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(旧)夏の終わり 馬鹿王子の結末

 馬鹿犬に懐かれてしまった俺らは閣下の口から断ってもらおうと別荘を訪ねたんだが……


「暇なら手助けしてやればいい」

「「ええぇぇ……」」


 閣下マジどうしたの牙抜け落ちてますよ?


 あんた変わっちまったよ、昔の静かなる火薬庫みたいなあんたはどこいったんだよ。あーんされてる状況じゃねえんだよ。ヴァカンスの邪魔すんな、早く帰れみたいな目するんじゃねえよ。


 昔のあんたはもっとキレッキレのワーカホリックだった。騎士団入ってから取った事のなかった休暇を使って俺をスカウトしに来るとかいうぶっ飛んだハードワーカーのあんたはマジどこへ行ったんだ?


『一日に二十四時間しか働けないという既成概念を取り払うためにガーランド暦を作ってみた。これにより一日はなんと四時間プラスの二十八時間勤務ができてしまうのだ! 安息日? 知らんな』


 どや顔で宣言して部下どもに悲鳴あげさせてたあんたはどこいったんだよ。ヴァカンスでリゾートに来るとか俺の知ってる閣下じゃねえよ。


 当初はバートランドが第四王子についたと噂されるような言動は慎めって言ってたはずなのに……


「こんな噂が流れている。礼儀知らずのアデルアードがアイリーンを怒らせた、無礼者に泣きつかれたお優しいロザリアがマナーを教えてあげていると」

「何一つ間違ってない噂って逆にすごいですね」


 噂ってのは尾ひれ背びれがつくものだ。なにしろ他人にしゃべるんだ、面白い方がいいに決まってる。

 何者かが噂を調整し、変な方向にいかないか監視の目を光らせているんだな。


「ちなみに俺ではない」

「それにしてはバートランドにいい方向に調整されていますが。聞いちゃダメな奴でした?」

「いや、構わん。おそらくは我が父アルヴィンの手の者が紛れ込んでいるのだろう」

「うちの親父殿みたいな奴らがですか」


 めっちゃ苦笑されてるぜ。ブラックジョークだったもんな。


「あとでリストを渡そう。お前もぼちぼち貴族社会を学ばんとな」


 バートランド公爵の密命を受けて社交界の噂を調律している上級貴族部隊かぁ、怖えー。どんな奴らがいるんだろうな。デブもポップコーン食べる手を止めて興味深々みてえだ。


 とりあえず噂が広まったおかげで第四王子に多少手を貸しても問題ないらしい。むしろお嬢様のお優しさが名声となって広まる機会になっている状態だ。


 アデルアードが閣下の前に出ていく。こいつ勇気だけはあるよね。怖い物知らずなだけだろうけど。


「ガーランド・バートランド。やはり僕ごとき歯牙にも掛けぬか?」

「現状はまったくそのとおりですな。アデルアード殿下は未だ我らのステージに立つ事さえできていない。ですが立つことは不幸なことでしょう」


 うん、ブタ王子の敵になれるくらい立派な派閥作ったら殺すって言ってますね。

 馬鹿王子のお顔がキリッとしてるぜ。受けて立つ的な感じなのがマジすげえ度胸だと思う。


「よい、いまはそれでよい。僕には夢があるのだ、何もせずに王宮で怯えているよりは今の方がよほど充実している」

「覚悟があるのならそれでよろしい。俺も他人の生き様にケチをつけたりはせん」

「感謝する」


「もしゃ……感謝するのはおかしいと思うなあ」

「そうなのか?」

「ええ、だって閣下は派閥拡大させたら殺すから覚悟はしとけって言ってますもん」

「そうだったのか!?」


 すげえオタオタしてやがる。

 マジの馬鹿王子なんだなこいつ。でも来年の二月でようやく十六歳になる少年ならこんなもんだよな。だってまだ高一だぜこいつ。


「みなさぁ~~ん、冷たいお茶でしてよー」


 ラストがアイスティーを人数分持ってきてくれたぜ。こいつ老後は独り暮らしする気だったから家事は一通りできるんだよね。超ハイスペック才色兼備なんだよ。沸点超低いだけで。


 アイスティーで軽く休憩した後にリビングで作戦会議が始める。

 司会進行はどうやら俺らしい。


「え~~では模擬皇位継承戦を勝ち抜くための会議を始めます。まず基本的な知識として馬鹿王子は1001ポイントを獲得、またはそれに近い数字を得る必要がありますね」

「近くてもよいのか?」

「三人いますからね。適当にバラけることを考えれば過半数を取る必要はないでしょう」

「最も注意すべきはクリストファーだろうな。あいつには失点がない」


 サン・イルスローゼからの留学帰りの第二王子。中央文明圏から巨万の富を持ち帰ったというだけでも傑物っぽい空気出てるのに騎士学院生を率いて煙草呑みの谷底で見事な初陣を飾り、なおかつ今回の馬鹿騒動の引き金になっていない。閣下の指摘はここだ。


 正直アデルアードとスクリエルラは模擬皇位継承戦の発端となったってだけでかなりのマイナスイメージから始まっているはずだ。知名度と実績のあるスクリエルラならまだ票も入るが血の連盟状を強要してきたアデルアードなど俺なら絶対に入れない。


 あれこれクリストファー圧勝じゃね? だから閣下はまずこの話題から始めたんだな。


「皆からは奇譚のない意見を聞きたい、クリストファーという男をどう思う?」


「ステキな御方だと思っているわ」

「小銭大好き銀犬君」

「カリスマ性の塊かなあ、ちょっと怖いくらいのね」

「結婚したい」


「奴には人を惹きつける魅力がある。計算や打算を度外視しても近寄りたい人間も多いはずだ、そうして出来上がった輪は強固だ。なぜなら奴を好いて近づいてきた者に安心を与えないからだ」


 この安心は品物に置き換えてもいい。大人気クリストファー店に並んだ大勢の行列は決して開店しない店の前でずっと待ちぼうけしてるわけだ。群集心理と言い換えてもいい。


 せっかく並んだのだから品物を手に入れたい。それまでどっかに行くわけにはいかない。奴に惹かれる者はそういう心理状態にさせられてしまう。閣下のおっしゃる安心とは愛情や信頼の事だ。


 ただお嬢様方には理解できないらしい。この解釈通じるのこの場では俺と閣下だけだわ。


「閣下それドケチ理論です」

「む……そうか?」

「ドケチ理論?」

「そう、俺らドケチにしか通じないドケチ理論なんです」


 でもこれけっこう当たってると思う。


 誰もがクリストファーにはなれないのに誰もがあいつのようになりたいと思ってしまう。奴になれないのならせめて近づきたい。友になりたい。だがあいつは決して心を開かない。なぜなら俺らが憎むべき貴族だからだ。


 庭には入れても家には絶対あげない。でもみんな諦められないから庭から離れずにあいつが訪れるのを待っている。出待ちの多いアイドルみたいなもんだな。


 本当に最悪だよお前は、この俺でさえもお前に惹かれているのがな。


 ところでこれ何のお話だっけ? アデルアードを勝たせる方法だったよね?


「閣下、具体的に何をどうすればいいんですかね?」

「……わからんのか?」


 この反応俺の株価下がった奴だな。

 とはいえ三人寄れば文殊の知恵さ。しかも今は三人どころか三馬鹿プラスワン&馬鹿王子までいるんだ。みんな! 閣下に言ってやってくれ!


「…………」

「…………」

「…………」

「…………もしゃ」

「誰もわからないんかーい!?」


 三馬鹿プラスワンは伊達に馬鹿がついてねえな、こいつらマジ使えねえ。もうBファイブみたいなユニットでいいよこの馬鹿ども。閣下お回答をお願いします!


「何事も経験だ、好きにやってみろ」


 華麗に見捨てられた!?


 こうして俺らBファイブによる猛特訓が始まった。題してアイリーン様陥落大作戦である。後三日しかねえから気合い入れていくぜ!


「こんのぉ、馬鹿犬ー!」

 時にお嬢様の無限フリスビーが炸裂し!


「あんたとの会話パパと話してる気分になるのよね……」

「アウトー!」

 時にシャルロッテ様の不満とフリスビーが同時炸裂し!


「アウトー、腹筋十回ね!」

 なんかもう間違えたら罰ゲームさせられてる。あいつうちの国の王子様だよな?


「アイリーン、今宵はけして寝かさぬと心得よ?」

 途中からホストクラブ路線になってるけど誰も止めないの? いいの?


「殿下、足が下がっています」

「胸をお張りなさい。俯いては余計辛いだけです!」

 なんでかわからないけど夕暮れの砂浜をマラソンしてる。近衛のお兄さんたちマジ面倒見いいんだ。


「もしゃもしゃ。ねえリリウス君、このマラソンには何の意味が?」

「根性はつくよな」

「それほんとうに必要?」

「近衛のあんちゃんたちに聞いてくれよ……」


 あの爽やかなイケメンたち外面内面ともにハイグレードな素晴らしい男性陣だと思うけど、ちょっと脳筋なんだよなー……


「殿下、右です右!」

「ああ行き過ぎだ! 左に三十度……そう、そのまま振り下ろして!」

「馬鹿犬ー、もっと右ー!」

「せいや!」

 スイカ割り始めちゃったよ! 

 その後はみんなでBBQしたけど何かがおかしいな!?


 みんなで夕日の反対方向に走るのもおかしいよ。近衛のみなさまはなんでいつも付き合いいいの!? じつは馬鹿でしょあんたら!


 そして皇位継承戦六日目の夜、アイリーン様を再びレストランにご招待したぜ。

 テラスにやってきたアイリーン様を出迎える白スーツの馬鹿王子が颯爽と立ち上がり……


「I was wonder~~♪(なんて不思議な気持ちなんだ)」


 ミュージカル調で歩いてきた馬鹿王子が指を鳴らすと周りの席のイケメンホストふうの近衛のお兄様たちがザッと立ち上がって踊り出した。


「What a wonderful destiny~~♪(もしかして運命の出会いなのか?)」


 ボーイさんたちまで集結して馬鹿王子を中心にステキダンシングし始めたわ。ナイスミドルな支配人さんが一番ノリノリなんだよね。


「I got! I was born to love you~~♪(そうさ、僕は君を愛するために生まれてきたんだ!)」


 俺とデブのトランペット部隊まで立ち上がり、お客さんも立ち上がり、馬鹿王子の左右に並んで踊るぜ。


 そんな俺らを背景に、馬鹿王子がうっとりしているアイリーン様のお手を取る。


「まあ!」


 アイリーン様の手にはさっき親父殿から力尽くで強奪した水晶花が手品みたいに現れたぜ。これにはアイリーン様も乙女回路入っちゃってるな!


「今夜はすてきな夜になりそうね」

「伝説の夜にしてみせる」


 王子様は歯が命! 真っ白な歯がキラーン☆してるぜ。


 この後アデルアードは最高のディナーと小粋な会話で完璧におもてなしをした。アイリーン様も終始笑顔でお帰りになられた。

 正直俺らは何かを忘れている気がするが、忘れてるくらいだからどうでもいい些末な事なんだろうな。


「もしゃ……票集めの話しなかったね」

「そういう空気じゃなかったからな」

「……そもそも票まとめをお願いするはずだったよね?」

「そういう雰囲気にならなかったから仕方ないだろ」


 淑女を完璧におもてなししている最中に政治的な話できるわけがないだろ。


 俺たちは何か絶望的なまでに深い過ちを犯している気もするが、まぁいいだろ。アデルアードもひと仕事やり終えた男の顔してるしな。


「よい、よいのだ。今はこの充足感に勝るものはない」

「もしゃもしゃ。よくないと思うなー……もしゃもしゃ」


 そして迎えた最終日。

 ラタトナ離宮に集った模擬皇位継承戦参加者たちは係に投票する相手の名を伝える行列に並んでいる。匿名投票ナニソレ?


 なぜかお嬢様が結果発表読み上げる役に任命されてるぜ。


「では結果を発表いたしますわ」


 俺氏華麗なるドラムロールする。

 魔法でスポットライトも操ってる。デブとシャルロッテ様も何かしようぜ?


「あの下男けっこう芸達者なのよね……」

「もしゃもしゃ、賑やかし担当だよね。もしゃもしゃ」


「三位、スクリエルラ様ゼロ票!」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………は?」


 この結果にはざわついてるぜ。余裕ぶっこいてたスクリエルラ様が凍りついてるぜ。当然の結果だが、さすがにゼロ票とは思わなかった。


 つまりみなさんは模擬皇位継承戦とかいう面倒事に巻き込まれたのを、俺の想像をはるかに越えるレベルで恨んでいるんだな。


「二位、フォン・アデルアード様215票! 一位、フォン・クリストファー様1785票! よって模擬皇位継承戦はフォン・クリストファー殿下の優勝です! おめでとうございます!」


 万感の拍手に包まれる壇上にクリストファーが現れ、お嬢様から祝福の頬キッスとワイングラスを受け取ってるぜ。


「皆への感謝と騒々しいお祭りの終了を祝って、乾杯!」

「「乾杯!」」


 超いい雰囲気でB組バカジョバカ男子に胴上げされたクリストファーがKIBASENされながら皆さんと握手してるぜ。タイトル取ったボクサーみたいだな!


 そして翌日、ホテル裏の林道でアデルアードとデブたちが握手してる。アデルアードはもう王宮に帰るらしいんだ。


「殿下、残念な結果でしたが……」

「よい、僕はこれでも満足している」


 ファウストと俺達の票を合わせても110票。アイリーン様個人は20票。つまり85票分の方々が皇帝はこいつでもいいかなって思ってくれたらしい。


 こいつはたしかに不作法で短絡的な馬鹿王子だけどさ、こいつの頑張りを評価してくれた人もいるってわけだ。フラッシュモブ手伝ってくれた連中かもしれないね。


「皇位継承権は失ったが夢を諦めたわけではない。皇帝とならずとも別の道もあるだろう」

「平民を救いたいというのは信認集めのプロパガンダではなかったんです?」

「人気集めならもう少し賢いことを言ってやったさ。下男、お前にも色々と世話になった」

「まったくだ。少しは懲りてくれよ」


 握手をするとハグされたぜ。


「お前達のことは忘れぬ。絶対に忘れぬ」

「そんなおおげさな」


 まるで今生の別れみたいだな、って思ったがたしかにもう会う機会はなさそうだ。他の連中はともかく俺は王宮に出入りできる身分じゃないしな。


 アデルアードを乗せた馬車が街道を走り出す。海岸線を走っていくそいつをしばらく見つめていた俺らはようやく日常に戻ったのだと実感する。


「面倒くさい奴だったけど、ちょっとは楽しかったぜ」

「ちょっとだけね」

「もうごめんだけど、楽しかったのは否定しないわ」


 さあてヴァカンスの続きに戻るか。


 林道を歩いてリゾートへ歩いてたら前から馬車がやってきた。皇室の紋章がついてるってことはスクリエルラかな? 親父殿もいるんだろーなー……めんどくせ。


 馬車が停車したぜ。

 手綱を握る爽やかな近衛のあんちゃんがニコリとしている。……ピリっときた。危険センサーにピリっときたぞ?


「殿下に付き合ってくださり感謝します。そう見えたかはわかりかねますが、あれで同世代の友ができたことを内心喜んでいらしたのですよ」

「あ、あぁ……」


 御者台から手を伸ばしてきた近衛と握手を交わす。なんだこの違和感?


「それで殿下はいずこに? みなさんと別れをしたいと先に往かれたはずなのですが……」

「…………これやべえ奴だ」

「ねえリリウス、ねえ?」

「ちょっと! じゃあさっきの馬車は何なの!?」

「もしゃ……さっきの馬車はどこへ? 誰が乗って……?」


 アデルアードが誘拐された。



 ◆◆◆◆◆◆



 街道を疾走する馬車の中でアデルアードは見知らぬ男と対座している。会話はない。話しかける気もないし、向こうもそうらしい。


 海岸沿いの街道を走っていた馬車はやがて進路を変え、整地されていないデコボコ道に入った。


「この馬車はどこへ向かっている?」

「……」

「僕をどうするつもりだ?」

「……何を気になさる。どうせ何もできないのに」


「それもそうだ」


 やがて馬車は大きめの洞穴に入っていった。速度はだいぶ落ちている。逃げられないこともない。ふと思い浮かんだのは四人の友の顔だが……


(思えば迷惑ばかりかけてきた。このうえ縋ろうなど浅ましいにもほどがある…か)


 やがて馬車が停車。背中を小突かれるみたいに歩かされてたどり着いたのは海だ。


 海岸洞窟の奥にある入江は岩礁に覆われている。申し訳程度の桟橋があり、どう見てもまとも用途ではない。


(……漁村があるとは聞いたがもう少し離れた場所だったはず。漁師の雨宿り用とも思えん。まさか沿海州の……?)


 アデルアードを囲んで逃がさないように前後を歩くこの二人は何者だ?

 だが恐怖はなかった。何が起きるにせよ、どうせ何もできない……


 海面から帯状の闇がやってきた。桟橋の上に降り立った闇は人の形を成して、汚物のように笑った。


「あぁ殿下、殿下ぁ無沙汰をしておりました」

「ベルドール……」


 黒衣の宰相の姿を見た瞬間にアデルアードの決意は霧散した。


 沿海州に連れ去られるのは構わない。拷問か政治の道具か、それも仕方ない。だがベルドールだけは嫌だ。こいつだけは嫌だと第四王子の心が絶叫をあげている。


 このおぞましい怪物に捕まるのだけは嫌だ!


「殿下ぁ、どうしていい子にできなかったのですか。皇位継承権を失うなんてほんとうにわるい子ですねえ……」

「ひぃっ」


 ベルドールの伸ばしてきた腕が王子の頭髪を掴み、引き寄せるようにしてその額を舐めあげる。ちろちろといやらしい舌づかいに嫌悪感が走る。


「悲しいですねえ、ほんとうに悲しい……ほんとうに処分はしたくないのですよ?」

「はっ……!」


 離せと叫ぶだけの矜持も奪われている。

 その腕を払いのけ、逃げ出すだけの矜持もとっくに奪われている。無限に刻みつけられてきた恐怖がこいつからは逃げられない事を理解している。


「神々の末裔スキルを持たぬ殿下のお体などほんとうは必要ないのですが、あぁでもこの美しさだけは捨てがたい。切り開いて臓物を抜いて薬液に漬けて永遠に可愛がって差しあげましょう……」

「やっ、め……」


 アデルアードの腹部をまさぐるベルドールの腕が―――切断。ポロリと取れてしまった腕が岩場に転がっていった。


 驚愕するベルドールが背後へと振り返る。

 そこにはズブ濡れになった青年がいた。たったいま海からあがってきたらしい黒髪の青年は無感動な顔つきをしている。状況を理解していない顔だ。がしがしと頭を掻いているのは単純に痒いからに見える。


 本当にただの通りすがりらしい。


「助けてやってもいいぞ?」

「……だが」

「助かりたいなら不用意に動くな。そこはもう僕のフィールドだ」


 軽い口調でそんなことを言った青年が靴を脱いで逆さにし、たっぷり詰まった水を地面に捨てている。

 そんな余裕な行動に怯えているのはベルドールだ。


「貴方は何者ですかねえ?」

「通りすがりのヒーローなんじゃないか? お前にとっては恐ろしい化け物かもしれんがな」


「ふざけた子供だ。死になさ―――」


 青年を害するために駆け出したベルドールの肉体が細切れの肉片へと変わる。


 馬車でアデルアードをここまで連れてきた二人の男はそれを見て恐れをなし、逃げようと振り返っただけで細切れの肉片になってしまった。


 無数の肉片の間に立つアデルアードは座り込んでしまいそうなほどに震える膝を懸命に押さえつけている。彼が動くなと言った意味がわかったからだ。

 洞窟に無数に張り巡らされた細い糸には鮮血が付着している。これを見て動くなど馬鹿のすることだ。


「鋼斬糸結界陣。馬鹿な連中だ、助かりたければ動くなと言ったはずなんだがな」


 青年が複雑な手つきで指を手繰ると洞窟内に張り巡らされた糸がするすると彼の手の中に戻っていった。驚くべきことに一個のボビンに収まる量でしかなかった。


「お前は何者か。どうして僕を助けてくれた?」

「僕は竜だ。竜に人の理屈を求めるなよ、気ままに殺して気ままに善行をする時もあるってだけだ」

(……どう見ても人に見えるのだが?)


 竜を名乗った青年につきそわれて地上に戻る。少し窪んだ地形から見上げる海岸沿いの街道から近衛と下男が走ってきているところだった。


「ご無事でしたか!」

「おまっ、変な馬車乗ってんじゃねーよ!」


 駆け寄ってきた近衛からは肩を叩かれ、下男からはラリアットされた。地面に倒れ込んだアデルアードが笑っているのは生きているからだ。生きていればこそ笑い、再会を喜ぶことができる。


「なんで笑ってるんだよ」

「は…ははは、何でか僕もわからないのだ」

「変な野郎だぜ」


 下男から手を借りて立ち上がり、この人に助けてもらったんだと説明したら目を丸くして驚かれた。


「よお」

「フェイ! なんでお前こんなところにいんの!? 俺の商会の店番は!?」

「あんな客来ねえ店さっさと畳め。なんでと言われれば海底城を攻めていたんだがな、その帰りだ」


「一人でか?」

「ウルドとレイシスもいたが転移で帰った」

(下男仲間なのか?)


 アデルアードは天然発揮してちょっと失礼な予想をしていた。


 リゾートまで戻るとまた手荒い歓迎を受けた。心配させるなと頭を揉みくちゃにされたが、まさかシャルロッテが泣き出すとは思ってもいなかったので困ってしまった。


「泣いてくれるのか?」

「馬鹿犬ー、こんなん誰だって泣くわよ! ほんとふざけんじゃないわよ!」


 みんなが一斉に笑い出したいい雰囲気でアデルアード第四王子のひと夏の冒険は終わった。


 八月二十日。アデルアード第四王子は皇帝レギン・アルタークに謁見を願い出て皇位継承権の放棄を正式に宣言。さらに皇室からの除名を願い出ることでその身分を無地貴族位とする。


 これにより大ドルジア帝国は馬鹿王子を一名失い、年金も役職も管理する領地も持たない名前だけのゴクツブシ貴族を一名手に入れたのである。


 そして翌九日―――

 アデルアード・ブレイド・ゴーゼスタイト男爵の姿は騎士学院一年A組にあった。なぜか誇らしげなパインツ担任が黒板に名前を書いている。


「え~~~本日から新しい学友が加わる。さあ殿…じゃなくてゴーゼスタイト君、みんなにご挨拶を」

「アデルアードである。王族ではなく一貴族一騎士として生きることを決めたはみ出し者であるが、どうかよろしく頼む」


「「……なんでこんな事に?」」


 三馬鹿プラスワンの戸惑いの声は大きな拍手に打ち消され、はにかむアデルアードの照れ恥ずかしい笑顔だけが皆の記憶に残った。

 新たな仲間を加え、騎士学院に新しい季節が訪れる。



 ◇◇◇◇◇◇



 海辺の洞窟は静か。


 弱々しい闇が怯えるみたいに震えるそこを訪れたファウスト・マクローエンは彼の膨大な魔法力からすればほんの切れ端みたいなちからを闇へと分け与える。


 震える闇はおずおずとその夜色の魔法力に触れ、急速にそのちからを回復させた。


「あぁあぁ……我が主、我が主ぃ感謝いたします」


 帝国宰相ベルドールは夜の魔王の靴にキスをし心からの忠誠を再び誓った。

 だが魔王はそれでよしとはしなかった。


「ぬかったなベルドール」

「面目次第もございませぬ。何もかも重ね重ねにお詫びし何もかも重ね重ねに反省いたしまする……」


「言葉はよい、すべて行動で示せよ」


 皮膚が千切れるほどに額を岩礁にこすりつける哀れな忠臣を見下ろす魔王はやはり満足はしない。この者の利用価値を計るような冷たい目をしている。


「奮起せよ、でなければお前の望む永遠の生命などくれてはやれんぞ?」

「……承知しております我が主。次こそは必ずやご下命のとおりに」


 魔王が歩き出す。海を地のように渡る王へと忠臣が追従する。その歩みを止める者はなく、また止め得るだけのちから持つ者もこの世にはいない。


「多少の遅延は出るがプランそのものに問題はない」


「聖女シェトロアを手に入れるには神々の末裔保有者の覚醒を待たねばならない」


「候補は二人、ロザリア・バートランドとフォン・クリストファー……どちらでもいい」


「彼らには試練が必要だ。神狩りの戦いの中でその真のちからに目覚めたドルジア・ブレイドのように」


「異次元からの干渉者の動向も気になるがそちらは受け身にならざるを得ないか。だが首輪は付けてある」


「今度こそ天界の玉座に君臨する。ティトにもアルテナにも邪魔はさせん」


「邪悪なる神々を打ち滅ぼしこのニューロエンシェア世界を聖なる夜で覆ってやろう。知性なき獣の楽園こそが世界の真なる形であると示してみせよう」


 くつくつと嗤う夜の魔王の美貌を一筋の涙が落ちていった。

 魔王は咄嗟に掲げた手のひらで涙を受け止め、それを決して解き明かせない世界の謎のようにいつまでもいつまでも見つめ続けた。


「……兄さん、どうしてあの時に私を殺してくれなかったのですか?」


 魔王の呟きを聞く者はいない。

 止める者も、止められる者も、もうこの世界には誰もいない。

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