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二湯

 

後藤修が帰宅し、スマホを見ると恭花から


「ぜってえ来いよ!」


という、キャラクタースタンプの目が燃えているLINEメッセージが届いていた。


散々脅したにもかかわらず、恭花は銭湯に行くのをあきらめていないらしかった。これ以上付き合うのは御免だったが、放置して何か不始末があったら夢見が悪い。


修は乗りかかった船とばかりに腹を括り、銭湯に行くことを決めた。黒のランドセルを部屋の机の上に置くと、準備を始める。


ネットで検索すると、銭湯にはシャンプーや石鹸が置いていないため、自分の使用するものを持参することを推奨する旨があること、湯船に入る前にタオルで体を洗うことなど、銭湯のルールが一通り判明した。


「ローカルルールとかあったらイヤだな。まあ、行ってみればわかるか」


タンスからタオルと着替えを用意しリュックに詰める過程で、自分も銭湯を楽しみにしていると気づく。これでは恭花を笑うことができない。


夕食のため、一端部屋を出ようとした際、つま先にサッカーボールがぶつかり、部屋の隅に淋しく転がった。修は気づかなかった振りをして部屋を出た。


階下のリビングには父親がいた。ここ数日帰るのが遅かったため、修は久しぶりに父親と顔を合わせたことになる。


母が、ロールキャベツの皿をテーブルに乗っけた。湯気に誘われ、父と息子はいそいそと席についた。


恭花とは、八時に近くの公園で待ち合わせすることになっていた。


今は七時を少し過ぎた当たりだ。できるだけ焦りを気取られないようにそれでも最大限の早さで夕餉を済ませる。


後はリビングを出て、すぐにある階段に置いてあるリュックを持って出かけるだけだ。両親に事情を説明して納得させる自信がなかったわけではなかったが、時間もない。それに何の前触れも女子と銭湯に行くと言えば、白い目をされるに決まっている。 


父がテレビに夢中になり、母がキッチンに移動した瞬間、死角を見つける。フローリングを滑るように進み、首尾よくリビングを出ることができた。


「こんな夜遅くにどこ行くの?」


玄関で靴ひもを結んでいた修の手が止まる。子供の浅知恵などお見通しと言わんばかりに、母が背後に立っていた。


修は母の目をまっすぐ見ることができずに、靴ひもを解こうか迷う仕草に終始していた。


「こっちを見なさい、修。母さんが訊いてるんですよ」


母は厳しい目を修に注いでいる。


修は良心の呵責に耐えきれなくて、全てを暴露したい誘惑に駆られた。


恭花は銭湯に行くことを誰にも知られたくないのだろう。そのため無関係に近い修を動員しようとしようというのだから、よほどせっぱ詰まっているに違いない。恭花を道づれにはできない。幼いながらに義侠心が芽生えた修だった。


「練習に……」


「えっ?」


修は、所在なさげになさげに母を見上げる。


「サッカーの練習に行ってくる」


母が息を呑む気配が伝わってくる。修に対してサッカーの話題は禁句だと母は考えていたので、驚くのも無理はない。


「サッカーボールを持ってないじゃない」


「忘れてた」


母は笑っていた。修も笑った。


「スマホを持って、寒くならない格好して行きなさい。九時までなら許してあげる。車で送っていこうか」


「うん。ありがとう、母さん。でも一人で大丈夫」


約束を守れるかどうかは恭花に懸かっている。修は気を引き締めた。


 二


修はダッフルコートの上にマフラーを巻いてから家を出た。こんな遅い時刻に、一人で外に出たのは恐らく初めてのことだ。そのため、澄んだ空気も異国のように新鮮味を帯びている。


修が公園に着くと、恭花は遊具のトンネルの中で携帯ゲームをして時間を潰していた。


「おそーい、後藤。すげー冷えたんだけど」


恭花の格好は小学校を出た時と変わらなかった。ランドセルの代わりにトートバックを持っているようだ。


修は暗闇に踏み込むのをためらい、外から声をかけた。


「ねえ、和泉、一人でこんな所にいて怖くないの?」


「別に? よくあることだし」


恭花はゲームのスイッチを切ると、トンネルから外に出た。すると修の手に持つボールに目を丸くする。


「このサッカーボール、後藤の?」


「いちおう」


「ちょうどいいや、汗かいてから行かね?」


修と、恭花はボールを蹴り合った。修のボールは恭花の足下に正確に届くが、恭花のコントロールは滅茶苦茶で徒に修を走らせた。


「蹴るのやったことないし。まっすぐ飛ばねー。ムカつくー。あんたサッカーやってたの?」


「三年前くらいから。ポジションMF」


恭花のボールが修の頭上を掠めそうになると、額で止めて頭でリフティングした。


「わー、すごいすごい! 後藤ってこんなことできたんだ」


飛び上がって誉められ、修はこそばゆくなった。自分の技術を披露するために来たわけではないのだ。ボールを地面に落下させた。


「しばらくやってないから下手になった」


「何でやめたの?」


「やめてないけど。……、飽きた」


「ふーん、もったいない。そろそろ行こうか」


修が先に立って歩き出す。修の方が早いので恭花に何度も文句を言われた。


「あんた歩くの早すぎ」


「和泉が遅いんだよ。僕、親に嘘ついてきてるから、早く帰りたいんだ」


恭花は下を向く。


「……、そんなにあたしといるのイヤ?」


修は努めて感情を押さえて答える。


「イヤとかそういうんじゃないけど、今の状況は結構おかしいよね。小学生が急に銭湯に行くなんてさ」


「それも男女だから?」


恭花は静かな通りに響き渡る声で、修の結論を代弁した。


「そう、男女で。僕らが一緒にいるのはまだ早いのかもしれない」


修のクラスに、一組の男女がいた。美男美女というわけでもなく、町外れの「しまむら」で服を買うような野暮と洒脱の座標軸をいったりきたりする二人だった。


二人が校外にいるところを頻繁に目撃されるようになると、いよいよ邪推ははかどって、恋人同士と認定されるに至った。


二人は、単なる友達同士だと口を揃えて噂を否定する。


一端は鎮静化したものの、火のない所に煙を立たないという慣用句を証明することになる。


片割れの女子が、和泉恭花に相談した。二人は親友だった。相手の男子を思うと、胸がじりじりと痛む。あにはからんや、これぞ真の恋なのではあるまいか? 自信がないので時間を置きたい。それまで秘密にして欲しいと念まで押した。


恭花はその場で約束をしたものの、それだけの秘密を一人の胸に抱えるには、相当の意志の力を要する。


残念ながら、恭花にそれほどの意志も注意力もなく、グループLINEで親友に気になる相手ができたと書き込んでしまう。


村社会のように狭い教室内で、人間関係などたかが知れている。 


結果としてその女子は、一週間経った今も学校を休んでいる。


「あんたもあたしを責めたいの? 仕方ないじゃん、悪気なかったし、あの子だって本当は好きな相手ともっと仲良くなりたいって思ってたはずだもん」


恭花が自分を正当化するためにこのようなことを言っているわけではないと、修は知っている。この一週間、一番気を揉み、相手を心配していたのは恭花だった。


「たとえそうだったとしても、余計なことはするべきじゃないんだと思う。きっとまだ早いんだ、僕らには」


「……、あたしが悪いのは認める。でも人を好きになるのに理由なんかいらない、とあたしは思う。邪魔したいわけじゃないし、応援したかっただけなのに」

 

だからそれが余計なことなのにと、修は言いかけてやめた。恋なんて知らずに生きられれば誰も傷つかずに済むののに。丁度、無関係の修と恭花のように同じ目的に進むことも不可能ではないはずだ。


「そうだ」 


修は思い出したように辺りを見回す。コンビニの明かりで、しもやけで赤くなった恭花の耳たぶが照らされる。


「僕らは銭湯を探してたんだった。和泉のヘマをあげつらうためにここにいるわけじゃない」


恭花も原点回帰に賛成とばかりに鼻をふくらませる。


「はいはい、余計な時間を取らせてしまってごめんなさーい。修君はぁ、早くママの所に帰りたいんでちゅよねー?」


あからさまな嫌みにも修は冷静に応じる。 

「うん、君といるより家にいる方が落ち着くから早く帰りたいのは本当だね」

 

「何よ! ヤな奴。後藤がマザコンだって広めちゃうぞ」


冗談なのか本気なのか修にはわからないが、もしそうなったとしたら、恭花を本気で軽蔑するだろうと心に決めた。


 


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