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(旧)運命の鐘の音

 エリンドール・フラオはお金に困っている。それというのも父から期待されていないせいだ。


 九つ上の姉は優秀だ。五つ上の兄も優秀だ。二つ上の兄も優秀だ。貧乏な騎士候家に三人も優秀な子供がいて、エリンドールは味噌っかすな扱いを受けてきた。……誰にも話してはいけないと厳命されているスキルのせいだ。


 本当なら騎士学院に入学させてくれないはずだった。父は彼女をお家の恥だと言って外に出したがらないし金銭的な余裕もなかった。入学費用を出してくれたのは姉のフィローだ。書類も手続きも全部済ませた最後に父をぶん殴って連れ出してくれた。……年の離れた姉とはロクに話したこともなかったけど本当に嬉しかった。


「親父は馬鹿だから何もわかっちゃいないんだ」


 騎獣で帝都に向かう間にたくさんの話をした。好きな食べ物、好きな絵本、色んな話をして姉のことを色々知った最後にごめんって言われた。


「友達を作りなさい、あんたのこと理解してくれる友達を。それだけのことなんだよエリン、親父が怯えてることなんてそれだけで解決するんだ……」


 そう言い残して学院正門で分かれた姉はたぶん忘れていたのだ。エリンドールの所持金が銀貨六枚だという事実を……


 安い方の学食で安いランチを食べてるエリンは財布を見つめながらため息。


「そんなにやばいのか?」

「来月にはお昼抜きになる程度にはやばい」

「そらやべーな!」


 リジーは余裕がありそうだ。

 同じ騎士候家とはいえ出自がちがう。あちらはオージュバルト辺境伯の家臣の家柄、つまりは元大公国の貴族家だ。帝国に服従を誓ってからの年月が浅いせいで帝国内での地位は低く見られているが世が世なら名家のお嬢様である。


「馬鹿だけど」

「なんか言ったかアァン!」


 ついでに少しチンピラだ。ギャルのチンピラなのだ。

 リジーが金欠の理由はお小遣いをバカスカ使ってるせいだ。月に金貨二枚貰っておいて金欠で騒ぐなんてどついたろかって感じだ。しかも節約を覚えろと言われて渡されている額が金貨なのだ。正直世界観がちがう。


 そんなリジーだがアルバイトには興味があるらしい。つまりは花の学生生活のイベントとしてバイトをしたいのだ。


「バイトかぁ、楽しみだぜ」

「一番いいのは肉体労働だけど……」


 離れた席で昼食食べてるマリアとナシェカをちらりと見てみる。あいつらは別の意味で世界観がちがう。煙草呑みの谷底でのVSアンデッド戦でよ~くわかった。あいつらに付き合ってたら命が幾つあっても足りない。


 あれこれ相談してたらお馬鹿のウェルキンがやってきた。お調子者の滑り芸担当というポジショニングで早くも侮られているB組男子代表だ。ちなみにBを馬鹿の略としている。


「なんだなんだ、リジーもエリンも金欠か?」

「馴れ馴れしい……」

「きちんとリズベットとエリンドールと呼べい。そんなんだからモテないんだよ」

「やっぱ儲け話に誘うのやめとくわ」


 昼食を載せたトレイを一度は下ろしかけたウェルキンが去りかけたが、リジーがその肩を掴んで引き寄せる。すごい力だ。男子のくせに獣に巣に引き込まれるみたいに簡単に引き戻されてやがる。


「そのお話詳しく聞かせてもらおうか?」


 世の中うまい話には裏がある。

 しかし冒険王にして世界有数の財閥の総帥レグルス・イースはこう言った。


「ピンチはチャンスだ」

「……あたしらピンチなんですか?」

「たとえ話さ」


 この日の夜、ウェルキンに連れていかれた坂の途中のカクテルバーで軽薄そうな青年と引き合わされた。フーベルトという青年実業家だ。最初は怪しい人物だなーと思っていたが話を聞いていくうちにまともな人物に思えてきた。なにしろ取り扱ってる商品がまともだ。


「スカーレット・レディーかあ。うちの姉貴もこれ使ってるぜ」

「お高い奴?」

「マジけっこうする。これひと瓶で六ユーベルすんだ、うち箱で取り寄せてるけど」


 木箱に二ダース詰まってるから金貨144枚だ。この時点で世界観がちがうのにユーベル金貨といえば世界一の信用を誇る最高位の金貨。帝国で流通してるテンペル金貨に直せばいくらになるのかわからないほどだ。……美容品ってほんと怖い。


 しかし投資のお話だ。お金のないエリンには縁遠いお話なので断ろうとしたら、フーベルトがピンチはチャンスだって格言よこしてきたわけだ。


「僕も学院OBだ。困ってる後輩を見捨てたりはしないさ」


 どうも親切なOBらしい。ウェルキンも懐いてるし、いい人ではあるんだろうなって思った。ウェルキンはお馬鹿だけど人を騙したりできる器用な馬鹿ではない。


「稼げるアルバイトを紹介しよう。もちろん稼いだ金は自由だ、無理に投資しろなんて言いやしない」

「それフーベルトさんに何か得があるんですかね?」

「可愛い後輩に恩を売れるってのが一番の得だね。商売始めてから痛感したんだけど目先の利益よりも人脈の方がよほど大事なんだ。君達の将来性に投資させてほしい」


 聞けばフーベルトさんは将来的に、帝国に販路を持たないメルダース商会の商品を代理店の形で売り出す商店の経営も視野に入れているらしい。


 まともな人だ。すごくまともな人だ。将来お客さんになる可能性を見出して紹介してくれるわけだ。女性向けの商品扱ってることを考えれば貴族家の女子に顔を売っておいて損はない。


「アルバイトってのはウエイトレスさ。上級貴族向けの会員制クラブで飲食物を運んでほしい。わかるだろ、上の方々の口に入る物を運ぶのに平民なんか使えないんだ」

「なるほど」


「僕も下級貴族だがこのブランドは逆に使えるよ。上級貴族の子女でも平民でもない階級の中間だからこそ割り込める商売もあるんだ。他にも色んなバイトを紹介できるが、まずはこれからやってみないか。夜からのバイトだから授業終わってからでも余裕で間に合う」

「マジで親切な人じゃん。ウェルキン君どこで見つけてきたの?」

「兄貴のダチの友達だって言ったろ」

「はいはーい、あたしそのバイトやりたいでーす!」

「リジーがやるなら私もやろうかな」


「決まりだね。それじゃ向こうのオーナーさんに話つけてくるからまた連絡するよ。ウェルキン、窓口になってくれ」

「ウエイターは募集してないんスか?」

「おーけい、君の分も聞いておくよ」


 トントン拍子で進んでいったお話の最後にリジーがこう尋ねた。


「それで何てクラブなんですかぁ?」

「鳥籠っていうクラブさ」


 そして二日後、ウェルキン、リジー、エリンの三名が学院から姿を消した。

 さらにその二日後にナシェカまでも姿を消した。この奇妙な失踪事件は生徒たちの間でささやかな噂となる。



 ◇◇◇◇◇◇



 二人で住んでいた頃はあれほど狭かった相部屋が今はとても大きく感じる。


 一向に帰ってこない友人を想いながらマリアは夜空を見上げた。窓枠に切り取られた小さな夜空に星はない。あの夜二人で見上げたオーロラさえ……


「ナシェカ……」


 膝を抱えるマリアは薄いシーツを手繰り寄せた。その行いに何の意味もない。女子寮付きの女中は毎日シーツを洗っている。友人のベッドには微かな残り香さえもない。


 ナシェカ・レオンの失踪から三日が経った。一向に戻ってこない友を想い、運命の聖女は悲嘆のうちを落涙に変えた。


 朝と夜が交互に訪れる日常が平坦に流れていく。あれほど仲の良かった三人の友人を失い、カティア女史の教科書を読み上げる声も脳に入らず耳から耳へと通り抜けていく。昼休みになると華やかな女子の声だけが失われた日々の残響みたいに高く響いた。


 朝と夜が平坦に流れていく。

 あれほど楽しかった日々はすでにない。四人で語り合った未来の姿なんてもう見えない。「ねえ」って言えば「どしたのマリア?」って必ず返ってくる声を失い、もう何をどうしたらいいかなんてわからない。


 眠れぬ夜が続いた。あてもなく校舎を彷徨う日々が続いた。ナシェカもエリンもリジーも本当はどこかにいるのかもしれないと授業の合間を縫って校舎を彷徨い続けた。


 ふいに零れそうになる涙は堪えた。泣いてしまえば認めてしまうことになりそうだから……


 ふらりふらりと廊下を歩き……


「どうした?」


 誰かの声が聴こえた気がした。どうせ幻聴だろうと耳から抜いた。

 色あせてしまった学院を宛てもなく歩いて……


「おい、本当にどうした。何があった!」


 力強い手に肩を引かれて振り返る。氷のように冷たくも美しいクリストファーの焦った顔を見ていると涙が出てきた。


「助け……」


 ふいに出ていきそうになった悲鳴を必死に堪える。自分はそんなに弱い子ではなかったはずだ。近所の悪ガキどもの頂点に君臨し、ガハハと笑いながら青年団を率いて近隣の魔物を倒し回ってきた。


 でもポロポロと零れ出した涙が叫んでいる。助けてくださいって叫んでいる。だから抑え込んだ。意地かプライドか、両方かもしれない……

 なのに、彼はどうして何もかもわかったみたいな顔をしているんだろう?


「乙女の悲鳴、たしかに聞き届けた。このフォン・クリストファー・ブレイド・ザ・ドルジアがこの名に懸けて誓おう、必ずキミの涙を止めてみせる」

「あぁ……」


 この人は本当に王子様なのだと思った。小銭にうるさくて戦闘狂でタフガイでちっとも王子様っぽくないのに、たしかに王子様なのだ。


 子供の頃に絵本で読んで憧れた白馬に乗った王子様なのだ……


「助けて、あたしの友達を助けてください」


 搾り出した悲鳴は戻せない。絵本に出てくるか弱いお姫様みたいに頼ってしまってもいいの?なんて尋ねる必要もないんだろう。彼はもう誓ってくれたのだから。でも自分にそんな価値なんてない。王子様に助けてもらうお姫様なんて生まれじゃない。


「……あたしはお貴族様なんかじゃありません。本当は貰われっ子の平民なんです。クリス様に助けていただけるような身分じゃないんです……それでも、それでも頼ってもいいんですか?」

「身分などクソ食らえだ。私は友だけは絶対に見捨てない。さあ私の手を取るんだ」


 彼のゴツゴツした岩肌みたいに固い手はちっとも王子様っぽくない。

 これは剣士の手だ。毎日朝から晩まで剣を振り続けた阿修羅の手だ。これほど頼もしい手に引かれて抱き寄せられた胸の温かさに涙が零れる。マリアはクリストファーの姿に光を見た気がした。暗い谷底を流離う旅人が見つけた唯一の光明のように彼にすがりついた。


 断罪の大天使と救国の聖女の始まりを告げる運命の鐘が誰にも聴こえることなく、密かに鳴り響く。

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