第一章.12荒鷲
第一章.12 荒鷲
日が顔を出したと同時に艦上は一気に慌しくなった。
整備兵達が声を上げて甲板を駆け、エレベーターが唸りを上げながら航空機を甲板へ送り出す。
機銃兵達は各銃座に座り、そしてパイロットたちは出撃の命令を待ちわびていた。
「――報告しますっ!!」
緊張高まる。艦橋に入ってきたのは通信科の兵士だ。彼は敬礼をすると手に持った
紙を読み上げる。
「後方、主力艦隊より入電です。敵は哨戒班を突破しマリアナに接近しつつあるそうです。
哨戒班からの報告では、敵は戦艦9 空母5 巡洋8 駆逐艦30以上 」
読み上げた後、司令部に重い空気が流れる。
敵は大艦隊だ。こちらの戦力などすぐにひねり潰されてしまうだろう
「何ぉ沈んでおるかぁっ!!」
司令部の一角で声が上がった。視線を移すと腕を組んだ体格のがっちりした男が
司令部全体に睨みを聞かせていた。
「山口指令・・・・・・」
一人の士官が力なく呟いた。
艦隊指令である山口多聞はその士官を睨みつけると
「まったく情けない。貴様ら帝国軍人だろうが!」
山口は通信兵の下へ歩み寄ると持っていた紙を毟り取った。
「敵は油断しておる!我が哨戒班が敵の位置を掴んだのだぞ!?これを喜ばずしてなんとする」
声を荒げ山口は続ける。
「航空戦の基本は先制攻撃だっ!!我々は先行を取ったのだ。航空参謀っ!!」
山口に突然、呼ばれて一人の士官がビクッと肩を震わせて敬礼した。
「――はっ!!」
「すぐに攻撃隊を出せっ!!分隊の第五航空にも連絡だ。先制攻撃を行う!!」
山口はそう叫ぶと、持っていた紙を破り捨てた。
その行動をその場にいた全員が唖然と見詰めていた。しかし、それが余計に
山口の感に触った。
「どうしたっ!さっさと持ち場に着けっ!!航空戦は速度が命だぞ」
檄を飛ばし、ようやく司令部の人間達が慌しくなった。
その光景にようやく満足したのか、山口は元の位置に戻り、洋上を見つめていた。
――と
「失礼しますっ!!」
呆然と立ち尽くしていた通信兵の後ろから息を切らしながら部屋に飛び込んできた者があった。
「何事かっ!?」
尋常ではないその動揺の仕方に士官たちがざわめく、
通信兵は息を整えそして
「電探が、敵機を捕捉しましたっ」
電探と言う聴き慣れない言葉に戸惑うその中で一人の士官が訪ねた。
「偵察機か?」
電探がどれほどの物かはまだよく分かっていないが、偵察機程度の物ならば大丈夫だろう
しかし、帰ってきた言葉は
「編隊ですっ!!それも凄まじい数が・・・・・・」
●
「――急げぇっ!!」
敵機捕捉の報告より、甲板はかつて無い慌しさが支配していた。
甲板に現在上がっている航空機は殆どが爆弾や魚雷と言った艦船攻撃用の装備をした
航空機ばかり、戦闘機も数機上がってはいたが、数が足らない。もしこんな状況で
敵機が来襲すれば、
「真珠湾の二の舞だぞっ!!」
ある整備兵の声が、傍に居た飛龍に恐怖を与えた。
同じ、あの時と・・・・・・
飛龍は膝を付き、頭を抱える。
思い起こすのはあの時の赤城や加賀の姿・・・・・・
燃える飛行甲板、そして残された空母達を襲った恐怖――
次は・・・・誰?
あの時、飛龍は赤城達の心配よりも恐怖に支配されていた。
どこから来るかも分からない攻撃
その恐怖が体を支配する。
「っ!・・・・・・ダメッ」
必死に恐怖を拭い去ろうとする。
自分は艦魂――
こんな事で、足が竦んでどうする?
必死に言い聞かせて、飛龍は立ち上がろうとする。しかし、足が動かない。
「どう、してっ」
動かない足に、弱い自分に、飛龍はかつてない怒りを覚えた。
なぜ?どうして?どうして動かないの?
こんな所で立ち止まっている自分が情けなかった。艦魂にはその戦いを見守る以外に
出来る事はない。それでも艦魂は兵士たちと常に共に戦ってきた。
なのに、それが・・・・・・
「できない・・・・・・どう、してっ」
あの時の恐怖からすべてが狂ってしまった。
思えばあれがはじめての実戦だった。
そして植えつけられた恐怖は今も飛龍を苦しめている。
「・・・・・・怖いっ」
呟くように飛龍は言葉を発した。
今すぐにでも逃げたかった。この場からすべてから逃げ出したかった。
しかし、艦魂の自分には何一つ出来ない。船体を動かして逃げる事も
何も――
「死んじゃうよ。」
きっと死ぬ。これで終わりなんだ。
そんな思考ばかりが脳裏をよぎっていく。
「お姉ちゃん、ごめんね。弱い妹でごめんね・・・・・・」
目元に涙を浮かべて飛龍は姉の蒼龍を見た
蒼龍からは今も航空機が次々と発艦して行く、その姿が、どこか勇ましかった。
その姿を見た途端、飛龍は涙を流しながら声を上げた。
弱い自分と強い姉、その違いがまるで姉に見放されたようで飛龍には絶えられなかった。
――さん?
微かに何かが聞こえたような気がしたが、飛龍には届かない。
飛龍さん
今度はさっきより大きな声、
「飛龍さんっ!!」
最後に聞こえたのははっきりと自分を呼ぶ声だった。
涙でぼやけた視界を必死に拭い、飛龍は顔を上げる。
「――さ、酒井さん」
そこには先ほど知り合ったばかりの青年の姿があった。
「大丈夫?」
酒井はしゃがみ込むと、そっと飛龍の頭に触れた。
「酒井さん、わたし・・・・・・」
惨めだ。今の自分はきっと世界一惨めな艦魂だろう。
戦う前から恐怖に震えて泣き喚いているのだから
「――艦魂失格です。」
震える口を動かして呟く。
「どうして?」
尋ねる酒井に飛龍は告げる。
「戦う前から、わたし怖くて、それでっ・・・・・・」
泣き崩れて、必死に今の恐怖から逃げ出そうとしていた。
「きっと死んじゃうんだって・・・・・・艦魂なのに恐怖に
負けて、死ぬ事が嫌なんて・・・・・・」
消えてしまいたい。この場からこのすべてから逃げ出したかった。
泣きながら訴える飛龍にそれを聞いた酒井はゆっくりとそして
はっきりと
「いいんじゃないか?それで」
と言った。
その言葉に飛龍は顔を上げる。
「艦魂だから、軍人だから恐怖しちゃいけないなんて誰が決めるんだよ?
俺だってこれから初めての実戦なんだ。そりゃ怖いよ。でもそれは相手も
同じじゃないかな。怖いから逆にそれに立ち向かう事が出来る、俺はそう思ってるよ。」
酒井はそう言って笑うと
「それに俺たちは一人じゃないだろ?」
酒井は視線を甲板の中央に向ける。そこには黒い穴が開いていて
そして何かがゆっくりとしたからせり上がって来た。
出てきたのは戦闘機だった。それも見慣れた零式艦上戦闘機ではない。
一回りほど、大きい機体は、深緑や銀色の塗装とは違う漆黒の塗装がされていた
異常なまでに存在感を放つ機体はすぐに甲板後方へ移される。
そして、そこには同じ漆黒の機体が並んでいた。
「俺には仲間がいる。一緒に戦う仲間がね。それは飛龍さんも同じだろ?」
酒井は飛龍の前に手を差し出した。
「俺たちは仲間、戦友だ。一緒に戦ってくれるだろ?」
尋ねる酒井に飛龍はもう一度、涙を拭いそして――
「――はいっ」
飛龍は酒井の手を取って立ち上がった。
もう恐怖はない。
仲間がいるから、きっと大丈夫
飛龍はそう自分に言い聞かせ、酒井を見る。
酒井はそっと握る手に力を込めた。
●
「おい、酒井」
声を掛けられて、酒井は握った手を緩めると声の方を振り向いた。
「宮嶋」
居たのは宮嶋だった。宮嶋は相変わらず、無表情に腕を組んでこちらを
睨む様に見つめている。
「宮島じゃねぇよ。いつまでそこに居る気だ。隊長が出撃だってよ。お前が居なきゃ
俺は誰と組めばいいんだよ」
苛立ちながら言う宮嶋に酒井は笑いながら謝罪した。
「すまんすまん。そうだよな、宮嶋明仁君には撃墜王たる
俺が必要だよなぁいや、すまん」
「やっぱ要らねぇや・・・・・・」
宮嶋は呟くと後ろを振り返りさっさと歩き出した。
「あ、おい!まったく冗談が通じないなあいつ・・・・・・」
飛龍は二人を見ながら口を隠しながら笑った。
と――
宮嶋が急に歩みを止めて振り返る。
「おい!酒井っお前が艦魂見えるって言っていた事だけどよ。」
その言葉に飛龍は反応した。
「俺は信じてやるよ!!」
大声で叫ぶと、宮嶋は後ろを振り返り、
「――後、もしそこにいるなら伝えてくれ!」
振り返らずに宮嶋は息を溜めると
「絶対に守ってやるって!一発も被弾なんかさせねぇからって!!」
言い切って宮嶋は愛機の元へ駆けて行く。
その姿を見た後に酒井はゆっくりと口を開いた。
「あいつの兄貴さ、三ヶ月前の作戦で戦死したんだ。」
えっ?
飛龍は突然の酒井の言葉に言葉を失った。
「赤城に乗っててさ、あいつの兄貴、飛行機が好きでパイロットになりたかったらしいんだけど目が悪くて適正ではじかれて、それでも整備兵として赤城に乗り込んでたらしい。宮嶋、だから俺が兄貴の分まで戦うっていつも言ってた。兄貴の整備した戦闘機で戦うのが夢だってだからさあいつはきっと――」
酒井は最後の言葉を飲み込み、握っていた手を離して駆け出した。
「――悪い!変な話して、」
後ろを振り向きながら酒井は手を振った。
「んじゃ行って来る!!」
笑顔でそう言うと酒井は戦闘機の元へ駆けて行く。
その姿を追いながら飛龍はちいさく
――いってらっしゃい――
と呟いた。
「"烈風隊"発艦せよっ!!」
旗が振られ、整備兵たちが機体から離れていく。
漆黒に塗られた機体は止め具を外されてゆっくりと前に進みだした。
機体はみるみる速度を上げて甲板から車輪が離れる。すぐに車輪は
翼に収納されて
その機体は名の通り――
"烈風"の如く空へ舞い上がった。
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