シリアスな人達 お気楽な人達 ばかな犬
散発的に鳴り響く炸裂音によって騎士団の発出所が揺れている。ずずんずずんと腹に響く重い音が鳴るたびにリゾートが揺れている。もう完全に地震だ。
「騎士団長閣下、本当に魔導防壁の増強のみでよろしいのでしょうか?」
「あれの怒りがこちらに向くのだけは避けたい。宿泊客の安全を考えれば討伐よりもやり過ごす方が賢明だ」
重々しい口調でそういったガーランド閣下が「いよいよとなれば倒す他にないがな」とぼそっと付け加える。
「戦時体制を限定的に解除。即応部隊を待機させながら休憩を回しておけ。様子を見ながら指示を変えるつもりだが基本戦術は防衛であると心得よ」
「はっ! 民間の消灯については維持なさいますか?」
「維持せよ。明かりにつられて寄って来られては敵わん」
騎士が来た時と同じく走って出ていった。
数百メートル程度の遠くと遠隔で会話する思念話は便利だが高位の魔物を相手にしている時は危ない。特に竜や高位アンデッドは思念話を盗み聞きしてこっちの戦術を逆手に取るくらいはやってくる。
こんな距離で思念でやり取りをするのなんて敵に位置を教えているも同じだ。
別荘の立ち並ぶ市街地内の発出所に騎士団のお偉方が勢ぞろいしている。夏の間だけ臨時司令官としてやってきたグリムニル・フラメイオン卿とかもっと高齢の幹部とかうちの親父殿もいる。一応中将の位を貰ってるからね。
カード遊び用のテーブルとかビリヤード台やら剣やらが置かれた士官用のガンルームは葉巻の煙が充満している。軍のお偉いさんって葉巻をスパスパ吸いながら会議するよね。
いつも眉間に皺を寄せているフラメイオン卿が苛立たしげに葉巻を吸いこみ、吐き出しとイライラしながら言う。
「ガーランド、休暇中にすまんな」
「よい、休暇だのなんだの言っていられる状況ではなかろう」
お二人は仲が悪いとは聞いているが非常時にあっては手を組める間柄のようだ。人間的には気に食わないけど信頼はある感じだ。
ラタトナ軍港に駐屯する三千名の兵隊の内訳は騎士階級が二百名。2800名がその配下である。現在はこれらが備蓄の魔石や内在魔法力を用いてラタトナリゾートの魔導防壁を強化・保持している。
あの怪獣どもの攻撃にどれだけ耐えられるかは不明だが、余波を防ぐだけならできている。今のところはそれが事実だ。
フラメイオン卿が音頭を取る。休暇中の騎士団長に配慮しているのかもしれない。
「さてと、随分と遅れてしまったが当座の方針についての話し合いを始めたい。現状は動きがあるまで静観がガーランドの方針だが反対意見はあるか?」
みんなむっつりしながら無言である。勇敢な意見を言いだす馬鹿がいないのはありがたいね。……あの怪獣大決戦を見てれば戦う気なんか失せて当然か。
「現状は静観。では動きがあった時の方針はどうする。例えばそうだな、あの怪物の一体が意図せず近寄ってきた時か」
「騎兵三騎を決死兵として出せばよい」
「打倒ではなく誘導と割り切って使い捨てるか? 気に食わんな」
「では倒すか。他の怪物どもの注意を惹きかねんぞ」
「コストを考えれば平民兵二名、騎士階級一名なら手を打てるな」
倫理観の欠如した仮定戦術が次々と決まっていく。そして彼らなら本当にその時が来たらそれを実行する。
成熟した平民兵の価値は育成に掛かった金貨60枚。騎士なら金貨300枚。軍は彼らにそれだけの投資を行ってきた。そしてこういう非常時に命で回収する。グリフォン三騎の市場価格を合わせて考えれば怪物一体の誘導に金貨1000枚が必要であり、それで成功するなら出すべきだと計算している。リゾートへの被害を考えれば軽微な出費であると。
嫌な考え方だが社会ってのは多かれ少なかれこういう理屈で回っている。アルバイトだって自分の命を一時間幾らで切り売りしているんだ。
理屈はわかっている。割り切ろうとも思う。でも嫌だと思うのは止められない。やっぱりアルバイトと使い捨ての特攻兵はちがうよ。
発言する。
「その時は俺が出ます」
「お前が責任を感じる必要はない。息子に行かせるくらいなら俺が行く。久しぶりにドラゴンスレイヤーになって若い子にモテてみようと―――」
「やめとけ、親父殿には無理だ。相手はハザク神だぞ」
「なにぃ、……ハザク神? ハザク神とは何だ?」
「あのでかい鋼鉄のシャチだよ。怪獣大決戦に混じって小さな金属の立方体がいたろ」
「あの回転している変なのか?」
「そいつらだ。そいつらはエントリアルっつーんだがエントリアルが崇める神がハザク神なんだ。神格はデス神やストラと同じ最高位。つっても信仰のちからは個体数の関係もあってそこまでではないがそれでも人の敵う相手じゃない」
イザールと俺と闘争の三女神シェナに加えてクソ強いリサイクルソルジャーの大部隊でようやく倒せたような怪物だ。親父殿なんて近づいただけで蒸発するわい。
フラメイオン卿が訝しむふうに問うてくる。
「そんな情報があるのならどうして黙っていた?」
「情報を出すべきか迷っていました。縁とゆかりのある神です。狂乱の状態異常が終わった後なら対話可能なんです」
「狂乱?」
「ハザク神は狂戦士の語源になった荒ぶる破壊神ですが戦の血を浴びなければ穏やかなもんです。誰にも倒せない、大暴れしてすっきりするまで止められない怪物なんですよ」
フラメイオン卿が拳をがちんと俺の頭に落とした。軽い感じだ。
「煽りに聞こえると踏んだか。気を回しすぎだ、お前の助言なら聞き入れるから今度からはすぐに発言してくれ」
「はい、フラメイオン卿の寛大な心を信じて発言します」
「馬鹿者め、それは振りになっている」
フラメイオン卿とはもうマブダチみたいなもんだからな。友好的を通り越してるぜ。
なお皆さんから期待の眼差しがやってきたが他は知らんやつなのでガッカリさせてしまったぜ。
「素人意見ですいませんが静観が最善であると考えます。あのドラゴンとクジラの意図は読めませんが、両者が敵対しながらもクリストファー皇子殿下を狙っている現状手を出すべきではありません」
「しかしそれでは皇子殿下が……」
モブ将校さんがそう言い、閣下が窘めるふうに肩に手を置く。
「あの者はそう簡単にくたばったりはせん。というかだ、存外勝ってしまうかもしれん」
「助勢は……?」
モブ将校さんが食い下がる。
「どうして最初から皇子殿下の援軍を考えておられないのですか? 閣下にとってもあの御方は愛弟子であるはずなのにどうして……」
「よい機会だと思ってな」
「それは……」
誰にとってのよい機会だ、と問うべき言葉は萎んで消えた。
俺は先に話を聞いていたからかすんなりと耳に入ってきたよ。貴族どもにドルジア皇族のちからを示すよい機会だ。やつを取り込もうとするオージュバルトに恐怖を教えてやるよい機会だ。
皇室から求心力の落ちた帝国において形骸化した古き竜の一族が復活する。その一助となればいいと考えているのだ。
「閣下はクリストファーが負けるとは微塵も考えておられないのですね」
「左様。お前も色々と気を遣ってくれたようだがマクローエンの武勇を今更示してもらう必要はない。此度の武功はあの者にくれてやれ」
厳しいな。本当に要求が厳しい。だがそうでなくては夢さえも見られないのか。
ふと思った。閣下はクリストファーに未来を賭けている。やつが裏切る可能性を知りながらやつに希望を求めている。
情愛ゆえか執着か、妄信ではないはずだ。わからないな。
もしかしたら俺もあいつも知らない、気づいてもいない、何かがあるんだろうか?
◇◇◇◇◇◇
ラタトナ離宮は過去の占拠事件で一時はその防備を疑われたものの、以前として要塞並みの防御力を誇ると信じられている。
リゾートの宿泊客は今夜一晩の避難を強いられている。
相当な部屋数を誇るとはいえ貴族でさえも相部屋を強いられる現状では使用人は廊下に放置。よほど疲れているのか毛布を被って寝入る者もいるが使用人の多くは主の部屋を守るために整列している。主人の評判を貶めてなるものかと威勢を張っているのかもしれない。
腕利きっぽい護衛の兄ちゃんたちが座ってトランプで遊んでる方がずっと安心できるけどね。あの緊張具合じゃいざという時は疲れ果てているだろうよ。
「殺害の王の権能が機能しなかった。殺すつもりで砕いて殺せない、俺では王のちからを御しきれていないってのか?」
先の決闘では何度か殺したと確信を抱き、だが殺せなかった。
殺害の王の権能は死だ。殺してやる能力に特化していながら殺せなかった。コレガワカラナイ。
実力的には十分に届いているはずなのにアシェラが止める理由は何だ? どうして教えてくれない? 俺に教えると不味いのか?
何とももやもやした気持ちを抱えたままロザリアお嬢様の部屋の前に立つ。歩哨として立つ顔見知りの騎士に会釈してからノックする。
「戻りました。まだ起きていらっしゃいますか?」
「ええ、どうぞいらっしゃい」
「それでは」
入室する。広いツインルームにはロザリアお嬢様とシャルロッテ様とデブがいる。三馬鹿プラスワン勢ぞろいってわけだ。
開口一番でお嬢様がこう尋ねてくる。
「それでどうなの?」
「閣下からはお嬢様たちを連れて帝都に戻るようにと提案がありました」
「提案ねぇ、それってわたくしに判断しろと?」
俺の判断に任せてくださると仰っていたがそこは忖度しよう。
「ええ、お嬢様のご判断に従います」
「皆を置いて我先にと逃げてはバートランドの名を汚す。逃げる時は最後の一人になってからです。……いえ、最後の四人かしら」
お嬢様がくすりと笑う。エストカント市からこっち調子が悪かったみたいだが完全に調子を取り戻しているな。
うん、やっぱりお嬢様はこうじゃねえとな!
「わたくしたちを守りなさい」
「はっ、捧げた剣に誓ってお守りいたします!」
「もしゃもしゃ、頼むよ~もしゃもしゃ」
デブよ、お前も守る側の立場なんだよ。しれっと守られるサイドに移動するんじゃあない。お前に何かできるとは思えないけど!
ここで気づいた。我が妻ウルドはどこへ?
「ウルドがどこに行ったか知りませんか?」
「あの方ならお友達と合流すると言って消えたわ。驚いたわね」
「ええ、本当に消えちゃったもの。転移魔法って本当にあるのねえ、さすがハイエルフってとこかしら」
俺も使えるけど黙っておこう。実演してと言われて貴重なリバイブエナジーを浪費するのは避けたい。
最悪この方々だけでも帝都のLM商会まで転移させれば済む。
重低音の響く夜空を窓越しに見上げお嬢様が辛そうに呟く。
「弱いって辛いわね。クリス様に守っていただくことしかできないなんて……」
あ、そういう解釈なんだ。
やつがリゾートに逃げ込んでこない理由は一個だけです。賠償金が怖いからですよ。
◇◇◇◇◇◇
沖合での怪獣大決戦に沈静化は見られない。ずしんずしんと響く揺れに天井から埃が落ちてくる。
オージュバルトの屋敷で事のなりゆきを見守るエスカレドは窓の向こうを瞬く光の乱舞を見つめる姪達の肩を抱く。
「もう休みなさい。このままではお前達が先にまいってしまう」
「クリス様が戦っておられるのにどうして先に休めるのでしょう。わたくしたちを守るために戦っておられるのですよ!」
エレンが悲鳴のように叫び、女中たちも強張った顔で頷いている。
その想いに気圧されてエスカレドも意見を引っ込める。
「そうだね、その通りだ。戦いを終えた彼が目にするものはぐっすりと眠って溌剌としたお前達よりも憔悴した姿を見せたほうがよい」
「叔父さまはどうしてそんな考え方しかおできにならないの?」
「家には一人くらい感情ではなく利益を計算できる男がいた方がいい。お前達の誰にもできないのなら私がやるしかないだろ?」
貴族らしい理屈は今の娘達には届かない。それは理解している。
いよいよとなれば彼女達を連れてリゾートから脱出するために観測兵を出しているが、この様子では避難を拒まれそうだ。
辺境伯家の重鎮エスカレド・オージュバルトを親の仇のように睨みつける娘達は恋をしているのだ。自分を守るために戦う男の背中に恋をした。……まったく裏工作の必要もないんだなと笑ってしまいそうだ。
やりてババアのようにあれやこれやとお膳立てをせずとも自然に惹かれている。これは王の資質だ。王とは恐れられながらも傍から離れたくないと心を惹きつける存在でなくてはならない。恐怖だけでは足りない。恐怖だけでは王のちからの衰えと共に離反者が増える。
だが杞憂だ。リゾートに集まる数百という人々を守るために怪獣どもと戦う彼の背に人々が何を見る?
あの空を焼き海を砕く大決戦を堂々と戦い抜く英雄の背に何も思わないわけがない。
エスカレドでさえ心ざわめくものがある。年頃の娘となれば想いもいっそう強かろう。
「冷血に見えるのだろうが私も何も思わないわけではない。彼の献身にオージュバルトは報いねばならない。戦いを終えた男はお前達が慰めてやりなさい」
「またそういうことを……」
「戦の血に昂った戦士の心を鎮めるには必要なことさ。彼もきっと心から求めてくれる」
「……叔父さまに命じられずともお求めとあらば全霊を尽くしてお慰めいたしますわ」
エレンは無垢な娘だ。狡猾さはないが愛情に素直でひたむきだ。一途に思い続ける初心な娘を嫌う男は少ないが、若い男はセオリーを外すから他にも用意した。
少年の劣情を大きな愛情で受け止める役割として若くして未亡人になってしまったレイシャを用意した。
武芸に秀でたものどうし話も合うだろうとアスタリアを用意した。
すべてはエスカレドが指した盤上の一手なれど、恋をする乙女の眼差しで窓の向こうを見上げる様子を見れば策謀の無力さを思い知る。大人の都合の汚れた愛など放り捨て、彼女らは心のままに恋をしているのだ。
(貴殿なら逃げる程度簡単にできるだろうに踏み留まってくれるとはな。政治であると理解していたはずだ、誠意を説きながらも我らの狙いが不義理であるとわかっていたはずじゃないか。クリストファー、キミはそれでも我らを守ろうとするのか。どうして?)
年経た狡猾な大人では思いつけない。
己の利益ばかりを追いかける凡夫では想像もつかない。
だが彼を案じ続ける美しい娘達の横顔を見ていると答えにたどり着けた気がした。
(キミもまた恋をしているんだね。エレンを、オージュバルトの娘達をここまで想ってくれるキミになら私もまた全力を尽くすと約束する。……だから生きて帰ってきてくれ)
いやそいつは賠償金を払うのが嫌なだけだ。
この世界でクリストファーを真に理解している者だけがたどり着ける真実に、エスカレドはたどり着けなかった。
◇◇◇◇◇◇
怪獣大決戦は混沌を極めている。
天空から絶対に降りてこないでファイヤーブレスを吐き散らかす卑怯な赤竜。
雷撃を自在に操るでかいクジラに乗った女。
全身の砲門から追尾レーザーと特大のごん太ビームを吐く鋼鉄のシャチ。特にこいつがやばい。噛みつき、体当たり、何よりも反則じみた高機動がえぐい。
当初はまだマシだった。リリウスがいたおかげで攻撃が二分されていた。とはいえ隙を見せるとリリウスが襲ってくるので怪獣どもへの攻撃に移れずにいたので、今の方がわかりやすい戦況と言えるのだが、それでも当初の方がマシだったのだ。
怪獣どもは互いにいがみ合う関係のようでシャチとドラゴンが戦っていた。
陣営として考えれば海の仲間陣営と銀狼とリリウスとドラゴンという四つ巴であったのだ。
だがリリウスがいなくなった瞬間に海の仲間陣営とドラゴンが結託してクリストファーを狙い始めた。……仲間が減った今がチャンスと考えたのかもしれない。
数を減らさないと先にこっちが参る。そう考えてクジラを狙いにいったらシャチの逆鱗に触れた。なんとシャチはクジラが好きらしい。絶対に守護るとばかりに戦いがさらなる激しさを増したのだ。
密かに期待していた帝国騎士団からの救援も来ないし。
『うおおおおおおおおおおお! リリウスはともかくファウスト・マクローエンとかスカーレイクとかガーランドは何をやっているんだああああああああああ!』
残念ながらそいつらは静観を決め込んでいる。
賢いやつらは怪獣に手を出さない。何なら小銭皇子が負けたら逃げ出すつもりだ。
日が沈んで夜が来ても大決戦は続いた。
そして夜が明けた。
朝日がのぼると同時に吾に返ったシャチがクジラに寄り添い始め、一緒になって海の中へと消えていった。
その様子を確認した赤竜が翼を広げてゆうゆうと去っていく。
『か…勝ったのか?』
残された聖銀竜はぽかーんとした。
あれほどの激闘が一瞬で終わったので夢でも見ている気分だ。
『こちらを手強いと見て退いたか。……腹が減っただけかもしれんな』
リゾートの上空に向かってから竜化を解いてビーチに降り立つと整列している騎士団から歓呼の声が沸き上がった。
武勇を褒めたたえる歓呼の声はいいんだけどお前ら何もしてなかっただろと文句しかない小銭皇子が不機嫌そうにずんずんと突き進む。
騎士の中には剣を捧げたいと申し出てくるやつもいたが大決戦において何もしなかったやつの働かなそうに剣なんて要らないと無視した。
ビーチから防波堤にあがるとそこには貴族どもがずらりと集まっていた。
みんなしてクリストファーの名前を叫んでいる。英雄の凱旋その光景である。
(こいつら本気か……)
クリストファーを迎え入れる人々の中には見知った顔もある。マリアとかナシェカとかウェルキンとかだ。ちなみにラストさんは大決戦の騒音にも負けず治療後はぐっすり就寝中だ。たぶん後二時間は起きない。
かつては兄と慕ったガーランドなどは親指を掲げてニヤリとしている。
リリウスも「おつかれー」なんて言いながら手を振っている! 疲労の色が全然ない。さっきまで絶対ぐっすり寝てただろこの男!
(本気か……)
事実としてこいつらは! さっきのさっきまで怪獣大決戦を恐れて援護射撃の一つもしなかった連中なのである!
手のひらを返したかのようにこれなのである!
感動の凱旋ではガーランドとフラメイオン卿が何やら感動を煽っている。ラタトナを守った勇者に今一度拍手を的な何かだ。うるせえカスどもと怒鳴りつけてやりたい気分だ。そんな元気は残っていないだけだ。
(やはり貴族どもはクソだな。滅ぼす、絶対に滅ぼしてやる……!)
より決意を固くした復讐鬼である。
とりあえずガーランドに聞いておく。
「被害は?」
「多少は出たが些末なものだ。……賠償の必要はないから安堵していろ」
クリストファーはこの世界でただ一人リリウスだけが己を理解していると考えていたが、ここにももう一人いたのである。
「ならばよい。私はもう寝る、呼び出しや聴取の必要があるなら後日にせよ」
「いいのか、ここで感動的なスピーチでもやればこの者どもを信奉者に変えられるぞ?」
「くだらん。人気取りには興味がない」
「畏怖による信奉を選ぶか、それでは俺もグラスカールも困るのだがな」
「勝手に困っていろ。疲れているのだ、休ませろ、些事はそっちでやれ」
「俺は一応休暇中の身なのだがな」
「その目は節穴か? 私がヴァカンスの最中に見えないのか?」
「同じ言葉をそっくりそのまま返してやってもよいが今回ばかりは労ってやろう。騎士団の動きはこちらで抑えてやる」
忌々しい。忌々しいと感じるのは皇子というだけの小僧ではなく、一人の男として扱われている証なのだろうが、激戦の後なので文句は控えた。
別荘への続く丘の途中にオージュバルトの面々がいる。ボロボロに泣き疲れて顔を赤くしたエレン姫とか愛人枠の女中とかエスカレドとか面倒な連中がいる。
思った。あいつらの相手も大変そうだなって直感的に感じた。
背後でガーランドが噴き出している。
「英雄は大変だな」
(絶対喧嘩売ってるだろこいつらあああああああ!)
英雄に休憩時間は存在しない。歓呼の声に応え、笑顔を振りまき、英雄の愛を求める女たちを抱かなければならないのだ。
がんばれ、逃げるな、戦い抜け、英雄とはそうでなくてはならない。
◇◇◇◇◇◇
怪獣大決戦の終息と同時に戦時厳戒態勢が解除され、リゾート客どもがぱらぱらと自分の別荘に戻り始めている。
熱に浮かされたみたいにクリストファーの武勇を称える人々の中にあって俺らも簡単な荷物だけを持って水上コテージに帰っていく。
「いやぁ、あの顔は傑作でしたね。安全なリゾートに引っ込んでおいてどの面提げて私を迎えられるんだクソがっていう顔でしたよ」
「はいはい変なヘイトスピーチしないの。あんたじゃないんだからクリス様はそんなこと考えたりしないわよ」
「不機嫌そうに見えたけど疲れていただけよ。あんたじゃないんだから」
俺だと言いそうって考えてるところが心にクルな。俺も言わないよ。確実に根に持つけど。いざという時に見捨てるゲージが溜まるけど。
俺と一緒でさっきまでぐっすり寝てた組のシャルロッテ様が恋する乙女みたいな顔になってる。
「はぁー、やっぱりクリス様格好いいなあ。私も狙っちゃおうかなー」
「うんうん、クリス様格好いいわよねー」
「恋敵は排除する主義のお嬢様でもシャルロッテ様の排除は考えないんですね」
「わたくしのこと勘違いしてるわよ。シャルの排除なんてするわけないじゃない」
でも自然と正室は自分でシャルロッテ様は側室とか順位つけてそうなのがTHEバートランドだ。
桟橋を歩いていると俺らの水上コテージの前に人影を見つけた。二人だ。
商人の丁稚奉公って感じの安っぽい貫頭衣に腰布を巻いただけのはだしの少年がいる。見た目は何だか愛らしい系なんだけどどこか食えない部分のありそうな腹黒系の空気のある少年だ。
もう一人は妙齢の美女だ。深い海色の長い髪を桟橋まで垂らし、その頭上には古代の王冠のような珊瑚の髪飾り。衣類は真っ白な布を巻きつけただけだ。印象としてはきつい性格をしていそうな目つきだ。処刑って言葉が似合いそうな女王の空気だ。
なんだこいつら、とは言わない。
少年が両膝を着いて桟橋に頭をこんと打つ。叩頭礼ではなく古い古い大昔の慣習でいうところの謝罪のポーズだ。土下座が一番近い事実よ。
「先ほどは迷惑をおかけしました」
「おう、ようやく正気に戻ったのかよ」
三馬鹿プラスワンの頭上に?マークが浮かんでいる。気持ちはわからないでもない。
事情を聴いてみると俺とクリストファーの決闘の余波でこちらの女性がかすり傷を負い、激高して乱入しちゃったらしい。本当にくだらない理由だとは言わない。非はこちらにあるし女性は傷つけるものではない。
「あー、すまなかったな。この通り頭を下げて詫びる。どうか許してほしい」
「僕らもつい頭に血がのぼってしまったのだし始まりの救世主と敵対するのは本意ではありません。どうか手打ちを」
ここでお嬢様が俺のわき腹にボディボディ。くっ、普通に痛い。
「ねえ、この子達はどこの子?」
「クリストファーの馬鹿野郎がさっきまで戦ってた相手ですよ。狂える戦神ハザクと、そちらの女性は初対面ですね。ハザク君、そっちの子だれ、カノジョ?」
「これなるは蒼海のクライシェ、ぼく深海のハザクと一緒に海の秩序を守ってくれている海の王なんです」
王の名を持つ神とはまた大物を連れてきたな……
王名を持つ神聖は信仰のちからも強い。一部カルト教団で有名な殺害の王。世界的に有名な冥府の王。他にもとある地域でのみ有名な王ってのがいて、蒼海のクライシェはフェスタやトライブ海における最高神格だ。
「さあクライシェ、彼が話していた救世主さんだ。ガレリアとダーナの支配からぼくらを解放してくれる偉大な戦士さんだよ」
「そこまでの奴には見えぬ」
ファーストコンタクトはかなり不機嫌そうだ。
「勘違いをするなよ、我らが海を冒すものは滅してやろうかと思うたがハザク殿が止めるゆえやめてやったまでよ。あれほどの冷気を撒き散らしおって。外道どもめ、どれだけの命が散ったかわかっておるのか?」
海の女王はどうやら余波でお亡くなりになった海産物の怒りを携えてやってきたらしい。
無益な殺生は悪ではないが過ぎれば何事も悪だ。食べる分だけ殺せという話のようだ。こういう時に俺の権能は輝くな。本来理解しえないはずの神の真意を誤解なく理解できる。
「謝罪はここに。ただ冷気に関しては俺ではなくもう一人の馬鹿野郎なのであっちを殺してくれ」
「わかっておる。ゆえにお前は見逃してやった」
「クライシェ、そんなことを言うために来たわけじゃないよね?」
「わかっておる。ハザク殿は急ぎすぎだ、我にも踏むべき手順というものがある」
海で騒いだ馬鹿どもから謝罪を受け取る。これはクライシェからすれば外せない手順であるらしい。
当然だが彼らは弱みに付け込んでお願いを聞かせようなんて腹案はないはずだ。
神は心のままに清らかで暴虐だ。偽らぬ本能のままに生きる大災害、それが神なのだ。
嘘をついたり小細工をするのは矮小な生き物だけの道理だ。
「立ち話もなんだし中に入れよ」
「招きに応じる。しかし伝承の救世主の住まいがこの小さな巣穴とはな……」
「いや別荘なんで」
さて海の女王にお茶とお菓子は出してもいいのだろうか。
謎だ。




