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猫の名前なんか思い付かない

 高速道路に乗り、途中サービスエリアに寄って父と母がトイレに行っている間に祖母が私に言う。

「チナちゃんチナちゃん、日曜日ごめんね」

祖母のニッコリと明るい顔に本気も嘘もどうでもいいような軽さを見てしまうが、私は『ううん』と言うしかない。だいたい後ろにチハルがいるのに、あの日曜日の事をほのめかされても…。わざとだよね…。父と母のいない時をねらって。

 が、日曜の事って何?って聞いてきそうなチハルが、身構えていても何も言わない。祖母もそれ以上は言わない。…やっぱり祖母はチハルに日曜のごちゃごちゃを話してしまっているのかもしれない。



 父と母が人数分の飲み物とおやつを買って戻って来た。

「たこ焼き食べる人~~~」とハイテンションの父だが誰も返事をしない。

と思っていたら、「あ、チハル君いるの?」と父の嬉しそうな顔に後ろをパッと見るとチハルが軽く手を上げていた。

 父には気を使うよね!

「はい、チナ」と父。「チハル君に回してあげて。チナはいらないの?チハル君と半分こしたら?」

「…今はいらない」そう言いながらチハルにたこ焼きのパックを回す。



 母が今度は運転席に座って車はまた走り出した。

「アツコちゃん」と父が助手席から言う。「あんまりスピード出さないでよ?」

「出した事ない」と母。

「もう~~~」となじる父。

 母と二人でサキちゃんとヒロセを送った後のドライブの事を思い出す。不思議コンビニの灯りと青い月のマークも思い出す。

「お母さん」と父が祖母に言う。「アツコちゃんたまにすごいスピード出そうとするんですよ」

「この子はね…バカなのよね!むかしからそうなの」

「はあ!?」と運転している母が振り向くので止めて欲しい。

「アツコちゃん!」と父も慌てる。「前見て前!」

「じゃあ余計な事言わないで」

言いながら母が音楽をかける。オアシスだ。母は運転する時にはいつもオアシスかワンダイレクション。



 ゴールデンウィークなのに高速道路はまだあまり込んでいなくて、車は調子よく走るが、私は猫の名前なんか思い付かない。

 たこ焼きを食べていたはずのチハルがふいに私を呼んだ。

「姉ちゃん」

ピクっと振り向いた私と「何?」と聞く母の声。え?と思って今度は母を見る。

 

 「姉ちゃん」ともう一度チハル。

「何?」とまた母。

 ちっ、と舌打ちをするチハル。「姉ちゃん呼んでんだよ」と吐き捨てるように言う。

「何?」とやっと返事をする私だ。

「飲みもん取って」と普通に言うチハル。

 飲み物ね!

 はいはいわかりました。


 何ドキドキしてんだ…

 意識しているのだ。

 ぐだぐだ悩んででも結局行く事にしたくせに、この旅行中、チハルがどんな風に絡んでくるのか私はとても気にしている。

 

 気持ち悪い話だ。

 ヒロセとだんだん仲良くなっていきたくて、チハルがそれを邪魔して来て、ヒロセとの間にわだかまりが出来て、それを残念だと思いながらも、チハルの動向も気になっている。

 でも、とも思う。気になるのは当たり前だ。私を好きだって言って来てるし。姉ちゃんだとは思われてなかったわけだし。だいたいチュウされたし。それでも女の子に誘われてて、その女の子が私に、チハルと付き合えるようになりたいって言ってきてて、ヒロセは教えてくれなかったけれど、またチハルがヒロセに何か余計な事を言ったわけだし、私はそれをチハルから聞き出したくはない。


 と、さらにぐだぐだ思っているところへ、ピロン、と私のスマホが鳴った。ポケットから出してこっそり見る。

 ヒロセじゃなかった。サキちゃんだった。

 そのタイミングで「姉ちゃん」とまた後ろから私を呼ぶ声にビクッとする。

「なに?」とまた母。

「いや、もういいって」と本気で鬱陶しそうに返すチハル。

「なに?」と私が聞く。

「姉ちゃんは何飲んでんの?」

「へ?あ、オランジーナだけど…」

「へ~~」


 それだけ?…普通の会話だ。

 サキちゃんからのラインは、これから行く赤犬温泉の手作り石鹸がすごく美肌効果があると雑誌に載っていたからお土産に買ってきて、というものだった。ショッキングピンクで犬の形をしているらしい。

 サキちゃんからのラインも普通。私とチハルが本当のキョーダイじゃないと知ってから、そしてチハルが本気で今は私を好きだと知ってから、前みたいにチハルの事を話題にしなくなった。

 私は『OK』のスタンプを送る。



 「母さん」とチハルが今度は母を呼ぶ。

返事をしない母。さっきチハルが私を呼んだ時には私より先に返事をしたのに。

「ばあちゃん、オレにも飴」とチハルが祖母に言う。「お父さん、後どれくらいで着きますか?」

「ん~~、と?後1時間ちょいかな」と父。

「母さん」とチハルがまた母を呼ぶ。

「…なに?」と今度は答える母。でも面倒くさそうだ。

「なんでもねえよ」とチハル。

「じゃあ呼ぶな」と母。

「ちょっと~~~、」と父が情けない声を出す。「アツコちゃん、何ギスギスしてんの?」

「してない」と母がムッとして答える。「チハルがなんか反抗的だから」

「普通だろ」とチハル。「それに変な絡みしてんのはあんたじゃん」

「ちょっと。あんたって何あんたって」と言いながらムカついたのか母がアクセルをギュッと踏んだ。

「もう!」と父。「普通だよ。全然普通」

今度は後ろを向いて明るい声で父が言う。「僕も中、高は親に生意気な事ばっかり言ってたよ」

「そうなの?」と母。

「そうそう」と父は前を向いて運転する母を優しい顔で見る。



 そうか…

 お父さんもそういう時期があったのか…

 ぼんやり外の流れる景色を見るが、取りあえず道路と防御壁と山しかない。たまに標識。

「チナちゃん赤犬温泉の伝説知ってる?」と祖母が口の中に入れた飴をコロコロ言わせながら聞いて来る。

 知らなかったので聞くと、むかしむかしそのむかし、あまり大きくないお城に可愛らしいお姫様がおりました…と祖母がまるで、本をその手に開いているようにすらすらと赤犬伝説の話をはじめた。途中で何回も飴を転がしながらだけど。


 「そのお姫様は早くにお母さんを亡くし、家来も多くはいないお城だったので、一人でお城の中で遊ぶ事が多かったのですが、ある日庭の一番古い木にいたフクロウにそそのかされて、お城の外が見てみたくなったお姫様はお城の庭でいちばん高い木に登りました。でも木のぼりなんてした事のなかったお姫様は足をすべらせ、そのまままっさかさま。そして木の根元にあった穴の中へ落ちて行ったのです。穴はそのもっとむかしに、しょっちゅう戦いが行われていた時に抜け道を掘ってあった入り口で、下には木の葉がいっぱいたまっていてお姫様は死なずにすみました。

 けれどお姫様が落ちた拍子に穴の入口は崩れ、中に閉じ込められたお姫様は、わき道を抜けて、お城へ戻る道をさがします。小さなお城の下には巨大な迷路が広がっていたのです。

 穴の中、すぐに目が慣れました。というのも、天井や壁の所々には光る石がはめ込まれていたのです。お姫様はその薄灯りを頼りに地下迷路をこわごわ移動しますが、ただ同じ所をグルグルと回っているだけのようで全くどこにも辿りつきません。躓いて転んだり、足からは血が流れ、体中泥だらけのお姫様が動けなくなってうずくまっていると、横からベロン、とかかとを舐められました。悲鳴を上げ驚いて立ち上がると、そこにいたのは赤い小犬でした。お姫様はぎゃっと叫びました。地下の薄明かりの中でもその犬の色の異常さにドン引きしたからです。怖がったら負ける、と思ったお姫様は犬に微笑みました。すると犬はあっという間にお姫様より背の高い、見目麗しい男の人に変わったのです。まだ驚いているお姫様の手を取ったその赤犬イケメンは恐ろしい速さで地下迷路を走り抜け、それはもうお姫様が足を付いていないんじゃないかと錯覚するくらいの速さで走り抜け、二人は城の地下へ抜ける穴から城へ戻る事ができたのです。めでたしめでたし」


 「ほんとそれ、」と母が前を向いたまま言う。「最初に聞かされた時はちょっと気持ち悪くて、その夜赤犬に足をベロベロ舐められる夢見たし」

「それって、」と父。「温泉と何の関係があるんですかね…」

祖母が面倒くさそうに付け足した。「家来になって城に住むことを許された赤犬イケメンが、お城の裏山にあった畑を掘ったら温泉が出て来て、そこに小屋を作って、地下迷路でけがをしたお姫様がその温泉に浸かったら、前よりも肌ツルッツルの美しいお姫様になりました、って話」

 


 そうこうしているうちに車は今夜の宿へとたどり着いた。

 赤犬イケメンの話のインパクトが強くて、しかも赤い犬の着ぐるみを着た人が、姫を連れて颯爽と迷路を駆けぬける姿ばかりが浮かび、祖母の家にやって来る黒猫の名前は全く思い付く事が出来なかった。



 



 



 

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