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(旧)銀狼、夜を引き裂いて

 一学期のとある日、バートランド公爵から召喚されたバイアットはいつものようにポップコーンもしゃりながら質問した。


「もしゃもしゃ、頭痛ですか?」

「う…む……」


 貴族の中の貴族と呼ばれる公爵様は額を押さえている。

 頭痛というか二日酔いなのだが親友の息子にそういうかっこわるい事は言いたくなかった。


「稀にあるんだ」

「そうですか」


 バイアットはどうせ二日酔いだろうなあと思っている。よし誤魔化せたと内心シタリ顔をする公爵の威厳はふとっちょ少年のナイスな気遣いで守られているに過ぎない。


 砂城のように脆い威厳を漂わせる公爵がどこかの碇司令みたいに目をギラリとさせる。


「君を呼んだのは他でもない。いつもの秘密指令だ」

(どうせいつもの悪だくみなんだろうなあ)


 聞けばアデルアード王子を誘導してリゾートで暴発させるらしい。

 支援者を欲するアデルアードがどういった人物に接触するか、それによって誰がどんな反応をするかを暴き出そうという話だ。


「王子の食いつきそうな餌をたっぷり用意するつもりだ。君の仕事はいつも通りよく観察してくることさ」


 バイアットは心の機微に聡い。そのせいかこうした悪だくみに度々巻き込まれる。


 貴族社会とひと口に言っても世代によって関係はバラバラだ。父と子の交友関係が異なるように、全てを網羅しようとするなら世代毎に目を置く必要がある。


 帝国一の謀略家アルヴィン・バートランドの若き瞳として見たもの聞いたものをそのまま伝え、その情報をもとに策を練る。社交界スパイのような役割だ。


「この話はお嬢様とリリウス君に教えても?」

「それはやめた方がいい。わかるだろう?」


 もやもや想像してみる。

 腹芸のできないロザリアは意識してギクシャクしてしまい自然な流れを崩して色々と台無しにするだろう。

 リリウスは論外だ。あれは暴力の嵐のような少年だ。きっと最後は悪党全員のケツを気持ちよくしてしまうにちがいない。


 二人に教えるのは最悪だ。死屍累々と倒れる大勢の上に立ち、高笑いする二人の姿がいま目の前で起きている光景のようにありありと想像できる。バイアットはきっと二人の背後で頭を抱えているにちがいない。


「そら無理だったろう? 人には向き不向きがあり、あの二人は仕掛けには向かない。その善意も正しさも愛すべき気質だが使いどころはここではない」


 公爵が人格の捻じ曲がった邪悪な笑いを浮かべている。バイアットを自分と同じ他人の不幸でメシがうまい策謀家だと考えているせいか、公爵は裏の顔を隠しもしない。それどころか手の内を見せて人を操る手法を学ばせようとさえしてくる。


(どうも僕をあの二人の司令塔にしたいらしいけど、無理無理僕にあの二人は制御できないよ。超フリーダムだもん)


 でも公爵はできるって信じているらしい。根拠は不明だ。

 根拠は不明でたまに虚言めいたことも言うがこの男が帝国随一の指し手であるのは事実だ。帝国という巨大なチェス盤を舞台に社会ゲームを動かす怪物だ。


 常人には駒を動かす怪物の巨大な手は見えない。

 見えたとしたらそれはとても不幸なことだろう。


「そう難しく考えることはない。自然な流れに乗っていけば私の策は自然に発動して何もかもまぁるく治まるよ。だから君の仕事はよく見聞きすることと、私の手管を学ぶことだね」

「お話はわかりました。一つ確認したいのですが、リリウス君やファウル様の事を怒ったりはしていないのですか?」


 あいつらが関わった鳥籠事件のせいで第一王子派閥は大打撃を受けた。普通に考えたら怒っているはずだが、この悪い大人は普通じゃないので確認しておきたいのだ。


「マクローエンは私の大事な剣だ。彼らが欲するのなら私は自ら臓物を抉り出して彼らの口にぶち込んだって構わない。マクローエンの武力は木っ端貴族数十名よりも尊いものなんだ」

「悪い大人だなあ」

「リリウス君は素晴らしい少年だ! あの必殺の剣はぜひともロザリアに譲り渡したい。君の役割はね、最強剣を手にするロザリアの耳に敵の名を吹き込むことだよ」


「無理だと思うなあ……」

「そうだね、そう思うのは無理もない。彼は言わば魔剣なんだ、所有者の腕をするりと抜け出して勝手に人を殺害し始める最強の魔剣。多少のデメリットには目をつぶってでも欲しいと思うのはおかしいかい?」


(う~~ん、アルヴィン様のマクローエン幻想は何が原因なんだろうね?)


「リリウス君は本当にいい子だ。彼はいつだって私の欲しいものの在り処を教えてくれる、そう宝の地図のような子なんだ」


 ちょうどこの瞬間に執務室の扉がノックされる。謀ったようなタイミングで入室してきたのはバイアットよりも一つ二つ年若いが、どこか風格のある少年少女だった。


 線は細いが鍛え抜かれた肉体。すでに実戦経験を終えていると思われる鋭い目つき。漂うちからはどこかリリウスを思わせる……


「引き合わせるのは初めてだったね。彼はバイアット・セルジリア、私の優秀な目だ。さあご挨拶なさい」


「バイアット様。ラステリア・マクローエンでございます」

「エルネスト・マクローエンだ」


「彼らはファウルの庶子だ。とてもえらい子達でね、ご病気の母上のために仕事がしたいというので私の下で働いてもらっているんだ」


 彼らの肩を抱いて微笑む公爵の姿にはバイアットも絶句するしかなかった。


 ここまでするか。ここまで夢を見るか。ここまで縛り付け、逆らうことを許さないのか。この男はその悪魔のごとき明晰な頭脳をこのように使うのか……


 かつてリリウスはこの恐ろしい謀略家の前でポロリと口にしてしまった。愛人がいる。その間にできた子がいる。ファウル・マクローエンがどうして黙っていたのか知らなかったのだろうか!


(リリウス君、キミって奴はほんとうにその軽い口をどうにかしないとダメだ。ファウル様が隠していた子供たちの存在をこの悪魔に教えてしまうなんて軽率なんて話ですらない……)


 アルヴィン・バートランドはマクローエン家に寛大だ。寛大なるその非情の鎖はその絆をギリギリと締め上げている。決して手放さないほどに強く!


(これは何から始まった狂気なんだ?)


 バイアットもまた父の犯した罪を知らない。知ったとしてもあの二人に教えることなどできるはずがない。


 理解した。あの二人は策謀家には向かない。こんなやり方あの二人が認めるはずがない。

 だから泥をかぶるのは僕しかいない。


 二人の心を守るためにバイアットは己の役割を理解した。



 ◇◇◇◇◇◇



 夏季休暇二日目、ラタトナ離宮で催される夜会はそうそうたる顔ぶれと言ってもいい。


 パッと見ただけでも顔と名前の一致する若手の有名所がごろごろしている。特に言えばエスカレド・オージュバルト子爵、ドロシー・ドゥシス侯爵令嬢、アトラテラ・スカーレイク戦爵、グリムニル・フラメイオン卿、ファウスト・マクローエン魔導伯、アーサー・ベイグラントは意外だった。こういう集まりに顔を出す男ではないと思っていたから。

 いつもの連中もいるのでお付き合いで参加した口だろう。彼は意外に人とのつながりを大事にしてくれる。


 このそうそうたる顔ぶれの中に自分とシャルロッテ、アイリーン・アレクシスを加えてもいいのだろうとバイアットは他人事みたいに思った。


 軽くカウントした感じで第一王子派閥3、第二王子派閥1、中立が6という割合だ。バイアットはポップコーンもしゃりながら心の内に苦笑を留める。


(無作為に招待状ばらまいたってわけではなさそうだね。王子が出来物なのか黒幕の指示なのかはともかく、有象無象はともかく上の方はきちんと選んでいる)


 第一王子派閥でもドゥシス侯爵家ドロシーの立場は浮いている。長年ガーランドへの片思いを募らせていたがここにきての電撃婚約だ。動揺する彼女もまた内に取り込めると考えたのだろう。


 中立でいえばオージュバルト辺境伯家は帝国に直参して年月も浅い。迂闊な手は打たないだろう。中立を貫くはずだ。


 フラメイオン卿はガーランドに騎士団長の座を奪われた怨恨があり、第一王子派閥以外ならどこだろうと着くかもしれない。彼を味方につけられれば相当数の騎士もつくはずだ。


 スカーレイク戦爵はどうも掴めない人物だが取り込めれば武力面でかなりのメリットが見込まれる。


 最初から旗色を第四としているファウストの真意も知りたい。最果ての貴公子は未だ未婚、彼とつながりを持とうとする家によっては派閥の拡大要因に成り得る。


(闇鍋ってのはいつだっておいしそうには見えないけどこれはひどいね)


 バイアットが色んなテーブルを回って皿に料理を載せながら、人知れず観察眼を光らせている間に、頼りにならない親友はマナー講座されている。


「言葉遣いが優雅ではない」

 びし!


「きちんと相手の品格を見なさい。あれは長話をする相手ではありません」

 びし!


「歩幅が大きい。わたくしのドレスの裾をお考えなさい、馬鹿みたいに大股開いて歩かれては疲れてしまいます!」

 扇子でめっちゃ叩かれてる。


 いとこのアイリーンは昔は淑女の中の淑女とまで呼ばれた女性なのでとても厳しい。粗相をしたパートナーにワイングラス投げて帰った夜会も一つや二つではない。彼女のつまらないという一言が原因で招待客を集められなくなった家もけっこうある。


 あれでもだいぶ丸くなった方なのに、親友は泣きそうだ。


「……アイリーン様ギブしてもよろしいでしょうか?」

「オホホホ、ダメです。こんなにも楽しめない夜会です、せめてオモチャくらいなくては困ります」

「いまオモチャって……」

「あら、つい本音が漏れてしまいましたね」


 楽しめない夜会というワードは的を得ている。料理を摘まむと見せかけてテーブルを回っていれば他人の会話も聴こえてくる……


「急に呼び寄せた当人は未だ顔も見せずか。そもそもアデルアードとは何者だ」

「グラスカール派閥の揺れを好機と見て担ぎ出した者がいるのだろうが迷惑だ」

「マクローエン伯爵ではないのか?」

「私も彼を知っているが謀略とは疎い好青年だ。きっと誰かに利用されているのだろう」

「いずれにせよバートランド公の風向きを知らねば話にならん。あれは怖い方だ、逆らうなど考えただけで身が竦む」


 第四王子の旗色悪し。

 仮にマクローエンの財をあてにして下級貴族の貧困層に金をばらまいたところで、彼らなど幾ら集めても何の足しにもならない。

 それだけにこの夜会に懸ける意気込みも強いだろうが逆に反感を買っている。


 扇子でニヤリと歪んだ口元を隠すアイリーンがからかうようにリリウスに問いを投げる。


「退屈な夜会ね。リリウス様、皇帝位がどのように決定されるかご存知?」

「決定権があるのはレギン陛下だけですね」


「あの好色王に未だご自身で考える頭が残っているならその通りでしょうが今の回答はフォーマルであると判断しました。地頭は良いと聞いておりましてよ、思ったままを述べなさい」

「遠慮なく言ってしまえばレギン陛下のお耳に名前を吹き込める権力者か、その遺言を捏造できる者でしょうね」


「よくできました。ええ、その手も当然あるのでしょうね。死人が誰を選んだかは捏造できます。最も多くの諸侯から信任を得た者が皇帝になるみたいなお馬鹿さん発言が出なくてよかったわ。ねえシャル?」


 シャルロッテがすごい勢いで顔を逸らした。


「シャルまさか……」

「おいあんた辺境伯令嬢だろ……」

「皇位継承に関するシキタリなんて知らないわよ」


 帝国は男性本位なので女性の政治参入は嫌煙される。意図的に教育されなかったのだろう。


「ですが諸侯を集めた方が有利なのもたしか。宮廷貴族なる方々は名誉職のため俸給はないの。となればお金はどこから都合するのかしらね?」

「領地持ちの裕福な大貴族でしょうね」


「ええそうです。すなわち宮廷貴族の財源は薄っぺらなリップサービスに懸かっているのです。ではグラスカール殿下一強体制が揺れ、他の王子を担ぎ出して得をするのはどなたかしらね。ねえシャル?」

「……きゅ…宮廷(小声)」

「もしゃ、こんなに自信のなさそうな答え久しぶりに聞いたよ。アイリーン姉ちゃん答えだけ教えてくれればいいのに」

「答えを教えるだけじゃ思考停止してしまうわ。頭は働かせないと鈍くなるの、愛らしく微笑んでいるだけの淑女なんて花瓶に生けた花でしかないわ。良き淑女たろうと思えば色々とお勉強しないとね。オホホホホ!」


 優雅に毒花のように笑うアイリーンはこれでシャルロッテを気に入っている。

 彼女は気にくわない者には声一つ与えない女だ。気に入られることが幸福かどうかは疑問もあるが、きちんと鍛えてくれることは間違いない。なにしろアイリーンは宮廷に行儀見習いに出ていたこともある。


「皇室への贈り物や取次は宮廷貴族が牛耳る利権です。貴族の出入りが増えれば増えるほど彼らの懐も潤うというもの。この混乱の裏には彼らがおります、注意なさい」

「彼らはそんなにも手強いの?」

「バイアット、それは言葉を間違えてはなくて?」


 鋭く睨みつけられてしまった。可愛いイトコよりもイトコの可愛い婚約者にしか優しくしてくれないらしい。


「……彼らはそれほどに必死なの?」

「ええ、唯一の利権に必死に食らいついている方々は恐ろしいものでしてよ」


 宮廷を知る女の発言には凄みがある。

 何事も経験に勝る重みはない。そしてバイアットもリリウスもシャルロッテも宮廷を知らない。


「例えばの話ですが宮廷貴族を廃止することはできないのですかね?」

「あれはあれでよくできたシステムです。廃止するなら少なからぬ混乱が起きるでしょう。ベイグラントのように広く開かれた宮廷などと言えば聞こえもよいですが、わたくしに言わせれば野心家の一人で脆くも崩れ去る危うい在り方でしかない」

「皇室への安全性・防備性の観点から必要ってわけなんだね」

「なんだか不健康な在り方な気がするんだがなあ」


「前例踏襲という保守的な考え方が蔓延っている内はどうにもならないでしょうね。でもわたくしは期待しているのです。フォン・グラスカール、あの方は傑物でしてよ。事によればガーランドなどよりもよほど」

「御冗談でしょ? イテッ!」


 アイリーンの本気の打ち落としがリリウスの額に炸裂し、扇子がポッキリ折れてしまった。



 ◇◇◇◇◇◇



 初めての社交界!

 高級リゾートも社交界も王族ゆかりの離宮も何もかも初めて尽くしでマリアは本気で浮かれている。


 浮かれ気分のせいか、旺盛な食欲によるものか、一緒に来ている奴らが恥ずかしい想いをするほど立食を楽しんでしまった。

 と思ったらみんな楽しんでいる。さすがは王族の夜会だ。出てくるものが学院の食堂なんてレベルじゃない。


 美食家のバイアットや中央文明圏で育ったアーサーからすれば学食の方がよほど繊細で細やかな料理を出しているが、十代の味覚は濃い味つけを喜ぶ。何より昼間はあれだけ汗を掻いたので体が塩分を欲している。


「あぁ恥ずかしい。このバカジョどもは本当に恥ずかしいぜ。お前ら女子力死んでる組はナシェカちゃんを見習え」

「もぐもぐもぐもぐ……」


 ナシェカもげっ歯類みたいに頬が膨らむくらい料理を詰め込んでいたので、ウェルキンは何も見なかったことにした。それどころか乗った!


「大食いな女の子もかわうぃ~ぃ!」


「姉御、こいつマジのカスですぜ」

「主義主張が死んでやがる。あれか、もう何も期待しちゃいけないのか?」

「さすがB組馬鹿コンビ、もう海に飛び込んできなよ」

「お願いだから僕までウェルキンといっしょくたにしないで……」


 ベルは馬鹿な友達のせいで本当にわりをくっている。友達は選ぶべきだと誰もが納得する好例だ。なにしろ最近は彼まで度し難い馬鹿であるような目で見られている。


 目につく料理を全制覇したところでマリアが二階への階段に足をかけた。


「マリアどこ行くん?」

「探検! ナシェカも来いよ!」

「行く~~~~!」


 駄犬と飼い主でお散歩だ。

 ドーム状のラウラ離宮は二階建てながら総面積は四つの離宮で一番広い。様々な娯楽施設は一階に集約され、二階はまぁパーティー疲れした方々の休憩室という事にしておこう。


 二人でこっそり夜会を抜け出した男女が忍び込めるように基本的にどの部屋も鍵は内側からのみ掛かる仕様になっている。プランナーとの相談の際にブタ王子はこの仕様を強く押したらしい。遊びの天才の名は伊達ではない!


 真っ暗でなが~い廊下を端から端まで駆け抜けていく。たまに部屋を開けて別の部屋も確認するが広いだけで目新しいものはない。探検するにはつまらない場所だ。


 ミートソースの大皿を持ってマリアを追いかけていたナシェカが首根っこ掴んで引き留める。


「誰かいる」

「えっちな奴?」


 廊下の曲がり角からひょいっと顔だけ出して確認すると五つ向こうの部屋の前に衛兵が立っている。帝国騎士の装備だ。


 少しだけ扉の開いた部屋から会話が漏れているが何を言っているかまではわからない……


「密談かな?」

「聞いちゃう?」


 と言った瞬間にナシェカの姿が残像を残して消えた。

 次の瞬間には気絶させた衛兵を担いで戻ってきた。


「仕事はええ……」


 せめて返事はさせろよって思ったが倒してしまったものは仕方ない。見張り倒しといて盗み聞きしないのはおかしい。彼が何のために殴り倒されたのかわからなくなる。

 二人でこそこそ明かりの漏れる部屋へと近づいていく。


「っかりだよ。少しは面白い話が聞けると期待したんだがね」


 クリストファーの声だ。あの小銭大好き王子までヴァカンスに来てたのか!


 室内の様子を窺うと向かい合うソファにクリストファーの後ろ頭が見えた。銀髪を犬の尻尾みたいにまとめているからじつにわかりやすい。隣の女性は誰だろうか?


 対座する相手も知らない。でもどこかクリストファーに似た、険悪な表情をする少年だ。身なりでいえば上級貴族以上だが……


「お前の話には何の魅力も感じない。アデルアード殿、寝言ならママに聞いてもらえ」

「で…では第二の提案だ。僕はフォローに回る、あなたが皇帝になる。そそ…それはどうだ?」


 マジモンの密談じゃないか! これにはさすがのアイアンハートも驚愕する。


 クリストファーは重苦しいため息をついて首を振った。


「誰の入れ知恵かは知らんが私は帝位を欲していない」

「てっ、帝位に着くのが一番安全なんだ。ブタ兄様が着けば僕らはみんな殺される。二人で協力して追い落とすしか生き延びる道はないんだ」

「それはお前だけの理屈だ。私の生命は私の物だ、誰が欲する? 誰に私の首が獲れる? 言ってみろよ、言え」


 クリストファーの拳がテーブルをどんと叩いた。

 その瞬間に部屋中のガラスが木っ端みじんに弾け飛び、室内が一瞬で凍りついた。まるで氷の部屋みたいになってしまった室内にアデルアードの白い吐息が漏れる……


「お前に私との協力関係を吹き込んだ奴は誰だ?」

((ワイルドすぎる……))


 密談というよりも強面の借金取りと債務者みたいな光景だ。


「でもワイルドな王子様もイイネ」

「マリアって男見る目死んでるよね」


 凍りついた部屋に同席する淑女が立ち上がる。ツインロールを揺らせて場の緊迫を面白がるような微笑みを浮かべるエレンが、両王子の間に立ち。


「実のない方。協力協力と出る言葉出る言葉に何の魅力も価値もないお話ばかりでクリストファー様は退屈なされているわ。さあ殿下、そろそろお示しになる時ではなくて?」


 アデルアードはその言い草にカチンときたらしい。


「下女が分際を弁えろ。僕に何を示せというのだ?」

「ん~~~そうねえ、殿下ご自身の価値をでしょうか?」

「エレン姫は聡明だな。アデルアード、次にその口からゴミを吐いたなら腕を一本もらうぞ。沈黙も許さん。五体満足にこの部屋を出たいのなら有益な話をしろ。さっさと吐け! お前をここによこした奴は土産も持たせたはずだ!」

「ひぃっ!」


 怯えてキョドキョドするアデルアードが何かを観念するみたいに面を下げ、大切に取っておいた切り札を差し出すように言う。


「レ…レティシア・レンテホーエル殺害の実行犯を引き渡す用意がある」

「ほぅ、それは誰だ?」

「こっ、これ以上は帝位に着いた後だ!」


「お前は何も知らない」


 アデルアードの体表に静かに氷は張りついていく。慌てたアデルアードが手で氷を払い落しているが無駄だ。骨の髄まで凍りつけば腕が落ちるだけ。脅しの意味さえ理解できない無能ならそれも仕方ないのだろう……


「交渉に臨む姿勢も、他者へと取るべき態度も、ちからの使い方もだ。親族のよしみで一つご教授してやろう。交渉というものは対等のちから関係にあって初めて成立する」


 常人の目には見えないクリストファーの氷魔力の腕がアデルアードの右腕をもぎ取ろうとした瞬間、室内を覆った氷が蒸発する。

 その時この部屋にいる者はみな声を失い、我が目を疑った。


 室内を夜色の蝶が舞っている。怪しい燐光を振りまく蝶は瞬く間に数を増やし、やがて人の形に凝縮して一人の男へと変化する。


 妖しい魅力の貴公子だ。誰の目も釘付けにして離さないほど美しいのに、騒ぐ心は彼の危険性を訴えて逃げろと叫び出す、そんな貴公子。


 アデルアードは彼の足元にすがりつき、すすり泣いている。その姿は父に助けを求める子供のようであり、夜の神の足元にひれ伏す巡教徒のようでもある。


 金髪の貴公子が優雅に一礼をする。それは何物にも屈さぬ魔王の一礼だ。


「お初にお目にかかるマクローエン辺境伯ファウストにございます殿下」

「貴方が噂の魔導伯か。こちらの紹介は要らないんだろうな?」

「ええ、フォン・クリストファー殿下。それにエレンチュバル嬢も」


 エレンが軽やかに手を振っている。その様子は親しげでとても一度ダンスを踊っただけの関係には見えない。


 微笑みで応えるファウストは室外の二人にも微笑みを向けてきたが出ていけるかボケって感じなので首を振ると、残念そうに肩をすくめてきた。


「率直にいきましょう。まず殿下は私めに三つほど質問があると思いますが?」

「そうだな。アデルアードに与する目的、先の協力条件の開示、あとは私と敵対する意思の有無か」


「では一つ目から。アデルアード殿下はこのとおりの方ですので傀儡にはちょうどいいのです」

「帝政に参与したいと?」

「それを二つ目の質問になさいますか?」


 睨み合うが僅かな時間でクリストファーから折れてやる。そちらはどうでもいいからだ。


「では二つ目。レティシア・レンテホーエル殺害犯ですが故クラリス王女の姻戚の陪臣です。ご協力を約束していただけるのならこの場で開示いたします」

「返事は保留だ」

「では三つ目。現在において敵対する意思はございません」

「保留をやめ、即決した場合はどうなる?」

「現在が当面に変わるだけでしょうね」


「だいたい理解した、卿の誠意ある回答に感謝する。しかしなんだな……マクローエンは曲者揃いだ、ようやくマクローエン卿の言葉を理解できた」


 少し気を持たせたつもりだが反応は劇的だった。

 美麗衆目なるファウストの美貌から僅かではあるが余裕が剥がれ落ちた。まるで魔王を倒す聖剣の一撃のように。


「父上はなんと?」

「愚息と共に手を取り合い、未来へ。そう願っていると」

「それは何とも皮肉めいている。私には未来など無いというのに……」


 自嘲するファウストの胸に去来する想いはなんだろうか?

 この場の誰もその呟きを察することはできない。同じ魔王の呪具に魅入られたリリウス以外が彼の結末を察するのは、フィクションの領域になる。


 だからクリストファーは律儀に本題に戻した。ファウストは率直に言ったからだ。


「卿個人へは敬意もあるが、やはりアデルアードとは組む気になれん」

「理由をお尋ねしても?」

「そいつの姿には虫唾が走る。そいつの姿はまるで私のもう一つの可能性だったかのようで、発作的にくびり殺してしまいそうだ」


 クリストファーにも過去を振り返る時がある。

 もし自分が普通の王子として生を受けていたならどのような人生だっただろうか?


 どこかクリストファーに似たアデルアードの醜態を見る度に心底から思った。王子などに生まれなくてよかったと。


「私は銀狼(シェーファ)だ」


 クリストファーとエレンは乱暴に席を立ち、盗み聞きしていた二人が逃げ出す前にとっつかまえて肩に担いで去っていった。


 交渉者のいなくなった部屋で第四王子が頭を抱えて震えている。ファウストはその耳にこう吹き込んだ。


「また次がありますよ?」

(次なんかない……)


 アデルアードは怖かった。ファウストに見捨てられるのが怖かった。クリストファーともう一度対峙するのが怖かった。でも何よりもベルドールが怖かった。


(挽回しないと、挽回しないと……!)


 恐怖に震えるアデルアードを見下ろしながらファウストは魔王のように笑った。

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