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最終章 『春のマリア』  作者: 松島 雄二郎
ヴァカンス&ダンジョンシーカーズ
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ロストフラグメント 残された灯

「フェイ、どうしたの?」


 己を呼ぶ声で気づいた。だが直前までの自分の行動が思い出せない。


 己の手元を見下ろせば布に手入れ油を含ませているところだった。傍らの座敷には手甲がある。……武具の手入れをしていた?

 本当にそうだっただろうか? ただ呆けていただけなのか?


 フェイが神経を研ぎ澄ませ、欠落した記憶を手繰ろうとする。だがどうしてもうまくいかない。

 遠くから聞こえる夏虫の音色。夕暮れの涼やかな風が頬を撫で、傍には己を覗き込む愛らしい恋人の姿がある。


「何か変じゃないか?」

「変なのはフェイだよぅ、どうしたの? 夏バテ?」

「そんなわけがあるか。なあ僕は今何をしていた?」


 レテが悩む素振りを見せる。彼女も思い出せないのか、と思ったがそうでもないらしい。


「やっぱり変だよ。武器の手入れをするから黙ってろって言ったのフェイじゃん」

「そうだったか?」


 だが記憶には無い。

 無い。記憶を手繰っても何も出てこない。


「僕はその前は何をしていた?」

「中庭で型稽古だったよね」

「その前は?」

「ボケたおじいちゃんみたいなこと言わないの。フェイおじいちゃん、今日のお昼ご飯が何だったかも思い出せないの?」


 本当に思い出せない。昼食が何だったかどころか食べた記憶さえない。


「う~~~む、まさかジジイみたいにボケたのか?」

「それはヤダねえ、アルテナ様に診てもらう?」

「そうホイホイと頼るのもな。ただの暑気当たりだろ」


 と言いつつもフェイの心が晴れることはなかった。何かがおかしいという胸騒ぎだけ強い警鐘を鳴らしている。

 だが失われた時の中にある真実に至ることは決してない。



◇◇◇◇◇◇



 焚火にくべた薪が割れ、火花が爆ぜる。

 ウルドが眼を開くとそこは夕暮れの森の中であった。


「ここは……? ワシは何をしておったか?」


 思い出せない。頭がぼんやりとしている。何かがあった気がする。忘れてはいけない何かが。


 どこか別の場所にいたような気がする。こんな深い森の中ではなかった気がする。

 だが記憶に靄が掛かったみたいに何も思い出せない。頭がうまく働かない。……頭の奥がジンジンと痺れている。


 よくわからないままに焚火から生えている枝を引き抜く。

 焼きいもが出てきた。黒ずんだ皮の間から黒ずんだ蜜がジュクジュクと溢れ出している。じつにうまそうな焼きいもだ。それだけだ。


 焼きいもを食べながら思い出せる記憶を反芻する。


 ラタトナ迷宮に潜っていた。それは確かだ。メンバーはフェイとレテとレイシスとルキアーノ。攻略の途中でルキアーノが急用を思い出したとかで途中解散となった。

 転移を用いてラタトナ迷宮の地上部分まで出て、ルキアーノはそのまま海を走ってどっかに行った。

 レイシスは自前の転移魔法でフェスタに帰り、フェイとレテはオージュバルトを見物してから帰るといい海を泳いでいった。そこまでは確かだ。


「ワシは? ワシはたしか……」


 そうだ、戦い足りなかったので今度はソロで潜り直したのだ。

 そこまでは思い出せたけどその先がどうにも出てこない。思い出せない。けれど胸が温かな熱を放っている。温かい熱に触れていると何故かあの男の笑顔が思い浮かぶ。


「なんじゃろうなあ、無性にあやつに会いとうて仕方ないわい」


 何故だろうか、何故だかあの笑顔の押しが強い恋人に会いたくて仕方ない。


 どうにも気になるのでメッセージアプリを起動してみる。このアプリはいわゆる非合法な代物らしい。ウルドにはよくわからないが正規のアプリストアを通していないリリウスの自作アプリであり、これを使えばガレリアの検閲を逃れて秘密裏に連絡が取れるのだとか。

 メッセージのやり取りが主だが通話もできる。コール音二回ですぐにつながった。


「おっ、着信見てくれた?」


 何の話じゃろうか、と思ったがリリウスが勝手に続ける。


「何だよ、見てねえのかよ。気になって何度もコールしたんだぜ」

「そうじゃったか。すまぬな、気づかなかった」

「いいよいいよ、忙しかったんだろ。今なにしてんの?」

「焼きいもを食っとる」

「忙しさが欠片も見えねえな。いやメシを食うなって意味じゃねえんだが……体は平気か?」


「ん? そりゃピンピンしとるわい」

「そうか。まああんなことがあった後だ、大事にしてくれよ」

「あんなことじゃと?」


 霞みがかった記憶にピリリときた。濃霧の向こうに隠された真実へと走る一筋のストリーマーのように走ったこの感覚を手放してはならないと本能的に叫んでいた。


「何があった! ワシに何が起きた、教えてくれ!」

「え、記憶飛んでんの?」


 リリウスから話を聞く。迷宮でシェーファと戦い深手を負ったこと。近海にいたリリウスが拾って治療したこと。その後の決闘のこと。


 まるで思い出せない。それだけの出来事だ、忘れるはずなんてないのにどうして?

 どうして思い出せない?


 あまりにも不自然に欠落した記憶が奇妙なほどに引っかかる。


「それはいつの出来事じゃ?」

「四日や五日前のはずだが。本当に大丈夫か? 今どこにいる、迎えに行くから」


 リリウスが何か言っているがまるで頭に入ってこない。

 四日や五日も前の出来事を思い出せないのは怪我のショックで済ませられる。まだ納得はできる。だがその日から今日に至るまでのすべてを喪失しているのは異常だ。


「なあ、本当に大丈夫なのか?」

「ん? あぁ、今は問題ない」

「アルテナに診てもらおう。迎えに行くから場所を教えてくれ」

「よい、おぬしに来てもらうよりも自分で向かった方が早い」

「そりゃあそうかもしれないが……」


 自分の頬が緩んでいることにふと気づいた。

 心配してくれるのが嬉しい。迎えに来ると言ってくれたことが嬉しい。嬉しいと思えることが何よりも嬉しい。

 だってそれは愛しているっていう証だから。


 すべてをぶち壊すことになるのだとしても決闘を挑んでくれたことも嬉しい、と言えば呆れられそうだが、それでも嬉しいと思えるのは愛であるからだ。大義よりも復讐よりも己のために剣を手に取ってくれたことが嬉しいなんて口が裂けても言えない。

 それでも嬉しいと感じる心は止められないし、今は彼の声をもっと長く聞いていたい。


「心配無用じゃ、すぐに治療に向かうでな」

「そうしてくれ。すぐな、すぐ。変な用事作っていかなかったなんてやめてくれよ」

「わかっとるわ。そっちは何をしておる?」

「トキムネくんの家にいる」

「なんでトキムネなんじゃ?」

「青の薔薇の幹部を捕まえようと思ってね。下準備中なんだ」


 悪戯のタネを嬉々として明かすリリウスの声を聞きながら適当に相槌を打つ。

 自分の声が煩わしいけれど相槌をせねば彼はきっと心配になって話をやめてしまうから適当にうんとかそうなのじゃとか言っておく。


「ちゃんと聞いてる?」


「聞いておるよ。……会いたいよ」

「俺もさ。でも先に治療ね、俺が迎えに行くってプランもお勧めだけど」

「いいのじゃ。おぬしの邪魔はしとうない」

「邪魔なんかじゃない」

「よいのじゃ。だから今はおぬしの時間を分けておくれ」


 ウルドは知っている。彼と自分では生きる時間が違う。永遠の時を生きる自分と定められた命の彼が共に過ごす時間はきっと自分が願うよりもずっと少ない。


 彼はきっと夜空を走る流星のように瞬きの間に命を燃やして消えていく。

 別れたくないと願ったところで命の長さは残酷なまでに変わらない。……だから少しでも多くの思い出が欲しい。


「……そのセリフ死亡フラグじゃね?」

「馬鹿を言うな。おぬしの何倍も長生きするわい!」


 こうして笑っていられる時が少ないのだとしても後悔なんかしない。

 時に思い出して泣いてしまうかもしれないけれど、愛したことを後悔なんてするものか。


「リリウス」

「おう?」

「好きじゃよ」

「……俺もだよ」


 いつか必ず訪れるお別れを抱きながらウルドは流星を愛した。

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― 新着の感想 ―
[一言] 裏設定を開示するエイプリルフールネタのようなものかと思ったら物語にしっかりと爪痕を残すんですねえ。 描写されなかった鑑定のアシェラは何か掴んでいそう。
2023/05/31 14:40 名無しの背高人
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