どっちにしろ
コンコン、とドアがノックされた。
「もう…来なくていいのに」と祖母がもぞっと小さい声で言ったので、少し返事を迷っていると、またドアがノックされた。
「開けるよ?いい?」とドアの向こうからの母の声。
部屋に入って来た母が祖母を睨んで言う。「いつまで二人で話してんの?チナちゃんに無理言わないでくれる?たかが温泉旅行で」
母のキツい言い方にビクッとする私だ。
…え、ていうか今の話ドアの外で聞いてたのかな…
冗談じゃないよね!チュウの話、母に聞かれるとかマジで勘弁してほしい。
「ちょっと、アツコちゃん、」母の後ろから部屋に入って来たのは父だ。「そんな言い方はないでしょう」
めんどくさ!お父さんまで来なくていいのにっていうか、父にまでさっきの話聞かれてたとか絶対あり得ないけど…
たかが温泉旅行っていうか私、たかがチュウ、みたいな言い方もされてたのに。
「だってお母さんがチナちゃんに…」と、父に訴える母。「私だってチナちゃんと旅行行きたいけど、チナちゃんがチハルと一緒は嫌がってるのに無理に連れてくのは嫌だもん」
「あの、お母さんチハ…」と反論しようとする私を押しのけるように父が口を挟む。
「僕だってすごく楽しみしてるよ。チハル君とは家で一緒に風呂に入れた思い出ないから…温泉旅行って貴重だよね。息子と風呂に入るって、もうそれだけで嬉しいよね」
「でしょう?」と父に笑顔の祖母。「なら私がチナちゃんにも一緒に行って欲しいって言っても悪くはないでしょう?無理は言ってないよねぇ?チナちゃん?」
「お母さん」と母が祖母を止める。「チナちゃん、そんな言い方されたらそりゃ『してません』て答えちゃうじゃん。だいたいねえ、チナちゃんは私の娘なんです!私をすっ飛ばして気安くチナちゃんに詰め寄らないでくれる?」
「アツコちゃん!」と母を注意する父。「そんな言い方しちゃダメだよ」
「普通に話してただけだよねえ、チナちゃん?」とまた私に聞く祖母。
無理は言われてないけどムチャは言われたよね。…だって…おばあちゃんにチュウを肯定されたら…
やっぱりおばあちゃんはチハルが可愛いんだろうな。…いたよね、小学の時とか友達のところにも。やたら孫を甘やかすおばあちゃん。あんな可愛くないチハルでも可愛いと思ってるなんて、どうかしてるよおばあちゃん…
「チナちゃん?」と祖母が私を見て微笑んだ。
「はい」
「私は別にチハルを甘やかしてるからあんな風にチナちゃんに言ったんじゃないから」
心を読まれたように言われてドキっとする。
「あんな風って何言ったのよ?」と母が祖母を睨む。
良かった!母たちには聞かれてなかったのか?
よし、絶対言わないでおばあちゃん!
「別にあんたには関係ない」と祖母。
良かった言わないでくれた。が、「はあ!?」と、当然受けて立つ母だ。
「私がお母さんだから。チナちゃんのお母さんは私なんです!私が一番関係あるんです!」
「あんたはいろいろ口出さない方がいい」
「何言ってんの?自分はおばあちゃんのくせに」
「あんた、私の娘じゃん。娘におばあちゃんとか絶対言われたくないから」
「「いやもう…」」と父と私が止める。
そして私が、『そんなに言い合わないで』って言おうとしたら先に父が祖母に言った。
「チナも旅行、楽しみにしてますからお母さん」
そういうごたごたがあっての旅行だ。
5月3日、私たちは家の車ではなくレンタカーから借りた7人乗りのワゴン車で、今隣の県の赤犬温泉まで向かっているところだ。父が運転し、母が助手席、母の後ろに祖母、その横、父の後ろに私、後部座席にはトランクに入り切らなかった荷物とだるそうなチハル。
なんでそんなだるそうなの?家族旅行参加したいんじゃなかったの?
いや、あの父の、『チナも旅行を楽しみにしてる』という言葉で旅行が決定になったわけではなかった。逆に父のその言葉の後、母が『あなたっていつでもそういう調子良いとこあるよね?それが良い事だと思ってんの?ねえ?ねえ?ねえ?ねえって!』と父を責め始め、そのキレた母を見て祖母が父に、『離婚した方がいいんじゃない?こんな強気のすぐ文句ばっかりいう女』と笑い、3人でああだこうだとお互いをなじり、父と母が結婚した当初の、私も知らないような事まで言い出し、そして挙句の果ては父と母が再婚する前の時間をはるかにすっ飛ばして、母が小学生低学年の頃の友達とのいざこざまで持ち出して、母と祖母は私から見ても低次元だなと思える言い争いを続け、いつの間にかもう父は私と一緒に『ちょっともう…』とか『そこまで言わなくても…』とか何回か口を挟みかけたが、無駄だった。
母と祖母が言い合いをするのは何回も見た事があったが、ここまで私や父の目を気にしないで言い合う事はなかったので、これはこのまま旅行の話も流れるかもと思ったところへ、母が『お母さんが言い出した旅行になんてチナちゃん参加させてあげない!チナちゃんは私と留守番して…っていうか私とチナちゃんは別な温泉に二人で行くから!』と言い出し、ああもうどうしよう…と思ったところへ父が、『キャンセル料取られるから、今回は予定通りみんなで行こうよ。せっかくゴールデンウィーク空いてる所探してやっと予約取れたのに』と言って、母と祖母は我に返ったのだった。
3人は私に言った。これがみんなで行く最後かもしれないから。
嫌だな、と思う私だ。祖母にも先の事はわからない、みたいな言い方をされたし。実際そうかもしれないけど、全ての事をこれが最後かもって思いながら行動してたら、いちいち気合いも入るかもしれないけど、それはとても寂しい。
間の5月1日も2日も学校はあったが、チハルは母と祖母の言い合いは全く聞いてもいないのか、私に絡んで来る事もなく、ラインも電話もなく、ヒロセともほぼ喋る事なく過ぎるので、 ヒロセに機嫌悪く話しかけられてしまうかもしれない不安と、もう話しかけてももらえないかもしれないという不安に、休み時間ごと そわそわしながら、チラチラといつもよりヒロセを見てしまった。
それでも何も話しかけられないままの2日の放課後、1年の女の子に呼び止められた。
「お姉さん!」
「チハル君のお姉さん!こんにちは!私ハヤサキマイです。覚えてますか?」
その子は振り向いた私にニッコリ笑って言った。
「小学校の時、同じ仲間班だった事があるんです」とその子。
仲間班というのは小学校の時の1年生から6年生までが混ざった縦割りの班だ。そうかこの子、チハルが言っていた、チハルに告って来た子?
髪は肩下までのストレート、しっかりと私を見つめる目は切れ長で、可愛いというより綺麗なしっかりした子、と言う感じ。
「うん」と、私はうなずいた。




