むのだ。疑いがあらばもう一度屁を浴びせてみるがいい」


「ご意向のままに」


 まずはこの場で心を折った。だが小人の心とは恐怖から解放されれば次第に大きく強欲になっていくもの。

 どれほど苛烈な措置をしても汚職が絶えぬ商会経営と同じでマッシュに嗅がせた鼻薬とて数週間も保てばいいほうだ。


 今度は案内人がマッシュへと変わり、彼の案内で娼館の地下室へと降りていく。

 牢屋が並び中から苦悶の声が聞こえてくる地下を歩いていくと外に出た。ここはドルドムント市を貫く河川への直通路であった。これを用いて船を使えば夜のうちにこっそりと町の外に出られるというわけだ。……イレギュラーさえいなければ。


 マッシュの秘密の出入り口。そこには痩せこけた少女が座り込んでいた。今夜の仕事にもありつけず、このまま家にも帰りたくない、そんな様子で座り込んでいた。


「てめえ、どこのガキだ。なんでこんな時にここにいやがる!」


 秘密の出入り口を見られたからか。それとも銀狼卿の前で恥を掻かされたと感じたがゆえかマッシュが激高するままに少女を蹴り倒す。

 二度目の蹴りが放たれる寸前、彼の腕がマッシュの蛮行を止めた。


 俯いたまま倒れ伏す少女にかける言葉は優しさではない。


「どうして立ち上がらない?」

「……」


 少女は答えない。大の大人からいきなり背中を蹴りつけられたのだ、痛みでそれどころではない。


「何故怒りに拳を振り上げない。蹴飛ばされ、搾取され、ひどい目に遭わされても立ち上がらない理由は何だ?」

「……」


「何者の施しも期待できぬこの狂った世界でお前が救われる方法は自らの脚で立ち上がる他にない。痛みを憎悪に変えろ、殺したければ己が腕で殺せ、しあわせはその腕で掴み取らねばならないんだ」


「……あなたは男だからそんなこと言えるんだ」

「闘争の世界においては男女差など些細な差でしかない」


 彼は聖銀の懐剣を石床に落とし、こいつを蹴ってやった。

 聖銀の刃に少女の目が留まる。美しく鍛え上げられた刃にだ。


「ここは迷宮都市でキミは成りあがる方法をすでに知っているはずだ。立ち上がれ、幸福をその腕で掴み取るしかないのだ」


 少女が刃を手にするかは見届けなかった。

 少女が刃を金に換えて一時の幸福に替えるのか、それとも憎悪を発して迷宮に赴くのか、また別の方法に使うのかも知ったことではなかった。


 マッシュの操る小舟で水路を下る彼の眼差しは遥かなる破壊を目指しているのだ。


「いいんですかい。あのガキは死にますよ?」

「未来へと踏み出して死んだのならそれは仕方のないことだ」


 この答えにはロクデナシで有名なマッシュも大口をあんぐり開けてしまう。


(なんて言いぐさだ。革命を夢見る夢想家か、それとも他人様の生き死にで喜ぶ変態野郎か? わからん、この男がどうにも掴めんな……)


 わからない男は危険だ。だから分かるまでは従順に振る舞ってやるかと愚かなマッシュが心に決めた。


 今宵は仮面の夜。帝国革命義勇軍を主導する六人の銀仮面の会議の日。

 小舟がゆっくりと北上し、領境の廃村を目指す。

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