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最終章 『春のマリア』  作者: 松島 雄二郎
ヴァカンス&ダンジョンシーカーズ
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主人公不在のリゾートで③ 英雄の病気

 時はだいぶ遡り、怪獣大決戦の直後。

 小銭皇子ことクリストファーはベッドで寝息を立てるエレン姫を見つめながら頭を抱えている。


「どうしてこうなった……?」


 最初は疲れたので眠ろうとベッドに入ったらエレン姫まで入ってきた。

 疲れたから寝かせてくれと断る暇もなく情熱的に胸に飛びついてきた。反射的にディープスリープの魔法で昏睡させてしまったが私は悪くないと断言できる。


 一眠りして起きたら別荘に山ほどの招待状が届いていた。

 直近ではお茶会やら夜会やらで、だいぶ先になる娘のデビュタントのパートナーという半年先を予約するようなふざけた手紙まで届いていた。しかもほぼほぼ知らない奴らからだ。


 女中のアスタリアが銀のトレイにこんもり載せた手紙。差出人の名前だけを確認してベッド下のゴミ箱に捨てていく。


「まったく、ここにいるのは手紙の出し方も知らぬ無礼者ばかりか……」

「雅さを弁えぬ拙速と伝統ある愚鈍さ、前者をお取りになったのでしょう」

「ふんっ、オージュバルトを悪く言ったつもりはないぞ」

「承知しておりますわ。ですが彼らの気持ちもわかるのです」

「伝統を無視してこうして私の不興を買う者どもの気持ちがわかるのは、君もまた同じ考えを持つからというわけだ」

「はい、私達は同じ熱狂の中にいるのです。クリス様はご器量を示されました、そして人々は何としてもクリス様の御旗の下に集まりたいと考えたのです。彼らのちからはけして大きなものではございません。ですが立場を決めかねている者どもの背を押す追い風にはなります。……帝国の頂点を目指すクリス様と我らオージュバルトと、彼らはいま同じ想いを抱いているのです」


 この女は主人の不興を買わない立ち回りに徹しているのだと思っていた。

 だが物言わぬ女中ではなく自らの考えを述べ、主人の浅はかさを戒める器量を持っている。


「伝統を重んじるクリス様の御心もございましょうが、今は実利をお取りくださいまし。寛大な心で彼らの非礼を許し、彼らの剣をお受けになっていただきたく存じます」


 この忠告が無駄になってもいい。これが原因で屋敷から追い出されても構わない。最悪怒りに任せて殺されることもあるだろう。

 アスタリアはその覚悟でオージュバルトの意思を伝えている。……クリストファーとてその程度の察しはつく。

 交渉の手立てに恐怖をも活用する男が、自分に意見するのがどれほど恐ろしいことかを理解していないわけがない。


「どうやら君を侮っていたようだ。気高いな。しがらみなく配下として欲しくなってきたよ」

「お褒めの言葉ありがたく。では彼らの招待をお受けになると?」

「うむ、受けよう」


 クリストファーは己が言い放ったこの言葉をすぐに後悔することになる。


 アスタリアがカーテンを開く。すると窓の外には行列ができていた。これを見下ろすクリストファーは開いた口が塞がらない。


「は? え、待ってくれ、いったい何なのだこの行列は……」

「皆クリス様の安否を心配してお見舞いに駆け付けた者どもです」

「おみまい? 彼らはいつから……?」

「クリス様がお帰りになった直後からです」


 小銭皇子が懐中時計を確認する。朝の四時半だか五時だかにベッドに入ったはずだから……


 現在時刻は午後の二時だ。え、九時間かそこいらはそこにいるってことか!?

 帰れよ!


 行列がずらっと続いている。別荘街のあちこちを曲がってのものすごい行列だ。いったい何百人いるのだろうか? これが使用人を先ぶれに送り付けた程度なら問題なく断れる。しかし明らかに貴族っぽい連中が並んでいる……


「彼らは皆クリス様の身を案じ、お礼を述べたいと待っていたのです」

「そ…そうか……」


 この後クリストファーは次々と寝室をおとなう貴族どもの相手をすることになった。怪獣大決戦で疲れている時に娘を連れてくる奴はどうかと思ったが礼を受け、一言二言交わしていく。


 十分もそんなことをしている内に寝ぼけていた頭が回り始めた。

 バルコニーに出て「諸君らの気持ちは伝わった!」と演説をぶって、後日改めでこちらから夜会を開くゆえ本日は解散してほしいと告げて事なきを得た。当然のように見舞い客の名簿を作っていたアスタリアの有能さが今だけは負担だ。


 バルコニーに座り込むクリストファー。今ので疲労が完全にぶり返している。


「こ…これでゆっくりと眠れる」

「帝国騎士団から事の仔細をお尋ねしたいと出頭要請が……」

「知らん! 私は何も知らん!」

「それとファウスト・マクローエン辺境伯からお話があると」

「あいつか。それは会わねばならんな……」


 手紙に目を通して返答書を書いて女中のレイシャに渡す。

 よし寝ようと思ったがまだ早いようだ。


「アトラテラ・スカーレイク戦爵からも書簡が届いております」

「寄こせ」


 古く雅な文体で次節の挨拶から始まったクソみたいな手紙を一読して返答書を書く。

 ただ一文「死ね」って書いておいた。


「当家のエスカレドからは今宵夕食を共にしたいと言伝を預かっております」

「……エスカレド殿であれば断るわけにはいかぬだろうな」


「お疲れのようでしたら後日でもよいと」

「構わん。先延ばしにするには気を遣う相手だ」


 夕飯のボス戦に控えてごろりと横になる。目蓋を閉じたと思った次の瞬間にはアスタリアから起こされ、もう夜かと思ったがまだ日は高い。


「……?」

「ファウスト・マクローエンからの返答が届いております」

「ああ、そうか、また動きの速い男だな」


 この後の予定がまた埋まった。彼の所有する別荘に出かけて面倒くさい交渉を成立させねばならなかった。日が暮れる頃にマクローエンの別荘を出て今度はオージュバルトの別荘だ。ボス戦が二連戦だ。

 何だかとても上機嫌なエスカレドからは「実の父のように考えてもらいたい」という面倒くさい発言があったりもした。……どう考えてもこんな体調で向かい合っていい古ダヌキではない。


 帰り道、クリストファーはずどーんと気分が沈んでいた。


「つかれた……」

「本日はこのままお休みになってくださいまし。明日も朝から予定が立て込んでおりますのですから英気を養っていただかなくては」


 ものすごい勢いでアスタリアの方を向いたクリストファーが彼女の手から手帳をぶん盗る。びっしりだ。予定がびっしりだ。朝食はどこぞの貴族を招いて。その後はどこぞのご令嬢とお茶会が二連戦。昼食の予定の後もびっしりと埋まっている。


 クリストファーの鋼鉄の自制心にピキリとヒビが入る音が響き渡った。


(革命を主導し帝国を破壊する私がどうして貴族の相手などに煩わされるのだ……)


 自業自得である。因果応報かもしれない。


(うぅぅぅ…ぼうけんしゃ戻りたい、あの頃はよかった……)


 あの頃はよかった。復讐という大義を掲げてひたすらに金を稼ぎまくっていた。

 ここまでの大金が本当に必要なのか?と疑問に思う必要もなかった。金を集めるのが楽しくて楽しくて仕方なかったのだ。じつにやり甲斐のある日々だった。


 鍛錬をする時間もあった。遊びに行く時間もあった。……思えば幸せな日々だった。


 自由とは掛け替えのない財産だったのだなと思う今日この頃である。


 その時だ、どこかの幼女がパパと一緒に子犬の散歩をしている光景を目撃した。


(犬はよいな、何も考えずただ愛想を振りまいて餌を食む堕落の日々だ)


 一度別荘に戻ってベッドに横になったクリストファーは考えた。

 この地獄の日々から脱出する方法を考えた。



◇◇◇◇◇◇



 ジョンはいわゆる駄犬だ。何もしない代わりに愛想を振りまいてご主人から貰える餌を食むだけの非生産的な生き物だ。しかし幸せだ。

 変な予定に煩わされることのない自由の時間。怠惰にも惰眠を貪っていられる幸せ。そして惰眠を貪ろうと誰も怒ったりはしない。ジョンは自由犬なのだ。


 優しい主人に巡り合い、ジョンは今しあわせを感じている。


「マリアー、ジョンがシャワールームに入ってきちまうぞ!」

「またかー。お前は女子の裸が好きだねえ、エロ犬なのかぁ?」


 解せぬ。ただ水を浴びたかっただけのジョンは受ける謂れのない風評被害に不満を抱きながら「きゃん!」って鳴いた。


 駄犬はただ鳴いてりゃいい。誰も犬には多くを求めない。誰も犬には仕事をさせようとしない。


(私はこのまま犬になりたい)


 呑気にアクビをしながら尻尾を巻いて丸くなるジョン(クリストファー)が夕食後のお昼寝を始めた。

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