オージュバルトの娘達③ 星が静止する日
ラタトナでの生活用水・飲水はラタトナ離宮で精製された魔法精製水なので清潔さに置いては他の都市が及ぶべくもないほどに高額で高品質だ。こうしたインフラは別荘の所有者から徴収する年間管理費で賄われている。
高い金を払うだけの価値がある。そう思えば貴族なら幾らでも出すものだ。特にリゾートに別荘を持つような見栄っぱりの貴族なら。
シャワールームから全裸皇子が出てきた。アスタリアは反射的に身構えたが今度はきちんと御召し物を纏っていらしたのでホッと胸を撫でおろした。変な皇子もさすがに四六時中全裸でいるわけではないらしい。
聖銀を編み込んだ純白の衣には金糸にて竜の文様が描かれ。足通しまでも同じ琉国の絹で裁縫の為された逸品だ。編み上げのサンダルなど純粋なミスリル糸のみで編まれている。これだけの品を纏えるものは大貴族だとてそういるものではない。
華美な装いは貴族の特権であるが、ここまで拘った品となればパーツ毎に必要な熟達の職人を揃えて作っているはず。これは金さえ出せば手に入る服ではないのだ。
(きちんとしていらしたら見れる方ですのに。もったいのない)
全裸ではない全裸皇子に刹那心を奪われたアスタリアが呆けていると、現実に引き戻すような厳しい声がやってくる。
「朝食は出来ているか?」
「用意は不要とお伺いいたしたかと」
「すでに作ってしまったものは仕方がないだろう。それとも君達が食べてくれるのか、ならば用意は不要だ」
なんとご飯を無駄にすることは許さないらしい。
貴族にも一定数こういう考え方の人がいるのは確かだ。確かだがジジくさい考え方だと思うし皇族に相応しいとは到底思えない。一個のパンの行方に拘泥するものに万のパンの与えることはできないとオージュバルトの教えにもある。
些事に拘る者に大事は為せない。些事を気にするのはその者の器量が小さいからだ。
これは小者かもしれないと懸念を抱きながらもアスタリアは従う。追い出されては困るからだ。
「すぐに朝食の場を整えます」
「うむ、二階にいるゆえ用意ができたら呼べ」
ようやく始まった朝食。オージュバルトで生産された季節の葉野菜とトマトのような風味の強い野菜を美麗に盛り付けたサラダとコーヒーに口をつけながら、皇子がメモパッドを掲げている。
「当座の使用人心得だ、これを参考に勤労に励むとよい。不明な部分があればこの場で説明を求めよ。私は失敗には寛容だが怠惰には相応の態度を以て接すると心得ておけ」
何とも分かりやすい表を貰ってしまった。ここからここまでが仕事で、ここらへんは仕事じゃないよ、やらなくていいっていうこの別荘にいる上での約束事だ。
でも気になるのはここじゃない。使用人心得の四隅を彩るネコのイラストだ。しかもけっこう可愛い。
(ど…どうしてネコちゃん?)
(わー、普通にうまーい)
幾つか質問をし、簡素な回答を貰う。
こことここが矛盾をした時にどちらを優先するかという質問には、メモ用紙にすぐに訂正を入れてくれた。
態度は高慢な皇族そのものであるが己の過ちを認められる人なのだと分かった。
「君達が如何なる密命を帯びてここへ来たかは察するところである。だがここで働く限りは君達の主人は私なのだ。君命を優先して屋敷の調和を乱すことのないよう自律を求むる。ではよろしく頼む」
(難癖をつけて追い出そうと企んでいるなんてとんでもない。この方は元々要求が厳しい方なのね)
使用人には使用人らしい態度を求める。影となって尽くし、影は何者も煩わせない。
彼は彼女達がどういう用途の娘達かを理解したうえで完璧な使用人であることを求めているのだ。そして役割を心得ぬ不届きな使用人なら解雇するのだ。
(難しい。本当にこんな男を篭絡できるの……?)
オージュバルトの娘達が難攻不落の守銭奴要塞に挑む。
◇◇◇◇◇◇
時はやや遡り、エスカレド・オージュバルトと小銭皇子の密会を目撃した俺はガーランド閣下の下を訪ねている。
クリストファー皇子という存在が皇宮でどのような立場なのか確認しておきたかったのだ。仔細構わずご報告申し上げたが閣下の態度はどんと構えたものである。
まぁアロハシャツ姿で恋人の作るお菓子を待っている男への表現がどんと構えたものなのかは不明だがな。
「まったく問題ないどころか皇太子グラスカールはあの者に後援者が現れるのを歓迎している」
「歓迎ですか」
「基本的な話であるがレギン皇帝陛下の御子らには必ずと言っていいほど相応の後ろ盾がある。これが何者であるかについては想像もつくだろ?」
「ええ、母親の実家またはその寄り親ですね」
「うむ、そして母のいないクリストファーにはそうした熱烈な後援者が欠けていた。それがどれだけ危うい立場なのかわかるはずだ」
簡単な話だ。皇妃の実家からすれば血縁が皇帝になれば利益がでかい。様々な利権がもたらされるのがわかっているから色々と支援をしてくれる。金銭的な援助のみならず兵隊の融通やら何やらと惜しみなく注ぎ込んでくれる。
帝国の次期皇帝はブタ皇子と決まっている。しかしブタ皇子が死ねば別のやつに皇帝の席が回ってくる。
これこそが熾烈な宮廷闘争の引き金なのだ。
普段のお世話をする侍女や使用人さえも実家から送ってもらわないといけない。金で雇っただけの使用人では大金を積まれて裏切り、毒を呑ませられる可能性があるからだ。
その証拠に三十代のブタ皇子とクリストファーの間には皇子がいないのだ。生まれなかったのではない。現在はもう故人なのだ。まったくイヤな話だ。
「オージュバルトなら皇帝の後ろ盾に相応しい。いざという時の切り札にするつもりだったがあの者の功績にしてもよいかもしれんな」
「功績ですか」
「ああ、追い足を渋る駿馬の鼻先にニンジンを吊るしてやる役目をクリストファーに譲ってやるのもよい。豊穣の大地計画の第一戦略目標を彼奴らの望む場所に変えてやるだけでオージュバルトがあの者の忠実な臣下になるのなら安いものだ」
「閣下は何もかもご承知の上で焦らしていたのですね」
「焦らせるさ、エレン・オージュバルトとクリストファーの婚姻は何年も前から我らの計画の一部であったのだ。まぁとっくに頓挫したと考え放棄していたものがあの者の帰還で再び蘇ったにすぎないがな」
何年も前っていうとシェーファが十歳以前の頃からかよ。
怖い男だ。ご自分の結婚でさえ政略に使うと断言していただけあって、弟分の婚約までカードにしていたか。
「もしや閣下が今の今まで独身を貫いていたのは?」
「あの者が帰ってこない時は俺かグラスカールがエレンチュバルを娶っていた」
含み笑いをする鉄血の男がキッチンで生クリームを泡立てているラストさんをちらりと見て、ナイショだぞと唇に指を当てた。
「さてここで面白い問題を出してやろう。もはや既定路線の変更をよぎなくされた豊饒の大地計画の第一戦略目標がどこであったか当ててみろ。見事当てられたなら何でも好きな情報をしゃべってやろう」
「旧グランバニア首都にして現ラフレシア王国王都ダイゼルシュタットでしょう。というか旧グランバニア王国領の占領が目的ですね」
閣下が鼻で笑う。さすがリリウスだなという誇りに満ちた微笑みだぜ。
「元々グランバニアを目的としていた癖に秘密にし続けたのは恩に着せるためでしたか。お前らが熱望するから仕方なくここにしてやった、ありがたく思えと言えば好感度爆上がりだ」
「左様。豊穣の大地計画はそもそもオージュバルトの全力の支援を前提に動かしている。発表の時期はやつに任せるとしてそこからが忙しいのだ。新天地での利権を約束する手形を無制限に発行して資金を集めて兵力を強化し一気呵成に攻め込むつもりだ」
俺もちょっぴり不安になるくらい重要な軍事情報がぽんぽん出てくる。
いや俺も気配とか探ってるので安全なのは安全なんだけどリゾートの水上コテージでする会話じゃねえ。
「懸念はありませんかね」
「懸念だと?」
「オージュバルトの悲願はグランバニアの地への帰還です。百数十年をかけてようやく帰ってきた故郷の支配を帝国に委ねるでしょうか?」
「戦争を終えて役目を果たしたオージュバルトの残骸に気を払う必要があるのか?」
外道!
あー、でも閣下らしいわ。戦争の功労者にして次代の皇帝の妻を輩出し、さらには故郷に戻れてウキウキのオージュバルトを戦後に失脚させるつもりか。鉄の男らしい計画だな。……これを自分かブタ皇子にやらせるつもりだったのか。
「まぁご計画はわかりました。もう一つ疑問なのはクリストファーが従順に従うと本当に考えていらっしゃるのですか?」
「ふっ、操ってみせるさ」
格好いい顔して最悪な発言したなこの人!
バートランドって基本こういう人達だよな。他人を操り人形くらいにしか考えてないところとか人道を無視するところとか! 味方だとこの上なく頼もしいけど!
そこへラストさんがやってきた。お皿に山盛りのシュークリームを載せているぞ。
「できたわよ~!」
「おっ、これは……これは?」
「生シュークリームですね」
焼きたてのシュークリームのガワを半分に切って生クリームを載せた物それが生シュークリームなのである。保存には冷蔵設備が必要になるが出来立てはとにかく美味い。
LM商会は美味しいお菓子のレシピ本も販売しているからな。俺が監修しているから最高に美味いぜ。
婚約者も手を伸ばしてないのに俺が先にパクり。冷たい生クリームに熱々のシュー皮のサクッとした触感が堪らないぜ。
「また腕をあげてる。ラストさんマジで何でもできるよね」
「うふふ、褒めてもお代わりしか出ないわよ」
ラストさんとの会話はとにかく褒めよう。褒めると上機嫌になるので殺されないよ!
それと下心をもって接すると喜ばれるので隠す必要もないぞ。
「馬鹿者、俺より先に食うやつがあるか」
と言って閣下も一口。マジで美味かったらしく感嘆の吐息を漏らしている。
「これは美味い。クリームにはレサトのナッツを砕いて混ぜ込んでいるのか、季節柄とはいえここまで風味が良いとは驚いたよ」
「そこのデパートの仕入れは優秀ね。本国でレサトを使うのなら秋の入り口になるんだけどこっちではもうこんなにいい具合なの。うん、我ながらいい出来ね!」
「これは負けていられんな。夕飯は俺があっと言わせてやろう」
「じゃあ楽しみにしているわ」
穏やかに微笑むラストさんのご機嫌がすげえぜ。こんなに幸せそうなラストさんは中々見れるものではない。料理が趣味な夫婦だ。話題も尽きることはないだろうぜ。
料理の話題は素晴らしい。人類の歩んできた歴史そのものがそっくりそのまま話題になるのだ。時には失敗談だって笑い話になるのさ。
「そうとなればさっそく買出しだ。リリウス、付き合ってくれ」
「なんで俺? ラストさんとデートしてくればいいのに」
「今夜は本気だ。本気で驚かせたいのに食材が割れては先に察してしまうだろ」
「へーい」
という理由でイース海運デパートに向かう。
ラタトナリゾートという巨大利権に一社のみで絡むイース海運デパートは国営ホテルやレストラン、BBQパーク、さらにはラタトナ離宮での宴に食材を提供しているのだ。……リゾートで自炊している人は珍しいと思うけどね。
ここでは主にドレスとかアクセサリーとかを売っている。男女が水着で恋を語らうリゾートビーチだぜ、そりゃあもう見栄張って贈り物をするやつから大儲けってわけだ。
イース海運デパートの一階はこじゃれた庭園風の広場になっている。水晶でできた回る水槽が目印で、あちこちに一休みするようのベンチやのんびりできる場所がある。ここを真っすぐに歩いて突き抜けて石の大階段を降りた場所が目的地だ。
イース海運の船着き場には食材を詰め込んだ木箱がずらりと並んでいる。ここをぐるっと巡って最後にお会計というシステムだ。イケアやコストコのような大型店のイメージに近い。
「相変わらず品数は強いなー、うちじゃここまでは揃えられないからなー」
「世界に展開したイースの強みだな。まったくありがたいやら困ったものやら……」
「困るんですか?」
「散財は好かん」
ドケチらしい言い分なので噴いてしまったぜ。
しかしドケチの手が異国の珍しい香辛料の瓶に伸びている。料理好きとしては試さずにはいられないらしい。香辛料のコーナーに座ってる商人から使い方を聞き出している。
ドケチの手がカートに品を詰め込んでいく。香辛料ばっかり買って何を作る気なのか、何も考えていないやら。
「何を作るつもりですか?」
「おっと、不味いな」
どうやら本当に何も考えずに香辛料を買い漁っていたらしい。
だが途中で顔つきが変わった。名案を思い付いたようだ。
「ジャナン教区の郷土料理を思い出した。パニパを作るつもりだったがちょうどいい、あれにしよう」
「ジャナン? どこです?」
「知らんか? 内海を越えてさらに南に進んだ果ての果てにある密林とひび割れた大地の国だ。あの国で何にでも用いられている万能ソースがあるのだ」
「万能ソースですか。興味ありますね」
「食いたければ今度作ってやるよ」
今夜は邪魔をしに来るなってことですね!
「あいさー、本日は諦めます!」
「はははは! そうしてくれ、期待させた女を裏切るわけにはいかん」
山盛りの香辛料。目の細かい小麦粉。各種肉をほどほど。たまねぎ。葉野菜。色々とカートに突っこんでいく。
何を作るつもりか知らんが武者修行の旅であちこち回っていた人だ。レシピも豊富そうだな。
「日陰とはいえこの炎天下に放り出しておいてよく虫も寄らないものだ。腐りもしない、じつに不思議だ、と思わんか?」
「それ答え知ってる人のセリフじゃないですかー」
「まあな。ルーン魔術だという話だ。胡乱な話であるがイースの御老が秘匿している真にちから持つ文字による効果だそうだ」
「あのジジイがアース神族の神聖文字を?」
「あの御老は色々と手札が多いがお前も負けじと多そうだ。元はアース神族とやらの御業なのか?」
「オーディンが知恵の泉から聞き出したかみよの技です。となるとスクルドから流出したのか? よく実用化できたもんだ」
しかもこんなショボい形で。形質保存のルーンと脅威のルーンの組み合わせだろうか。アシェラが好んで使う術だが俺は使わないからわからないな。
「スクルド、スクルドか。イースの御老が約定を結んだハイエルフの名前で相違ないか?」
「そいつです」
「やはりハイエルフともなれば不可思議な技を持っているものだ。この技だがお前なら再現可能か?」
「異世界原理魔法なので難しいですね。イース海運も内製ではなく完成品の供与という形を取っていると思うんですよ」
「確認したいところだが俺はイースの御老から嫌われているのでな」
「俺も殺し合う仲ですんで」
レグルス・イースから聞き出すのは不可能だがこの技術は欲しい。ウルドなら知っているかもしれないし、次に会ったら聞いてみよう。
買い物の途中で閣下がさっきの話題を放り込んでくる。
「そういえば当てたら何でも話してやると約束したな。何かあるか?」
「そういえば……」
そんな事も言っていたな。直後の極秘情報の連続で忘れていたけど言っていた。
せっかくの機会だし何か有益な情報を仕入れておきたいが、すぐに思いつくようなものでもないか。うーん。
「そういえば青の薔薇の最高幹部の情報ってどの程度掴んでいるんですか?」
「シェルルクのか?」
帝国革命義勇軍『青の薔薇』を主導する六人の銀仮面。ゲームふうに言い直すと六人の中ボスである。
銀仮面を意味するシェルルク。または銀仮面の集いを意味してシェルルク・カスケード。これからマリアが戦う強敵たちだ。
ネットで妙に人気だったのが銀羊卿アトラテラ・スカーレイク。眼帯をした美貌の吸血鬼だ。クソ強いのと大物っぽい振る舞いにド派手な技で立ちはだかるもんだから女性人気が沸騰してたな。
名ゼリフがあってスレを覗くとよく書き込まれていたよ。
美しくなければ生きている価値がないだっけ?
他には銀狐卿ディオネラ。銀虎卿レイザーエッジ。銀鳥卿エリザ・ベック。銀蛙卿ドノヴァン・フォーク。そして銀狼卿シェーファ。
奇しくも最初に出会うのが銀狼卿なんだよなあ。そろそろ何だよなあ、シェーファがトキムネ君を殺すの。
おっと会話に戻ろう。
「そうですそうですシェルルクの情報です」
「奴らの情報は多くない。シェルルク・カスケードの定員が六名であること。死ねば入れ替わりが起きること。コードネーム程度なら掴んでいるが人相までは判明していない。何度か追い詰めはしたがその度に部下を失い、奴らは煙のように消え失せてしまう。まったく忌々しい話であるが奴らがどのような経路で移動しているかも判明しておらぬのだ」
「帝国全土に出没するくせに街道を支配する帝国騎士団に気取らせないと。不思議なこともあるものですね」
「お前は掴んでいそうだな?」
なばれぜたし。
「いえいえ、でも街道ではない道を使われたらわからないのは当然です」
「魔物の生息地を突き抜けるのなら当然ではあるが騎士団では掴めん。だが街道を避ければ馬車などでの通行が困難になる。ましてや支援物資を運んでとなると困難から不可能になる」
「騎獣の背にくくりつけているのでは?」
「そういえば昔ガイアルビーストの訓練場を潰すの協力してくれたのだったな。あれはお前の計画の内か?」
「そっちは完全に偶然です」
「そういうことにしておいてやろう。まったく」
「なんです?」
「思い返せば借りばかりがあると思ってな」
「奇遇ですね、俺も借りがたくさんあると思っているんですよ」
「そうか? そう多くをしてやった記憶はないんだがな」
「まず帝都のスラムでゴロツキから助けてもらいました」
「あれはお前が追い払ったじゃないか。そもそも警邏中の騎士が民を助けるのは当然だ、貸しなものか」
「じゃあ困ってる寒村を助けてもらいました」
「他領の村を助けることが貸しになるか」
「ここで離宮が占拠された時に俺に時間をくださいました」
「お前なら人質を救い出せると判断したまでだ。あれは俺が借りていると考えている」
「じゃあフラメル伯爵と姉貴の結婚を止めてもらいました」
「俺がお前のために動くことが貸しになるものか」
マジかよ。それレタスを手に言うセリフかよ……
せめてこっちを向いて言えよ。
「ひどいな、それじゃあどこにも貸し借りなんて無いじゃないですか」
「そうかもしれんな」
ちょっとだけ気恥ずかしくなって会話が止まった。
何か言わなきゃなあ、なんて思いながらも何も思いつかない。まいったな。
「近々青の薔薇の最高幹部を一人捕縛する予定があります」
「ほぅ、それは大きな借りになるな」
「しませんよ。兄貴分のために動くことを貸しに数えるほどダサい男だとお思いですか?」
大きなため息をついた閣下の全身からオーラが立ち上がる。
殺る気満々だな。
「いつだ?」
「八月中には。手強いやつなんで頼りにしてますよ」
「任せろ、必ず捕らえてやる」
ものすごい助っ人が加入した。勝ったな。これは当然負けフラグじゃないやつだ。
LM商会による青の薔薇乗っ取り作戦もいいスタートを切れそうだぜ。
◇◇◇◇◇◇
夜間の浜辺を口笛ピーピー吹きながら散歩する。
何か詩を吟じようかと思ったが生憎それっぽい詩が出てこない。特に意味のない死亡フラグなら全部覚えているんだけどな。〇城総士の。
仕方なくメロディーだけをピーピカ吹く。切なさで女の子の胸がキュンキュンしちゃう最高のメロディーだ。
「うーん、夜の海は少年を詩人にさせるなあ」
なお詩だけが出てこない。がんばれ俺。がんばれ、やればできるはずだ。
「うーん、真実は一振りの刃の中にある……? やっべ、これイザールの決めゼリフじゃん!」
がんばっても出てこない。スランプなのか俺、ドンマイだぞ。
なんて散歩をしているとリゾートを覆う魔導結界が激震する。な、なんだ、ニートバタフライの攻撃か!?
とんでもない魔力質量体の体当たりを喰らった魔導結界が砕けている。
透明な破片となって飛び散る残滓の雨と一緒に空から落ちてくる女の子の姿を発見した。まさか夜の海を散歩していて女の子を拾う日が来るとはな。
空を踏んでいって女の子をキャッチ。金髪のロリだ。やったぜ、正ヒロインゲットだ。……超見覚えあるんだけどぉ。
「ウルド、その左腕はどうした?」
「迷宮でシェーファと遭遇してのぅ。ちょうど先手を取れる好機を得たのでやってみたのじゃが……」
ウルドは左手を失っていた。ちょうど肘の辺りの第二関節から先が少しだけ残っていて、そいつも悪意の氷に覆われて痛々しく肌が剥がれているような有り様だ。
左腕のあちこちから茨が突き出ている。生物のように這いまわる氷の茨が今もなお彼女の命を脅かしている。凍結が肩まで回ってきている。
舌打ちが出てきた。ステ子さえいればコートからミニアルテナを取り出して治療ができるんだがな。コテージに置いてある魔法薬でどうにかなるのか? 先に解呪が必要だが……
「無理をするな。やつを殺すのは俺の役目だ」
「無理だってしたくなる。あやつを仕留められれば夫を戦わせる必要もなくなるのでな……」
「なおさらだ。俺のためなんかに無理をするな」
「勝算はあった。そのつもりじゃった」
「アシェラが止めている理由がわからないわけじゃないだろ……」
気付け薬の代わりにスキットルに充填してあるウイスキーを口移しで飲ませる。眠れば魔法抵抗力が落ちる。落ちれば凍結の呪いが進行する。痛くても苦しくても起きていてほしい。生きていてほしいんだ。
すぐさまコテージに帰ってウルドを寝台に寝かせる。物見高い三馬鹿プラスワンがうろうろしているけど説明の時間も惜しい。
「アルテナの術法を修めた高位階の術者が欲しい。心当たりがあれば動いてくれ」
「うわぁうわぁ、ひどい怪我だね。あっアーサー君を呼んでくるよ!」
デブが走って出ていった。コラァ、すぐに聞こえてきた水音が不穏すぎんぞ。慌てすぎて桟橋から落ちたのかよ!
シャルロッテ様は普通にパニくってる。高一の女子だ。やむなし。
「ひえ~~~、これ生きてるの、生きてるのよね?」
「死んでねえよ」
「……怒らなくてもいいじゃない」
怒るに決まってんだろとは言わねえよ。
あー、アルテナの術法が使える知り合いがラタトナにいたっけな。シェーファの呪いを解けるってなると最上位クラスだぞ。木っ端神官の十や二十集めたってバウンドを喰らって死ぬだけだ。
閣下を頼って軍属の術法使いを借りるか? ってラストさんがいるじゃん。あの人すげえ治癒術師なんだよ。自分を治しながら最前線で戦うベルゼルガーなんだよ。ラストさんだ!
と思いついた瞬間だ。一人でワタワタしていて何故か水差しを持ってウロウロしていたお嬢様がすっとんきょうな声で叫ぶ。
「あわわわわわ! おっ、おにーさま連れてくる!」
「そうですラストさんですよ!」
「す…すっぐ、いてくるわ!」
「俺が行きます!」
お嬢様を肩車して閣下の水上コテージまで大ジャンプだ。
大急ぎなのでガラス窓をぶち破って暗い室内に侵入する。
「ラストさん急患急患! 早く来て!」
「おにーさま大変なんです!」
そして俺らの時が静止する。暗い部屋で大人なキッスをしてる二人を見たので頭がポカーンになってしまったのである。
な…なぜそんなに悲しそうな顔で振り返るんですか?
「お前達はじつは俺に恨みがあるんじゃないか?」
「そんなわけありませんって! 急患ですよ急患!」
「俺である必要があるのか……?」
「ラストさんが必要なんですって!」
ラストさんの様子を確認する。セーフだ。怒ってない。
最近ラストさんに余裕が出てきたな。逆に怖いと思ってるのは俺だけ?
「癒しを必要とする方がいるのなら務めを果たさないとなりませんわね」
「まぁ頼られて悪い気がするわけではない」
もしかしてこの二人同じ属性の狂戦士なのかな。自分で回復魔法かけながら最前線で戦う系の?
お似合いカップルだけど助かるな!
◇◇◇◇◇◇
ウルドの容体は悪化は僅かながらも苦しげな様子は僅かなんて呼びたくなかった。
コテージの二階に上がったラストが病床に駆け寄っていく。
「患者とはウルド様でしたのね。ひどい症状、これは解呪から入らないと……」
「吸命の凍結症状か。解呪は俺がやる、リジェネ―ションを頼む」
「はい、ですが相当な強度の呪詛でしてよ」
「貴女の夫を甘く見るなよ」
ガーランド閣下がウルドの凍りついた肩に触れる。悪意の氷の茨の矛先が閣下へと向き、手を凍りつかせて腕に潜り込もうとするが……
「凍結の茨リューエル。疑似降臨の状態とはな……」
「大丈夫ですか?」
「さてな。術者は何者だ?」
「クリストファーです」
「やつめはここまでの領域に達したか。まるで伝承にある完全召喚だ」
閣下の腕に巨大な魔法力が収束する。
閣下の腕を食い破って浸食するリューエルが停止し、ウルドの左腕、肩、胸を犯していた浸食も停止した。
リューエルの茨一本とはいえ魔法力のごり押しで無理やり支配したのか?
「凄まじいちからだ。弟子に抜かれるとは嬉しいやら悔しいやら不思議な心地だが、これで終わりだ」
閣下が拳を握り固める。
微かな、だが絶叫のような風の音を残して悪意の茨が光になって消えていった。
「残留呪詛の除去に入る。段階的に治療を……いや、リリウス、できるか?」
「俺は何をすれば」
「温めてやれ。焼いてはならん、加減が難しいができるか?」
「やります」
両手に火の祝福を込めてウルドの胸に置く。片手は胸の上に、もう一方は背中に回して両手で心臓を守るように温める。彼女なら多少の熱は平気だろうが40度程度に調節し続ける。
下の階からドタバタと足音が聞こえてきた。すぐにデブと手をつないだアーサー君があがってきた。
「姉上、お手伝い致します」
「祝福をお願い。聖アルテナ様の祝福は生命の鼓動、癒し手のちからを高め傷病者の心を守るわ」
アーサー君が祈祷を行う。不思議なもので俺の魔法まで出力が安定している。どういう効果があるのかは勉強不足なせいで知らないが治療行為における成功率を上昇させたのかもしれない。
治療の効果が出ているかは不明だ。ウルドに触れている手からは常に氷のような冷たさだけが伝わってくる。……不安になってラストを見てしまった。
「継続して。安定している、このままを維持できれば必ず助けられるから諦めないで」
「諦めるわけがない。諦めるわけがねえだろ、もうあいつには誰も奪わせはしない」
「ええ、わたくしもカトリ様の二の舞はこりごりよ」
治療を続ける。効果は未だ出ているとは言えないがラストが俺らに指示をして治療方法を変えていく。まぁ俺は温め続けるしか能がないんだが。
ラストの端正な横顔に緩みが出た。
「好転したわ。治療は継続、でも危機は脱したわ」
ウルドの呼吸はまだ荒いが、表情は幾分か安堵できるものになっていた。
ラストの顎から汗が滴り落ちる。気づけば彼女の足元のカーペットには黒い沁みができていた。少し気が緩みかけた俺へと……
「まだ安心はしないで! この呪いを甘くみてはダメ。……本当は安心してって言いたいんだけどね、気を抜いてはダメなの」
神話の獣の呪いは強い。伝承がやつらの毒を強くする。恐れと憧憬がやつらを強くしていく。
ウルドが薄らと目を開いた。
不安そうに彷徨う瞳が俺を見て、安堵したみたいに大きな息を吐いた。
「死なせない。どこにも行かない。あの男にはもう誰も奪わせない。……俺を感じるか?」
「うむ……ぬしは温かいよ」
「もう少ししたら眠らせてやる。今は耐えてくれ」
「そうね、呪いの残留量が減ればお休みになっていただきましょう。ねえあなた?」
「大きな負のちからはおおよそ抜き終えた。霊体の回復が早いな、これならもう少し乱暴にやってもよさそうだ。アーサー君よ、左腕の残滓を任せてもいいか?」
「可能です義兄上」
治療には一晩がまるっとかかった。
呪いによって穿たれた霊体の欠損の治りが早いのはウルドの種族特性かもしれないし、俺の腕に宿る生命と繁殖の神の異能なのかもしれない。
◇◇◇◇◇◇
ウルドに受け入れてもらって昏睡の魔法をかけた。彼女のような強力な魔法抵抗力の持ち主には回復だろうが治療だろうが他人の魔法は掛かりにくいが、本人の承諾があれば難度は格段に下がる。
寝息を立てるウルドを囲んで治療は継続する。やや細かい呪いは残っていたが最後にはティトの加護で吹き飛ばした。
今は霊体に合わせて左腕の復元にかかっている。難しい技になるが命の危機を脱したからな、おしゃべりする余裕が出てきた。
コテージの二階に大勢集まって余計なことは何も言っちゃいけない空気だったから、わりとみんな緊張から抜け出したくて色々しゃべってる。
それはガーランド閣下も同じようだ。
「昼にスクルドの話をして夜にはウルド。この耳はハイエルフか。……ベルサークに忍び込んだってのはてっきり嘘だと思っていたんだがな」
「ひでー、嘘って何ですか」
「しかしベルサークだぞ。まぼろしの都だ。簡単に見つかるとは思えん」
「うふふ、ウルド様のお住まいはイルスローゼの王都でしてよ」
「今それを言われると俺が嘘ついたみたいになるじゃん」
「証明する手段は一つだな」
「それベルサークに連れていけって催促してます? 俺も二度と行きたくないんですけど」
「ほらほらリリウス君、新婚旅行をプレゼントしてよー」
「旅行に行ったっきり帰って来なくなりそう」
「そこまで危険なのか」
だから諦めてくださいね。本当に危険ですからね。特に俺が←
今度近寄ったらスクルドに殺されるの確定してるから。
ウルドを覗き込んでいるお嬢様が感嘆の吐息を漏らしている。
「美しいわね。森人は美形が多いとは聞くけど高位ともなればすごいのね」
ハイエルフに美形度でけっして負けていないお嬢様の方が凄いと思うけどね。むしろアルテナの領域に迫っている。やはりこの方は顔面を司る神か何かなのでは?
「ハイエルフってみんなこうなの?」
「やや目つきが悪いですがだいたい美形ですね」
「リリウスくらい?」
「ええ、俺くらいのハンサムです」
「目つきの話よ」
「だったら俺よりも凶悪ですよ、一部が」
セルトゥーラ王の不機嫌な時の目つきを見たら子供なら泣くと思う。大人でも泣くとおもう。夜中に見たら心臓が止まると思う。つまりリリウス君だ。
「この子はどういう友達?」
「うちのクランのメンバーですよ」
「ほえー、すごい子を仲間にしちゃってるのねー」
「本当にリリウス君のクランはおかしいのよねぇ」
「しみじみ言われると変な集まりに聞こえちゃうわねえ。ラスト様そんなにおかしいのでして?」
「ええ、悪魔のような御方もおりますのよ……」
「あいつ俺でも持て余してるんで。他はまともですってば」
「太陽の王家が三人もいるのよね……」
「あんたの兄貴もいるのを忘れないで!」
当クランに所属のアルチザン家の赤の賢者メルキオールを忘れないでください!
「ハイエルフに太陽の王家が三人にアルチザン家の者までいるのか。どうやってスカウトした?」
「冒険してたら勝手についてきまして」
「ルーデット家もいるわよね」
「ウェルゲート海の有名処はだいたい抑えているな。一人くらいくれ」
「あいつらは俺も所在を掴めない風来坊なんで」
スカウトはやめましょうや。俺を従えたくばちからを示せって言ってアバーラインフェニックスをぶちかましにくるルキアの姿がすでに見えてるんで。ほぼ未来予知で攻撃を必中させる頭のおかしいやつ代表だ。さすがの閣下でも勝てるとは思えない。
むしろルキアに勝てるやつがこの世にいるとは思えない。たまに開催している神狩りバトルランキング一位の猛者やぞ。魔力の消費量がシャレにならないってウルドも戦いを避けるし。
ちなみにランキングはこんな感じ。
第一位 ルキアーノ
第二位 ウルド
第三位 ナルシス
第四位 ドレイク
第五位 ファトラきゅん
第六位 フェイ
第七位 ユイちゃん
第八位 俺、リーダーなのに……
ルキアとナルシスが勝ったり負けたりしつつ全員から勝利スコアを稼ぎ。
ルキア以外には必勝のウルドが一位をキープしつつたまに二位に転落し。
地味に強いドレイクが高い勝率をキープし、ファトラ君は絶対にドレイクに勝とうとしない。
フェイは大空教団の二人に空を抑えられて中々上位に上がれず。
召喚魔法に覚醒したユイちゃんが最近コツコツランキングを上げていて。
何故かユイちゃんにカモにされている俺とフェイという構図である。
『リリウス、私を叩くんですか……?』
って潤んだ眼差しで言われちゃうと降参しちゃうんだな。俺は紳士だからな。外野から超ブーイングが飛んでくるけど。
第九位にはレスバの強い元族長がいる。息子に族長を譲ったあとはアーバックスで傭兵団の団長をやってくれているんだ。ランク外にはたまに来てたまにスコア稼いで帰っていくレイシス・ルーデットとかがいる。
そんな感じの変な話を披露していたら朝日がのぼり始めた。
鳥の声がどこかから聞こえてきた。と思って窓に目を向けた瞬間だ。ウルドがぱちりと目を開いた。
「もう少し寝ていても…おわあ!」
抱き着かれた。ものすごいちからで抱き着かれている。
抱きしめ返すとさらに強いちからで抱き締められた。
「どこにも行ったりしない。誰にも奪わせやしない。そう言ったろ?」
「……うむ」
「こんなに威厳のないうむは初耳だぜ」
「威厳など要らん。ぬしに触れられるこの身があれば何も要らぬ」
「そうだな」
愛し合う二人の再会だ。さぞ感動のシーンだと思えばみんなが静まり返っている。
どういう反応だ。泣いているのはラストさんだけだぞ?
戸惑う人々を代表するかのようにお嬢様が尋ねてくる。
「あのね、リリウスね、そちらの方とはどういう関係なの?」
「妻じゃ」
爆弾発言が爆発した。
妻か。誤解は……
誤解……
ねえな。ごかいない。家内だけにな!
「ええっとぉ、そのぉ、驚かないで聞いてほしいんですけどぉ……」
やめろ、固唾を呑んで注視するのはやめろ。
さらっと白状させてくれ。
「ええっとぉ~~~~第二夫人、みたいな?」
俺は完全に滑った。
完全に停止した場において俺は本当に滑るってのがどういうことなのかを体験したのである。誰も何も言わねえんだ!




