第一章.11飛龍
第1章.11飛龍
薄明るくなってきた地平線それを飛行甲板から眺める少女の姿がある。
黒い髪を後ろで一本にまとめて、着ているのは白い海軍の軍装。見える人ならば気づくであろう彼女はこの航空母艦、飛龍の艦魂である。
日の出が近い地平線から視線を飛行甲板より下、飛沫を上げて海を突き進む艦首に向けて彼女は一息ついた。
「いやだな・・・・・・」
発した言葉は力が感じられなかった。
そのまま、視線を地平線に戻し思う。
あの時に似てる・・・・・・
数ヶ月前の光景が飛龍の脳裏に蘇ってきた。
日の光、出撃準備中の戦闘機たち、忙しく走り回る整備員、そして――
炎上する赤城と加賀・・・・・・
その光景を思い出して、飛龍はまた気を落とす。
飛龍は恐怖していた。今度は自分が赤城や加賀と同じような攻撃を受けるのではないかと、
艦魂が戦う前から恐怖しているなどと、周りが知ったら激昂するだろうしかし、怖いものは
怖い。
「ろくに対策も取らずに出撃なんて・・・・・」
この三ヶ月間、自分の周りではめぐるしい程の変化が起きていた。それは、飛行機に限った話ではなく自分たち艦船にしてみても同じだ。
飛龍はゆっくりと振り返ると艦橋上部に装備された鉄骨の骨組みに目を向けた。一ヶ月前に飛龍及び蒼龍、翔鶴などの航空母艦に最優先に付けられた新装備だ。名称は電波探信儀と言うらしい、何でもあれをつける事により、索敵機を飛ばさなくとも敵の位置が分かるらしい。どのような構造なのかまでは分からないが、
「あんなもの、本当にあてになるのかな」
説明ではそう聞いたが、飛龍は未だに信じられずに居た。
電探を装備するれば、赤城や加賀が受けたような攻撃をすぐに察知できるとまで取り付けに準じた技術兵は言っていたが、どうしても信じられなかった。
逆に実証のない兵器を積まれてさらに前線に送り出されたのだから、逆に不安で溜まらない。
「山本長官はわたしたちに死んでほしいのかな」
心にも無い事を呟きながら飛龍は自分の周りに居る他の艦船を見た。
今度の作戦は活動可能な艦船すべてに出撃が掛かったといっても間違いじゃない。
この艦隊の編成にしても
第一航空艦隊 指令 山口 多聞
正規空母 飛龍 蒼龍
軽空母 龍驤
重巡洋艦 利根 筑摩
軽巡洋艦 阿武隈
駆逐艦 8隻
航空機 186機
その他に別働隊として第五航空戦隊の翔鶴、瑞鶴を中心とした部隊が現在、分かれて行動中だ。
そして、機動部隊より遅れて出発した山本長官率いる主力部隊もこちらに向かってきている。
これだけの艦船が揃っている。これなら負けるはずが無いのに、
「・・・・・・どうしてこんなに不安なのかな、お姉ちゃん。龍驤さん」
両隣を行く姉と先輩の姿を見ながら飛龍は呟いた。
――と
「――ずいぶん暗いな。」
聞きなれない男の声に飛龍は振り返った。そこには搭乗服姿の青年が立っていた。
「どうしたんだ?なにかあったのか?」
「え、えっと・・・・・・」
辺りを見渡してみるが、自分と青年以外の姿が無い。
「何だよ。きょろきょろして」
「あ、あの見えるんですか?わたしが――」
恐る恐る尋ねると青年は首を傾げた。
「あー見えるから話しかけたんだよ。君、艦魂でしょ?この船の」
頭をかきながら青年は笑った。
「あ、はい。飛龍の艦魂です。」
名を名乗ると青年は"おお"っと声を上げた。
「俺、酒井藤次見ての通り飛行機乗りよろしく」
酒井は笑いながら右手を差し出した。
それを飛龍はそっと取る。
「こちらこそ」
笑顔で返す飛龍に酒井は不思議そうな顔で握られた手を眺めていた。
「あ、あのっ?どうしました?」
「あ、ごめん。艦魂って触れるんだな。すこし驚いた」
「――普通の人は触れませんよ。酒井さんは特別です」
その言葉に酒井は嬉しそうに握った手を上下させた。
「俺は特別かぁなんかいい響きだな」
「そうですか?そう言えば酒井さんっていつ着任したんですか?私が見える人
っていままで一人も居なかったから」
艦魂が見える人間、それも艦魂に恐れることなく話しかけてくる人間自体が稀な事である。
「あぁ俺、昨日着任したばっかりだから知らなくて当然だよ。俺もはじめての空母だし」
昨日と言う言葉に飛龍は昨日の出来事を思い出していた。
「もしかして、酒井さんあの新型戦闘機の――」
昨日、小笠原沖を航行中だった飛龍達に朝方、着艦をしてきた部隊があった。
何でも新型戦闘機の試験部隊の人々だと聞いていた。
「おぉ!知ってるの?いや、まいったなぁ」
頭を軽く叩きながら酒井は嬉しそうに笑った。
「そうそう、何を隠そう俺は十七試戦部隊の撃墜王、酒井藤次さ!」
誇らしげに腰に手をあてて酒井は言い放った。
「撃墜王?酒井さん撃墜王なんですか!?」
撃墜王と言うのは敵機を10機以上撃墜した人に与えられる名称である。つまり酒井は
その部隊のエースと言う事になる。
「おうよ!俺と烈風があれば鬼に金棒!米軍なんて軽くひねってやるよ。何たって撃墜王だからな」
「――\\"墜落王"の間違いだろ」
後ろから新しい声が聞こえて酒井と飛龍は視線を声の方へ向けた。
「げっ!宮嶋」
そこには酒井と同じ服を着た青年が立っていた。
「さっきから何ブツブツ独り言、言ってんだ?」
ゆっくりと宮嶋はこちらに歩いてくる。どうやら彼には飛龍の事が見えないらしい。
それを知ると、酒井は勝ち誇ったように宮嶋を見た。
「ははぁん。お前さては見えてねぇんだな?」
「なんだよそのバカみてぇな面」
「ふははははっ!何とでもいえ、宮嶋!しかし、今回は俺の勝ちだ。そして認めろ!
俺のほうがお前より優れていると特別だと言う事を!」
高らかに笑う酒井と裏腹に宮嶋は無表情のままだった。
「分かった分かった、それで?俺はこれから軍医殿にお前が狂ったと報告しにいかなきゃ
ならないんだが、言う事あるか?」
冷ややかな目を向けて宮嶋は言い放った。
「大いにあるぞ!まず俺は狂ってねぇ!!」
「嘘付け、甲板の端で一人で右手差し出したり、『俺は撃墜王だ!!』って大声で叫んでる奴が正気なわけねぇだろ?」
「お前、一体いつから見てやがったっ!?」
宮嶋の口ぶりから考えるにどうやら飛龍に声を掛けた直後からこちらの様子を見ていたようだ。
「――ふ、フン!まぁいいさ、第一に俺は独り言を言っていた訳じゃねぇ」
「あれを独り言じゃないというお前はすでにおかしいぞ?」
宮嶋の言葉に動じず酒井は次の言葉のために息を大きく吸い込んだ。
「俺はこの飛龍の艦魂と話をしてたのだ!どうだまいったか!?かわいい子とお話だぞ!うらやましいだろ?」
飛龍は自分の事を言われて恥ずかしそうに頬を赤く染め、酒井は自慢げに話した。
――しかし
「はぁ?お前あんな迷信信じてるのかよ。バカバカしい」
帰ってきたのは冷ややかな視線と飛龍の存在に対する否定の言葉だった。
「なっ!ひ、酷いっ」
自分の存在を否定されて飛龍は落ち込む。それに追い討ちを掛けるように
「艦魂なんて見たことある奴いないんだろ?お前ももう少しまともな嘘付けよ
かわいいだの、軍艦だぞ?仮に居たとして軍艦の魂がかわいいわけねぇだろ?」
この言葉に飛龍はついにその場に崩れ落ちた。
艦魂とは言え、飛龍も女の子、直接かわいいはずがないなどと言われればさすがに落ち込む。
「ひ、酷いよぉ、わたしっ・・・わたしはぁっ」
目じり涙を溜め、飛龍は下唇を噛んで必死に涙を抑えようとしていた。
「うわっ!飛龍さん」
酒井が飛龍に駆け寄って必死に背中を摩る。しかし、それを見ていた宮嶋は・・・・・・
「アホな事してないでさっさと来いよ。隊長がご立腹だぜ」
そう言うと、宮嶋は後ろを振り返った。
「バカやろー!女の子泣かせてそのまま行けるかよ」
酒井が声を上げると、宮嶋は顔だけで振り返り、
「んじゃ、隊長には酒井のアホは艦魂が見えるだのと可笑しな事いって来ませんでしたと
言っとくわ」
そう吐き捨てると、宮嶋は艦内へ入っていった。
残された酒井は必死に泣く飛龍の背中を擦り続けた。
●
「落ち着いた?」
「はい・・・・・・すいません」
ようやく泣き止んだ。飛龍に酒井はホッと安堵した。
「ごめんな、あいつ悪気はないんだ。」
責任を感じて酒井は謝罪する。それにたいして飛龍は焦りながら
「あ、いいです!別に気にしてませんから」
少し強がりも混じりながら言う。
「あいつも飛龍さんが見えればなぁこんな美人内地でも滅多にお目に掛かれないのによ」
「そ、そんなっ」
顔を真っ赤に染めて言う飛龍に酒井は笑う。
「――からかわないで下さい。それより良かったんですか?」
宮嶋の最後に言っていた言葉がどうしても気になってしまう、酒井はこんな事をしていて本当に良かったのかと
「あぁ気にしないで、多分今日の作戦の打ち合わせだと思うから」
「そんなっ!ダメですよっ!!」
飛龍は声を上げた。
「作戦の打ち合わせってとっても大切な事じゃないですか!こんな事してないで早く行って下さい」
立ち上がり、飛龍は酒井の服を掴んで立たせようと引っ張る。
「おぉ、分かった分かったから!あんまり引っ張らないでくれ」
苦笑する酒井に飛龍はすぐに手を離して謝罪する。
それを宥めて酒井はゆっくりと歩き始めた。
その背中を飛龍は追い続ける。
そして気づいた。先ほどまでの不安が消えている。
先ほどまであれほど不安で押しつぶされそうだったと言うのに
今は違う。
「飛龍さーん!」
見ると、酒井がこちらに手を振っている。
「俺、絶対飛龍さん守るから!一機たりとも飛龍さんに近づけないようにがんばるからさ!!」
そう言うと、酒井は艦内へと消えていった。
飛龍は一人、酒井の消えていったドアをしばらく眺めていた。
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