青の薔薇を捕まえろ 下準備①
クラーケンハンターの朝は早い。……疲れていたんだろうな、結局目を覚ましたのは翌日の早朝になった。
宿の店主さんも心配で何度か様子を見に来てくれたらしいが全然気づかなかった。疲労のせいにしたいが油断だ。気が緩んでいるのなら引き締めないとな。
丸一日ぶりの食事は簡単に済ませる。焼きたてのパンとA5用紙のようなステーキ肉を三枚ぺろりとたいらげて、支払いを終えて宿を出る。
早朝から朝に変化しつつある町は本来の賑やかさを取り戻している。町を見て回りたい気持ちもあるがグッと堪えて正門に向かう。
まだ開門の時刻ではないようだ。開いてもいない町の正門を跳躍で飛び越える。衛兵の気分で変わる開閉時間なんかでタイムロスはしたくない。……田舎の町だと最悪昼まで待たされるんだよ。寝過ごしたとか言ってさ。
正門の向こうに広がる密林の光景。街道らしきものがまっすぐに伸びているが技術力がゴミなので芝草は生え放題だし倒木が一部を塞いでいるし大きな穴が空いている場所もある。
公共事情で大きな道を作ったはいいが管理はサボっている。そんな感じだ。
軽くストレッチをしてから走り出す。
ドルドム男爵領の町ドルドムントまでは一般人の脚で三日。冒険者なら一日。さてリリウス君の少し早めのジョギングならどのくらいでしょう? 答えはジョギングの後だ。
早々と流れていく早朝の密林の光景。密林の中に敷かれた街道を軽やかに走り抜けていく。
途中で街道が枝分かれしたが店主の言葉を信じて左を選ぶ。何度か分かれ道があったが全部左。
道がどんな形で分かれていようが常に左手の方に進めば着くという天才的な助言を貰ったのだ。これなら馬鹿でも間違わないから店主のおっさん優秀だよ。……これで別の場所にたどり着いたら笑うわ。
変な予感を感じつつも領都ドルドムには普通に到着した。合間に小さな開拓村二つと領境で通行税を要求してくる面白い兵隊がいたが後者とは話し合い(物理)で合意を得た。
懐中時計を確認する。午前の十時だ。町を出たのがおよそ八時くらいだから答えは二時間弱ってところか。
領都ドルドムは冴えない田舎町という景観だ。密林の中にでかい壁で囲んだ人里を作り、当初の予定よりも大きく増えていった人口を賄うために無計画に石造りの家を改築していった末期建造物だ。
見た感じは畑や遊牧なんかはやってない。そんなスペースもない。密林での採集と狩猟と外からやってくる商人の運ぶ食品で賄っているのだろうか?
それとも途中で見かけた貧相な開拓村に頼り切り? 食料問題は不明だ。
人口は多い。小さな町なのに人が大通りは混雑していて、通行人の多くは冒険者だ。ダンジョンから一番近い町だから当然だな。
正門を潜って最初に感じたのは懐かしいという感覚だ。
もう随分と前にあの迷宮でファラとリリアと出会い、この町でアシェル・アル・シェラドに鑑定してもらった。思えば随分と色々あったもんだ。
懐かしさに誘われるふうに町の西側を目指して歩いていくと大きな川がある。水門と河川の設備はグランバニア時代の名残りなのか高い技術力が使われている。
かつてアシェルが天幕を張っていたそこには見知らぬ商人が品を並べていた。
そりゃそうだと思いながら商人から変な果物を買い求め、パインのように硬い表皮を剥いで皮の裏側に密集するザクロのような身の部分に齧りつく。
「んぐ、甘い。病気になりそうな甘さだ」
強烈に甘くてどろどろの汁気。腐臭に近い香り。平民は気にしないのかもしれないが、貴族が食べるには何らかの加工が必要になるな。
手をべたべたにしながら食べ歩きをし、冒険者ギルドに向かう。
冒険者ギルドはどこの町ですぐにわかる。どこの町だろうが必ず正門近くのメインストリートに存在し、いつだって冒険者どもの活気に溢れていて、剣と戦士の横顔の鉄看板を掲げている。
そういえばこの町のギルドに来るのは初めてだ。
スイングドアを開いて入店すると荒くれ冒険者どもの視線が一斉に集まり、すぐに興味を失ったみたいに視線を外していった。
まぁ田舎のギルドって感じの中身だ。受付窓口が三か所。酒場を併設。外観は三階建てだったが階段は職員用エリアに隠されていて冒険者は立ち入り禁止だ。
酒場はこの時間にも関わらず満席。カウンター席がちらほら空いているだけだ。
ちょうど空いている窓口がある。愛想だけが取り得といった感じの町娘がギルド職員をやっている。そんな雰囲気の受付嬢に声をかける。
「ちょいと驚くようなことを言うが大声を出したりはしないでほしい」
「はい? ええ、それはもちろん、……内容によりますが」
聖銀の冒険者カードを見せる。
「大師ブラスト直属の救世の団の者だ。近隣の情勢を知りたい」
「え?」
「俺が何を言っているのかわからないのなら上級職員かギルマスに話をしてこい。当然だが慌てたりはせずにゆっくりと小さな声でだ」
「は…はい」
慌てるなと言いつけたが受付嬢が慌てて走り去っていった。まあのんびりした田舎のギルドだ。こんなもんだろう。
すぐにやってきたギルマスっぽいおじさんが窓口から顔を出し、親指をくいっとやって職員用の扉を使えと指示してきた。
慣れたもんだがこのやり取りはいつもワクワクするぜ。
◇◇◇◇◇◇
彼は……そうだな、仮にTとしておこう。
Tは一流の冒険者であり小規模ながら徒党を率いるボスだ。彼の他は農民に毛の生えた素人同然のツヨノゥミンでしかないが稼ぎはそれなりにある。彼の徒党はダンジョンシーカーなのだ。
大きなリスクを背負っての大きな稼ぎ。迷宮から産出されるドロップ品や魔石を金に換える彼らは一度のアタックで金貨数枚程度を稼ぎ出す。まさに平民が夢見る成功者そのものだ。
そんなTの朝は遅い。寝床にしているボロ宿で一枚の毛布を掛けたままで起き上がり、アクビをしながら井戸に向かう。当然だが愛刀は常に左手にある。
全裸になって井戸で冷水を被る。二度や三度被るだけで済ませ、ひげ剃りは三日か四日に一度する。気になったらする。
行水をしていると宿の娘さんから熱い視線を感じる。昔ならすぐに手を出していただろうがTはもうそういう安っぽいのは卒業した。Tは愛する者のために刀を振るうと亡き兄の墓標に誓い、誓ったからには他の女が目に入らなくなった。
バスタオルというには粗末な手ぬぐいを差し出してくれる宿の娘さんに感謝を告げて、鍛えぬいた肉体から零れ落ちる水滴を手ぬぐいで適当に落としていく。
最後には着古した着流し、ではなくこちらで買い求めた貧相な古着を纏う。
丈がやや短いズボンと昔から使っている上等な飛竜革のベルト。胸元をヒモで留めるだぼだぼのシャツ。これで刀を佩いていなければどこからどう見てもただの農民に見えるはずだ。とてもではないが一流の冒険者には見えない。
見る者が見れば彼の狼の如き精悍な顔立ちと粗野な振る舞いの中に隠れ潜む気品を見抜くのだろうが、田舎町で暮らすここしか知らない人々の目には、ちょいとくたびれた雰囲気を持つ若者くらいにしか映らない。
ダンジョンシーカーTの朝は遅い。だがドルドムの冒険者の朝としては早い方だ。密林を掻き分けての歩き道。迷宮潜り。帰路。これらを考えると夕方から潜ってもいいくらいだ。
実際ドルドムに腰を据えているクランの多くは昼過ぎから活動を始める。こうした常識を知らない余所からの出稼ぎ組は朝早くに出かけて真っ暗な密林に苦労しながら町に帰ってくる。せっかく迷宮で拾った命を夜の闇に脅かされながら帰ってくるのだ。
Tもまたそのような愚か者かと言えば違う。余所とは違うスタイルで動いているだけだ。
遅くとも正午すぎに迷宮に潜り、翌朝までのロングスパンで潜って帰ってくる。休日は中三日。その時間を鍛錬に充てて獲得した魔素を肉体に馴染ませる。
彼は迷宮でどうすれば強くなれるのかを知り抜いている。より深い階層で戦うためにもまずはツヨノゥミン達を鍛えなければならないので独自のスタイルを提唱した。
農民は所詮農民だ。魔物とも呼べない動物も同然のしょっぱい魔物を倒していい気になっていたような連中だ。レベルだって10の壁を越えられないまま生涯を終える連中だ。こいつらの性根を叩き直して立派な冒険者にするのがTの使命だ。
Tが冒険者ギルドに顔を出すと可愛い子分どもが寄ってくる。ただ今日は普段とは様子がちがう。やけに興奮している。
「兄貴!」
「おう、どうしたよ。やけに鼻息が荒いじゃねえか」
「鼻息て。いや興奮もしますよ、すげえ冒険者が来てるらしいっす。SランカーっすよSランカー!」
「ほぉ、そいつは珍しいな」
TもSランカーがどれだけ珍しい生き物なのかは知っている。ドルジア全体で二人しかいないというのは冒険者の間では有名な話だ。当然二つ名付きで名前も知れ渡っている。
「飛刀のディオネラか剣王リヴィオか、どっちだ?」
「どっちでもないみたいです!」
「血を頭から被ったみたいな真っ赤な髪の、なんて言っていいかわかんねえけどオシャレな感じの若い男だったっす!」
「筋肉もえぐかったっす。こう見た瞬間にこいつやべえって思って目を逸らしちまいました。いやあ今になって思えばあれがSランクのオーラだったんすねえ」
語りたくて仕方ないって感じだ。
最近までド田舎の村で好奇心を持て余していた子分どもが、吟遊詩人が勲詩にするような冒険者を見れば興奮するのは当然だ。Tも理解はできる、子供だなとは思うだけだ。
しかし……
「赤毛のマッチョねえ。いやまさかな……」
「お知り合いっすか?」
「話してやったことがあったかは忘れたがオレの弟分もそんな感じでよ。そいつもSランカーなんだよ」
「すげえ、トキの兄ぃSランカーの弟分がいるんすか!?」
「いや別にすごかねえよ。あいつがギルドに加盟した頃から付き合いがあるってだけだ。色々世話してやったから慕われてるだけよ」
「いやすげえっす!」
「Sランカーの世話を焼いてやったとか憧れるっす!」
「そいつなんて二つ名なんすか!?」
「あー、うっせえうっせえ。てめえらこれから村に戻るってわかってやがるのか?」
「「うっす!」」
「返事だけはいいから困るぜ。村長から頼まれた塩と霊草は買ってあるよな?」
「うす。この通りっす」
「おし、じゃあオレらのエンズ村に帰んぞ」
Tが号令を発し、子分どもが酒場の端っこに置いてた大荷物を背負い始める。
Tは愛する妻と子のいる村へと帰る。まさかすべてを吹き飛ばす暴風が近づいているとは知らずに……
◇◇◇◇◇◇
陽光のこぼれいずるギルドマスターの執務室に大きなため息がこぼれる。
「まさか救世の団の方が実在するとはな」
「信じていなかったんですか?」
「信じたくはないが本音だ。迷宮が暴走する時に現れると教えられている身としてはね」
「今回はそちらの用件ではない、と言ったところで安心できるとは考えておりません」
「まあそうだな」
真実は時に毒になる。俺が何を言ったところで信じられない人は信じられない。
モンスターパレードを恐れた彼がこのあと妻子を連れて町を出る可能性は覆らない。毒ってのはこれだ。恐怖は、死は正常な判断を狂わせるのだ。
「ですから行動で示しましょう。迷宮を攻略してきます、それなら信じられるでしょう?」
「無論信じられる。だがそんなに簡単に……いや救世の団の者であれば当然のようにドルドム迷宮の脅威度も知らずに言い切れるものなのか?」
「低層の脅威度は低いとは聞いていますよ。十層以降は地獄だともね」
「それをわかっていながら攻略すると吠えるか。ドルドム迷宮は層によって脅威度が飛躍的に変わる特殊な迷宮だ。別名をコロシアムと言い、凄まじい数のモンスターと戦わなければならない。侮るわけではないがソロでは不可能だ」
「問題ありませんよ」
「しかし……」
「実際に俺は十一歳の頃に最下層まで降りているんです。守護者は難しいと思って帰って来ましたがね」
「そんな馬鹿な」
「信じられないのなら構いません。迷宮の攻略こそが動かぬ証拠になるでしょう」
「凄まじい自信だな。いや事実としてそれだけの実力があるわけか。信頼のできるクランをサポートに付けても構わないか?」
「わるいが遠慮してくれ。俺の技には誰もついてこられない」
「承知した」
まだ何か言いたそうなギルマスさんが苦虫を噛み潰したような顔で呑み込む。
誇りがあるのかもしれない。高難度迷宮を管理する迷宮支配者としての誇りを、余所からやってきた若者に踏みにじられるが許せないのかもしれない。
「それとエンズ村までの詳細なルートが知りたい。可能ならドルドム男爵領全域を記した地図、ランダーギア地方を記した地図の二枚をいただきたい」
「用意させる。がエンズ村だと? あんな村が何だというのだ?」
「ご厚意には感謝しているがあなたに俺の仕事内容を知る権限はない」
「承知しているさ。他には何を?」
「ドルドム男爵家の家系図や詳細、どういった影響力を有していてどこと懇意であるかを詳しく聞きたいね」
「……どうして救世の団が一介の男爵家の執政に興味を持つ」
「先に権限がないと言っておいたはずだ」
「時間をくれ」
この反応はクロだな。こいつは何らかの形で男爵家と関わりがある。調べられると困る何かがあって、こいつはそれを調べられたくない。まぁ事情は察するにあまりあるってやつだな。
「温いことを言ってんじゃねえぞ。土地の冒険者ギルドは領主及び代官などの情報収集を欠かしたりしねえ。俺の欲しい情報なんざすでに調査済みに決まってんだよ」
「そういきり立たないでくれ。何も用意しないとは……」
立ち上がろうとしたギルマスの顎を砕く。ぐらりと揺れてそのままソファに倒れ込んだギルマスが流血する口元を抑えながら目を白黒させている。何をされたかもわからない弱者なのだ。
「なあ、俺そんなに難しいこと言ってるかな?」
ギルマスさんの肩を抱く。小刻みに震えているおっさんの目が血走っている。
「あるものを出せと言ってるだけだろ。救世の団の権限はギルド本部の上級職員を越えて大師ブラストに準ずる。規約通りじゃないか」
「……」
「どうして渡せない? 改竄する時間が必要なのか?」
「そういう…わけではないが……」
「じゃあ俺を舐めてるわけだ。そうなんだろ?」
「侮ってなど……」
「思念話が阻害されているのはわかるだろ。無駄なまねはよしとけよ」
最後の切り札さえも通じずにがっくりと項垂れるギルマスさんである。暴力を交えた交渉は大の得意!
この後はギルマスさんと仲良く肩を組みながら書庫に向かい、必要な書類を入手した。
いやぁ他もこのくらいチョロいとありがたいんだけどな。
◇◇◇◇◇◇
嵐みたいなSランカーが高笑いしながら去っていった。
その背中を呆然と見送るギルドマスターはしばしボケ~っとしていたが、やがて正気に戻り、自分の傍をおろおろしている職員に怒鳴り散らす。
「殺せ!」
怒鳴り散らす。
「あのクソガキを殺せぇええ!」
「でっ、でもでも殺せってどうやってですか!?」
「ファイルーズのクランに依頼を回せ。同行するふりでも何でもして迷宮内で殺せと言っておけ!」
「そんな。そんなのルール違反です、ルールを守るべきギルドがそんなことを―――」
平手打ちが炸裂する。
ごちゃごちゃうるさい受付嬢が倒れて、その腹にめがけてキックを噛ますギルマスは本気でキレている。俺の命令に従わないやつが悪だと言わんばかりだ。
「クソが! どいつもこいつも使えねえ!」
書庫を出る。怒りに任せたうるさい足音を出しながら階段を下り、裏で仕事をしている職員どもに怒鳴り散らす。
「おう、てめえは男爵様のところに行け。緊急の話があると伝えて屋敷にあがってもいい時間を聞いてこい! てめえはファイルーズを呼び出せ。緊急だ。金は弾むから早く来いとでも言っておけ! てめえは―――」
怒鳴り散らすギルマスさんの背後で、スプーンが怪しくギラリと光った。




