オージュバルトの娘達①
俺は嫌だったけど。俺は嫌だったけどみんなが言うからシェーファを花火に誘ってやった。本当に嫌だったけど民主主義に屈したのである。
断ればいいのに呑気にホイホイ来やがったシェーファがこんなことを言いやがった。
「これは何の儀式なんだ?」
「儀式だと? 遊具だ、変な意味はない」
「遊具?」
この男はどうやら花火を理解できないようだ。
火を点けると火花が散る。これには何の意味があるんだろうという素朴な疑問を持っているらしい。お前に花火はまだ早い。保育園からやり直してこい。この世界保育園ねえけど。
「ほら、火を点けるじゃん」
「うむ」
「うむじゃねーよ。火花が出るじゃん、綺麗じゃん、楽しいじゃん」
「楽しい……?」
なんて情緒のない男なんだ。
あーヤダヤダ、これだから美しいものを愛でる余裕のない男はイヤだ。
俺にはこのあとこいつが何を言い出すのか手に取るようにわかるぜ。
「ふーん、で、こいつはいったい幾らする物なんだ?」
「お前もう死ねよ」
「なんで死ななきゃいけないんだ! 君が勝手に死ね!」
「なんで俺が死なないといけないんだよ。殺すぞ」
「やってみろよ」
って言うと思ったから先に顔面にぶちこんでやった。
パパパパパパパパパパァン!という快音鳴り響く連続コンビネーションだ。自分でも何発打ったか数えてない。
銀犬くんが膝を着く。全弾顔面にぶちこんだのに鼻血どころか肌に赤みさえ差していない。ダメージというよりも目を回してよろめいたところを押し切っただけか。どういう防御性能なんだよ。
膝を着いた銀犬くんから殺意の火柱がのぼり立つ。
「それは本気でやるという返事でいいんだな?」
「温いこと言ってんじゃねえ。来いよ雑魚犬くんよ、てめえのボロボロの戦歴に俺がでっかい黒星を刻んでやる」
「ほざくな」
立ち上がったシェーファがモーションの大きな右ストレートを放り込んできたのでカウンターを狙う。最短距離で顎を撃ち抜くクリスクロスをぶちこんでやると唖然としてやがるぜ。
「ばかな、私が後の先を取られるなど―――」
「ばかなじゃねえよ。遅いんだよ、雑魚の相手ばっかしてっから腕が鈍るんだよ。天上の闘争から降りたやつがいつまでも俺と互角でいられると思うな」
「上から物を言うな!」
今度は掴みかかってきたので巴投げで空高くぶん投げてやった。
決めるぜ必殺。
「贖罪の十字架に狂え、ブラッディークロス!」
なおそんな技はないのでマジックボムをぶん投げる。
焦熱の蒼炎を撒き散らして夜空を焼くマジックボムは綺麗なもんだ。
「悪がほろびた」
「悪ならまだここにいるじゃん」
「悪魔が残ったね」
「もしゃ。さすがの僕も無関係を装いたいんだけど……」
冷静な連中の最中にあって何故かエレン様だけが泡食ってる。一般貴族の彼女の動揺も理解はできるぜ。いま空で散ったやつはうちの国の皇子様だ。
「なんであなたたちはそんなに冷静に!? クリス様ッ、クリス様ァー!」
爆発によってさらに高く打ちあがったロケット花火シェーファが落ちてきた。何食わぬ顔で着地して煤を払っている。マジで頑丈だな。
そしてハッとした顔で何か言い出した。
「なるほど、これは面白いな」
「それ絶叫マシーンの感想なんよ」
でもわからなくもない。夏場のマクローエンの一番面白い遊びはマッチョに投げてもらって泉にドボンだからな。俺も何度も投げさせられたよ。マジな話俺より年上が投げてもらいにくるのはどうかと思ったぜ。
一部余計なやつもいるけどこちらはラタトナリゾートでの楽しい日々を送っている。正直言えば夏は修行したかったんだけどお嬢様の水着を見れるなら逃す手はないよね。
リゾートでの楽しいヴァカンスなんだが一個だけ不安を抱えている。
何か知らんがシェーファとエレン様の距離が近い。恋人の距離だ。
「綺麗ですね。綺麗で儚くてなんだか切ない気分になる」
「エレン姫は情緒が豊かなのだろうな。私は大物の方が好きだ」
「打ち上げ系でして? それでしたらこれなんかは」
「よし、火を点けてみよう」
俺の花火キットを勝手に漁って七連装打ち上げ花火を水平に打ってやがる。こらこら海の生き物がびっくりしちゃうぞ。
あっちではマリアとナシェカたち四人娘がきゃっきゃしてて、ウェルキンとベル君が滑っている。エロ賢者は記念盗撮に大忙しだ。
そして問題のこちらではロザリアお嬢様の様子が変だ。ものすごい目つきでシェーファとエレン様を見てる。
「エレンさんってばいつの間にクリス様と仲良くなったのかしら?」
「もしゃ」
緊張のあまりデブがポップコーンをもしゃった。ストレス過食が進むぜ。
俺もデブもシャルロッテ様も緊張感のあまり花火を楽しめない。いつ爆発するかもわからない爆弾の前にいる緊張感のせいだ。エレン様が花火になっちゃう危険性があるからだ。
夏は恋の季節だ。灼熱の気温によって燃え上がった体と連動して心もウキウキで体内の熱を輩出するような感じで恋をしちゃうのだ。
夏は恋の季節で我々は高一の少年少女だ。だから恋をするのは当然だ。
「しかしあの組み合わせは予想外だったなー」
「もしゃ。だよね」
「うーん、傍から見てる分にはお似合いのような気もするけどねー」
皇子と辺境伯令嬢だ。家柄的には十分だ。容姿も釣り合っていると言える。恋愛感情の枯れ果てた政略結婚をよしとする宮廷のジジイどもも納得の組み合わせだ。当人どうしが燃え上がってるなら何の問題もない。
しかしシェーファだぞ。何か裏がありそうな気がするんだよなー。
ここは情報収集をしておくか。
「あいつらってどうなん?」
「ヤッテルな。確実にヤッテル」
ヤッテル委員会も認めるヤッテル空気。こいつは神ってるぜ。
「サンキュー、エロ賢者」
エロ賢者から証拠の写真を貰い、やつには報酬としてシャルロッテ様の水着写真をプレゼントしておく。ドSな表情で砂浜に埋められたデブを踏んでる業の深い写真だが気に入ったらしい。特にローアングルからの撮影なので妄想も捗ると思うぜ。
証拠の写真を裏返すと様々な情報が記載されている。これを見た瞬間に思ったのは本当に敵にしてはいけない男への恐怖だ。
ガイゼリック、恐ろしいやつだ。絶対に敵にしてはいけない。
情報収集能力がアシェラ神殿と同格ってこいつマジで何者なんだよ。野生の魔王かよ。
◇◇◇◇◇◇
翌日。連日のピーカン照りで熱中症患者も出てるだろうなって思うような真夏の朝だ。朝食のために訪れた国営レストランのサラダをもしゃってるお嬢様が唐突にやべー発言をした。
「あのお二人ってどうなのかしら?」
この瞬間に走る緊張感。俺らの視線は少し向こうで朝食を摂るシェーファとエレン様に釘付けだ。
やべえ、のどがごくって鳴った。
「どう…とは?」
「最近よくお二人でいるところを見るのよね。マリアさん達も交えているからご友人どうしで楽しんでいるだけかと思っていたけれどアレじゃない。お二人はいつも一緒にいるように見えるのだけどどう思う?」
おっとっとコレ不味いんじゃねえの?って気分でデブに視線を振る。
無理無理僕には無理だよって感じでデブがシャルロッテ様に投げる。
シャルロッテ様も困った顔してる。
「う~~ん、どうなんでしょ。ここはオージュバルトの土地だし辺境伯家がヴァカンスにお招きして応接にエレン様が付いているのなら当然だと思うけど?」
満点だ。満点回答だ!
咄嗟に政治の問題にすり替えたよすごいよシャルロッテ様。あんたはやればできる子だったんだな!
「そうね、そうかもね」
お嬢様も納得した。シャルロッテ様はさすがだな。伊達や酔狂でお嬢様の乳兄弟をやってない。
と思っていたのはここまでさ。
「ねえリリウス、お願いがあるの」
「何でしょう?」
「お二人を監視して事の真偽を明らかにしていらして」
わぁい、目がマジのやつだ。
「仮に、仮にですよ。奴とエレン様がダイミダラーな行為をしていたとして……」
「その時はエレン様には相応しい罰があるべきです」
高一の男子と女子が自由恋愛をして何の罰があるんだよ!って思ったけど俺は何も言えなかった。
危険センサーがブーブー鳴り響いているからだ。こういう時は本気で流された方がいい。最悪こっちにまで飛び火する。
「わかった?」
このあと俺はいい返事をした。全力でした。
しないと俺まで焼かれそうな気がしたんだもん!
◇◇◇◇◇◇
朝食の後はシェーファとエレン様を追跡する。
そっこーで浜辺にいって教本読みながら魔導防壁の練習してるんだけどこれ追跡する意味あんの? かき氷食いながらそれを見てるだけの俺の存在が無駄すぎる。俺の夏休みにダメージを与えるのが目的なのか?
シェーファの周囲だけ真冬のような冷気が放たれて街路樹のヤシの木が凍ってる。あれが噂の冷害系ヒーローってやつか。作物に被害を与える珍しいタイプだ。温かい汁物が食いたくなってきたぜ。
買い食いが無駄に進んだお昼頃になってようやく奴に動きがあった。
「腕が鈍っているな。私はこんなことをしていていいのか……?」
それ完全に俺のセリフなんよ。朝食からお昼までの時間を完全に無駄にされたんよ。
カフェテラスでジュースと読書を楽しんでいたエレン様と合流して内陸の別荘に帰っていった。犯るのか?
キッチンでお昼ご飯作ってんじゃねーよ。二人で楽しそうにパスタ作ってんじゃねーよ。
「エレン姫、そこの葉っぱをちぎってくれ」
「これでして」
「うむ」
「うーん良い香り。これは何て名前ですの?」
「パニパナという異国の香辛料だ。魚介の臭みを消すのに用いられるが今回は純粋に風味として使ってみようと思う。初めての試みだがどうなるかな」
くっそ、絶対に俺への嫌がらせだろ!
メシテロは卑怯だろ。尾行への嫌がらせだろ絶対!
朝食は桃を剥いただけの皿とペペロンチーノ的なパスタだ。においだけで美味いのがわかる最悪なやつだ。メシテロでしかない。
「小麦の香りが高いな。さすがはイース海運デパートだ、悔しいが品質は最上と言えるな」
「具材らしい具材もないのにイケますわね。不思議、こんな見た目なのにこんなに美味しいなんて」
「料理とは奥深いものだ。至高に至れば一口噛んだ瞬間に目の前に蒼穹が広がり、不思議な心地の中で風の声を聞くこともできよう」
「それ本当に料理の話ですの。怪しいはっぱの話じゃなくて?」
ベティ料理の話だぞ。あいつの料理は五感を解放するからな。食べた後は何故か反射神経や魔法抵抗力に強力なプラス補正が掛かる。食後に傷が癒えていたこともある。……効能が完全にバトルドラッグとかマジックポーションなんだよ。
彼女の領域にいくには人類が未だ未踏の魔物食材に手を出すしかない。副作用とか毒性とか寄生虫とかが未だに判明していない未知の領域に踏み出すしかないのか。
「私もいずれはあの領域へ……」
あ、ベティ料理を思い出してるシェーファが小刻みに震え出して白目剥いてる。完全に禁断症状だな。
食後。厨房で皿洗いを終えた奴らが身を寄せ合う。犯るのか?
「今日はラタトナ迷宮に潜ろうと思う。君はどうする?」
犯れよ。頼むからそろそろ犯ってくれよ。俺の貴重な夏休みが無為になっちまうだろ。
「海底城は危険だと聞きますが……」
「まずは様子見で済ませるさ。問題がなさそうならエレン姫も来るといい、エスコートしてしんぜよう」
「守ってくださいますなら喜んで」
「期待しているといい。では行ってくる」
その時だ。一台の馬車が別荘の前で停車する。純白に輝く箱馬車の御者台には二本の旗。二足で立ち上がり威嚇する黄金のかんむりを戴く獅子の家門。オージュバルト辺境伯家の馬車だ。
先に二人の護衛が降りてきた。装備は軽装ながらどれもミスリル製。屈強な四十代の騎士たちだ。
最後に堂々とした紳士が降りてきた。髭をよく整えたハンサムな青年だ。エレン様の親父だったらオージュバルト辺境伯ラインバッハなのだろうが、資料にあった顔ではないのでちがうか。
なぜか使用人のいない別荘なのでシェーファが応接に出ている。
談笑の後で別荘へと招き入れる。応接間でエレン様も交えての会話が始まる。どうやら二人の関係はおじさんと姪子らしい。エスカレド・オージュバルト。名前くらいは知っている。辺境伯が帝都に出ている間なんかに領地を差配する大物だ。
毒にも薬にもならないしょうもない会話の後でエスカレドが本題に入った。
「スクリエルラ様のおかげで大した騒動になったというべきか軽い遊びで済んでよかったと思うべきか。クリストファー殿はいかが思われますかな?」
「おふざけで済んでよかった、という回答を聞きたいわけではあるまい」
「手厳しいな。貴族社会に慣れると回りくどい物言いをするようになってしまうのだ。言葉遊びを優雅であると履き違えた似非貴族どもにいつの間にか染まっていたようだ。率直にお尋ねする、帝位を目指すおつもりはございますかな?」
「そこいらの似非貴族に問われたのなら鼻で笑い飛ばすところであるがエスカレド殿が如き大貴族に問われれば意味合いもこちらも曖昧にはできない。私にグラスカール兄上の体制を脅かすちからは無い」
「ちからなら我々が用意いたす」
「我々とは誰だ?」
「オージュバルトと志を同じくする者達だ」
シェーファが少し悩む素振りを見せる。交渉の上手いこいつがよくやる、相手を焦れさせてさらなるオマケを引き出す時のやつだ。
しかしまぁエスカレドも慣れたもんだ。簡単には乗ってこない。
「資金面、兵力、宮廷工作の可能な立場にある人員。我らと共に戦ってくださる方にはこれらの援助を惜しまない。あなたは頷くだけで帝位が手に入るのだ」
「貴殿の家は帝国に参列して日が浅いのだったな」
「ええ、帝国から見れば僅か26年と日の浅い家だ。七百余年の歴史あるオージュバルト大公家の歴史から見ればちっぽけな、だが憤死しかねない屈辱の26年だよ」
オージュバルト大公家というのは昔の話だ。ものすごい大昔の話なんだがこの辺りはグランバニアっていうでかい国が支配していたらしい。
歴史的な事件であるところのシャピロの大災害と呼ばれる事件があって旧シャピロ帝国の軍閥が兵を率いてグランバニア王国を食い荒らし、あちこちを占領して無数の小国ができあがった。町一個だけの国とか要塞の周囲に築かれた集落とかそういうのがたくさんだ。
いつだったかパカの遺跡探しに山岳部の小国スタッカートに行ったじゃん。あれも系譜で言えばシャピロの大災害で生まれた国なんだよ。
オージュバルト大公国もそういう歴史を持つ国だ。崩壊していくグランバニアの内地から逃げ出してきた騎士やら兵隊やらが海の向こうの飛び地領地であったラタトナの地に集って王国の再起を願ったんだ。
オージュバルト大公家はグランバニアの重臣。王家とも政略婚を重ねるすごい家なので新しい王朝の旗頭にピッタリだったんだな。
シャピロの大災害から百年以上が経った。だが大公国はいつまでも失われたグランバニアの地を取り返せずにいた。その理由ってのが一々噛みついてくる大ドルジア帝国の侵略なんだ。
地味に強い帝国に手を焼きながら海の向こうに遠征軍を送り続けては失敗してを繰り返し、26年前にとうとう帝国に屈したってのがこの家の歴史だ。シェーファもこのくらいの情報は持ってるだろ。
「帝国に未だ翻意ありと?」
「そこまで料簡が狭いわけではない。ただ新たなる皇帝には当家の意向を汲んでくれる方が望ましいというだけだ」
「なるほど、彼方に捨ててきた故郷が未だ懐かしいと見える。貴殿の腹の内は理解した」
「ご理解いただけて嬉しいね。当家はあくまでも帝国の臣下であり、挙兵には全霊を以て応じる。ただどこを攻めるかに関してのみ当家の考えも考慮してほしいだけなんだ」
「面白い言い分だ。帝国の兵と金を使って故郷を取り戻そうという陰謀ではないか」
「帝国とて南の地を欲しているはずだ。時にクリストファー殿はガーランド・バートランドと懇意だとか。ならばあの者がこそこそと進めている計画も耳の内であろう」
「……」
「やはり知っているのだね。ガーランドの狙いがどこかまでは我らも知り得ない。誰の口からもその名前だけは出てこなかった。だがクリストファー殿ならば知っているのではないか?」
「ふんっ。気に食わんな、私はあくまでもセカンドプランというわけか」
「鉄血と協調できるのが最善なのは確かだ」
沈黙が場を満たす。
饒舌なエスカレドも沈黙を求めた。すでに手札は開いた。あとは答えを聞くだけだ。
「彼の地に現在住んでいる人々を追い払い、百数十年も昔に彼の地を去った一族が舞い戻ると。今の住人にとっては悲惨であるな」
「盗人どもの末裔がどうなろうが知ったことではない。彼の地は我らの土地なのだ」
「どうしてこの話をアデルアードに持っていかなかった。あれならばすぐに食いついたはずだ」
「ここまで聞いておいてそれはないだろう。あれなる小僧の器量では帝位など望むべくもない。王には王がなるべきだ。王気を備えるあなただから口説いているのだ」
エレン様がシェーファに身を寄せる。何だかとってもヒロインっぽいのでキュンです。
スタイルのいい金髪縦ロールヒロインか。アリだな。エレン様には可哀想なシチュが似合う空気がある。
「エレンチュバルと共に我らが主になっていただきたい」
「帝位など考えたこともない」
断ったかに思えたが、奴の目つきが不穏すぎてそうは思えない。
シェーファが固く握りしめた拳を開き、その腕でエレン様を引き寄せる。
「だが面白い。オージュバルトと共に夢を見よう」
「夢で終わらせはしない。必ずやあなたとエレンチュバルを帝位へと押し上げてみせよう」
エスカレドとシェーファががっちり握手する。
特に驚きのない順当な結果だ。帝国皇子クリストファーは水面下でオージュバルト辺境伯家からの支援を受ける。アシェラから貰った春のマリアの情報通りだ。
◇◇◇◇◇◇
エレン・オージュバルトは叔父であるエスカレドを見送るという形で帰りの馬車に同乗している。別荘に残ってもとうのクリストファー皇子はラタトナ迷宮に潜るらしいので、今日一日くらいはオージュバルトの別荘でのんびりする予定だ。
帰りの馬車でエスカレドが大きく吐息をついた。
「あれはまた凄いな。エレン、お前はよくあんな怪物の傍に平気でいられるな」
「あら、王とはああいう方を言うのではなくて。余人とは画する覇気を備えた殿方のお傍にいられるのは女の幸福でありませんの」
「お前も豪胆だね。さすがはオージュバルトの姫だ。私などはすっかり参ってしまったよ」
「クリス様の素晴らしさが叔父様にも伝わっていて嬉しい限りでしてよ」
エスカレドが率直に思ったのは強いなという感想だ。
我が姪ながら強い女すぎて夫が可哀想になると考えていたが、夫があれなら釣り合いがとれる。こんなどうでもいいことを思いながらも彼の頭脳は先ほどの会談を仔細あますことなく思い出す。
クリストファー・ブレイド・ザ・ドルジア。銀狼シェーファ。ドルジアの血に覚醒した古き竜の末裔。
調査結果は確認してある。だが実際に対面で話して本物と確信を得た。
あれが王ならオージュバルトも膝を折る。ハイルバニアの覇王ドルジアの再来と見るに足りる王気を備えている。無能者なら傀儡にする考えもあったが少し話した時点でその考えは捨てた。あれは制御できない。しない方が賢明だ。個人では敵対したところで勝ち目が無い。
(やけにあっさりと提案に乗ってきたな。我らの提案を予想していたかとしか思えん。あれで齢十六? 幾ら何でも完成しすぎだろ、いったいどんな修羅場を潜ってきたやら。だがあれくらいでなくては勝負に出る価値がない)
気に入った。王に戴くならあれがいい。
オージュバルトは無能には膝を折らない。オージュバルトは己よりも弱き者に仕えたりはしない。
あれなら納得できる。一族の夢を託せる。
すでに百余年も敗れ続けてきたのだ。賭けに出るにはいい頃合いだ。
(失敗したなら何食わぬ顔で次の世代に託せばいい。ドルジアの血を手に入れたエレンが子らがオージュバルトの悲願を叶えてくれる。何度失敗してもいい、もうすっかり慣れた、始祖の神殿にたどり着けるのなら何度だって徒労を受け入れよう)
馬車が停まる。
ラタトナ離宮のすぐ傍にあるオージュバルト辺境伯家の別荘はグラスカール皇太子のご配慮もあってか使用人を数十人は置いても困らない大きさである。もちろん賓客を招くのにも困らない。……まるでここで密談をしろと言われているようなものだ。
先に降りたエスカレドが姪の手を取り馬車から降りるのを手伝ってやる。
「そういえばお子はどうだね。無事に授かりれそうかい?」
「お子ッ……! ええ、まぁ可愛がっていただけるのですが……」
「初々しいね。そういう娘の方が好ましい男もいるが手慣れた女がいいという男もいる。彼はどっちだろうね?」
「……それをわたくしの口から尋ねよと仰いますの」
「いやいやエレンはそのままでいい。だが明日からは女中を入れるよ」
カモの急な来訪であったがエスカレドは子女のリストアップから準備まで終えている。明日にはクリストファーを篭絡する使命を帯びたオージュバルトの娘達がリゾートにやってくる予定だ。
エレンが忌々しそうに唇を噛む。その目は御家のやり方を嫌悪するようだ。
「私を睨んで何になる。正妻の地位を守りたいのなら彼の心を離さない努力でするべきだね」
「わかっておりますわ」
「よろしい。いきなり大勢を入れては彼の気障りになるだろう。まずはレイシャとアスタリアで様子を見る。お手付きとならなければ二日で替えるつもりだが邪魔だけはしないように」
「わかっていますわ!」
エレンが怒鳴る。それを可愛いと、若いと、未熟だと鼻で笑い飛ばす。
何を差し出しても最後にオージュバルトが勝てばよい。エスカレドにとってエレンは可愛い姪なれど盤上においては駒の一つにすぎない。オージュバルトの勝利に貢献する駒でしかないのだ。
駒に自我は必要ない。指し手の言うがままに役割を果たしてくれればそれでよい。
駒が自我を謳い出せば問題だ。不良品は処分して新しい駒にすげ替えなくてはならない。そしてエレンの代わりは他にもいる。
貴族に生まれた事は幸運ではない。美しく着飾る権利を与えられた事さえ幸運とは程遠い。彼女らは人生の幸運をオージュバルトに生まれた事で使い果たしているのだ。




