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赤犬石鹸

 目的地の赤犬温泉郷に着いた。

 私たちは旅館にチェックインする時間調整のために、その地区を取りあえず車でぐるりと1周し、地区内にあった道の駅で軽く昼食を食べた。

 通りのあちこちにある大小のホテルや旅館、日帰り専門の温泉にも、その看板や建物には、いろいろな赤犬の絵や人形、木彫りなどが飾ってあった。道の駅で食べた昼食に出て来たお箸入れの紙にも可愛い赤犬が骨を咥えている絵。祖母が来る途中で赤犬伝説の話をしてくれた時に私の頭に浮かんだ真っ赤な犬の着ぐるみ姿が強烈でまだそれが頭の中で動いているけど。


 ゴールデンウィークなのでやはり人出が多い。いろんな家族やカップル、中には一人で歩いている人もいるけれど、場所柄小さい子ども連れか、お年寄りだけのグループが多いが、私たちくらいの比較的大きくなった子どもを連れている家族もまあまあいる。

 私たちももちろん他人から見たら普通の家族連れだ。




 旅館に着き手続きを済ませ部屋に案内される。

 旅館は2階建ての古い建物だが、窓や階段の装飾品もレトロでオシャレな凝った造りで、清潔な良い旅館だ。祖母が案内の仲居さんに、「今日は高校生の孫が二人とも一緒に来てくれて嬉しくて」と話し、優しそうな、それでもてきぱきとしたその60歳くらいの仲居さんもニコニコしながら「、それは良かったですねぇ」と相槌を打ってくれる。祖母の後に父と母が続き、チハルがその後、私が最後に着いていく。


 そして「こちらです」と案内された部屋は10畳くらいの部屋。こっちが女子部屋かな。3人にしては結構広い。父と母、奮発したのかな。

 「それではごゆっくり…御用がございましたらどうぞご遠慮なく…」

言いながら深くおじぎをしフェイドアウトする仲居さん。

 


 え?

 チラッと見ると、チハルも、え?、って顔をしている。え?

 5人部屋?この部屋だけ?


 祖母と父と母は、「あ~景色良い~~」とか、「車、ちょっと疲れたね」とか、「早く温泉行こう」「今夜のご飯は何がメインかな~~」とか言いながら、窓際に用意されたテーブルの上のお茶のセットをさっそくいじり始めた。

 「ほらほらほらほら」と祖母。「チナちゃん、チハル、取りあえずあったかいお茶飲んで一息ついて温泉回ろうか?」

「見て見てこれ」と母。「ラジオ体操の時みたいなスタンプカードもらっちゃった」

トランプのカードを広げるみたいにして5枚のスタンプカードをペロペロっと広げて見せる母。

「この旅館以外の温泉もいろいろ回れるんだって。それでその温泉毎に違う赤犬スタンプがあって集めるんだって!チナちゃん、お母さんテンションあがって来た!」

「チハル君!」と父もチハルに言う。「下に卓球台あったよね!」

「…ありましたね」と静かに答えるチハル。



 いや確かに。確かに母は女子部屋と男子部屋に分けるって母は言ってくれていたはず…

 そう思いながら、たぶん同じような事を思っているチハルと目が合いパッと反らしてしまった。

「もうここからさぁ、浴衣と羽織に着替えて行った方が脱ぎ着しやすいよね」と母。「受付の人も言ってたし、来る途中も浴衣で移動してる人まあまあいたし。入ったり出たり入ったり出たりすんのにそっちのが楽」

「そんな数こなそうとかしなくても、」 と祖母が反論する。「ゆっくり浸かってゆっくり美味しいものを食べてって、 そっちの方がいいよねチナちゃん?」

「うん…まあ…」

 チハルが立ち上がりトイレに行く。


 ここに5人で寝るって事?やっぱりゴールデンウィークだから二部屋は取れなかったのかな…そしてそれを言ったら私が参加しなくなると思って黙ってたのかな。

 ピロン、と私のスマホが鳴った。

 ラインはチハルからで「なんとか言ってちょっと下降りて。飲みもん買うとか。オレも行くから」。

 「なんで?」と返す。

「うるせえよ。いいから下行っとけって」。

ムカっ…

 もう1回チハルから来た。「話あるから」


 

 祖母とチチハハは、受付でもらったこの辺りの地図を広げ、あーだこーだ言い合っている。

 話ってなんだろ…ヒロセに言った事とか?でもチハルはそんなの自分から私に教えないだろうし…それにここに5人で泊まるって事をチハルも躊躇してるよね?さっき変な顔してたし…

「お母さん」と声をかける。「ちょっと下に飲み物買いに行ってくる」

「え?お茶じゃダメなの?」

「あ~~…ちょっと友達に電話もしてくる」

「ここじゃダメなの?」

「ん~~…と、…」

「行っておいで」と祖母が言ってくれる。「でも早く戻っておいでよ。早く温泉入りたいから」



 廊下を通って階段を降りようとしている所でチハルが追いついて来た。

「なあ」と言われてちょっと身構える。

「…なに?」

ふっ、とチハルが笑う。「そんな風にいちいち身構えないようにしといて」

「…何がよ!?」

「オレは普通に出来るから。いいじゃん家族5人仲良く同じ部屋で」

なにそれ…

「5人で一部屋に寝るなんてもうないかもしれないし。ばあちゃんすげえ喜んでるし。姉ちゃんも普通にして」

「私は!…別に普通だよ今も」今までだって私は…

「へ~~。さっき、どうしようって顔になってたから」

あんたもだったでしょ?

「じゃあ、それだけ」とチハルが言う。「先に帰っとくから。ちょっとしてから戻って来て」



 なんだって言うんだ。

 私だけが身構えて、私だけがこの旅行に行くか行かないかすごく悩んで、ヒロセも嫌な気持ちにさせてって事?

「ねえ!」とチハルを呼び止める。「あんたさあ!あんた…ヒロセに昨日何て言ったの?」

一瞬驚いた顔をして、でもチハルは笑う。「ヒロセさんはなんて言ってた?」

「…何も。あんたに…ちょっと話をされたって」

「あ、そう」

「…」

 私はもうチハルは見ずにそのまま階段を下りる。ムカつく。普通じゃなくしたのはあんたじゃん。後先考えずに。



 階段を下りて受付のそばまで行くと、カウンターの脇に30センチくらいの陶器の赤犬の置物があった。丸みをおびた、「柴犬の子犬」みたいな感じの形だ。取りあえずその写真を取り、ヒロセとサキちゃんに送ってみる。

 ああ、そうだ。サキちゃんのリクエストの赤犬石鹸、もう買っておこうかな。忘れたらいけないから。

 サキちゃんが言っていたとおりのショッキングピンクの石鹸だ。1コ380円。

 …もしかして、チハルもあの、ハヤサキマイちゃんに何かおみやげ頼まれたのかな。写真を送るようにって私からも言っておいてって言われたけど…



 石鹸は透明なビニル袋に入れてあって赤いリボンが付いていた。部屋に持って帰って母と祖母に見せると「「かわいい~~~」」と二人が声を揃える。祖母も近所の友達へ、そして母もパート先の仲良くしてくれている人に買って帰ると言い出し、さっそく二人して売店へ向かった。後に、父と私とチハルが残される。

「チハル君」と父が言う。「今日はほんとにありがとう。一緒に来れてうれしいよ」

「そんな…当たり前ですよ。オレだって家族なんですから」

「あっ、」と慌てる父。「ごめんごめん。そんなつもりで言ったんじゃないけど」

「オレもそんなつもりで言ったんじゃないです」

ハハハハハ、と笑い合う二人。


 「ほんとは、」とチハルが今度は静かに言った。「自分勝手な事をいろいろして、それなのにまだこうやって一緒に連れてきてもらえて嬉しいです」

「そんな、」と、うろたえる父。「そんな事はないよ。チハル君は良く頑張ってくれたと思う。僕なんかチハル君の本当のお父さんに比べたら、…比べるっていう言い方は良くないけど、僕なんかほんとね…」

しんみりし過ぎる父だ。しんみりしたまま父は続けた。

「僕なんかの事をお父さんて受け入れてくれて、お母さんと結婚させてくれてありがとう」


 ビックリしている私だ。いや、父がそういう事を思っているのはわかっている事だが、私の前で言葉にしてチハルに伝えるって結構凄い。引きそうだ。私がソワソワする。まだ旅館に着いたばっかりでこんな事言い出して、そこまで嬉しかったのか?

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