(旧)子犬のリジー
リズベット・カーネルはいいとこのお嬢様だ。
貴族家の父母なんてものは子供の教育を家庭教師に任せて領地経営や騎士団や宮廷官吏のようなお仕事をしている。子供に対しても部下に対するような厳格な接し方をする家も多い。
「這い上がってこい。俺は高みで待っている」
みたいな考え方の父親はけっこう多い。
代々受け継がれてきた伝統的な教育法は家によって色々と異なるものだが、名家であればあるほど厳格な態度を取る傾向がみられる。言葉遣いや行儀作法を幼少期から父母を通して学んできた子弟もまこと多いだろう。
「子供超可愛い! みんな甘やかしてやるぜ!」
というファウル・マクローエンみたいなご当主様は大変少ない。
大変少ないが、カーネル家はそんな数少ない例外に属している。
息子達は鬼のスパルタで鍛え上げてきたけど、三人の娘はロリコンを疑いたくなるほど甘々に甘やかしてきた。欲しいっつー物全部買い与えてきた。欲しいって言わなくても毎年ドレスを何着かプレゼントしてくるし出張の度にアクセを買ってくる。そんなヴォイド・カーネルは行ってらっしゃいのチューを拒否られただけで丸一日泣いてるほどの娘ラブ勢だ。
「宅のお嬢さんをうちの息子と……」
「断る!」
縁談が出た瞬間にパンチを放ってる男で、今年で二十歳になる長女はまだ家にいる。きっと十年後も家にいるかもしれない。この点マクローエン家とはだいぶちがう。あの男は早く孫の顔が見たいなーって露骨に催促してくる男だ。
その巨大すぎる愛はきっと孫まで甘やかして嫌われることだろう。
成人した子供がきちんと自立してる点を考えればじつはマクローエン家の教育はまともなのかもしれない。あんな家さっさと出たいと思わせることが大事なのだろう。
リズベット・カーネルは父と三姉妹が今でも普通にサウナ入ってるような溺愛家庭で育ったせいか……
空気がこれっぽっちも読めない。
◇◇◇◇◇◇
騎士学院の昼休みは二時間と長く、食事だけでは時間を持て余す。別段急ぎの用事もないで構内をぶらぶらしてると校舎裏で文化的な活動が行われているのを発見した。
垢抜けた都会ふうのギャルが数名のご令嬢に取り囲まれているんだ。
「ジャパニーズいじめかな?」
花の騎士学院なんて言ってもいじめは日常茶飯事、上下関係を理解させる躾みたいなカースト制度が横行してるんだ。
学院の伝統に一々逆らってても仕方ないんで普段はスルーしてるんだが、囲まれてるギャルが知人じゃスルーもできない。
マリア様率いる元気娘四人組のナマイキ担当リジーちゃんが、縦巻きツインロールの強気そうな子に詰め寄られてるんだ。
あの子知ってる、超有名人だ。オージュバルト家のエレン様だ。領内にラタトナとかいうクソほど金の集まるリゾートがある大貴族様だ。
「楽しそうなお友達ができたそうですね。学院での生活はどうですの、悩みなどはありませんの?」
「あははは……ぼちぼちですが悩みはありませんねー」
ツインロールが扇子を取り出した。叩くのか!?
と思ったら広げて扇ぎ出したんだ。今日暑いからね。
……うぉぉぉめっちゃドキドキした。学園もののドラマ見てる気分だ。
「そう。わたくしのグループから放逐したので一応気にかけていたのですよ?」
「あー、いやはははは……その節はどうもご迷惑をおかけしました」
「ええ、ご迷惑をかけられました」
お話から察するにリジーちゃんは元々エレン様の取り巻きだったらしい。取り巻きってのはロザリアお嬢様における俺やデブの事だ。そういえばオージュバルト辺境伯のお抱え鍛冶師の家柄って言ってたわ。
つまりリジーちゃん家はエレン様ん家の直臣だ。帝国貴族は皇帝レギン・アルタークの臣下だけど有力貴族家の家臣になっている貴族家もけっこうあるんだ。
「いまの発言を謝罪と認めます。グループに戻る気があるなら許して差し上げても……」
「いやー、それはないですねー」
パキンッ!
すげえ、時間が凍りついたぜ。
あれだけ優雅に悪役令嬢やってたエレン様まで凍りついてるぞ。リジーちゃんパネー! ご実家と主家との関係考えたら絶対断っちゃいけないお許しを断りやがった!
「じつはいまのグループが本当に楽しくて。戻る気はないですー」
「そ…それはわたくしどもと一緒では楽しくないというふうに聴こえますね?」
「はい、楽しくなかったです!」
フルボッコやん。こんなん逆にエレン様が可哀想になってきた奴やん。
一度は捨てた飼い犬がそろそろ反省してるだろうって迎えに行ったら余所のお家で幸せそうにしてた奴やん。しかもお前ん家つまんなかったから!って断言されてる奴やん。
エレン様がものすごい目つきで睨んでるのにリジーちゃん何も気がついてねえ。頭の上にハテナマーク浮かべてるぜ。アイアンハートかよ!
エレン様が扇子を叩き折って去っていったぜ……
可哀想……
〇政婦のミタゾノみたいに校舎の影に隠れて見てた俺がようやく出ていくと笑顔ですげえ手を振ってるね。
心に何の影もない笑顔だぜ。いじめられてた事にさえ気づいてないんですね! 普通の神経してたら怖くて頭グルグルしてるよ。
「なんだなんだ告白に来たのか。お前なんかお呼びじゃないぞー!」
「ちげーし」
とりあえず事情を聴いてみた。
リズベット・カーネル事リジーちゃんは主家のエレンお嬢様と同い年ってことにさせられて(本当は二つ下だからまだ十四歳なんだってさ!)、騎士学院に入学するためにご一緒に帝都まで来たらしい。……年齢詐称とか有力貴族家ってそこまでするんだね、びっくりした。
入学までの間は帝都のオージュバルト辺境伯のお屋敷で、他の取り巻きの子達と親睦を深めてたらしいんだけど……
三人の男子がリジーちゃんを取り合って決闘騒ぎ始めたらしい……
「何をしたの?」
「ナシェカじゃないんだから変なムーブはしてないぞ。でもほら、学院って結婚相手探したりもすんじゃん」
「ふんふん」
「だからお前らの内誰かと結婚するかもなーって言ったらその日から急に優しくなったりプレゼントくれたりしてさ」
アウ…いやまだ早い。続きを聞いてからだ。
落ち着け、まだ慌てる時間じゃない。
「そのうち馬鹿の一人が入学金に手をつけてさ。それだけじゃなくて他の連中の財布からも金抜いてたのがバレて大騒ぎになったんだ。けっこう高めの化粧品くれてたからおかしいとは思ったんだよなー」
「アウトー!」
俺氏華麗なるギルティ宣言。
エレン様のために集められたグループが入学前に男女関係で分解して、そのきっかけがリジーちゃんなのか。ひでえ……
俺が急にアウト宣言したのでリジーちゃんがびっくりしてるぜ。腰が引けてる。ちょっぴり涙目なのは何でですかね?
「おおおっ、お前顔怖いんだから急に大声だすなよー!? 心臓とまりかけたぞ!」
「すげえ失礼な事言われてるけど十人が十人とも俺を支持する案件だぞ」
「なんでだ?」
コテンと首を倒してまぁ可愛らしい。こいつ天然の魔性の女なんだな。魔性のギャルか。
慰謝料よこせっていうんで学内のお安い方のカフェでゆっくりお茶する。払いは俺持ちだ、好きに頼みな。フーベルトとかいう詐欺師から大金せしめたからね。
「マジかよ! 変態は変態だけどいい変態だよな、いつだったかもカフェおごってくれたしな」
貢いでくれる人=いい人って認識を自然と植え付けてくるぜ。だから三人も手玉に取られて貢がされたんだな。
フルーツパフェ食べながらなにげな~い会話する。最近エリンちゃんいじりで遊んでるらしい。
「デスきょ怒らせるとマジ即死させられるからほどほどにしとけよ」
「わかってるわかってる」
大変疑わしいぜ。
どうやら昨日からナイスなあだ名付ける遊びをしてるらしい。奇しくも詐欺師事件のおかげで友情が略称の向こう側へと深まったらしいね。
「あだ名ねえ。ナシェカのは?」
「腹黒リーダー」
見たまんまだな。髪の毛黒いからイメージカラー黒なんだ。
「マリア様は?」
「駄犬」
「ひでえ……」
あだ名じゃねえ、悪口になってる。
よく考えたら腹黒リーダーも悪口だ。こいつらこれでキャッキャ遊んでるの? 俺とフェイでやったら殴り合いになるよ?
「エリンちゃんは……わかるわ」
「わかるかー」
俺らは心を通わせながら頷き合う。デスきょの姉御だ。これほどピッタリなあだ名は他にない。気付いたらB組男子もみんな姉御って呼んでたレベルでピッタリだ。お顔立ちがシュッと大人びてるせいだな。
「リジーちゃんはなんてあだ名?」
「……笑うなよ?」
なんだ深刻な顔して。完全にフリじゃねーか。笑うな=笑えになってるぞ?
すげえ深刻そうな顔をして十秒間チャージにチャージを重ねてこう笑かしてくれた。
「ビビリギャル」
俺はむせた。笑いすぎてむせた。足をドタバタさせて笑ってるとポカポカ叩かれたけど構うものかと笑い続けた。
超ビビリなリジーちゃんにピッタリだ。更衣室に覗き魔が出た時も着替え忘れてダッシュで逃げてったしな。その後俺が透明解除したら泡噴いて倒れてたしな。
「わーらーうーなー! ったくもう。そーゆー変態はなんて呼ばれてるんだ?」
「悪魔」
「ピッタリじゃんか……お前もしかして怖い奴なのか? 急に叩いたりはヤダぞ。怒ったりもヤダだからな。怖いからもう先に謝っとくぞ?」
「女の子にだけは優しいと評判の紳士だ。ビビリギャルしなくていいぞ」
「ぅぅぅぅやめろよー、それ嫌いなんだー」
いじってみたがどうもリジーちゃんはビビリギャルが嫌みたいだ。的確すぎるあだ名って本人からすれば受け入れ難いんだ。ハゲワカメとかね。今度会ったら宮内くんマジ殴るわ。
「そんなに嫌なら別のに変えてもらえばいいじゃん」
「あだ名ってそーゆーもんじゃないだろー?」
「少なくとも友達傷つける武器ではないと思うんだ。本気で嫌ならきちんと話して変えてもらえよ、友達を信じてみろよ」
「お前変態のくせにいいこと言うな。いつかの覗きは忘れてやるよ」
「いやあれはガイゼリック君だから」
その時カフェの隅っこから誰かが椅子から転げ落ちる音が聴こえてきたが無視した。これが後にエロの三大巨頭と呼ばれるガイゼリック君とのセカンドコンタクトなのだがどうでもいいのでスルー。
そして翌日、登校するなり廊下でリジーちゃんが飛びついてきた。涙目だ。またいじめられたのかなって思ったがアイアンハートだからそれはねえな。あだ名の方だわ。
「なんてあだ名になったん?」
「エアブレイク」
どうやらあの三人の中にあだ名職人がいるらしい。
そういえば一人だけシンプルでマイルドなあだ名の奴がいたな……
涙目のリジーちゃんがウルウルしながら見上げてくる。俺のシャツに可愛らしくすがりついてウルウルしてるもんだから庇護欲が刺激―――
いやいや、貢がされた連中と同じ末路になるわい。俺ならあだ名は『沼』にする。金をどれだけ投げ込んでも何も返ってこない底なし沼だ。
「うぅぅぅ、変態助けてくれよー。なんか可愛いあだ名つけてくれよー」
「任せろ!」
女子には優しくフレンドリーがモットーなので沼はやめて、ナイスなあだ名をつけてあげた。翌日笑顔のリジーちゃんにお礼を言われた。
ちなみに俺が付けたあだ名は『子犬のリジー』だ。
あだ名会議ではこのような反応だったらしい。
『ああ、うん……リジーがいいならいいんじゃない?』
『あー、なるほどなるほど。子犬ね、ピッタリだわ』
『あたしの駄犬が一番ひどくない?』
子犬って大きな音に驚いて逃げ回ったりキャンキャン吠えたりするからピッタリなんだ。つまり子犬と書いてビビリギャルと読むくらい何も変わってない。
ちなみにあだ名ブームは一週間と経たずに去り、なんか色々面倒くさくなったのか今では普通に名前で呼び合ってるんだ。
こういう小さな思い出の積み重ねを青春って呼ぶのかもしれない。
俺はそんなふうに思いながら背後へと忍び寄り、大声でリジーちゃんを驚かせてやった。子犬の一番可愛い姿は、驚かせた時の慌てっぷりなんだ。




